你小玉哥依然是传说タレントYUKINARIさんが振り返る 2008年「DA PUMP」脱退後の紆余曲折【役者・芸人 貧乏物語】
YUKINARIさん(タレント/43歳)
沖縄出身の4人組ユニット「DA PUMP」の元メンバーのYUKINARIさん。DA PUMPは97年にデビュー、一世を風靡し、今も活躍中。YUKINARIさんは08年に脱退後は沖縄で事業を展開し、18年にはRIZAPのCMで18キロの減量に成功して引き締まった筋肉美とシャープなダンスを披露した。事業展開とともに東京の芸能プロに所属し、活動を再開したが、その間の紆余曲折について聞いた。
◇ ◇ ◇
「DA PUMPでデビューした時は沖縄からいきなり大都会に出てきたので、電車の乗り方ひとつわかりませんでした。最初はビルしかない東京に圧倒されて、売れるというイメージがまったくなかったですね。それがフタを開けたらすごい人気になり、毎日が忙しすぎて、何が何だかよくわからないほどでした」
多忙な毎日を過ごし、時はあっという間に過ぎていった。変化は08年。音楽性の違いなどを理由にユニットを脱退した。
「10年近くやって『疲れた』というのが正直な気持ちでした。燃え尽きてしまった」
そして沖縄へ帰ってゆっくり過ごすことに。
「沖縄へ帰った後は、道端で音楽やってる子たちを見て『一緒に曲作ろうぜ!』って声かけました(笑い)。結局、10曲くらい無償で若い子たちに曲を提供しました。CDを作って500円で売れたらいいし、楽しいじゃないですか」
マイペースで曲作りをしながら沖縄で3年ほど過ごした後、DA PUMPを辞めたメンバーと一緒にユニットを組んで活動を再開。
「インディーズでCDを出しました。それをCMで使ってもらったり、全国ツアーも。2、3年はやりました。昔の感覚を思い出して、人の前に立つのは面白いなって……」
■国際通りのクラブにはISSAも来てくれた
その後、事業に興味を持つようになり……。
「ダンスが好きだったので国際通りの100人は入るようなお店でCLOUD NINE OKINAWAというクラブを始めました。ISSAや元メンバー、光浦靖子さんやエハラマサヒロさん……大勢来てくださいました。でも、大箱で従業員を雇ってやっていくのは大変です。特に資金繰りが。それに、お客さまを動員するため毎週イベントを企画しなくてはいけなかった。それに追われて『来週はどうしよう、何しよう』って毎日悩んでましたね。それにお酒を飲んで楽しむ場所ですから、仕事とはいえ、毎晩飲むわけで……」
それでも15年から4年間経営を続け、新たな展開も模索した。
「同じ場所でインバウンド向けのお店をやろうと考えたんです。『お祭り』をテーマにして子供も楽しめるような。『風船すくい』とかの屋台を作るなど計画していたんですよ。ところが、店内の工事をスタートした途端にコロナが始まって。去年2月のことです。沖縄は瞬く間に観光客がほぼゼロになった。国際通りも真っ暗でだれもいなくなりました」
工事は完了したもののコロナの蔓延でオープンは延期になった。
「その後、7月にオープンすることができましたが、3日後にまた緊急事態宣言で営業できず、インバウンドの企画も当然無理。せめて県内からお客さんを呼ぼうとしたけど、それも難しくて。このまま続けていくとスタッフのメンタルが危うくなってしまうと思い、限界を感じて結局、閉めることを決断しました」
■新潟ラーメン「なおじ」沖縄1号店オープン
その後もコロナ収束のめどが立たない状況が続いたわけで……。
「何かやらなくてはと考えて、縁もあって今年1月にラーメン屋をやろうと決心したんです。お世話になったのは新潟に本店があるチェーン、新潟ラーメン『ラーメンなおじ』です。フランチャイズで東京にも9店舗あります。僕が新潟まで出かけてラーメンの作り方から衛生管理、接客までノウハウを全部教えてもらいました」
今年5月、豊見城市に沖縄1号店をオープンすることができた。
「沖縄には伝統料理の沖縄そばがありますが、ラーメンファンも多くて、いろんなラーメン店が沖縄にできているんです。沖縄にラーメンブームを仕掛けたいですね。僕の知名度だけでは集客できるほど甘くないので、これから地道にやっていきます」
2号店、3号店と多店舗展開も考えている。ラーメン店経営とタレントの二足のワラジの人生がスタートした。
(聞き手=浦上優)
#dapump[超话]##da pump##yukinari##玉城幸也#
YUKINARIさん(タレント/43歳)
