庚娘(上)
蒲松齢
田中貢太郎訳
金大用きんたいようは中州ちゅうしゅうの旧家の子であった。尤ゆう太守の女むすめで幼な名を庚娘こうじょうというのを夫人に迎えたが、綺麗きれいなうえに賢明であったから、夫婦の間もいたってむつましかった。ところで、流賊の乱が起って金の一家も離散した。金は戦乱の中を両親と庚娘を伴つれて南の方へ逃げた。
その途中で金は少年に遇った。それも細君さいくんと一緒に逃げていく者であったが、自分から、
「私は広陵こうりょうの王おう十八という者です。どうか路案内をさしてください。」
といった。金は喜んで一緒にいった。河の傍そばへいった時、庚娘はそっと金に囁ささやいた。
「あの男と一緒に舟に乗ってはいけませんよ。あれは時どき私を見るのです。それにあの目は、動いて色が変りますから、心がゆるされませんよ。」
金はそれを承知したが、王が心切に大きな舟をやとって来て、代って荷物を運んでくれたり、苦しいこともかまわずに世話をしてくれるので、同船をこばむこともできなかった。そのうえ若い細君を伴れているので、たいしたこともないだろうという思いもあった。そして一緒に舟に乗って、細君と庚娘とを一緒においていると、細君もひどくやさしいたちであった。
王は船の舳へさきに坐って櫓ろを漕こいでいる船頭と囁ささやいていた。それは親しくしている人のようであった。
間もなく陽が入った。水路は遥かに遠く、四方は漫漫たる水で南北の方角も解わからなかった。金はあたりを見まわしたが、物凄いのでひどく疑い怪しんだ。暫しばらくして明るい月がやっとのぼった。見るとそのあたりは一めんの蘆あしであった。
舟はもう舟がかりした。王は金と金の父親とを上へ呼んだ。二人は室の戸を開けて外へ出た。外は月の光で明るかった。王は隙すきを見て金を水の中へつきおとした。金の父親はそれを見て大声をあげようとすると、船頭が篙さおでついた。金の父親もそのまま水の中へ落ちてしまった。金の母親がその声を聞いて出て窺のぞいた。船頭がまた篙でつきおとした。王はその時始めて、
「大変だ、大変だ、皆来てくれ。」
といった。金の母親の出ていく時、庚娘は後にいて、そっとそれを窺のぞいていたが、一家の者が尽く溺れてしまったことを知ると、もう驚かなかった。ただ泣いて、
「お父さんもお母さんも没くなって、私はどうしたらいいだろう。」
といった。そこへ王が入って来て、
「奥さん、何も御心配なされることはありませんよ。私と一緒に金陵きんりょうにお出でなさい。金陵には田地も家もあって、りっぱにくらしておりますから。」
といった。庚娘は泣くことをやめていった。
「そうしていただくなら、私は他に心配することはありません。」
王はひどく悦んで庚娘を大事にした。夜になってしまってから王は女を曳ひいて懽かんを求めた。女は体※たいはん姅に託してはぐらかした。王はそこで細君の所へいって寝た。
初更がすぎたところで、王夫婦がやかましくいい争いをはじめたが、その由わけは解らなかった。それをじっと聞いていると、細君の声がいった。
「あなたのしたことは、雷に頭をくだかれることですよ。」
と、王が細君をなぐりつける音がした。細君は叫んだ。
「殺せ、殺せ。死ぬるがいい、死にたい。人殺の女房になっているのはいやだ。」
王の吼ほえるように怒る声がして、細君をひッつかんで出ていくようであったが、続いてどぶんと物の水に落ちる音が聞えて来た。
「だれか来てくれ、女房が水に落ちたのだ。」
王のやかましくいう声がした。
間もなく金陵にいった。王は庚娘を伴つれて自分の家へ帰って、堂おくへ入って母親に逢った。母親は王の細君が故もとの女でないのを不審がった。王はいった。
「あれは水に堕おちて死んじゃったから、これをもらったのです。」
寝室へ帰って王は庚娘に迫った。庚娘は笑っていった。
「男子が三十になって、まだ人の道が解らないのですか。市まちの小商人の子供でさえ、初めて結婚する時には、いっぱいの酒を用いるじゃありませんか。それにあなたはお金持じゃありませんか。御馳走位はなんでもないでしょう。酒なしで結婚するのは、儀式に欠けるじゃありませんか、」
王は喜んで酒をかまえて二人で飲んだ。庚娘は杯を持ってしとやかに酒を勧めた。王はだんだん酔って来て、もう飲めないといいだした。庚娘は大きな杯を自分で飲んでから、強いて媚こびをつくってそれを王に勧めた。王は厭というに忍びないので、またそれを飲んだ。王はそこで酔ってしまったので、裸になって庚娘に寝を促した。庚娘は酒の器をさげて燭ひを消し、手洗にかこつけて室を出ていって、刀を持って暗い中へ入り、手さぐりに王の項くびをさぐった。王はその臂うでをつかんで昵声なれごえをした。庚娘は力まかせに切りつけた。王は死なないで叫んで起きた。庚娘はまたそれに切りつけた。そこで王は殪たおれた。
