【radio repo】
2021年10月10日
Flow 第百六十六回目「拓哉キャプテン × 堂本剛」Part2
click:https://t.cn/A6Movj4S
今月10月のマンスリーゲストは、堂本剛さんをお迎えしました!
ここでしか聞けないトーク、お楽しみに!
堂本:(事務所から)急に「明日デビュー」って言われたりとか、全部急だったんですよ、僕ら。事務所に呼ばれて“何かなぁ?”って思って行ったら、「明日デビューだから」って言われたんですよ。「あ、明日ですか?」みたいな。「明日会見するからね」って言われた。
木村:(CDデビューする)その前に、金田一少年(ドラマ『金田一少年の事件簿』・日本テレビ)だったり、わりと色々なことやってたじゃん。
堂本:CDデビューさせてもらう前にいろんな活動はしてたって感じなんですけど。なので、僕たち(KinKi Kids)はこういう感じでいくのかなぁ…くらいに思ってたところで。
木村:そしたら急に呼ばれて、「明日デビューね」って。
堂本:はい。「家族にも言わないで」って言われたんですよ。「え? お母さんにも…」「あ、言わないで!」って。僕、真面目に、“言ったらアカンのか”って思って(デビューすることを)言わなかったんですよ。そしたら家族、そりゃビックリしますよね。「デビューすんの!?」みたいな。だから、Kinki Kidsは全部が「?」だらけで始まっていっちゃったって感じですね。
木村:でも、始まり方としては、とてつもない始まり方したじゃん。「硝子の少年」っていうやつ(曲)で。
堂本:はい。「硝子の少年」も…これもですね、先輩方のデビュー曲って、パーンッて感じの、キラキラキラーッてした感じの楽曲ってイメージがあって。当時、その時代はユーロビートとかが流行ってた時代なので。
木村:ですね。
堂本:そんな雰囲気の音楽が世の中に流れてたところに、急にマイナーコードの歌謡曲テイストの楽曲(「硝子の少年」)がドーンと入ってきて。これでデビューするってなったんで、それもかなり驚きました。
木村:(自分の場合は)楽曲に対する意識が全然なかったかも。
堂本:感覚的にですけど、デビュー曲ってもっと明るい派手なイメージだったので、(デビュー曲が「硝子の少年」に決まって)“え? この感じ?”と思いながら…でも、色々と聞いてたら、社長(ジャニーさん)も「この暗いのでいくの?」みたいな雰囲気はあったっていう話で。でも、周りのスタッフと色々話して「これでいきましょう!」っていうことで「硝子の少年」になったって話でした。
木村:へ〜!
堂本:今となっては、あの楽曲(「硝子の少年」)でデビューさせていただいて良かったなと思うことばっかりですけど、当時は若かったんで。
木村:今振り返ると、「硝子の少年」って良いよね。
堂本:とてつもない曲だなと思います。歌詞とかもそうですし、メロディもアレンジもそう。自分が音楽を勉強していく上でも、松本さんと達郎さん(作詞:松本隆、作曲・編曲:山下達郎)お2人の当時のご年齢や色々な状況の中で、10代の、ジャニーズのアイドルに曲を書くっていう時に、「よし! これでいこう!」みたいに(曲を生み)出していく感じとか、カッコいいなぁと。創り手として考えても、すごい曲だなって思いますね。
(松本隆さんと山下達郎さんは)「僕たちが歳を取っても歌えるようなデビュー曲を書きたい!」っていうテーマで書いて下さったっていうのも聞きまして。そこまで考えてもらって出来上がった曲だったんだなぁと。本当に、振り返っても、色々体感しても体験しても、もう1回勉強しなおしても、“デビュー曲”というもののすごさと、そこに込めてもらってる色々な想いというのはずっと続いていくもんなんだなぁ…とか、自分が歳を取る毎に、(曲に対して)深みが変わってくる、不思議なものだなと思って。今も大切に歌わさせてもらってますけど、いまだに難しいんですよ。ちょっと難しいです、この曲。
木村:そうなの? デビューってことで、パフォーマンスする際にはダンスもあったじゃん。で、“曲としては難しい”ってなったら、かなりハードル高いじゃないですか。
堂本:ハードル高いんですよねぇ。だから、(イントロ部分の)メロディが下りて“雨が~”って入るこの時が1番、めちゃくちゃ緊張するんですよね。なんか無意識に力入っちゃいますね。毎回緊張してるんですよ、この曲歌う時。
木村:そうなんだ。そういう風には見えてなかったなぁ。
