忘了这个 最强J 作者留言
甲本一:想着大家这个年龄的人(最强J目标受众是小学生)也能阅读而画的!!所以大家能来看看的话就太好了!!总之如果能看到2卷的话就太好了!!学校生活可能会有困难不过我会为大家加油的!!一起努力吧!!!!!!好嘞!!!!!!!!!!!!
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嗯嗯嗯嗯嗯嗯(笑死我了)是健全的快乐的漫画是友情努力胜利啊————
甲本一:想着大家这个年龄的人(最强J目标受众是小学生)也能阅读而画的!!所以大家能来看看的话就太好了!!总之如果能看到2卷的话就太好了!!学校生活可能会有困难不过我会为大家加油的!!一起努力吧!!!!!!好嘞!!!!!!!!!!!!
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嗯嗯嗯嗯嗯嗯(笑死我了)是健全的快乐的漫画是友情努力胜利啊————
市川大河的出渊裕老师长篇访谈,计划分15回刊出,今天第1回,附图为老师近照
出渕裕ロングインタビュー1 出渕裕とブチメカと富野由悠季とhttps://t.cn/A6MknjXU
――『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙』(1982年)のころは、もう出渕さんはプロデビューされていたのですよね。
出渕 『最強ロボ ダイオージャ』(1981年)ぐらいまではセミプロの感覚でした。あのころ、富野さんが『伝説巨神イデオン』(1980年)(の劇場版)をやりながら『戦闘メカザブングル』をやっていたと思うんですけど、ただ『機動戦士ガンダム』(1979年)っていう作品そのものは、テレビでやる前から知っていたんですよ。『SFセントラルアート』(森田繁氏などによるSF同人誌)の人などから聞いていて。僕は安彦(良和)さんの絵が好きだったんです。『勇者ライディーン』(1975年)『超電磁ロボ コン・バトラーV』(1976年)のころから(安彦さんは)やってらっしゃいましたよね。あと『わんぱく大昔クムクム』(1975年)や『ろぼっ子ビートン』(1976年)なんかの、幅がある作品群をやっておられた。
――富野監督は安彦さんの絵に関しては「手塚治虫の延長線上にある」と言及されていましたね。
出渕 そうですね。柔らかい感じがありましたからね。エッジがきいているんじゃなくて、描かれる線が美しいという、本当にデザインセンスのある方だったんです。キャラクターもそうだったんですけど、衣装も、軍服みたいなものから、メカも描けるんですよねあの方。
――『ライディーン』『コン・バトラーV』などでは、ポピーから上がってくるメカデザインを、アニメ作画用に描き起こすクリンーンナップも担当されておられましたね。
出渕 そうなんですよ。村上(克司 当時のポピーの管理職にしてデザイナー。後のバンダイの専務取締役 存在感と功績から“村上天皇”の異名をもった)さんのやつ(元デザイン)をあんな格好よくさせて(笑) で、村上さんが「安彦はすごい! あいつにやらせろ!」と。それは当時、『宇宙戦艦ヤマト』(放映は1974年。劇場版は1977年)の西崎(義展 『ヤマト』シリーズのプロデューサー)さんも同じような感覚だったと思うんですけど、あの時は絵コンテだったんですが、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(1978年)の時に、ラスト近く、安彦さんに原画描かせて、それに湖川(友謙)さんが、総作監なのに手を加えちゃいかんって命令を(西崎氏に)言われて激怒して。それでも湖川さんは総作監なんで、鼻だけ修正いれたという(笑) でもその湖川さんがこのあいだの『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』(2018年)で、「俺にズォーダー(劇中のキャラ)を描かせてくれるんだったら、作画監督(の修正)を入れないという条件で」って、言ってることが違うじゃん、おっさん!(笑) って思うんですけどねぇ!(笑) 自分で(作監の時)怒ったわけじゃないですか。それなのに自分じゃそれ(他の作監に修正させない)を要求するって(笑) それもね。『さらば』の時は安彦さんが要求したんじゃなくって、西崎さんがそうしろって言ったわけでしょ。本人が言っちゃダメだよそんなの(爆)