沖縄出身の4人組ユニット「DA PUMP」の元メンバーのYUKINARIさん。DA PUMPは97年にデビュー、一世を風靡し、今も活躍中。YUKINARIさんは08年に脱退後は沖縄で事業を展開し、18年にはRIZAPのCMで18キロの減量に成功して引き締まった筋肉美とシャープなダンスを披露した。事業展開とともに東京の芸能プロに所属し、活動を再開したが、その間の紆余曲折について聞いた。
◇ ◇ ◇
「DA PUMPでデビューした時は沖縄からいきなり大都会に出てきたので、電車の乗り方ひとつわかりませんでした。最初はビルしかない東京に圧倒されて、売れるというイメージがまったくなかったですね。それがフタを開けたらすごい人気になり、毎日が忙しすぎて、何が何だかよくわからないほどでした」
多忙な毎日を過ごし、時はあっという間に過ぎていった。変化は08年。音楽性の違いなどを理由にユニットを脱退した。
「10年近くやって『疲れた』というのが正直な気持ちでした。燃え尽きてしまった」
そして沖縄へ帰ってゆっくり過ごすことに。
「沖縄へ帰った後は、道端で音楽やってる子たちを見て『一緒に曲作ろうぜ!』って声かけました(笑い)。結局、10曲くらい無償で若い子たちに曲を提供しました。CDを作って500円で売れたらいいし、楽しいじゃないですか」
マイペースで曲作りをしながら沖縄で3年ほど過ごした後、DA PUMPを辞めたメンバーと一緒にユニットを組んで活動を再開。
「インディーズでCDを出しました。それをCMで使ってもらったり、全国ツアーも。2、3年はやりました。昔の感覚を思い出して、人の前に立つのは面白いなって……」
■国際通りのクラブにはISSAも来てくれた
その後、事業に興味を持つようになり……。
「ダンスが好きだったので国際通りの100人は入るようなお店でCLOUD NINE OKINAWAというクラブを始めました。ISSAや元メンバー、光浦靖子さんやエハラマサヒロさん……大勢来てくださいました。でも、大箱で従業員を雇ってやっていくのは大変です。特に資金繰りが。それに、お客さまを動員するため毎週イベントを企画しなくてはいけなかった。それに追われて『来週はどうしよう、何しよう』って毎日悩んでましたね。それにお酒を飲んで楽しむ場所ですから、仕事とはいえ、毎晩飲むわけで……」
それでも15年から4年間経営を続け、新たな展開も模索した。
「同じ場所でインバウンド向けのお店をやろうと考えたんです。『お祭り』をテーマにして子供も楽しめるような。『風船すくい』とかの屋台を作るなど計画していたんですよ。ところが、店内の工事をスタートした途端にコロナが始まって。去年2月のことです。沖縄は瞬く間に観光客がほぼゼロになった。国際通りも真っ暗でだれもいなくなりました」
工事は完了したもののコロナの蔓延でオープンは延期になった。
「その後、7月にオープンすることができましたが、3日後にまた緊急事態宣言で営業できず、インバウンドの企画も当然無理。せめて県内からお客さんを呼ぼうとしたけど、それも難しくて。このまま続けていくとスタッフのメンタルが危うくなってしまうと思い、限界を感じて結局、閉めることを決断しました」
■新潟ラーメン「なおじ」沖縄1号店オープン
その後もコロナ収束のめどが立たない状況が続いたわけで……。
「何かやらなくてはと考えて、縁もあって今年1月にラーメン屋をやろうと決心したんです。お世話になったのは新潟に本店があるチェーン、新潟ラーメン『ラーメンなおじ』です。フランチャイズで東京にも9店舗あります。僕が新潟まで出かけてラーメンの作り方から衛生管理、接客までノウハウを全部教えてもらいました」
今年5月、豊見城市に沖縄1号店をオープンすることができた。
「沖縄には伝統料理の沖縄そばがありますが、ラーメンファンも多くて、いろんなラーメン店が沖縄にできているんです。沖縄にラーメンブームを仕掛けたいですね。僕の知名度だけでは集客できるほど甘くないので、これから地道にやっていきます」
2号店、3号店と多店舗展開も考えている。ラーメン店経営とタレントの二足のワラジの人生がスタートした。
(聞き手=浦上優)
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#平手友梨奈[超话]# via NHK官网 211201
电视剧『風の向こうへ駆け抜けろ』(向着风的那边奔跑吧)剧集&角色介绍
骑手芦原瑞穗的一片热情点燃了放弃人生的人们的心,濒临废弃的马厩向樱花赏发起挑战!
