邢斌 :论半夏
作者旁征博引,结合临床效果,说明半夏治疗不寐的用法、剂量、组方和功效。读书为临证之启发,临证为读书之检验,是谓半日临证半日读书也。黄煌教授体质学说列有半夏体质一种,可以与此文相互参考。
论半夏
半夏化痰,人所皆知。而我以为,半夏化有形之痰效果未必佳,其妙尤在除无形之痰。
历代医家重视痰证病机,因为“痰之为物,随气升降,无处不到”,故痰可于各脏腑、经络为害作祟,所以“痰之为患,为喘为咳,为呕为利,为眩为晕,为嘈杂、怔忡、惊悸,为寒热痛肿,为痞膈,为壅塞,或胸胁间辘辘有声,或背心一片常为冰冷,或四肢麻痹不仁(以上引文见《丹溪心法》)“,除喘咳外,其余见症说的都是无形之痰。
治无形之痰必倚仗半夏,必倚仗二陈汤。而医者多推崇温胆汤,我以为后者方中枳实、竹茹效用平平,除于痞胀、呕吐等有一定作用外,其余无形之痰皆不必用。
因痰与湿皆由津液失其正常的运化而产生,故密不可分,且临床有时难以明确区分,何为痰,何为湿,故我临证每每将二陈汤与平胃散同用,此即古方平陈汤。此方出自《医学入门》卷五,原主治食疟,以及风寒风湿所伤导致的痰嗽满闷。我用平陈汤的思路是发挥两方的优势,协同取效。因为在我心目中,二陈与平胃均为药味简单而效力宏大的好方子。
前述无形之痰的见症虽多,却也难免挂一漏万。故古人索性说“百病皆由痰作祟”,或“怪病皆有痰”了。比如,失眠与痰的关系就很密切。
《灵枢·邪客》云:“厥气客于五脏六腑,则卫气独卫其外,行于阳,不得入于脏。行于阳则阳气盛,阳气盛则阳跷陷;不得入于阴,阴虚,故目不瞑。”治疗的方法是“补其不足,泻其有余,调其虚实,以通其道而去其邪,饮以半夏汤一剂,阴阳已通,其卧立至”。半夏汤即半夏秫米汤,因《灵枢》从“阳盛阴虚”(按,此“阳盛阴虚”自与今意不同)立论,故后世解释半夏汤,亦多从这一角度展开。从阴阳立论,本无不可,但总觉蹈空踏虚,无益于临床应用本方。
唯林佩琴虽不能脱离从阴阳论之窠臼,但尚能直接从痰立论。《类证治裁》云:“盖不寐多由思虑劳神,惊忧怒火,气郁生涎,用半夏汤。半夏除痰而利小便,秫米益阴而利大肠,则阴阳交通而得卧也”。指出失眠多与痰涎有关,而半夏正是除痰之品。
另一张治疗不寐的名方是前曾提及之温胆汤。
温胆汤之名,首见北周姚僧垣《集验方》。该书已亡佚,部分内容为《外台秘要》收载。
《集验》温胆汤即为《外台秘要》所载,书云“大病后虚烦不得眠,此胆虚寒故也,宜服此汤方”,其组成是半夏、竹茹、橘皮、生姜、甘草、枳实。《千金方》之温胆汤主治与药物与此完全相同,唯枳实的剂量不同。
《三因方》有3首温胆汤,其中卷9、卷10之温胆汤是后世熟知、且常用的温胆汤。卷9之方主治与《外台秘要》引《集验》相同,并增补“惊悸”之症。卷10之方主治心胆虚怯,触事易惊,或梦寐不祥,或异象眩惑,遂致心惊胆慑,气郁生涎,涎与气搏,变生诸症,或短气悸乏,或复自汗,四肢浮肿,饮食无味,心虚烦闷,坐卧不安。
《集验》温胆汤在“胆虚寒”上做文章。《三因》温胆汤虽也说什么“心胆虚怯”,但已生发出“气郁生涎,涎与气搏”的概念。可是后世医家仍多从“胆”字着眼。少有像《罗氏会约医镜》那样,直接点出:不寐“邪属痰饮,化之,如温胆汤、导痰汤之类”。其实把温胆汤与痰联系在一起,远比与胆联系在一起,更便于临床运用。
事 实上,温胆汤一定是具有化痰安神功效的(暂且不论是否与胆相关),从其组成即可知。与其组成接近的二陈汤,《医学心悟》就说:“有湿痰壅遏,神不安者,其症呕恶气闷,胸膈不利,用二陈汤导去其痰,其卧立至”。
失眠与痰有关,而半夏堪为大用,前述之半夏汤、温胆汤、二陈汤皆以半夏为主药。陶御风先生的《临证本草》还例举了《肘后》卷2治大病愈后,虚烦不得眠,腹中疼痛,懊憹之方,此方由半夏、秫米与茯苓组成。明·徐树丕《识小录》记载半夏、百部各1两治疗失眠的案例。《冷庐医话》卷3引《医学秘旨》云:“余尝治一人患不睡,心肾兼补之药遍尝不效。诊其脉,知为阴阳违和,二气不交。以半夏三钱,夏枯草三钱,浓煎服之,即得安睡,仍投补心等药而愈。盖半夏得阴而生,夏枯草得至阳而长,是阴阳配合之妙也”。朱良春先生对这一配伍甚为赞赏,认为加入珍珠母入肝安魂,立意更为周匝,可治疗多种肝病所致的顽固性失眠。
半夏配夏枯草治疗失眠之说,我最早就是从《朱良春用药经验》一书中得知。这还是十三四年前之事了,后读书渐多,屡屡见到此说,无论是有关药对的书,还是有关治疗失眠临床经验的书,皆谓此经验出自《冷庐医话》引《医学秘旨》。
按《医学秘旨》一书,系《冷庐医话》的作者陆以湉从杭城书坊中购得。此书乃抄本,题曰西溪居士著,不知何许人也,也不知其书的写作年代。
后我读缪希雍的《先醒斋医学广笔记》,发现在那篇著名的《吐血三要法》中,即有半夏、夏枯草治疗不寐的论述。
书中记载,庄含之久患吐血,其族兄庄一生为其治疗,疗效很好。庄含之除吐血外,还有不寐。庄一生说:“《甲乙经》曰:卫气不得入于阴,当留于阳,阳盛阴虚,故目不能瞑。此之谓也。治法饮以半夏汤一剂,阴阳已通,其卧立至。盖半夏得一阴之气而枯,所谓生于阳而成于阴者,故能引阳气入于阴,而成于阴者为血分之药,意惟此可以治之。乃用夏枯草一两,作甘澜水煮服,覆杯而卧立至。”庄一生虽未将半夏与夏枯草同用,但是他已道出半夏与夏枯草是性质相对的两个药,前者生于阳而成于阴,能引阳气入于阴,而后者成于阴为血分之药。应该视为半夏与夏枯草配伍的源头,或者说启发了后来医家如此配伍。
王学权《重庆堂随笔》认为夏枯草“兼有和阳养阴之功,失血后不寐者,服之即寐,其性可见矣”。此语似从《广笔记》庄含之一案拈出。
此外,清代名医蒋椿田也有夏枯草与半夏的配伍经验,见《重订灵兰要览》。按,《灵兰要览》系王肯堂原著,清人顾金寿予以评订。在“不得卧”一条下,顾氏介绍其友蒋椿田的经验,每用制半夏、夏枯草各五钱,取阴阳相配之义,浓煎长流水,竟覆杯而卧。
