KinKi Kids感謝と奇跡の25周年公演「思いがダイレクトに」剛「愛情をいただいて」光一
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KinKi Kidsが7日、東京ドームで、CDデビュー25周年イベント「24451~君と僕の声~」の最終日公演を開催した。25年間支えられたファンや、2人を引き合わせたジャニー喜多川氏への感謝をかみしめながら、新旧織り交ぜた楽曲を披露した。
冒頭で堂本光一(43)、剛(43)が順に登場し、拍手を浴びた。光一はりりしい表情で歩き出し、剛は両手を広げて観客に軽く会釈した。ステージ向かって左から光一が、右から剛が中央に向かって移動。交差する瞬間、ハイタッチの要領で掲げた腕と腕をぶつけ合った。デビュー前に歌っていた楽曲「FRIENDS」。より一層、大きな拍手が沸き起こった。
97年7月のデビュー以来25年間、芸能界の第一線で楽曲やライブを積み重ねてきた。特に東京ドームは98年からほぼ毎年ライブやイベントを開催し、この日が通算62公演目。剛は「最初に東京ドームに立たせていただいた時は、こんなにも長くライブをさせてもらえる人生だと思ってもなかった。本当に想像してなかったです」と振り返った。
19年9月には、同年7月に亡くなったジャニー氏のお別れ会が執り行われた会場でもある。剛は「ジャニーさんはいつも三塁側のベンチから見てくれていた。そういう姿がどうしてもよみがえってきます」としみじみ。光一は「ジャニーさんはこのイベント見て多分怒っていると思いますよ。『つまんないよ』って」と笑い、「本当にいろんな奇跡が重なってこの2人で活動することになった。その2人を出会わせてくれたジャニーさんには感謝ですね」とほほ笑んだ。
デビュー曲「硝子の少年」や最新シングル「Amazing Love」などメドレー含む14曲を歌い、ファン5万5000人を魅了した。移動ステージでアリーナを外周する演出も。17年7月の20周年イベントでは突発性難聴のため中継での出演となり、ステージに立てなかった剛は「皆さんの表情から、いろんな思いとかがすごくダイレクトに伝わるんです。5年前のこともありますし。泣くのを必死にこらえながら歌っています」と明かした。
ラストに光一は「25周年の感謝を伝えるはずが、それ以上の愛情をいただいちゃっています。1つ1つの奇跡があって今があります。新しい奇跡をこれから先また作っていきましょう」と呼び掛け、「また、冬にここでお会いしましょう!」と再会を約束した。光一が人さし指を1本立て、剛が横にしたピースを重ねてアルファベットの「K」を作った。大きな拍手を浴び、節目のスペシャルイベントを締めくくった。25年間の感謝を胸に、2人の奇跡のような日々は続いていく。
デビュー25周年KinKiKidsが吉田拓郎に感謝 堂本光一「たくさんの影響をくださった」
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KinKi Kidsが7日、東京ドームで、CDデビュー25周年イベント「24451~君と僕の声~」の最終日公演を開催した。フジテレビ系音楽バラエティー「LOVE LOVE あいしてる」でかつて共演し、堂本光一(43)剛(43)の2人にギターや音楽を教えたシンガー・ソングライター吉田拓郎(76)への感謝も伝えた。
拓郎は先月放送の同番組最終回スペシャルが最後のテレビ出演となった。この日のイベントでは光一が「花束を渡した時の拓郎さんの顔がいまだに忘れられません。我々にたくさんの影響をくださった方です。この曲も、今に寄り添ってくれる曲。拓郎さんと我々のことを歌ってくれている」と伝え、拓郎が作曲した「全部だきしめて」を歌った。
25年間で印象に残った出来事を聞かれると、光一は「2人きりのエピソードというよりは、そこには拓郎さんがいたりして。そういう光景を思い起こしちゃいますね。本当にくだらない話をしてる瞬間だとか、もちろんハワイにロケ行ったとか。毎週のようにお会いしていたので」と振り返った。「拓郎さんがおっしゃっていたのは、『僕はKinKiとしては見てないよ。剛は剛、光一は光一としてしか見ていない』って。それくらいよく見てくださっていた方なので」と明かした。
キンキ25周年イベント 5年前ステージに立てなかった剛は「泣くのを必死にこらえながら」歌う
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17年7月に横浜スタジアムで行われた20周年イベントでは、堂本剛(43)が突発性難聴のため中継のみの出演にとどまり、ステージに立てなかった。堂本光一(43)は「もちろん、ああいった形になったからこそ感じる支えというものもありましたけど、またこうして2人でステージに立って歌っていること、思いを届けること、その姿で感じてもらえるものもあると思います」と話した。