――言っちゃダメですよね(笑)
出渕 まぁそういう感じで安彦さんが(『ガンダム』を)やるというのは聞いていたんですよ。ぬえ(スタジオぬえ)は松崎(健一 ぬえのスタッフ)さん以外は絡まないけれども、『宇宙の戦士』(Starship Troopers)的な、ハードなロボット物というかSF的な物をやるって聞いていて、安彦さんの新作は期待はありました。あと、富野(由悠季)さんがやるっていうのが大きかったですよね。『ライディーン』やって、あと『無敵超人ザンボット3』(1977年)『無敵鋼人ダイターン3』(1978年)をやってましたから。『ザンボット』は、富野さん的なリアリズムを突き詰めて、まぁ富野さん的には、ロボットを使った『海のトリトン』(1972年)のやり直しだと思うんですけど。ちょうどそのころ、当時『アニメック』っていう雑誌があったんですけれども、その準備校雑誌で『MANIFIC』というのがありまして。それらの編集長の小牧(雅伸)さんとは、SF同人で知り合いだったんですよ。だから「ブッちゃん(出渕氏の愛称)なにか書いて」って言われて、『MANIFIC』の創刊号で『ダイモス』のデザインのことについてなんか書いていた気がするんですけど、その時に小牧さんに「今度『ガンダム』っていうのがあるんだけど。これは絶対くるから! 『アニメック』はこれを推す!」って聞いて「えーそうなの?」って(笑) 「(小牧さんが)そうなんだよ! これをやるんだよ! あんたが!」って話をした覚えがあります(笑) そういう経緯があって、『ガンダム』がテレビ放映されて。素晴らしかったんですけれども……途中で安彦さん、倒れちゃったじゃないですか。
――はい、3クール目あたりから、入院されてしまいましたよね。
出渕 だから、その後は中村(一夫)さんとか青鉢(芳信)さんとか山崎(和男)さんとかが作監みたいな感じになって……やっぱり安彦さんが作監だから楽しみに観ていたってところがあるんですけれども、後半になってきて、視聴率も芳しくなく、モノ(関連商品)も売れなかったんで、放映期間が短縮されたわけですよね。それで終わって、当時の『(宇宙戦艦)ヤマト』(1974年)とか『ルパン三世』(放映は1971年)みたいに、再放送で火がついて、ガンプラも出て社会現象みたいになっていって、劇場版の三部作に至ったんですよね。普通だったら一本で総集編みたいなのやれって話になるんですけど、富野さんが全五部作でやるとか言い出して。あの頃は大作映画って結構あったんですよね。
――『人間の条件』(1959年)とかからですね。
出渕 そうですね。『戦争と人間』(1970年)とかもそうですね、「第何部」「ナントカ編」みたいな感じで。富野さんも映画は大変好きな方なんで、そういうの(大作映画)を自分で見せたいというのもあったと思うんですよ。で、それが『ガンダム』で現実化していった時に、一作目、二作目までは、安彦さんも(テレビ版の段階から)作監で手が入ってますからね。でも、僕らが待っていたのは『めぐりあい宇宙』だったんですよ。あの(テレビ版の)ボロボロの作画で、それはそれでよかったんですけど、それを、安彦さんが全部手を入れてやられるっていうんで、そういう期待度はあり、それに応える物ではあったと思うんですよね。ただ、最近出た、音響を入れなおしたDVD(2000年にバンダイビジュアルから発売された「特別版」)は、少し観て「あ、ダメだこれは」になりました(笑) 「観たらダメだ」と思って。これは自分の中の記憶を変に上書きしちゃうと思って、いやアレ(「特別版」)は観ないようにしようと思いました(笑) いや、新しくやられた方は頑張ってやってると思っているんですけれども、最初に入った物と比較してしまうと、どうしても人間それがベストになっちまうんで。『ヤマト』(の監督)をやる時も、それは自分自身の体験があるんで、絶対に思い出には勝てないと。みんな、一作目の『ヤマト』が刷り込まれているわけですから、それ以上に評価してくださる人もいるかもしれないけれども、基本的には、(旧作が)今の目で見た時にいくら作画がボロボロであろうとも、「それ」に勝つというのは非常に難しいというのが、まず認識としてありましたから。というのも、自分自身もそうですからね。
――常に、ご自身の原体験との勝負、みたいなところもあるんでしょうか?
