毕业典礼那天,教师·九条里奈被似乎是学生的人推落,回过神发现回到了开学仪式当天的教室里。对于要查明真相的她来说,这次解禁的卡司会有带来怎么样的影响呢?
林结起哉 役/#犬饲贵丈#
林老师对自己自信、认为自己能干,通过九条老师,我很期待他今后会发生什么样的变化。
在办公室的对手戏,我觉得是唯一有些无力的场景,所以要是能表现出教室和办公室对比的有趣就好了。
这部作品讲述了每一个人鼓起勇气、向前迈出一步的故事,但我认为收看的每一位观众绝对能通过学生们的纠葛和向前一步的样子,以及九条老师真诚相待学生们的样子感受到什么,每一话都包含着传达给观众们的讯息,希望大家期待每周六的到来。
卒業式の日、生徒と思しき人物に突き落されるも、気が付けば始業式の日の教室に戻っていた教師・九条里奈。真相を突き止めようとする彼女に、今回解禁のキャストたちはどのような影響を与えていくのか?
林結起哉 役 / 犬飼貴丈
■#犬飼貴丈# コメント
林先生は、自分に自信があって上手くやれていると思っている先生なのですが、九条先生を通して、今後それがどう変わっていくんだろうと楽しみに感じました。職員室でのやり取りは、唯一ちょっと力の抜けるシーンだと思うので、教室と職員室との対比の面白さが出せたらいいなと思います。この作品は、1人1人が勇気を出して一歩踏み出していくお話でもあると思うのですが、見ている人たちも、そういう生徒たちの葛藤や一歩踏み出す様子、九条先生の真摯に生徒と向き合う様子を通して感じるものは絶対にあると思うので、1話1話に込められたメッセージが視聴者の方々に届いて、毎週土曜日が楽しみになってくれればいいなと思います。
林结起哉 役/#犬饲贵丈#
林老师对自己自信、认为自己能干,通过九条老师,我很期待他今后会发生什么样的变化。
在办公室的对手戏,我觉得是唯一有些无力的场景,所以要是能表现出教室和办公室对比的有趣就好了。
这部作品讲述了每一个人鼓起勇气、向前迈出一步的故事,但我认为收看的每一位观众绝对能通过学生们的纠葛和向前一步的样子,以及九条老师真诚相待学生们的样子感受到什么,每一话都包含着传达给观众们的讯息,希望大家期待每周六的到来。
卒業式の日、生徒と思しき人物に突き落されるも、気が付けば始業式の日の教室に戻っていた教師・九条里奈。真相を突き止めようとする彼女に、今回解禁のキャストたちはどのような影響を与えていくのか?
林結起哉 役 / 犬飼貴丈
■#犬飼貴丈# コメント
林先生は、自分に自信があって上手くやれていると思っている先生なのですが、九条先生を通して、今後それがどう変わっていくんだろうと楽しみに感じました。職員室でのやり取りは、唯一ちょっと力の抜けるシーンだと思うので、教室と職員室との対比の面白さが出せたらいいなと思います。この作品は、1人1人が勇気を出して一歩踏み出していくお話でもあると思うのですが、見ている人たちも、そういう生徒たちの葛藤や一歩踏み出す様子、九条先生の真摯に生徒と向き合う様子を通して感じるものは絶対にあると思うので、1話1話に込められたメッセージが視聴者の方々に届いて、毎週土曜日が楽しみになってくれればいいなと思います。
南北戦争を終わらせたのは1枚のふきんだった、「米国史上最も血なまぐさい戦い」を止めた布
1865年4月9日、米国バージニア州アポマトックスで北軍が南軍を包囲するなか、南軍のロバート・E・リー将軍は降伏の交渉を始めるしかないと判断した。リーは北軍のユリシーズ・S・グラント将軍と会見するまでの間、停戦を求めるため、敵陣に参謀を送り込んだ。南軍のR・M・シムズ大尉は安全に通行するため、端に赤の3本線が入ったフリンジ付きの白いふきんを携帯した。
ギャラリー:世界が知らない、ウクライナの美しい風景 写真10点
現在、スミソニアン国立アメリカ歴史博物館の3階には、南軍の休戦の旗として知られるこのふきんの半分が、「米国の大統領職」という展示の一部としてガラスケースに収められている。「これは国の宝です」と、旗の研究を専門とするNPO北米旗章学協会の一員で、旗章学のコンサルティングをしているジェイムズ・フェリガン氏は話す。「米国史上最も血なまぐさい戦いを終わらせるための話し合いを始めるきっかけとなった旗ですから」
休戦の旗は敗戦の記念物?