剛は「当時僕自身は、当たり前ですけれども、何がなんでもステージに行きたかったです。でも出た結論はやっぱり、ステージには行けませんでした」と5年前を振り返った。「今回は自分がステージに立つということがかなえられましたし、何よりもフロート(移動ステージ)に乗って歌う演出もありました。皆さんの表情から、言葉にならない、いろんな思いとかがすごくダイレクトに伝わるんです。5年前のこともありますし。泣くのを必死にこらえながら歌っています」と明かした。
デビューシングル「硝子の少年」から45作連続初登場1位/KinKi Kidsアラカルト
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KinKi Kidsが7日、東京ドームで、CDデビュー25周年イベント「24451~君と僕の声~」の最終日公演を開催した。25年間支えられたファンや、2人を引き合わせたジャニー喜多川氏への感謝をかみしめながら、新旧織り交ぜた楽曲を披露した。
<KinKi Kids25周年アラカルト>
▼シングル 97年7月のデビューシングル「硝子の少年」から先月発売の最新シングル「Amazing Love」まで45作連続でオリコン週間シングルランキング初登場1位を獲得。ギネスにも登録(現在登録上は44作で、45作は申請中)されている、自身の持つデビューからのシングル連続1位獲得数記録を更新した。なおシングル連続1位獲得年数の「26年」もギネス記録。
▼ライブ&イベント デビュー前の94年に東京・日本武道館で開催した初コンサートから数えると通算501公演。総動員数は993万6900人。
▼東京ドーム 単独アーティストとしての最多公演数記録でもある、通算62公演のライブやイベントを開催。東京ドーム公演だけでも累計341万3000人を動員した。
【記者の目】KinKi Kidsの存在は“奇跡”両極端な2人が絶妙距離感で互いに尊重
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KinKi Kidsが7日、東京ドームで、CDデビュー25周年イベント「24451~君と僕の声~」の最終日公演を開催した。25年間支えられたファンや、2人を引き合わせたジャニー喜多川氏への感謝をかみしめながら、新旧織り交ぜた楽曲を披露した。
KinKi Kidsが25年間活動を続けられた要因は-。2人に尋ねると、光一は「つかず離れずとか、そういうところじゃないですか」と答え、剛は「無理にお互い合わせようとも思っていないですし。でも両極端な2人なので生み出せるモノがあるというか。それがクセがあって、面白いんですかね」と推測した。
楽屋裏やプライベートで会話することは少ない。絶妙な距離感は、長続きした秘訣(ひけつ)の1つだろう。2人をよく知るテレビ局関係者は「歌番組でも、全くルールやスタイルに縛られない。『お互いにやりたいことをやればいいやん』という雰囲気で、後のことはスタッフに任せてくれる。それぞれ多く干渉しないのは、尊重し合っている証拠でしょう」と話した。
光一は「奇跡が重なってできた2人組なので。めちゃくちゃ壮大な話ですけど、宇宙に地球が存在して、その中で今この時代に生きていて、その2人が組まされるって。とんでもないことだと思うんですよね」と笑った。一説によると「堂本」という名字は、日本に5000人弱しかいないという。やすやすと使える表現ではないが、やはり“奇跡”のような2人組だ。【横山慧】
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KinKi Kidsが7日、東京ドームで、CDデビュー25周年イベント「24451~君と僕の声~」の最終日公演を開催した。25年間支えられたファンや、2人を引き合わせたジャニー喜多川氏への感謝をかみしめながら、新旧織り交ぜた楽曲を披露した。
冒頭で堂本光一(43)、剛(43)が順に登場し、拍手を浴びた。光一はりりしい表情で歩き出し、剛は両手を広げて観客に軽く会釈した。ステージ向かって左から光一が、右から剛が中央に向かって移動。交差する瞬間、ハイタッチの要領で掲げた腕と腕をぶつけ合った。デビュー前に歌っていた楽曲「FRIENDS」。より一層、大きな拍手が沸き起こった。
97年7月のデビュー以来25年間、芸能界の第一線で楽曲やライブを積み重ねてきた。特に東京ドームは98年からほぼ毎年ライブやイベントを開催し、この日が通算62公演目。剛は「最初に東京ドームに立たせていただいた時は、こんなにも長くライブをさせてもらえる人生だと思ってもなかった。本当に想像してなかったです」と振り返った。