出渕 そうですね。『ヤマト』の時は、どう再現して、どうブラッシュアップしていくかのさじ加減みたいなのはありましたけど。ただ、『めぐりあい宇宙』は、オリジナルテレビ版のスタッフが作っているわけじゃないですか。富野さんと安彦さんの両輪で。でも、僕等はテレビ版の方は、その片輪(安彦氏不在)の状態で最後の方を観てしまったわけだけども、そうすると観ているときに、その「片輪がいなくなっている状態」ってキツイわけですよ。まぁお話とかの出来はちゃんとしているんですけれども、だとすると、誰かが作って違う人がリメイクするというのではなくて、セルフで、自分達でやるっていうのを、重要なキーパーソンがいなかったのを、それを補填して見せてくれるっていう意味では、『めぐりあい宇宙』は素晴らしかったです。
――そういったリメイクの意味については、当時富野監督も、『アニメック』の小牧さんに語っておられましたね。「リメイク映画という、ビジネスとしては悪い例を残したかもしれないけれど」的な。
出渕 あの人はね、作った後にそういうことを言うんですよ(笑) 反省みたいなことをね、「今回はダメだった」みたいなことを。毎年「今回は、いつくるのかなぁ、その台詞」みたいな(笑)
――富野監督ってそもそもはコミュ障的に、インタビューとか、人前で話す時とかは苦手な方で、小牧さんの毎月のインタビューなどで鍛えられ、ポジショントークや、イベントでのキャラ付けなどを学んだのではないかと推測しているのですが。
出渕 多分ね、富野さんってね。どーでもいいことを聞いてくる人にはブチっときて、バーっとかましてね、「そんなもんどうでもいいの!」とか言っちゃうんですよね。ま、いいんですけど(笑) その、細かいところのディテールみたいなところ、実は富野さん、本当は気にするっていうか、気にして作ってるはずなんだけれども、気にして作っているものを、そこを「こうですよね」って言われると、またブチっとくるという(笑) ただまぁ、そういうことを調べてちゃんと聞いてくる人に対しては、そうはやりながらも「お、こいつけっこうやるじゃん」とか思うんですよ。まぁあと、当時はインタビュー慣れしていないというか、だいたいアニメの制作者に取材がくるなんてなかった時代ですから、そういう意味では、小牧さんが基準になっちゃったのかもしれないですよね。「小牧以上のことを聞いてくる」「小牧以下のことを聞いてくる」というのはあったと思うんですよ。それで、あと、あの人はまた、話してるうちに思いつくんですよね。「あの、それ、あれはこうだった!」みたいなね。そういう意味では大変感覚的な人なんで、ロジカルなところもあるんだけど、感覚的なところが、よく言えば優れてる、動物的なところがある。だから僕と話していても「あ、そうか! これはこういうことだったんだ!」っていうようなことを気付いて、それを(作品に)フィードバックされるような人ですよね。
――『ガンダム』放映期の一年間の、『アニメック』の小牧インタビューは面白かったです。
出渕 初期のころ、富野さんは「こんなことに答えるんじゃなく、作品が全てです! フィルムが全てです!」だったんですよ。それ正しいんですよ。ものすごく正しいんですよ。僕が氷川(竜介)さんと一緒に富野さんに初めて会った時も、すごい良いことを言ってたんです。「これ(作品)は観てもらって」って。それはもう基本だと思うんですけど、どうもインタビュー慣れして、世間の目が自分の方に来るとなるとね、えぇと、初心の良い部分を、忘れてませんか、お父さん?というね(笑) というのはあるわけですよ。「それはフィルムを観て? それをそんな風に感じられるなんておかしい!」なんてね、そこはちょっと残念なところありますよね。
出渕裕ロングインタビュー1 出渕裕とブチメカと富野由悠季とhttps://t.cn/A6MknjXU
――『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙』(1982年)のころは、もう出渕さんはプロデビューされていたのですよね。
出渕 『最強ロボ ダイオージャ』(1981年)ぐらいまではセミプロの感覚でした。あのころ、富野さんが『伝説巨神イデオン』(1980年)(の劇場版)をやりながら『戦闘メカザブングル』をやっていたと思うんですけど、ただ『機動戦士ガンダム』(1979年)っていう作品そのものは、テレビでやる前から知っていたんですよ。『SFセントラルアート』(森田繁氏などによるSF同人誌)の人などから聞いていて。僕は安彦(良和)さんの絵が好きだったんです。『勇者ライディーン』(1975年)『超電磁ロボ コン・バトラーV』(1976年)のころから(安彦さんは)やってらっしゃいましたよね。あと『わんぱく大昔クムクム』(1975年)や『ろぼっ子ビートン』(1976年)なんかの、幅がある作品群をやっておられた。
――富野監督は安彦さんの絵に関しては「手塚治虫の延長線上にある」と言及されていましたね。
出渕 そうですね。柔らかい感じがありましたからね。エッジがきいているんじゃなくて、描かれる線が美しいという、本当にデザインセンスのある方だったんです。キャラクターもそうだったんですけど、衣装も、軍服みたいなものから、メカも描けるんですよねあの方。
――『ライディーン』『コン・バトラーV』などでは、ポピーから上がってくるメカデザインを、アニメ作画用に描き起こすクリンーンナップも担当されておられましたね。