芦原瑞穂(平手友梨奈饰)
女性骑手。从懂事起就开始接触马,虽然在骑师学校名列前茅,但在中央赛马出道后就停滞不前。来到了乡下的铃田赛马场。她一直努力地想要向那些嘲笑自己过世的父亲的人证明自己,但是通过与光司他们的相遇,知道有一起战斗的同伴的存在,从过去中解放了出来,为同伴而参赛。
电视剧『風の向こうへ駆け抜けろ』(向着风的那边奔跑吧)剧集&角色介绍
骑手芦原瑞穗的一片热情点燃了放弃人生的人们的心,濒临废弃的马厩向樱花赏发起挑战!
芦原瑞穂(平手友梨奈饰)
女性骑手。从懂事起就开始接触马,虽然在骑师学校名列前茅,但在中央赛马出道后就停滞不前。来到了乡下的铃田赛马场。她一直努力地想要向那些嘲笑自己过世的父亲的人证明自己,但是通过与光司他们的相遇,知道有一起战斗的同伴的存在,从过去中解放了出来,为同伴而参赛。
「日本一のお兄ちゃんをもう一度見たい」大阪桐蔭→慶應大キャプテン福井章吾が妹と目指す“春秋連覇”《4年前の後悔とは?》
2017年のセンバツを制した大阪桐蔭高校。そして今春、全日本大学野球選手権を制した慶應義塾大学。4年という月日が経っても、歓喜の輪の中心には主将・福井章吾がいた。
「彼が率いるチームはいつもひとつにまとまっていて強い」
甲子園で抱いた思いが、神宮での歓喜を見てよみがえってきた。
◇◇◇
「主将となったこの春の優勝は、部員165人分の達成感を感じましたし、これまで支えてくれた家族や指導者の方々に恩返しができました」
今季の慶大が掲げたスローガンは『繋勝~Giving Back~』。そのチーム理念の通り、監督・選手・スタッフが互いに信頼し合えたことが勝因だと、福井は何度も強調する。
堀井哲也監督が常日頃から部員たちに伝える「チームの勝利に対してどんな働きをしたかが大事。たとえ4打数ノーヒットでもチームの勝利に貢献できればいい」という教えが、福井はもちろん、陰でチームを支えるアナリストらにも浸透。天皇杯を争う東京六大学リーグや、大学日本一を決める全日本大学野球選手権でも誰一人としてフォア・ザ・チームの精神を忘れることはなかった。
大阪桐蔭→慶大野球部は史上初
いまや、春秋連覇を視野に入れるチームを牽引する福井だが、当初は自らの意思で慶大を志望していたわけではなかったという。大阪桐蔭時代の恩師・西谷浩一監督に勧められ、慶大の関係者と話したことが福井の考えを大きく変えた。
東京六大学野球や早慶戦について勉強していくうちに、同校の教えにある『独立自尊の精神』が「ひとつのことに捉われず、いろいろなことにチャレンジすることで、一度きりの人生がより面白くなる」という自身の考え方にマッチしていると気づいた。「慶應で野球をやってみたい」という思いは次第に強くなり、2度のAO入試の末に合格切符を掴んだ。
少し意外だが、錚々たるOBを輩出する大阪桐蔭としては初のルートである。
大学1年春からベンチ入りを果たした福井はそこから3年半で逞しく成長。堀井監督に「福井(章吾)の成長が、そのままチームの躍進に繋がった」と言われるほどの存在になった。
「もともとの性格からリーダーの役割を果たしていける生粋のリーダー。チームを引っ張る立場であることを負担に感じるどころか、『自分の力を発揮する場所だ』『自分のステージだ』とでもいうかのように、前向きな気持ちでやっている」(堀井監督)
監督が感じる課題を察し、自ら提案してくることも多いと堀井監督は感心する。そればかりか、選手に一番伝わりやすいベストタイミングを狙ってチームに浸透させていくという。
さらに大学3年春から正ポジションの座についたキャッチャーとしても、そのキャプテンシーをグラウンドの上で遺憾無く発揮する。ピンチの場面でも堂々としたボディランゲージとポジティブな声掛けでナインをまとめ、得点圏にランナーを背負いそうなシーンでは果敢に盗塁を刺す。緊迫した場面で打席に入る時には、応援のリズムに合わせた打撃動作を見せたこともあり、楽しむ余裕すら見せつける。どんな時も動じない強心臓は、大阪桐蔭時代からずっと変わらない。