堂本:“今日はなんか上手くいったなぁ”って時と“今日はちょっと全然アカンかったなぁ”って時と。ほんとになんか、「お前次第やからな!」って言われてる感じもあって、すごく大変っていうか、勉強になる曲ですね。
M1. 硝子の少年/KinKi Kids
木村:音楽面でかなり大きな影響を剛に与えたって考えると、やっぱり音楽番組の『LOVE LOVE あいしてる』(フジテレビ)って相当だよ。
堂本:相当です。お兄さんにも来ていただきましたけど。
木村:お邪魔しました。
堂本:いわゆる、音楽業界のモンスターだらけでしたので。
木村:そうだよね。『LOVE LOVE あいしてる』のスタッフの方が音楽大好きで、ミュージシャンの方たちに対してのリスペクトもものすごくあった人だったから、そこにいてくれたバンドのメンバーのことは、あまり詳しくなくても知ってたもん。
堂本:ほんとにそんな感じでした。一番最初に「吉田拓郎さんと(番組を)やります」って言われた時に「え、どなたですか?」って。僕ら2人はほんと失礼な(笑)。拓郎さんも「こんな若者と…」みたいな感じで(笑)。でも、「すごい組み合わせだな!」って周りが言うんですよ。「あの吉田拓郎がテレビ出て、こんなちっちゃい子供と番組やる?」みたいな。“すごいことなんだなぁ”と思いながら、でも、周りの人は“吉田拓郎”という人を「こういう目で」「ああいう目で」見てるかも知れないけど、僕は「僕の目」で吉田拓郎という人を見ようと思って接したので。
それで、そのままずっと接しさせてもらう中で、“この人、すごい人なんや”ということを理解し、色々調べて“この人が僕と同じ歳の時にこのステージに立って、この歌歌ってんの?”とか、色々衝撃を受けながら、だんだん“音楽”っていうものの更に深みに招待してもらったというか。「こういうところが面白いんだよ」「こういうところが大変なんだけど、でも、ここがまたやっぱり音楽を作る喜びなんだよ」とか、そういうことを自然と教えてもらったので、あの番組はほんとに大きかったですね。
木村:(ギターは)あそこ(番組)で弾くようになった?
堂本:寮に岡本(健一)君が置いていってたオベーションのギターがあったんですよ。そのギターを長瀬(智也)君が弾いてて。「ああ、ギター弾けるようになりたいなぁ…」って言ったら、「剛も弾けばいいじゃん」って言われて、その時に弾いたのが、本当は一番最初なんです。その後に『LOVE LOVE あいしてる』で「ギターを演ります」って言われて。“いや、弾きたいと思ったけど、宿題がめちゃくちゃ多いなぁ”って思いながら。
木村:仕事になっちゃうとね。
堂本:なので、ドラマとかをさせていただく合間に帰って(ギターの)譜面を見て覚えて、それで当日行って(演奏する)とかやっていたので、最初の頃は楽しむまで余裕はなかったですけど。
木村:もう「仕事」という形で宿題を出され。
堂本:譜面を見るのが当時はしんどかったんですけど、今は譜面見るのも楽しくはなってまして。「ああ、こうか、ああか」って言いながらやるんですけど、昔は譜面、ほんと見たくなかったですね。
木村・堂本:(笑)。
堂本:それくらい、“毎日これやるんや…”って感じで。
木村:けっこう“漬け”だったんだね。
堂本:漬けでしたね。で、現場に行って、拓郎さんとか坂崎(幸之助)さんを捕まえて「すいません、ここわからないんですけど」って。
木村:すごいよね。「ちょっとわからないんですけど」って聞く相手が拓郎さんか坂崎さんっていう(笑)。すごい先生だよね。
堂本:すごいんです。贅沢な環境なんですよ。すごい先生がいっぱいいるので、「アベンジャーズ」の状態じゃないですか。
木村:そうだね、音楽アベンジャーズに囲まれて。
堂本:で、「おい新人!」って言われて「はい!」って入ったような感じなので。これはもうアベンジャーズに聞いた方が早いし。
木村:まぁそうだね、力は強いけどね。アベンジャーズだから(笑)。
堂本:(笑)。拓郎さんとかはたまに、「うん、考えなくていいよ、そんなのは」って言う。
木村:(吉田拓郎は)ブルース・リーの領域だもん、それは(笑)。領域的には。
堂本:(笑)。ほんとブルース・リーの領域でした。「あ、全然考えることじゃないから」とか(笑)。「え? 拓郎さん、教えて下さいって言ってるんですよ?」「いい、いい教えることない! 大丈夫だから、考えることじゃないから」って「え?」って、そのままステージに行ったりとか。でも、それが逆に良かったりとかもしますし、色々わかってやってくださってるんだなぁという思い出しかないです、この番組には。