出渕 そうなんですよ。村上(克司 当時のポピーの管理職にしてデザイナー。後のバンダイの専務取締役 存在感と功績から“村上天皇”の異名をもった)さんのやつ(元デザイン)をあんな格好よくさせて(笑) で、村上さんが「安彦はすごい! あいつにやらせろ!」と。それは当時、『宇宙戦艦ヤマト』(放映は1974年。劇場版は1977年)の西崎(義展 『ヤマト』シリーズのプロデューサー)さんも同じような感覚だったと思うんですけど、あの時は絵コンテだったんですが、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(1978年)の時に、ラスト近く、安彦さんに原画描かせて、それに湖川(友謙)さんが、総作監なのに手を加えちゃいかんって命令を(西崎氏に)言われて激怒して。それでも湖川さんは総作監なんで、鼻だけ修正いれたという(笑) でもその湖川さんがこのあいだの『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』(2018年)で、「俺にズォーダー(劇中のキャラ)を描かせてくれるんだったら、作画監督(の修正)を入れないという条件で」って、言ってることが違うじゃん、おっさん!(笑) って思うんですけどねぇ!(笑) 自分で(作監の時)怒ったわけじゃないですか。それなのに自分じゃそれ(他の作監に修正させない)を要求するって(笑) それもね。『さらば』の時は安彦さんが要求したんじゃなくって、西崎さんがそうしろって言ったわけでしょ。本人が言っちゃダメだよそんなの(爆)
――言っちゃダメですよね(笑)
出渕 まぁそういう感じで安彦さんが(『ガンダム』を)やるというのは聞いていたんですよ。ぬえ(スタジオぬえ)は松崎(健一 ぬえのスタッフ)さん以外は絡まないけれども、『宇宙の戦士』(Starship Troopers)的な、ハードなロボット物というかSF的な物をやるって聞いていて、安彦さんの新作は期待はありました。あと、富野(由悠季)さんがやるっていうのが大きかったですよね。『ライディーン』やって、あと『無敵超人ザンボット3』(1977年)『無敵鋼人ダイターン3』(1978年)をやってましたから。『ザンボット』は、富野さん的なリアリズムを突き詰めて、まぁ富野さん的には、ロボットを使った『海のトリトン』(1972年)のやり直しだと思うんですけど。ちょうどそのころ、当時『アニメック』っていう雑誌があったんですけれども、その準備校雑誌で『MANIFIC』というのがありまして。それらの編集長の小牧(雅伸)さんとは、SF同人で知り合いだったんですよ。だから「ブッちゃん(出渕氏の愛称)なにか書いて」って言われて、『MANIFIC』の創刊号で『ダイモス』のデザインのことについてなんか書いていた気がするんですけど、その時に小牧さんに「今度『ガンダム』っていうのがあるんだけど。これは絶対くるから! 『アニメック』はこれを推す!」って聞いて「えーそうなの?」って(笑) 「(小牧さんが)そうなんだよ! これをやるんだよ! あんたが!」って話をした覚えがあります(笑) そういう経緯があって、『ガンダム』がテレビ放映されて。素晴らしかったんですけれども……途中で安彦さん、倒れちゃったじゃないですか。
――はい、3クール目あたりから、入院されてしまいましたよね。
出渕 だから、その後は中村(一夫)さんとか青鉢(芳信)さんとか山崎(和男)さんとかが作監みたいな感じになって……やっぱり安彦さんが作監だから楽しみに観ていたってところがあるんですけれども、後半になってきて、視聴率も芳しくなく、モノ(関連商品)も売れなかったんで、放映期間が短縮されたわけですよね。それで終わって、当時の『(宇宙戦艦)ヤマト』(1974年)とか『ルパン三世』(放映は1971年)みたいに、再放送で火がついて、ガンプラも出て社会現象みたいになっていって、劇場版の三部作に至ったんですよね。普通だったら一本で総集編みたいなのやれって話になるんですけど、富野さんが全五部作でやるとか言い出して。あの頃は大作映画って結構あったんですよね。
――『人間の条件』(1959年)とかからですね。
出渕 そうですね。『戦争と人間』(1970年)とかもそうですね、「第何部」「ナントカ編」みたいな感じで。富野さんも映画は大変好きな方なんで、そういうの(大作映画)を自分で見せたいというのもあったと思うんですよ。で、それが『ガンダム』で現実化していった時に、一作目、二作目までは、安彦さんも(テレビ版の段階から)作監で手が入ってますからね。でも、僕らが待っていたのは『めぐりあい宇宙』だったんですよ。あの(テレビ版の)ボロボロの作画で、それはそれでよかったんですけど、それを、安彦さんが全部手を入れてやられるっていうんで、そういう期待度はあり、それに応える物ではあったと思うんですよね。ただ、最近出た、音響を入れなおしたDVD(2000年にバンダイビジュアルから発売された「特別版」)は、少し観て「あ、ダメだこれは」になりました(笑) 「観たらダメだ」と思って。これは自分の中の記憶を変に上書きしちゃうと思って、いやアレ(「特別版」)は観ないようにしようと思いました(笑) いや、新しくやられた方は頑張ってやってると思っているんですけれども、最初に入った物と比較してしまうと、どうしても人間それがベストになっちまうんで。『ヤマト』(の監督)をやる時も、それは自分自身の体験があるんで、絶対に思い出には勝てないと。みんな、一作目の『ヤマト』が刷り込まれているわけですから、それ以上に評価してくださる人もいるかもしれないけれども、基本的には、(旧作が)今の目で見た時にいくら作画がボロボロであろうとも、「それ」に勝つというのは非常に難しいというのが、まず認識としてありましたから。というのも、自分自身もそうですからね。
――常に、ご自身の原体験との勝負、みたいなところもあるんでしょうか?
