往復書簡29
片寄のタクシーエピソードその2
片寄涼太(GENERATIONS from EXILE TRIBE)×作詞家・小竹正人 往復書簡 エンタメ 芸能 2021年2月7日掲載
片寄涼太
先日は124年ぶりの2月2日の節分でした。生配信で"ひとり豆まき"なる奇行に走った僕の様子を。セルフ鬼、セルフ鬼は外、です(他の写真を見る)
片寄涼太(GENERATIONS from EXILE TRIBE)×作詞家・小竹正人 往復書簡29
大通りでタクシー待ちをしてかれこれ10分。なかなか来ないことにしびれをきらしそうになった時、1人のサラリーマンが現れた。そして……。
拝啓 小竹正人さま
シネマファイターズのご説明ありがとうございました。
きっと公開前にはたくさんインタビューなどでお話させて頂くかと思うのですが、関西弁と英語のみのお芝居は新たな自分の扉を開いてくれたような感覚でした。完成、そして公開がすごく楽しみです。
さて、最近あった誰かに聞いてほしい話。
朝方、大通りでタクシー待ちをしていました。
なかなかタクシーが来ず、体感10分弱待ったくらいで僕の手前数メートルのところに1人のサラリーマンらしき方が立ちました。
どうやらその方もタクシー待ちの様子。
「でも先に待っていたのは僕のほうだし、そのサラリーマンらしき方も僕と2度も目が合っている。きっと譲ってくれるだろう」
そう思っていた矢先、交差点を曲がってきたタクシーを止めて、そのサラリーマンらしき方は明らかに僕のことを見たうえでそのタクシーに悠々と乗っていったのでした。
誰か目撃者がいたなら、「え、え、え、いまのめちゃくちゃひどくない??」と話したい気分でした。
ですがそんな相手はなく「きっとさっきの方が乗ったタクシーは道に迷いまくって余計に時間がかかっているのだろう」とあらぬ妄想で自分を納得させながら、その後捕まえたタクシーの中で、悶々とこの文章を書きました。
もしかしたら人によっては、その方がタクシーを捕まえた時点で「こちらが先ですから」と強気でその方と話をつけにいくようなことができたのかもしれません。
以前にこの往復書簡にて紹介した、タクシーエピソードの「行き先相手に合わせちゃう編」でも感じられますが、片寄涼太という人間は決して強気なタイプではないのです。
変な気遣いというのか優しさのようなものが働いてしまうところがあります。
逆に言うと人として、人に対しての熱さのようなものがあるときと無いときがあるというか。小竹さん、なんかこういうところわかりません?(笑)
オシャレ照明
とあるインテリア等を扱うお店にて出会ったオシャレ照明。おうち時間が長くなると、やっぱりお部屋に凝り始めますよね。優しい光が夜に良さそう(他の写真を見る)
小竹さんの前回のメッセージでも、僕の久しぶりに会った小竹さんへの態度は決して良い感じものではなく、良く言えば冷静で自然体な雰囲気。
悪く言えば、起伏のない、人として温度の低さを感じます。
実はこれ、いまの僕が自分自身にとってすごく課題として感じている部分でして、昨年下半期頃からすごく意識して行動している部分であります。
「より温度を高く、感じ良く」
ですが、いくら温度が高くてもイラついた自分を見せたり、人に怒ったりすることはしていいのでしょうか?