木村:すごいよね。だって、エアロスミスとか行ったよね。ジェームス・ブラウンも。
堂本:そうですね、イングヴェイ・マルムスティーンとかも来ましたし。いろんな方々が来てくださいましたね。
木村:いやぁ、すごいなぁ。
堂本:その時は忙しすぎて、今みたいな“すげーなー!”みたいな気持ちよりも、“とにかくこれをこなしていかないと!”という気持ちが強くて。
木村:だから、自分がお邪魔させていただいた時も、なんか音楽バラエティっていう雰囲気はあるじゃん。『LOVE LOVE あいしてる』っていうタイトルだし。で、行ったらKinki Kidsいるし、“あ、じゃあ…”ってすごいカジュアルなテンションで「お願いしまーす」って感じで行くと、自分を迎えてくれるのがアベンジャーズだから、“やっべぇ!”っていう。
堂本:アベンジャーズ、無言の圧あるじゃないですか。圧力をかけてるわけじゃなくて、オーラですね。
木村:オーラ半端ないよね。
堂本:エメラルドのオーラの中に包まれてずっとやってましたんで、途中でよくわからなくなってきましたもん。拓郎さんてすごい人なんですけど、もう「拓ちゃん」って呼んでた時もありましたから(笑)。
木村:(笑)。
堂本:「拓ちゃ~ん」って。「ちゃんと拓郎さんって呼べ!」ってそういうやり取りとかもさせてもらってる位、ちょっとどうかしてましたね(笑)。
木村:どうかしてましたって言うより、そこまでKinKi Kidsがいったんじゃない? “アベンジャー”になったからじゃないの?
堂本:アベンジャーになってたんですかね?
木村:なってないと呼べないしょ? 「拓ちゃん」だなんて(笑)。
堂本:みなさんが後輩の僕たちに対して目線を合わせてくださったりとかすることが多かったから、自分たちもそういう風にくだけることもできたし、本当にいろんなことを学びました。
M2. 全部だきしめて/KinKi Kids
(後TM:MOJO DRIVE/木村拓哉)
2021年10月10日
Flow 第百六十六回目「拓哉キャプテン × 堂本剛」Part2
click:https://t.cn/A6Movj4S
今月10月のマンスリーゲストは、堂本剛さんをお迎えしました!
ここでしか聞けないトーク、お楽しみに!
堂本:(事務所から)急に「明日デビュー」って言われたりとか、全部急だったんですよ、僕ら。事務所に呼ばれて“何かなぁ?”って思って行ったら、「明日デビューだから」って言われたんですよ。「あ、明日ですか?」みたいな。「明日会見するからね」って言われた。
木村:(CDデビューする)その前に、金田一少年(ドラマ『金田一少年の事件簿』・日本テレビ)だったり、わりと色々なことやってたじゃん。
堂本:CDデビューさせてもらう前にいろんな活動はしてたって感じなんですけど。なので、僕たち(KinKi Kids)はこういう感じでいくのかなぁ…くらいに思ってたところで。
木村:そしたら急に呼ばれて、「明日デビューね」って。
堂本:はい。「家族にも言わないで」って言われたんですよ。「え? お母さんにも…」「あ、言わないで!」って。僕、真面目に、“言ったらアカンのか”って思って(デビューすることを)言わなかったんですよ。そしたら家族、そりゃビックリしますよね。「デビューすんの!?」みたいな。だから、Kinki Kidsは全部が「?」だらけで始まっていっちゃったって感じですね。
木村:でも、始まり方としては、とてつもない始まり方したじゃん。「硝子の少年」っていうやつ(曲)で。
堂本:はい。「硝子の少年」も…これもですね、先輩方のデビュー曲って、パーンッて感じの、キラキラキラーッてした感じの楽曲ってイメージがあって。当時、その時代はユーロビートとかが流行ってた時代なので。
木村:ですね。
堂本:そんな雰囲気の音楽が世の中に流れてたところに、急にマイナーコードの歌謡曲テイストの楽曲(「硝子の少年」)がドーンと入ってきて。これでデビューするってなったんで、それもかなり驚きました。
木村:(自分の場合は)楽曲に対する意識が全然なかったかも。
堂本:感覚的にですけど、デビュー曲ってもっと明るい派手なイメージだったので、(デビュー曲が「硝子の少年」に決まって)“え? この感じ?”と思いながら…でも、色々と聞いてたら、社長(ジャニーさん)も「この暗いのでいくの?」みたいな雰囲気はあったっていう話で。でも、周りのスタッフと色々話して「これでいきましょう!」っていうことで「硝子の少年」になったって話でした。
木村:へ〜!