出渕 そうですね。『ヤマト』の時は、どう再現して、どうブラッシュアップしていくかのさじ加減みたいなのはありましたけど。ただ、『めぐりあい宇宙』は、オリジナルテレビ版のスタッフが作っているわけじゃないですか。富野さんと安彦さんの両輪で。でも、僕等はテレビ版の方は、その片輪(安彦氏不在)の状態で最後の方を観てしまったわけだけども、そうすると観ているときに、その「片輪がいなくなっている状態」ってキツイわけですよ。まぁお話とかの出来はちゃんとしているんですけれども、だとすると、誰かが作って違う人がリメイクするというのではなくて、セルフで、自分達でやるっていうのを、重要なキーパーソンがいなかったのを、それを補填して見せてくれるっていう意味では、『めぐりあい宇宙』は素晴らしかったです。
――そういったリメイクの意味については、当時富野監督も、『アニメック』の小牧さんに語っておられましたね。「リメイク映画という、ビジネスとしては悪い例を残したかもしれないけれど」的な。
出渕 あの人はね、作った後にそういうことを言うんですよ(笑) 反省みたいなことをね、「今回はダメだった」みたいなことを。毎年「今回は、いつくるのかなぁ、その台詞」みたいな(笑)
――富野監督ってそもそもはコミュ障的に、インタビューとか、人前で話す時とかは苦手な方で、小牧さんの毎月のインタビューなどで鍛えられ、ポジショントークや、イベントでのキャラ付けなどを学んだのではないかと推測しているのですが。
出渕 多分ね、富野さんってね。どーでもいいことを聞いてくる人にはブチっときて、バーっとかましてね、「そんなもんどうでもいいの!」とか言っちゃうんですよね。ま、いいんですけど(笑) その、細かいところのディテールみたいなところ、実は富野さん、本当は気にするっていうか、気にして作ってるはずなんだけれども、気にして作っているものを、そこを「こうですよね」って言われると、またブチっとくるという(笑) ただまぁ、そういうことを調べてちゃんと聞いてくる人に対しては、そうはやりながらも「お、こいつけっこうやるじゃん」とか思うんですよ。まぁあと、当時はインタビュー慣れしていないというか、だいたいアニメの制作者に取材がくるなんてなかった時代ですから、そういう意味では、小牧さんが基準になっちゃったのかもしれないですよね。「小牧以上のことを聞いてくる」「小牧以下のことを聞いてくる」というのはあったと思うんですよ。それで、あと、あの人はまた、話してるうちに思いつくんですよね。「あの、それ、あれはこうだった!」みたいなね。そういう意味では大変感覚的な人なんで、ロジカルなところもあるんだけど、感覚的なところが、よく言えば優れてる、動物的なところがある。だから僕と話していても「あ、そうか! これはこういうことだったんだ!」っていうようなことを気付いて、それを(作品に)フィードバックされるような人ですよね。
――『ガンダム』放映期の一年間の、『アニメック』の小牧インタビューは面白かったです。
出渕 初期のころ、富野さんは「こんなことに答えるんじゃなく、作品が全てです! フィルムが全てです!」だったんですよ。それ正しいんですよ。ものすごく正しいんですよ。僕が氷川(竜介)さんと一緒に富野さんに初めて会った時も、すごい良いことを言ってたんです。「これ(作品)は観てもらって」って。それはもう基本だと思うんですけど、どうもインタビュー慣れして、世間の目が自分の方に来るとなるとね、えぇと、初心の良い部分を、忘れてませんか、お父さん?というね(笑) というのはあるわけですよ。「それはフィルムを観て? それをそんな風に感じられるなんておかしい!」なんてね、そこはちょっと残念なところありますよね。
【散户投资的六大原则】前事不忘后事之师,看点避坑指南也挺好!