1865年4月、この旗はリーとグラントの友好的な会談への道を開いた。その5日後、エイブラハム・リンカーン大統領が南部連合支持者の俳優ジョン・ウィルクス・ブースに暗殺された。南北の戦いは、1866年8月にアンドリュー・ジョンソン大統領が正式に終結を宣言するまで、さらに1年半ほど続いたが、アポマトックス・コートハウスでの降伏を南北戦争の事実上の終戦と考える人も多い。シムズにとっては無念なことに、最終的に休戦の旗は北軍の手に渡ってしまった。シムズは降伏時に自身が果たした役割を説明する1886年5月の手紙に次のように書いている。「(北軍の)ウィテカー大佐から、私が旗として使ったふきんをとっておきたいと言われ、こう答えました。『誰がそんなことをするものか。それを持ち、見せるだけでも十分に屈辱的なことなのに、私たちの敗北の記念物として保存させるわけにはいかない』と」
戦後、北軍のフィリップ・シェリダン将軍は同じく北軍のジョージ・カスター将軍の妻エリザベスに、「彼女の夫の忠誠心に感謝して」休戦の旗を贈った。そして、エリザベスの死後、遺言に従い、スミソニアン芸術産業館の前身である国立博物館に寄贈された。スミソニアンのコレクションに加わったのは1936年だ(どこかの時点で、旗は半分に切断されており、残りの半分は今も行方不明だ)。「休戦の旗をわざわざつくる軍隊はない」
ところで、なぜふきんだったのだろう? 休戦の旗には、歴史を通じてほぼ例外なく、タオル、シーツ、枕カバーなどの家庭用品が使われてきた。
「兵士たちの士気を下げてしまう恐れがあるため、休戦の旗をわざわざつくる軍隊は世界中どこにもありません」とフェリガン氏は説明する。「そのため、不利な状況に陥り、自分たちより強力な武器と多くの兵士を備える相手と話をする必要が生じたら、そのときは、何か旗の代用品を見つけなければなりません」
アメリカ歴史博物館の学芸員として「米国の大統領職」の展示を担当するリサ・キャスリーン・グラディー氏は、博物館を訪れる人にとって、休戦の旗は政治的信条、生い立ち、家族の歴史、人生経験、アイデンティティーによって異なる意味を持つと考えている。そして、南軍が北軍に降伏したのは160年近く前だが、この旗が象徴するものは時とともに変化し続けている。
「物の素晴らしいところは、その瞬間の感情や重要性を物理的にも比喩的にも持ち続けることであり、だからこそ私たちはそれを保存するのです」とグラディー氏は話す。「しかし、解釈は見る人によって異なります。苦々しい瞬間とも言えますし、勝利の瞬間とも言えます」南北戦争の旗として有名な南軍旗も同様だ。休戦の旗がほとんど知られていない一方で、南軍旗は人種差別の象徴になり、ベビー服からキーホルダーまで、あらゆるものに使われている。米アマースト大学の芸術・芸術史教授であるアーティストのソーニャ・クラーク氏は、フィラデルフィアのファブリック・ワークショップ・アンド・ミュージアムで2019年に開いた展覧会「Monumental Cloth, The Flag We Should Know(記念碑的な布、私たちが知るべき旗)」で、2つの旗の対照的な歴史を探究した。クラーク氏がこの展覧会で伝えようとしたのは、対立をあおる南軍旗ではなく、平和をもたらす休戦の旗が米国の物語で優位を占める世界を想像してほしいということだった。
だがそれから4年後の今、ジョージ・フロイド氏の死が米国の人種問題を浮き彫りにし、白人至上主義者が民主主義を脅かし続けるなか、休戦の旗が持つ意味に対するクラーク氏の思いは複雑になる一方だ。氏は問いかける。「私たちは、いったいどのような進歩を遂げられたでしょうか?」
文=SARAH KUTA/訳=米井香織
1865年4月9日、米国バージニア州アポマトックスで北軍が南軍を包囲するなか、南軍のロバート・E・リー将軍は降伏の交渉を始めるしかないと判断した。リーは北軍のユリシーズ・S・グラント将軍と会見するまでの間、停戦を求めるため、敵陣に参謀を送り込んだ。南軍のR・M・シムズ大尉は安全に通行するため、端に赤の3本線が入ったフリンジ付きの白いふきんを携帯した。
ギャラリー:世界が知らない、ウクライナの美しい風景 写真10点
現在、スミソニアン国立アメリカ歴史博物館の3階には、南軍の休戦の旗として知られるこのふきんの半分が、「米国の大統領職」という展示の一部としてガラスケースに収められている。「これは国の宝です」と、旗の研究を専門とするNPO北米旗章学協会の一員で、旗章学のコンサルティングをしているジェイムズ・フェリガン氏は話す。「米国史上最も血なまぐさい戦いを終わらせるための話し合いを始めるきっかけとなった旗ですから」
休戦の旗は敗戦の記念物?
