【“好人之城”大爱无际 善款点亮生命之光】7月22日,柘城县岗王镇一岁多的女童王萌萌(化名),因家中液化气罐爆炸起火,造成全身70%重度烧伤,其奶奶和爸爸也被不同程度烧伤,而治疗所需的几十万元高额医疗费让这个本就不富裕的家庭雪上加霜,亟需爱心人士伸出援手。
这是一个不幸的家庭,看到孩子因严重烧伤生命垂危,热心读者拨打了《京九晚报》的“帮办”热线,希望能够有爱心组织和爱心人士伸出援手。这是一座充满了爱的城市,是一个以“好人”闻名的城市。当得知烧伤女童的情况后,众多好人纷纷慷慨解囊。
当充满了爱心与善意的水滴汇聚在一起,就形成了奔流不息的河流。饱含爱心的捐款,支撑起了这个濒临绝望的家庭,给了挣扎在生死一线的孩子活下去的希望。
善款保住孩子命
“太感谢咱商丘的好心人了,如果不是有这些好人,萌萌恐怕难以活命。”8月7日上午,在郑大一附院河医院区儿科重症监护室门前,看到“商丘好人”代表再次到来,王萌萌的姑姑王彩霞激动万分,不顾劝阻多次执意要向送来善款的爱心人士代表们下跪致谢,“孩子休克了6天,现在终于脱离危险了”。
当日早上,记者与商丘市帮扶“商丘好人”协会会长李东亮,商丘市一家人餐饮文化连锁有限公司人事部经理刘梨、网络营销部经理王云龙一起驱车前往郑大一附院河医院区,在与郑州的商丘籍“中国好人”唐志发、殷明礼,“河南好人”李强,“商丘好人”彭山领4位“好人”代表汇合后,将66666元捐款送到了王彩霞手中。因捐款为现金,众人又陪伴王彩霞将捐款当即存入王萌萌的医疗费账户中。
看到来自家乡的“好人”代表为王萌萌捐款,许多在医院陪护的家属纷纷落泪。他们既感动于商丘的“好人精神”,更为孩子得到捐助喜极而泣。“从开始治疗到现在,已经花费了十几万元。”王彩霞说,王萌萌的家境十分困难,父母都患有精神类疾病,爷爷也有病,家里一直靠种几亩地和她爸爸打工为生,她的治疗费用,使本来就困难的家庭雪上加霜。“治疗花的钱全都是向亲戚朋友借的。没烧伤之前孩子多好,再过一个多月就是萌萌两周岁的生日。”王彩霞留着眼泪说,“现在萌萌情况暂时稳定,能够自主呼吸,不需要再插管了。医生说需要接受三次手术,孩子的脸部等后续也需要修复。”
两城联动爱如潮
7月29日,本报记者就此与郑州报业集团·正观新闻联动。次日一早正观新闻记者古晨茜前往医院采访后,当晚就发出了为王萌萌呼吁爱心捐助的报道,并在新媒体报道中链接了为王萌萌募捐的水滴筹捐款页面。
为筹集医疗费,文化程度不高的王彩霞,在热心人的建议下,提笔向郑州市金水区发出求助信,迫切希望更多社会爱心人士关注与帮助她重度烧伤的侄女。
收到求助信后,8月6日在金水区红十字会和丰庆路街道两新党总支支持下,由金水区春风社会工作服务中心党支部和中鹏工程咨询有限公司党支部主办,金水区红十字人道救助志愿者服务队联合金水区红十字中鹏志愿者服务队、金水区红十字善美缘志愿者服务队、郑州财经学院艺术设计学院“艺起益行”公益团队、商丘市帮扶“商丘好人”协会驻郑州工作站、商丘师范学院赴豫奔晋走近群众调研帮扶团等公益组织共同承办了公益义卖活动,积极组织志愿者义卖报纸和爱心茄子,活动还得到了郑州晚报发行中心、河南电视台民生频道、正观新闻的大力支持,郑州晚报发行中心捐献200份《郑州晚报》供红十字志愿者进行义卖。
义卖现场,众多爱心人士纷纷慷慨解囊,向王萌萌伸出援手。河南生命圈中医药研究院通过金水区红十字会定向捐赠王萌萌价值2万元的治疗烧伤药膏。
“义卖的善款一共5911.66元,已经转给我了。”王彩霞说,商丘与郑州两地众多热心人、好心人的捐助,不但给王萌萌提供了治疗的费用,也温暖着无助的一家人。
至善之举未落幕
“商丘好人”、宝斯卡化工有限公司董事长张壮斗、魏作霞夫妇捐款1万元,“河南好人”、商丘市久超粮油总经理张久超捐款3000元,“中国好人”、永城救人英雄张志贤的父亲张永强捐款1000元,刘东刚、王中心各捐款1000元……
此外,商丘市帮扶“商丘好人”协会爱心妈妈志愿服务队连续为小萌萌组织三次捐款,市新时代退役军人雷锋团“应山红”军嫂志愿服务队、民权县“好人志愿服务队”、“荧火虫”志愿者团队、爱国爱家志愿群等团体都通过商丘市帮扶“商丘好人”协会为小萌萌奉献了爱心,表达祝福。协会志愿者王耀正表示,等小萌萌病情好转,如家中房屋年久失修将联系爱心企业对其进行整修。
“中国好人”、市帮扶“商丘好人”协会郑州工作站负责人唐志发,除本人捐款2000元外,又号召团队捐款3100元,他还积极联络在郑州工作、创业的“商丘好人”关心关注王萌萌治疗进展,积极组织倡议民权县“好人志愿服务队”民权籍“商丘好人”为小萌萌奉献爱心,并带着自己的两个孩子积极参加郑州市红十字会等组织的爱心义卖活动。
“每一笔爱心捐款都饱含着对孩子的关爱之情,格外令人感动。”李东亮说,一家人餐饮文化连锁有限公司总经理吴灵得知消息后,立即安排公司员工开展“助力小天使,共爱一家人”捐款活动,在两个小时内就募捐到了12627元,“还有很多爱心人士不肯留下姓名,其中就有网名为‘海之蓝’的夫妇捐了1000元”。
在李东亮提供的一张张截图中,可以看到一位位奉献爱心的“商丘好人”向王萌萌伸出援手,送来希望。
