「日本一のお兄ちゃんをもう一度見たい」大阪桐蔭→慶應大キャプテン福井章吾が妹と目指す“春秋連覇”《4年前の後悔とは?》
2017年のセンバツを制した大阪桐蔭高校。そして今春、全日本大学野球選手権を制した慶應義塾大学。4年という月日が経っても、歓喜の輪の中心には主将・福井章吾がいた。
「彼が率いるチームはいつもひとつにまとまっていて強い」
甲子園で抱いた思いが、神宮での歓喜を見てよみがえってきた。
◇◇◇
「主将となったこの春の優勝は、部員165人分の達成感を感じましたし、これまで支えてくれた家族や指導者の方々に恩返しができました」
今季の慶大が掲げたスローガンは『繋勝~Giving Back~』。そのチーム理念の通り、監督・選手・スタッフが互いに信頼し合えたことが勝因だと、福井は何度も強調する。
堀井哲也監督が常日頃から部員たちに伝える「チームの勝利に対してどんな働きをしたかが大事。たとえ4打数ノーヒットでもチームの勝利に貢献できればいい」という教えが、福井はもちろん、陰でチームを支えるアナリストらにも浸透。天皇杯を争う東京六大学リーグや、大学日本一を決める全日本大学野球選手権でも誰一人としてフォア・ザ・チームの精神を忘れることはなかった。
大阪桐蔭→慶大野球部は史上初
いまや、春秋連覇を視野に入れるチームを牽引する福井だが、当初は自らの意思で慶大を志望していたわけではなかったという。大阪桐蔭時代の恩師・西谷浩一監督に勧められ、慶大の関係者と話したことが福井の考えを大きく変えた。
東京六大学野球や早慶戦について勉強していくうちに、同校の教えにある『独立自尊の精神』が「ひとつのことに捉われず、いろいろなことにチャレンジすることで、一度きりの人生がより面白くなる」という自身の考え方にマッチしていると気づいた。「慶應で野球をやってみたい」という思いは次第に強くなり、2度のAO入試の末に合格切符を掴んだ。
少し意外だが、錚々たるOBを輩出する大阪桐蔭としては初のルートである。
大学1年春からベンチ入りを果たした福井はそこから3年半で逞しく成長。堀井監督に「福井(章吾)の成長が、そのままチームの躍進に繋がった」と言われるほどの存在になった。
「もともとの性格からリーダーの役割を果たしていける生粋のリーダー。チームを引っ張る立場であることを負担に感じるどころか、『自分の力を発揮する場所だ』『自分のステージだ』とでもいうかのように、前向きな気持ちでやっている」(堀井監督)
監督が感じる課題を察し、自ら提案してくることも多いと堀井監督は感心する。そればかりか、選手に一番伝わりやすいベストタイミングを狙ってチームに浸透させていくという。
さらに大学3年春から正ポジションの座についたキャッチャーとしても、そのキャプテンシーをグラウンドの上で遺憾無く発揮する。ピンチの場面でも堂々としたボディランゲージとポジティブな声掛けでナインをまとめ、得点圏にランナーを背負いそうなシーンでは果敢に盗塁を刺す。緊迫した場面で打席に入る時には、応援のリズムに合わせた打撃動作を見せたこともあり、楽しむ余裕すら見せつける。どんな時も動じない強心臓は、大阪桐蔭時代からずっと変わらない。
「それこそ自分軸ではなくチーム軸という考え方です。前日にバッティングピッチャーをやってくれた同級生の顔や、徹夜してデータをとってくれたデータ班の顔、いつもサポートしてくれている監督やスタッフ、家族の顔を思い出したりすると、ちょっとやそっとのことでは引けないというか、そこで何かを体現したいという気持ちになります。それが前面的に出る気持ちの強さなのかなと思います」(福井)
また、「野球に対する勉強量が多く、相手の心理やベンチの心理を吸収する姿勢がものすごく高い」(堀井監督)と、捕手として投手の力を最大限に引き出す能力にも磨きがかかった。打者として重要な場面で結果を残せる勝負強さも、地道な積み重ねで培ってきた。
アナリストになった妹・みなみ
そんな福井にとって、今年は心強い“味方“が増えた。妹・みなみ(1年)が慶大に入学し、アナリストとして野球部に加わったのだ。
センバツの21世紀枠を目指していた北野高校の野球部でマネージャーを務めたみなみは、スポーツ推薦枠のない慶大が、全国の強者が揃う東京六大学リーグで戦う姿に共感し、サポートしたいという気持ちを強く抱いたという。
「マネージャーとしてもっと選手の役に立ちたかった、という感覚のまま終わらせずに、大学でもまた野球部に貢献できたらいいなと思いました。兄が近くにいたことで、アナリストという仕事も知れたので、もう一度やってみようかなと」
春の優勝は「兄がセンバツで優勝した時と同じく、夢のような気分でした」と特別な思いを抱いたが、それ以上に兄がまとめるチームの姿に魅せられている。
「慶大野球部には200人弱の部員がいますが、プレーはもちろん、人としてのレベルがすごく高いと感じました。何をするにも、いろいろな人から『ありがとう』という言葉が飛んできますし、誰に挨拶をしても笑顔で返してくれます。当たり前のようですごく大事なことをみなさんが徹底されている姿を見て『それは強いよね』と思いました」
まだアナリストとして慣れない作業も多いが、だからこそ、自分の時間を削ってでも「チームの勝利のために」と数字を追う日々を続けている。
「データは選手のためにあるので、私たちアナリストがデータを出すことで自己満足するのではなく、選手を優先に考えて行動したいと思います」