「それこそ自分軸ではなくチーム軸という考え方です。前日にバッティングピッチャーをやってくれた同級生の顔や、徹夜してデータをとってくれたデータ班の顔、いつもサポートしてくれている監督やスタッフ、家族の顔を思い出したりすると、ちょっとやそっとのことでは引けないというか、そこで何かを体現したいという気持ちになります。それが前面的に出る気持ちの強さなのかなと思います」(福井)
また、「野球に対する勉強量が多く、相手の心理やベンチの心理を吸収する姿勢がものすごく高い」(堀井監督)と、捕手として投手の力を最大限に引き出す能力にも磨きがかかった。打者として重要な場面で結果を残せる勝負強さも、地道な積み重ねで培ってきた。
アナリストになった妹・みなみ
そんな福井にとって、今年は心強い“味方“が増えた。妹・みなみ(1年)が慶大に入学し、アナリストとして野球部に加わったのだ。
センバツの21世紀枠を目指していた北野高校の野球部でマネージャーを務めたみなみは、スポーツ推薦枠のない慶大が、全国の強者が揃う東京六大学リーグで戦う姿に共感し、サポートしたいという気持ちを強く抱いたという。
「マネージャーとしてもっと選手の役に立ちたかった、という感覚のまま終わらせずに、大学でもまた野球部に貢献できたらいいなと思いました。兄が近くにいたことで、アナリストという仕事も知れたので、もう一度やってみようかなと」
春の優勝は「兄がセンバツで優勝した時と同じく、夢のような気分でした」と特別な思いを抱いたが、それ以上に兄がまとめるチームの姿に魅せられている。
「慶大野球部には200人弱の部員がいますが、プレーはもちろん、人としてのレベルがすごく高いと感じました。何をするにも、いろいろな人から『ありがとう』という言葉が飛んできますし、誰に挨拶をしても笑顔で返してくれます。当たり前のようですごく大事なことをみなさんが徹底されている姿を見て『それは強いよね』と思いました」
まだアナリストとして慣れない作業も多いが、だからこそ、自分の時間を削ってでも「チームの勝利のために」と数字を追う日々を続けている。
「データは選手のためにあるので、私たちアナリストがデータを出すことで自己満足するのではなく、選手を優先に考えて行動したいと思います」
現在は基本的な投打成績に加え、打者の貢献度を測るQAB(クオリティー・アット・バット)や得点期待値、投手が3球で追い込んだ確率などのデータを扱う。最終学年になった時には、野球経験者が揃うデータ班が提出するような、より試合に直結する数値を扱える存在になりたいと抱負も教えてくれた。
兄妹で目指す“春秋連覇”
妹とともに戦うことになったとはいえ、福井にとって今シーズンが大学ラストイヤーとなる。つまり、みなみと同じ時間を共有できるのもこの秋まで。明治神宮野球大会を制して実現する“春秋連覇”への思いは一層、高まっている。
「妹と一緒に戦う野球はこの秋が最後なので、アイツに『おつかれさま』と言ってもらえるよう頑張りたいです。今年のチームのテーマである『一戦必勝』を念頭に、『1試合ずつ強くなるぞ』という気持ちで戦い、結果的に連覇に繋げられたらいいなと思います」
そんな兄の思いを妹はしっかりと受け止めている。
「兄は私の中で一番カッコイイ野球選手。1打席、1イニングでも長く兄の野球をしている姿を近くで見ていたいです。大学に入るまでは『頑張ってね』と言葉で伝えることしかできませんでしたが、今は同じチームにいるので役に立つことができるはずです」
実は、みなみには忘れられない思い出がある。
4年前の夏、家族とともに大阪桐蔭で春夏連覇を目指す兄を応援するため甲子園へ足を運んでいた。しかし、高校受験を控えていたみなみは、3回戦の仙台育英戦を前に塾へ行くために甲子園を離れた。勝利を信じて疑わなかったがゆえの行動だったが、結果はまさかのサヨナラ負け。
