直考日本修士到底要不要跟教授联系?
我打算明年去日本旅游签直考庆应的社会学研究科,目前正在拟研究计划书。我最感兴趣的只有一位教授,但是最近我在纠结要不要联系他。
我在知乎上看到有人说,募集要项里没说不要联系那就最好联系一下,这样可以确保教授名额没招满。但我觉得这样问题很大啊?修考又不是看教授要不要你(庆应不要内诺),得先考试合格吧。而且庆应出愿要项里也会说哪些教授可以报考的。
我担心的是,会不会因为没联系教授,最终考试成绩合格了但是因为教授招满或者研究计划书的问题而被刷,但我觉得不太可能吧,成绩合格了应该都有的谈,庆应社会学往年甚至还有超额录取。如果这种可能性极低我就不想联系教授,万一不回复就搞心态。
各位怎么看?
~~~~~
教授内諾が必須でない場合、事前連絡しなくても特に言われることもないだろうし、修士課程なので、どうせ筆記試験前には判断できないんだろうから、連絡しなかったからといってわざと落とされることは無いでしょうが、
人間って感情動物なので、実際どう思うか、つまりあの先生が心で「俺の研究室に出願したいなら、せめて一言ぐらいはかけたら⁈」と思わないとは言い切れないし、
例えば、君が研究計画書等出願資料を提出し、筆記試験後に、教授面接を受けたとしましょう。
もし、希望教授名を出願資料に記入した場合、君の研究計画書などは教授に流れる可能性は十分ありますし、遅くても本場面接前には事前に読まれるでしょう。
となった場合、仮に研究テーマの方向性など、教授からみて少しずれている部分があったり、問題意識の部分が曖昧とか書かれていないとか、目的と仮説、テーマ設定の整合性などももう少し変えて欲しいなとか、いろいろ思うところはあると思いますが、
また、どうしても他の出願者と見比べる必要もあるので、誰かを落とさないといけない場合(わざとではないが、募集枠制限で)、事前に挨拶も兼ねて連絡を受け、事前面談を行い、ある程度検討していた学生さんの方を優先したい気持ちが生まれるのも人間の自然な感情かもしれない。勿論、これは気持ちで単純比較するものでなく、総合評価で差があんまり大きくない場合です。
だけど、君が言ったように、研究計画書や事前面談の準備(コミュニケーション力含む)もできていないまま下手に連絡してもロクなことがないかもしれないし、場合によっては悪い印象を与えてしまうかもしれない、或いは「兎に角筆記試験に参加」するように言われるだけで、良くも悪くも何も明確なアドバイスも無しの場合も普通にあり得ます、
ので~、まず研究計画書をちゃんと書いて、事前面談を想定した面接訓練もある程度済んだ頃に、もう一度考えた上に判断された方が良いと思います。
頑張ってください。
#日本[地点]#
我打算明年去日本旅游签直考庆应的社会学研究科,目前正在拟研究计划书。我最感兴趣的只有一位教授,但是最近我在纠结要不要联系他。
我在知乎上看到有人说,募集要项里没说不要联系那就最好联系一下,这样可以确保教授名额没招满。但我觉得这样问题很大啊?修考又不是看教授要不要你(庆应不要内诺),得先考试合格吧。而且庆应出愿要项里也会说哪些教授可以报考的。
我担心的是,会不会因为没联系教授,最终考试成绩合格了但是因为教授招满或者研究计划书的问题而被刷,但我觉得不太可能吧,成绩合格了应该都有的谈,庆应社会学往年甚至还有超额录取。如果这种可能性极低我就不想联系教授,万一不回复就搞心态。
各位怎么看?