現在は基本的な投打成績に加え、打者の貢献度を測るQAB(クオリティー・アット・バット)や得点期待値、投手が3球で追い込んだ確率などのデータを扱う。最終学年になった時には、野球経験者が揃うデータ班が提出するような、より試合に直結する数値を扱える存在になりたいと抱負も教えてくれた。
兄妹で目指す“春秋連覇”
妹とともに戦うことになったとはいえ、福井にとって今シーズンが大学ラストイヤーとなる。つまり、みなみと同じ時間を共有できるのもこの秋まで。明治神宮野球大会を制して実現する“春秋連覇”への思いは一層、高まっている。
「妹と一緒に戦う野球はこの秋が最後なので、アイツに『おつかれさま』と言ってもらえるよう頑張りたいです。今年のチームのテーマである『一戦必勝』を念頭に、『1試合ずつ強くなるぞ』という気持ちで戦い、結果的に連覇に繋げられたらいいなと思います」
そんな兄の思いを妹はしっかりと受け止めている。
「兄は私の中で一番カッコイイ野球選手。1打席、1イニングでも長く兄の野球をしている姿を近くで見ていたいです。大学に入るまでは『頑張ってね』と言葉で伝えることしかできませんでしたが、今は同じチームにいるので役に立つことができるはずです」
実は、みなみには忘れられない思い出がある。
4年前の夏、家族とともに大阪桐蔭で春夏連覇を目指す兄を応援するため甲子園へ足を運んでいた。しかし、高校受験を控えていたみなみは、3回戦の仙台育英戦を前に塾へ行くために甲子園を離れた。勝利を信じて疑わなかったがゆえの行動だったが、結果はまさかのサヨナラ負け。
大阪桐蔭が敗れたことも悲しかったが、何より最後の試合を現地で応援できなかったことへの後悔が、みなみの心にはずっと残っている。
「笑って学生野球を終わってほしいと思いますし、日本一のお兄ちゃんをもう一度見たいです。そのためにも私はチームのために自分の役割を果たしたいです」
兄妹が力を合わせて“連覇”を目指す秋。その戦いは9月18日から始まる。
2017年のセンバツを制した大阪桐蔭高校。そして今春、全日本大学野球選手権を制した慶應義塾大学。4年という月日が経っても、歓喜の輪の中心には主将・福井章吾がいた。
「彼が率いるチームはいつもひとつにまとまっていて強い」
甲子園で抱いた思いが、神宮での歓喜を見てよみがえってきた。
◇◇◇
「主将となったこの春の優勝は、部員165人分の達成感を感じましたし、これまで支えてくれた家族や指導者の方々に恩返しができました」
今季の慶大が掲げたスローガンは『繋勝~Giving Back~』。そのチーム理念の通り、監督・選手・スタッフが互いに信頼し合えたことが勝因だと、福井は何度も強調する。
堀井哲也監督が常日頃から部員たちに伝える「チームの勝利に対してどんな働きをしたかが大事。たとえ4打数ノーヒットでもチームの勝利に貢献できればいい」という教えが、福井はもちろん、陰でチームを支えるアナリストらにも浸透。天皇杯を争う東京六大学リーグや、大学日本一を決める全日本大学野球選手権でも誰一人としてフォア・ザ・チームの精神を忘れることはなかった。
大阪桐蔭→慶大野球部は史上初
いまや、春秋連覇を視野に入れるチームを牽引する福井だが、当初は自らの意思で慶大を志望していたわけではなかったという。大阪桐蔭時代の恩師・西谷浩一監督に勧められ、慶大の関係者と話したことが福井の考えを大きく変えた。
東京六大学野球や早慶戦について勉強していくうちに、同校の教えにある『独立自尊の精神』が「ひとつのことに捉われず、いろいろなことにチャレンジすることで、一度きりの人生がより面白くなる」という自身の考え方にマッチしていると気づいた。「慶應で野球をやってみたい」という思いは次第に強くなり、2度のAO入試の末に合格切符を掴んだ。
少し意外だが、錚々たるOBを輩出する大阪桐蔭としては初のルートである。
大学1年春からベンチ入りを果たした福井はそこから3年半で逞しく成長。堀井監督に「福井(章吾)の成長が、そのままチームの躍進に繋がった」と言われるほどの存在になった。
「もともとの性格からリーダーの役割を果たしていける生粋のリーダー。チームを引っ張る立場であることを負担に感じるどころか、『自分の力を発揮する場所だ』『自分のステージだ』とでもいうかのように、前向きな気持ちでやっている」(堀井監督)
監督が感じる課題を察し、自ら提案してくることも多いと堀井監督は感心する。そればかりか、選手に一番伝わりやすいベストタイミングを狙ってチームに浸透させていくという。
さらに大学3年春から正ポジションの座についたキャッチャーとしても、そのキャプテンシーをグラウンドの上で遺憾無く発揮する。ピンチの場面でも堂々としたボディランゲージとポジティブな声掛けでナインをまとめ、得点圏にランナーを背負いそうなシーンでは果敢に盗塁を刺す。緊迫した場面で打席に入る時には、応援のリズムに合わせた打撃動作を見せたこともあり、楽しむ余裕すら見せつける。どんな時も動じない強心臓は、大阪桐蔭時代からずっと変わらない。
「それこそ自分軸ではなくチーム軸という考え方です。前日にバッティングピッチャーをやってくれた同級生の顔や、徹夜してデータをとってくれたデータ班の顔、いつもサポートしてくれている監督やスタッフ、家族の顔を思い出したりすると、ちょっとやそっとのことでは引けないというか、そこで何かを体現したいという気持ちになります。それが前面的に出る気持ちの強さなのかなと思います」(福井)
また、「野球に対する勉強量が多く、相手の心理やベンチの心理を吸収する姿勢がものすごく高い」(堀井監督)と、捕手として投手の力を最大限に引き出す能力にも磨きがかかった。打者として重要な場面で結果を残せる勝負強さも、地道な積み重ねで培ってきた。