1、明白自己来股市的目的和能力边际
七亏二平一赚的原因,大部分都是因为高估了自己的能力,而又低估了股市的风险。
做投资,首先要问自己,你为什么来股市?是来保值的、增值的,还是现实中到处碰壁,幻想在这里一夜暴富的?我们经常遇到一些人诉苦,说自己怀才不遇,工作上总是赚不到钱,希望能在股市里实现财富自由。可股市是一个比大多数工作更难赚钱的地方,超过身边学历和能力基本差不多的同事都做不到,想打败全国90%的高智商人士,凭什么?
不忘初心!很多人进场的时候,想着能跑赢理财产品就好了,但越做胆子越大,尤其是看到身边的人收益率比自己高的时候,更是乱了方寸。讲起大师理论的时候,头头是道,自己操作却经常和赌徒无异,把希望都寄托在老天身上。
我们做投资,要时刻清楚自己的能力边际在哪里,知道哪些股票可以做,哪些股票与自己无关。
2、政策是未来十年最确定的方向
做股票,有人追求胜率,考虑的是确定性;有人追求赔率,考虑的是弹性。对散户来说,确定性强才敢重仓,才会有更多的绝对收益。那么,未来十年,什么是确定性最强的方向呢?
每个人眼中的世界都是不一样的,所以A股近4000只股票,每只都有成交量。不考虑那些天赋异禀的牛散,对绝大多数散户来说,选择与政策紧密结合的企业更为适合。
90年代和00年代,很多人都拼命想移民,但最近几年,大家发现十几年前出去的很多人,发展并不比国内的老同学们更好。2008年之后,西欧和日本、加拿大等国家,基本处于经济停滞发展的状态,美国经济体量增长了不到50%(没算今年的大幅下滑),而中国经济体量增长了整整两倍。这次疫情之后,中国与主要发达国家的增长差距会越拉越大。
十年之后,仅东部沿海区域,就会有3亿多人口的人均GDP超过4万美元,与现在的日本人齐平,经济总体量更达到了现在日本的两倍。这是多么大的市场,多么强的购买力。
3、买股买龙头,或许是一种选择
选定行业之后,买什么类型的股票也是个课题。很多老股民喜欢买小市值股票,更有些专研ST股,希望在逆境反转中赚取更大收益。但对大多数散户来说,还是买那些兼具规模与成长优势的龙头股更稳妥一些。龙头股的优势如下:
1)确定性好。随着经济体量的增大,整体经济增速会越来越慢,市场从增量阶段的同进共退,转向存量时代的弱肉强食,这是大多数成熟行业正在发生的事。地产、保险、白酒、家电这些大行业都在头部化,龙头股不仅安全性高,而且增速并不慢;
2)安全性好。龙头股的一举一动都被摆在放大镜下,各种机构研报、论坛分析比比皆是,相对而言,暴雷的可能性要比普通股小很多。对于没有精力或者专业度不够的普通投资者来说,可以及时得到相应数据和市场观点,能避免很多盲目决策;
3)波动率小。龙头股有时候确实不如行业中上游的一些企业股价增长快,但往往在下跌的时候,其股价抗跌性也强,投资者更能拿得住,长期来看年化收益率并不会更低;
4)够“红”。股票有时候也和明星一样,需要“红”。很多股票各方面的条件都很好,但市场关注度比较低,长期持有需要足够的耐心,很多人为此饱受折磨,经常倒在黎明前。龙头股这方面的问题相对少一些,只要业绩突出,基本面向好,调整时间往往都是以月为单位的,长年被低估的龙头企业并不多。
选龙头的时候需要注意,并不是规模最大的那个就是龙头,龙头肯定得够大,但也要够强才行。
4、多关注业绩,少关心股价
股票最容易让人记住的就是股价,有些人能对几年前的买入和卖出价格记忆犹新,着实让人佩服。但很多人对企业的经营状况却没有那么高的敏感性,对这些财务数据背后隐藏的原因更是懒得去看,有些人看也看不懂。
利令智昏,过于关注股价变化,很容易让人失去理智。雪球上经常能遇到一些人,每天都在说今天赚了几块钱或者亏了几块钱。有些东西,你不想失去就不要过分计较。