这是目前为止,我所了解的关于半夏、夏枯草配伍的一些知识。但是,由于无法考证西溪居士为何人,所以,这一配伍经验的来龙去脉还无法确切地知道。
我在临床常以重剂半夏(30~80g)治失眠,大概已有十年了,最近甚至用到100g。最初曾配伍夏枯草,但后来发现治失眠的效果全在重用半夏,夏枯草并无效验,后遂弃夏枯草而不用。也用过温胆汤,但觉得枳实、竹茹用不用效果好像没有多少区别,遂仅用二陈汤,后合平胃散,并加用菖蒲、远志,定名为平陈宁神汤,取效者颇多。
治失眠为何要重用半夏?其实不仅失眠,凡属痰证用半夏,一般均宜用较大剂量,因为量小效果不显著,而失眠更应用重剂半夏。
吴鞠通用半夏就颇猛。如治秀氏产后不寐,与半夏汤。先用半夏一两不应,次服二两得熟寐,又减至一两仍不寐,又加至二两又得寐,又减又不得寐;于是竟用二两,服七八帖后,以他方收功。又治李某,用半夏汤,姜半夏用二两,效果只是得寐而未熟。痰饮门中又治某人卧不安,未记姓氏,用姜半夏二两五钱。可见吴鞠通用半夏是有经验有教训,有胆有识的。
现代医家中重用半夏者也不乏其人,如万友生先生。其他诸位,我不复记其姓名,因为都是十多年前“随便翻翻”(鲁迅语)的收获。
再说用半夏的指征。我以为痰湿为患甚广,很难以某个见症作为用药指征。我重视两点,一是苔腻,二是口腻。两者有其一即用半夏,并视苔腻的程度而选择适宜的剂量,当然症状的轻重也是需要考虑的。
多年来重用半夏,从未见有任何毒副作用。因为药房未备生半夏,故我未有用生半夏的经验。以上所说者皆为制半夏。
此外,还需提一笔。若治失眠的话,茯苓也宜用大剂,常用30~100g。此经验我忘其出处,似见载于某期的《中医杂志》。后知陶御风先生也用大剂茯苓治失眠。
【本文摘自《半日临证半日读书》
#中医# https://t.cn/z8AGTGH
作者旁征博引,结合临床效果,说明半夏治疗不寐的用法、剂量、组方和功效。读书为临证之启发,临证为读书之检验,是谓半日临证半日读书也。黄煌教授体质学说列有半夏体质一种,可以与此文相互参考。
论半夏
半夏化痰,人所皆知。而我以为,半夏化有形之痰效果未必佳,其妙尤在除无形之痰。
历代医家重视痰证病机,因为“痰之为物,随气升降,无处不到”,故痰可于各脏腑、经络为害作祟,所以“痰之为患,为喘为咳,为呕为利,为眩为晕,为嘈杂、怔忡、惊悸,为寒热痛肿,为痞膈,为壅塞,或胸胁间辘辘有声,或背心一片常为冰冷,或四肢麻痹不仁(以上引文见《丹溪心法》)“,除喘咳外,其余见症说的都是无形之痰。
治无形之痰必倚仗半夏,必倚仗二陈汤。而医者多推崇温胆汤,我以为后者方中枳实、竹茹效用平平,除于痞胀、呕吐等有一定作用外,其余无形之痰皆不必用。
因痰与湿皆由津液失其正常的运化而产生,故密不可分,且临床有时难以明确区分,何为痰,何为湿,故我临证每每将二陈汤与平胃散同用,此即古方平陈汤。此方出自《医学入门》卷五,原主治食疟,以及风寒风湿所伤导致的痰嗽满闷。我用平陈汤的思路是发挥两方的优势,协同取效。因为在我心目中,二陈与平胃均为药味简单而效力宏大的好方子。
前述无形之痰的见症虽多,却也难免挂一漏万。故古人索性说“百病皆由痰作祟”,或“怪病皆有痰”了。比如,失眠与痰的关系就很密切。
《灵枢·邪客》云:“厥气客于五脏六腑,则卫气独卫其外,行于阳,不得入于脏。行于阳则阳气盛,阳气盛则阳跷陷;不得入于阴,阴虚,故目不瞑。”治疗的方法是“补其不足,泻其有余,调其虚实,以通其道而去其邪,饮以半夏汤一剂,阴阳已通,其卧立至”。半夏汤即半夏秫米汤,因《灵枢》从“阳盛阴虚”(按,此“阳盛阴虚”自与今意不同)立论,故后世解释半夏汤,亦多从这一角度展开。从阴阳立论,本无不可,但总觉蹈空踏虚,无益于临床应用本方。
唯林佩琴虽不能脱离从阴阳论之窠臼,但尚能直接从痰立论。《类证治裁》云:“盖不寐多由思虑劳神,惊忧怒火,气郁生涎,用半夏汤。半夏除痰而利小便,秫米益阴而利大肠,则阴阳交通而得卧也”。指出失眠多与痰涎有关,而半夏正是除痰之品。
另一张治疗不寐的名方是前曾提及之温胆汤。
温胆汤之名,首见北周姚僧垣《集验方》。该书已亡佚,部分内容为《外台秘要》收载。
《集验》温胆汤即为《外台秘要》所载,书云“大病后虚烦不得眠,此胆虚寒故也,宜服此汤方”,其组成是半夏、竹茹、橘皮、生姜、甘草、枳实。《千金方》之温胆汤主治与药物与此完全相同,唯枳实的剂量不同。
《三因方》有3首温胆汤,其中卷9、卷10之温胆汤是后世熟知、且常用的温胆汤。卷9之方主治与《外台秘要》引《集验》相同,并增补“惊悸”之症。卷10之方主治心胆虚怯,触事易惊,或梦寐不祥,或异象眩惑,遂致心惊胆慑,气郁生涎,涎与气搏,变生诸症,或短气悸乏,或复自汗,四肢浮肿,饮食无味,心虚烦闷,坐卧不安。
《集验》温胆汤在“胆虚寒”上做文章。《三因》温胆汤虽也说什么“心胆虚怯”,但已生发出“气郁生涎,涎与气搏”的概念。可是后世医家仍多从“胆”字着眼。少有像《罗氏会约医镜》那样,直接点出:不寐“邪属痰饮,化之,如温胆汤、导痰汤之类”。其实把温胆汤与痰联系在一起,远比与胆联系在一起,更便于临床运用。
事 实上,温胆汤一定是具有化痰安神功效的(暂且不论是否与胆相关),从其组成即可知。与其组成接近的二陈汤,《医学心悟》就说:“有湿痰壅遏,神不安者,其症呕恶气闷,胸膈不利,用二陈汤导去其痰,其卧立至”。
失眠与痰有关,而半夏堪为大用,前述之半夏汤、温胆汤、二陈汤皆以半夏为主药。陶御风先生的《临证本草》还例举了《肘后》卷2治大病愈后,虚烦不得眠,腹中疼痛,懊憹之方,此方由半夏、秫米与茯苓组成。明·徐树丕《识小录》记载半夏、百部各1两治疗失眠的案例。《冷庐医话》卷3引《医学秘旨》云:“余尝治一人患不睡,心肾兼补之药遍尝不效。诊其脉,知为阴阳违和,二气不交。以半夏三钱,夏枯草三钱,浓煎服之,即得安睡,仍投补心等药而愈。盖半夏得阴而生,夏枯草得至阳而长,是阴阳配合之妙也”。朱良春先生对这一配伍甚为赞赏,认为加入珍珠母入肝安魂,立意更为周匝,可治疗多种肝病所致的顽固性失眠。