アナリストになった妹・みなみ
そんな福井にとって、今年は心強い“味方“が増えた。妹・みなみ(1年)が慶大に入学し、アナリストとして野球部に加わったのだ。
センバツの21世紀枠を目指していた北野高校の野球部でマネージャーを務めたみなみは、スポーツ推薦枠のない慶大が、全国の強者が揃う東京六大学リーグで戦う姿に共感し、サポートしたいという気持ちを強く抱いたという。
「マネージャーとしてもっと選手の役に立ちたかった、という感覚のまま終わらせずに、大学でもまた野球部に貢献できたらいいなと思いました。兄が近くにいたことで、アナリストという仕事も知れたので、もう一度やってみようかなと」
春の優勝は「兄がセンバツで優勝した時と同じく、夢のような気分でした」と特別な思いを抱いたが、それ以上に兄がまとめるチームの姿に魅せられている。
「慶大野球部には200人弱の部員がいますが、プレーはもちろん、人としてのレベルがすごく高いと感じました。何をするにも、いろいろな人から『ありがとう』という言葉が飛んできますし、誰に挨拶をしても笑顔で返してくれます。当たり前のようですごく大事なことをみなさんが徹底されている姿を見て『それは強いよね』と思いました」
まだアナリストとして慣れない作業も多いが、だからこそ、自分の時間を削ってでも「チームの勝利のために」と数字を追う日々を続けている。
「データは選手のためにあるので、私たちアナリストがデータを出すことで自己満足するのではなく、選手を優先に考えて行動したいと思います」
現在は基本的な投打成績に加え、打者の貢献度を測るQAB(クオリティー・アット・バット)や得点期待値、投手が3球で追い込んだ確率などのデータを扱う。最終学年になった時には、野球経験者が揃うデータ班が提出するような、より試合に直結する数値を扱える存在になりたいと抱負も教えてくれた。
兄妹で目指す“春秋連覇”
妹とともに戦うことになったとはいえ、福井にとって今シーズンが大学ラストイヤーとなる。つまり、みなみと同じ時間を共有できるのもこの秋まで。明治神宮野球大会を制して実現する“春秋連覇”への思いは一層、高まっている。
「妹と一緒に戦う野球はこの秋が最後なので、アイツに『おつかれさま』と言ってもらえるよう頑張りたいです。今年のチームのテーマである『一戦必勝』を念頭に、『1試合ずつ強くなるぞ』という気持ちで戦い、結果的に連覇に繋げられたらいいなと思います」
そんな兄の思いを妹はしっかりと受け止めている。
「兄は私の中で一番カッコイイ野球選手。1打席、1イニングでも長く兄の野球をしている姿を近くで見ていたいです。大学に入るまでは『頑張ってね』と言葉で伝えることしかできませんでしたが、今は同じチームにいるので役に立つことができるはずです」
実は、みなみには忘れられない思い出がある。
4年前の夏、家族とともに大阪桐蔭で春夏連覇を目指す兄を応援するため甲子園へ足を運んでいた。しかし、高校受験を控えていたみなみは、3回戦の仙台育英戦を前に塾へ行くために甲子園を離れた。勝利を信じて疑わなかったがゆえの行動だったが、結果はまさかのサヨナラ負け。
大阪桐蔭が敗れたことも悲しかったが、何より最後の試合を現地で応援できなかったことへの後悔が、みなみの心にはずっと残っている。
「笑って学生野球を終わってほしいと思いますし、日本一のお兄ちゃんをもう一度見たいです。そのためにも私はチームのために自分の役割を果たしたいです」
兄妹が力を合わせて“連覇”を目指す秋。その戦いは9月18日から始まる。
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めまいの原因|現代のめまい考
眩晕的原因 现代眩晕思考
めまいは、天井や自分自身がグルグル回るとか、体がフラフラ、フワフワするなどの状態を総称した病名です。日本国民の約7~10人にひとりは、なんらかの程度のめまいに悩んでいるとされており、現代病のひとつとして、注目されています。それでいて、一部の例外的とも言える脳や耳などの病気を除いて、その原因はいまだ不明です。 平衡機能を司る三半規管が耳にあること、耳鳴り、難聴などを合併すること、また突発性難聴後にめまいを来たす場合もあることなどから、耳鼻科が中心になって詳細な研究が行われてきました。その一方で、耳以外に脳や首が関与していることもあり、総合的な見地から「めまいは何処の病気か?」という原点に立って「めまいを見直す」ことが必要でしょう。 そのような見解にもとずき本書では、一般的な家庭医学書とは多少異なった観点からめまいや平衡機能障害について概説します。
1. めまい症状の構造
めまいの基本的な症状は眼振と呼ばれる眼球の異常運動や、体のバランス障害です。 しかし、それ以外の全身的な症状についての配慮も大切です。例えば、目の症状として、ものが二重に見える、光がまぶしい、目がチカチカする、目の奥が痛いなど、耳だけからは説明できない症状が多くあります。その他、うつ的な心理症状やまるで時差ボケのように昼間から眠いといった時間の認識障害もあります。そのように、めまい患者さんには、合併した症状の多いことから、めまいを多感覚器障害とする論旨が今日的でしょう。ところが、現実には、それらの症状を不定愁訴として軽視し、自律神経失調、更年期障害、さらには、ストレス、こころの病気、歳のせいなどと片付けられています。
2. メニエール伝説?
