さまざまな分野のクリエイターが、都会という場所にとらわれずに活躍している。アニメ「進撃の巨人」で作画監督を務めるなど人気作品に参加してきたアニメーターの富田恵美(とみためぐみ)さん(41)=黒潮町=と、気鋭の映画監督で、ミュージシャンとして2人組バンド「Bialystocks(ビアリストックス)」でも活動する甫木元空(ほきもとそら)さん(31)=四万十町。それぞれ数年前に高知に移住した2人は、のどかで自然豊かな土地から、広い世界に作品を発信している。
音楽・小説 多彩な活動 ルーツの地で何か撮りたい
「この子は難儀やったと思います。埼玉ではお父さんが逝って、高知ではお母さんが逝ってね…」。四万十町の山あいにある民家。甫木元さんの祖父、尊英(たかひで)さん(91)が、縁側の椅子にゆっくり腰掛けながら話し始めた。
甫木元さんは少し離れて、赤い実を付けたナンテンが植わる庭の方を黙って見つめている。
尊英さんは両手を膝に置き「まこと、つらかったことよねー。そんな気持ちが映画や小説にはよう出ちゅうと思います」。ちょっと間を置いて「ほんでも僕は…」と孫を見ながら「この子の作品は物語の筋が少し分かりにくいと思うがよ。もっと起承転結でよね、ピシャッとしたもんにせんといかんわね」。
小学校の元教員だった尊英さん。まるで担任の先生が教え子の作文を採点するかのような言葉に、甫木元さんが「ははっ」と声を上げて笑うと、にっこり優しい笑顔を向けた―。
埼玉県で市民ミュージカルなどの舞台演出をする父と、ピアノ講師をする母の間に生まれた甫木元さん。フォークソングや童謡がいつも自然と流れているような家庭で育った。2013年、がんを患っていた父と死別。その時に考えた死生観を作品化した長編映画「はるねこ」(16年)で監督、脚本、音楽を手掛けた。22年にバンド「Bialystocks」でポニーキャニオンのレーベルからデビューし、23年には新潮社から小説を出版。多才ぶりを発揮する気鋭が、なぜ同町で祖父と暮らすのか―。自宅を訪ねた。
甫木元さんが母・志津さんの故郷である同町に移り住んだのは17年。志津さんは甫木元さんより先に、1人暮らしの父をみるため実家に戻っていた。「母は来てすぐ、がんが見つかり、余命宣告を受けました。90歳近い祖父と末期がんの母、心配ですよね。それに僕のルーツの高知で何か撮りたいって思いがありました」
甫木元さんが手掛けた映画「はだかのゆめ」(22年)、同名小説(23年)は、尊英さんや21年に亡くなった志津さんと暮らした記録がベースになっている。
家の前の畑には菜花、大根、白菜、タマネギなどが植わっている。「みんなじいちゃんが作ってます。元気っすよねー、ほんと。90過ぎているんですけどね」。都会的な雰囲気をまとい、口数が少ない甫木元さんだが、尊英さんの話になるとうれしそうに話す。
「あの木ですね」。甫木元さんが指さす畑の向こうには、ネムノキが白い枝を広げている。「僕の寝る部屋からいつも見えるんです。芽吹き、花が咲いて、実を付け、葉が枯れて散っていく。窓の外の風景が四季と一緒に移り変わっていくさまが、高知に来ていとおしく感じられるようになりました」
「片付けられないでいる」という志津さんの机と椅子。甫木元さんはそっと腰掛ける。「父が亡くなり、今度は母も亡くなろうしている時、じいちゃんが『なるようにしかならん』みたいなことを言っていて…。どうにもならないことにはあらがおうとはせず、のみ込みながら、淡々と畑仕事をしたり、ブシュカンを搾って焼酎を飲んだり、朝ドラや大河ドラマを欠かさず見たり…」
そんな祖父の姿を目にして「近くの四万十川に架かる沈下橋のようだなって。台風が来たら来たで沈んでしまう沈下橋のような。僕の中でとても腑(ふ)に落ちたんです」。
この日は高知県立美術館で行われる個展の開幕日。支度する甫木元さんに、尊英さんが声を掛ける。「空よ。晩ご飯は戻らんか? 魚、さばこうと思いゆうけんど。そうか、夜はイベントか」