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教授内諾が必須でない場合、事前連絡しなくても特に言われることもないだろうし、修士課程なので、どうせ筆記試験前には判断できないんだろうから、連絡しなかったからといってわざと落とされることは無いでしょうが、
人間って感情動物なので、実際どう思うか、つまりあの先生が心で「俺の研究室に出願したいなら、せめて一言ぐらいはかけたら⁈」と思わないとは言い切れないし、
例えば、君が研究計画書等出願資料を提出し、筆記試験後に、教授面接を受けたとしましょう。
もし、希望教授名を出願資料に記入した場合、君の研究計画書などは教授に流れる可能性は十分ありますし、遅くても本場面接前には事前に読まれるでしょう。
となった場合、仮に研究テーマの方向性など、教授からみて少しずれている部分があったり、問題意識の部分が曖昧とか書かれていないとか、目的と仮説、テーマ設定の整合性などももう少し変えて欲しいなとか、いろいろ思うところはあると思いますが、
また、どうしても他の出願者と見比べる必要もあるので、誰かを落とさないといけない場合(わざとではないが、募集枠制限で)、事前に挨拶も兼ねて連絡を受け、事前面談を行い、ある程度検討していた学生さんの方を優先したい気持ちが生まれるのも人間の自然な感情かもしれない。勿論、これは気持ちで単純比較するものでなく、総合評価で差があんまり大きくない場合です。
だけど、君が言ったように、研究計画書や事前面談の準備(コミュニケーション力含む)もできていないまま下手に連絡してもロクなことがないかもしれないし、場合によっては悪い印象を与えてしまうかもしれない、或いは「兎に角筆記試験に参加」するように言われるだけで、良くも悪くも何も明確なアドバイスも無しの場合も普通にあり得ます、
ので~、まず研究計画書をちゃんと書いて、事前面談を想定した面接訓練もある程度済んだ頃に、もう一度考えた上に判断された方が良いと思います。
頑張ってください。
#日本[地点]#
[有馬記念]オグリキャップ、ディープインパクト、ゴールドシップ…… 有馬記念で感動の引退を果たした名馬たち
ゴールドシップ(2015年)
ここまで振り返ってきたのは、引退レースの有馬記念を制し、有終の美を飾った馬たち。その一方で、すべての馬が引退の花道を飾れるわけではなく、むしろ、有終の美を飾ることができない馬が大半である。2015年の有馬記念で現役生活に別れを告げたゴールドシップもそうだった。
ドリームジャーニー、オルフェーヴル兄弟と同じ、父ステイゴールド、母の父メジロマックイーンという「黄金配合」と呼ばれる血統構成を持つゴールドシップは、2011年の夏にデビュー。3歳2月の共同通信杯で重賞初制覇を飾ると、皐月賞、菊花賞を制して二冠を達成し、有馬記念も勝ってこの年GIを3勝。同期のジェンティルドンナに勝るとも劣らない、素晴らしい活躍を見せた。
しかし、古馬となってからは勝利と敗戦を繰り返し、気難しい一面も見せはじめるようになった。GIレースでは、4、5歳時に宝塚記念を連覇。6歳時には、三度目の正直で天皇賞・春を制するなど強さを見せた一方で、3連覇を目指し、圧倒的な人気を背負った宝塚記念で大きく出遅れ。結果、15着に大敗してしまう。
ただ、そんな人間らしい個性や我の強さが多くのファンの心を掴み、年々白さを増す見た目も手伝ってか、ゴールドシップもまた、日本の競馬史に残るアイドルホースとなったのだ。
そんなゴールドシップにも、現役生活に別れを告げるときがやってきた。2015年の有馬記念である。
コンビを組むのは、かつてゴールドシップとともにGIを4勝。2年前のジャパンカップ以来、久々の騎乗となる内田博幸騎手だった。
そんな名コンビのこのレース最大の見所は、2周目の向正面。鞍上の指示に素直に従ってロングスパートを仕掛け、一気に馬群の外を駆け上がっていったゴールドシップ。全盛期を彷彿とさせるようなその走りに、この日一番の歓声が上がった。
ところが、直線に向くと、かつて得意としたはずの坂で伸びを欠き失速。結果8着に敗れ、3年ぶりの有馬記念制覇と、有終の美を飾ることは叶わなかった。
その後、行なわれた引退セレモニー。カクテルライトに照らされ、再び馬場に登場したゴールドシップは、レース後も残っていた大観衆の前を堂々と歩いてみせた。
続いて、ゴールドシップの小林オーナーや、管理した須貝調教師。そして、その背に跨がった経験のある、内田博幸騎手、横山典弘騎手、岩田康誠騎手が壇上に上がり、それぞれがゴールドシップとの思い出を語りはじめた。
3名の騎手の中で、最初に思い出を語ったのは内田騎手。まず、この日のレースについて聞かれ、次に、一番思い出すことはどういったことか、という質問をされたときだった。
実は内田騎手は、2011年に落馬事故に遭い長期離脱。復帰した年に、コンビを組み始めたのがゴールドシップだった。ともに4つのビッグタイトルを獲得した一方で、4歳のジャパンカップで大敗してからは、乗り替わりとなってしまった経緯もある。
そんな苦楽をともにした相棒との数々の思い出が頭の中を駆け巡ったか、我慢していたものが一気に込み上げてきた内田騎手。言葉に詰まり、なかなか話すことができずにいた。ところが、まさに内田騎手が語りはじめようとしたその瞬間、ゴールドシップが大きく嘶いたのだ!