メニエール病の由来は、1861年フランスの内科医メニエールが、めまいを患っていた少女の遺体を解剖し、「内耳に出血があった」と発表したことです。当時、めまいは脳の病気と考えらており、耳との関連を指摘したメニエールの報告は画期的な内容でした。その後、温度が異なる水を耳に注ぎ込むと、めまいの基本症状のひとつである眼振が起きる事実も確認され、「めまいは耳から」とするメニエールの説が、近年までの医療界に定着したのです。 その基本理論は内耳にたまったリンパ液が「『突然』破裂する」あるいは「オーバーフローする」というものですが、その考え方は、内リンパ水腫を確認したとする数少ない解剖所見報告を中心にして普及してきました。ところが、不思議なことは、そんな水腫の存在や破裂現場が実際の患者さんで観察されたことは殆どないことです。さらに、仮に、内リンパ水腫が生じているとしても、そのような病態のそもそもの原因
が追究されるべきでしょう。 最近では、メニエール病にとって代わったようによく使われる病名として「良性発作性頭位めまい症」があります。これは三半規管の中に、耳石と呼ばれる石ころが生じ、頭や体の位置を変換することによりアチコチと転
がって、眼振を生じるとする考え方です。皮肉なことに、この耳石を実際の患者さんで観察した研究者は世界中にほとんどいません。面白い考え方ですが、まるでドラマのようです。頭の位置を換えることにより影響を受けるのは耳だけではありません。当り前のことですが、首も背筋も動くことが軽視されています。 「めまい=メニエール病」あるいは「めまいは耳の病気」と思って診療を受けることには注意してください。
3. 脳MR上の「白質病変」
もし、耳がめまいの大きな原因でなければ、それでは脳は一体どうなっているのでしょうか?筆者のところを受診するほぼ全てのめまい患者さんに脳MRを施行し、脳の状態を調べました。最近になって脳の検査として普及してきているのは、MRという磁力と生体各部位での反応の差を原理とした検査法です。以前からのCTがエックス線を用いているのと異なり、MRはCTより詳しい写真が得られます。そうしますと、意外なことに従来言われているような小脳、視床、大脳側頭葉などを含めためまいの原因となる脳病変が見られることは数パーセント以内ときわめて稀なものであることが判ってきました。耳の場合と同様に、従来の考え方では脳とめまいの原因とを関連づけて充分に説明できません。 ところが、MRを用いてめまい患者さんの脳を観察してみますと、そのような従来、重視されていた脳の病気ではなく、「白質病変」と言われる所見がMR上に高率に見られます。現在、筆者はMR上の大脳白質での変化がめまいの脳における病態の主要な鍵を握っていると考えています。
4.軽視されてきた頚性めまい
めまいに悩んでいる人々の80%以上には、首の凝りや痛みがあります。肩こりではなく首こりです。「めまいが起こる前に首が痛くなった」「首の付け根から後頭部が重く感じた」と訴える人が多く、こうした首の自覚症状が強いタイプは、「頚性めまい」と呼ぶべきだろうと私は考えています。ところが、こうした「頚性めまい」の考え方には、否定的な意見が多いのが現状です。しかし、米国には「めまいの改善には、首のこりの治療がきわめて有効だ」とする研究報告もあり、私どもも、頚部のマッサージ治療によって約3週間以内に約70%の患者さんに治療効果が見られています。 首あるいは頚部は脳と全身とを結んでいる重要な“連絡路”です。血管や神経が集中しているだけでなく、脳と脊髄や全身をつなぐ脊髄液を含む体液循環の“関所”に相当する部位です。(図5) さらに、頚部には星状神経節といわれる自律神経の重要な部分があります。めまい患者さんには脊髄液が通っているくも膜下腔が狭くなっていることがしばしば見られます。
このくも膜下腔狭少の病気への関連性の解釈は困難です。この部位から、平衡機能に関連した前庭神経への神経伝達障害が生じているとか、脊髄神経を圧迫しているとすることや、それ以外に首や背すじから脳へつながる脳脊髄液の流れを障害しているとも考えられます。そうすれば仮説的ではありますが、脳MR上の白質病変といわれる恐らく水分の多い状態と対応している可能性があります。脳、耳、目などの多感覚器障害としての原因が複雑なめまい治療に取り組む上で、脊髄液の流れを視野に入れて、「首の重要性」を見直すことは、めまいの原因解明上の大きな手がかりのひとつでしょう。
5. 水流不全症の概念
過去において、めまいの説明のなかで椎骨動脈血流不全症とする表現が多く用いられていますが、「水」を中心としたいわば「水流不全症」という概念こそ、今後のめまい学の新しい方向、あるいは難聴、耳鳴りの原因説明につながるものとも考えています。ちなみに東洋医学ではめまいのことを「水毒」とか「水滞」として把握されています。「首」を通過点とした水の流れに配慮する必要があるでしょう。