「じゃあ行ってくる」と玄関の引き戸に手を掛ける甫木元さんを「おい、空」と呼び止める尊英さん。わざわざ靴を履き、近寄って目を見つめ「無理はな、し過ぎられんぞ」と話す。甫木元さんはちょっと照れくさそうに「うん」と一言だけ返して家を後にした―。
「高知は不便ですよ。レコーディングや打ち合わせなんかは東京ですから。でも、なるようになるでしょう。移り住んで7年になろうとしていますが、映画も音楽も小説も、僕が描いたのは高知で暮らす日常の風景です。それに、じいちゃんがいますしね」(久保俊典)
ほきもと・そら 埼玉県越生(おごせ)町生まれ。多摩美術大学映像演劇学科卒業。在学中に「EUREKA ユリイカ」などで知られる映画監督の故・青山真治のゼミ生として教えを受けた。主な監督作品として、同町を舞台にした「はるねこ」(2016年)、四万十町での移住生活を投影した「はだかのゆめ」(22年)がある。19年にバンド「Bialystocks」を結成。23年には「はだかのゆめ」の原案である同名小説を刊行した。
音楽・小説 多彩な活動 ルーツの地で何か撮りたい
「この子は難儀やったと思います。埼玉ではお父さんが逝って、高知ではお母さんが逝ってね…」。四万十町の山あいにある民家。甫木元さんの祖父、尊英(たかひで)さん(91)が、縁側の椅子にゆっくり腰掛けながら話し始めた。
甫木元さんは少し離れて、赤い実を付けたナンテンが植わる庭の方を黙って見つめている。
尊英さんは両手を膝に置き「まこと、つらかったことよねー。そんな気持ちが映画や小説にはよう出ちゅうと思います」。ちょっと間を置いて「ほんでも僕は…」と孫を見ながら「この子の作品は物語の筋が少し分かりにくいと思うがよ。もっと起承転結でよね、ピシャッとしたもんにせんといかんわね」。
小学校の元教員だった尊英さん。まるで担任の先生が教え子の作文を採点するかのような言葉に、甫木元さんが「ははっ」と声を上げて笑うと、にっこり優しい笑顔を向けた―。
埼玉県で市民ミュージカルなどの舞台演出をする父と、ピアノ講師をする母の間に生まれた甫木元さん。フォークソングや童謡がいつも自然と流れているような家庭で育った。2013年、がんを患っていた父と死別。その時に考えた死生観を作品化した長編映画「はるねこ」(16年)で監督、脚本、音楽を手掛けた。22年にバンド「Bialystocks」でポニーキャニオンのレーベルからデビューし、23年には新潮社から小説を出版。多才ぶりを発揮する気鋭が、なぜ同町で祖父と暮らすのか―。自宅を訪ねた。
甫木元さんが母・志津さんの故郷である同町に移り住んだのは17年。志津さんは甫木元さんより先に、1人暮らしの父をみるため実家に戻っていた。「母は来てすぐ、がんが見つかり、余命宣告を受けました。90歳近い祖父と末期がんの母、心配ですよね。それに僕のルーツの高知で何か撮りたいって思いがありました」
甫木元さんが手掛けた映画「はだかのゆめ」(22年)、同名小説(23年)は、尊英さんや21年に亡くなった志津さんと暮らした記録がベースになっている。
家の前の畑には菜花、大根、白菜、タマネギなどが植わっている。「みんなじいちゃんが作ってます。元気っすよねー、ほんと。90過ぎているんですけどね」。都会的な雰囲気をまとい、口数が少ない甫木元さんだが、尊英さんの話になるとうれしそうに話す。
「あの木ですね」。甫木元さんが指さす畑の向こうには、ネムノキが白い枝を広げている。「僕の寝る部屋からいつも見えるんです。芽吹き、花が咲いて、実を付け、葉が枯れて散っていく。窓の外の風景が四季と一緒に移り変わっていくさまが、高知に来ていとおしく感じられるようになりました」
「片付けられないでいる」という志津さんの机と椅子。甫木元さんはそっと腰掛ける。「父が亡くなり、今度は母も亡くなろうしている時、じいちゃんが『なるようにしかならん』みたいなことを言っていて…。どうにもならないことにはあらがおうとはせず、のみ込みながら、淡々と畑仕事をしたり、ブシュカンを搾って焼酎を飲んだり、朝ドラや大河ドラマを欠かさず見たり…」
