木村拓哉、織田信長ゆかりの名刀「蜘蛛切丸」と対面 熱田神宮凱旋
2023-03-03 09:30 ORICON NEWS
公開中の映画『レジェンド&バタフライ』で織田信長を演じた木村拓哉が2日午前、愛知県にある熱田神宮を訪れ、劇中で使用した刀を奉納した。また、織田信長が熱田神宮に奉納したとされる名刀「蜘蛛切丸」にも対面。同日午後には、名古屋市内の映画館で舞台あいさつも実施した。
誰もが知る日本史上の“レジェンド”織田信長と、謎に包まれたその正室・濃姫(別名“帰蝶”)の知られざる物語を描いた同映画。熱田神宮は信長が桶狭間の戦いの前に戦勝を祈願したことでも有名で、公開前にもヒット祈願で訪れており、今回は、公開32日間で興行収入22億円を突破(2月27日時点)する大ヒットを果たした“御礼参り”。桶狭間の戦いで勝利を収めた信長は信長塀を奉納したとされていることにならって、映画チームとして劇中で使用した刀を奉納することにしたのだ。
熱田神宮到着後、木村から宮司に「前回の訪問で、公開前のヒット祈願をさせていただいた時、宮司さんにいろいろなお話をしていただきました。実際に織田信長公が桶狭間に向かう前に熱田神宮でお参りをして戦地に向かい、勝利を収めて、信長塀を奉納されたというお話を伺って、大友監督とも話したのですが、たくさんの方に映画を楽しんでいただいた暁には、真似事ではないですが、お願い事だけをして、そのまま終わりにするのは嫌だと思っていた」と、経緯を説明。
続けて、「信長公が信長塀を奉納されたように、自分たちも御礼参りとして、“ありがとうございました。”という事でもう一度お伺いしたいという思いがありました。そして、その機会をいただけたということで、劇中で信長公が桶狭間に向かう際に身に着けていた刀を熱田神宮様に奉納させていただけたらと思いお持ちいたしました」と、感謝の意を述べ、劇中で使用した刀を手渡した。
宮司は「ありがとうございます。まさに、信長の再来ですね」と、丁重に刀を受け取った。そして、熱田神宮側から、信長が熱田神宮に奉納したと伝えられる、普段は中々お目にかかれない貴重な名刀「蜘蛛切丸」を信長演じた木村に披露。
「蜘蛛切丸」は、桶狭間合戦が行われた永禄3年(1560年)に、信長が熱田社に奉納したと伝えられる刀で、号の由来は、杉の木の下で持ち主が眠っていた時、毒蜘蛛に襲われたが、この刀が独りでに抜け出て毒蜘蛛を斬りつけたという伝承による。熱田神宮所蔵する「痣丸」「熱田国信」と合わせて「熱田三剣」と呼ばれる脇差しだ。
宮司からの説明を受けて木村は「今日御礼参りに来なかったら、この刀にお会いできなかったので、前回はこの刀の存在を知らなかったので、本当に良かったです」と、貴重な刀を目の前に、改めて、信長ゆかりの“熱田神宮”に帰って来ることができた喜びを噛みしめていた。
なお、木村たちが奉納した刀は、劇中で信長が桶狭間の戦いに勝利して清州へ帰城した後、家臣らとともに勝どきを上げるシーンで身に付けていた太刀であり、本物。刀剣の正確な制作年数は分かってはいないが、美術刀剣製造会社の関係者による見立てでは約65年前に岐阜で作られたものだと言う。職人も不明(故人ではないかとも)だが、『風雲児 織田信長』(1959年)をはじめとする数々の時代劇で主役たちの装身具として使われてきた実績がある。
その後、本宮前にてお祓い・本殿にて参拝を行い、1 回目の訪問時には訪れなかった神聖なる“神楽殿”にて改めて、大ヒット御礼の奉告祭が執り行われた。厳かな雰囲気の中、「祝詞奏上」「神楽奉奏 みつるぎの舞」と、奉告の儀は正式に執り行われ、改めて、神前で大ヒットの奉告を行った。そして、木村が映画で使用した太刀もこの奉告祭をもって、正式に熱田神宮に奉納され、今後は熱田神宮内で保管される事となった。戦の前後で祈願・奉納と訪れた信長と正に同様に、映画公開前の ヒット祈願から、ヒット後の奉告祭(奉納)を終えた木村は「また御礼参りで伺いたいという思いは勝手に僕らがお伝えさせて頂いた事なのですが、ヒット祈願をさせて頂いて、実際に多くのお客様に映画をご覧頂けて、そして、大ヒットという報告を持って、御礼参りで熱田神宮さんに帰って来れた事を本当に嬉しくはそれ以上の充足感があります。」と、製作から丹精込めて作り上げてきた映画で、信長同様に祈願から御礼参りまでしっかりと出来た事の喜びを今一度噛み締めた。
