不愧是照片大放送的山口裕太郎
髙橋結人 山口裕太郎
筑波大学
·
ゆいとさん競技生活お疲れ様でした!!
懐かしい写真たちと、今と
大学に入って、一個上の先輩で、
最初はゆいとさんに怒られ続けるし、しかも色々気づく人だから、ちゃんと叱られて、めちゃめちゃ嫌だった。
他の人が気づかないこともちゃんと指摘してきた。
この人さえいなければイージーなのにって、そう思ってた。
でもずっと、後輩のためを思って動いてくれる人であり、本人も人一倍頑張る人で、そして体育館の外に出れば面白い先輩で
すごくすごく、ありがたい存在でした。
時間を重ねるにつれて、何度も噛み締めます。自分に時間を割いて、ちゃんと見てくれて、叱咤激励をくれていたこと、それは全然当たり前ではない。
自分自身が成長する中で、日に日にゆいとさんのすごさがさらにわかるようになって、嬉しい限りです。
ゆいとさんはずっとやりたがっていた違う道に進み、もうすでに毎日毎日激闘してる。会えることも少なくなっていく。寂しいけど、それ以上に夢を追う姿をまだまだ見させてもらえることがとても嬉しいです。
みんなに好かれて、生きる活力を振りまいてくれるゆいとさん。だからこそ、本人がずっと元気でいて欲しい。俺よりちゃんと長生きしてね。
これからもよろしくお願いします
#髙橋結人
#高橋結人
#サントリー
#suntory
#学生時代に観に行ったパナ
#そんなこともあったな
#白ポロシャツは2年生の時
#水色ジャージは1年生の時
#懐かしいな
#ありがとう
髙橋結人 山口裕太郎
筑波大学
·
ゆいとさん競技生活お疲れ様でした!!
懐かしい写真たちと、今と
大学に入って、一個上の先輩で、
最初はゆいとさんに怒られ続けるし、しかも色々気づく人だから、ちゃんと叱られて、めちゃめちゃ嫌だった。
他の人が気づかないこともちゃんと指摘してきた。
この人さえいなければイージーなのにって、そう思ってた。
でもずっと、後輩のためを思って動いてくれる人であり、本人も人一倍頑張る人で、そして体育館の外に出れば面白い先輩で
すごくすごく、ありがたい存在でした。
時間を重ねるにつれて、何度も噛み締めます。自分に時間を割いて、ちゃんと見てくれて、叱咤激励をくれていたこと、それは全然当たり前ではない。
自分自身が成長する中で、日に日にゆいとさんのすごさがさらにわかるようになって、嬉しい限りです。
ゆいとさんはずっとやりたがっていた違う道に進み、もうすでに毎日毎日激闘してる。会えることも少なくなっていく。寂しいけど、それ以上に夢を追う姿をまだまだ見させてもらえることがとても嬉しいです。
みんなに好かれて、生きる活力を振りまいてくれるゆいとさん。だからこそ、本人がずっと元気でいて欲しい。俺よりちゃんと長生きしてね。
これからもよろしくお願いします
#髙橋結人
#高橋結人
#サントリー
#suntory
#学生時代に観に行ったパナ
#そんなこともあったな
#白ポロシャツは2年生の時
#水色ジャージは1年生の時
#懐かしいな
#ありがとう
中国ツアーが終わり、日本に帰ってきました。
中国でツアーを行った一週間は、私の人生で最高の一週間だった。迷いなく、そう言うことができます。夢のようだった。夢のような日々が終わってしまうことが嫌で、日本に帰りたくなかった。
中国ツアーの気持ちが新鮮なうちに、皆さんへの感謝と、思ったことを書き記しておきます。(この文章を翻訳して読む人も多いと思います。翻訳しても意味が分かりやすいように、日本語の慣用句などを避けて文章を書きます。ロボットのような、おかしな日本語かもしれません。そしてとても長いです。許してください。)
☆
中国の動画アップロードサイトに、「あなたは煙草 私はシャボン」が投稿されたのは、確か8年くらい前のことだったと思う。
中国の動画サイトで私が人気になっているらしいという噂が風に乗って私の耳にも届いた。
それ以降、日本のライブ会場に中国の方が来てくれたり、SNSで中国の方がメッセージを送ってくれることが増えた。