19年9月には、同年7月に亡くなったジャニー氏のお別れ会が執り行われた会場でもある。剛は「ジャニーさんはいつも三塁側のベンチから見てくれていた。そういう姿がどうしてもよみがえってきます」としみじみ。光一は「ジャニーさんはこのイベント見て多分怒っていると思いますよ。『つまんないよ』って」と笑い、「本当にいろんな奇跡が重なってこの2人で活動することになった。その2人を出会わせてくれたジャニーさんには感謝ですね」とほほ笑んだ。
デビュー曲「硝子の少年」や最新シングル「Amazing Love」などメドレー含む14曲を歌い、ファン5万5000人を魅了した。移動ステージでアリーナを外周する演出も。17年7月の20周年イベントでは突発性難聴のため中継での出演となり、ステージに立てなかった剛は「皆さんの表情から、いろんな思いとかがすごくダイレクトに伝わるんです。5年前のこともありますし。泣くのを必死にこらえながら歌っています」と明かした。
ラストに光一は「25周年の感謝を伝えるはずが、それ以上の愛情をいただいちゃっています。1つ1つの奇跡があって今があります。新しい奇跡をこれから先また作っていきましょう」と呼び掛け、「また、冬にここでお会いしましょう!」と再会を約束した。光一が人さし指を1本立て、剛が横にしたピースを重ねてアルファベットの「K」を作った。大きな拍手を浴び、節目のスペシャルイベントを締めくくった。25年間の感謝を胸に、2人の奇跡のような日々は続いていく。
デビュー25周年KinKiKidsが吉田拓郎に感謝 堂本光一「たくさんの影響をくださった」
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KinKi Kidsが7日、東京ドームで、CDデビュー25周年イベント「24451~君と僕の声~」の最終日公演を開催した。フジテレビ系音楽バラエティー「LOVE LOVE あいしてる」でかつて共演し、堂本光一(43)剛(43)の2人にギターや音楽を教えたシンガー・ソングライター吉田拓郎(76)への感謝も伝えた。
拓郎は先月放送の同番組最終回スペシャルが最後のテレビ出演となった。この日のイベントでは光一が「花束を渡した時の拓郎さんの顔がいまだに忘れられません。我々にたくさんの影響をくださった方です。この曲も、今に寄り添ってくれる曲。拓郎さんと我々のことを歌ってくれている」と伝え、拓郎が作曲した「全部だきしめて」を歌った。
25年間で印象に残った出来事を聞かれると、光一は「2人きりのエピソードというよりは、そこには拓郎さんがいたりして。そういう光景を思い起こしちゃいますね。本当にくだらない話をしてる瞬間だとか、もちろんハワイにロケ行ったとか。毎週のようにお会いしていたので」と振り返った。「拓郎さんがおっしゃっていたのは、『僕はKinKiとしては見てないよ。剛は剛、光一は光一としてしか見ていない』って。それくらいよく見てくださっていた方なので」と明かした。
キンキ25周年イベント 5年前ステージに立てなかった剛は「泣くのを必死にこらえながら」歌う
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17年7月に横浜スタジアムで行われた20周年イベントでは、堂本剛(43)が突発性難聴のため中継のみの出演にとどまり、ステージに立てなかった。堂本光一(43)は「もちろん、ああいった形になったからこそ感じる支えというものもありましたけど、またこうして2人でステージに立って歌っていること、思いを届けること、その姿で感じてもらえるものもあると思います」と話した。
剛は「当時僕自身は、当たり前ですけれども、何がなんでもステージに行きたかったです。でも出た結論はやっぱり、ステージには行けませんでした」と5年前を振り返った。「今回は自分がステージに立つということがかなえられましたし、何よりもフロート(移動ステージ)に乗って歌う演出もありました。皆さんの表情から、言葉にならない、いろんな思いとかがすごくダイレクトに伝わるんです。5年前のこともありますし。泣くのを必死にこらえながら歌っています」と明かした。
デビューシングル「硝子の少年」から45作連続初登場1位/KinKi Kidsアラカルト
https://t.cn/A6S7V0z6
KinKi Kidsが7日、東京ドームで、CDデビュー25周年イベント「24451~君と僕の声~」の最終日公演を開催した。25年間支えられたファンや、2人を引き合わせたジャニー喜多川氏への感謝をかみしめながら、新旧織り交ぜた楽曲を披露した。
<KinKi Kids25周年アラカルト>
▼シングル 97年7月のデビューシングル「硝子の少年」から先月発売の最新シングル「Amazing Love」まで45作連続でオリコン週間シングルランキング初登場1位を獲得。ギネスにも登録(現在登録上は44作で、45作は申請中)されている、自身の持つデビューからのシングル連続1位獲得数記録を更新した。なおシングル連続1位獲得年数の「26年」もギネス記録。
