啊奥尔什方没了,有点难过,但他说我笑起来很好看是什么意思,还有我跟那个黑头发的对话选项选的为奥尔什方报仇他为什么会误会啊(我完全没get到啊淦!!!!!!)啊啊啊啊啊焦虑,情商低的我不明白啊(我和奥尔什方不是朋友吗?不就是那种可以依托后背的战友吗?为什么会误会?我不是我没有你别瞎说)
房子怪圈
振り出しに戻った隣人
没想到,十几年后,我和老黄、老刘又成了邻居。
十数年後、私と黄さん、劉さんが意外にも再び隣人となった。
我们三人,原来在一个单位工作,赶上福利分房,三人分到了同一个单元,同一层。一梯三户,老黄家在东边,老刘家住西边,我住中间。那时候,我们都还年轻,经常在一起喝酒,谈人生,梦想着赚大钱。
われわれ3人は、もともと同じ職場で働いていて、まだ住宅分配制度が行われていた時期だったため、同じアパートの同じ階が分配された。一つのエレベーターを三つの家で共有していて、黄さんは東側、劉さんは西側で、私は真ん中に住んでいた。その時、われわれは皆まだ若く、いつも一緒に酒を飲み、人生を語り、大金を稼ぐことを夢みていた。
后来,单位垮了,我们各谋出路。虽然还是邻居,但碰面的机会越来越少。
後に勤務先が解散し、われわれはそれぞれ生きる道を模索することとなった。隣人であることには変わりなかったが、顔を合わす機会はどんどん減っていった。
一日,老黄忽然来敲门,告诉我:“我把房子卖了。打算自己创业,开个小加工厂。房子卖了20万,勉强够启动资金了。”我说:“那你和家人住哪儿?”他那时刚刚生儿子不久,说:“没事儿,我跟妻子商量好了,先住厂里。等将来挣到大钱了,一定买一套大房子,让她享福。”
ある日、黄さんが突然ドアをノックして、「私は家を売り払ったよ。起業して、小さな加工工場を開くつもりだ。家は20万で売り、どうにか開業資金を捻出したんだ」と言った。私は「じゃあ、あなたと家族はどこに住むつもり?」と聞いた。その時息子が生まれたばかりだった彼は、「大丈夫、妻とはよく話し合って、まずは工場の中に住むことになっている。お金をたくさん稼いだら、大きな家を買って、彼女を幸せにしてやるよ」と言った。
老黄搬走后,大家各忙各的,渐渐就淡忘了。
黄さんが引っ越した後、皆それぞれに忙しく、互いのことはしだいに忘れていった。
过了几年,老刘也搬走了。搬家前一天,他请我喝告别酒,告诉我:“我把这房子卖了,刚好够首付,在新区买了一套90平米的新房子。现在新区房价一天一个价,我买的时候才6000一平,这才一个多月,就涨到快7000了。这个老小区,已经没希望了。我劝你也把房子卖了,咬咬牙,贷款去新区买房子,我们再做邻居。”
数年経つと、劉さんも引っ越した。引っ越しの前日、彼は別れの盃を酌み交わそうと私を誘った。「この家は売ったよ。ちょうど頭金になったので、新興住宅地に90平米(へいべい)の新居を買ったんだ。今その住宅地の価格は日に日に上がっていて、私が買った時には1平米あたり6000元だったのが、一カ月ちょっとでもう7000元に値上がりしたんだ。この古い住宅地はもうだめだね。君ももうこの家は売り払ったほうがいいよ。がんばってお金を借りて、新興住宅地で家を買えば、また隣人になれる」と彼は言った。
我摇摇头说:“我在单位收入不高,怕还不起房贷。算了,还是守着这老房子,安生过日子吧。”老刘最终没说动我。