そんな祖父の姿を目にして「近くの四万十川に架かる沈下橋のようだなって。台風が来たら来たで沈んでしまう沈下橋のような。僕の中でとても腑(ふ)に落ちたんです」。
この日は高知県立美術館で行われる個展の開幕日。支度する甫木元さんに、尊英さんが声を掛ける。「空よ。晩ご飯は戻らんか? 魚、さばこうと思いゆうけんど。そうか、夜はイベントか」
「じゃあ行ってくる」と玄関の引き戸に手を掛ける甫木元さんを「おい、空」と呼び止める尊英さん。わざわざ靴を履き、近寄って目を見つめ「無理はな、し過ぎられんぞ」と話す。甫木元さんはちょっと照れくさそうに「うん」と一言だけ返して家を後にした―。
「高知は不便ですよ。レコーディングや打ち合わせなんかは東京ですから。でも、なるようになるでしょう。移り住んで7年になろうとしていますが、映画も音楽も小説も、僕が描いたのは高知で暮らす日常の風景です。それに、じいちゃんがいますしね」(久保俊典)
ほきもと・そら 埼玉県越生(おごせ)町生まれ。多摩美術大学映像演劇学科卒業。在学中に「EUREKA ユリイカ」などで知られる映画監督の故・青山真治のゼミ生として教えを受けた。主な監督作品として、同町を舞台にした「はるねこ」(2016年)、四万十町での移住生活を投影した「はだかのゆめ」(22年)がある。19年にバンド「Bialystocks」を結成。23年には「はだかのゆめ」の原案である同名小説を刊行した。
#金泽亚美#
まる2
2024.01.05
こんばんは
金澤亜美です
昨日のブログ
サンタのヒゲって?ってなっている方もいらっしゃったみたいで、言葉足らずでごめんね
メロンにアイスが乗っているやつを
サンタのヒゲ って言うんです
すっっごい美味しいのでぜひ
カメラマンはぱぱです
羽根つきしました~!
わたしもお姉ちゃんもバドミントンを部活でした事があったので
バドミントンとちょっと似てるから
自信満々でやったけど全然出来なくて笑
難しかったです
でもお正月って感じが味わえて楽しかった~
竹馬もやりました
小学生ぶりかな
難しくて!倒れそうになるし上手くいったと思っても
足が滑ってだめだったり
パパが上手でコツを教えてもらって、ちょっっとだけできた、かな?
何も考えずに遊ぶ時間も楽しかったです˙ᵕ˙
みたらし団子
もっっちもちで美味しかったです
和菓子最高だね
あとね、
デビュー前の合宿をした場所の近くにいたので
寄ってみたんです
デビュー曲の振り入れをした体育館とか
インタビューで座った椅子とか
全部懐かしくて。ここであんなことしたなーって思い出しました
初心を忘れずに頑張ろうって言う意味でも
新年にこうやって最初の思い出の場所を見に行けて良かったです˙ᵕ˙
完!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今日は僕青成人式がありました
20歳のゆうほちゃん、あやちゃん、まなちゃん
振袖姿、写真で見ました
3人ともすごく似合ってて、綺麗でした
おめでとう!!
今日はお休みが終わって初めてのレッスンで久しぶりにメンバーに会いました
沢山お土産をくれました~˙ᵕ˙
みんなの地元とか旅行先のとか、、
たくさん貰いましたみんなありがとう!
食べるのが楽しみです
私は明日あげます
明日は握手会です!
2部の13:30〜14:30に参加します
新年一発目!皆さんにお会い出来るのとっても楽しみです
豊洲PITで待ってるよ~
読んで下さりありがとうございました
またね~
#かなざわあみのつぶやき #178
まる2
2024.01.05
こんばんは
金澤亜美です
昨日のブログ
サンタのヒゲって?ってなっている方もいらっしゃったみたいで、言葉足らずでごめんね
メロンにアイスが乗っているやつを
サンタのヒゲ って言うんです
すっっごい美味しいのでぜひ
カメラマンはぱぱです
羽根つきしました~!