かつて、著書の中で、めまいを「脳内地震」として、脳内のエネルギーの暴発するようなメカニズムが突然のめまいの原因になっているとする唐突な考え方を紹介しましたが、最近では、脳だけではなく、耳、目、躯幹を含む全身的な部分での全身的あるいは局所的な「津波」のような現象がおきているかと想像することもあります。
めまいの原因|現代のめまい考
眩晕的原因 现代眩晕思考
めまいは、天井や自分自身がグルグル回るとか、体がフラフラ、フワフワするなどの状態を総称した病名です。日本国民の約7~10人にひとりは、なんらかの程度のめまいに悩んでいるとされており、現代病のひとつとして、注目されています。それでいて、一部の例外的とも言える脳や耳などの病気を除いて、その原因はいまだ不明です。 平衡機能を司る三半規管が耳にあること、耳鳴り、難聴などを合併すること、また突発性難聴後にめまいを来たす場合もあることなどから、耳鼻科が中心になって詳細な研究が行われてきました。その一方で、耳以外に脳や首が関与していることもあり、総合的な見地から「めまいは何処の病気か?」という原点に立って「めまいを見直す」ことが必要でしょう。 そのような見解にもとずき本書では、一般的な家庭医学書とは多少異なった観点からめまいや平衡機能障害について概説します。
1. めまい症状の構造
めまいの基本的な症状は眼振と呼ばれる眼球の異常運動や、体のバランス障害です。 しかし、それ以外の全身的な症状についての配慮も大切です。例えば、目の症状として、ものが二重に見える、光がまぶしい、目がチカチカする、目の奥が痛いなど、耳だけからは説明できない症状が多くあります。その他、うつ的な心理症状やまるで時差ボケのように昼間から眠いといった時間の認識障害もあります。そのように、めまい患者さんには、合併した症状の多いことから、めまいを多感覚器障害とする論旨が今日的でしょう。ところが、現実には、それらの症状を不定愁訴として軽視し、自律神経失調、更年期障害、さらには、ストレス、こころの病気、歳のせいなどと片付けられています。
2. メニエール伝説?
メニエール病の由来は、1861年フランスの内科医メニエールが、めまいを患っていた少女の遺体を解剖し、「内耳に出血があった」と発表したことです。当時、めまいは脳の病気と考えらており、耳との関連を指摘したメニエールの報告は画期的な内容でした。その後、温度が異なる水を耳に注ぎ込むと、めまいの基本症状のひとつである眼振が起きる事実も確認され、「めまいは耳から」とするメニエールの説が、近年までの医療界に定着したのです。 その基本理論は内耳にたまったリンパ液が「『突然』破裂する」あるいは「オーバーフローする」というものですが、その考え方は、内リンパ水腫を確認したとする数少ない解剖所見報告を中心にして普及してきました。ところが、不思議なことは、そんな水腫の存在や破裂現場が実際の患者さんで観察されたことは殆どないことです。さらに、仮に、内リンパ水腫が生じているとしても、そのような病態のそもそもの原因
が追究されるべきでしょう。 最近では、メニエール病にとって代わったようによく使われる病名として「良性発作性頭位めまい症」があります。これは三半規管の中に、耳石と呼ばれる石ころが生じ、頭や体の位置を変換することによりアチコチと転
がって、眼振を生じるとする考え方です。皮肉なことに、この耳石を実際の患者さんで観察した研究者は世界中にほとんどいません。面白い考え方ですが、まるでドラマのようです。頭の位置を換えることにより影響を受けるのは耳だけではありません。当り前のことですが、首も背筋も動くことが軽視されています。 「めまい=メニエール病」あるいは「めまいは耳の病気」と思って診療を受けることには注意してください。
3. 脳MR上の「白質病変」
もし、耳がめまいの大きな原因でなければ、それでは脳は一体どうなっているのでしょうか?筆者のところを受診するほぼ全てのめまい患者さんに脳MRを施行し、脳の状態を調べました。最近になって脳の検査として普及してきているのは、MRという磁力と生体各部位での反応の差を原理とした検査法です。以前からのCTがエックス線を用いているのと異なり、MRはCTより詳しい写真が得られます。そうしますと、意外なことに従来言われているような小脳、視床、大脳側頭葉などを含めためまいの原因となる脳病変が見られることは数パーセント以内ときわめて稀なものであることが判ってきました。耳の場合と同様に、従来の考え方では脳とめまいの原因とを関連づけて充分に説明できません。 ところが、MRを用いてめまい患者さんの脳を観察してみますと、そのような従来、重視されていた脳の病気ではなく、「白質病変」と言われる所見がMR上に高率に見られます。現在、筆者はMR上の大脳白質での変化がめまいの脳における病態の主要な鍵を握っていると考えています。