半夏配夏枯草治疗失眠之说,我最早就是从《朱良春用药经验》一书中得知。这还是十三四年前之事了,后读书渐多,屡屡见到此说,无论是有关药对的书,还是有关治疗失眠临床经验的书,皆谓此经验出自《冷庐医话》引《医学秘旨》。
按《医学秘旨》一书,系《冷庐医话》的作者陆以湉从杭城书坊中购得。此书乃抄本,题曰西溪居士著,不知何许人也,也不知其书的写作年代。
后我读缪希雍的《先醒斋医学广笔记》,发现在那篇著名的《吐血三要法》中,即有半夏、夏枯草治疗不寐的论述。
书中记载,庄含之久患吐血,其族兄庄一生为其治疗,疗效很好。庄含之除吐血外,还有不寐。庄一生说:“《甲乙经》曰:卫气不得入于阴,当留于阳,阳盛阴虚,故目不能瞑。此之谓也。治法饮以半夏汤一剂,阴阳已通,其卧立至。盖半夏得一阴之气而枯,所谓生于阳而成于阴者,故能引阳气入于阴,而成于阴者为血分之药,意惟此可以治之。乃用夏枯草一两,作甘澜水煮服,覆杯而卧立至。”庄一生虽未将半夏与夏枯草同用,但是他已道出半夏与夏枯草是性质相对的两个药,前者生于阳而成于阴,能引阳气入于阴,而后者成于阴为血分之药。应该视为半夏与夏枯草配伍的源头,或者说启发了后来医家如此配伍。
王学权《重庆堂随笔》认为夏枯草“兼有和阳养阴之功,失血后不寐者,服之即寐,其性可见矣”。此语似从《广笔记》庄含之一案拈出。
此外,清代名医蒋椿田也有夏枯草与半夏的配伍经验,见《重订灵兰要览》。按,《灵兰要览》系王肯堂原著,清人顾金寿予以评订。在“不得卧”一条下,顾氏介绍其友蒋椿田的经验,每用制半夏、夏枯草各五钱,取阴阳相配之义,浓煎长流水,竟覆杯而卧。
这是目前为止,我所了解的关于半夏、夏枯草配伍的一些知识。但是,由于无法考证西溪居士为何人,所以,这一配伍经验的来龙去脉还无法确切地知道。
我在临床常以重剂半夏(30~80g)治失眠,大概已有十年了,最近甚至用到100g。最初曾配伍夏枯草,但后来发现治失眠的效果全在重用半夏,夏枯草并无效验,后遂弃夏枯草而不用。也用过温胆汤,但觉得枳实、竹茹用不用效果好像没有多少区别,遂仅用二陈汤,后合平胃散,并加用菖蒲、远志,定名为平陈宁神汤,取效者颇多。
治失眠为何要重用半夏?其实不仅失眠,凡属痰证用半夏,一般均宜用较大剂量,因为量小效果不显著,而失眠更应用重剂半夏。
吴鞠通用半夏就颇猛。如治秀氏产后不寐,与半夏汤。先用半夏一两不应,次服二两得熟寐,又减至一两仍不寐,又加至二两又得寐,又减又不得寐;于是竟用二两,服七八帖后,以他方收功。又治李某,用半夏汤,姜半夏用二两,效果只是得寐而未熟。痰饮门中又治某人卧不安,未记姓氏,用姜半夏二两五钱。可见吴鞠通用半夏是有经验有教训,有胆有识的。
现代医家中重用半夏者也不乏其人,如万友生先生。其他诸位,我不复记其姓名,因为都是十多年前“随便翻翻”(鲁迅语)的收获。
再说用半夏的指征。我以为痰湿为患甚广,很难以某个见症作为用药指征。我重视两点,一是苔腻,二是口腻。两者有其一即用半夏,并视苔腻的程度而选择适宜的剂量,当然症状的轻重也是需要考虑的。
多年来重用半夏,从未见有任何毒副作用。因为药房未备生半夏,故我未有用生半夏的经验。以上所说者皆为制半夏。
此外,还需提一笔。若治失眠的话,茯苓也宜用大剂,常用30~100g。此经验我忘其出处,似见载于某期的《中医杂志》。后知陶御风先生也用大剂茯苓治失眠。
【本文摘自《半日临证半日读书》
#中医# https://t.cn/z8AGTGH
KinKi Kids、CDデビュー25周年。ニューシングル「高純度romance」で松本隆が描いた2人の姿
text by その他
https://t.cn/A66Iu3dB
3月16日にリリースされる、KinKi Kids、44枚目のシングル「高純度romance」は、25年前、彼らのデビュー曲「硝子の少年」を手掛けた、松本隆による作詩である。CDデビュー25周年を迎えるこのアニヴァーサリーの始まりに、彼を起用した意味は大きい。この楽曲の歌詩について、昨年、松本隆50年の軌跡を追った評伝「風街とデラシネ 作詞家・松本隆の50年」(KADOKAWA)を上梓した音楽評論家、田家秀樹による考察を軸に「高純度romance」を分析する。2人を傍で、つかず離れず、ずっと見続けてきた人だからこそわかることがある。これは愛に溢れた1曲だ。
(これは『音楽と人』4月号に掲載された記事です)
松本さんらしい歌詩だな、という印象を受けました。
過剰な言葉も使わないし、説明もしないんだけど、何を唄いたいのかがすごくよくわかる。
〈絆〉ですよね。そしてこんな美しい曲なのに、美化してないし、綺麗事にもしていない。すごくリアリティがある。
〈引きこもってた日もあったよね/悩んだり凹んだり〉
何かを肯定する時に、こういう否定的なことも呼び込みながら、絶妙なバランスで書く。これは、松本隆の技以外の何者でもないですよ。
はっぴいえんどの頃からずっとそうなんですけど、松本さんは1曲の中で、光と影のどちらも書くんです。どちらかではなく全体を。すごくフラットに物を見ながら、その中にあるいろんなデコボコから目を背けない。そしてそれを肯定的に描けるから、嘘っぽさが全然ない。どんな人にも影があって、美しいだけじゃないことをわかって書いている。この曲は、言ってみれば結成25周年のお祝いソングですよね。そんなおめでたい曲に普通、〈引きこもってた日もあったよね〉なんて引き合いに出さないでしょう? でもそれが、この歌のリアリティに繋がっています。