7月30日,在郑州工作的商丘籍“中国好人”唐志发、殷明礼、沈彬,“河南好人”李强,“商丘好人”彭山领亲自将五人捐助的1万元现金送到了医院。
加上第二笔的66666元善款,仅“商丘好人”就为王萌萌送去了76666元救命钱。
“孩子转院过来的时候,呼吸衰竭、感染性休克,需要采取气管插管和呼吸机辅助呼吸。”郑大一附院河医院区副主任医师、“商丘好人”彭山领告诉记者,王萌萌转院到郑大一附院的时候,病情很重,生命垂危,“经过PICU和烧伤科医护人员的全力救治,现在病情已基本平稳,孩子脱离了生命危险”。
王彩霞说,虽然王萌萌缴纳有城乡居民医保,但因一直在住院治疗及转院到郑州,在出院之前暂时无法办理报销,所有的医疗费用都要先行垫付。
李东亮表示,商丘市帮扶“商丘好人”协会将继续呼吁更多“商丘好人”、社会各界爱心人士为小萌萌捐款助力,为孩子的后续治疗提供帮助。
王萌萌能够脱离生命危险,离不开众多好心人的相助。这个坚强的孩子,还要承担严重烧伤的痛苦及后续的治疗。
如有爱心组织或人士愿为小萌萌提供帮助,请联系:
本报融媒体记者鲁超:15503709668
王彩霞:15726303347
吴梦月(王萌萌表姐):15539019565
商丘市帮扶“商丘好人”协会李东亮:19937064913
商丘市帮扶“商丘好人”协会郑州工作站唐志发:15890037788、李强:13603708973文/图 本报融媒体记者 鲁 超
这是一个不幸的家庭,看到孩子因严重烧伤生命垂危,热心读者拨打了《京九晚报》的“帮办”热线,希望能够有爱心组织和爱心人士伸出援手。这是一座充满了爱的城市,是一个以“好人”闻名的城市。当得知烧伤女童的情况后,众多好人纷纷慷慨解囊。
当充满了爱心与善意的水滴汇聚在一起,就形成了奔流不息的河流。饱含爱心的捐款,支撑起了这个濒临绝望的家庭,给了挣扎在生死一线的孩子活下去的希望。
善款保住孩子命
“太感谢咱商丘的好心人了,如果不是有这些好人,萌萌恐怕难以活命。”8月7日上午,在郑大一附院河医院区儿科重症监护室门前,看到“商丘好人”代表再次到来,王萌萌的姑姑王彩霞激动万分,不顾劝阻多次执意要向送来善款的爱心人士代表们下跪致谢,“孩子休克了6天,现在终于脱离危险了”。
当日早上,记者与商丘市帮扶“商丘好人”协会会长李东亮,商丘市一家人餐饮文化连锁有限公司人事部经理刘梨、网络营销部经理王云龙一起驱车前往郑大一附院河医院区,在与郑州的商丘籍“中国好人”唐志发、殷明礼,“河南好人”李强,“商丘好人”彭山领4位“好人”代表汇合后,将66666元捐款送到了王彩霞手中。因捐款为现金,众人又陪伴王彩霞将捐款当即存入王萌萌的医疗费账户中。
看到来自家乡的“好人”代表为王萌萌捐款,许多在医院陪护的家属纷纷落泪。他们既感动于商丘的“好人精神”,更为孩子得到捐助喜极而泣。“从开始治疗到现在,已经花费了十几万元。”王彩霞说,王萌萌的家境十分困难,父母都患有精神类疾病,爷爷也有病,家里一直靠种几亩地和她爸爸打工为生,她的治疗费用,使本来就困难的家庭雪上加霜。“治疗花的钱全都是向亲戚朋友借的。没烧伤之前孩子多好,再过一个多月就是萌萌两周岁的生日。”王彩霞留着眼泪说,“现在萌萌情况暂时稳定,能够自主呼吸,不需要再插管了。医生说需要接受三次手术,孩子的脸部等后续也需要修复。”
两城联动爱如潮
7月29日,本报记者就此与郑州报业集团·正观新闻联动。次日一早正观新闻记者古晨茜前往医院采访后,当晚就发出了为王萌萌呼吁爱心捐助的报道,并在新媒体报道中链接了为王萌萌募捐的水滴筹捐款页面。
为筹集医疗费,文化程度不高的王彩霞,在热心人的建议下,提笔向郑州市金水区发出求助信,迫切希望更多社会爱心人士关注与帮助她重度烧伤的侄女。
收到求助信后,8月6日在金水区红十字会和丰庆路街道两新党总支支持下,由金水区春风社会工作服务中心党支部和中鹏工程咨询有限公司党支部主办,金水区红十字人道救助志愿者服务队联合金水区红十字中鹏志愿者服务队、金水区红十字善美缘志愿者服务队、郑州财经学院艺术设计学院“艺起益行”公益团队、商丘市帮扶“商丘好人”协会驻郑州工作站、商丘师范学院赴豫奔晋走近群众调研帮扶团等公益组织共同承办了公益义卖活动,积极组织志愿者义卖报纸和爱心茄子,活动还得到了郑州晚报发行中心、河南电视台民生频道、正观新闻的大力支持,郑州晚报发行中心捐献200份《郑州晚报》供红十字志愿者进行义卖。
义卖现场,众多爱心人士纷纷慷慨解囊,向王萌萌伸出援手。河南生命圈中医药研究院通过金水区红十字会定向捐赠王萌萌价值2万元的治疗烧伤药膏。
“义卖的善款一共5911.66元,已经转给我了。”王彩霞说,商丘与郑州两地众多热心人、好心人的捐助,不但给王萌萌提供了治疗的费用,也温暖着无助的一家人。
至善之举未落幕
“商丘好人”、宝斯卡化工有限公司董事长张壮斗、魏作霞夫妇捐款1万元,“河南好人”、商丘市久超粮油总经理张久超捐款3000元,“中国好人”、永城救人英雄张志贤的父亲张永强捐款1000元,刘东刚、王中心各捐款1000元……