中国のリスナーが私に送ってくれたメッセージはとても情熱的で愛に溢れていた。日本のリスナーはシャイなのかな?中国のリスナーは、今まで聞いたことがないくらいの熱い応援や愛の言葉を私に投げかけてくれました。
その言葉たちに、何度も、助けられたり、勇気づけられたり、励まされてきました。私を支える大きな力になっていました。
「I will always be there to hold lovely summer」と言ってくれて、感動して、その言葉をプリントしたTシャツを作ったりもした。
ずっと中国でライブしたかった。皆さんと直接会う前から、中国の皆さんのことが大好きだった。いつも大きな愛を伝えてくれていたから。
私が行ったことがない国、言語も文化も違う国に、こんなに私の音楽を愛してくれている人がいるんだなと思うと本当に嬉しかったし、早くその人たちの前でライブをしたかった。中国で演奏することは、私の夢でした。
中国で演奏することは私の夢だった。夢は叶いました。私が想像していたよりももっと素晴らしい形で。
私は、日本国内でも、一週間に4回ライブをするようなタフなツアーはやったことがありません。海外でのライブも初めてでした。しかも私は4月の初旬に喉を壊しました。
正直なことを言うと、今回のツアーは不安が大きかった。初めての海外でのライブ、お客さんに受け入れてもらえるだろうか。喉の調子は大丈夫だろうか。綺麗な声でちゃんと歌えるだろうか。
上海のライブが始まる前、私もバンドのメンバーも、きっととても緊張していました。不安だった。自分を落ち着かせるために両親とハグをしたり、ヨガをしたりしました。
いよいよ、上海での1回目のライブが始まるぞ、という時になりました。ライブハウスの照明が落ちた時に、客席から歓声が上がりました。今まで聞いたことがないくらい大きな歓声が聞こえました。
その歓声を聞いたとき、「私は愛されているんだな、今日のライブを楽しみにされているんだ」と直ぐに分かった。そこからは緊張や不安なんてどこかに行ってしまった。ただ皆さんの前で演奏できる喜びと楽しさに没頭していた。夢のような時間でした。
上海のライブハウスの楽屋のトイレにこのような落書きがありました。
この通りだった。
ルミネセンスをいう曲をライブで演奏しました。私が18歳の時、とても孤独で寂しい人間だった時に作った個人的な曲です。
その曲を演奏したとき、お客さんが私と一緒に歌ってくれていることに気づきました。
どうして!?どうしてこの曲が歌えるんですか。
きっと、曲を聞いて、この曲はどんなことを歌っているんだろうと気になって歌詞を調べて、翻訳して、覚えてしまうくらい何回も聴いたんだなと思うと胸がいっぱいになった。
言葉が分からなくても、それを分かろうと手を伸ばしてくれる人がこんなにいることに感動した。音楽の持つ力は凄い、音楽って良いなと思わせてくれた。国や言葉を超えて愛される普遍性を持った音楽を、私はやれているんだなと思った。
そんなことを思わせてくれて、本当にありがとうございました。
天国はまだ遠いという曲も演奏しました。
私が17歳だったとき、親しかった友人が自死しました。自殺に失敗して「また失敗しちゃった」なんて笑って帰ってきてくれたらいいのにと何度も願いました。そう願って書いた曲です。そんな、悲しい個人的な曲です。私が私を救うために書いた曲です。そんな曲を演奏した時に、歓声が上がる。信じられませんでした。
そういう個人的な曲が、皆さんの心に届いていたことが分かって、感動しました。何回も泣きました。
この曲を書いた10年前の私は、まさか中国で、こんなに沢山の人と、自分の寂しくて悲しい曲を一緒に歌うなんて、思いつきもしなかったでしょう。あまりにも感動的で、自分の人生にこんなことが起こっていることが信じられませんでした。
こんなに沢山の愛をもらったことは今までの人生でありませんでした。
中国でのライブツアーにいらしてくださった皆さん。こんなに幸福な瞬間を私にくれて、本当にありがとうございました。