僕はそうは思いません。自分がそのとき良くても周りの空気が悪くなってしまいます。
どこか人として抑えるべき部分が必要でしょう。誰かに助けられて生きていくってそういうものではないですか。
あのタクシーに乗っていったサラリーマンの方はきっと焦っていて、その方を自分は助けたんだと。
あのとき「僕のほうが先に待っていましたよ!」と怒りにいかなくて良かったなと。
そう考えればちょっと嫌な話も、気持ち良い話に変えられたりする。
温度を高く持っていく瞬間は自分でコントロールできればそれでも良いんじゃないのかなあ。
片寄涼太
敬具
片寄のタクシーエピソードその2
片寄涼太(GENERATIONS from EXILE TRIBE)×作詞家・小竹正人 往復書簡 エンタメ 芸能 2021年2月7日掲載
片寄涼太
先日は124年ぶりの2月2日の節分でした。生配信で"ひとり豆まき"なる奇行に走った僕の様子を。セルフ鬼、セルフ鬼は外、です(他の写真を見る)
片寄涼太(GENERATIONS from EXILE TRIBE)×作詞家・小竹正人 往復書簡29
大通りでタクシー待ちをしてかれこれ10分。なかなか来ないことにしびれをきらしそうになった時、1人のサラリーマンが現れた。そして……。
拝啓 小竹正人さま
シネマファイターズのご説明ありがとうございました。
きっと公開前にはたくさんインタビューなどでお話させて頂くかと思うのですが、関西弁と英語のみのお芝居は新たな自分の扉を開いてくれたような感覚でした。完成、そして公開がすごく楽しみです。
さて、最近あった誰かに聞いてほしい話。
朝方、大通りでタクシー待ちをしていました。
なかなかタクシーが来ず、体感10分弱待ったくらいで僕の手前数メートルのところに1人のサラリーマンらしき方が立ちました。
どうやらその方もタクシー待ちの様子。
「でも先に待っていたのは僕のほうだし、そのサラリーマンらしき方も僕と2度も目が合っている。きっと譲ってくれるだろう」
そう思っていた矢先、交差点を曲がってきたタクシーを止めて、そのサラリーマンらしき方は明らかに僕のことを見たうえでそのタクシーに悠々と乗っていったのでした。
誰か目撃者がいたなら、「え、え、え、いまのめちゃくちゃひどくない??」と話したい気分でした。
ですがそんな相手はなく「きっとさっきの方が乗ったタクシーは道に迷いまくって余計に時間がかかっているのだろう」とあらぬ妄想で自分を納得させながら、その後捕まえたタクシーの中で、悶々とこの文章を書きました。
もしかしたら人によっては、その方がタクシーを捕まえた時点で「こちらが先ですから」と強気でその方と話をつけにいくようなことができたのかもしれません。
以前にこの往復書簡にて紹介した、タクシーエピソードの「行き先相手に合わせちゃう編」でも感じられますが、片寄涼太という人間は決して強気なタイプではないのです。
変な気遣いというのか優しさのようなものが働いてしまうところがあります。
逆に言うと人として、人に対しての熱さのようなものがあるときと無いときがあるというか。小竹さん、なんかこういうところわかりません?(笑)
オシャレ照明
とあるインテリア等を扱うお店にて出会ったオシャレ照明。おうち時間が長くなると、やっぱりお部屋に凝り始めますよね。優しい光が夜に良さそう(他の写真を見る)
小竹さんの前回のメッセージでも、僕の久しぶりに会った小竹さんへの態度は決して良い感じものではなく、良く言えば冷静で自然体な雰囲気。
悪く言えば、起伏のない、人として温度の低さを感じます。
実はこれ、いまの僕が自分自身にとってすごく課題として感じている部分でして、昨年下半期頃からすごく意識して行動している部分であります。
「より温度を高く、感じ良く」
ですが、いくら温度が高くてもイラついた自分を見せたり、人に怒ったりすることはしていいのでしょうか?
