タイ旅行の「あるある」
前にも言ったが、この間タイへ旅行に行ってきた。どこもかしこも中国人で溢れかえっていたので、このままだとタイの観光地が中国人で埋まってしまうのではないかと思うくらいだった…
言うまでもないことだが、観光業はタイの根幹産業の一つである。だから、国全体をあげて観光業に力を注ぐのも納得のいくことである。そしてタイはアジアで、特に近年中国人に最も人気のある観光地に選ばれている。きれいな海でのダイビング、そして立派な宮殿と寺院、それにタイならではのオカマショー等など、どれもこれも観光客を飽きさせないものがある。
だが、残念ながら全てがこのようにお客さんを喜ばせるものばかりではないようだ。周知のようにタイは東南アジアで有数の「小乗仏教」の国である。つまり、敬虔な信徒と厳しい戒律で有名である。その為か我々がタイ旅行で必ず訪れるコースの一つに寺院参拝があり、その中でも「四面仏」像が特に人気がある。衆生の願いを全て聞き入れ、そして叶えてくれるという「神秘の力」を秘めた仏像であるらしい。もちろんそれは一箇所だけでなくタイのあっちこっちに建立されているという。
旅の途中、俺らはある寺院を訪れた。お寺の担当者は寺院の簡単な説明の後、ここの「四面仏」の「ご利益」について長々と説明してくれた。そして我々は言われたどおりに参拝客として「香典」を寄付した。だが、参拝を終えて違う仏像に手を合わせるとまた「香典」を強いられる。しかも甚だしきに至っては仏像のペンダントの押し売りまであったのである。それも「巧妙」な説得術でいかにも君がこの寺で「仏さん」に出会ったのは偶然ではなく前世からの「因縁」であるとか…ところが、その仏像のペンダントの値段たるや、べらぼうに高い!目を見張るばかりである(2000元もする)。だが、おかしいことにお坊さんはそれを決して売っているとは言わない。あくまでもお客さんが喜んでいただくものであるので「請仏」(仏さんを招く?)と言わなければならないと言う。早い話が、君はありがたい気持ちでお金を出してその仏像のペンダントを「押し頂く」というのである。
もちろん、俺はその坊主の話術には乗らなかった。するとまた金箔の紙に願いの言葉を書き入れてやるからといって名前の記入を求められ、「一年なら100元、二年なら200元…」とこれまたお金を要求する。これでもかこれでもかと、とにかくお金を出さないと帰してもらいないといった感じである。
なぜ、坊主のくせにこんなにもお金が好きで、欲望に執着するのだろうか?宗教が金儲けのために悪用されるなんて悲しい気持ちになるばかりである。もちろん、タイの全ての寺院がこのように「金まみれ」になっているとは思えないが…
「私の死後、500年の間は、我が教えは正しく伝わるだろう。また、その後の1000年ばかりは、少しは衰えるが、まだ教えは残っている。しかし、その後の1万年は教えが崩れて似て非なるものとなる」。これは釈迦の予言経典として名高い「大方等大集月蔵経」の一節だが、お釈迦様がもしも今のような「荒れた」世相を目にしたらきっと眠りから覚めて怒ってしまうに違いない。
「香典」や「お布施」はあくまでも参拝客が自ら進んで感謝の気持ちを込めて出すべきものであって、いかなる理由や項目であれ、お客さんからむりやり「巻き上げる」ことは禁ずるべきである。もちろん、どこの国の寺院にも似たような「えげつない」やり方はある。だが、縦えどんなきれいごとを並べられても金品を要求するものなら断固として拒絶すべきである。絶対その口車に乗ってはいけない。そしてそのために疚しい気持ちになることなど全くない。なぜなら仏さんは絶対に皆さんから金品など貰おうなんて考えてないんだから。
2019年2月の広州にて
前にも言ったが、この間タイへ旅行に行ってきた。どこもかしこも中国人で溢れかえっていたので、このままだとタイの観光地が中国人で埋まってしまうのではないかと思うくらいだった…
言うまでもないことだが、観光業はタイの根幹産業の一つである。だから、国全体をあげて観光業に力を注ぐのも納得のいくことである。そしてタイはアジアで、特に近年中国人に最も人気のある観光地に選ばれている。きれいな海でのダイビング、そして立派な宮殿と寺院、それにタイならではのオカマショー等など、どれもこれも観光客を飽きさせないものがある。
だが、残念ながら全てがこのようにお客さんを喜ばせるものばかりではないようだ。周知のようにタイは東南アジアで有数の「小乗仏教」の国である。つまり、敬虔な信徒と厳しい戒律で有名である。その為か我々がタイ旅行で必ず訪れるコースの一つに寺院参拝があり、その中でも「四面仏」像が特に人気がある。衆生の願いを全て聞き入れ、そして叶えてくれるという「神秘の力」を秘めた仏像であるらしい。もちろんそれは一箇所だけでなくタイのあっちこっちに建立されているという。