私は首を振って言った。「私の職場は給料が高くないから、住宅ローンを返せないよ。やっぱりこの古い家で、静かに暮らしていくことにするよ」。劉さんはとうとう勧めるのをあきらめた。
老黄和老刘都搬走了。他们两家的房子,像走马灯似的换了好几次房东,只有我一家一直住在这儿。
黄さんと劉さんはどちらも引っ越し、彼らの二つの家は走馬灯のように何度もその持ち主を変え、私の家だけがずっと同じところに住んでいた。
有一次,我在大街上遇到以前单位的领导,从他那儿得知,老黄的生意做得挺不错,赚了不少钱;而老刘呢,前两年将新区的房子卖了,又换了一套更大的房子。单位领导感叹说:“他们都越混越好了,听说你还住在原来单位分的旧房子里?”我讪讪地笑了笑。
ある時、私は道で以前の職場のボスに会った。彼から黄さんの商売はとても順調で、少なからずのお金を稼いでいると聞いた。そして劉さんは、2年ほど前に新興住宅地の家を売り、もっと大きな家を買ったそうだ。ボスはため息をついて、「彼らはみんなうまくやっているみたいだな。あなたは前の職場で分配された古い家にまだ住んでいるんだって?」と言った。私はバツの悪い笑みを浮かべた。
忽一日,有人敲门,竟然是老刘。他激动地对我说:“我们又做邻居啦!”我一脸茫然。老刘指着我家东边说,我将新区的大房子卖了300万,正好买下以前老黄家的房子。
ある日、突然家の戸を叩く人がいた。なんと劉さんだった。彼は興奮して「また隣人になったよ」と私に言った。私はびっくりした。劉さんは私の家の東側を指して、「私は新興住宅地の大きな家を300万で売り、ちょうど以前の黄さんが住んでいた家を買ったんだ」という。
我诧异地看着他:“你疯啦,花300万买这个破房子?”老刘解释:“没办法,儿子马上要读初中了,这里是全市最好的学区,所以价格特别贵。”就这样,老刘又成了我的邻居,只是原来住我家西边,现在住在了东边。
私はいぶかしんで彼を見て「気でも狂ったのかい? 300万も出してこんなぼろ家を買うなんて」と言った。劉さんは「仕方ないんだ。息子が中学校にあがるんだ。ここは全市で一番よい学区なんで、ここの価格は特に高いんだ」と言った。このようにして劉さんは再び私の隣人となり、ただ、前に住んでいたのは西側だったが、今回は東側に住んだ。
又一日,门外响起鞭炮声,开门看,是有人搬家。走在前头的人好面熟,老黄!我问老黄:“你、你怎么帮人搬家?”老黄看见我,也一脸诧异:“你怎么还住在这儿?”
またある日、玄関の外から爆竹の音が響き、戸を開けて見てみると、引っ越しをしている人がいた。先頭を行く人の顔に見覚えがあって、黄さんだった。私は黄さんに「どうして人の引っ越しなんて手伝っているの?」と聞いた。黄さんは私を見て、これもまたいぶかしげに、「君はどうしてまだここに住んでいるんだい?」と言った。
这时,老刘也打开了门看热闹。一聊才知道,老黄不是帮别人搬家,是他自己搬家。他说:“我女儿马上要念初中了,这套老房子学区最好,正好原来老刘家的房子要出售,我就把加工厂卖了,又将现在住的房子也卖了,正好凑够了买这老房子的钱。”
この時、劉さんも戸を開け、何事かと顔をのぞかせた。黄さんによると、人の引っ越しを手伝っているわけではなく、彼の家の引っ越しだという。「娘が間もなく中学に入るので、この家の学区が最もよく、ちょうど以前の劉さんの家が売りに出ていたので、工場を売り、今住んでいる家も売って、どうにかこの古い家を買うお金をつくったんだ」と彼は言った。
就这样,老刘,老黄,还有我,我们又成邻居啦!