夢のようでした。この一週間のことを、一生忘れることはありません。あなたたちに私の曲を気に入ってもらえたことは、私の人生で一番良かったことです。
愛しています。
前から皆さんのことが大好きだったけれど、4回のライブと一週間の滞在を経て、私は中国と中国のお客さんが本当に大好きになりました。ご飯も美味しくて、街がでっかくて、楽しいことがいっぱいあって、人が親切で、何よりこんなに愛おしいリスナーがいっぱいいて。最高の場所です。またいつか皆さんに会えることを心から願っています。
本当に、ありがとう。
最後に、AYF LIVE(中国のライブ制作会社)の王さん、ツアーマネージャーのkiwiさん、文さん、日本から一緒に来てくれて、最高の演奏をしてくれたバンドメンバー、奥村大さん、右田眞さん、吉澤響さん、馬場庫太郎さん、ローディーの小山さん、PAの本多さん、日本のライブ制作会社の羽端さん、私の夢を最高の形で叶えてくれてありがとう。
☆今日の一曲
It’s Okay To Cry/SOPHIE
広州でのライブのとき、私は感動して泣きました。「大丈夫!!!!」という声がいっぱい聞こえました。私がミスをして曲をやり直した時も、「大丈夫!!!!!!」って叫んでくれた。「大丈夫!!」って何度も言ってくれましたね。それがすごく心に残ってる。大丈夫だよと何度も必死に伝えてくれてありがとう。あまりにも優しかった。私もあなたに大丈夫だよと言ってあげたい。
中国でツアーを行った一週間は、私の人生で最高の一週間だった。迷いなく、そう言うことができます。夢のようだった。夢のような日々が終わってしまうことが嫌で、日本に帰りたくなかった。
中国ツアーの気持ちが新鮮なうちに、皆さんへの感謝と、思ったことを書き記しておきます。(この文章を翻訳して読む人も多いと思います。翻訳しても意味が分かりやすいように、日本語の慣用句などを避けて文章を書きます。ロボットのような、おかしな日本語かもしれません。そしてとても長いです。許してください。)
☆
中国の動画アップロードサイトに、「あなたは煙草 私はシャボン」が投稿されたのは、確か8年くらい前のことだったと思う。
中国の動画サイトで私が人気になっているらしいという噂が風に乗って私の耳にも届いた。
それ以降、日本のライブ会場に中国の方が来てくれたり、SNSで中国の方がメッセージを送ってくれることが増えた。
中国のリスナーが私に送ってくれたメッセージはとても情熱的で愛に溢れていた。日本のリスナーはシャイなのかな?中国のリスナーは、今まで聞いたことがないくらいの熱い応援や愛の言葉を私に投げかけてくれました。
その言葉たちに、何度も、助けられたり、勇気づけられたり、励まされてきました。私を支える大きな力になっていました。
「I will always be there to hold lovely summer」と言ってくれて、感動して、その言葉をプリントしたTシャツを作ったりもした。
ずっと中国でライブしたかった。皆さんと直接会う前から、中国の皆さんのことが大好きだった。いつも大きな愛を伝えてくれていたから。
私が行ったことがない国、言語も文化も違う国に、こんなに私の音楽を愛してくれている人がいるんだなと思うと本当に嬉しかったし、早くその人たちの前でライブをしたかった。中国で演奏することは、私の夢でした。
中国で演奏することは私の夢だった。夢は叶いました。私が想像していたよりももっと素晴らしい形で。
私は、日本国内でも、一週間に4回ライブをするようなタフなツアーはやったことがありません。海外でのライブも初めてでした。しかも私は4月の初旬に喉を壊しました。
正直なことを言うと、今回のツアーは不安が大きかった。初めての海外でのライブ、お客さんに受け入れてもらえるだろうか。喉の調子は大丈夫だろうか。綺麗な声でちゃんと歌えるだろうか。
上海のライブが始まる前、私もバンドのメンバーも、きっととても緊張していました。不安だった。自分を落ち着かせるために両親とハグをしたり、ヨガをしたりしました。