此外,商丘市帮扶“商丘好人”协会爱心妈妈志愿服务队连续为小萌萌组织三次捐款,市新时代退役军人雷锋团“应山红”军嫂志愿服务队、民权县“好人志愿服务队”、“荧火虫”志愿者团队、爱国爱家志愿群等团体都通过商丘市帮扶“商丘好人”协会为小萌萌奉献了爱心,表达祝福。协会志愿者王耀正表示,等小萌萌病情好转,如家中房屋年久失修将联系爱心企业对其进行整修。
“中国好人”、市帮扶“商丘好人”协会郑州工作站负责人唐志发,除本人捐款2000元外,又号召团队捐款3100元,他还积极联络在郑州工作、创业的“商丘好人”关心关注王萌萌治疗进展,积极组织倡议民权县“好人志愿服务队”民权籍“商丘好人”为小萌萌奉献爱心,并带着自己的两个孩子积极参加郑州市红十字会等组织的爱心义卖活动。
“每一笔爱心捐款都饱含着对孩子的关爱之情,格外令人感动。”李东亮说,一家人餐饮文化连锁有限公司总经理吴灵得知消息后,立即安排公司员工开展“助力小天使,共爱一家人”捐款活动,在两个小时内就募捐到了12627元,“还有很多爱心人士不肯留下姓名,其中就有网名为‘海之蓝’的夫妇捐了1000元”。
在李东亮提供的一张张截图中,可以看到一位位奉献爱心的“商丘好人”向王萌萌伸出援手,送来希望。
7月30日,在郑州工作的商丘籍“中国好人”唐志发、殷明礼、沈彬,“河南好人”李强,“商丘好人”彭山领亲自将五人捐助的1万元现金送到了医院。
加上第二笔的66666元善款,仅“商丘好人”就为王萌萌送去了76666元救命钱。
“孩子转院过来的时候,呼吸衰竭、感染性休克,需要采取气管插管和呼吸机辅助呼吸。”郑大一附院河医院区副主任医师、“商丘好人”彭山领告诉记者,王萌萌转院到郑大一附院的时候,病情很重,生命垂危,“经过PICU和烧伤科医护人员的全力救治,现在病情已基本平稳,孩子脱离了生命危险”。
王彩霞说,虽然王萌萌缴纳有城乡居民医保,但因一直在住院治疗及转院到郑州,在出院之前暂时无法办理报销,所有的医疗费用都要先行垫付。
李东亮表示,商丘市帮扶“商丘好人”协会将继续呼吁更多“商丘好人”、社会各界爱心人士为小萌萌捐款助力,为孩子的后续治疗提供帮助。
王萌萌能够脱离生命危险,离不开众多好心人的相助。这个坚强的孩子,还要承担严重烧伤的痛苦及后续的治疗。
如有爱心组织或人士愿为小萌萌提供帮助,请联系:
本报融媒体记者鲁超:15503709668
王彩霞:15726303347
吴梦月(王萌萌表姐):15539019565
商丘市帮扶“商丘好人”协会李东亮:19937064913
商丘市帮扶“商丘好人”协会郑州工作站唐志发:15890037788、李强:13603708973文/图 本报融媒体记者 鲁 超
KinKi Kids25周年、事務所唯一の2人組「両極」だからこそ長期継続…記者の目
https://t.cn/A6S7VBnF
KinKi Kidsが7日、東京ドームでデビュー25周年記念イベント「24451~君と僕の声~」を開催した。デビュー曲の「硝子の少年」から大ヒット曲「ジェットコースター・ロマンス」や「全部だきしめて」、最新曲の「Amazing Love」まで四半世紀を彩った全14曲を披露。堂本光一(43)と堂本剛(43)は9回のMCでも、あうんの呼吸でやり取りし、変わらぬ絆を示した。
* * * *
現在のジャニーズ所属タレントで、企画ユニットを除くと2人組はキンキのみ。過去を見てもタッキー&翼しか存在せず、ソロでもグループでもないのは異例だ。
そんなキンキは、現在同事務所に所属するメンバー不動のユニットでは最長のデビュー25周年を迎えた。長期にわたり活動を続けられるのは、デュオでありながら全く別の人間であると受け入れ、それを隠そうとも繕おうともしない「キンキたるゆえん」がある。
互いの家も連絡先も知らない。楽屋も異なれば、互いにインスタグラムもフォローしていないが、剛は「両極にいるからこそ本人たちも想像していないものが出来上がる」と話す。言葉にせずとも奥深くで通ずる“熟年夫婦"の姿が重なるようだ。
それは、相棒への思いにも表れている。剛が「全く意識していないに等しいくらいに意識していない」と話せば、光一も「2人のことを聞かれることが多いけど、聞かれない限り考えない」。答えは全く同じだった。(田中 雄己)
---------------
KinKi Kids25周年ライブ「この歴史、地球、宇宙、時代の中で2人を出会わせてくれて、ありがとう」
https://t.cn/A6S7VBnk
KinKi Kidsが7日、東京ドームでデビュー25周年記念イベント「24451~君と僕の声~」を開催した。デビュー曲の「硝子の少年」から大ヒット曲「ジェットコースター・ロマンス」や「全部だきしめて」、最新曲の「Amazing Love」まで四半世紀を彩った全14曲を披露。堂本光一(43)と堂本剛(43)は9回のMCでも、あうんの呼吸でやり取りし、変わらぬ絆を示した。