最後に木村は「今回の奉納に際しては、個人的な参拝ではなく、奉納させて頂く劇中の刀を京都から持ってきてくれたスタッフもいらっしゃいますし、監督にもご一緒して頂いてますが、この作品に携わった全てのスタッフ・出演者の代表として、しっかりと御礼する事が出来たと思います。」と述べ、大友監督と共に『レジェンド&バタフライ』に関わったすべての人間の代表者としての感謝を熱く語り、御礼参りを終えた。
御礼参りの後、同じく愛知県の「ミッドランドシネマ名古屋空港」に移動し、今度はお客様の前で大ヒット御礼舞台あいさつを行った。映画公開されてからは、初の名古屋への凱旋という事で、たくさんの拍手と歓声の中、登壇した木村拓哉と大友監督。 まずは、木村からお客様に向けて「皆さんのおかげで長い間上映が出来ております。また東海地方に戻って来れて嬉しく思います」と感謝を伝えた。大友監督は「殿と尾張に来れて本当にうれしいです!」と信長ゆかりの地・名古屋への凱旋を喜んだ。
織田信長のゆかりの地であるここ名古屋では勿論、3 月 2 日時点で公開から 34 日を経て、全国動員173 万人・興行収入 22億円を突破と、全国各地に“レジェバタ旋風”を巻き起こし大ヒットともなっている本作の周りからの反響について問われると、木村は「今、別の作品の撮影をさせて頂いているのですが、その共演の方々やスタッフや、スタジオで久しぶりに会うスタッフからも、ただ“お疲れ様”というだけでなく、 “観に行ったよ!”と伝えてくださったり、プライベートの友人も、みんな客席に座った状態での映画のチケットや、今回の映画オリジナルの“織田ちん袋”だったりを写真付きで送ってくれますね。大人しめの方はそういった写真送ってくださるんですが、すごいロックバンドの方とかはポスターの前で思いっきりガーっと構えた写真を送ってくれて、流石“ウルトラソウル!”だなと思いました(笑)」と周囲からの反響や、親交のあるロックスターからの報告を明かすと、すかさず MC から「どなたか特定出来てしまいますね」とツッコミが入り、客席からは笑い声がこぼれた。更に木村は「あと、凄いビックリしたのが、たまに行くサウナの中で顔なじみのご年配の先輩の方が入ってきて、『木村さん観に行きました!』と言われて、ありがとうございます。と返したら、『あの一つだけ言いたい事あるんですけどいいですか...』と言われて、何ですか?と聞いたら、『あのラブシーンはもっといって欲しかったな』って言われて、男 2 人裸になっている状態で何を言い出すんだろうと思ったんですけど、本当にしっかり観てくださっているんだなという感じがすごく伝わって来て、嬉しかったです」とサウナでの出来事を明かし、会場は更なる盛り上がりを見せた。
2023-03-03 09:30 ORICON NEWS
公開中の映画『レジェンド&バタフライ』で織田信長を演じた木村拓哉が2日午前、愛知県にある熱田神宮を訪れ、劇中で使用した刀を奉納した。また、織田信長が熱田神宮に奉納したとされる名刀「蜘蛛切丸」にも対面。同日午後には、名古屋市内の映画館で舞台あいさつも実施した。
誰もが知る日本史上の“レジェンド”織田信長と、謎に包まれたその正室・濃姫(別名“帰蝶”)の知られざる物語を描いた同映画。熱田神宮は信長が桶狭間の戦いの前に戦勝を祈願したことでも有名で、公開前にもヒット祈願で訪れており、今回は、公開32日間で興行収入22億円を突破(2月27日時点)する大ヒットを果たした“御礼参り”。桶狭間の戦いで勝利を収めた信長は信長塀を奉納したとされていることにならって、映画チームとして劇中で使用した刀を奉納することにしたのだ。
熱田神宮到着後、木村から宮司に「前回の訪問で、公開前のヒット祈願をさせていただいた時、宮司さんにいろいろなお話をしていただきました。実際に織田信長公が桶狭間に向かう前に熱田神宮でお参りをして戦地に向かい、勝利を収めて、信長塀を奉納されたというお話を伺って、大友監督とも話したのですが、たくさんの方に映画を楽しんでいただいた暁には、真似事ではないですが、お願い事だけをして、そのまま終わりにするのは嫌だと思っていた」と、経緯を説明。