いよいよ、上海での1回目のライブが始まるぞ、という時になりました。ライブハウスの照明が落ちた時に、客席から歓声が上がりました。今まで聞いたことがないくらい大きな歓声が聞こえました。
その歓声を聞いたとき、「私は愛されているんだな、今日のライブを楽しみにされているんだ」と直ぐに分かった。そこからは緊張や不安なんてどこかに行ってしまった。ただ皆さんの前で演奏できる喜びと楽しさに没頭していた。夢のような時間でした。
上海のライブハウスの楽屋のトイレにこのような落書きがありました。
この通りだった。
ルミネセンスをいう曲をライブで演奏しました。私が18歳の時、とても孤独で寂しい人間だった時に作った個人的な曲です。
その曲を演奏したとき、お客さんが私と一緒に歌ってくれていることに気づきました。
どうして!?どうしてこの曲が歌えるんですか。
きっと、曲を聞いて、この曲はどんなことを歌っているんだろうと気になって歌詞を調べて、翻訳して、覚えてしまうくらい何回も聴いたんだなと思うと胸がいっぱいになった。
言葉が分からなくても、それを分かろうと手を伸ばしてくれる人がこんなにいることに感動した。音楽の持つ力は凄い、音楽って良いなと思わせてくれた。国や言葉を超えて愛される普遍性を持った音楽を、私はやれているんだなと思った。
そんなことを思わせてくれて、本当にありがとうございました。
天国はまだ遠いという曲も演奏しました。
私が17歳だったとき、親しかった友人が自死しました。自殺に失敗して「また失敗しちゃった」なんて笑って帰ってきてくれたらいいのにと何度も願いました。そう願って書いた曲です。そんな、悲しい個人的な曲です。私が私を救うために書いた曲です。そんな曲を演奏した時に、歓声が上がる。信じられませんでした。
そういう個人的な曲が、皆さんの心に届いていたことが分かって、感動しました。何回も泣きました。
この曲を書いた10年前の私は、まさか中国で、こんなに沢山の人と、自分の寂しくて悲しい曲を一緒に歌うなんて、思いつきもしなかったでしょう。あまりにも感動的で、自分の人生にこんなことが起こっていることが信じられませんでした。
こんなに沢山の愛をもらったことは今までの人生でありませんでした。
中国でのライブツアーにいらしてくださった皆さん。こんなに幸福な瞬間を私にくれて、本当にありがとうございました。
夢のようでした。この一週間のことを、一生忘れることはありません。あなたたちに私の曲を気に入ってもらえたことは、私の人生で一番良かったことです。
愛しています。
前から皆さんのことが大好きだったけれど、4回のライブと一週間の滞在を経て、私は中国と中国のお客さんが本当に大好きになりました。ご飯も美味しくて、街がでっかくて、楽しいことがいっぱいあって、人が親切で、何よりこんなに愛おしいリスナーがいっぱいいて。最高の場所です。またいつか皆さんに会えることを心から願っています。
本当に、ありがとう。
最後に、AYF LIVE(中国のライブ制作会社)の王さん、ツアーマネージャーのkiwiさん、文さん、日本から一緒に来てくれて、最高の演奏をしてくれたバンドメンバー、奥村大さん、右田眞さん、吉澤響さん、馬場庫太郎さん、ローディーの小山さん、PAの本多さん、日本のライブ制作会社の羽端さん、私の夢を最高の形で叶えてくれてありがとう。
☆今日の一曲
It’s Okay To Cry/SOPHIE
広州でのライブのとき、私は感動して泣きました。「大丈夫!!!!」という声がいっぱい聞こえました。私がミスをして曲をやり直した時も、「大丈夫!!!!!!」って叫んでくれた。「大丈夫!!」って何度も言ってくれましたね。それがすごく心に残ってる。大丈夫だよと何度も必死に伝えてくれてありがとう。あまりにも優しかった。私もあなたに大丈夫だよと言ってあげたい。
#GAKU[超话]#
240425 成员推更新
19Lv → 20Lv
パパ ママ メンバーそしてファンの皆さん!