大阪桐蔭が敗れたことも悲しかったが、何より最後の試合を現地で応援できなかったことへの後悔が、みなみの心にはずっと残っている。
「笑って学生野球を終わってほしいと思いますし、日本一のお兄ちゃんをもう一度見たいです。そのためにも私はチームのために自分の役割を果たしたいです」
兄妹が力を合わせて“連覇”を目指す秋。その戦いは9月18日から始まる。
2017年のセンバツを制した大阪桐蔭高校。そして今春、全日本大学野球選手権を制した慶應義塾大学。4年という月日が経っても、歓喜の輪の中心には主将・福井章吾がいた。
「彼が率いるチームはいつもひとつにまとまっていて強い」
甲子園で抱いた思いが、神宮での歓喜を見てよみがえってきた。
◇◇◇
「主将となったこの春の優勝は、部員165人分の達成感を感じましたし、これまで支えてくれた家族や指導者の方々に恩返しができました」
今季の慶大が掲げたスローガンは『繋勝~Giving Back~』。そのチーム理念の通り、監督・選手・スタッフが互いに信頼し合えたことが勝因だと、福井は何度も強調する。
堀井哲也監督が常日頃から部員たちに伝える「チームの勝利に対してどんな働きをしたかが大事。たとえ4打数ノーヒットでもチームの勝利に貢献できればいい」という教えが、福井はもちろん、陰でチームを支えるアナリストらにも浸透。天皇杯を争う東京六大学リーグや、大学日本一を決める全日本大学野球選手権でも誰一人としてフォア・ザ・チームの精神を忘れることはなかった。
大阪桐蔭→慶大野球部は史上初
いまや、春秋連覇を視野に入れるチームを牽引する福井だが、当初は自らの意思で慶大を志望していたわけではなかったという。大阪桐蔭時代の恩師・西谷浩一監督に勧められ、慶大の関係者と話したことが福井の考えを大きく変えた。
東京六大学野球や早慶戦について勉強していくうちに、同校の教えにある『独立自尊の精神』が「ひとつのことに捉われず、いろいろなことにチャレンジすることで、一度きりの人生がより面白くなる」という自身の考え方にマッチしていると気づいた。「慶應で野球をやってみたい」という思いは次第に強くなり、2度のAO入試の末に合格切符を掴んだ。
少し意外だが、錚々たるOBを輩出する大阪桐蔭としては初のルートである。
大学1年春からベンチ入りを果たした福井はそこから3年半で逞しく成長。堀井監督に「福井(章吾)の成長が、そのままチームの躍進に繋がった」と言われるほどの存在になった。
「もともとの性格からリーダーの役割を果たしていける生粋のリーダー。チームを引っ張る立場であることを負担に感じるどころか、『自分の力を発揮する場所だ』『自分のステージだ』とでもいうかのように、前向きな気持ちでやっている」(堀井監督)
監督が感じる課題を察し、自ら提案してくることも多いと堀井監督は感心する。そればかりか、選手に一番伝わりやすいベストタイミングを狙ってチームに浸透させていくという。
さらに大学3年春から正ポジションの座についたキャッチャーとしても、そのキャプテンシーをグラウンドの上で遺憾無く発揮する。ピンチの場面でも堂々としたボディランゲージとポジティブな声掛けでナインをまとめ、得点圏にランナーを背負いそうなシーンでは果敢に盗塁を刺す。緊迫した場面で打席に入る時には、応援のリズムに合わせた打撃動作を見せたこともあり、楽しむ余裕すら見せつける。どんな時も動じない強心臓は、大阪桐蔭時代からずっと変わらない。
「それこそ自分軸ではなくチーム軸という考え方です。前日にバッティングピッチャーをやってくれた同級生の顔や、徹夜してデータをとってくれたデータ班の顔、いつもサポートしてくれている監督やスタッフ、家族の顔を思い出したりすると、ちょっとやそっとのことでは引けないというか、そこで何かを体現したいという気持ちになります。それが前面的に出る気持ちの強さなのかなと思います」(福井)