▼ライブ&イベント デビュー前の94年に東京・日本武道館で開催した初コンサートから数えると通算501公演。総動員数は993万6900人。
▼東京ドーム 単独アーティストとしての最多公演数記録でもある、通算62公演のライブやイベントを開催。東京ドーム公演だけでも累計341万3000人を動員した。
【記者の目】KinKi Kidsの存在は“奇跡”両極端な2人が絶妙距離感で互いに尊重
https://t.cn/A6S7V0zX
KinKi Kidsが7日、東京ドームで、CDデビュー25周年イベント「24451~君と僕の声~」の最終日公演を開催した。25年間支えられたファンや、2人を引き合わせたジャニー喜多川氏への感謝をかみしめながら、新旧織り交ぜた楽曲を披露した。
KinKi Kidsが25年間活動を続けられた要因は-。2人に尋ねると、光一は「つかず離れずとか、そういうところじゃないですか」と答え、剛は「無理にお互い合わせようとも思っていないですし。でも両極端な2人なので生み出せるモノがあるというか。それがクセがあって、面白いんですかね」と推測した。
楽屋裏やプライベートで会話することは少ない。絶妙な距離感は、長続きした秘訣(ひけつ)の1つだろう。2人をよく知るテレビ局関係者は「歌番組でも、全くルールやスタイルに縛られない。『お互いにやりたいことをやればいいやん』という雰囲気で、後のことはスタッフに任せてくれる。それぞれ多く干渉しないのは、尊重し合っている証拠でしょう」と話した。
光一は「奇跡が重なってできた2人組なので。めちゃくちゃ壮大な話ですけど、宇宙に地球が存在して、その中で今この時代に生きていて、その2人が組まされるって。とんでもないことだと思うんですよね」と笑った。一説によると「堂本」という名字は、日本に5000人弱しかいないという。やすやすと使える表現ではないが、やはり“奇跡”のような2人組だ。【横山慧】
#鹅小姐lookbook# 东京潮牌Wacko Maria 2022 春夏系列邀请了日本演员松田龙平出镜,他仿佛回到了那个真幌站前便利屋的脱力男子,置身华丽的东京柏悦酒店,脚上穿着该系列的亮点——Timberland x Wacko Maria经典两眼船鞋。Wacko Maria在这次合作中,重制了 Timberland 这款夏季主打鞋履,以豹纹图案的 Harako仔牛毛皮手工缝制,选用金棕色和紫色华丽又脱力,并给这个系列配备一个特殊鞋盒。#松田龙平[超话]#
接上
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[桃花]まずは「個」のレベルアップ
高いレベルで感覚を磨くことは不可欠
石川いわく、男子代表が強くなるには、海外でプレーをして「個」のレベルアップをすることが不可欠という。そう言いつつも、石川は別の視点も欠かさず添える。知らないことは知らないと断りつつ。海外に出ることで、より日本のことが見え、視野が広がったのだ。
「企業のバレーの良いところももちろんあります。バレー選手として終わった後もある(社員として残ることができる)ので。それはすごく良い部分だと思います。でも日本のバレーのことだけを考えた時には、それだと難しいのかなと。でもまだ自分は企業に所属したことがないので、間違ったことを言ってるのかもしれないですけれども」
トップ選手が集まる海外リーグでは、サーブも年々レベルが上がっているという。ならば、その分、日本もさらに頑張らないといけない。そのためには、どうすればいいのか。石川は理路整然と語る。
「日本は高さがないので、サーブレシーブを他の国よりしっかりしないといけない。高さやパワーがある他の国は、サーブレシーブで少し乱れても、トスで修正をして、アタッカーがなんとかすれば点を取れたり、ブロックとかで簡単に点が取れたりします。でも、日本はそういう力がない。そこをブロックとかで補えるようになれば、また変わってくるとは思いますけども。現段階ではサーブレシーブをしっかりやっていかないと。そこがベースにないと勝っていくっていうのは難しいです」
そうしたレベルの高いサーブを受けるには、男子は海外に行くしかない。女子なら、より高さとパワーのある男子で海外プレーヤーを仮想できるが、男子にはそうした存在が国内にないからだ。
「海外でも、やっぱりサーブの強いチームが勝ってるんです。試合や結果を見ても、(サービス)エースの多いところが勝っていたりするので、大事ですね」と改めてサーブの重要性を語ると、「スピード、パワーともに、レベルアップしたサーブを打っているということは、受けている選手も比例して良くなっているはずなんです」と世界とのレベル差が生まれる危機感を募らせる。