王の母親は夢現ゆめうつつの間にその物音を聞きつけて、走って来て声をかけた。庚娘はまたその母親も殺した。王の弟の十九がそれを覚った。庚娘はにげることができないと思ったので、急いで自分の吭のどを突いた。刀が純なまくらで入らなかった。そこで戸を啓あけて逃げだした。十九がそれを逐おっかけた。庚娘は池の中へ飛び込んだ。十九は人を呼んで引きあげたが、もう庚娘は死んでいた。しかしその美しいことは生きているようであった。
人びとは一緒に王母子の尸しがいを験しらべた。窓の上に一つの凾はこがあった。開けて見ると庚娘の書いた物があって、精くわしく復讎ふくしゅうの事情を記してあった。皆庚娘を烈女として尊敬し、金を集めて葬ることにした。夜が明けて見に集まって来た者が数千人あったが、その容さまを見て皆が拝んでいった。そして一日のうちに百金集まったので、そこでそれを南郊に葬ったが、好事者ものずきは朱い冠に袍うわぎを着けて会葬した。それは手厚い葬式であった。
一方王に衝つき堕おとされた金大用きんたいようは、板片いたきれにすがりつくことができたので死ななかった。そして流れて淮わいへいったところで、小舟に救いあげられた。その小舟は富豪の尹いん翁というのが溺れる者をすくうために設けてあるものであった。
金はやっと蘇生したので、尹翁の許へいって礼をいった。翁は厚くもてなして逗留とうりゅうして子供を教えさせようとした。金は両親の消息が解らないので、いって探ろうとしていたから決しなかった。その時網で老人と老婆の尸しがいを曳ひきあげた者があった。金は両親かも解らないと思ったので、急いで出かけていって験べた。果して両親であった。尹翁は金に代って棺をかまえた。金はひどく悲しんだ。
また人が来て、一人の溺れている婦人をすくったが、それは自分で金生の妻であるといっているといった。金は驚いて出ていった。女はもう来ていたが、それは庚娘でなかった。それは王十八の細君であった。女は金を見てひどく泣いて、
「どうか私を棄すてないでください。」
といった。金はいった。
「僕の心はもう乱れている。人のことを考えてやる暇はないのだ。」
女はますます悲しんだ。尹翁は精しく故わけを聞いて、
「それは天の報むくいだ。」
といって喜び、金に勧めて結婚させようとした。金は、
「親の喪におりますから困ります。それに復讎ふくしゅうするつもりですから、女を伴つれていては手足まといになるのです。」
といった。女はいった。
「もしあなたのお言葉のようだと、もしあなたの奥さんが生きていらしたら、復讎と喪のために離縁なさるのですか。」
尹翁はその言葉が善いので、暫く代って女を世話しようといったので、金もそこで結婚することを承知した。そして日を見て両親を葬った。女は喪服を着て泣いた。舅しゅうと姑しゅうとめを喪った時のように。
すでに葬式が終った。金は刀を懐にして行脚あんぎゃの僧に化けて広陵にいこうとした。女はそれを止めていった。
「私は唐とうという姓です。先祖から金陵におって、あの王の悪人と同郷です。あれが広陵といったのは嘘です、それにこのあたりの舟にいる悪人は、皆あれの仲間ですから、復讎することはむつかしいのです。うっかりするとあべこべに酷ひどい目に逢わされますから。」
金はそのあたりを歩きながら考えたが、復讎の方法が見つからなかった。忽ち女子が復讎したということが伝わって来て、その河筋かわすじで評判になり、その姓名も精しくいい伝えられた。金はそれを聞いてうれしかったが、しかし両親が殺されまた庚娘が死んだことを思うとますます悲しかった。そこで女にいった。
「幸に汚されずに復讎してくれた。この烈婦の心にそむいて結婚することはできない。」
女はもう約束ができあがっているので離れようとはしなかった。
「私は妾になってもよろしゅうございます。」
その時副将軍の袁えん公という者があって、尹翁と古い知合であった。ちょうど西の方に向けて出発することになって尹の所へ寄った。袁は尹の家で金を見て、ひどくその人となりを愛して秘書となってくれと頼んだ。間もなくその地方に流賊の乱が起って、袁は大功をたてた。金も袁の機務にたずさわっていたので、その功によって游撃将軍となって帰って来た。そこで金と唐は始めて結婚の式をあげた。
三、四日いて金は唐を伴れて金陵へいって、庚娘の墓参りをしようとした。そして舟で鎮江ちんこうを渡って金山きんざんに登ろうとした。舟が中流へ出た時、不意に一艘そうの小舟が擦すれ違った。それに一人の老婆と若い婦人が乗っていたが、その婦人がひどく庚娘に似ていた。舟は矢よりも早くゆき過ぎようとした。若い婦人も舟の窓の中から金の方を見た。その貌かおも容かたちもますます庚娘に似ているので驚きあやしんだ。そこで名をいって呼ばずにいそがしそうに、
「群鴨ぐんおう児、飛んで天に上るを見るか。」
といった。婦人はそれを聞くとまたいった。
馋猧児、猫子の腥なまにくを喫くらわんと欲するか。」