股价的短期涨跌是很难预测的,与股价保持一定距离,倒是能看得清楚一点。业绩与股价的关系,就像高尔夫里的击球,只要你的动作做到位,击出好球只是顺带的事,如果动作不到位,可能一挥杆就是一个OB。
关注业绩,而不是关注股价的短期涨跌。在估值被压到最低点的时候,企业今后几年的业绩增速就是你未来的投资收益率,现在最惨的银行、保险和地产股,都在诠释这一点。
5、长线才会少是非
越短的投资,遇见小概率的事就越多。越长的投资,价值回归的概率就越大。做短线,归根结底还是急功近利的心态在起作用,总想能够吃尽每一波行情,用最少的代价得到最大的收获。可财不入急门,有时候确实可以有些小收益,但成功九次,一次失败就可能把原来得到的全吐回去。
如果我们拿着自己看得懂的股票,看得到它未来几年的发展趋势,算得清它大致的内在价值,那就没必要去关注短期的得得失失。
为什么过去20年,买房子的人大多数都赚了钱?因为房子从买入到卖出,一般都需要5、6年的时间,这期间不是没有出现过房价的变化,也许是涨也许是跌,如果房子像股票这么容易交易,很多人最多像《夏洛特烦恼》里的大春一样,狠狠赚了两万块钱就下车了。
但房子不是说卖就能卖的,各种手续和限制让你只能看着外面的房价变化无可奈何,所以最后你赚了大钱。关于房子的各种政策都是帮你赚钱的,一定要明白这份良苦用心。
真理是需要时间检验的,我们一定要站在时间那边,让它成为我们的朋友。做时间的敌人,是这个世界上最危险的事。
6、能力圈是一个同心圆
在搭建自己能力圈的时候,首先选定的是原点,这个原点确立之后,能力圈基本上就是围绕它一点点外拓的同心圆了。
看一个新行业,至少需要3年的时间,所以基本上是不跟热点的,能持续3年以上的热点就已经不是热点了,这是趋势,重仓一定要投在趋势上。2017年猪股大涨,集约化养殖是一个大趋势,这和地产行业中的强者恒强是一个道理。
做投资不仅仅是想清楚生意逻辑,看清楚商业模式就可以的,每只股都有自己的股性,既带着行业属性,也会受到管理者、投资者的诸多影响。大多数婚姻最后解体的时候,都会留下一句话“性格不合”。即便什么都好,有些股票的性格和你不匹配,你们也很难白头偕老。
新的能力圈是在一个空白处重新画的圆,就像下围棋远离了原来的厚势,孤棋即便活下来,付出的代价也是巨大的。如果你和一只股票真的有缘,等它3年又何妨?
#投资##今日看盘##财经##炒股##基金##股票##上市公司##炒股##基金大跌##基金反弹##股票分析##财经#
1、明白自己来股市的目的和能力边际
七亏二平一赚的原因,大部分都是因为高估了自己的能力,而又低估了股市的风险。
做投资,首先要问自己,你为什么来股市?是来保值的、增值的,还是现实中到处碰壁,幻想在这里一夜暴富的?我们经常遇到一些人诉苦,说自己怀才不遇,工作上总是赚不到钱,希望能在股市里实现财富自由。可股市是一个比大多数工作更难赚钱的地方,超过身边学历和能力基本差不多的同事都做不到,想打败全国90%的高智商人士,凭什么?
不忘初心!很多人进场的时候,想着能跑赢理财产品就好了,但越做胆子越大,尤其是看到身边的人收益率比自己高的时候,更是乱了方寸。讲起大师理论的时候,头头是道,自己操作却经常和赌徒无异,把希望都寄托在老天身上。
我们做投资,要时刻清楚自己的能力边际在哪里,知道哪些股票可以做,哪些股票与自己无关。
2、政策是未来十年最确定的方向
做股票,有人追求胜率,考虑的是确定性;有人追求赔率,考虑的是弹性。对散户来说,确定性强才敢重仓,才会有更多的绝对收益。那么,未来十年,什么是确定性最强的方向呢?
