《封楼情更盛》
因为这场疫情,鲜有交集的楼友聚集在群里,于是每天都上演着值得记录与感谢的小事:
一、粗心自锁事件:出去接水常常不带钥匙,被风锁住了门,然后傻气地找537邻居小姐姐们求助,二话不说立马搬凳子护着我在十分安全的情况下从阳台回屋!
二、将奉献视为责任的楼层长:整整9天,尽管有志愿者,但是你仍用着最“笨”的方法,“人不尽其用”,尽全力只辛苦着你自己一人,无轮班地统筹并执行着一切,还到处感谢我们未能“帮忙太多”的志愿者!
三、501的咖啡屋:501的小姐姐贡献了一瓶全新咖啡在窗台一侧,供大家自取,纠结了好久,带了两瓶牛奶放在窗台并自取了几勺咖啡;不久,收到了微信好友添加,未能拗过501小姐姐要再返我一些食用物资的感谢!这些零食真的让我顿时觉得富有了!
四、527的美女志愿者:每每去帮忙搬运盒饭的时候遇到活泼灵动的她,都会开心一点点,后来发现,居然是群里刚刚正在互聊的姐妹!又开心了一点点!
五、突然弹出的聊天界面:有个无印象的名为汪汪的对话框弹了出来,给我发了几张美食的图片,并邀请到“群里看到你说你喜欢吃麻食,我做了一些,你来吃吗!”“快点,等你来打鸡蛋呢!”翻了一下聊天记录,原来是很久之前群里一个友友找一位同学帮忙带快递,我顺手帮了个忙,加了微信,嗯,没想到她一直记得我!
“你来啦,鸡蛋液等你来淋,仪式感留给你自己。”这个女生真的好吸引我,我好像第一次遇到,好像是国外文艺片里走出来的那个人小鬼大的小女孩,第一次见面,却似你是她认识很久的老友般平静地叙述着一些事情。谈到咖啡的短缺,我建议到群里有很多小姐妹愿意分享,她说,我想咖啡都是刚需,若非明码标价,我也不好意思去拿。天知道这想法和我不谋而合,所以看到501的姐妹在窗台放了一瓶未拆咖啡粉供大家24小时自取时,我知道她应该不是刚需了,便才耐不住咖啡的诱惑自取了一些。
因为陌生!因为难再有交集!所以借此感谢!放一张来自286宿舍汪汪做的麻食,嗯,上次传的宿舍封楼版寿司也是她做的!直到最后我都没好意思告诉她,其实她记错了,我没有说过我喜欢吃麻食,但今天,我喜欢吃了!
愿所有善良人的世界都似这锅麻食般橙亮!
因为这场疫情,鲜有交集的楼友聚集在群里,于是每天都上演着值得记录与感谢的小事:
一、粗心自锁事件:出去接水常常不带钥匙,被风锁住了门,然后傻气地找537邻居小姐姐们求助,二话不说立马搬凳子护着我在十分安全的情况下从阳台回屋!
二、将奉献视为责任的楼层长:整整9天,尽管有志愿者,但是你仍用着最“笨”的方法,“人不尽其用”,尽全力只辛苦着你自己一人,无轮班地统筹并执行着一切,还到处感谢我们未能“帮忙太多”的志愿者!
三、501的咖啡屋:501的小姐姐贡献了一瓶全新咖啡在窗台一侧,供大家自取,纠结了好久,带了两瓶牛奶放在窗台并自取了几勺咖啡;不久,收到了微信好友添加,未能拗过501小姐姐要再返我一些食用物资的感谢!这些零食真的让我顿时觉得富有了!
四、527的美女志愿者:每每去帮忙搬运盒饭的时候遇到活泼灵动的她,都会开心一点点,后来发现,居然是群里刚刚正在互聊的姐妹!又开心了一点点!
五、突然弹出的聊天界面:有个无印象的名为汪汪的对话框弹了出来,给我发了几张美食的图片,并邀请到“群里看到你说你喜欢吃麻食,我做了一些,你来吃吗!”“快点,等你来打鸡蛋呢!”翻了一下聊天记录,原来是很久之前群里一个友友找一位同学帮忙带快递,我顺手帮了个忙,加了微信,嗯,没想到她一直记得我!