約2時間半のステージを終えた2人は、ゆっくりと東京ドーム全体を見渡した。歓声や物音一つしない中で、光一は「これならライブができるという見本を示してくれた。我々からも拍手を送りたい」。5万5000人超満員の会場は、さらに静寂に包まれた。剛も「本当にマナーが協力的で。皆さんと僕たちの人生がつながっている喜びと幸せをかみ締めている」と感慨深げに語った。
記録尽くしのデビュー25年だ。1998年12月30日の初ドームから、この日で「単独アーティストによる東京ドーム最多公演数」を62に更新。3月16日発売の「高純度romance」でギネス世界記録の「シングル連続1位獲得年数」を26年に、「デビューからのシングル連続1位獲得数」を44とした。7月27日発売の最新曲「Amazing Love」も1位となっており、申請が通れば45まで伸ばすこととなる。前人未到の記録を打ち立て続ける2人だが、そのすごみは記録のみでは測れない。
この日は、派手な演出も特殊効果もない。ステージ上には2人だけ。それでも物足りなさを感じさせないのは、キンキならではだ。1曲目の「FRIENDS」をしっとりと、デビュー曲の「硝子の少年」をクールに、「全部だきしめて」ではギターを奏でた。曲間では9度もMCを挟んだ。光一が「なにわ男子の…やばい、間違えた」と言えば、剛も「誰かに曲を提供していただけるというのはすごいことで。皆さんも曲を提供してもらってください」と変わらぬやり取りで会場を沸かせた。
5年前の20周年記念公演では、左耳の突発性難聴でステージに立つことがかなわなかった剛は今回、「バラードであれば乗れるかな」と7年ぶりに移動ステージの演出を提案した。「このまま手をつないで」と「Anniversary」で会場内を移動すると「皆さんの目を見て歌うと、大げさじゃなくて泣くのをこらえるのに必死で」。光一も「2人でステージに立って思いを届ける。いろいろ語るよりも、その姿を感じてもらえれば」と語りかけた。
二人三脚で歩んだ四半世紀。未到の道は続くが、光一は「この歴史、地球、宇宙、時代の中で2人が組むのはとんでもないこと。この2人を組ませていただき、出会わせてくれて、ありがとう」と言うと、剛も「両極の2人だからこそ生み出すものがちょっと癖があって、面白い」。今後は「分からない」と口をそろえたが、光一は去り際に「また冬に、ここでお会いしましょう」と満面の笑みで再会を約束した。(田中 雄己)
堂本光一「もともと周年は、感謝の気持ちを伝えるという思いでやっているんですけど、その結果、(愛情を)もらってしまうばかりで。どうなるかということを考えずにやってきたので、25年間やれたと思う。その年、翌年とかは漠然としたことを考えていますけど、長い目で見ると、目標を設定してこなかったので。目標を達成したら、きっと満足しちゃうと思うので」
堂本剛「大変な時代の中で25周年を迎えて、今まで支えてくださったファンの方、共演者、スタッフの皆さま全ての人たちに感謝の気持ちを伝えたくて。何より、会場のマナーがすごく協力的で。本当に幸せいっぱいの時間ばかりですし、たくさんの人の愛に包まれて、自分たちがあることを実感しています。この先は何も考えていません。あまり深く考えていないのでね」
---------------
KinKi Kids堂本剛「東京ドームに足を踏み入れると、亡きジャニーさんの姿が思い浮かぶ」25周年ライブ
https://t.cn/A6S7VBns
KinKi Kidsが7日、東京ドームでデビュー25周年記念イベント「24451~君と僕の声~」を開催した。デビュー曲の「硝子の少年」から大ヒット曲「ジェットコースター・ロマンス」や「全部だきしめて」、最新曲の「Amazing Love」まで四半世紀を彩った全14曲を披露。堂本光一(43)と堂本剛(43)は9回のMCでも、あうんの呼吸でやり取りし、変わらぬ絆を示した。
* * * *
◆2人に聞く
―コンサートではなくて、イベントという形式に。
光一「コンサートのような派手な演出はないので。素晴らしい曲がたくさんあるので、それをしっかり伝えようと」
―東京ドームでは62公演目となる。
剛「ここに足を踏み入れると、亡きジャニー(喜多川)さんの姿が思い浮かびます。いつもベンチに座って見上げてくれていたので、そういう姿がどうしてもよみがえってきます。最初に立った時、こんなにもできると思っていなくて。回を重ねるごとに当たり前のことが当たり前じゃないと実感している。チャレンジする勇気をもらった場所」
―名付け親であり、育ての親でもあるジャニーさんのお別れ会を行った場所でもある。
光一「『ボクの背中には羽根がある』を歌っていて思いますけど、羽根をくれたのはジャニーさんだったんだな、とか。イベント中にも思いましたね」
剛「ジャニーさん(がいつも座っていた)ゾーンを通る時は、切なくなります。でもきっと『ピアノ一本で(移動ステージ)やればいいじゃない』と言ってくれると思うし、声が聞こえてきますね」