4.軽視されてきた頚性めまい
めまいに悩んでいる人々の80%以上には、首の凝りや痛みがあります。肩こりではなく首こりです。「めまいが起こる前に首が痛くなった」「首の付け根から後頭部が重く感じた」と訴える人が多く、こうした首の自覚症状が強いタイプは、「頚性めまい」と呼ぶべきだろうと私は考えています。ところが、こうした「頚性めまい」の考え方には、否定的な意見が多いのが現状です。しかし、米国には「めまいの改善には、首のこりの治療がきわめて有効だ」とする研究報告もあり、私どもも、頚部のマッサージ治療によって約3週間以内に約70%の患者さんに治療効果が見られています。 首あるいは頚部は脳と全身とを結んでいる重要な“連絡路”です。血管や神経が集中しているだけでなく、脳と脊髄や全身をつなぐ脊髄液を含む体液循環の“関所”に相当する部位です。(図5) さらに、頚部には星状神経節といわれる自律神経の重要な部分があります。めまい患者さんには脊髄液が通っているくも膜下腔が狭くなっていることがしばしば見られます。
このくも膜下腔狭少の病気への関連性の解釈は困難です。この部位から、平衡機能に関連した前庭神経への神経伝達障害が生じているとか、脊髄神経を圧迫しているとすることや、それ以外に首や背すじから脳へつながる脳脊髄液の流れを障害しているとも考えられます。そうすれば仮説的ではありますが、脳MR上の白質病変といわれる恐らく水分の多い状態と対応している可能性があります。脳、耳、目などの多感覚器障害としての原因が複雑なめまい治療に取り組む上で、脊髄液の流れを視野に入れて、「首の重要性」を見直すことは、めまいの原因解明上の大きな手がかりのひとつでしょう。
5. 水流不全症の概念
過去において、めまいの説明のなかで椎骨動脈血流不全症とする表現が多く用いられていますが、「水」を中心としたいわば「水流不全症」という概念こそ、今後のめまい学の新しい方向、あるいは難聴、耳鳴りの原因説明につながるものとも考えています。ちなみに東洋医学ではめまいのことを「水毒」とか「水滞」として把握されています。「首」を通過点とした水の流れに配慮する必要があるでしょう。
かつて、著書の中で、めまいを「脳内地震」として、脳内のエネルギーの暴発するようなメカニズムが突然のめまいの原因になっているとする唐突な考え方を紹介しましたが、最近では、脳だけではなく、耳、目、躯幹を含む全身的な部分での全身的あるいは局所的な「津波」のような現象がおきているかと想像することもあります。
#野村万斋[超话]# 【人間国宝】野村万作さん【現代の狂言師】野村萬斎さんによる夢の一夜!- 平清盛公生誕900年記念 嚴島神社奉納『宮島狂言』
西日本豪雨で被害を受けた広島の地で開催「平清盛公生誕900年記念 嚴島神社奉納『宮島狂言』」
地震、暴風雨と度重なる自然災害が続いています。人間は、自然の恩恵を受けるなら、その負の面である災害も、ある意味受け入れなくてはならない、ということなのでしょうか。
東日本大震災のあと、被災地では、流された衣装や太鼓を可能な限り探し出し、「しし踊り」等の民俗芸能が、早い時期に復興したそうです。東北の民俗芸能の多くが、鎮魂供養というテーマを抱えており、日本文化の中で、芸能や巡礼が、厳しい状況において、精神的に多くの人々の心を支えてきた歴史があります。自然とともに生きていく日本が、災害からどのように復興するのか、その役割として、心を支える芸能の力は大きいのかもしれません。
野村萬斎さんが、2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会の開閉会式の総合統括に就任された際、「鎮魂」と「再生」が芸能の重要な部分であり、その精神を復興五輪において生かすことを話されていました。
西日本豪雨で大きな被害を受けた広島の地で、また自然災害からの度重なる再生により蘇ってきた広島県廿日市市にある嚴島神社の能舞台で、野村万作さん、野村萬斎さんの「平清盛公生誕900年記念 嚴島神社奉納『宮島狂言』」(主催:SAP社)が行われることに、大きな意義を感じます。
接近する大型台風により、2日間の公演は、残念ながら2018年9月29日のみの公演となりましたが、雨が降りしきる中、多くの観客が海を渡り、嚴島神社を訪れました。
凄みの中に気品と美しさが見える野村万作さんの「川上」
雨の雫が見える能舞台に、野村万作さんが、ゆっくり杖を突きながら歩を進め登場されました。万作さんが、海外でもたびたび上演し好評を得るなど、力を入れられている「川上」の独特の世界に観客をいざないます。