“你来啦,鸡蛋液等你来淋,仪式感留给你自己。”这个女生真的好吸引我,我好像第一次遇到,好像是国外文艺片里走出来的那个人小鬼大的小女孩,第一次见面,却似你是她认识很久的老友般平静地叙述着一些事情。谈到咖啡的短缺,我建议到群里有很多小姐妹愿意分享,她说,我想咖啡都是刚需,若非明码标价,我也不好意思去拿。天知道这想法和我不谋而合,所以看到501的姐妹在窗台放了一瓶未拆咖啡粉供大家24小时自取时,我知道她应该不是刚需了,便才耐不住咖啡的诱惑自取了一些。
因为陌生!因为难再有交集!所以借此感谢!放一张来自286宿舍汪汪做的麻食,嗯,上次传的宿舍封楼版寿司也是她做的!直到最后我都没好意思告诉她,其实她记错了,我没有说过我喜欢吃麻食,但今天,我喜欢吃了!
愿所有善良人的世界都似这锅麻食般橙亮!
#北京租房[超话]##北京合租##北京租房[超话]#朝阳公园地铁站旁寻次卧室友,当时整租的两居,现次卧室友工作原因已搬走空置中,次卧现在有两张床,一人两人均可,月租2850,洗衣机冰箱卫生间浴室厨房均有,七八百你就到朝阳公园和地铁站,现住主卧的两个女生也爱干净无不良癖好,有想合租的联系或私信我13521294849 https://t.cn/RI7nYAL
#樱井翔[超话]#第一次尝试把杂志上的字敲打出来,意外的有趣。第一次把翔君的两万字文章的开头打出来了,接下来,想要继续努力把两万字都变成数字版,然后尝试去翻译。
櫻井翔と「戦争」戦没した家族の記憶
前編
日米開戦から80年、キャスターとした戦争を伝えてきた筆者が
独自の取材と調査で書き下ろす2週連続特別企画
海軍士官として戦没した大伯父と「短現」の記憶を追って。
「なぜ戦争の取材を続けるのか」。これまで、多くの方に聞き掛けられてきた。「おまえは本当に戦争の話が好きだな」。国の内外に旅行するたび、必ず戦争資料館に付き合わされる友人に言われてきた。
「そこまでいろいろ調べるのは翔ちゃんぐらいだね」。家族、親族にもいわれてきた。
なぜ私が、戦争について取材をし、伝えなければならないと思っているのか。
それは、私が遺族だからです。
2012年初頭。TBSのドラマ『ブラックボードー~ 時代と戦った教師たち~』に出演し、戦時中に国史の教師をしていたため、戦後に苦悩する人物を演じることになった。「御国のために」「鬼畜欧米」と生徒たちに教育を施し、自身の出征時には「大日本帝国万歳!」と生徒たちに見送られる。それが、戦争が終わり、外地から戻ると景色も価値観も様変わりしていた。クラス会を開くも、自分が送り出した生徒の何人かは戦地に散っていた。信じ、支えにしてきた価値観は失われ、かつての生徒たちからは「あんたが級友を殺したんだ」と責められる。
そんな人物の27歳から30歳を、当時30歳の自分が演じることになった。さまざまな資料に目に通すなか、遺族の方が書かれた文章にもいくつか触れていた。どれほど読んだときのことだろうか、ふと、頭をよぎるものがあった。
突如、浮かんできた景色があった。幼少期に夏休みやお正月を毎年過ごしてきた、群馬の祖父母宅。両親と共に布団を敷いて寝ていた畳の部屋。頭を枕に乗せたその先に、必ず目に入る表彰状のようなものがあった。たしか、額に入れ飾られていた気がする。額縁の上部に菊の紋章があり、下部に某神社(大家懂得都懂)の文字。中央に某神社の全景と、学ランのようなものをまとった人物の白黒写真。そして、次の文字。
故 海軍主記少佐 櫻井次男
昭和20年3月29日東海にて戦死
私の理解では、その人は他界した祖父・櫻井三男の亡くなった兄。知っているのはほぼそれだけだった。しかし、私は自問した。あの人の遺族は誰なのか。私が遺族でなかったら、あの人の「家族」とは誰なのか。私が遺族でなかったら、あの人は何のためになくなったのか。亡くならなければならなかったのか。
なぜ亡き祖父は、戦没した兄の遺影をずっと和室に飾り続けていたのだろう。
直後、自分の中に一つの結論めいたものが生まれた。
「私も遺族かもしれない」――。