旅の途中、俺らはある寺院を訪れた。お寺の担当者は寺院の簡単な説明の後、ここの「四面仏」の「ご利益」について長々と説明してくれた。そして我々は言われたどおりに参拝客として「香典」を寄付した。だが、参拝を終えて違う仏像に手を合わせるとまた「香典」を強いられる。しかも甚だしきに至っては仏像のペンダントの押し売りまであったのである。それも「巧妙」な説得術でいかにも君がこの寺で「仏さん」に出会ったのは偶然ではなく前世からの「因縁」であるとか…ところが、その仏像のペンダントの値段たるや、べらぼうに高い!目を見張るばかりである(2000元もする)。だが、おかしいことにお坊さんはそれを決して売っているとは言わない。あくまでもお客さんが喜んでいただくものであるので「請仏」(仏さんを招く?)と言わなければならないと言う。早い話が、君はありがたい気持ちでお金を出してその仏像のペンダントを「押し頂く」というのである。
もちろん、俺はその坊主の話術には乗らなかった。するとまた金箔の紙に願いの言葉を書き入れてやるからといって名前の記入を求められ、「一年なら100元、二年なら200元…」とこれまたお金を要求する。これでもかこれでもかと、とにかくお金を出さないと帰してもらいないといった感じである。
なぜ、坊主のくせにこんなにもお金が好きで、欲望に執着するのだろうか?宗教が金儲けのために悪用されるなんて悲しい気持ちになるばかりである。もちろん、タイの全ての寺院がこのように「金まみれ」になっているとは思えないが…
「私の死後、500年の間は、我が教えは正しく伝わるだろう。また、その後の1000年ばかりは、少しは衰えるが、まだ教えは残っている。しかし、その後の1万年は教えが崩れて似て非なるものとなる」。これは釈迦の予言経典として名高い「大方等大集月蔵経」の一節だが、お釈迦様がもしも今のような「荒れた」世相を目にしたらきっと眠りから覚めて怒ってしまうに違いない。
「香典」や「お布施」はあくまでも参拝客が自ら進んで感謝の気持ちを込めて出すべきものであって、いかなる理由や項目であれ、お客さんからむりやり「巻き上げる」ことは禁ずるべきである。もちろん、どこの国の寺院にも似たような「えげつない」やり方はある。だが、縦えどんなきれいごとを並べられても金品を要求するものなら断固として拒絶すべきである。絶対その口車に乗ってはいけない。そしてそのために疚しい気持ちになることなど全くない。なぜなら仏さんは絶対に皆さんから金品など貰おうなんて考えてないんだから。
2019年2月の広州にて
#黄明昊#
⚓️⚓️⚓️
荒れた青春の海は厳しいけれど
无所适从的青春就像是从海上乘风破浪
明日の岸辺へと 夢の舟よ進め
要乘着梦想之船向着明天的彼岸进发
自分の声を信じ歩けばいいの
只要相信自己的声音一直向前就可以了
人生の全てに意味があるから 恐れずにあなたの夢を育てて
人生肯定有自己的意义,要小心的呵护你的梦想
笑顔を見せて 今を生きていこう
微笑吧,面对目前的生活
この手紙読んでいるあなたが
明昊,希望看到这封信的你啊
幸せな事を願います
能够得到幸福
晚安
⚓️⚓️⚓️
荒れた青春の海は厳しいけれど
无所适从的青春就像是从海上乘风破浪
明日の岸辺へと 夢の舟よ進め
要乘着梦想之船向着明天的彼岸进发
自分の声を信じ歩けばいいの
只要相信自己的声音一直向前就可以了
人生の全てに意味があるから 恐れずにあなたの夢を育てて
人生肯定有自己的意义,要小心的呵护你的梦想
笑顔を見せて 今を生きていこう
微笑吧,面对目前的生活
この手紙読んでいるあなたが
明昊,希望看到这封信的你啊
幸せな事を願います
能够得到幸福
晚安
DAY2https://t.cn/zRpQm8d
自分とは何で どこへ向かうべきか
自己究竟是誰 該朝何處前進
問い続ければ 見えてくる
只要不斷追問 就能找到答案
荒れた青春の海は厳しいけれど
波瀾萬丈的青春之海雖然險惡
明日の岸辺へと 夢の舟よ進め
將夢之舟朝著明日的岸邊前進吧
今 負けないで 泣かないで
此刻 不要放棄 不要流淚
消えてしまいそうな時は
彷彿下一秒就要消失之時
自分の声を信じ歩けばいいの
只要相信自己的聲音 昂首闊步向前走就好
--
有那麼一段時間一直循環著聽的歌
十五歲時的我在做什麼呢
大概也只是每天對著教科書
過著千篇一律的生活吧
自分とは何で どこへ向かうべきか
自己究竟是誰 該朝何處前進
問い続ければ 見えてくる
只要不斷追問 就能找到答案
荒れた青春の海は厳しいけれど
波瀾萬丈的青春之海雖然險惡
明日の岸辺へと 夢の舟よ進め
將夢之舟朝著明日的岸邊前進吧
今 負けないで 泣かないで
此刻 不要放棄 不要流淚
消えてしまいそうな時は
彷彿下一秒就要消失之時
自分の声を信じ歩けばいいの
只要相信自己的聲音 昂首闊步向前走就好
--
有那麼一段時間一直循環著聽的歌
十五歲時的我在做什麼呢
大概也只是每天對著教科書
過著千篇一律的生活吧
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