有名なエピソードですけど、松本さんがKinKi Kidsのデビュー曲を依頼された時、なかなかジャニーさんからOKが出なかったんです。ミリオンヒットを獲れる曲という至上命令が出ていて、「Kissからはじまるミステリー」と「ジェットコースター・ロマンス」を先に書き上げていたものの、デビュー曲としてはOKがもらえなかった。煮詰まった松本さんが、仕事場の居間でテレビをつけたら偶然KinKi Kidsが唄っていて、その姿を見た松本さんは「あ、硝子の少年だ」と思った、と。
硝子は脆くて崩れやすく、だからこそピュアで透明、そして美しい。今回のタイトルの〈高純度〉とは、そういうことでもありますよね。この関係がこのままで壊れないでほしい、という願いもあったと思います。そこに松本さん自身を重ねたところもあるでしょうね。
松本さんが分身だと言ってる人が3人いるんです。細野晴臣、大滝詠一、筒美京平。きっと、自分とその人たちの間にあった、他の人にはわからない独特な関係性を、光一くんと剛くんの関係に見たんだと思います。ずっと傍にいるけど交わらない。でも絶対に離れられない。そして誰よりもお互いを理解してる。
だから、この人にはこうであってほしい、という願いが歌詩にこもってるんですよね。松本さんがそんなスタンスで歌詩を描いた唄い手は、おそらくKinKi Kidsと松田聖子さんだけだと思います。松田さんには、等身大の彼女より、ちょっとだけ大人なテーマの歌詩をつねに与えてきたんですよ。彼女は飛び抜けた歌唱力でそれを唄い、それによって、歌手としても人間としても大人になっていった。
KinKi Kidsもそうだと思うんです。デビューがいきなり「硝子の少年」じゃないですか。18歳で、自分たちのあり方のようなものを提示されて以降、その後の松本さんの歌詩は、つねに彼らの生き方のようなものを提示してきている気がします。「ボクの背中には羽根がある」も「スワンソング」もそう。そんな長年のいろんな積み重ねのうえに「高純度romance」が生まれている。それを思うと、25年という時間を背景に、大人になった2人に対し、その次、みたいなものを指し示してるのかもしれません。〈家庭〉という言葉もかなり踏み込んでるように聴こえますけど、でもそれが、さっき話したようなどんな人でも思い当たるリアリティを曲に与えてくれるんです。
〈純度高めの日々育んだ〉という一節もそうですね。つまり自分たちがやっている活動があって、お互いがその純度を高め続けている。プライドもあるし、自負もあるから折れない。そう簡単には交わらない。そんな状態で続けてきた彼らのことを、松本さんはちゃんと見てるということですよね。
そしてラストにある〈真実の蝶結び〉という言葉。〈蝶結び〉って、すぐ解けてしまう脆さがあるじゃないですか。ギュッと固く結ぶのではなく、綺麗だけど、紐を引いたらすぐに解けてしまう〈蝶結び〉。純度が高いからそれができるということでもあるし、そこに到達したということでもある。でも壊れやすいものでもある。これは「硝子の少年」にあった儚さ、脆さの象徴ですよね。そういうものが25年を経てもちゃんと結ばれている。
やはり松本さんがKinKi Kidsにずっと見ているのは、壊れそうで陰りのある、でもとても儚くて、ピュアな青春なんですよ。それを最初、近藤真彦さんに見たと思うんですけど、彼はソロだから、1人の人物の視点でしか描けない。KinKi Kidsはそこに2人の関係性が加わるから、近藤さんよりも歌で表現する視点が深くなる。そこにあの時代のいろんな青春群像が散りばめられているのが「硝子の少年」ですけど、それから25年経って、大人になった時に、いろんなことを言わなくてももういろいろ経験してるから、以前よりも言葉数が少なくなって、整理されて唄われていますね。
松本さんは作詞家として、太田裕美や寺尾聰、南佳孝や松田聖子の作品で、歌謡界で一時代を築いた後、89年から94年まで、作詞家としての活動を休憩するんですが、最前線に復帰したのがKinKi Kidsでした。おそらく松本さんは、2人と出会い、「硝子の少年」がミリオンヒットを飛ばし、代表曲として唄い継がれてきたことで、彼が70年代からずっと描いてきた〈青春の永遠性〉みたいなものを確信できたんじゃないでしょうか。つまり古い新しいは関係なく、みんなが持っているものなんだ、と。
松本さんの歌詩には、時折〈ジェームス・ディーン〉がモチーフとして出てきます。青春のシンボルとでも言うべきもので、矢沢永吉さんの「サブウェイ特急」や原田真二さんの「てぃーんずぶるーす」にも出てきます。若々しく孤独感があり、陰りもある。ジェームス・ディーンのそんなイメージが、松本さんの中にある普遍的な青春でしょう。それがKinKi Kidsにも繋がっているんですけど、さっきお話したように、ジェームス・ディーンは1人だけど、その精神を、2人の関係性として描けるのがKinKi Kidsなんだと思います。
ジェームス・ディーンは若くして亡くなっています。つまり孤独感や陰りというのは、それを抱えたまま死ぬことでしか永遠にならない。人によっては、歳を重ねるごとに、そういうものが失われていく。むしろそのほうが多い。でもKinKi Kidsは、2人の関係が続いていく中で、孤独や陰りが失われることがない。その素晴らしさがある。松本さんが描いてきた〈青春の永遠性〉。その先にあるものを彼らは見せてくれている。あんな硝子のように脆く、儚い美しさを湛えてきた2人の25年。この記念すべきアニヴァーサリーに書いた「高純度romance」は、松本さんが描きたかった世界観の集大成に近い。そして松本さんが、KinKi Kidsの2人に言いたかったであろう一言が、この曲の中にありました。
〈ほんとに愛してるよ〉