こうして、劉さんと黄さん、そして私が再び隣人となったのだ。
翻訳にあたって
タイトルの「振り出し」とは、双六(すごろく)ゲームでサイコロを振り始める最初の状態のことで、「振り出しに戻る」は出発地点に戻るという意味。“单位”はちょうどぴったりの言葉がないために日本語の訳語に困る言葉のひとつで、その文章での使われ方によって、職場、勤務先、団体、会社、企業、機関、部門、組織などさまざまに訳語が変化する。ここでは職場・勤務先などの言葉がふさわしい。
#为什么建议要体面分手##油画##刘耀文#
振り出しに戻った隣人
没想到,十几年后,我和老黄、老刘又成了邻居。
十数年後、私と黄さん、劉さんが意外にも再び隣人となった。
我们三人,原来在一个单位工作,赶上福利分房,三人分到了同一个单元,同一层。一梯三户,老黄家在东边,老刘家住西边,我住中间。那时候,我们都还年轻,经常在一起喝酒,谈人生,梦想着赚大钱。
われわれ3人は、もともと同じ職場で働いていて、まだ住宅分配制度が行われていた時期だったため、同じアパートの同じ階が分配された。一つのエレベーターを三つの家で共有していて、黄さんは東側、劉さんは西側で、私は真ん中に住んでいた。その時、われわれは皆まだ若く、いつも一緒に酒を飲み、人生を語り、大金を稼ぐことを夢みていた。
后来,单位垮了,我们各谋出路。虽然还是邻居,但碰面的机会越来越少。
後に勤務先が解散し、われわれはそれぞれ生きる道を模索することとなった。隣人であることには変わりなかったが、顔を合わす機会はどんどん減っていった。
一日,老黄忽然来敲门,告诉我:“我把房子卖了。打算自己创业,开个小加工厂。房子卖了20万,勉强够启动资金了。”我说:“那你和家人住哪儿?”他那时刚刚生儿子不久,说:“没事儿,我跟妻子商量好了,先住厂里。等将来挣到大钱了,一定买一套大房子,让她享福。”
ある日、黄さんが突然ドアをノックして、「私は家を売り払ったよ。起業して、小さな加工工場を開くつもりだ。家は20万で売り、どうにか開業資金を捻出したんだ」と言った。私は「じゃあ、あなたと家族はどこに住むつもり?」と聞いた。その時息子が生まれたばかりだった彼は、「大丈夫、妻とはよく話し合って、まずは工場の中に住むことになっている。お金をたくさん稼いだら、大きな家を買って、彼女を幸せにしてやるよ」と言った。
老黄搬走后,大家各忙各的,渐渐就淡忘了。
黄さんが引っ越した後、皆それぞれに忙しく、互いのことはしだいに忘れていった。
过了几年,老刘也搬走了。搬家前一天,他请我喝告别酒,告诉我:“我把这房子卖了,刚好够首付,在新区买了一套90平米的新房子。现在新区房价一天一个价,我买的时候才6000一平,这才一个多月,就涨到快7000了。这个老小区,已经没希望了。我劝你也把房子卖了,咬咬牙,贷款去新区买房子,我们再做邻居。”
数年経つと、劉さんも引っ越した。引っ越しの前日、彼は別れの盃を酌み交わそうと私を誘った。「この家は売ったよ。ちょうど頭金になったので、新興住宅地に90平米(へいべい)の新居を買ったんだ。今その住宅地の価格は日に日に上がっていて、私が買った時には1平米あたり6000元だったのが、一カ月ちょっとでもう7000元に値上がりしたんだ。この古い住宅地はもうだめだね。君ももうこの家は売り払ったほうがいいよ。がんばってお金を借りて、新興住宅地で家を買えば、また隣人になれる」と彼は言った。
我摇摇头说:“我在单位收入不高,怕还不起房贷。算了,还是守着这老房子,安生过日子吧。”老刘最终没说动我。