一度もあったことのない、亡き親族の一人を突如「身内」に感じた。学級文庫で、図書室で、幼少期から見続けていた白黒写真やモノクロフィルムの中の「戦争」。今の景色とは違う、自分とは関係のない「遠いいつかの時代」。そんな白黒の世界が、たちまち色鮮やかなカラーとなり、自分の正面に「ドンッ」と置かれる感覚を覚えた。
そして次に、「あの人のこと、何も知らない」との思いに襲われた。
この日より、折を見て調べてはいた。時々得てきた断片的な情報は、点としていくつか脳内にある。この、浅く、小さな点を、深く、大きな線で結びたいと思った。
なぜ私の大伯父、櫻井次男氏は南方の海へ散ることになったのか。8歳下の弟である祖父・三男はいかほどの想いを背負いながら戦後を生きたのか。太平洋戦争開戦から80年がたつ2021年12月、ここに記しておこうと思う。
櫻井翔と「戦争」戦没した家族の記憶
前編
日米開戦から80年、キャスターとした戦争を伝えてきた筆者が
独自の取材と調査で書き下ろす2週連続特別企画
海軍士官として戦没した大伯父と「短現」の記憶を追って。
「なぜ戦争の取材を続けるのか」。これまで、多くの方に聞き掛けられてきた。「おまえは本当に戦争の話が好きだな」。国の内外に旅行するたび、必ず戦争資料館に付き合わされる友人に言われてきた。
「そこまでいろいろ調べるのは翔ちゃんぐらいだね」。家族、親族にもいわれてきた。
なぜ私が、戦争について取材をし、伝えなければならないと思っているのか。
それは、私が遺族だからです。
2012年初頭。TBSのドラマ『ブラックボードー~ 時代と戦った教師たち~』に出演し、戦時中に国史の教師をしていたため、戦後に苦悩する人物を演じることになった。「御国のために」「鬼畜欧米」と生徒たちに教育を施し、自身の出征時には「大日本帝国万歳!」と生徒たちに見送られる。それが、戦争が終わり、外地から戻ると景色も価値観も様変わりしていた。クラス会を開くも、自分が送り出した生徒の何人かは戦地に散っていた。信じ、支えにしてきた価値観は失われ、かつての生徒たちからは「あんたが級友を殺したんだ」と責められる。
そんな人物の27歳から30歳を、当時30歳の自分が演じることになった。さまざまな資料に目に通すなか、遺族の方が書かれた文章にもいくつか触れていた。どれほど読んだときのことだろうか、ふと、頭をよぎるものがあった。
突如、浮かんできた景色があった。幼少期に夏休みやお正月を毎年過ごしてきた、群馬の祖父母宅。両親と共に布団を敷いて寝ていた畳の部屋。頭を枕に乗せたその先に、必ず目に入る表彰状のようなものがあった。たしか、額に入れ飾られていた気がする。額縁の上部に菊の紋章があり、下部に某神社(大家懂得都懂)の文字。中央に某神社の全景と、学ランのようなものをまとった人物の白黒写真。そして、次の文字。
故 海軍主記少佐 櫻井次男
昭和20年3月29日東海にて戦死
私の理解では、その人は他界した祖父・櫻井三男の亡くなった兄。知っているのはほぼそれだけだった。しかし、私は自問した。あの人の遺族は誰なのか。私が遺族でなかったら、あの人の「家族」とは誰なのか。私が遺族でなかったら、あの人は何のためになくなったのか。亡くならなければならなかったのか。
なぜ亡き祖父は、戦没した兄の遺影をずっと和室に飾り続けていたのだろう。
直後、自分の中に一つの結論めいたものが生まれた。
「私も遺族かもしれない」――。
一度もあったことのない、亡き親族の一人を突如「身内」に感じた。学級文庫で、図書室で、幼少期から見続けていた白黒写真やモノクロフィルムの中の「戦争」。今の景色とは違う、自分とは関係のない「遠いいつかの時代」。そんな白黒の世界が、たちまち色鮮やかなカラーとなり、自分の正面に「ドンッ」と置かれる感覚を覚えた。
そして次に、「あの人のこと、何も知らない」との思いに襲われた。
この日より、折を見て調べてはいた。時々得てきた断片的な情報は、点としていくつか脳内にある。この、浅く、小さな点を、深く、大きな線で結びたいと思った。
なぜ私の大伯父、櫻井次男氏は南方の海へ散ることになったのか。8歳下の弟である祖父・三男はいかほどの想いを背負いながら戦後を生きたのか。太平洋戦争開戦から80年がたつ2021年12月、ここに記しておこうと思う。
✋热门推荐