それは当年行われた閨中けいちゅうの隠語いんごであった。金はひどく驚いて、舟を返して近づいた。それはほんとうの庚娘であった。婢が手を引いてこちらの舟へ来た。二人は抱きあって泣いた。同船の旅客ももらい泣きをした。
唐は庚娘に正夫人に対する礼を以て接した。庚娘は驚いて訊いた。金は始めてその故わけを話した。庚娘は唐の手を執っていった。
「舟で御一緒になった時から、あなたのことは忘れませんでした。それにはからずこんなことになりまして、私の代りにお父さんお母さんを葬っていただいて、何といってお礼を申していいか解りません。私はあなたにそうしていただいてはすみません。」
そこで年齢の順序で一緒におることになったが、唐は庚娘の一つ歳下であったから妹としていることになった。
庚娘は初め葬られた時は何も解らなかったが、不意に人の声がして、
「庚娘、その方の夫は生きておる。その方はまた夫に逢って夫婦となることになっておる。」
といった。そしてとうとう夢が醒めたようになった。手をやってなでてみると四面は皆壁であった。庚娘は始めて自分は死んでもう葬られているということを悟った。庚娘は困ってもだえたが苦しい所はなかった。
悪少年が庚娘の葬具が多くてきれいであったのを知って、塚を発あばいて棺を破り、中を掻かきまわそうとして、庚娘の活きているのを見て驚きあった。庚娘は悪少年達に害を加えられるのが懼おそろしいので、哀願していった。
蒲松齢
田中貢太郎訳
金大用きんたいようは中州ちゅうしゅうの旧家の子であった。尤ゆう太守の女むすめで幼な名を庚娘こうじょうというのを夫人に迎えたが、綺麗きれいなうえに賢明であったから、夫婦の間もいたってむつましかった。ところで、流賊の乱が起って金の一家も離散した。金は戦乱の中を両親と庚娘を伴つれて南の方へ逃げた。
その途中で金は少年に遇った。それも細君さいくんと一緒に逃げていく者であったが、自分から、
「私は広陵こうりょうの王おう十八という者です。どうか路案内をさしてください。」
といった。金は喜んで一緒にいった。河の傍そばへいった時、庚娘はそっと金に囁ささやいた。
「あの男と一緒に舟に乗ってはいけませんよ。あれは時どき私を見るのです。それにあの目は、動いて色が変りますから、心がゆるされませんよ。」
金はそれを承知したが、王が心切に大きな舟をやとって来て、代って荷物を運んでくれたり、苦しいこともかまわずに世話をしてくれるので、同船をこばむこともできなかった。そのうえ若い細君を伴れているので、たいしたこともないだろうという思いもあった。そして一緒に舟に乗って、細君と庚娘とを一緒においていると、細君もひどくやさしいたちであった。
王は船の舳へさきに坐って櫓ろを漕こいでいる船頭と囁ささやいていた。それは親しくしている人のようであった。
間もなく陽が入った。水路は遥かに遠く、四方は漫漫たる水で南北の方角も解わからなかった。金はあたりを見まわしたが、物凄いのでひどく疑い怪しんだ。暫しばらくして明るい月がやっとのぼった。見るとそのあたりは一めんの蘆あしであった。
舟はもう舟がかりした。王は金と金の父親とを上へ呼んだ。二人は室の戸を開けて外へ出た。外は月の光で明るかった。王は隙すきを見て金を水の中へつきおとした。金の父親はそれを見て大声をあげようとすると、船頭が篙さおでついた。金の父親もそのまま水の中へ落ちてしまった。金の母親がその声を聞いて出て窺のぞいた。船頭がまた篙でつきおとした。王はその時始めて、
「大変だ、大変だ、皆来てくれ。」
といった。金の母親の出ていく時、庚娘は後にいて、そっとそれを窺のぞいていたが、一家の者が尽く溺れてしまったことを知ると、もう驚かなかった。ただ泣いて、
「お父さんもお母さんも没くなって、私はどうしたらいいだろう。」
といった。そこへ王が入って来て、
「奥さん、何も御心配なされることはありませんよ。私と一緒に金陵きんりょうにお出でなさい。金陵には田地も家もあって、りっぱにくらしておりますから。」
といった。庚娘は泣くことをやめていった。
「そうしていただくなら、私は他に心配することはありません。」
王はひどく悦んで庚娘を大事にした。夜になってしまってから王は女を曳ひいて懽かんを求めた。女は体※たいはん姅に託してはぐらかした。王はそこで細君の所へいって寝た。
初更がすぎたところで、王夫婦がやかましくいい争いをはじめたが、その由わけは解らなかった。それをじっと聞いていると、細君の声がいった。
「あなたのしたことは、雷に頭をくだかれることですよ。」
と、王が細君をなぐりつける音がした。細君は叫んだ。
「殺せ、殺せ。死ぬるがいい、死にたい。人殺の女房になっているのはいやだ。」
王の吼ほえるように怒る声がして、細君をひッつかんで出ていくようであったが、続いてどぶんと物の水に落ちる音が聞えて来た。
「だれか来てくれ、女房が水に落ちたのだ。」
王のやかましくいう声がした。