続けて、「信長公が信長塀を奉納されたように、自分たちも御礼参りとして、“ありがとうございました。”という事でもう一度お伺いしたいという思いがありました。そして、その機会をいただけたということで、劇中で信長公が桶狭間に向かう際に身に着けていた刀を熱田神宮様に奉納させていただけたらと思いお持ちいたしました」と、感謝の意を述べ、劇中で使用した刀を手渡した。
宮司は「ありがとうございます。まさに、信長の再来ですね」と、丁重に刀を受け取った。そして、熱田神宮側から、信長が熱田神宮に奉納したと伝えられる、普段は中々お目にかかれない貴重な名刀「蜘蛛切丸」を信長演じた木村に披露。
「蜘蛛切丸」は、桶狭間合戦が行われた永禄3年(1560年)に、信長が熱田社に奉納したと伝えられる刀で、号の由来は、杉の木の下で持ち主が眠っていた時、毒蜘蛛に襲われたが、この刀が独りでに抜け出て毒蜘蛛を斬りつけたという伝承による。熱田神宮所蔵する「痣丸」「熱田国信」と合わせて「熱田三剣」と呼ばれる脇差しだ。
宮司からの説明を受けて木村は「今日御礼参りに来なかったら、この刀にお会いできなかったので、前回はこの刀の存在を知らなかったので、本当に良かったです」と、貴重な刀を目の前に、改めて、信長ゆかりの“熱田神宮”に帰って来ることができた喜びを噛みしめていた。
なお、木村たちが奉納した刀は、劇中で信長が桶狭間の戦いに勝利して清州へ帰城した後、家臣らとともに勝どきを上げるシーンで身に付けていた太刀であり、本物。刀剣の正確な制作年数は分かってはいないが、美術刀剣製造会社の関係者による見立てでは約65年前に岐阜で作られたものだと言う。職人も不明(故人ではないかとも)だが、『風雲児 織田信長』(1959年)をはじめとする数々の時代劇で主役たちの装身具として使われてきた実績がある。
その後、本宮前にてお祓い・本殿にて参拝を行い、1 回目の訪問時には訪れなかった神聖なる“神楽殿”にて改めて、大ヒット御礼の奉告祭が執り行われた。厳かな雰囲気の中、「祝詞奏上」「神楽奉奏 みつるぎの舞」と、奉告の儀は正式に執り行われ、改めて、神前で大ヒットの奉告を行った。そして、木村が映画で使用した太刀もこの奉告祭をもって、正式に熱田神宮に奉納され、今後は熱田神宮内で保管される事となった。戦の前後で祈願・奉納と訪れた信長と正に同様に、映画公開前の ヒット祈願から、ヒット後の奉告祭(奉納)を終えた木村は「また御礼参りで伺いたいという思いは勝手に僕らがお伝えさせて頂いた事なのですが、ヒット祈願をさせて頂いて、実際に多くのお客様に映画をご覧頂けて、そして、大ヒットという報告を持って、御礼参りで熱田神宮さんに帰って来れた事を本当に嬉しくはそれ以上の充足感があります。」と、製作から丹精込めて作り上げてきた映画で、信長同様に祈願から御礼参りまでしっかりと出来た事の喜びを今一度噛み締めた。
最後に木村は「今回の奉納に際しては、個人的な参拝ではなく、奉納させて頂く劇中の刀を京都から持ってきてくれたスタッフもいらっしゃいますし、監督にもご一緒して頂いてますが、この作品に携わった全てのスタッフ・出演者の代表として、しっかりと御礼する事が出来たと思います。」と述べ、大友監督と共に『レジェンド&バタフライ』に関わったすべての人間の代表者としての感謝を熱く語り、御礼参りを終えた。
御礼参りの後、同じく愛知県の「ミッドランドシネマ名古屋空港」に移動し、今度はお客様の前で大ヒット御礼舞台あいさつを行った。映画公開されてからは、初の名古屋への凱旋という事で、たくさんの拍手と歓声の中、登壇した木村拓哉と大友監督。 まずは、木村からお客様に向けて「皆さんのおかげで長い間上映が出来ております。また東海地方に戻って来れて嬉しく思います」と感謝を伝えた。大友監督は「殿と尾張に来れて本当にうれしいです!」と信長ゆかりの地・名古屋への凱旋を喜んだ。