吉野の里に住む盲目の男が、霊験あらたかな川上の地蔵に参籠(さんろう)した甲斐があって、目が開きます。しかし、引き替えに悪縁の妻を離別せよとのお告げを受けます。妻は腹を立てて地蔵をののしり、別れないと言い張ります。一般的な「笑いの芸術」としての狂言のイメージとは趣を異にした、夫婦の絆、緊迫に満ちた人間と運命の対峙を描いていきます。
87歳とは思えない力強い声、心の動きにより巧みに変化する顔の表情、写実的な情景を表現する所作に、凄みの中に気品と何とも言えない美しさがあります。
目が見えるようになって新たな人生に向かう気持ちと、別れずに連れ添っていきたいと懇願する妻への深い愛情。何を思い、何を感じるかは、観る人の状況や心理状態により、響く部分や解釈は違い、現代の世相にもつながる究極の選択です。緊迫する展開や揺れる心情の中にも、一貫して感じる包み込まれるような安心感はどこからくるのでしょうか。まさに解脱の境地に入ったような万作さんの揺るぐことのない表現に全てを委ね、自分自身の心の動きが映し出されます。
物語にくぎ付けになって五感が刺激される!?野村萬斎さんの「彦市ばなし」
「川上」の余韻が冷めぬ舞台に、六世野村万蔵さん、二世野村万作さん、二人の人間国宝を祖父、父にもち、生まれながらにして継承する役目を担った野村萬斎さんが、釣り竿を持って登場します。
背負った大きな宿命から逃げずに生きてきた覚悟は、その歩き方、真っすぐに伸びた背筋、そして舞台の空気を変える圧倒的な存在感にあらわれます。
狂言師としての活躍はもちろん、現代劇や映画、ドラマの話題作に次々と出演し、圧倒する声と所作で見る者を惹き付ける萬斎さんですが、特にシェイクスピア作品の取り組みは日本のみならず海外にも影響を与え、また海外に活躍の場を広げている多くの日本人にも力を与えているのではないでしょうか。私自身、ビジネスの現場で、東と西の文化や方法論の違いに戸惑いを感じていた時、どのビジネス書よりも、決してぶれない中心軸を置く、萬斎さんの作品や言葉に触れることにより、日本人の感性やアイデンティテイに対する誇りを再起しました。狂言そのものを海外で展開するだけではなく、世界共通言語ともいえるシェイクスピア作品を、狂言の手法や技術で表現することにより、“古典を現代に生かす”という独自のスタンスで解釈し、より狂言そのものの強さを発信しています。私たちは、現代劇や映画、またシェイクスピア作品に感動し、萬斎さんの軸足にある狂言に大きな興味を持ち、その魅力に取りつかれていきます。
今回の嚴島神社を舞台にした演目は、熊本県の昔話をもとに木下順二原作の民話劇「彦市ばなし」です。天狗の子から隠れ蓑をだまし取ったウソつきの名人、彦市。父親の大天狗からの仕返しを恐れて、今度はお城の殿様から天狗の面をせしめ、さらに河童を釣ってみせるからと大天狗の好きな鯨の肉を手に入れました。これで万事順調に進むはずが・・・。
雨音の中においても、萬斎さんの声は力強く響き、何とも憎むことができないウソつき名人の彦市の動きにくぎ付けになり、子天狗、殿様と展開するやり取りに、五感が刺激されます。もともと持っている三人の背景は違うはずなのに、狂言の喜劇の視点から演じられると、全く平等に映り、3人がアーティスティックスイミングのように揃って泳ぎ去っていく様には、心温かくなるものがありました。
素手の芸とも呼ばれる狂言。場面設定や人物像を、演者の声色やボディランゲージから想像します。見る側も、受動ではなく、どれだけ能動的になるかにより、楽しみ方も違ってくるでしょう。萬斎さんは、2020年東京五輪という舞台の上で、益々世界の人々をつなぐ大きな役割を担います。古典と現代をつなぎ、人と自然をつなぎ、“笑顔”を創り出すプロフェッショナル、狂言師 野村萬斎さんの手によって、「和の伝統芸術」が、時代や国を越えることが、また証明されるでしょう。
西日本豪雨で被害を受けた広島の地で開催「平清盛公生誕900年記念 嚴島神社奉納『宮島狂言』」
地震、暴風雨と度重なる自然災害が続いています。人間は、自然の恩恵を受けるなら、その負の面である災害も、ある意味受け入れなくてはならない、ということなのでしょうか。
東日本大震災のあと、被災地では、流された衣装や太鼓を可能な限り探し出し、「しし踊り」等の民俗芸能が、早い時期に復興したそうです。東北の民俗芸能の多くが、鎮魂供養というテーマを抱えており、日本文化の中で、芸能や巡礼が、厳しい状況において、精神的に多くの人々の心を支えてきた歴史があります。自然とともに生きていく日本が、災害からどのように復興するのか、その役割として、心を支える芸能の力は大きいのかもしれません。
野村萬斎さんが、2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会の開閉会式の総合統括に就任された際、「鎮魂」と「再生」が芸能の重要な部分であり、その精神を復興五輪において生かすことを話されていました。