私は首を振って言った。「私の職場は給料が高くないから、住宅ローンを返せないよ。やっぱりこの古い家で、静かに暮らしていくことにするよ」。劉さんはとうとう勧めるのをあきらめた。
老黄和老刘都搬走了。他们两家的房子,像走马灯似的换了好几次房东,只有我一家一直住在这儿。
黄さんと劉さんはどちらも引っ越し、彼らの二つの家は走馬灯のように何度もその持ち主を変え、私の家だけがずっと同じところに住んでいた。
有一次,我在大街上遇到以前单位的领导,从他那儿得知,老黄的生意做得挺不错,赚了不少钱;而老刘呢,前两年将新区的房子卖了,又换了一套更大的房子。单位领导感叹说:“他们都越混越好了,听说你还住在原来单位分的旧房子里?”我讪讪地笑了笑。
ある時、私は道で以前の職場のボスに会った。彼から黄さんの商売はとても順調で、少なからずのお金を稼いでいると聞いた。そして劉さんは、2年ほど前に新興住宅地の家を売り、もっと大きな家を買ったそうだ。ボスはため息をついて、「彼らはみんなうまくやっているみたいだな。あなたは前の職場で分配された古い家にまだ住んでいるんだって?」と言った。私はバツの悪い笑みを浮かべた。
忽一日,有人敲门,竟然是老刘。他激动地对我说:“我们又做邻居啦!”我一脸茫然。老刘指着我家东边说,我将新区的大房子卖了300万,正好买下以前老黄家的房子。
ある日、突然家の戸を叩く人がいた。なんと劉さんだった。彼は興奮して「また隣人になったよ」と私に言った。私はびっくりした。劉さんは私の家の東側を指して、「私は新興住宅地の大きな家を300万で売り、ちょうど以前の黄さんが住んでいた家を買ったんだ」という。
我诧异地看着他:“你疯啦,花300万买这个破房子?”老刘解释:“没办法,儿子马上要读初中了,这里是全市最好的学区,所以价格特别贵。”就这样,老刘又成了我的邻居,只是原来住我家西边,现在住在了东边。
私はいぶかしんで彼を見て「気でも狂ったのかい? 300万も出してこんなぼろ家を買うなんて」と言った。劉さんは「仕方ないんだ。息子が中学校にあがるんだ。ここは全市で一番よい学区なんで、ここの価格は特に高いんだ」と言った。このようにして劉さんは再び私の隣人となり、ただ、前に住んでいたのは西側だったが、今回は東側に住んだ。
又一日,门外响起鞭炮声,开门看,是有人搬家。走在前头的人好面熟,老黄!我问老黄:“你、你怎么帮人搬家?”老黄看见我,也一脸诧异:“你怎么还住在这儿?”
またある日、玄関の外から爆竹の音が響き、戸を開けて見てみると、引っ越しをしている人がいた。先頭を行く人の顔に見覚えがあって、黄さんだった。私は黄さんに「どうして人の引っ越しなんて手伝っているの?」と聞いた。黄さんは私を見て、これもまたいぶかしげに、「君はどうしてまだここに住んでいるんだい?」と言った。
这时,老刘也打开了门看热闹。一聊才知道,老黄不是帮别人搬家,是他自己搬家。他说:“我女儿马上要念初中了,这套老房子学区最好,正好原来老刘家的房子要出售,我就把加工厂卖了,又将现在住的房子也卖了,正好凑够了买这老房子的钱。”
この時、劉さんも戸を開け、何事かと顔をのぞかせた。黄さんによると、人の引っ越しを手伝っているわけではなく、彼の家の引っ越しだという。「娘が間もなく中学に入るので、この家の学区が最もよく、ちょうど以前の劉さんの家が売りに出ていたので、工場を売り、今住んでいる家も売って、どうにかこの古い家を買うお金をつくったんだ」と彼は言った。
就这样,老刘,老黄,还有我,我们又成邻居啦!