間もなく金陵にいった。王は庚娘を伴つれて自分の家へ帰って、堂おくへ入って母親に逢った。母親は王の細君が故もとの女でないのを不審がった。王はいった。
「あれは水に堕おちて死んじゃったから、これをもらったのです。」
寝室へ帰って王は庚娘に迫った。庚娘は笑っていった。
「男子が三十になって、まだ人の道が解らないのですか。市まちの小商人の子供でさえ、初めて結婚する時には、いっぱいの酒を用いるじゃありませんか。それにあなたはお金持じゃありませんか。御馳走位はなんでもないでしょう。酒なしで結婚するのは、儀式に欠けるじゃありませんか、」
王は喜んで酒をかまえて二人で飲んだ。庚娘は杯を持ってしとやかに酒を勧めた。王はだんだん酔って来て、もう飲めないといいだした。庚娘は大きな杯を自分で飲んでから、強いて媚こびをつくってそれを王に勧めた。王は厭というに忍びないので、またそれを飲んだ。王はそこで酔ってしまったので、裸になって庚娘に寝を促した。庚娘は酒の器をさげて燭ひを消し、手洗にかこつけて室を出ていって、刀を持って暗い中へ入り、手さぐりに王の項くびをさぐった。王はその臂うでをつかんで昵声なれごえをした。庚娘は力まかせに切りつけた。王は死なないで叫んで起きた。庚娘はまたそれに切りつけた。そこで王は殪たおれた。
王の母親は夢現ゆめうつつの間にその物音を聞きつけて、走って来て声をかけた。庚娘はまたその母親も殺した。王の弟の十九がそれを覚った。庚娘はにげることができないと思ったので、急いで自分の吭のどを突いた。刀が純なまくらで入らなかった。そこで戸を啓あけて逃げだした。十九がそれを逐おっかけた。庚娘は池の中へ飛び込んだ。十九は人を呼んで引きあげたが、もう庚娘は死んでいた。しかしその美しいことは生きているようであった。
人びとは一緒に王母子の尸しがいを験しらべた。窓の上に一つの凾はこがあった。開けて見ると庚娘の書いた物があって、精くわしく復讎ふくしゅうの事情を記してあった。皆庚娘を烈女として尊敬し、金を集めて葬ることにした。夜が明けて見に集まって来た者が数千人あったが、その容さまを見て皆が拝んでいった。そして一日のうちに百金集まったので、そこでそれを南郊に葬ったが、好事者ものずきは朱い冠に袍うわぎを着けて会葬した。それは手厚い葬式であった。
一方王に衝つき堕おとされた金大用きんたいようは、板片いたきれにすがりつくことができたので死ななかった。そして流れて淮わいへいったところで、小舟に救いあげられた。その小舟は富豪の尹いん翁というのが溺れる者をすくうために設けてあるものであった。
金はやっと蘇生したので、尹翁の許へいって礼をいった。翁は厚くもてなして逗留とうりゅうして子供を教えさせようとした。金は両親の消息が解らないので、いって探ろうとしていたから決しなかった。その時網で老人と老婆の尸しがいを曳ひきあげた者があった。金は両親かも解らないと思ったので、急いで出かけていって験べた。果して両親であった。尹翁は金に代って棺をかまえた。金はひどく悲しんだ。
また人が来て、一人の溺れている婦人をすくったが、それは自分で金生の妻であるといっているといった。金は驚いて出ていった。女はもう来ていたが、それは庚娘でなかった。それは王十八の細君であった。女は金を見てひどく泣いて、
「どうか私を棄すてないでください。」
といった。金はいった。
「僕の心はもう乱れている。人のことを考えてやる暇はないのだ。」
女はますます悲しんだ。尹翁は精しく故わけを聞いて、
「それは天の報むくいだ。」
といって喜び、金に勧めて結婚させようとした。金は、
「親の喪におりますから困ります。それに復讎ふくしゅうするつもりですから、女を伴つれていては手足まといになるのです。」
といった。女はいった。
「もしあなたのお言葉のようだと、もしあなたの奥さんが生きていらしたら、復讎と喪のために離縁なさるのですか。」
尹翁はその言葉が善いので、暫く代って女を世話しようといったので、金もそこで結婚することを承知した。そして日を見て両親を葬った。女は喪服を着て泣いた。舅しゅうと姑しゅうとめを喪った時のように。
すでに葬式が終った。金は刀を懐にして行脚あんぎゃの僧に化けて広陵にいこうとした。女はそれを止めていった。
「私は唐とうという姓です。先祖から金陵におって、あの王の悪人と同郷です。あれが広陵といったのは嘘です、それにこのあたりの舟にいる悪人は、皆あれの仲間ですから、復讎することはむつかしいのです。うっかりするとあべこべに酷ひどい目に逢わされますから。」
金はそのあたりを歩きながら考えたが、復讎の方法が見つからなかった。忽ち女子が復讎したということが伝わって来て、その河筋かわすじで評判になり、その姓名も精しくいい伝えられた。金はそれを聞いてうれしかったが、しかし両親が殺されまた庚娘が死んだことを思うとますます悲しかった。そこで女にいった。
「幸に汚されずに復讎してくれた。この烈婦の心にそむいて結婚することはできない。」