サッカーのブラジルワールドカップに挑む時、本田圭佑が「個の力」を上げる重要性を訴えた。同じことを石川も自らの言葉で男子バレーの状況に当てはめて言う。「まずは個人のスキルを上げることが第一。代表チームは、集まってからじゃないとコミュニケーションは取れないですから。集まってはじめて、そこからチームを作り上げていくわけです。でも、そこでその短期間で(個の力を)強化しろと言われても難しい。強化というのは、所属チーム、個でやれる時間の方が長いと思うので、そこでいかに強化するかだと思うんです」
レセプション(サーブレシーブ)は感覚に頼る部分が大きい。慣れるのは早いに越したことはないが、簡単なことではないし、選手によって個人差もある。だからこそ、海外に行って「慣れる」しかないのだと。
パイオニアで伝道師という立場を自覚しつつも、自分の足りないところだけでなく、他の選手の視点、チームとしての視点、日本代表としての視点をくまなく見渡して、的確に表現するのだ。今後も石川の成長そのものが、きっと日本バレーの成長をも促していく。もちろん、男子バレーが東京オリンピックに出場することが叶うことは楽しみだけれど、石川をはじめ日本人選手がどんどん世界で活躍し、日本のレベルを引き上げる姿はもっと大きな“予想図”かもしれない。男子バレーを導く、石川のマイルストーンが見られる幸運に感謝したい。
Victoria
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[桃花]まずは「個」のレベルアップ
高いレベルで感覚を磨くことは不可欠
石川いわく、男子代表が強くなるには、海外でプレーをして「個」のレベルアップをすることが不可欠という。そう言いつつも、石川は別の視点も欠かさず添える。知らないことは知らないと断りつつ。海外に出ることで、より日本のことが見え、視野が広がったのだ。
「企業のバレーの良いところももちろんあります。バレー選手として終わった後もある(社員として残ることができる)ので。それはすごく良い部分だと思います。でも日本のバレーのことだけを考えた時には、それだと難しいのかなと。でもまだ自分は企業に所属したことがないので、間違ったことを言ってるのかもしれないですけれども」
トップ選手が集まる海外リーグでは、サーブも年々レベルが上がっているという。ならば、その分、日本もさらに頑張らないといけない。そのためには、どうすればいいのか。石川は理路整然と語る。
「日本は高さがないので、サーブレシーブを他の国よりしっかりしないといけない。高さやパワーがある他の国は、サーブレシーブで少し乱れても、トスで修正をして、アタッカーがなんとかすれば点を取れたり、ブロックとかで簡単に点が取れたりします。でも、日本はそういう力がない。そこをブロックとかで補えるようになれば、また変わってくるとは思いますけども。現段階ではサーブレシーブをしっかりやっていかないと。そこがベースにないと勝っていくっていうのは難しいです」
そうしたレベルの高いサーブを受けるには、男子は海外に行くしかない。女子なら、より高さとパワーのある男子で海外プレーヤーを仮想できるが、男子にはそうした存在が国内にないからだ。
「海外でも、やっぱりサーブの強いチームが勝ってるんです。試合や結果を見ても、(サービス)エースの多いところが勝っていたりするので、大事ですね」と改めてサーブの重要性を語ると、「スピード、パワーともに、レベルアップしたサーブを打っているということは、受けている選手も比例して良くなっているはずなんです」と世界とのレベル差が生まれる危機感を募らせる。
サッカーのブラジルワールドカップに挑む時、本田圭佑が「個の力」を上げる重要性を訴えた。同じことを石川も自らの言葉で男子バレーの状況に当てはめて言う。「まずは個人のスキルを上げることが第一。代表チームは、集まってからじゃないとコミュニケーションは取れないですから。集まってはじめて、そこからチームを作り上げていくわけです。でも、そこでその短期間で(個の力を)強化しろと言われても難しい。強化というのは、所属チーム、個でやれる時間の方が長いと思うので、そこでいかに強化するかだと思うんです」
レセプション(サーブレシーブ)は感覚に頼る部分が大きい。慣れるのは早いに越したことはないが、簡単なことではないし、選手によって個人差もある。だからこそ、海外に行って「慣れる」しかないのだと。
パイオニアで伝道師という立場を自覚しつつも、自分の足りないところだけでなく、他の選手の視点、チームとしての視点、日本代表としての視点をくまなく見渡して、的確に表現するのだ。今後も石川の成長そのものが、きっと日本バレーの成長をも促していく。もちろん、男子バレーが東京オリンピックに出場することが叶うことは楽しみだけれど、石川をはじめ日本人選手がどんどん世界で活躍し、日本のレベルを引き上げる姿はもっと大きな“予想図”かもしれない。男子バレーを導く、石川のマイルストーンが見られる幸運に感謝したい。
Victoria
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