こうして、劉さんと黄さん、そして私が再び隣人となったのだ。
翻訳にあたって
タイトルの「振り出し」とは、双六(すごろく)ゲームでサイコロを振り始める最初の状態のことで、「振り出しに戻る」は出発地点に戻るという意味。“单位”はちょうどぴったりの言葉がないために日本語の訳語に困る言葉のひとつで、その文章での使われ方によって、職場、勤務先、団体、会社、企業、機関、部門、組織などさまざまに訳語が変化する。ここでは職場・勤務先などの言葉がふさわしい。
#为什么建议要体面分手##油画##刘耀文#
在去西藏旅行后,收到了书本,快递是老妈帮我拿的。那天见群友收到了书,羡慕的不得了。从西藏回来后,第一件事情是给家里的绿植浇水,然后就迫不及待的拆开来自单向街的快递。
快递的包装我很喜欢。“你用刀刃在纸张中开路,犹如用思想在文字中开路”,这段文字让拆快递的动作都充满了仪式感。
图片
和《喜剧的秘密》一起寄来的,还有一张主编签名的明信片,以及一个看起来很贵的飞盘。想起七月十四号,在长沙梅溪湖大剧院观看的脱口秀的段子(大意是飞盘是社交运动,醉翁之意不在酒),感觉单读是在为我找对象疯狂助力呀。可是啊可是,我急需的不是飞盘呀,而是一同玩飞盘的人啊。
图片
明信片我也很喜欢,又被57主编鼓励到了。
“伤感和无力感都是必然的,但更需要在一些时刻停止莫须有的感叹和感恩,坦荡做事,撑开可能,在裂隙里重新呼吸。”
不知道是不是过度解读了,看着这四个字——“一些时刻”,也就是说,沮丧一下也没问题吧。这其中,能感受到很多温柔。
图片
提脱口秀就绕不开李诞。我最初认识李诞,是在奇葩说。当时特别不喜欢李诞,感觉他像个小混混,当其他人认认真真引经据典输出观点的时候,他一个人在插科打诨,显得特别没有文化素养。当时《吐槽大会》很火,我看了一点点,也不喜欢。一是我本身就不太关心娱乐圈的故事,二是见一群人相互间“冷嘲热讽”,感觉非常没有礼貌。
后来被李诞圈粉,是因为他的一个关于原生家庭的段子,具体记不太清楚了,只记得他提到“一个小孩子被父母夺了玩具,大声控诉父母夺走了他的全世界,可以理解。但是,一个人二三十岁了,还纠结这件事不放,大声控诉父母夺走了他的全世界,就显得可笑。”当时,整个大环境似乎都沉浸在“原生家庭”的解读中,倒不是这个心理学词汇有什么问题,只是感觉太多的人(也包括自己)都煞有介事的归纳一番,然后自顾自怜,接着就没有然后了。这样一个流程下来,顶多就是理解了自己为何如此“可悲”,别说治愈,往往还掀起了更大的仇恨。所以,听到李诞那段脱口秀,猛然察觉这个“插科打诨”的家伙“有点东西”。之后,我发现这其中还有 更大的智慧,就是:生活中很多看似严肃的问题,有时候让它一笑而过,就不成问题了。
此后,我十分热衷于脱口秀,我想,每个喜欢脱口秀的人都有着相似的理由,我就不赘述了,毕竟我也写不出什么。不仅如此,我发现自己写的东西,逐渐偏离了主题。
阅读前小插曲都说完了,接下来谈谈书吧!
图片
收到书很惊喜。首先,没想到它那么大。其次,没想到它内页也那么黄(指颜色)。整本书的排版和设计也非常的精美——尤其是目录,我简直不能再喜欢——一向喜欢在书上做标记的我,这次忍住了,拿起纸和笔,乖乖做起了摘抄。
脱口秀是什么?