○…夏以降の生のステージは、ソロでの活動が続く。光一は、福岡・博多座で主演舞台「Endless SHOCK」(来月5日~10月2日まで)の公演が控える。一方の剛は、ソロプロジェクト「ENDRECHERI(エンドリケリー)」として、今月21日に音楽フェスティバル「SUMMER SONIC 2022」(千葉・幕張メッセ)に出演。また、京都・平安神宮でのソロライブ(9月2~4日)や、東京、大阪での独演会の開催を予定している。
https://t.cn/A6S7VBnF
KinKi Kidsが7日、東京ドームでデビュー25周年記念イベント「24451~君と僕の声~」を開催した。デビュー曲の「硝子の少年」から大ヒット曲「ジェットコースター・ロマンス」や「全部だきしめて」、最新曲の「Amazing Love」まで四半世紀を彩った全14曲を披露。堂本光一(43)と堂本剛(43)は9回のMCでも、あうんの呼吸でやり取りし、変わらぬ絆を示した。
* * * *
現在のジャニーズ所属タレントで、企画ユニットを除くと2人組はキンキのみ。過去を見てもタッキー&翼しか存在せず、ソロでもグループでもないのは異例だ。
そんなキンキは、現在同事務所に所属するメンバー不動のユニットでは最長のデビュー25周年を迎えた。長期にわたり活動を続けられるのは、デュオでありながら全く別の人間であると受け入れ、それを隠そうとも繕おうともしない「キンキたるゆえん」がある。
互いの家も連絡先も知らない。楽屋も異なれば、互いにインスタグラムもフォローしていないが、剛は「両極にいるからこそ本人たちも想像していないものが出来上がる」と話す。言葉にせずとも奥深くで通ずる“熟年夫婦"の姿が重なるようだ。
それは、相棒への思いにも表れている。剛が「全く意識していないに等しいくらいに意識していない」と話せば、光一も「2人のことを聞かれることが多いけど、聞かれない限り考えない」。答えは全く同じだった。(田中 雄己)
---------------
KinKi Kids25周年ライブ「この歴史、地球、宇宙、時代の中で2人を出会わせてくれて、ありがとう」
https://t.cn/A6S7VBnk
KinKi Kidsが7日、東京ドームでデビュー25周年記念イベント「24451~君と僕の声~」を開催した。デビュー曲の「硝子の少年」から大ヒット曲「ジェットコースター・ロマンス」や「全部だきしめて」、最新曲の「Amazing Love」まで四半世紀を彩った全14曲を披露。堂本光一(43)と堂本剛(43)は9回のMCでも、あうんの呼吸でやり取りし、変わらぬ絆を示した。
約2時間半のステージを終えた2人は、ゆっくりと東京ドーム全体を見渡した。歓声や物音一つしない中で、光一は「これならライブができるという見本を示してくれた。我々からも拍手を送りたい」。5万5000人超満員の会場は、さらに静寂に包まれた。剛も「本当にマナーが協力的で。皆さんと僕たちの人生がつながっている喜びと幸せをかみ締めている」と感慨深げに語った。
記録尽くしのデビュー25年だ。1998年12月30日の初ドームから、この日で「単独アーティストによる東京ドーム最多公演数」を62に更新。3月16日発売の「高純度romance」でギネス世界記録の「シングル連続1位獲得年数」を26年に、「デビューからのシングル連続1位獲得数」を44とした。7月27日発売の最新曲「Amazing Love」も1位となっており、申請が通れば45まで伸ばすこととなる。前人未到の記録を打ち立て続ける2人だが、そのすごみは記録のみでは測れない。
この日は、派手な演出も特殊効果もない。ステージ上には2人だけ。それでも物足りなさを感じさせないのは、キンキならではだ。1曲目の「FRIENDS」をしっとりと、デビュー曲の「硝子の少年」をクールに、「全部だきしめて」ではギターを奏でた。曲間では9度もMCを挟んだ。光一が「なにわ男子の…やばい、間違えた」と言えば、剛も「誰かに曲を提供していただけるというのはすごいことで。皆さんも曲を提供してもらってください」と変わらぬやり取りで会場を沸かせた。
5年前の20周年記念公演では、左耳の突発性難聴でステージに立つことがかなわなかった剛は今回、「バラードであれば乗れるかな」と7年ぶりに移動ステージの演出を提案した。「このまま手をつないで」と「Anniversary」で会場内を移動すると「皆さんの目を見て歌うと、大げさじゃなくて泣くのをこらえるのに必死で」。光一も「2人でステージに立って思いを届ける。いろいろ語るよりも、その姿を感じてもらえれば」と語りかけた。
二人三脚で歩んだ四半世紀。未到の道は続くが、光一は「この歴史、地球、宇宙、時代の中で2人が組むのはとんでもないこと。この2人を組ませていただき、出会わせてくれて、ありがとう」と言うと、剛も「両極の2人だからこそ生み出すものがちょっと癖があって、面白い」。今後は「分からない」と口をそろえたが、光一は去り際に「また冬に、ここでお会いしましょう」と満面の笑みで再会を約束した。(田中 雄己)