僕はそうは思いません。自分がそのとき良くても周りの空気が悪くなってしまいます。
どこか人として抑えるべき部分が必要でしょう。誰かに助けられて生きていくってそういうものではないですか。
あのタクシーに乗っていったサラリーマンの方はきっと焦っていて、その方を自分は助けたんだと。
あのとき「僕のほうが先に待っていましたよ!」と怒りにいかなくて良かったなと。
そう考えればちょっと嫌な話も、気持ち良い話に変えられたりする。
温度を高く持っていく瞬間は自分でコントロールできればそれでも良いんじゃないのかなあ。
片寄涼太
敬具
ノムさんが2人きりのエレベーターで見せた心の風景…元番記者3人の墓参り【竹下陽二コラム】
◇生涯一野村番がつづる「ノムさんジャーニー」その9
1月末。冬の優しい日差しが降り注ぐ昼下がり。ノムさんの1周忌を前に50ヅラ下げた元野村番の3人でノムさんとサッチーさんが眠る東京都内の墓を訪れた。なぜか、私は長年の約束を果たしに行くような、そんな不思議な思いにとらわれた。気の利いたM君がかばんからノムさんの好物の大福ときんつばを取り出し、墓前に置いた。「お前ら、よー、来たなあ」。澄み切った冬の空からノムさんの声が聞こえるような気がした。すると、M君が「監督、来ましたよ。約束通りにね」とつぶやいた。私は、ハッとした。M君も同じ思いだったのかと。
約30年前、ヤクルト担当になりたての私は、まだ、50代後半のノムさんに何度も言われた。「1日1日、人は死に向かって生きているんだ。これで、また、1日、死に近づいた。オレが死んだらみんな喜ぶやろなあ。球界の嫌われ者やから。お前、オレが死んだら、線香の1本でもあげてくれんか?」と。ノムさんはきっと、私にだけではなく、あちこちであいさつ代わりに言いまくっていたのかもしれないが、その言葉がずーと記者生活の中で心の中にあり続けた。
それぞれの思いを胸に手を合わせた。約束を果たし、「じゃあ、お疲れ様」では味気ない気がした。余韻に浸りたい。3人の気持ちは同じだった。ファミレスで遅いランチをとることにした。そこで、ノムさん話に花が咲いた。3人3様の心に「オレのノムさん」がいた。M君もK君も幸せそうに、そして、誇らしげに話した。ここで、語られたのは、スポットライトの当たるところで発せられ、既に語り尽くされたノムさん語録でなかった。さりげない日常で人知れず発せられた些細なひと言であったり、仕草であった。それは、誰も盗むことができない、M君やK君の宝物であった。ノムさんの良さは、気を抜くと、見過ごされてしまいそうな、「さりげなさ」にちりばめられていた。
私はある日の情景を思い出した。それは、わが世の春を謳歌したヤクルト時代の栄光のノムさんではなく、哀愁を帯びたノムさんの後ろ姿だった。3年連続最下位の屈辱の末、2001年オフに辞任。1年の浪人後、社会人シダックス監督として、さらに、野球評論家として再起を図ろうとしていた。その頃、私は失意のノムさんに腫れ物に触るように接していた。
東京ドームのエレベーターの中に一人でいると、評論家のノムさんが「おーっ」と言いながら入ってきた。そして、クルリと背を向けると、ボソリとつぶやいた。
「最近、お前の視線が冷たい!」。私は心中を見透かされたようでドキっとした。別にそんなつもりはないんですよ! と弁解しようとしたが、そのスキも与えず、ノムさんは「よそ者には冷たいからのー。ふふふ」とスネたように言いながら、指定のフロアにつくと、そのまま立ち去った。私も軽くいなせばいいものを、何も言えずにその場に立ちすくんだ。断腸の思いで発したようなひと言。しかし、芝居がかってもいた。それが、ノムさんのちゃめっ気でもあった。半分ジョーク、半分、本音であっただろう。お前、最近、よそよそしいぞ、これまで通り。普通に接してくれよ、と言いたかったのかもしれない。