在脱口秀里,能发现参差多样以及快乐本源。
从程璐的表达,我感觉脱口秀是拒绝严肃面对自己遭受的苦难。拒绝板起脸来看待自己的伤疤。是需要自己先消化,再表达的故事。也算是某种程度的治愈过程吧。
从庞博的表达,我感觉脱口秀可以让他说一些自认为值得说的事。我喜欢庞博的段子,常常充满包容和正义感。
从呼兰的表达,我感觉脱口秀是一种很有力量的东西,是一件正确的事情(尽管不是他唯一的爱),是一件长期做就有回报的事情。很喜欢他的长期主义,对呀,要相信数学,相信概率。
从周奇墨的表达,我首先感觉周奇墨是一个温和的人。节目里我没有特别关注这一点,但在这本书里我感受到了他的温和,以及他对自己温和性格的自冾和反抗。很喜欢他的两句话——“我温和是我的生存需要,是基因带的一些东西,也是由人生经历形成的性格。”“但是会想野一点,疯一点,激进一点,冒犯一点,活的洒脱一点。”
梁海源说:“脱口秀是探索自我的工具”。在梁海源身上,我看到了自己的影子(没错就是影子,或者理解成超级减配版梁海源),以及人生前进的方向。梁海源说:“虽然我们在这个世界里,看上去可以接触到任何事情,但实际上有一个看不见摸不着的东西,把你的生活越缩越小。”在海源的讲述中,我能感受到他是一直想拓宽自己的那种人。我也一直想成为那样的人。不过我想,我应该是不会换工作了,一是缺乏勇气,二是我自己现在的职业是我主动的选择,虽然有种种不如意,但我不希望它是充斥我的抱怨的。梁海源说:“脱口秀是一个引子 ,它是我和世界交流的工具。”那么我也以自己的工作作为引子吧,以自己真诚的活法,给别人一点生活的温度。
我看过李诞的 《候场》,它的基调是虚无的,给我一种在看太宰治的感觉,甚至帮助我理解了太宰那种“搞笑”和“丑角”精神。在《喜剧的秘密》中,王建国、程璐的表达,比起其他脱口秀演员,也有更多痛苦掺杂在其中。不知是因为他们从业时间较长,还是肩上的担子更重?
感谢单读推出的这期PLUS。近期生活特别沮丧。贾行家说:“这个状态我们这种差生就有。我们对考试成绩是在乎的,但同时不会努力争取。”我阅读至此处忍不住点头,目前自己的状态就像生活的差生,虽然假装生活快乐,终究有很多不甘心。更可气地是,生在一个应试大国,年少时做过“三好学生”,那时是多么“鄙视”差生啊。(在心里发表这浅薄的见解:只要努力就会变成好学生的,哼!)如今发现,差生竟是我自己。哎。
时代的角落有平凡人的叹息。世界上很多事情令人沮丧,生命没有意义,喜剧又有什么意义?唯一可以做的就是以俳谐的幽默对抗虚无,以及给真实的世界带来一些笑声。
快递的包装我很喜欢。“你用刀刃在纸张中开路,犹如用思想在文字中开路”,这段文字让拆快递的动作都充满了仪式感。
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和《喜剧的秘密》一起寄来的,还有一张主编签名的明信片,以及一个看起来很贵的飞盘。想起七月十四号,在长沙梅溪湖大剧院观看的脱口秀的段子(大意是飞盘是社交运动,醉翁之意不在酒),感觉单读是在为我找对象疯狂助力呀。可是啊可是,我急需的不是飞盘呀,而是一同玩飞盘的人啊。
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明信片我也很喜欢,又被57主编鼓励到了。
“伤感和无力感都是必然的,但更需要在一些时刻停止莫须有的感叹和感恩,坦荡做事,撑开可能,在裂隙里重新呼吸。”
不知道是不是过度解读了,看着这四个字——“一些时刻”,也就是说,沮丧一下也没问题吧。这其中,能感受到很多温柔。
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提脱口秀就绕不开李诞。我最初认识李诞,是在奇葩说。当时特别不喜欢李诞,感觉他像个小混混,当其他人认认真真引经据典输出观点的时候,他一个人在插科打诨,显得特别没有文化素养。当时《吐槽大会》很火,我看了一点点,也不喜欢。一是我本身就不太关心娱乐圈的故事,二是见一群人相互间“冷嘲热讽”,感觉非常没有礼貌。
后来被李诞圈粉,是因为他的一个关于原生家庭的段子,具体记不太清楚了,只记得他提到“一个小孩子被父母夺了玩具,大声控诉父母夺走了他的全世界,可以理解。但是,一个人二三十岁了,还纠结这件事不放,大声控诉父母夺走了他的全世界,就显得可笑。”当时,整个大环境似乎都沉浸在“原生家庭”的解读中,倒不是这个心理学词汇有什么问题,只是感觉太多的人(也包括自己)都煞有介事的归纳一番,然后自顾自怜,接着就没有然后了。这样一个流程下来,顶多就是理解了自己为何如此“可悲”,别说治愈,往往还掀起了更大的仇恨。所以,听到李诞那段脱口秀,猛然察觉这个“插科打诨”的家伙“有点东西”。之后,我发现这其中还有 更大的智慧,就是:生活中很多看似严肃的问题,有时候让它一笑而过,就不成问题了。
此后,我十分热衷于脱口秀,我想,每个喜欢脱口秀的人都有着相似的理由,我就不赘述了,毕竟我也写不出什么。不仅如此,我发现自己写的东西,逐渐偏离了主题。
阅读前小插曲都说完了,接下来谈谈书吧!