これが2人に伝えたかったことですよ。松本さんは大切なタイミングで、歌詩にそういうことを盛り込みますね。松田さんとのコンビを解消したアルバム『Citron』の最後の曲「林檎酒の日々」では〈もうさよならね〉と書いてますけど、それと同じです。この〈ほんとに愛してるよ〉は、松本さんがKinKi Kidsの2人に伝えたかったメッセージだと思います。
よく松本さんは「人の心を引きつける詞は、5%の真実と95%の想像から出来ている」とおっしゃっているんですが、その5%の真実が、25周年というタイミングもあって、そういうところににじみ出た気がします。それと、〈そんな時背中をポンと叩く/君の手に救われたのさ〉という一節は、ジャニーさんの病室で光一さんと剛さんが交わした光景を、KinKi Kidsとして歌にしていると編集長の金光さんから聞いたんですが(註:「YOU... ~ThanKs 2 YOU~」のKinKi Kidsヴァージョン。『KinKi Kids Concert Tour2019-2020 ThanKs 2 YOU』で披露)、松本さんはその話を知らなかったかもしれないですね。というのは、マーケットリサーチみたいなことをする人じゃないんですよ。人から聞かされたのなら別ですけど、自分から最近のKinKi Kidsについて細かく調べたりはしてないと思います。だとしたらすごい話ですけど、松本隆という人とKinKi Kidsの関係を知れば、そんな偶然もありそうだなと、そんな気持ちになりますね。
談=田家秀樹
構成=金光裕史
text by その他
https://t.cn/A66Iu3dB
3月16日にリリースされる、KinKi Kids、44枚目のシングル「高純度romance」は、25年前、彼らのデビュー曲「硝子の少年」を手掛けた、松本隆による作詩である。CDデビュー25周年を迎えるこのアニヴァーサリーの始まりに、彼を起用した意味は大きい。この楽曲の歌詩について、昨年、松本隆50年の軌跡を追った評伝「風街とデラシネ 作詞家・松本隆の50年」(KADOKAWA)を上梓した音楽評論家、田家秀樹による考察を軸に「高純度romance」を分析する。2人を傍で、つかず離れず、ずっと見続けてきた人だからこそわかることがある。これは愛に溢れた1曲だ。
(これは『音楽と人』4月号に掲載された記事です)
松本さんらしい歌詩だな、という印象を受けました。
過剰な言葉も使わないし、説明もしないんだけど、何を唄いたいのかがすごくよくわかる。
〈絆〉ですよね。そしてこんな美しい曲なのに、美化してないし、綺麗事にもしていない。すごくリアリティがある。
〈引きこもってた日もあったよね/悩んだり凹んだり〉
何かを肯定する時に、こういう否定的なことも呼び込みながら、絶妙なバランスで書く。これは、松本隆の技以外の何者でもないですよ。
はっぴいえんどの頃からずっとそうなんですけど、松本さんは1曲の中で、光と影のどちらも書くんです。どちらかではなく全体を。すごくフラットに物を見ながら、その中にあるいろんなデコボコから目を背けない。そしてそれを肯定的に描けるから、嘘っぽさが全然ない。どんな人にも影があって、美しいだけじゃないことをわかって書いている。この曲は、言ってみれば結成25周年のお祝いソングですよね。そんなおめでたい曲に普通、〈引きこもってた日もあったよね〉なんて引き合いに出さないでしょう? でもそれが、この歌のリアリティに繋がっています。
有名なエピソードですけど、松本さんがKinKi Kidsのデビュー曲を依頼された時、なかなかジャニーさんからOKが出なかったんです。ミリオンヒットを獲れる曲という至上命令が出ていて、「Kissからはじまるミステリー」と「ジェットコースター・ロマンス」を先に書き上げていたものの、デビュー曲としてはOKがもらえなかった。煮詰まった松本さんが、仕事場の居間でテレビをつけたら偶然KinKi Kidsが唄っていて、その姿を見た松本さんは「あ、硝子の少年だ」と思った、と。
硝子は脆くて崩れやすく、だからこそピュアで透明、そして美しい。今回のタイトルの〈高純度〉とは、そういうことでもありますよね。この関係がこのままで壊れないでほしい、という願いもあったと思います。そこに松本さん自身を重ねたところもあるでしょうね。
松本さんが分身だと言ってる人が3人いるんです。細野晴臣、大滝詠一、筒美京平。きっと、自分とその人たちの間にあった、他の人にはわからない独特な関係性を、光一くんと剛くんの関係に見たんだと思います。ずっと傍にいるけど交わらない。でも絶対に離れられない。そして誰よりもお互いを理解してる。
だから、この人にはこうであってほしい、という願いが歌詩にこもってるんですよね。松本さんがそんなスタンスで歌詩を描いた唄い手は、おそらくKinKi Kidsと松田聖子さんだけだと思います。松田さんには、等身大の彼女より、ちょっとだけ大人なテーマの歌詩をつねに与えてきたんですよ。彼女は飛び抜けた歌唱力でそれを唄い、それによって、歌手としても人間としても大人になっていった。
KinKi Kidsもそうだと思うんです。デビューがいきなり「硝子の少年」じゃないですか。18歳で、自分たちのあり方のようなものを提示されて以降、その後の松本さんの歌詩は、つねに彼らの生き方のようなものを提示してきている気がします。「ボクの背中には羽根がある」も「スワンソング」もそう。そんな長年のいろんな積み重ねのうえに「高純度romance」が生まれている。それを思うと、25年という時間を背景に、大人になった2人に対し、その次、みたいなものを指し示してるのかもしれません。〈家庭〉という言葉もかなり踏み込んでるように聴こえますけど、でもそれが、さっき話したようなどんな人でも思い当たるリアリティを曲に与えてくれるんです。