1865年4月、この旗はリーとグラントの友好的な会談への道を開いた。その5日後、エイブラハム・リンカーン大統領が南部連合支持者の俳優ジョン・ウィルクス・ブースに暗殺された。南北の戦いは、1866年8月にアンドリュー・ジョンソン大統領が正式に終結を宣言するまで、さらに1年半ほど続いたが、アポマトックス・コートハウスでの降伏を南北戦争の事実上の終戦と考える人も多い。シムズにとっては無念なことに、最終的に休戦の旗は北軍の手に渡ってしまった。シムズは降伏時に自身が果たした役割を説明する1886年5月の手紙に次のように書いている。「(北軍の)ウィテカー大佐から、私が旗として使ったふきんをとっておきたいと言われ、こう答えました。『誰がそんなことをするものか。それを持ち、見せるだけでも十分に屈辱的なことなのに、私たちの敗北の記念物として保存させるわけにはいかない』と」
戦後、北軍のフィリップ・シェリダン将軍は同じく北軍のジョージ・カスター将軍の妻エリザベスに、「彼女の夫の忠誠心に感謝して」休戦の旗を贈った。そして、エリザベスの死後、遺言に従い、スミソニアン芸術産業館の前身である国立博物館に寄贈された。スミソニアンのコレクションに加わったのは1936年だ(どこかの時点で、旗は半分に切断されており、残りの半分は今も行方不明だ)。「休戦の旗をわざわざつくる軍隊はない」
ところで、なぜふきんだったのだろう? 休戦の旗には、歴史を通じてほぼ例外なく、タオル、シーツ、枕カバーなどの家庭用品が使われてきた。
「兵士たちの士気を下げてしまう恐れがあるため、休戦の旗をわざわざつくる軍隊は世界中どこにもありません」とフェリガン氏は説明する。「そのため、不利な状況に陥り、自分たちより強力な武器と多くの兵士を備える相手と話をする必要が生じたら、そのときは、何か旗の代用品を見つけなければなりません」
アメリカ歴史博物館の学芸員として「米国の大統領職」の展示を担当するリサ・キャスリーン・グラディー氏は、博物館を訪れる人にとって、休戦の旗は政治的信条、生い立ち、家族の歴史、人生経験、アイデンティティーによって異なる意味を持つと考えている。そして、南軍が北軍に降伏したのは160年近く前だが、この旗が象徴するものは時とともに変化し続けている。
「物の素晴らしいところは、その瞬間の感情や重要性を物理的にも比喩的にも持ち続けることであり、だからこそ私たちはそれを保存するのです」とグラディー氏は話す。「しかし、解釈は見る人によって異なります。苦々しい瞬間とも言えますし、勝利の瞬間とも言えます」南北戦争の旗として有名な南軍旗も同様だ。休戦の旗がほとんど知られていない一方で、南軍旗は人種差別の象徴になり、ベビー服からキーホルダーまで、あらゆるものに使われている。米アマースト大学の芸術・芸術史教授であるアーティストのソーニャ・クラーク氏は、フィラデルフィアのファブリック・ワークショップ・アンド・ミュージアムで2019年に開いた展覧会「Monumental Cloth, The Flag We Should Know(記念碑的な布、私たちが知るべき旗)」で、2つの旗の対照的な歴史を探究した。クラーク氏がこの展覧会で伝えようとしたのは、対立をあおる南軍旗ではなく、平和をもたらす休戦の旗が米国の物語で優位を占める世界を想像してほしいということだった。
だがそれから4年後の今、ジョージ・フロイド氏の死が米国の人種問題を浮き彫りにし、白人至上主義者が民主主義を脅かし続けるなか、休戦の旗が持つ意味に対するクラーク氏の思いは複雑になる一方だ。氏は問いかける。「私たちは、いったいどのような進歩を遂げられたでしょうか?」
文=SARAH KUTA/訳=米井香織
2023年6月19日発売 AERA 2023年6月26日号から