女はもう約束ができあがっているので離れようとはしなかった。
「私は妾になってもよろしゅうございます。」
その時副将軍の袁えん公という者があって、尹翁と古い知合であった。ちょうど西の方に向けて出発することになって尹の所へ寄った。袁は尹の家で金を見て、ひどくその人となりを愛して秘書となってくれと頼んだ。間もなくその地方に流賊の乱が起って、袁は大功をたてた。金も袁の機務にたずさわっていたので、その功によって游撃将軍となって帰って来た。そこで金と唐は始めて結婚の式をあげた。
三、四日いて金は唐を伴れて金陵へいって、庚娘の墓参りをしようとした。そして舟で鎮江ちんこうを渡って金山きんざんに登ろうとした。舟が中流へ出た時、不意に一艘そうの小舟が擦すれ違った。それに一人の老婆と若い婦人が乗っていたが、その婦人がひどく庚娘に似ていた。舟は矢よりも早くゆき過ぎようとした。若い婦人も舟の窓の中から金の方を見た。その貌かおも容かたちもますます庚娘に似ているので驚きあやしんだ。そこで名をいって呼ばずにいそがしそうに、
「群鴨ぐんおう児、飛んで天に上るを見るか。」
といった。婦人はそれを聞くとまたいった。
馋猧児、猫子の腥なまにくを喫くらわんと欲するか。」
それは当年行われた閨中けいちゅうの隠語いんごであった。金はひどく驚いて、舟を返して近づいた。それはほんとうの庚娘であった。婢が手を引いてこちらの舟へ来た。二人は抱きあって泣いた。同船の旅客ももらい泣きをした。
唐は庚娘に正夫人に対する礼を以て接した。庚娘は驚いて訊いた。金は始めてその故わけを話した。庚娘は唐の手を執っていった。
「舟で御一緒になった時から、あなたのことは忘れませんでした。それにはからずこんなことになりまして、私の代りにお父さんお母さんを葬っていただいて、何といってお礼を申していいか解りません。私はあなたにそうしていただいてはすみません。」
そこで年齢の順序で一緒におることになったが、唐は庚娘の一つ歳下であったから妹としていることになった。
庚娘は初め葬られた時は何も解らなかったが、不意に人の声がして、
「庚娘、その方の夫は生きておる。その方はまた夫に逢って夫婦となることになっておる。」
といった。そしてとうとう夢が醒めたようになった。手をやってなでてみると四面は皆壁であった。庚娘は始めて自分は死んでもう葬られているということを悟った。庚娘は困ってもだえたが苦しい所はなかった。
悪少年が庚娘の葬具が多くてきれいであったのを知って、塚を発あばいて棺を破り、中を掻かきまわそうとして、庚娘の活きているのを見て驚きあった。庚娘は悪少年達に害を加えられるのが懼おそろしいので、哀願していった。
#健康要有文化素養 & 健康要有哲學頭腦#
特集
ニッポン丸ごといただきます!
01 おいしい“地元”の
食べ方入門
~東日本編~
全国各地の地元に根付いた地産地消の取組と、
地元ならではの興味深い食べ方を
フードジャーナリストの向笠千恵子さんに紹介していただきました。
今週の見どころ
地産地消からおいしいものが生まれる
鳥獣被害防止のため捕獲したエゾシカを自然の恵みとしてジビエに
伝統の「南部もぐり」で水揚げされる天然ホヤ
江戸時代から受け継がれている壬生町のかんぴょうづくり
伝統野菜「吉川ナス」の種と栽培技術を継承し まちの園芸農業を再生
監修・お話
向笠千恵子(むかさちえこ)さん
フードジャーナリスト、食文化研究家、エッセイスト。
日本の本物の味、安心できる食べもの、郷土料理、伝統食品づくりの現場を知る第一人者。
「ディスカバー農山漁村(むら)の宝」有識者懇談会委員
地産地消からおいしいものが生まれる
郷土料理には、その土地に暮らしてきた人々に受け継がれてきた、生活の知恵が凝縮されています。料理そのものだけでなく、お皿に盛りつける前の食材にも、それらに関わる独自のストーリーがあります。こうした背景を知っておくと、さらに料理が楽しめ、味が深まります。地産地消推進はそれを確かめるのに最適な取組です。
鳥獣被害防止のため捕獲したエゾシカを
自然の恵みとしてジビエに
北海道阿寒郡鶴居村
ハートンツリー
エゾシカ
北海道全域でエゾシカによる農林業への被害が深刻になっており、エゾシカの個体数の管理は重要なテーマ。
北海道の東部にある釧路湿原に囲まれた鶴居村では、国立公園の対策協議会等と情報共有や連携をし、自然環境に配慮しながらエゾシカの捕獲を行っており、ジビエとして活用しています。ハンターによる狩猟や、大型の囲い罠で捕獲したエゾシカは、村内にある加工処理施設で精肉や加工品として処理。鮮度の良いエゾシカ肉を味わえる環境が整っています。地域資源としても生かされており、村ではその土地の食文化に触れることを目的とした旅(ガストロノミーツーリズム)を提案。村内の様々な飲食店でエゾシカ肉の料理を提供しています。
地元ではこう食べる!