〈純度高めの日々育んだ〉という一節もそうですね。つまり自分たちがやっている活動があって、お互いがその純度を高め続けている。プライドもあるし、自負もあるから折れない。そう簡単には交わらない。そんな状態で続けてきた彼らのことを、松本さんはちゃんと見てるということですよね。
そしてラストにある〈真実の蝶結び〉という言葉。〈蝶結び〉って、すぐ解けてしまう脆さがあるじゃないですか。ギュッと固く結ぶのではなく、綺麗だけど、紐を引いたらすぐに解けてしまう〈蝶結び〉。純度が高いからそれができるということでもあるし、そこに到達したということでもある。でも壊れやすいものでもある。これは「硝子の少年」にあった儚さ、脆さの象徴ですよね。そういうものが25年を経てもちゃんと結ばれている。
やはり松本さんがKinKi Kidsにずっと見ているのは、壊れそうで陰りのある、でもとても儚くて、ピュアな青春なんですよ。それを最初、近藤真彦さんに見たと思うんですけど、彼はソロだから、1人の人物の視点でしか描けない。KinKi Kidsはそこに2人の関係性が加わるから、近藤さんよりも歌で表現する視点が深くなる。そこにあの時代のいろんな青春群像が散りばめられているのが「硝子の少年」ですけど、それから25年経って、大人になった時に、いろんなことを言わなくてももういろいろ経験してるから、以前よりも言葉数が少なくなって、整理されて唄われていますね。
松本さんは作詞家として、太田裕美や寺尾聰、南佳孝や松田聖子の作品で、歌謡界で一時代を築いた後、89年から94年まで、作詞家としての活動を休憩するんですが、最前線に復帰したのがKinKi Kidsでした。おそらく松本さんは、2人と出会い、「硝子の少年」がミリオンヒットを飛ばし、代表曲として唄い継がれてきたことで、彼が70年代からずっと描いてきた〈青春の永遠性〉みたいなものを確信できたんじゃないでしょうか。つまり古い新しいは関係なく、みんなが持っているものなんだ、と。
松本さんの歌詩には、時折〈ジェームス・ディーン〉がモチーフとして出てきます。青春のシンボルとでも言うべきもので、矢沢永吉さんの「サブウェイ特急」や原田真二さんの「てぃーんずぶるーす」にも出てきます。若々しく孤独感があり、陰りもある。ジェームス・ディーンのそんなイメージが、松本さんの中にある普遍的な青春でしょう。それがKinKi Kidsにも繋がっているんですけど、さっきお話したように、ジェームス・ディーンは1人だけど、その精神を、2人の関係性として描けるのがKinKi Kidsなんだと思います。
ジェームス・ディーンは若くして亡くなっています。つまり孤独感や陰りというのは、それを抱えたまま死ぬことでしか永遠にならない。人によっては、歳を重ねるごとに、そういうものが失われていく。むしろそのほうが多い。でもKinKi Kidsは、2人の関係が続いていく中で、孤独や陰りが失われることがない。その素晴らしさがある。松本さんが描いてきた〈青春の永遠性〉。その先にあるものを彼らは見せてくれている。あんな硝子のように脆く、儚い美しさを湛えてきた2人の25年。この記念すべきアニヴァーサリーに書いた「高純度romance」は、松本さんが描きたかった世界観の集大成に近い。そして松本さんが、KinKi Kidsの2人に言いたかったであろう一言が、この曲の中にありました。
〈ほんとに愛してるよ〉
これが2人に伝えたかったことですよ。松本さんは大切なタイミングで、歌詩にそういうことを盛り込みますね。松田さんとのコンビを解消したアルバム『Citron』の最後の曲「林檎酒の日々」では〈もうさよならね〉と書いてますけど、それと同じです。この〈ほんとに愛してるよ〉は、松本さんがKinKi Kidsの2人に伝えたかったメッセージだと思います。
よく松本さんは「人の心を引きつける詞は、5%の真実と95%の想像から出来ている」とおっしゃっているんですが、その5%の真実が、25周年というタイミングもあって、そういうところににじみ出た気がします。それと、〈そんな時背中をポンと叩く/君の手に救われたのさ〉という一節は、ジャニーさんの病室で光一さんと剛さんが交わした光景を、KinKi Kidsとして歌にしていると編集長の金光さんから聞いたんですが(註:「YOU... ~ThanKs 2 YOU~」のKinKi Kidsヴァージョン。『KinKi Kids Concert Tour2019-2020 ThanKs 2 YOU』で披露)、松本さんはその話を知らなかったかもしれないですね。というのは、マーケットリサーチみたいなことをする人じゃないんですよ。人から聞かされたのなら別ですけど、自分から最近のKinKi Kidsについて細かく調べたりはしてないと思います。だとしたらすごい話ですけど、松本隆という人とKinKi Kidsの関係を知れば、そんな偶然もありそうだなと、そんな気持ちになりますね。
談=田家秀樹
構成=金光裕史
孔雀明王
佛教中的神明
孔雀明王(梵名Mahā-mayūrī-vidyā-rājñī)汉译有摩诃摩瑜利罗阇、佛母大孔雀明王等。此尊相传为毗卢遮那佛或释迦牟尼佛的等流身。密号为佛母金刚、护世金刚。在密教修法中,以孔雀明王为本尊而修者,称为孔雀明王经法,又称孔雀经法。为密教四大法之一。根据《孔雀明王经》记载,佛陀在世时,有一位莎底比丘遭到毒蛇咬螫,不胜其苦,当阿难向佛陀禀告之后,佛陀于是教导一个可以消除鬼魅、毒害、恶疾的修持法门,这就是《孔雀明王经》的主要内容。[1]
中文名
孔雀明王
外文名
Mahā-mayūrī-vidyā-rājñī
别名
摩诃摩瑜利罗阎、大孔雀咒王、孔雀多罗菩萨、孔雀度母[1]
居所
天界
司掌
灭一切诸毒怖畏灾恼、摄受覆育一切有情。
经文记载
手印和真言
孔雀明王