また、「野球に対する勉強量が多く、相手の心理やベンチの心理を吸収する姿勢がものすごく高い」(堀井監督)と、捕手として投手の力を最大限に引き出す能力にも磨きがかかった。打者として重要な場面で結果を残せる勝負強さも、地道な積み重ねで培ってきた。
アナリストになった妹・みなみ
そんな福井にとって、今年は心強い“味方“が増えた。妹・みなみ(1年)が慶大に入学し、アナリストとして野球部に加わったのだ。
センバツの21世紀枠を目指していた北野高校の野球部でマネージャーを務めたみなみは、スポーツ推薦枠のない慶大が、全国の強者が揃う東京六大学リーグで戦う姿に共感し、サポートしたいという気持ちを強く抱いたという。
「マネージャーとしてもっと選手の役に立ちたかった、という感覚のまま終わらせずに、大学でもまた野球部に貢献できたらいいなと思いました。兄が近くにいたことで、アナリストという仕事も知れたので、もう一度やってみようかなと」
春の優勝は「兄がセンバツで優勝した時と同じく、夢のような気分でした」と特別な思いを抱いたが、それ以上に兄がまとめるチームの姿に魅せられている。
「慶大野球部には200人弱の部員がいますが、プレーはもちろん、人としてのレベルがすごく高いと感じました。何をするにも、いろいろな人から『ありがとう』という言葉が飛んできますし、誰に挨拶をしても笑顔で返してくれます。当たり前のようですごく大事なことをみなさんが徹底されている姿を見て『それは強いよね』と思いました」
まだアナリストとして慣れない作業も多いが、だからこそ、自分の時間を削ってでも「チームの勝利のために」と数字を追う日々を続けている。
「データは選手のためにあるので、私たちアナリストがデータを出すことで自己満足するのではなく、選手を優先に考えて行動したいと思います」
現在は基本的な投打成績に加え、打者の貢献度を測るQAB(クオリティー・アット・バット)や得点期待値、投手が3球で追い込んだ確率などのデータを扱う。最終学年になった時には、野球経験者が揃うデータ班が提出するような、より試合に直結する数値を扱える存在になりたいと抱負も教えてくれた。
兄妹で目指す“春秋連覇”
妹とともに戦うことになったとはいえ、福井にとって今シーズンが大学ラストイヤーとなる。つまり、みなみと同じ時間を共有できるのもこの秋まで。明治神宮野球大会を制して実現する“春秋連覇”への思いは一層、高まっている。
「妹と一緒に戦う野球はこの秋が最後なので、アイツに『おつかれさま』と言ってもらえるよう頑張りたいです。今年のチームのテーマである『一戦必勝』を念頭に、『1試合ずつ強くなるぞ』という気持ちで戦い、結果的に連覇に繋げられたらいいなと思います」
そんな兄の思いを妹はしっかりと受け止めている。
「兄は私の中で一番カッコイイ野球選手。1打席、1イニングでも長く兄の野球をしている姿を近くで見ていたいです。大学に入るまでは『頑張ってね』と言葉で伝えることしかできませんでしたが、今は同じチームにいるので役に立つことができるはずです」
実は、みなみには忘れられない思い出がある。
4年前の夏、家族とともに大阪桐蔭で春夏連覇を目指す兄を応援するため甲子園へ足を運んでいた。しかし、高校受験を控えていたみなみは、3回戦の仙台育英戦を前に塾へ行くために甲子園を離れた。勝利を信じて疑わなかったがゆえの行動だったが、結果はまさかのサヨナラ負け。
大阪桐蔭が敗れたことも悲しかったが、何より最後の試合を現地で応援できなかったことへの後悔が、みなみの心にはずっと残っている。
「笑って学生野球を終わってほしいと思いますし、日本一のお兄ちゃんをもう一度見たいです。そのためにも私はチームのために自分の役割を果たしたいです」
兄妹が力を合わせて“連覇”を目指す秋。その戦いは9月18日から始まる。
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