鹿肉のローストブルーベリーソース
豊富な鉄分と赤身が特徴のエゾシカ肉。焼いたり煮込むなどしていただきます。鶴居村のエゾシカは、ほどよく脂が乗っていて美味。写真は「鹿肉のローストブルーベリーソース」。
提供/ハートンツリー
向笠千恵子(むかさちえこ)さん
日本のシカ肉料理はかつては和風で食べられていましたが、近年、洋風に調理されるようになりました。鶴居村はフレンチに取り入れ、チーズやワインなど地元産の食材と一緒に、トータルで地産地消を楽しむことができます。
伝統の「南部もぐり」で水揚げされる
天然ホヤ
岩手県九戸郡洋野町(ひろのちょう)
はまなす亭
南部もぐり
ダイバーが「南部もぐり」で海底から天然ホヤを収獲。その潜水技術は現在も同町の岩手県立種市高等学校で教えられている。
真っ赤な天然ホヤの水揚げの様子。
岩手県九戸郡洋野町のホヤ漁で行われている「南部もぐり」は、伝統的なヘルメット式潜水を今に受け継いだ潜水技術です。もともとこの技術は、座礁した貨客船の解体引き揚げのために伝えられたものですが、その後ホヤ漁に応用。上質な天然ホヤが、同町の伝統食材になりました。天然ホヤを使った料理が人気のはまなす亭では、旨みを生かした混ぜごはん「ホヤめし」をはじめ、磯の風味が引き立つ「焼きホヤ」などが味わえます。また、同店の「ほやラーメン」は、同町のご当地グルメとしてイベントなどでも提供されています。
地元ではこう食べる!
ホヤづくし御膳
洋野町の料理が味わえる「ホヤづくし御膳」。ホヤめし、ホヤのお吸い物、ホヤキムチ、焼きホヤ、ホヤ刺しなどがていねいに調理されています。
ほやラーメン
たっぷりのホヤが入った、塩味の「ほやラーメン」。
向笠千恵子(むかさちえこ)さん
はまなす亭は県認定「食の匠」の女性リーダーが率いる人気店。「南部もぐり」ダイバーが収穫した天然ホヤ料理で、地域活性化に努めています。伝統の食材をセンスある味付けで、洗練されたメニューを開発。郷土料理を次世代につなげています。
江戸時代から受け継がれている
壬生町のかんぴょうづくり
栃木県下都賀郡壬生町(みぶまち)
ユウガオの実「ふくべ(瓢)」
かんぴょうの原料となるユウガオ。ユウガオの実は「ふくべ(瓢)」と呼ばれています。
ユウガオの果肉を薄く細くむく
ユウガオの果肉を薄く細くむき、乾燥させたものがかんぴょう。
提供:(株)mf
1712年、壬生藩(現在の下都賀郡壬生町)に国替えとなった藩主が、旧領からユウガオの種を取り寄せて試作を命じたことが、かんぴょうの歴史の始まりとされています。300年以上の伝統を守り、後世へ受け継いでいけるように、壬生町では様々な取り組みを行っており、その一つが毎月1回、町内の小・中学校で実施される「ふくべランチの日」。かんぴょうを使ったメニューが、給食で提供されます。また、地元で親しまれていたわさび入りのかんぴょう巻きは、「みぶのサビかん」として商品化もされています。
地元ではこう食べる!
サビかん
しょう油で甘く煮たかんぴょうの巻きずしにワサビを添えた「サビかん」。壬生町の新名物です。
ぐるぐる巻きおいなりさん
寿司の具のように煮たかんぴょうをいなり寿司に巻き付けた「ぐるぐる巻きおいなりさん」。
提供/篠原商店
カミナリ汁
栃木県中央部は、落雷が多いことでも知られています。ノリをかみなり雲に、玉子とかんぴょうを稲妻に見立てた「カミナリ汁」は、町内の学校給食で昔から親しまれています。
向笠千恵子(むかさちえこ)さん
壬生町にはかんぴょうを使った様々な家庭料理があります。そのなかでも昔から親しまれてきたのが「サビかん」。商品化されたことで、産地のアピールにもつながっています。
伝統野菜「吉川ナス」の種と栽培技術を継承し
まちの園芸農業を再生
福井県鯖江市
鯖江市伝統野菜等栽培研究会
吉川ナス
巾着型で重さは300グラムほどの「吉川ナス」。皮が薄く、よく締まった肉質で煮崩れしにくいのが特徴。
鯖江市伝統野菜等栽培研究会メンバーの農家
鯖江市伝統野菜等栽培研究会メンバーの農家では、丹精を込めて吉川ナスを守り続けています。
1000年以上の歴史があるともいわれる「吉川ナス」は福井県鯖江市の伝統野菜でしたが、2009年に栽培農家が1戸もなくなるという危機がありました。そこで残っていた実を受け継ぎ、関係機関で種とりした種から再興に挑んだのが「鯖江市伝統野菜等栽培研究会」です。8戸の農家でスタートした同会は、2022年には21戸に拡大。栽培に留まらず、「吉川ナス」を使った加工品や料理の提供も行っています。また、地理的表示(GI)保護制度への登録により、同市のブランド産品にまで成長。GIへの登録は国内の伝統野菜では初めてのことでした。これらの取組により、改めて地域住民にも吉川ナスのすばらしさが理解され、「鯖江の野菜といえば吉川ナス」といわれるほどになっています。
地元ではこう食べる!
吉川ナスバーガー
油で揚げた輪切りの吉川ナスを挟んだ「吉川ナスバーガー」。
吉川ナスの肉みそ田楽
器に仕立てた吉川ナスを素揚げし、肉みそを詰めた「吉川ナスの肉みそ田楽」。
向笠千恵子(むかさちえこ)さん
加熱すると実がとろっと柔らかくなり、おいしい吉川ナス。田楽や揚げ物などの食べ方がぴったりです。ブランド化が進み、伝統的な食べ方以外に「吉川ナスバーガー」なども生まれ、これからもっと広く知られていくでしょう。
特集
ニッポン丸ごといただきます!