在这部经典中,也记载佛陀在过去久远前的本生中,曾经修持过孔雀明王的法门。当时佛陀本生是雪山南方名为“金曜”(或译“金光明”)的孔雀王,每天早晨读诵孔雀明王法门,总是非常安稳,有一次,由于贪爱逸乐,导致忘了读诵,因此被猎人捕捉,然而在被系缚之际,恢复正念,如以前一样的读诵,终于解脱系缚、获得安稳。可见孔雀明王的法门,不是第一次由佛陀宣说,早在比佛陀本生更早之前就已经有了。
在印度古代各地,不管大小二乘、僧俗二众,都非常盛行孔雀明王的修持文化。在藏传佛教是非常重要的本尊修法之一。在日本真言宗的东密和台密两大系统中,孔雀明王都不在男性五大明王之内(因为属于佛教的女性五大明王之一),但以孔雀明王为本尊的修法,是东密四大法之一。在汉传佛教因见如长老等法师的推广下,读诵《佛母大孔雀明王经》非常盛行。在当代,孔雀明王的信仰文化,与重视医疗、环保等议题息息相关。
孔雀明王一头四臂,为菩萨形,驾孔雀,故曰孔雀明王(明王非忿怒尊),具名佛母大金曜孔雀明王密教本尊之一。依大孔雀明王画像坛场仪轨所载,孔雀明王呈一面四臂之相,手持莲花、俱缘果、吉祥果、孔雀尾,跨乘金色孔雀王。所持四物中,莲花表敬爱,俱缘果表调伏,吉祥果表增益,孔雀尾表息灾。此明王为毗卢遮那如来之等流身,具有摄取、折伏二德,故有二种座,白莲座表示摄取慈悲之本誓,青莲座表示降伏之意。又现图胎藏界曼荼罗中,孔雀明王位于苏悉地院南端第六位,肉色二臂,右手持孔雀尾,左手持莲花,坐赤莲花座。密号佛母金刚,三昧耶形为孔雀羽。
经文记载
孔雀明王的经典主要是《孔雀明王经》,有许多不同译本,包括:失译者名的《大金色孔雀王咒经》一卷、《佛说大金色孔雀王咒经》一卷、梁代僧伽婆罗三藏法师译的《孔雀王咒经》二卷、姚秦鸠摩罗什三藏法师译的《孔雀王咒经》一卷、唐代不空三藏法师译的《佛母大王经》三卷、唐代义净三藏法师译的《佛说大孔雀咒王经》三卷。其中不空三藏法师译本与义净三藏法师译本的两个译本,经文比较完整,也都非常通畅达意。
另外还有《孔雀经等真言梵本》、唐代不空三藏法师译的《佛说大孔雀明王画像坛场仪轨》。
孔雀明王有许多不同的形象,主要除了三面六臂的形象,还有依《大孔雀明王画像坛场仪轨》所载一面四臂的形象︰“于莲华胎上画佛母大孔雀明王菩萨。头向东方,白色,着白缯轻衣。头冠、璎珞、耳珰、臂钏,种种庄严,乘金色孔雀王,结跏趺坐白莲华上或青绿花上,住慈悲相。有四臂,右边第一手执开敷莲华,第二手持俱缘果,左边第一手当心掌持吉祥果,第二手执三、五茎孔雀尾。”在胎藏界曼荼罗中,此尊被安置于苏悉地院南端的第六位。
据《孔雀明王经》所载,佛世时,有一位比丘遭毒蛇所螫,不胜其苦。当阿难向释尊禀告之后,释尊乃说出一种可供袪除鬼魅、毒害、恶疾的陀罗尼,此即孔雀明王咒。此外,在久远以前,雪山有一金色大孔雀王,平素持诵 该咒甚勤,因此恒得安稳。有一次,由于贪爱逸乐,与众多孔雀女到远地山中嬉游,而未诵该咒,因此为猎人捕获。他在被缚之时,恢复正念,持诵该咒,终于解脱系缚,得到自由。释尊的这些开示,是孔雀明王及其陀罗尼为世人所知的开始。

孔雀明王心
孔雀明王的形像,一般都是白色,穿白缯轻衣。有头冠、璎珞、耳珰、臂钏等装饰,乘坐金色孔雀。现慈悲相,有四臂,分别持有吉祥果及孔雀尾等物。其形像,《大孔雀明王画像坛场仪轨》云(大正19·440a)︰
孔雀明王四种持物中,莲华表敬爱,俱缘果表调伏,吉祥果表增益,孔雀尾表息灾。白莲座表摄取慈悲的本誓,青莲座表降伏之意。据密教相传,此明王是毗卢遮那如来的等流身,具摄取、折伏二德,故有上述二种莲座。此莲座谓之为‘孔雀座’(mayūrāsana)。密教现图胎藏界曼荼罗将此尊安置于苏悉地院南端第六位,形像呈肉色,二臂,右手持孔雀尾,左手持莲华,坐赤莲华。密号是佛母金刚或护世金刚,三昧耶形是孔雀羽。西藏流传的形像则呈三面八臂,坐莲华座,不乘孔雀。
又,密教有以此孔雀明王为本尊而修之法,称之为孔雀经法或孔雀明王经法。此法之主要作用为息灾、祈雨或止雨、安产等事。日本传此修法甚早,九世纪时修验道创始人役小角即曾修孔雀咒法而得大灵验。平安时代,自空海强调《孔雀明王经》之护国性以来,即为东密所特别重视,尤其广泽流以之为无双大秘法。至十一世纪,孔雀经法扩及现世利益,以祈祷消除天灾、除病延命、安产等功效而盛行。

日本现存最古的孔雀明王像,(日本的佛教多为密宗,中国国内却只有西藏地区信奉密宗)系东京国立博物馆所藏平安后期的画像。此外,智积院、松尾寺、法隆寺、仁和寺等,亦收藏有此明王的画像。另外,金刚峰寺有快庆所作的雕像。
孔雀明王的法门,对于护国、息灾、祈雨、除病延寿 安产等世间利益,都极有效验。当然最重要的,还是以此尊作为出世间修行的依怙,袪除我们心中贪、瞋、痴、慢、疑等各种烦恼毒害,使我们能圆满智慧、慈悲的菩提,速成无上佛果。
在《佛说大孔雀咒王经》、《佛母大金曜孔雀明王经》诸经典里,释迦牟尼佛开示:“于往昔时,雪山南面有孔雀王,名金光明在彼而住……金光明孔雀王者,勿为异见,即我身是。”
“往昔之时,雪山南面。有金曜孔雀王于彼而住……金曜孔雀王者岂异人乎?即我身是。”
手印和真言
“次结佛母大孔雀明王印。
二手右押左内相叉。二大指二小指。各直竖头相拄即成。结印当心诵真言七遍。如前以印加持四处顶上散印。
真言曰:
唵么庾(引)啰(引)讫兰(二合引)帝(引)娑嚩(二合引)诃。”——《大孔雀明王画像坛场仪轨》 https://t.cn/R2WxuoH
佛教中的神明
孔雀明王(梵名Mahā-mayūrī-vidyā-rājñī)汉译有摩诃摩瑜利罗阇、佛母大孔雀明王等。此尊相传为毗卢遮那佛或释迦牟尼佛的等流身。密号为佛母金刚、护世金刚。在密教修法中,以孔雀明王为本尊而修者,称为孔雀明王经法,又称孔雀经法。为密教四大法之一。根据《孔雀明王经》记载,佛陀在世时,有一位莎底比丘遭到毒蛇咬螫,不胜其苦,当阿难向佛陀禀告之后,佛陀于是教导一个可以消除鬼魅、毒害、恶疾的修持法门,这就是《孔雀明王经》的主要内容。[1]