堂本:今となっては、あの楽曲(「硝子の少年」)でデビューさせていただいて良かったなと思うことばっかりですけど、当時は若かったんで。
木村:今振り返ると、「硝子の少年」って良いよね。
堂本:とてつもない曲だなと思います。歌詞とかもそうですし、メロディもアレンジもそう。自分が音楽を勉強していく上でも、松本さんと達郎さん(作詞:松本隆、作曲・編曲:山下達郎)お2人の当時のご年齢や色々な状況の中で、10代の、ジャニーズのアイドルに曲を書くっていう時に、「よし! これでいこう!」みたいに(曲を生み)出していく感じとか、カッコいいなぁと。創り手として考えても、すごい曲だなって思いますね。
(松本隆さんと山下達郎さんは)「僕たちが歳を取っても歌えるようなデビュー曲を書きたい!」っていうテーマで書いて下さったっていうのも聞きまして。そこまで考えてもらって出来上がった曲だったんだなぁと。本当に、振り返っても、色々体感しても体験しても、もう1回勉強しなおしても、“デビュー曲”というもののすごさと、そこに込めてもらってる色々な想いというのはずっと続いていくもんなんだなぁ…とか、自分が歳を取る毎に、(曲に対して)深みが変わってくる、不思議なものだなと思って。今も大切に歌わさせてもらってますけど、いまだに難しいんですよ。ちょっと難しいです、この曲。
木村:そうなの? デビューってことで、パフォーマンスする際にはダンスもあったじゃん。で、“曲としては難しい”ってなったら、かなりハードル高いじゃないですか。
堂本:ハードル高いんですよねぇ。だから、(イントロ部分の)メロディが下りて“雨が~”って入るこの時が1番、めちゃくちゃ緊張するんですよね。なんか無意識に力入っちゃいますね。毎回緊張してるんですよ、この曲歌う時。
木村:そうなんだ。そういう風には見えてなかったなぁ。
堂本:“今日はなんか上手くいったなぁ”って時と“今日はちょっと全然アカンかったなぁ”って時と。ほんとになんか、「お前次第やからな!」って言われてる感じもあって、すごく大変っていうか、勉強になる曲ですね。
M1. 硝子の少年/KinKi Kids
木村:音楽面でかなり大きな影響を剛に与えたって考えると、やっぱり音楽番組の『LOVE LOVE あいしてる』(フジテレビ)って相当だよ。
堂本:相当です。お兄さんにも来ていただきましたけど。
木村:お邪魔しました。
堂本:いわゆる、音楽業界のモンスターだらけでしたので。
木村:そうだよね。『LOVE LOVE あいしてる』のスタッフの方が音楽大好きで、ミュージシャンの方たちに対してのリスペクトもものすごくあった人だったから、そこにいてくれたバンドのメンバーのことは、あまり詳しくなくても知ってたもん。
堂本:ほんとにそんな感じでした。一番最初に「吉田拓郎さんと(番組を)やります」って言われた時に「え、どなたですか?」って。僕ら2人はほんと失礼な(笑)。拓郎さんも「こんな若者と…」みたいな感じで(笑)。でも、「すごい組み合わせだな!」って周りが言うんですよ。「あの吉田拓郎がテレビ出て、こんなちっちゃい子供と番組やる?」みたいな。“すごいことなんだなぁ”と思いながら、でも、周りの人は“吉田拓郎”という人を「こういう目で」「ああいう目で」見てるかも知れないけど、僕は「僕の目」で吉田拓郎という人を見ようと思って接したので。
それで、そのままずっと接しさせてもらう中で、“この人、すごい人なんや”ということを理解し、色々調べて“この人が僕と同じ歳の時にこのステージに立って、この歌歌ってんの?”とか、色々衝撃を受けながら、だんだん“音楽”っていうものの更に深みに招待してもらったというか。「こういうところが面白いんだよ」「こういうところが大変なんだけど、でも、ここがまたやっぱり音楽を作る喜びなんだよ」とか、そういうことを自然と教えてもらったので、あの番組はほんとに大きかったですね。
木村:(ギターは)あそこ(番組)で弾くようになった?