織田信長のゆかりの地であるここ名古屋では勿論、3 月 2 日時点で公開から 34 日を経て、全国動員173 万人・興行収入 22億円を突破と、全国各地に“レジェバタ旋風”を巻き起こし大ヒットともなっている本作の周りからの反響について問われると、木村は「今、別の作品の撮影をさせて頂いているのですが、その共演の方々やスタッフや、スタジオで久しぶりに会うスタッフからも、ただ“お疲れ様”というだけでなく、 “観に行ったよ!”と伝えてくださったり、プライベートの友人も、みんな客席に座った状態での映画のチケットや、今回の映画オリジナルの“織田ちん袋”だったりを写真付きで送ってくれますね。大人しめの方はそういった写真送ってくださるんですが、すごいロックバンドの方とかはポスターの前で思いっきりガーっと構えた写真を送ってくれて、流石“ウルトラソウル!”だなと思いました(笑)」と周囲からの反響や、親交のあるロックスターからの報告を明かすと、すかさず MC から「どなたか特定出来てしまいますね」とツッコミが入り、客席からは笑い声がこぼれた。更に木村は「あと、凄いビックリしたのが、たまに行くサウナの中で顔なじみのご年配の先輩の方が入ってきて、『木村さん観に行きました!』と言われて、ありがとうございます。と返したら、『あの一つだけ言いたい事あるんですけどいいですか...』と言われて、何ですか?と聞いたら、『あのラブシーンはもっといって欲しかったな』って言われて、男 2 人裸になっている状態で何を言い出すんだろうと思ったんですけど、本当にしっかり観てくださっているんだなという感じがすごく伝わって来て、嬉しかったです」とサウナでの出来事を明かし、会場は更なる盛り上がりを見せた。
没有固定工作,没有梦想。没钱也没关系,因为不知道自己什么时候会死,在临死的时候,我也不想后悔当初要是浪费就好了,所以,我活得随心所欲。这样,我就满足了。
定職もない,将来の夢もない,お金なんかなくったって構わない,だっていつ死ぬか分かんないんだから。死ぬ間際になって,やっぱり浪費しとけばよかったなんて,後悔もしたくない
だから,好きなように生きてる,それで,俺は満足なんだ。
#三千日元的使用方法
定職もない,将来の夢もない,お金なんかなくったって構わない,だっていつ死ぬか分かんないんだから。死ぬ間際になって,やっぱり浪費しとけばよかったなんて,後悔もしたくない
だから,好きなように生きてる,それで,俺は満足なんだ。
#三千日元的使用方法
万安桥记
蔡襄
泉州万安渡石桥,始造于皇佑五年庚寅,以嘉佑四年十二月辛未迄功。址于渊,酾水为四十七道,梁空以行。其长三千六百尺,广丈有五尺,翼以扶栏,为其长而两之。糜金钱一千四百万,求诸施者。渡实支海,去舟而徒,易危而安,民莫不利。职其事者:庐锡、王实、许忠、浮图义波、宗善等十有五人。既成,太守莆阳祭襄为之合乐宴饮而落之。明年秋,蒙召返京,道由出是,因纪所作,勒于岸左。
万安橋記
ばんあんきょうき
作者 蔡襄筆
時代世紀 北宋時代・嘉祐5年(1060)
制作地 中国
品質形状 紙本朱拓
法量 縦265.2 横135.5
泉州(福建省)の洛陽江(らくようこう)は流れが激しく、長らく安全な航海ができませんでした。これは1059年、洛陽江に壮大な石製の洛陽橋が完成した記念碑です。この橋はのちに人々の願いを込めて万安橋と名づけられました。蔡襄48歳の書。唐時代の顔真卿(がんしんけい)の影響が濃厚に見られます。
蔡襄
泉州万安渡石桥,始造于皇佑五年庚寅,以嘉佑四年十二月辛未迄功。址于渊,酾水为四十七道,梁空以行。其长三千六百尺,广丈有五尺,翼以扶栏,为其长而两之。糜金钱一千四百万,求诸施者。渡实支海,去舟而徒,易危而安,民莫不利。职其事者:庐锡、王实、许忠、浮图义波、宗善等十有五人。既成,太守莆阳祭襄为之合乐宴饮而落之。明年秋,蒙召返京,道由出是,因纪所作,勒于岸左。
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ばんあんきょうき
作者 蔡襄筆
時代世紀 北宋時代・嘉祐5年(1060)
制作地 中国
品質形状 紙本朱拓
法量 縦265.2 横135.5
泉州(福建省)の洛陽江(らくようこう)は流れが激しく、長らく安全な航海ができませんでした。これは1059年、洛陽江に壮大な石製の洛陽橋が完成した記念碑です。この橋はのちに人々の願いを込めて万安橋と名づけられました。蔡襄48歳の書。唐時代の顔真卿(がんしんけい)の影響が濃厚に見られます。
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