堂本光一「もともと周年は、感謝の気持ちを伝えるという思いでやっているんですけど、その結果、(愛情を)もらってしまうばかりで。どうなるかということを考えずにやってきたので、25年間やれたと思う。その年、翌年とかは漠然としたことを考えていますけど、長い目で見ると、目標を設定してこなかったので。目標を達成したら、きっと満足しちゃうと思うので」
堂本剛「大変な時代の中で25周年を迎えて、今まで支えてくださったファンの方、共演者、スタッフの皆さま全ての人たちに感謝の気持ちを伝えたくて。何より、会場のマナーがすごく協力的で。本当に幸せいっぱいの時間ばかりですし、たくさんの人の愛に包まれて、自分たちがあることを実感しています。この先は何も考えていません。あまり深く考えていないのでね」
---------------
KinKi Kids堂本剛「東京ドームに足を踏み入れると、亡きジャニーさんの姿が思い浮かぶ」25周年ライブ
https://t.cn/A6S7VBns
KinKi Kidsが7日、東京ドームでデビュー25周年記念イベント「24451~君と僕の声~」を開催した。デビュー曲の「硝子の少年」から大ヒット曲「ジェットコースター・ロマンス」や「全部だきしめて」、最新曲の「Amazing Love」まで四半世紀を彩った全14曲を披露。堂本光一(43)と堂本剛(43)は9回のMCでも、あうんの呼吸でやり取りし、変わらぬ絆を示した。
* * * *
◆2人に聞く
―コンサートではなくて、イベントという形式に。
光一「コンサートのような派手な演出はないので。素晴らしい曲がたくさんあるので、それをしっかり伝えようと」
―東京ドームでは62公演目となる。
剛「ここに足を踏み入れると、亡きジャニー(喜多川)さんの姿が思い浮かびます。いつもベンチに座って見上げてくれていたので、そういう姿がどうしてもよみがえってきます。最初に立った時、こんなにもできると思っていなくて。回を重ねるごとに当たり前のことが当たり前じゃないと実感している。チャレンジする勇気をもらった場所」
―名付け親であり、育ての親でもあるジャニーさんのお別れ会を行った場所でもある。
光一「『ボクの背中には羽根がある』を歌っていて思いますけど、羽根をくれたのはジャニーさんだったんだな、とか。イベント中にも思いましたね」
剛「ジャニーさん(がいつも座っていた)ゾーンを通る時は、切なくなります。でもきっと『ピアノ一本で(移動ステージ)やればいいじゃない』と言ってくれると思うし、声が聞こえてきますね」
○…夏以降の生のステージは、ソロでの活動が続く。光一は、福岡・博多座で主演舞台「Endless SHOCK」(来月5日~10月2日まで)の公演が控える。一方の剛は、ソロプロジェクト「ENDRECHERI(エンドリケリー)」として、今月21日に音楽フェスティバル「SUMMER SONIC 2022」(千葉・幕張メッセ)に出演。また、京都・平安神宮でのソロライブ(9月2~4日)や、東京、大阪での独演会の開催を予定している。
【一問一答】堂本剛「泣くのをこらえるのに必死で…」
https://t.cn/A6S7VxIB
人気デュオ、KinKi Kidsが7日、東京ドームでCDデビュー25周年イベントを行った。単独アーティストとして同所で最多の62公演目。名曲ぞろいの14曲に加え、9度にわたるMCでファン5万5000人に感謝を伝えた。(ペン・渡邉尚伸、カメラ・加藤圭祐)
――25周年の東京ドーム公演の実感は
「コロナで大変な時代の中、今まで支えてくださったファンの方々、共演者の皆さま、スタッフの皆さま、すべての方たちに対して感謝の気持ちを伝えたく、いろいろな場所、時間をもうけようと思ってきました。こうして大規模なドームでのイベントを開催できるというのも、やはり支えてくださる皆さんのお力添えはもちろん、一番は来場してくださるファンの皆さんのおかげ。マナーがとても協力的なので。本当に幸せいっぱいな時間ばっかりですし、改めてたくさんの方々の愛に包まれながら自分たちがあるんだなっていうことをより深く理解しています」
――62公演目となった東京ドーム公演。思い入れも強い
「ここに足を踏み入れると、亡きジャニーさんの姿も思い浮かびます。いつもベンチの方で見上げて僕らを見てくれていたので、そういう姿がよみがえってきますね。最初に東京ドームのステージに立たせていただいたときは、こんなにも長くライブをさせてもらえる人生だと思ってもなかったし、いろいろな方の思いでこの記録につなげてもらっているという所が非常に大きい。回を重ねれば重ねるほど〝当たり前ではない〟という気持ちがすごく強くなりました。このドームは本当に僕たちのさまざまなエンターテインメントを披露させてもらった場所でもありますし、さらに新たな挑戦とか違うステージに向かっていく勇気とかそういうものをもらったので、気づけば大切な場所になっているなっていう風に思います」
――20周年は突発性難聴で映像出演となったが、今回は2人で