堂本:寮に岡本(健一)君が置いていってたオベーションのギターがあったんですよ。そのギターを長瀬(智也)君が弾いてて。「ああ、ギター弾けるようになりたいなぁ…」って言ったら、「剛も弾けばいいじゃん」って言われて、その時に弾いたのが、本当は一番最初なんです。その後に『LOVE LOVE あいしてる』で「ギターを演ります」って言われて。“いや、弾きたいと思ったけど、宿題がめちゃくちゃ多いなぁ”って思いながら。
木村:仕事になっちゃうとね。
堂本:なので、ドラマとかをさせていただく合間に帰って(ギターの)譜面を見て覚えて、それで当日行って(演奏する)とかやっていたので、最初の頃は楽しむまで余裕はなかったですけど。
木村:もう「仕事」という形で宿題を出され。
堂本:譜面を見るのが当時はしんどかったんですけど、今は譜面見るのも楽しくはなってまして。「ああ、こうか、ああか」って言いながらやるんですけど、昔は譜面、ほんと見たくなかったですね。
木村・堂本:(笑)。
堂本:それくらい、“毎日これやるんや…”って感じで。
木村:けっこう“漬け”だったんだね。
堂本:漬けでしたね。で、現場に行って、拓郎さんとか坂崎(幸之助)さんを捕まえて「すいません、ここわからないんですけど」って。
木村:すごいよね。「ちょっとわからないんですけど」って聞く相手が拓郎さんか坂崎さんっていう(笑)。すごい先生だよね。
堂本:すごいんです。贅沢な環境なんですよ。すごい先生がいっぱいいるので、「アベンジャーズ」の状態じゃないですか。
木村:そうだね、音楽アベンジャーズに囲まれて。
堂本:で、「おい新人!」って言われて「はい!」って入ったような感じなので。これはもうアベンジャーズに聞いた方が早いし。
木村:まぁそうだね、力は強いけどね。アベンジャーズだから(笑)。
堂本:(笑)。拓郎さんとかはたまに、「うん、考えなくていいよ、そんなのは」って言う。
木村:(吉田拓郎は)ブルース・リーの領域だもん、それは(笑)。領域的には。
堂本:(笑)。ほんとブルース・リーの領域でした。「あ、全然考えることじゃないから」とか(笑)。「え? 拓郎さん、教えて下さいって言ってるんですよ?」「いい、いい教えることない! 大丈夫だから、考えることじゃないから」って「え?」って、そのままステージに行ったりとか。でも、それが逆に良かったりとかもしますし、色々わかってやってくださってるんだなぁという思い出しかないです、この番組には。
木村:すごいよね。だって、エアロスミスとか行ったよね。ジェームス・ブラウンも。
堂本:そうですね、イングヴェイ・マルムスティーンとかも来ましたし。いろんな方々が来てくださいましたね。
木村:いやぁ、すごいなぁ。
堂本:その時は忙しすぎて、今みたいな“すげーなー!”みたいな気持ちよりも、“とにかくこれをこなしていかないと!”という気持ちが強くて。
木村:だから、自分がお邪魔させていただいた時も、なんか音楽バラエティっていう雰囲気はあるじゃん。『LOVE LOVE あいしてる』っていうタイトルだし。で、行ったらKinki Kidsいるし、“あ、じゃあ…”ってすごいカジュアルなテンションで「お願いしまーす」って感じで行くと、自分を迎えてくれるのがアベンジャーズだから、“やっべぇ!”っていう。
堂本:アベンジャーズ、無言の圧あるじゃないですか。圧力をかけてるわけじゃなくて、オーラですね。
木村:オーラ半端ないよね。
堂本:エメラルドのオーラの中に包まれてずっとやってましたんで、途中でよくわからなくなってきましたもん。拓郎さんてすごい人なんですけど、もう「拓ちゃん」って呼んでた時もありましたから(笑)。
木村:(笑)。
堂本:「拓ちゃ~ん」って。「ちゃんと拓郎さんって呼べ!」ってそういうやり取りとかもさせてもらってる位、ちょっとどうかしてましたね(笑)。
木村:どうかしてましたって言うより、そこまでKinKi Kidsがいったんじゃない? “アベンジャー”になったからじゃないの?
堂本:アベンジャーになってたんですかね?