01 おいしい“地元”の
食べ方入門
~東日本編~
全国各地の地元に根付いた地産地消の取組と、
地元ならではの興味深い食べ方を
フードジャーナリストの向笠千恵子さんに紹介していただきました。
今週の見どころ
地産地消からおいしいものが生まれる
鳥獣被害防止のため捕獲したエゾシカを自然の恵みとしてジビエに
伝統の「南部もぐり」で水揚げされる天然ホヤ
江戸時代から受け継がれている壬生町のかんぴょうづくり
伝統野菜「吉川ナス」の種と栽培技術を継承し まちの園芸農業を再生
監修・お話
向笠千恵子(むかさちえこ)さん
フードジャーナリスト、食文化研究家、エッセイスト。
日本の本物の味、安心できる食べもの、郷土料理、伝統食品づくりの現場を知る第一人者。
「ディスカバー農山漁村(むら)の宝」有識者懇談会委員
地産地消からおいしいものが生まれる
郷土料理には、その土地に暮らしてきた人々に受け継がれてきた、生活の知恵が凝縮されています。料理そのものだけでなく、お皿に盛りつける前の食材にも、それらに関わる独自のストーリーがあります。こうした背景を知っておくと、さらに料理が楽しめ、味が深まります。地産地消推進はそれを確かめるのに最適な取組です。
鳥獣被害防止のため捕獲したエゾシカを
自然の恵みとしてジビエに
北海道阿寒郡鶴居村
ハートンツリー
エゾシカ
北海道全域でエゾシカによる農林業への被害が深刻になっており、エゾシカの個体数の管理は重要なテーマ。
北海道の東部にある釧路湿原に囲まれた鶴居村では、国立公園の対策協議会等と情報共有や連携をし、自然環境に配慮しながらエゾシカの捕獲を行っており、ジビエとして活用しています。ハンターによる狩猟や、大型の囲い罠で捕獲したエゾシカは、村内にある加工処理施設で精肉や加工品として処理。鮮度の良いエゾシカ肉を味わえる環境が整っています。地域資源としても生かされており、村ではその土地の食文化に触れることを目的とした旅(ガストロノミーツーリズム)を提案。村内の様々な飲食店でエゾシカ肉の料理を提供しています。
地元ではこう食べる!
鹿肉のローストブルーベリーソース
豊富な鉄分と赤身が特徴のエゾシカ肉。焼いたり煮込むなどしていただきます。鶴居村のエゾシカは、ほどよく脂が乗っていて美味。写真は「鹿肉のローストブルーベリーソース」。
提供/ハートンツリー
向笠千恵子(むかさちえこ)さん
日本のシカ肉料理はかつては和風で食べられていましたが、近年、洋風に調理されるようになりました。鶴居村はフレンチに取り入れ、チーズやワインなど地元産の食材と一緒に、トータルで地産地消を楽しむことができます。
伝統の「南部もぐり」で水揚げされる
天然ホヤ
岩手県九戸郡洋野町(ひろのちょう)
はまなす亭
南部もぐり
ダイバーが「南部もぐり」で海底から天然ホヤを収獲。その潜水技術は現在も同町の岩手県立種市高等学校で教えられている。
真っ赤な天然ホヤの水揚げの様子。
岩手県九戸郡洋野町のホヤ漁で行われている「南部もぐり」は、伝統的なヘルメット式潜水を今に受け継いだ潜水技術です。もともとこの技術は、座礁した貨客船の解体引き揚げのために伝えられたものですが、その後ホヤ漁に応用。上質な天然ホヤが、同町の伝統食材になりました。天然ホヤを使った料理が人気のはまなす亭では、旨みを生かした混ぜごはん「ホヤめし」をはじめ、磯の風味が引き立つ「焼きホヤ」などが味わえます。また、同店の「ほやラーメン」は、同町のご当地グルメとしてイベントなどでも提供されています。
地元ではこう食べる!
ホヤづくし御膳
洋野町の料理が味わえる「ホヤづくし御膳」。ホヤめし、ホヤのお吸い物、ホヤキムチ、焼きホヤ、ホヤ刺しなどがていねいに調理されています。
ほやラーメン
たっぷりのホヤが入った、塩味の「ほやラーメン」。
向笠千恵子(むかさちえこ)さん
はまなす亭は県認定「食の匠」の女性リーダーが率いる人気店。「南部もぐり」ダイバーが収穫した天然ホヤ料理で、地域活性化に努めています。伝統の食材をセンスある味付けで、洗練されたメニューを開発。郷土料理を次世代につなげています。
江戸時代から受け継がれている
壬生町のかんぴょうづくり
栃木県下都賀郡壬生町(みぶまち)
ユウガオの実「ふくべ(瓢)」
かんぴょうの原料となるユウガオ。ユウガオの実は「ふくべ(瓢)」と呼ばれています。
ユウガオの果肉を薄く細くむく
ユウガオの果肉を薄く細くむき、乾燥させたものがかんぴょう。
提供:(株)mf
1712年、壬生藩(現在の下都賀郡壬生町)に国替えとなった藩主が、旧領からユウガオの種を取り寄せて試作を命じたことが、かんぴょうの歴史の始まりとされています。300年以上の伝統を守り、後世へ受け継いでいけるように、壬生町では様々な取り組みを行っており、その一つが毎月1回、町内の小・中学校で実施される「ふくべランチの日」。かんぴょうを使ったメニューが、給食で提供されます。また、地元で親しまれていたわさび入りのかんぴょう巻きは、「みぶのサビかん」として商品化もされています。
地元ではこう食べる!