「当時は何が何でもステージにいきたかったので、今回はそれがかなえられました。フロート(移動式ステージ)に乗って歌う演出は、以前ファンの皆さまの近くに行くことができなかったので、その思いもあり、僕自身が提案させていただきました。(フロートでの歌唱曲を)バラードにしたのは自分の耳が理由ですけど、皆さんの目を見ながらゆっくり歌う演出になったことによって、いつも泣くのをこらえるのに必死で…。表情とか、皆さんの言葉にならない何かがものすごく飛んでくるんです」
--どんな風景にグッとくる
「例えば僕たちは青(剛)と赤(光一)でペンライトが色分けされているんですけど、赤いペンライトを持った人が僕に一生懸命手を振ってくれたりするんですね。そういうのがうれしくて。あと、僕に気を使ってくれる人もいるのか、(赤を)白いライトに変えたりして、手を振り直したりしてくれるんです。僕はどっちでも大丈夫なんですけど、そういう細かい思いやりとかが本当にいろいろある」
--ファンの優しさが伝わる
「車いすの方もいらっしゃるし、小さいお子さんもいらっしゃるし、お年を召した方もいらっしゃる。じっくりピアノ一本でバラードを歌いながら、いろんな人の表情を見ると、本当にコロナ禍の大変な中、いろんな思いをもってここに来てくださったんだなと深くしみてしまって…」
--そこでジャニーさんも思い浮かぶ
「ジャニーさんゾーンを通るときも、何かすごく切なくもなるし…。きっとジャニーさんはコロナ禍でもエンターテインメントを届けることを諦めなかっただろうし、『君が外周で音がいろいろなって歌いづらいのであれば、ピアノ一本でやればいいじゃない』って多分言っただろうなとか、『こんなフロートの使い方しないよ』とか言っている感じもして…。(映像出演となった)20周年の辛かった気持ちもステージにつながっているし、歌唱中に僕のいろんな感情がうごめいて、それをコントロールするのがとても大変なんですけどね。でも、まっすぐに皆さんにありがとう、愛しているっていう気持ちを伝えようと思って必死にやっています。より素直にそして力強くステージに立っているなという印象があります」
――光一との時間を振り返って
「もともと(最初から)2人(のグループ)ってわけでもなかったし、4人とか5人になろうとしていた時期もあったんです。気づけば仲間たちがCDデビューしていき、遅れて僕たちもCDデビューしましたけど、多分、光一君の方が負けず嫌いだったりとか強い感情がある人だし、僕はそこまでそういう感情をあまり持ったことがないから、ある意味全く違うんだと思う」
--どう違う
「静と動くらい違う。両極端に違う性質の2人が作る何かというのは面白いなって自分たちを客観的に見て思っています。ステージの上では(2人で)しゃべってるけど、別にこういう(取材の)状況のときとかは特にしゃべってないので。プライベートや食の趣味が一緒だったら、もうちょっとしゃべるタイミングがあるんですけど(笑)。それこそ(光一は朝の)8時、9時まで起きているとか言っているけど、8時までどう頑張っても起きていられないですよ、僕。いって4時か5時」
--就寝時間も違う
「本当に趣味嗜好とかいろんなものが違うし、無理にお互い寄せようとも思ってないからこそ、ステージの上で『はぁ?』みたいな話題が生まれるのかなって思う。両極にある2人なんで生み出せるものがあるし、〝合作〟っていうのは僕自身魅力的に感じているので、あの人と作ることで生まれる〝独特の香り〟はいいなって思っています。ちょっとクセがあって面白い」
――今後の展望は
「特に何も考えていないです。例えば今回の『Amazing Love』って楽曲も(山下)達郎さんに作っていただく流れが自然と出て、作詞する人がいないっていう話から2人で書けることになり、合作が始まったっていう…。僕らはいつも台本通りじゃなく、偶然なので、あまり深く考えていないんです。これから時代ももっともっと変わっていくんでしょうし、それに順応しながら、自分たちの色は見失わないよう素朴な感じでやっていきたい」
https://t.cn/A6S7VxIB
人気デュオ、KinKi Kidsが7日、東京ドームでCDデビュー25周年イベントを行った。単独アーティストとして同所で最多の62公演目。名曲ぞろいの14曲に加え、9度にわたるMCでファン5万5000人に感謝を伝えた。(ペン・渡邉尚伸、カメラ・加藤圭祐)
――25周年の東京ドーム公演の実感は
「コロナで大変な時代の中、今まで支えてくださったファンの方々、共演者の皆さま、スタッフの皆さま、すべての方たちに対して感謝の気持ちを伝えたく、いろいろな場所、時間をもうけようと思ってきました。こうして大規模なドームでのイベントを開催できるというのも、やはり支えてくださる皆さんのお力添えはもちろん、一番は来場してくださるファンの皆さんのおかげ。マナーがとても協力的なので。本当に幸せいっぱいな時間ばっかりですし、改めてたくさんの方々の愛に包まれながら自分たちがあるんだなっていうことをより深く理解しています」