古巣・南海を出て、ヤクルト、阪神と渡り歩いたノムさんの中に常に「よそ者感」があったのかもしれない。のちに、楽天監督として、もう一花咲かせるノムさんだが、あの頃、世間の冷たい風、孤独感をひしひしと感じていたのかもしれない。その「心の風景」が垣間見えるつぶやきだった。自分の心の動きを包み隠すことなく、いついかなる時もポロリと吐露してしまうところが、人間ノムさんの魅力であった。だから、番記者も気が抜けなかった。野球人としては超一流であることは言うまでもないが、一番はその人間臭さにあった。
私はノムさんの阪神辞任後も、ノムさんの生きざまと死にざまを見ていこうと決めた。用もないのにノムさんの行くところにフラリと訪れた。プロ野球監督、番記者としての立場の距離感は心地よかった。シダックス監督ノムさんは、一言一句が報じられたプロ野球時代ほどスポーツ紙としての扱いが大きくなることも少なく、ましてや他紙の評論家ということで遠慮することもあった。ノムさんの心中を必要以上に忖度(そんたく)する自分もいた。現場で会っても視線をそらしてしまうこともあった。ノムさんに劣らず、人間付き合いのヘタな私は何を話していいか分からず、不自然にあらぬ方を見たこともあった。挙動不審の私の心の葛藤をノムさんは見抜いていた。
野村番がファミレスで飽きもせず、「オレのノムさん」を語り合った幸せな3時間。「こうやって、思い出話をすることが、供養になるんですよね」。M君はそう言いながら、かばんにしのばせていたノムさん好物の大福を「ホントはダメだけど、今日ぐらいいいでしょ」とこっそりとおいしそうにぱくついた。そして、私に言った。「陽二さんも1個どうですか?」と。
中日スポーツ
◇生涯一野村番がつづる「ノムさんジャーニー」その9
1月末。冬の優しい日差しが降り注ぐ昼下がり。ノムさんの1周忌を前に50ヅラ下げた元野村番の3人でノムさんとサッチーさんが眠る東京都内の墓を訪れた。なぜか、私は長年の約束を果たしに行くような、そんな不思議な思いにとらわれた。気の利いたM君がかばんからノムさんの好物の大福ときんつばを取り出し、墓前に置いた。「お前ら、よー、来たなあ」。澄み切った冬の空からノムさんの声が聞こえるような気がした。すると、M君が「監督、来ましたよ。約束通りにね」とつぶやいた。私は、ハッとした。M君も同じ思いだったのかと。
約30年前、ヤクルト担当になりたての私は、まだ、50代後半のノムさんに何度も言われた。「1日1日、人は死に向かって生きているんだ。これで、また、1日、死に近づいた。オレが死んだらみんな喜ぶやろなあ。球界の嫌われ者やから。お前、オレが死んだら、線香の1本でもあげてくれんか?」と。ノムさんはきっと、私にだけではなく、あちこちであいさつ代わりに言いまくっていたのかもしれないが、その言葉がずーと記者生活の中で心の中にあり続けた。
それぞれの思いを胸に手を合わせた。約束を果たし、「じゃあ、お疲れ様」では味気ない気がした。余韻に浸りたい。3人の気持ちは同じだった。ファミレスで遅いランチをとることにした。そこで、ノムさん話に花が咲いた。3人3様の心に「オレのノムさん」がいた。M君もK君も幸せそうに、そして、誇らしげに話した。ここで、語られたのは、スポットライトの当たるところで発せられ、既に語り尽くされたノムさん語録でなかった。さりげない日常で人知れず発せられた些細なひと言であったり、仕草であった。それは、誰も盗むことができない、M君やK君の宝物であった。ノムさんの良さは、気を抜くと、見過ごされてしまいそうな、「さりげなさ」にちりばめられていた。
私はある日の情景を思い出した。それは、わが世の春を謳歌したヤクルト時代の栄光のノムさんではなく、哀愁を帯びたノムさんの後ろ姿だった。3年連続最下位の屈辱の末、2001年オフに辞任。1年の浪人後、社会人シダックス監督として、さらに、野球評論家として再起を図ろうとしていた。その頃、私は失意のノムさんに腫れ物に触るように接していた。