わたしもお姉ちゃんもバドミントンを部活でした事があったので
バドミントンとちょっと似てるから
自信満々でやったけど全然出来なくて笑
難しかったです
でもお正月って感じが味わえて楽しかった~
竹馬もやりました
小学生ぶりかな
難しくて!倒れそうになるし上手くいったと思っても
足が滑ってだめだったり
パパが上手でコツを教えてもらって、ちょっっとだけできた、かな?
何も考えずに遊ぶ時間も楽しかったです˙ᵕ˙
みたらし団子
もっっちもちで美味しかったです
和菓子最高だね
あとね、
デビュー前の合宿をした場所の近くにいたので
寄ってみたんです
デビュー曲の振り入れをした体育館とか
インタビューで座った椅子とか
全部懐かしくて。ここであんなことしたなーって思い出しました
初心を忘れずに頑張ろうって言う意味でも
新年にこうやって最初の思い出の場所を見に行けて良かったです˙ᵕ˙
完!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今日は僕青成人式がありました
20歳のゆうほちゃん、あやちゃん、まなちゃん
振袖姿、写真で見ました
3人ともすごく似合ってて、綺麗でした
おめでとう!!
今日はお休みが終わって初めてのレッスンで久しぶりにメンバーに会いました
沢山お土産をくれました~˙ᵕ˙
みんなの地元とか旅行先のとか、、
たくさん貰いましたみんなありがとう!
食べるのが楽しみです
私は明日あげます
明日は握手会です!
2部の13:30〜14:30に参加します
新年一発目!皆さんにお会い出来るのとっても楽しみです
豊洲PITで待ってるよ~
読んで下さりありがとうございました
またね~
#かなざわあみのつぶやき #178
「食料尽きそう」 道路寸断で救援物資搬送が難航 能登半島地震
1/5(金) 8:56配信
大地震に見舞われた能登半島の各地には、がれきの中でまだ救助を待つ人がいる。4日夕、生存率が大幅に低下するとされる最初の揺れから72時間が経過。道路が寸断され、救助用重機や支援物資の調達がままならない中、非情にも時間だけが過ぎていく。
石川県によると、4日午後3時時点で371カ所の避難所に計約3万3500人が避難している。一部地域では食料などの搬入が始まったが、基幹道路の国道249号をはじめ陥没やひび割れで道路網が寸断、被害の大きかった輪島市や珠洲市を中心に物資が届いていないところも多い。輪島、珠洲、七尾、穴水、能登の5市町では孤立集落も生じている。被災者らは寒さや空腹に耐えながら、支援を待っている。
「もう少しで食料が尽きそうだ」。珠洲市立飯田小学校に避難している公務員の男性(25)は窮状を訴える。指定避難所となっている同小には1日、収容可能人数を大幅に上回る約800人が押し寄せた。土砂崩れで体育館の一部が損壊し、被災者は教室や職員室で寝泊まりしているという。
男性によると、同校には非常用のご飯や水など大量の備蓄があったが、想定以上の避難者が集まったため、大半が初日でなくなった。現在は残った菓子パンを少しずつ分け合っているが、4日夜にも底を突くという。
男性は「被災者の多くは自宅が倒壊して避難生活の長期化が見込まれる。市に支援を求めているが物資は届かず、自転車操業状態だ。早急に食料と水がほしい」と話した。
能登町立鵜川小学校に身を寄せる大学生、馬場なつみさん(21)は「飲み物や食料、温かいものが足りていない」と訴える。兵庫県から町内の実家に帰省中に被災し、スマートフォンだけを持って避難してきた。被災当日は全く食べられず、2日以降は1日2回配られる小さなおにぎりと二口ほどのスープでしのぐ。一時は約300人が避難し、中には食料が行き渡らず、被災した自宅に戻る人もいたという。
避難所の掲示板には、毛布やご飯、カイロなど必要な物が次々と書き出された。避難者の8割近くが高齢者だといい、硬い床や段ボールの上での生活を余儀なくされている。馬場さんは「常備薬が尽きてお年寄りの病状が悪化したり、栄養不足になったりしないか心配だ」と案じた。