――62公演目となった東京ドーム公演。思い入れも強い
「ここに足を踏み入れると、亡きジャニーさんの姿も思い浮かびます。いつもベンチの方で見上げて僕らを見てくれていたので、そういう姿がよみがえってきますね。最初に東京ドームのステージに立たせていただいたときは、こんなにも長くライブをさせてもらえる人生だと思ってもなかったし、いろいろな方の思いでこの記録につなげてもらっているという所が非常に大きい。回を重ねれば重ねるほど〝当たり前ではない〟という気持ちがすごく強くなりました。このドームは本当に僕たちのさまざまなエンターテインメントを披露させてもらった場所でもありますし、さらに新たな挑戦とか違うステージに向かっていく勇気とかそういうものをもらったので、気づけば大切な場所になっているなっていう風に思います」
――20周年は突発性難聴で映像出演となったが、今回は2人で
「当時は何が何でもステージにいきたかったので、今回はそれがかなえられました。フロート(移動式ステージ)に乗って歌う演出は、以前ファンの皆さまの近くに行くことができなかったので、その思いもあり、僕自身が提案させていただきました。(フロートでの歌唱曲を)バラードにしたのは自分の耳が理由ですけど、皆さんの目を見ながらゆっくり歌う演出になったことによって、いつも泣くのをこらえるのに必死で…。表情とか、皆さんの言葉にならない何かがものすごく飛んでくるんです」
--どんな風景にグッとくる
「例えば僕たちは青(剛)と赤(光一)でペンライトが色分けされているんですけど、赤いペンライトを持った人が僕に一生懸命手を振ってくれたりするんですね。そういうのがうれしくて。あと、僕に気を使ってくれる人もいるのか、(赤を)白いライトに変えたりして、手を振り直したりしてくれるんです。僕はどっちでも大丈夫なんですけど、そういう細かい思いやりとかが本当にいろいろある」
--ファンの優しさが伝わる
「車いすの方もいらっしゃるし、小さいお子さんもいらっしゃるし、お年を召した方もいらっしゃる。じっくりピアノ一本でバラードを歌いながら、いろんな人の表情を見ると、本当にコロナ禍の大変な中、いろんな思いをもってここに来てくださったんだなと深くしみてしまって…」
--そこでジャニーさんも思い浮かぶ
「ジャニーさんゾーンを通るときも、何かすごく切なくもなるし…。きっとジャニーさんはコロナ禍でもエンターテインメントを届けることを諦めなかっただろうし、『君が外周で音がいろいろなって歌いづらいのであれば、ピアノ一本でやればいいじゃない』って多分言っただろうなとか、『こんなフロートの使い方しないよ』とか言っている感じもして…。(映像出演となった)20周年の辛かった気持ちもステージにつながっているし、歌唱中に僕のいろんな感情がうごめいて、それをコントロールするのがとても大変なんですけどね。でも、まっすぐに皆さんにありがとう、愛しているっていう気持ちを伝えようと思って必死にやっています。より素直にそして力強くステージに立っているなという印象があります」
――光一との時間を振り返って
「もともと(最初から)2人(のグループ)ってわけでもなかったし、4人とか5人になろうとしていた時期もあったんです。気づけば仲間たちがCDデビューしていき、遅れて僕たちもCDデビューしましたけど、多分、光一君の方が負けず嫌いだったりとか強い感情がある人だし、僕はそこまでそういう感情をあまり持ったことがないから、ある意味全く違うんだと思う」
--どう違う
「静と動くらい違う。両極端に違う性質の2人が作る何かというのは面白いなって自分たちを客観的に見て思っています。ステージの上では(2人で)しゃべってるけど、別にこういう(取材の)状況のときとかは特にしゃべってないので。プライベートや食の趣味が一緒だったら、もうちょっとしゃべるタイミングがあるんですけど(笑)。それこそ(光一は朝の)8時、9時まで起きているとか言っているけど、8時までどう頑張っても起きていられないですよ、僕。いって4時か5時」
--就寝時間も違う
「本当に趣味嗜好とかいろんなものが違うし、無理にお互い寄せようとも思ってないからこそ、ステージの上で『はぁ?』みたいな話題が生まれるのかなって思う。両極にある2人なんで生み出せるものがあるし、〝合作〟っていうのは僕自身魅力的に感じているので、あの人と作ることで生まれる〝独特の香り〟はいいなって思っています。ちょっとクセがあって面白い」
――今後の展望は
「特に何も考えていないです。例えば今回の『Amazing Love』って楽曲も(山下)達郎さんに作っていただく流れが自然と出て、作詞する人がいないっていう話から2人で書けることになり、合作が始まったっていう…。僕らはいつも台本通りじゃなく、偶然なので、あまり深く考えていないんです。これから時代ももっともっと変わっていくんでしょうし、それに順応しながら、自分たちの色は見失わないよう素朴な感じでやっていきたい」
✋热门推荐