「6つ子という“兄弟”としての強固なつながりが、より際立ったような気がします」櫻井孝宏が語る『えいがのおそ松さん』の魅力【インタビュー】https://t.cn/EIgJKkx
――『えいがのおそ松さん』の感想をお聞かせください。
感動的とか衝撃的とかじゃなくて、“いい感じ”になっていました。今までのTVシリーズで作り上げてきた『おそ松さん』らしさを組み込みつつ、ちょっとファンタスティックなストーリーで6つ子にクローズアップして、彼らの心の機微や成長の過程が見られるドラマになっています。内面を深掘りした今回の映画は、僕ら出演者側的にも考えていなかった部分がいろいろ埋まるような感じで、そういうところも面白かったです。高校時代の6つ子が登場しますが、多感だったころの自分に出会うというタイムパラドックス的で映画チックな展開が僕は好きですね。
――『おそ松さん』シリーズでは初めての長尺でのアフレコはいかがでしたか?
大変でした。過去と現在のキャラクターがいるから、単純に「これ作業量が倍じゃない?」って。収録は3回に分けて録ったんですけど、毎回終わるころにはみんな全力を出しきっていて、ボーッとしていましたね(笑)。6つ子が18歳の彼らと邂逅する辺りは刺激的ではあったんですけど、同じシーンを現在と18歳の2回に分けて録らなきゃいけないし、なおかつドラマ的に押さえなきゃいけないポイントもあり結構こだわって録っていたので、それなりに時間がかりました。我々の収録だけでなく、藤田(陽一)監督を中心にみんなでディスカッションする時間も設けていましたから。でも、僕もそのくらい時間をかけた方がいいと思っていたし、あまり急いで進めても後悔が残ってしまうので、そういう意味ではやりきりましたね。
――収録を通して印象に残っているキャラクターはいますか?
みんな等しく頑張っていましたけれど、インパクトが強かったのはチョロ松です。18歳のチョロ松はズルい。キャッチーでしたね。何度観ても面白い。こんなヤツだったんだっていうバカバカしさと子どもっぽさがありつつ、彼なりの葛藤がいろいろ見えてくるところがよかったです。18歳のカラ松や一松も意外なキャラクターづけをされていて、今とのギャップがあって面白かったですね。それを言うと十四松とトド松もそうなんですけど……おそ松だけは今と変わらない感じだったのでラクでした(笑)。
――今回は高校時代の6つ子が描かれますが、彼らについてはどんなことを感じましたか?
同窓会のシーンを見ていると、6つ子たちは結構うまいことやっているんですよね。同級生たちに「久しぶり〜」とか言って。そのうち、ほころびが生じて崩れてきますけど(笑)。TVシリーズでは彼らの過去を想像していなかったんですよ。うまくいっていたように思えなかったですし、そもそも今の彼らは「うまくいっていなかった延長線上」に立っているんですから。むしろ今回も「同窓会に行くんだ!?」と思ったくらいで。でも、幼いころは同じ顔で同じような性格だった6つ子が、いつしか下手くそな自分探しを始めて、そのもがいているような姿には10代らしい若さを感じるし、彼らなりに一生懸命だったんだろうなと。「なんで俺たち6つ子なんだろう」みたいな解けない疑問を持っちゃったりして。だから、みんな今とつながらないキャラクターになっているんですよね。そこにギャップがあるというか、18歳の彼らは僕の想像にはないキャラクターでした。
――そうしたなかで、おそ松に“長男らしさ”を感じたところはありましたか?
なんでも一番乗りしているところですかね。18歳の時点で、現在のニートとほぼ変わらない彼になっているんですよ。だから、自分のズボラで怠惰な性格に気づいたのが、彼はけっこう早かったのかなと。もう路線を決めたらグンッと突き進んでしまう。そういうところが長男らしいのかなと思いました。あと、要所で長男らしい眼差しや、長男っぽさがうかがえるセリフも少なからずありました。長男として、脚本上で花を持たせてくれたのかもしれません。
――唯一18歳のころと変わらない姿を見せるおそ松は、逆に兄弟たちの変わりようを見てきたわけですよね。
子どものころは仲よしこよしでやってきたであろう6つ子の関係が、高校時代にはあまり会話がなくなるなどして、ぐちゃぐちゃになるわけですからね。おそ松は「変わらない自分が正しい」とはけっして思っていないでしょうけど、やっぱり6つ子だから、もがいている弟たちの気持ちはわかるんですよ。いつも等距離だった6人が、何かを変えたいんだけどどうしたらいいのかわからないし、同時に変わることの怖さもある。6つ子っていう呪縛もあるから、抜け駆けみたいなこともできない。いろんな気持ちがないまぜになって「その結果こうなった」というのが、今回描かれている18歳の6つ子なのかなと。「同じ」って言われたくないから、お互いにかぶらないように別々の道を選ぼうとしている。そこに兄として、何かを感じるところはあったと思います。
――悩める時期にも変わらなかったおそ松は、逆にすごいヤツなのでは?