木村:なってないと呼べないしょ? 「拓ちゃん」だなんて(笑)。
堂本:みなさんが後輩の僕たちに対して目線を合わせてくださったりとかすることが多かったから、自分たちもそういう風にくだけることもできたし、本当にいろんなことを学びました。
M2. 全部だきしめて/KinKi Kids
(後TM:MOJO DRIVE/木村拓哉)
#创作力计划# 辛毗字佐治,潁川陽翟人也。其先建武中,自隴西東遷。毗隨兄評從袁紹。太祖曹操為司空,辟毗,毗不得應命。及袁尚攻兄譚於平原,譚使毗詣太祖求和。太祖將征荊州,次于西平。毗見太祖致譚意,太祖大悅。後數日,更欲先平荊州,使譚、尚自相弊。他日置酒,毗望太祖色,知有變,以語郭嘉。嘉白太祖,太祖謂毗曰:「譚可信?尚必可克不?」毗對曰:「明公無問信與詐也,直當論其勢耳。袁氏本兄弟相伐,非謂他人能閒其閒,乃謂天下可定於己也。今一旦求救於明公,此可知也。顯甫見顯思困而不能取,此力竭也。兵革敗於外,謀臣誅於內,兄弟讒鬩,國分為二;連年戰伐,而介冑生蟣蝨,加以旱蝗,饑饉並臻,國無囷倉,行無裹糧,天災應於上,人事困於下,民無愚智,皆知土崩瓦解,此乃天亡尚之時也。兵法稱有石城湯池帶甲百萬而無粟者,不能守也。今往攻鄴,尚不還救,即不能自守。還救,即譚踵其後。以明公之威,應困窮之敵,擊疲弊之寇,無異迅風之振秋葉矣。天以袁尚與明公,明公不取而伐荊州。荊州豐樂,國未有釁。仲虺有言:『取亂侮亡。』方今二袁不務遠略而內相圖,可謂亂矣;居者無食,行者無糧,可謂亡矣。朝不謀夕,民命靡繼,而不綏之,欲待他年;他年或登,又自知亡而改脩厥德,失所以用兵之要矣。今因其請救而撫之,利莫大焉。且四方之寇,莫大於河北;河北平,則六軍盛而天下震。」太祖曰:「善。」乃許譚平,次于黎陽。明年攻鄴,克之,表毗為議郎。
久之,太祖遣都護曹洪平下辯,使毗與曹休參之,令曰:「昔高祖貪財好色,而良、平匡其過失。今佐治、文烈憂不輕矣。」軍還,為丞相長史。
文帝踐阼,遷侍中,賜爵關內侯。時議改正朔。毗以魏氏遵舜、禹之統,應天順民;至於湯、武,以戰伐定天下,乃改正朔。孔子曰「行夏之時」,左氏傳曰「夏數為得天正」,何必期於相反。帝善而從之。
帝欲徙冀州士家十萬戶實河南。時連蝗民饑,群司以為不可,而帝意甚盛。毗與朝臣俱求見,帝知其欲諫,作色以見之,皆莫敢言。毗曰:「陛下欲徙士家,其計安出:」帝曰:「卿謂我徙之非邪?」毗曰:「誠以為非也。」帝曰:「吾不與卿共議也。」毗曰:「陛下不以臣不肖,置之左右,廁之謀議之官,安得不與臣議邪!臣所言非私也,乃社稷之慮也,安得怒臣!」帝不答,起入內;毗隨而引其裾,帝遂奮衣不還,良久乃出,曰:「佐治,卿持我何太急邪?」毗曰:「今徙,既失民心,又無以食也。」帝遂徙其半。嘗從帝射雉,帝曰:「射雉樂哉!」毗曰:「於陛下甚樂,而於群下甚苦。」帝默然,後遂為之稀出。
上軍大將軍曹真征朱然于江陵,毗行軍師。還,封廣平亭侯。帝欲大興軍征吳,毗諫曰:「吳、楚之民,險而難禦,道隆後服,道洿先叛,自古患之,非徒今也。今陛下祚有海內,夫不賓者,其能久乎?昔尉佗稱帝,子陽僭號,歷年未幾,或臣或誅。何則,違逆之道不久全,而大德無所不服也。方今天下新定,土廣民稀。夫廟算而後出軍,猶臨事而懼,況今廟算有闕而欲用之,臣誠未見其利也。先帝屢起銳師,臨江而旋。今六軍不增於故,而復循之,此未易也。今日之計,莫若脩范蠡之養民,法管仲之寄政,則充國之屯田,明仲尼之懷遠;十年之中,彊壯未老,童齔勝戰,兆民知義,將士思奮,然後用之,則役不再舉矣。」帝曰:「如卿意,更當以虜遺子孫邪?」毗對曰:「昔周文王以紂遺武王,唯知時也。苟時未可,容得已乎!」帝竟伐吳,至江而還。