木村拓哉 × 蜷川実花「恐怖心を持ちながら全力で」“トップランナー”でいれられる理由
「何回会っても『うわっ本物がいる!』って思う(笑)。撮影中は目線でリードしてくれてすごく頼もしい」(蜷川)
木村拓哉さんも蜷川実花さんはともに50歳。半世紀の人生をトップランナーとして全力で駆け抜けてきた。なぜ二人は長く走り続けてこられたのか。仕事の取り組み方や考え方について語り合った。
──活躍を続ける二人だが、いまも「うまくできない」と感じることはあるのだろうか。
蜷川:そんなことだらけですよ。私、結構ネガティブ思考で、何かを成し遂げたという感覚は今まで一度もない。一生懸命ポジティブに考えるようにしてるんです(笑)。理不尽に傷つけられることは、仕事でも生きていくうえでもたくさんあります。それをどうやって自分の中でいいことに変えようかを考えてきた。
木村:俺は、つらい時期っていうのはそんなになかったかな。実花ちゃんと似ているけど、つらいという感情が体に付着しそうになったときは、それをどう捌いていくかを、ある種ゲーム感覚で楽しむように考えてた。
蜷川:私の場合は、女性としての大変さもあるし、出る杭に対して無責任に飛んでくる誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)や「こうじゃないといけない」という押しつけを息苦しく感じることもあったな。目立つ場所や新しい場所に立つと、やっぱり風圧が高いんですよ。それは拓哉くんもそうだと思うんだけど。
木村:まともに受けていたら絶対に折れちゃうから、しなることも必要だと思う。向かい風も受け方によっては、ヨットみたいに動力になるし、追い風に変えることもできると思うから。
■冷たい水か熱いお湯
蜷川:聞いた時は本当にしびれた。トップランナーとして、ずっと風を受けながら進んできた拓哉くんだからこそ説得力がある言葉だよね。めっちゃやる気になります。
お互い、できないことをやりたくなっちゃう性質なんだと思う。今でこそ、私も国内ではある程度自分の意見を尊重してくれる環境が整っているけど、海外でやりたいと思ってゼロからスタートしたこともある。自分で自分をなぞりたくない。だから、いつもずっと大変(笑)。
木村:「なぞりたくない」っていいね。
蜷川:経験を重ねると、どうしても前と似た景色や仕事が増えてくるわけじゃない。意識の保ち方や挑戦の仕方はどうしてる? 特に拓哉くんが大変だと思うのは、「キムタクだったら絶対できる!」って、周りが皆思っているでしょ。常に全力?
木村:それしかないというか、調整してられないよね。「できるでしょ」って皆さんが思ってくれていることがうれしいから。ちょっとだけ「おいおい」とも思うけど(笑)、現場に行くと「できるよね?」の圧は伝わってくるから、毎回必死。
蜷川:いわゆる「キムタク」という存在になってから、何十年も経つでしょう?
木村:プレッシャーはあるけど、ストレスは感じてない。だから、面白いんだよね。アニメの主人公になったような気分でワクワクできる。すごく冷たい水か、めちゃくちゃ熱いお湯かの、どっちかが俺は好き。何も温度を感じない場所は興味がないから。
蜷川:私たち、同じ病にかかっていますね(笑)。これだけ経験を積んできたら、手を抜いても回せる場面もあると思うんだけど、それはやりたくない。
木村:うん。
蜷川:すごいよね。拓哉くんのレベルで、すべてのことにある種の恐怖心を持ちながら全力で向き合っているんだから。
木村:そうしたいし、そうじゃないともったいないよ、まじで。ガキの頃は先が見えなくても「行ってみようぜ!」という勢いで進めたと思うんだけど、今もそれは同じで。進んだ先でどうなるかとか、何が待っているかという情報は知りたいと思わないかな。
■経験値があるから何?