東京ドームのエレベーターの中に一人でいると、評論家のノムさんが「おーっ」と言いながら入ってきた。そして、クルリと背を向けると、ボソリとつぶやいた。
「最近、お前の視線が冷たい!」。私は心中を見透かされたようでドキっとした。別にそんなつもりはないんですよ! と弁解しようとしたが、そのスキも与えず、ノムさんは「よそ者には冷たいからのー。ふふふ」とスネたように言いながら、指定のフロアにつくと、そのまま立ち去った。私も軽くいなせばいいものを、何も言えずにその場に立ちすくんだ。断腸の思いで発したようなひと言。しかし、芝居がかってもいた。それが、ノムさんのちゃめっ気でもあった。半分ジョーク、半分、本音であっただろう。お前、最近、よそよそしいぞ、これまで通り。普通に接してくれよ、と言いたかったのかもしれない。
古巣・南海を出て、ヤクルト、阪神と渡り歩いたノムさんの中に常に「よそ者感」があったのかもしれない。のちに、楽天監督として、もう一花咲かせるノムさんだが、あの頃、世間の冷たい風、孤独感をひしひしと感じていたのかもしれない。その「心の風景」が垣間見えるつぶやきだった。自分の心の動きを包み隠すことなく、いついかなる時もポロリと吐露してしまうところが、人間ノムさんの魅力であった。だから、番記者も気が抜けなかった。野球人としては超一流であることは言うまでもないが、一番はその人間臭さにあった。
私はノムさんの阪神辞任後も、ノムさんの生きざまと死にざまを見ていこうと決めた。用もないのにノムさんの行くところにフラリと訪れた。プロ野球監督、番記者としての立場の距離感は心地よかった。シダックス監督ノムさんは、一言一句が報じられたプロ野球時代ほどスポーツ紙としての扱いが大きくなることも少なく、ましてや他紙の評論家ということで遠慮することもあった。ノムさんの心中を必要以上に忖度(そんたく)する自分もいた。現場で会っても視線をそらしてしまうこともあった。ノムさんに劣らず、人間付き合いのヘタな私は何を話していいか分からず、不自然にあらぬ方を見たこともあった。挙動不審の私の心の葛藤をノムさんは見抜いていた。
野村番がファミレスで飽きもせず、「オレのノムさん」を語り合った幸せな3時間。「こうやって、思い出話をすることが、供養になるんですよね」。M君はそう言いながら、かばんにしのばせていたノムさん好物の大福を「ホントはダメだけど、今日ぐらいいいでしょ」とこっそりとおいしそうにぱくついた。そして、私に言った。「陽二さんも1個どうですか?」と。
中日スポーツ
早安呀️雨天的東京
下樓吃個不太健康的早餐
Almond Croissant
アーモンドクロワッサン
Cookies n Cream Cupcake
オレオケーキ
最近经常从清早工作到深夜再去打高尔夫
昨天差点累到有些喘不上气
但没办法实在太喜欢了!!
就是手痒忍不住!!!!
之前一直很担心二月份的东京会很冷
但今年的日本明显是一个暖冬
下周的四连休里打算整整三天时间
都泡在茨城县的大自然山谷里打球⛳️️
阴雨天气+不冷的暖冬
真的超适合外出打高尔夫呀
又能呼吸到东京都市以外的新鲜空气了!
好幸福!!好期待!!
#日本高尔夫##东京高尔夫##golf##东京艾莉卡的日常[超话]# https://t.cn/RJqepsh
下樓吃個不太健康的早餐
Almond Croissant
アーモンドクロワッサン
Cookies n Cream Cupcake
オレオケーキ
最近经常从清早工作到深夜再去打高尔夫
昨天差点累到有些喘不上气
但没办法实在太喜欢了!!
就是手痒忍不住!!!!
之前一直很担心二月份的东京会很冷
但今年的日本明显是一个暖冬
下周的四连休里打算整整三天时间
都泡在茨城县的大自然山谷里打球⛳️️
阴雨天气+不冷的暖冬
真的超适合外出打高尔夫呀
又能呼吸到东京都市以外的新鲜空气了!
好幸福!!好期待!!
#日本高尔夫##东京高尔夫##golf##东京艾莉卡的日常[超话]# https://t.cn/RJqepsh
✋热门推荐