僕はようやく二十歳になりました
ファンの皆さんへ
僕の誕生日を本当に沢山の方々がお祝いしてくれて一緒に喜んでくれて凄く幸せな時間でした!ファンの皆さん沢山のメッセージをありがとうございますなんかファンの皆さんと一緒の空間で美味しいものを沢山食べて一緒にパーティーしてる感じがして胸が幸せで『ッポンッポン』しましたぁ!
絶対にデビューして皆さんに会いに行くので20歳の僕とも沢山思い出作りましょ♪
僕の誕生日イベントも沢山の時間をかけてくださって凄く凄く嬉しかったです
メンバーの皆んなへ
19歳の僕と沢山笑ってくれて泣いてる時に励ましてくれてありがとう!
20歳の僕とも沢山笑って欲しいしきっとずっと泣き虫だと思うから泣いてる時は励まして欲しいです!
本当に出会ってくれてありがとう!最近ずっと思ってたことです!
じゃっ沢山お祝いしようねぇ
パパとママへ
16歳の誕生日以降なかなか僕の誕生日に一緒に過ごすことができてないのが寂しいけど気づけば僕はもう二十歳になったよ!
僕に沢山愛情を注いでくれて育ててくれて僕の夢を応援してくれてありがとう!
パパとママの子だからこんなにも沢山の方々に応援してもらえるようになったよ!
まだまだ夢の先には遠いけどもっと頑張って僕の夢の先を見せれるように心身共に成長していくね!
産んでくれてありがとう‼️
最後に二十歳の僕も『テンション上げてくヨォーオ』
240425 成员推更新
19Lv → 20Lv
パパ ママ メンバーそしてファンの皆さん!
僕はようやく二十歳になりました
ファンの皆さんへ
僕の誕生日を本当に沢山の方々がお祝いしてくれて一緒に喜んでくれて凄く幸せな時間でした!ファンの皆さん沢山のメッセージをありがとうございますなんかファンの皆さんと一緒の空間で美味しいものを沢山食べて一緒にパーティーしてる感じがして胸が幸せで『ッポンッポン』しましたぁ!
絶対にデビューして皆さんに会いに行くので20歳の僕とも沢山思い出作りましょ♪
僕の誕生日イベントも沢山の時間をかけてくださって凄く凄く嬉しかったです
メンバーの皆んなへ
19歳の僕と沢山笑ってくれて泣いてる時に励ましてくれてありがとう!
20歳の僕とも沢山笑って欲しいしきっとずっと泣き虫だと思うから泣いてる時は励まして欲しいです!
本当に出会ってくれてありがとう!最近ずっと思ってたことです!
じゃっ沢山お祝いしようねぇ
パパとママへ
16歳の誕生日以降なかなか僕の誕生日に一緒に過ごすことができてないのが寂しいけど気づけば僕はもう二十歳になったよ!
僕に沢山愛情を注いでくれて育ててくれて僕の夢を応援してくれてありがとう!
パパとママの子だからこんなにも沢山の方々に応援してもらえるようになったよ!
まだまだ夢の先には遠いけどもっと頑張って僕の夢の先を見せれるように心身共に成長していくね!
産んでくれてありがとう‼️
最後に二十歳の僕も『テンション上げてくヨォーオ』
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