每个人眼中的世界都是不一样的,所以A股近4000只股票,每只都有成交量。不考虑那些天赋异禀的牛散,对绝大多数散户来说,选择与政策紧密结合的企业更为适合。
90年代和00年代,很多人都拼命想移民,但最近几年,大家发现十几年前出去的很多人,发展并不比国内的老同学们更好。2008年之后,西欧和日本、加拿大等国家,基本处于经济停滞发展的状态,美国经济体量增长了不到50%(没算今年的大幅下滑),而中国经济体量增长了整整两倍。这次疫情之后,中国与主要发达国家的增长差距会越拉越大。
十年之后,仅东部沿海区域,就会有3亿多人口的人均GDP超过4万美元,与现在的日本人齐平,经济总体量更达到了现在日本的两倍。这是多么大的市场,多么强的购买力。
3、买股买龙头,或许是一种选择
选定行业之后,买什么类型的股票也是个课题。很多老股民喜欢买小市值股票,更有些专研ST股,希望在逆境反转中赚取更大收益。但对大多数散户来说,还是买那些兼具规模与成长优势的龙头股更稳妥一些。龙头股的优势如下:
1)确定性好。随着经济体量的增大,整体经济增速会越来越慢,市场从增量阶段的同进共退,转向存量时代的弱肉强食,这是大多数成熟行业正在发生的事。地产、保险、白酒、家电这些大行业都在头部化,龙头股不仅安全性高,而且增速并不慢;
2)安全性好。龙头股的一举一动都被摆在放大镜下,各种机构研报、论坛分析比比皆是,相对而言,暴雷的可能性要比普通股小很多。对于没有精力或者专业度不够的普通投资者来说,可以及时得到相应数据和市场观点,能避免很多盲目决策;
3)波动率小。龙头股有时候确实不如行业中上游的一些企业股价增长快,但往往在下跌的时候,其股价抗跌性也强,投资者更能拿得住,长期来看年化收益率并不会更低;
4)够“红”。股票有时候也和明星一样,需要“红”。很多股票各方面的条件都很好,但市场关注度比较低,长期持有需要足够的耐心,很多人为此饱受折磨,经常倒在黎明前。龙头股这方面的问题相对少一些,只要业绩突出,基本面向好,调整时间往往都是以月为单位的,长年被低估的龙头企业并不多。
选龙头的时候需要注意,并不是规模最大的那个就是龙头,龙头肯定得够大,但也要够强才行。
4、多关注业绩,少关心股价
股票最容易让人记住的就是股价,有些人能对几年前的买入和卖出价格记忆犹新,着实让人佩服。但很多人对企业的经营状况却没有那么高的敏感性,对这些财务数据背后隐藏的原因更是懒得去看,有些人看也看不懂。
利令智昏,过于关注股价变化,很容易让人失去理智。雪球上经常能遇到一些人,每天都在说今天赚了几块钱或者亏了几块钱。有些东西,你不想失去就不要过分计较。
股价的短期涨跌是很难预测的,与股价保持一定距离,倒是能看得清楚一点。业绩与股价的关系,就像高尔夫里的击球,只要你的动作做到位,击出好球只是顺带的事,如果动作不到位,可能一挥杆就是一个OB。
关注业绩,而不是关注股价的短期涨跌。在估值被压到最低点的时候,企业今后几年的业绩增速就是你未来的投资收益率,现在最惨的银行、保险和地产股,都在诠释这一点。
5、长线才会少是非
越短的投资,遇见小概率的事就越多。越长的投资,价值回归的概率就越大。做短线,归根结底还是急功近利的心态在起作用,总想能够吃尽每一波行情,用最少的代价得到最大的收获。可财不入急门,有时候确实可以有些小收益,但成功九次,一次失败就可能把原来得到的全吐回去。
如果我们拿着自己看得懂的股票,看得到它未来几年的发展趋势,算得清它大致的内在价值,那就没必要去关注短期的得得失失。
为什么过去20年,买房子的人大多数都赚了钱?因为房子从买入到卖出,一般都需要5、6年的时间,这期间不是没有出现过房价的变化,也许是涨也许是跌,如果房子像股票这么容易交易,很多人最多像《夏洛特烦恼》里的大春一样,狠狠赚了两万块钱就下车了。
但房子不是说卖就能卖的,各种手续和限制让你只能看着外面的房价变化无可奈何,所以最后你赚了大钱。关于房子的各种政策都是帮你赚钱的,一定要明白这份良苦用心。
真理是需要时间检验的,我们一定要站在时间那边,让它成为我们的朋友。做时间的敌人,是这个世界上最危险的事。
6、能力圈是一个同心圆
在搭建自己能力圈的时候,首先选定的是原点,这个原点确立之后,能力圈基本上就是围绕它一点点外拓的同心圆了。
看一个新行业,至少需要3年的时间,所以基本上是不跟热点的,能持续3年以上的热点就已经不是热点了,这是趋势,重仓一定要投在趋势上。2017年猪股大涨,集约化养殖是一个大趋势,这和地产行业中的强者恒强是一个道理。
做投资不仅仅是想清楚生意逻辑,看清楚商业模式就可以的,每只股都有自己的股性,既带着行业属性,也会受到管理者、投资者的诸多影响。大多数婚姻最后解体的时候,都会留下一句话“性格不合”。即便什么都好,有些股票的性格和你不匹配,你们也很难白头偕老。
新的能力圈是在一个空白处重新画的圆,就像下围棋远离了原来的厚势,孤棋即便活下来,付出的代价也是巨大的。如果你和一只股票真的有缘,等它3年又何妨?
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