明帝即位,進封潁鄉侯,邑三百戶。時中書監劉放、令孫資見信於主,制斷時政,大臣莫不交好,而毗不與往來。毗子敞諫曰:「今劉、孫用事,眾皆影附,大人宜小降意,和光同塵;不然必有謗言。」毗正色曰:「主上雖未稱聰明,不為闇劣。吾之立身,自有本未。就與劉、孫不平,不過令吾不作三公而已,何危害之有?焉有大丈夫欲為公而毀其高節者邪?」冗從僕射畢軌表言:「尚書僕射王思精勤舊吏,忠亮計略不如辛毗,毗宜代思。」帝以訪放、資,放、資對曰:「陛下用思者,誠欲取其效力,不貴虛名也。毗實亮宜,然性剛而專,聖慮所當深察也。」遂不用。出為衛尉。
帝方脩殿舍,百姓勞役,毗上疏曰:「竊聞諸葛亮講武治兵,而孫權巿馬遼東,量其意指,似欲相左右。備豫不虞,古之善政,而今者宮室大興,加連年穀麥不收。詩云:『民亦勞止,迄可小康,惠此中國,以綏四方。』唯陛下為社稷計。」帝報曰:「二虜未滅而治宮室,直諫者立名之時也。夫王者之都,當及民勞兼辦,使後世無所復增,是蕭何為漢規摹之略也。今卿為魏重臣,亦宜解其大歸。」帝又欲平北芒,令於其上作臺觀,則見孟津。毗諫曰:「天地之性,高高下下,今而反之,既非其理;加以損費人功,民不堪役。且若九河盈溢,洪水為害,而丘陵皆夷,將何以禦之?」帝乃止。
青龍二年,諸葛亮率眾出渭南。先是,大將軍司馬宣王數請與亮戰,明帝終不聽。是歲恐不能禁,乃以毗為大將軍軍師,使持節;六軍皆肅,準毗節度,莫敢犯違。亮卒,復還為衛尉。薨,諡曰肅侯。子敞嗣,咸熙中為河內太守。辛敞字泰雍,官至衛尉。#历史那些事##千古回眸[超话]#
久之,太祖遣都護曹洪平下辯,使毗與曹休參之,令曰:「昔高祖貪財好色,而良、平匡其過失。今佐治、文烈憂不輕矣。」軍還,為丞相長史。
文帝踐阼,遷侍中,賜爵關內侯。時議改正朔。毗以魏氏遵舜、禹之統,應天順民;至於湯、武,以戰伐定天下,乃改正朔。孔子曰「行夏之時」,左氏傳曰「夏數為得天正」,何必期於相反。帝善而從之。
帝欲徙冀州士家十萬戶實河南。時連蝗民饑,群司以為不可,而帝意甚盛。毗與朝臣俱求見,帝知其欲諫,作色以見之,皆莫敢言。毗曰:「陛下欲徙士家,其計安出:」帝曰:「卿謂我徙之非邪?」毗曰:「誠以為非也。」帝曰:「吾不與卿共議也。」毗曰:「陛下不以臣不肖,置之左右,廁之謀議之官,安得不與臣議邪!臣所言非私也,乃社稷之慮也,安得怒臣!」帝不答,起入內;毗隨而引其裾,帝遂奮衣不還,良久乃出,曰:「佐治,卿持我何太急邪?」毗曰:「今徙,既失民心,又無以食也。」帝遂徙其半。嘗從帝射雉,帝曰:「射雉樂哉!」毗曰:「於陛下甚樂,而於群下甚苦。」帝默然,後遂為之稀出。
上軍大將軍曹真征朱然于江陵,毗行軍師。還,封廣平亭侯。帝欲大興軍征吳,毗諫曰:「吳、楚之民,險而難禦,道隆後服,道洿先叛,自古患之,非徒今也。今陛下祚有海內,夫不賓者,其能久乎?昔尉佗稱帝,子陽僭號,歷年未幾,或臣或誅。何則,違逆之道不久全,而大德無所不服也。方今天下新定,土廣民稀。夫廟算而後出軍,猶臨事而懼,況今廟算有闕而欲用之,臣誠未見其利也。先帝屢起銳師,臨江而旋。今六軍不增於故,而復循之,此未易也。今日之計,莫若脩范蠡之養民,法管仲之寄政,則充國之屯田,明仲尼之懷遠;十年之中,彊壯未老,童齔勝戰,兆民知義,將士思奮,然後用之,則役不再舉矣。」帝曰:「如卿意,更當以虜遺子孫邪?」毗對曰:「昔周文王以紂遺武王,唯知時也。苟時未可,容得已乎!」帝竟伐吳,至江而還。