それはまるで「頑張って話せよ!」と、言っているかのような彼なりのエールだった。そして、内田騎手が語りはじめると「ありがとう」という想いを伝えるかのように、再び嘶く。そのメッセージに、ついに涙をこらえることができなくなってしまった内田騎手。人間らしい一面を垣間見せ、頭の良いゴールドシップだからこその、彼なりの別れの言葉。涙なしでは見ることができない、あまりに感動的な名場面だった。
続いて横山騎手の番となり、大出遅れを喫した宝塚記念が一番の思い出と語ると、三度嘶いたゴールドシップ。最後に集合写真を撮影する際も、納得するまで5分以上も輪に加わらず、関係者を困惑させた一方で、心和むような笑いと温かさを見る者に与えてくれた。かつて、こんなにも泣き笑いに満ち溢れた引退式は、おそらくなかっただろう。
ゴールドシップ(2015年)
ここまで振り返ってきたのは、引退レースの有馬記念を制し、有終の美を飾った馬たち。その一方で、すべての馬が引退の花道を飾れるわけではなく、むしろ、有終の美を飾ることができない馬が大半である。2015年の有馬記念で現役生活に別れを告げたゴールドシップもそうだった。
ドリームジャーニー、オルフェーヴル兄弟と同じ、父ステイゴールド、母の父メジロマックイーンという「黄金配合」と呼ばれる血統構成を持つゴールドシップは、2011年の夏にデビュー。3歳2月の共同通信杯で重賞初制覇を飾ると、皐月賞、菊花賞を制して二冠を達成し、有馬記念も勝ってこの年GIを3勝。同期のジェンティルドンナに勝るとも劣らない、素晴らしい活躍を見せた。
しかし、古馬となってからは勝利と敗戦を繰り返し、気難しい一面も見せはじめるようになった。GIレースでは、4、5歳時に宝塚記念を連覇。6歳時には、三度目の正直で天皇賞・春を制するなど強さを見せた一方で、3連覇を目指し、圧倒的な人気を背負った宝塚記念で大きく出遅れ。結果、15着に大敗してしまう。
ただ、そんな人間らしい個性や我の強さが多くのファンの心を掴み、年々白さを増す見た目も手伝ってか、ゴールドシップもまた、日本の競馬史に残るアイドルホースとなったのだ。
そんなゴールドシップにも、現役生活に別れを告げるときがやってきた。2015年の有馬記念である。
コンビを組むのは、かつてゴールドシップとともにGIを4勝。2年前のジャパンカップ以来、久々の騎乗となる内田博幸騎手だった。
そんな名コンビのこのレース最大の見所は、2周目の向正面。鞍上の指示に素直に従ってロングスパートを仕掛け、一気に馬群の外を駆け上がっていったゴールドシップ。全盛期を彷彿とさせるようなその走りに、この日一番の歓声が上がった。
ところが、直線に向くと、かつて得意としたはずの坂で伸びを欠き失速。結果8着に敗れ、3年ぶりの有馬記念制覇と、有終の美を飾ることは叶わなかった。
その後、行なわれた引退セレモニー。カクテルライトに照らされ、再び馬場に登場したゴールドシップは、レース後も残っていた大観衆の前を堂々と歩いてみせた。
続いて、ゴールドシップの小林オーナーや、管理した須貝調教師。そして、その背に跨がった経験のある、内田博幸騎手、横山典弘騎手、岩田康誠騎手が壇上に上がり、それぞれがゴールドシップとの思い出を語りはじめた。
3名の騎手の中で、最初に思い出を語ったのは内田騎手。まず、この日のレースについて聞かれ、次に、一番思い出すことはどういったことか、という質問をされたときだった。
実は内田騎手は、2011年に落馬事故に遭い長期離脱。復帰した年に、コンビを組み始めたのがゴールドシップだった。ともに4つのビッグタイトルを獲得した一方で、4歳のジャパンカップで大敗してからは、乗り替わりとなってしまった経緯もある。
そんな苦楽をともにした相棒との数々の思い出が頭の中を駆け巡ったか、我慢していたものが一気に込み上げてきた内田騎手。言葉に詰まり、なかなか話すことができずにいた。ところが、まさに内田騎手が語りはじめようとしたその瞬間、ゴールドシップが大きく嘶いたのだ!
それはまるで「頑張って話せよ!」と、言っているかのような彼なりのエールだった。そして、内田騎手が語りはじめると「ありがとう」という想いを伝えるかのように、再び嘶く。そのメッセージに、ついに涙をこらえることができなくなってしまった内田騎手。人間らしい一面を垣間見せ、頭の良いゴールドシップだからこその、彼なりの別れの言葉。涙なしでは見ることができない、あまりに感動的な名場面だった。
続いて横山騎手の番となり、大出遅れを喫した宝塚記念が一番の思い出と語ると、三度嘶いたゴールドシップ。最後に集合写真を撮影する際も、納得するまで5分以上も輪に加わらず、関係者を困惑させた一方で、心和むような笑いと温かさを見る者に与えてくれた。かつて、こんなにも泣き笑いに満ち溢れた引退式は、おそらくなかっただろう。
@akari_takeuchi.official:
興奮が今だに収まらないのでここでも失礼します!
本当にすごいよ!!!
有言実行カッコ良すぎるし!!!
見ながら大号泣
時折見せる笑顔は昔のまんまで抱きしめてあげたくなりました☺️✨
次のステージも最強な姿を見せてくれるんだろうな〜
ももな本当におめでとう!!!
愛してるぞー
https://t.cn/A6lxM018
#竹内朱莉#
興奮が今だに収まらないのでここでも失礼します!
本当にすごいよ!!!
有言実行カッコ良すぎるし!!!
見ながら大号泣
時折見せる笑顔は昔のまんまで抱きしめてあげたくなりました☺️✨
次のステージも最強な姿を見せてくれるんだろうな〜
ももな本当におめでとう!!!
愛してるぞー
https://t.cn/A6lxM018
#竹内朱莉#
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