西日本豪雨で大きな被害を受けた広島の地で、また自然災害からの度重なる再生により蘇ってきた広島県廿日市市にある嚴島神社の能舞台で、野村万作さん、野村萬斎さんの「平清盛公生誕900年記念 嚴島神社奉納『宮島狂言』」(主催:SAP社)が行われることに、大きな意義を感じます。
接近する大型台風により、2日間の公演は、残念ながら2018年9月29日のみの公演となりましたが、雨が降りしきる中、多くの観客が海を渡り、嚴島神社を訪れました。
凄みの中に気品と美しさが見える野村万作さんの「川上」
雨の雫が見える能舞台に、野村万作さんが、ゆっくり杖を突きながら歩を進め登場されました。万作さんが、海外でもたびたび上演し好評を得るなど、力を入れられている「川上」の独特の世界に観客をいざないます。
吉野の里に住む盲目の男が、霊験あらたかな川上の地蔵に参籠(さんろう)した甲斐があって、目が開きます。しかし、引き替えに悪縁の妻を離別せよとのお告げを受けます。妻は腹を立てて地蔵をののしり、別れないと言い張ります。一般的な「笑いの芸術」としての狂言のイメージとは趣を異にした、夫婦の絆、緊迫に満ちた人間と運命の対峙を描いていきます。
87歳とは思えない力強い声、心の動きにより巧みに変化する顔の表情、写実的な情景を表現する所作に、凄みの中に気品と何とも言えない美しさがあります。
目が見えるようになって新たな人生に向かう気持ちと、別れずに連れ添っていきたいと懇願する妻への深い愛情。何を思い、何を感じるかは、観る人の状況や心理状態により、響く部分や解釈は違い、現代の世相にもつながる究極の選択です。緊迫する展開や揺れる心情の中にも、一貫して感じる包み込まれるような安心感はどこからくるのでしょうか。まさに解脱の境地に入ったような万作さんの揺るぐことのない表現に全てを委ね、自分自身の心の動きが映し出されます。
物語にくぎ付けになって五感が刺激される!?野村萬斎さんの「彦市ばなし」
「川上」の余韻が冷めぬ舞台に、六世野村万蔵さん、二世野村万作さん、二人の人間国宝を祖父、父にもち、生まれながらにして継承する役目を担った野村萬斎さんが、釣り竿を持って登場します。
背負った大きな宿命から逃げずに生きてきた覚悟は、その歩き方、真っすぐに伸びた背筋、そして舞台の空気を変える圧倒的な存在感にあらわれます。
狂言師としての活躍はもちろん、現代劇や映画、ドラマの話題作に次々と出演し、圧倒する声と所作で見る者を惹き付ける萬斎さんですが、特にシェイクスピア作品の取り組みは日本のみならず海外にも影響を与え、また海外に活躍の場を広げている多くの日本人にも力を与えているのではないでしょうか。私自身、ビジネスの現場で、東と西の文化や方法論の違いに戸惑いを感じていた時、どのビジネス書よりも、決してぶれない中心軸を置く、萬斎さんの作品や言葉に触れることにより、日本人の感性やアイデンティテイに対する誇りを再起しました。狂言そのものを海外で展開するだけではなく、世界共通言語ともいえるシェイクスピア作品を、狂言の手法や技術で表現することにより、“古典を現代に生かす”という独自のスタンスで解釈し、より狂言そのものの強さを発信しています。私たちは、現代劇や映画、またシェイクスピア作品に感動し、萬斎さんの軸足にある狂言に大きな興味を持ち、その魅力に取りつかれていきます。
今回の嚴島神社を舞台にした演目は、熊本県の昔話をもとに木下順二原作の民話劇「彦市ばなし」です。天狗の子から隠れ蓑をだまし取ったウソつきの名人、彦市。父親の大天狗からの仕返しを恐れて、今度はお城の殿様から天狗の面をせしめ、さらに河童を釣ってみせるからと大天狗の好きな鯨の肉を手に入れました。これで万事順調に進むはずが・・・。
雨音の中においても、萬斎さんの声は力強く響き、何とも憎むことができないウソつき名人の彦市の動きにくぎ付けになり、子天狗、殿様と展開するやり取りに、五感が刺激されます。もともと持っている三人の背景は違うはずなのに、狂言の喜劇の視点から演じられると、全く平等に映り、3人がアーティスティックスイミングのように揃って泳ぎ去っていく様には、心温かくなるものがありました。
素手の芸とも呼ばれる狂言。場面設定や人物像を、演者の声色やボディランゲージから想像します。見る側も、受動ではなく、どれだけ能動的になるかにより、楽しみ方も違ってくるでしょう。萬斎さんは、2020年東京五輪という舞台の上で、益々世界の人々をつなぐ大きな役割を担います。古典と現代をつなぎ、人と自然をつなぎ、“笑顔”を創り出すプロフェッショナル、狂言師 野村萬斎さんの手によって、「和の伝統芸術」が、時代や国を越えることが、また証明されるでしょう。
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