明帝即位,進封潁鄉侯,邑三百戶。時中書監劉放、令孫資見信於主,制斷時政,大臣莫不交好,而毗不與往來。毗子敞諫曰:「今劉、孫用事,眾皆影附,大人宜小降意,和光同塵;不然必有謗言。」毗正色曰:「主上雖未稱聰明,不為闇劣。吾之立身,自有本未。就與劉、孫不平,不過令吾不作三公而已,何危害之有?焉有大丈夫欲為公而毀其高節者邪?」冗從僕射畢軌表言:「尚書僕射王思精勤舊吏,忠亮計略不如辛毗,毗宜代思。」帝以訪放、資,放、資對曰:「陛下用思者,誠欲取其效力,不貴虛名也。毗實亮宜,然性剛而專,聖慮所當深察也。」遂不用。出為衛尉。
帝方脩殿舍,百姓勞役,毗上疏曰:「竊聞諸葛亮講武治兵,而孫權巿馬遼東,量其意指,似欲相左右。備豫不虞,古之善政,而今者宮室大興,加連年穀麥不收。詩云:『民亦勞止,迄可小康,惠此中國,以綏四方。』唯陛下為社稷計。」帝報曰:「二虜未滅而治宮室,直諫者立名之時也。夫王者之都,當及民勞兼辦,使後世無所復增,是蕭何為漢規摹之略也。今卿為魏重臣,亦宜解其大歸。」帝又欲平北芒,令於其上作臺觀,則見孟津。毗諫曰:「天地之性,高高下下,今而反之,既非其理;加以損費人功,民不堪役。且若九河盈溢,洪水為害,而丘陵皆夷,將何以禦之?」帝乃止。
青龍二年,諸葛亮率眾出渭南。先是,大將軍司馬宣王數請與亮戰,明帝終不聽。是歲恐不能禁,乃以毗為大將軍軍師,使持節;六軍皆肅,準毗節度,莫敢犯違。亮卒,復還為衛尉。薨,諡曰肅侯。子敞嗣,咸熙中為河內太守。辛敞字泰雍,官至衛尉。#历史那些事##千古回眸[超话]#
今幸得此大丈夫身,又闻最难闻之净土法门。敢将有限光阴,为声色货利消耗殆尽,令其仍旧虚生浪死,仍复沉沦六道,求出无期者乎?直须将一个死字,〖此字好得很〗挂到额颅上。凡不宜贪恋之境现前,则知此吾之镬汤炉炭也,则断不至如飞蛾赴火,自取烧身矣。凡分所应为之事,则知此吾之出苦慈航也,则断不至当仁固让,见义不为矣。如是,则尘境即可作入道之缘,岂必屏绝尘缘,方堪修道乎?
~印光法师文钞.复宁波某居士书
白文:今天庆幸得到这个大丈夫身,又听到了最难听到的净土法门,怎么敢将这有限的光阴,为声色货利消耗殆尽,让自己仍旧虚生浪死,仍旧沉沦六道,求出无期呢?必须径直将一个“死”字(此字好得很),挂到自己的额头上。凡是不应当贪恋的事情出现,就要知道这是我死后下镬汤炉炭地狱的前奏,那么就一定不至于象飞蛾扑火一样,自取烧身了。凡是我分内所应做的事情,就要知道这是走出痛苦的慈航,那么就一定不至于当仁固让,见义不为了。这样,则尘境就可以作入道的缘,难道一定要屏绝尘缘,才能修道吗?
~印光法师文钞.复宁波某居士书
白文:今天庆幸得到这个大丈夫身,又听到了最难听到的净土法门,怎么敢将这有限的光阴,为声色货利消耗殆尽,让自己仍旧虚生浪死,仍旧沉沦六道,求出无期呢?必须径直将一个“死”字(此字好得很),挂到自己的额头上。凡是不应当贪恋的事情出现,就要知道这是我死后下镬汤炉炭地狱的前奏,那么就一定不至于象飞蛾扑火一样,自取烧身了。凡是我分内所应做的事情,就要知道这是走出痛苦的慈航,那么就一定不至于当仁固让,见义不为了。这样,则尘境就可以作入道的缘,难道一定要屏绝尘缘,才能修道吗?
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