サビかん
しょう油で甘く煮たかんぴょうの巻きずしにワサビを添えた「サビかん」。壬生町の新名物です。
ぐるぐる巻きおいなりさん
寿司の具のように煮たかんぴょうをいなり寿司に巻き付けた「ぐるぐる巻きおいなりさん」。
提供/篠原商店
カミナリ汁
栃木県中央部は、落雷が多いことでも知られています。ノリをかみなり雲に、玉子とかんぴょうを稲妻に見立てた「カミナリ汁」は、町内の学校給食で昔から親しまれています。
向笠千恵子(むかさちえこ)さん
壬生町にはかんぴょうを使った様々な家庭料理があります。そのなかでも昔から親しまれてきたのが「サビかん」。商品化されたことで、産地のアピールにもつながっています。
伝統野菜「吉川ナス」の種と栽培技術を継承し
まちの園芸農業を再生
福井県鯖江市
鯖江市伝統野菜等栽培研究会
吉川ナス
巾着型で重さは300グラムほどの「吉川ナス」。皮が薄く、よく締まった肉質で煮崩れしにくいのが特徴。
鯖江市伝統野菜等栽培研究会メンバーの農家
鯖江市伝統野菜等栽培研究会メンバーの農家では、丹精を込めて吉川ナスを守り続けています。
1000年以上の歴史があるともいわれる「吉川ナス」は福井県鯖江市の伝統野菜でしたが、2009年に栽培農家が1戸もなくなるという危機がありました。そこで残っていた実を受け継ぎ、関係機関で種とりした種から再興に挑んだのが「鯖江市伝統野菜等栽培研究会」です。8戸の農家でスタートした同会は、2022年には21戸に拡大。栽培に留まらず、「吉川ナス」を使った加工品や料理の提供も行っています。また、地理的表示(GI)保護制度への登録により、同市のブランド産品にまで成長。GIへの登録は国内の伝統野菜では初めてのことでした。これらの取組により、改めて地域住民にも吉川ナスのすばらしさが理解され、「鯖江の野菜といえば吉川ナス」といわれるほどになっています。
地元ではこう食べる!
吉川ナスバーガー
油で揚げた輪切りの吉川ナスを挟んだ「吉川ナスバーガー」。
吉川ナスの肉みそ田楽
器に仕立てた吉川ナスを素揚げし、肉みそを詰めた「吉川ナスの肉みそ田楽」。
向笠千恵子(むかさちえこ)さん
加熱すると実がとろっと柔らかくなり、おいしい吉川ナス。田楽や揚げ物などの食べ方がぴったりです。ブランド化が進み、伝統的な食べ方以外に「吉川ナスバーガー」なども生まれ、これからもっと広く知られていくでしょう。
#金泽亚美#
おやすみ
2024.03.29
こんばんは
金澤亜美です
今日はゆっくりすごしました
こっかちゃん家から、しらすと干し芋をいただいて
それを食べながら過ごしてました^^
お風呂もいつもより早めに入ってもう寝る準備満タンです
昨日の写真のでこだし、( ◜︎︎◝ ) ばーじょん
でこだし金澤はどうですか
普段はぜんぜんしないです
( ◜︎︎◝ ) この絵文字こっかっぽい
明日終わったら握手会だねー!!!
最後の握手会だから楽しもうね
福岡初めてだからそれも楽しみなんです
この前のお話会で福岡のお土産教えてくださる方が何人かいたんだけど
ぜひ何かあったらまた教えてください!!
みんなと会えるの楽しみにしてます
この服前日に届いたおNewの服だったんです
写真撮ってもらって確認した時に、
コンセントのとこがタグに見えて
え!!今日ずっとタグ付けっぱだったっけ、、、
って一瞬びっくりしました笑
明日も頑張ろうね。
またね
#かなざわあみのつぶやき
#272
おやすみ
2024.03.29
こんばんは
金澤亜美です
今日はゆっくりすごしました
こっかちゃん家から、しらすと干し芋をいただいて
それを食べながら過ごしてました^^
お風呂もいつもより早めに入ってもう寝る準備満タンです
昨日の写真のでこだし、( ◜︎︎◝ ) ばーじょん
でこだし金澤はどうですか
普段はぜんぜんしないです
( ◜︎︎◝ ) この絵文字こっかっぽい
明日終わったら握手会だねー!!!
最後の握手会だから楽しもうね
福岡初めてだからそれも楽しみなんです
この前のお話会で福岡のお土産教えてくださる方が何人かいたんだけど
ぜひ何かあったらまた教えてください!!
みんなと会えるの楽しみにしてます
この服前日に届いたおNewの服だったんです
写真撮ってもらって確認した時に、
コンセントのとこがタグに見えて
え!!今日ずっとタグ付けっぱだったっけ、、、
って一瞬びっくりしました笑
明日も頑張ろうね。
またね
#かなざわあみのつぶやき
#272
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