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收到书很惊喜。首先,没想到它那么大。其次,没想到它内页也那么黄(指颜色)。整本书的排版和设计也非常的精美——尤其是目录,我简直不能再喜欢——一向喜欢在书上做标记的我,这次忍住了,拿起纸和笔,乖乖做起了摘抄。
脱口秀是什么?
在脱口秀里,能发现参差多样以及快乐本源。
从程璐的表达,我感觉脱口秀是拒绝严肃面对自己遭受的苦难。拒绝板起脸来看待自己的伤疤。是需要自己先消化,再表达的故事。也算是某种程度的治愈过程吧。
从庞博的表达,我感觉脱口秀可以让他说一些自认为值得说的事。我喜欢庞博的段子,常常充满包容和正义感。
从呼兰的表达,我感觉脱口秀是一种很有力量的东西,是一件正确的事情(尽管不是他唯一的爱),是一件长期做就有回报的事情。很喜欢他的长期主义,对呀,要相信数学,相信概率。
从周奇墨的表达,我首先感觉周奇墨是一个温和的人。节目里我没有特别关注这一点,但在这本书里我感受到了他的温和,以及他对自己温和性格的自冾和反抗。很喜欢他的两句话——“我温和是我的生存需要,是基因带的一些东西,也是由人生经历形成的性格。”“但是会想野一点,疯一点,激进一点,冒犯一点,活的洒脱一点。”
梁海源说:“脱口秀是探索自我的工具”。在梁海源身上,我看到了自己的影子(没错就是影子,或者理解成超级减配版梁海源),以及人生前进的方向。梁海源说:“虽然我们在这个世界里,看上去可以接触到任何事情,但实际上有一个看不见摸不着的东西,把你的生活越缩越小。”在海源的讲述中,我能感受到他是一直想拓宽自己的那种人。我也一直想成为那样的人。不过我想,我应该是不会换工作了,一是缺乏勇气,二是我自己现在的职业是我主动的选择,虽然有种种不如意,但我不希望它是充斥我的抱怨的。梁海源说:“脱口秀是一个引子 ,它是我和世界交流的工具。”那么我也以自己的工作作为引子吧,以自己真诚的活法,给别人一点生活的温度。
我看过李诞的 《候场》,它的基调是虚无的,给我一种在看太宰治的感觉,甚至帮助我理解了太宰那种“搞笑”和“丑角”精神。在《喜剧的秘密》中,王建国、程璐的表达,比起其他脱口秀演员,也有更多痛苦掺杂在其中。不知是因为他们从业时间较长,还是肩上的担子更重?
感谢单读推出的这期PLUS。近期生活特别沮丧。贾行家说:“这个状态我们这种差生就有。我们对考试成绩是在乎的,但同时不会努力争取。”我阅读至此处忍不住点头,目前自己的状态就像生活的差生,虽然假装生活快乐,终究有很多不甘心。更可气地是,生在一个应试大国,年少时做过“三好学生”,那时是多么“鄙视”差生啊。(在心里发表这浅薄的见解:只要努力就会变成好学生的,哼!)如今发现,差生竟是我自己。哎。
时代的角落有平凡人的叹息。世界上很多事情令人沮丧,生命没有意义,喜剧又有什么意义?唯一可以做的就是以俳谐的幽默对抗虚无,以及给真实的世界带来一些笑声。
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