中文名
孔雀明王
外文名
Mahā-mayūrī-vidyā-rājñī
别名
摩诃摩瑜利罗阎、大孔雀咒王、孔雀多罗菩萨、孔雀度母[1]
居所
天界
司掌
灭一切诸毒怖畏灾恼、摄受覆育一切有情。
经文记载
手印和真言
孔雀明王
在这部经典中,也记载佛陀在过去久远前的本生中,曾经修持过孔雀明王的法门。当时佛陀本生是雪山南方名为“金曜”(或译“金光明”)的孔雀王,每天早晨读诵孔雀明王法门,总是非常安稳,有一次,由于贪爱逸乐,导致忘了读诵,因此被猎人捕捉,然而在被系缚之际,恢复正念,如以前一样的读诵,终于解脱系缚、获得安稳。可见孔雀明王的法门,不是第一次由佛陀宣说,早在比佛陀本生更早之前就已经有了。
在印度古代各地,不管大小二乘、僧俗二众,都非常盛行孔雀明王的修持文化。在藏传佛教是非常重要的本尊修法之一。在日本真言宗的东密和台密两大系统中,孔雀明王都不在男性五大明王之内(因为属于佛教的女性五大明王之一),但以孔雀明王为本尊的修法,是东密四大法之一。在汉传佛教因见如长老等法师的推广下,读诵《佛母大孔雀明王经》非常盛行。在当代,孔雀明王的信仰文化,与重视医疗、环保等议题息息相关。
孔雀明王一头四臂,为菩萨形,驾孔雀,故曰孔雀明王(明王非忿怒尊),具名佛母大金曜孔雀明王密教本尊之一。依大孔雀明王画像坛场仪轨所载,孔雀明王呈一面四臂之相,手持莲花、俱缘果、吉祥果、孔雀尾,跨乘金色孔雀王。所持四物中,莲花表敬爱,俱缘果表调伏,吉祥果表增益,孔雀尾表息灾。此明王为毗卢遮那如来之等流身,具有摄取、折伏二德,故有二种座,白莲座表示摄取慈悲之本誓,青莲座表示降伏之意。又现图胎藏界曼荼罗中,孔雀明王位于苏悉地院南端第六位,肉色二臂,右手持孔雀尾,左手持莲花,坐赤莲花座。密号佛母金刚,三昧耶形为孔雀羽。
经文记载
孔雀明王的经典主要是《孔雀明王经》,有许多不同译本,包括:失译者名的《大金色孔雀王咒经》一卷、《佛说大金色孔雀王咒经》一卷、梁代僧伽婆罗三藏法师译的《孔雀王咒经》二卷、姚秦鸠摩罗什三藏法师译的《孔雀王咒经》一卷、唐代不空三藏法师译的《佛母大王经》三卷、唐代义净三藏法师译的《佛说大孔雀咒王经》三卷。其中不空三藏法师译本与义净三藏法师译本的两个译本,经文比较完整,也都非常通畅达意。
另外还有《孔雀经等真言梵本》、唐代不空三藏法师译的《佛说大孔雀明王画像坛场仪轨》。
孔雀明王有许多不同的形象,主要除了三面六臂的形象,还有依《大孔雀明王画像坛场仪轨》所载一面四臂的形象︰“于莲华胎上画佛母大孔雀明王菩萨。头向东方,白色,着白缯轻衣。头冠、璎珞、耳珰、臂钏,种种庄严,乘金色孔雀王,结跏趺坐白莲华上或青绿花上,住慈悲相。有四臂,右边第一手执开敷莲华,第二手持俱缘果,左边第一手当心掌持吉祥果,第二手执三、五茎孔雀尾。”在胎藏界曼荼罗中,此尊被安置于苏悉地院南端的第六位。
据《孔雀明王经》所载,佛世时,有一位比丘遭毒蛇所螫,不胜其苦。当阿难向释尊禀告之后,释尊乃说出一种可供袪除鬼魅、毒害、恶疾的陀罗尼,此即孔雀明王咒。此外,在久远以前,雪山有一金色大孔雀王,平素持诵 该咒甚勤,因此恒得安稳。有一次,由于贪爱逸乐,与众多孔雀女到远地山中嬉游,而未诵该咒,因此为猎人捕获。他在被缚之时,恢复正念,持诵该咒,终于解脱系缚,得到自由。释尊的这些开示,是孔雀明王及其陀罗尼为世人所知的开始。

孔雀明王心
孔雀明王的形像,一般都是白色,穿白缯轻衣。有头冠、璎珞、耳珰、臂钏等装饰,乘坐金色孔雀。现慈悲相,有四臂,分别持有吉祥果及孔雀尾等物。其形像,《大孔雀明王画像坛场仪轨》云(大正19·440a)︰
孔雀明王四种持物中,莲华表敬爱,俱缘果表调伏,吉祥果表增益,孔雀尾表息灾。白莲座表摄取慈悲的本誓,青莲座表降伏之意。据密教相传,此明王是毗卢遮那如来的等流身,具摄取、折伏二德,故有上述二种莲座。此莲座谓之为‘孔雀座’(mayūrāsana)。密教现图胎藏界曼荼罗将此尊安置于苏悉地院南端第六位,形像呈肉色,二臂,右手持孔雀尾,左手持莲华,坐赤莲华。密号是佛母金刚或护世金刚,三昧耶形是孔雀羽。西藏流传的形像则呈三面八臂,坐莲华座,不乘孔雀。
又,密教有以此孔雀明王为本尊而修之法,称之为孔雀经法或孔雀明王经法。此法之主要作用为息灾、祈雨或止雨、安产等事。日本传此修法甚早,九世纪时修验道创始人役小角即曾修孔雀咒法而得大灵验。平安时代,自空海强调《孔雀明王经》之护国性以来,即为东密所特别重视,尤其广泽流以之为无双大秘法。至十一世纪,孔雀经法扩及现世利益,以祈祷消除天灾、除病延命、安产等功效而盛行。

日本现存最古的孔雀明王像,(日本的佛教多为密宗,中国国内却只有西藏地区信奉密宗)系东京国立博物馆所藏平安后期的画像。此外,智积院、松尾寺、法隆寺、仁和寺等,亦收藏有此明王的画像。另外,金刚峰寺有快庆所作的雕像。
孔雀明王的法门,对于护国、息灾、祈雨、除病延寿 安产等世间利益,都极有效验。当然最重要的,还是以此尊作为出世间修行的依怙,袪除我们心中贪、瞋、痴、慢、疑等各种烦恼毒害,使我们能圆满智慧、慈悲的菩提,速成无上佛果。
在《佛说大孔雀咒王经》、《佛母大金曜孔雀明王经》诸经典里,释迦牟尼佛开示:“于往昔时,雪山南面有孔雀王,名金光明在彼而住……金光明孔雀王者,勿为异见,即我身是。”
“往昔之时,雪山南面。有金曜孔雀王于彼而住……金曜孔雀王者岂异人乎?即我身是。”
手印和真言
“次结佛母大孔雀明王印。
二手右押左内相叉。二大指二小指。各直竖头相拄即成。结印当心诵真言七遍。如前以印加持四处顶上散印。
真言曰:
唵么庾(引)啰(引)讫兰(二合引)帝(引)娑嚩(二合引)诃。”——《大孔雀明王画像坛场仪轨》 https://t.cn/R2WxuoH
✋热门推荐