蜷川:私もそれはないかな(笑)。若いころは闘争心や劣等感をバネに突き進んできたけど、最近は写真を撮っても「本当に世界って美しいな」と感じるようになったの。一瞬の中に永遠を見る感覚があって、だからこそ瞬間を大切に過ごしたいと思うようになった。50歳になってこんなに世界の見え方が変わるんだってびっくりしてる。長く続けていくためには、フレッシュさを持ち続けることは必要だと思う。たとえ何周目かでも、新しい恐怖感をもって新しいフィールドを探検できる能力というか。だから、経験は積んでいるんだけど、同時に「経験値があるから何?」とも思う。
木村:そうそう! 「で?」って思う(笑)。
木村拓哉 × 蜷川実花「恐怖心を持ちながら全力で」“トップランナー”でいれられる理由
「何回会っても『うわっ本物がいる!』って思う(笑)。撮影中は目線でリードしてくれてすごく頼もしい」(蜷川)
木村拓哉さんも蜷川実花さんはともに50歳。半世紀の人生をトップランナーとして全力で駆け抜けてきた。なぜ二人は長く走り続けてこられたのか。仕事の取り組み方や考え方について語り合った。
──活躍を続ける二人だが、いまも「うまくできない」と感じることはあるのだろうか。
蜷川:そんなことだらけですよ。私、結構ネガティブ思考で、何かを成し遂げたという感覚は今まで一度もない。一生懸命ポジティブに考えるようにしてるんです(笑)。理不尽に傷つけられることは、仕事でも生きていくうえでもたくさんあります。それをどうやって自分の中でいいことに変えようかを考えてきた。
木村:俺は、つらい時期っていうのはそんなになかったかな。実花ちゃんと似ているけど、つらいという感情が体に付着しそうになったときは、それをどう捌いていくかを、ある種ゲーム感覚で楽しむように考えてた。
蜷川:私の場合は、女性としての大変さもあるし、出る杭に対して無責任に飛んでくる誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)や「こうじゃないといけない」という押しつけを息苦しく感じることもあったな。目立つ場所や新しい場所に立つと、やっぱり風圧が高いんですよ。それは拓哉くんもそうだと思うんだけど。
木村:まともに受けていたら絶対に折れちゃうから、しなることも必要だと思う。向かい風も受け方によっては、ヨットみたいに動力になるし、追い風に変えることもできると思うから。
■冷たい水か熱いお湯
蜷川:聞いた時は本当にしびれた。トップランナーとして、ずっと風を受けながら進んできた拓哉くんだからこそ説得力がある言葉だよね。めっちゃやる気になります。
お互い、できないことをやりたくなっちゃう性質なんだと思う。今でこそ、私も国内ではある程度自分の意見を尊重してくれる環境が整っているけど、海外でやりたいと思ってゼロからスタートしたこともある。自分で自分をなぞりたくない。だから、いつもずっと大変(笑)。
木村:「なぞりたくない」っていいね。
蜷川:経験を重ねると、どうしても前と似た景色や仕事が増えてくるわけじゃない。意識の保ち方や挑戦の仕方はどうしてる? 特に拓哉くんが大変だと思うのは、「キムタクだったら絶対できる!」って、周りが皆思っているでしょ。常に全力?
木村:それしかないというか、調整してられないよね。「できるでしょ」って皆さんが思ってくれていることがうれしいから。ちょっとだけ「おいおい」とも思うけど(笑)、現場に行くと「できるよね?」の圧は伝わってくるから、毎回必死。
蜷川:いわゆる「キムタク」という存在になってから、何十年も経つでしょう?
木村:プレッシャーはあるけど、ストレスは感じてない。だから、面白いんだよね。アニメの主人公になったような気分でワクワクできる。すごく冷たい水か、めちゃくちゃ熱いお湯かの、どっちかが俺は好き。何も温度を感じない場所は興味がないから。
蜷川:私たち、同じ病にかかっていますね(笑)。これだけ経験を積んできたら、手を抜いても回せる場面もあると思うんだけど、それはやりたくない。
木村:うん。
蜷川:すごいよね。拓哉くんのレベルで、すべてのことにある種の恐怖心を持ちながら全力で向き合っているんだから。
木村:そうしたいし、そうじゃないともったいないよ、まじで。ガキの頃は先が見えなくても「行ってみようぜ!」という勢いで進めたと思うんだけど、今もそれは同じで。進んだ先でどうなるかとか、何が待っているかという情報は知りたいと思わないかな。
■経験値があるから何?
蜷川:私もそれはないかな(笑)。若いころは闘争心や劣等感をバネに突き進んできたけど、最近は写真を撮っても「本当に世界って美しいな」と感じるようになったの。一瞬の中に永遠を見る感覚があって、だからこそ瞬間を大切に過ごしたいと思うようになった。50歳になってこんなに世界の見え方が変わるんだってびっくりしてる。長く続けていくためには、フレッシュさを持ち続けることは必要だと思う。たとえ何周目かでも、新しい恐怖感をもって新しいフィールドを探検できる能力というか。だから、経験は積んでいるんだけど、同時に「経験値があるから何?」とも思う。
木村:そうそう! 「で?」って思う(笑)。
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