珠洲市野々江町の県立飯田高校も物資が不足し、被災者が備蓄の乾パンをかじるなどして食いつないでいる。避難中の男性(55)によると、近くのスーパーには店を囲むように行列ができ、商品棚からはレトルト食品や水がなくなった。2日には自衛隊が高校近くまで到着したが、周辺の道路が陥没して給水車が通れなかったという。
関西広域連合は4日、石川県庁内に現地支援本部を設置し、被災自治体ごとにカウンターパートとなる府県を決めて、被災者支援に当たる方針を決めた。現地に派遣している連絡員からの情報を基に、連合が窓口となって加盟府県に支援を依頼し、各府県は担当の被災自治体に順次、必要な物資を送る。
広域防災担当の斎藤元彦・兵庫県知事はこの日の会議後、報道陣の取材に「ブルーシートや水、簡易トイレなど、どこに何を送るべきか、既に走り出している府県もある。国の動きとも連動しながら(支援の)太いパイプを作っていきたい」と話した。【郡悠介、斉藤朋恵、高木香奈、戸田紗友莉】
1/5(金) 8:56配信
大地震に見舞われた能登半島の各地には、がれきの中でまだ救助を待つ人がいる。4日夕、生存率が大幅に低下するとされる最初の揺れから72時間が経過。道路が寸断され、救助用重機や支援物資の調達がままならない中、非情にも時間だけが過ぎていく。
石川県によると、4日午後3時時点で371カ所の避難所に計約3万3500人が避難している。一部地域では食料などの搬入が始まったが、基幹道路の国道249号をはじめ陥没やひび割れで道路網が寸断、被害の大きかった輪島市や珠洲市を中心に物資が届いていないところも多い。輪島、珠洲、七尾、穴水、能登の5市町では孤立集落も生じている。被災者らは寒さや空腹に耐えながら、支援を待っている。
「もう少しで食料が尽きそうだ」。珠洲市立飯田小学校に避難している公務員の男性(25)は窮状を訴える。指定避難所となっている同小には1日、収容可能人数を大幅に上回る約800人が押し寄せた。土砂崩れで体育館の一部が損壊し、被災者は教室や職員室で寝泊まりしているという。
男性によると、同校には非常用のご飯や水など大量の備蓄があったが、想定以上の避難者が集まったため、大半が初日でなくなった。現在は残った菓子パンを少しずつ分け合っているが、4日夜にも底を突くという。
男性は「被災者の多くは自宅が倒壊して避難生活の長期化が見込まれる。市に支援を求めているが物資は届かず、自転車操業状態だ。早急に食料と水がほしい」と話した。
能登町立鵜川小学校に身を寄せる大学生、馬場なつみさん(21)は「飲み物や食料、温かいものが足りていない」と訴える。兵庫県から町内の実家に帰省中に被災し、スマートフォンだけを持って避難してきた。被災当日は全く食べられず、2日以降は1日2回配られる小さなおにぎりと二口ほどのスープでしのぐ。一時は約300人が避難し、中には食料が行き渡らず、被災した自宅に戻る人もいたという。
避難所の掲示板には、毛布やご飯、カイロなど必要な物が次々と書き出された。避難者の8割近くが高齢者だといい、硬い床や段ボールの上での生活を余儀なくされている。馬場さんは「常備薬が尽きてお年寄りの病状が悪化したり、栄養不足になったりしないか心配だ」と案じた。
珠洲市野々江町の県立飯田高校も物資が不足し、被災者が備蓄の乾パンをかじるなどして食いつないでいる。避難中の男性(55)によると、近くのスーパーには店を囲むように行列ができ、商品棚からはレトルト食品や水がなくなった。2日には自衛隊が高校近くまで到着したが、周辺の道路が陥没して給水車が通れなかったという。
関西広域連合は4日、石川県庁内に現地支援本部を設置し、被災自治体ごとにカウンターパートとなる府県を決めて、被災者支援に当たる方針を決めた。現地に派遣している連絡員からの情報を基に、連合が窓口となって加盟府県に支援を依頼し、各府県は担当の被災自治体に順次、必要な物資を送る。
広域防災担当の斎藤元彦・兵庫県知事はこの日の会議後、報道陣の取材に「ブルーシートや水、簡易トイレなど、どこに何を送るべきか、既に走り出している府県もある。国の動きとも連動しながら(支援の)太いパイプを作っていきたい」と話した。【郡悠介、斉藤朋恵、高木香奈、戸田紗友莉】
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