どうなんでしょう? これが「もっと頑張ろうぜ!」みたいなポジティブな人だったら褒められるんですけどね。彼にしてみれば「なんでそんなときだけ?」っていうタイミングで急に兄貴扱いされることに対しての猛烈なストレスと違和感があって、結果的にそういう期待を突っぱねてしまう。ほとんど同時に生まれたのに、そこだけ兄貴ヅラさせんなよ……みたいな思いがあるから、ほかの連中みたいに悩む以前に「わっかんねぇよ」ってなっちゃったんでしょうね。弟たちからすれば、兄貴に見捨てられたような気持ちになったかもしれないし、本当のところはわかりません。
――18歳と現在のおそ松が会話するシーンの収録で意識されていたことはありますか?
やっぱり現在のおそ松のほうにアドバンテージがあるので、過去の自分に対して強く出られるし、経験値も違いますよね。18歳のおそ松には戸惑いがありますし、ワケわかんない事態ですし。このあたりは演技差である程度のバランスがとれますが、18歳のほうを意識的に幼く、ウブな作りにはしたいなと思いました。でも、いざやってみるとそんなに差がなくて、本当に少しの違いだけだったので、ほとんど自己満足のレベルでしたね。
逆にほかの5人は今と違いすぎてすごく面白いです。今の彼らが過去の自分たちを見て「キッツイな〜引くわ〜」ってなってしまう気持ちはよくわかるなと。そういう意味では、6つ子の“人間感”が強まりましたね。これまでは「長男」「次男」と記号的に捉えられている部分もあったけど、この映画ではおそ松、カラ松、チョロ松、一松、十四松、トド松というそれぞれの人間味の厚さが強く出たと思います。個々が豊かになった結果、6つ子という“兄弟”としての強固なつながりが、より際立ったような気がします。
――では、公開を待ちわびる『おそ松さん』ファンへのメッセージをお願いします。
『えいがのおそ松さん』が何を期待されているのかわからないんですけど、きっと「面白いものが観られるんだろう」みたいな感覚で劇場に来る人が多いと思うんです。そういう人たちの期待はまったく裏切らないですし、むしろ感動的な作品になっています。それは元々の『おそ松くん』から脈々と積み上げられてきた作品のパワーと、藤田監督と松原(秀)さんの脚本があってこそなので、今までの『おそ松』テイストを損なわず“映画”になっているところを楽しんでもらいたいですね。ひょんなことで変わっちゃう兄弟のつながりとか、いろんなことをドラマチックに描いているビターなところもあるので、その辺も味わっていただけたらなと思います。
――『えいがのおそ松さん』の感想をお聞かせください。
感動的とか衝撃的とかじゃなくて、“いい感じ”になっていました。今までのTVシリーズで作り上げてきた『おそ松さん』らしさを組み込みつつ、ちょっとファンタスティックなストーリーで6つ子にクローズアップして、彼らの心の機微や成長の過程が見られるドラマになっています。内面を深掘りした今回の映画は、僕ら出演者側的にも考えていなかった部分がいろいろ埋まるような感じで、そういうところも面白かったです。高校時代の6つ子が登場しますが、多感だったころの自分に出会うというタイムパラドックス的で映画チックな展開が僕は好きですね。
――『おそ松さん』シリーズでは初めての長尺でのアフレコはいかがでしたか?
大変でした。過去と現在のキャラクターがいるから、単純に「これ作業量が倍じゃない?」って。収録は3回に分けて録ったんですけど、毎回終わるころにはみんな全力を出しきっていて、ボーッとしていましたね(笑)。6つ子が18歳の彼らと邂逅する辺りは刺激的ではあったんですけど、同じシーンを現在と18歳の2回に分けて録らなきゃいけないし、なおかつドラマ的に押さえなきゃいけないポイントもあり結構こだわって録っていたので、それなりに時間がかりました。我々の収録だけでなく、藤田(陽一)監督を中心にみんなでディスカッションする時間も設けていましたから。でも、僕もそのくらい時間をかけた方がいいと思っていたし、あまり急いで進めても後悔が残ってしまうので、そういう意味ではやりきりましたね。
――収録を通して印象に残っているキャラクターはいますか?
みんな等しく頑張っていましたけれど、インパクトが強かったのはチョロ松です。18歳のチョロ松はズルい。キャッチーでしたね。何度観ても面白い。こんなヤツだったんだっていうバカバカしさと子どもっぽさがありつつ、彼なりの葛藤がいろいろ見えてくるところがよかったです。18歳のカラ松や一松も意外なキャラクターづけをされていて、今とのギャップがあって面白かったですね。それを言うと十四松とトド松もそうなんですけど……おそ松だけは今と変わらない感じだったのでラクでした(笑)。
――今回は高校時代の6つ子が描かれますが、彼らについてはどんなことを感じましたか?
同窓会のシーンを見ていると、6つ子たちは結構うまいことやっているんですよね。同級生たちに「久しぶり〜」とか言って。そのうち、ほころびが生じて崩れてきますけど(笑)。TVシリーズでは彼らの過去を想像していなかったんですよ。うまくいっていたように思えなかったですし、そもそも今の彼らは「うまくいっていなかった延長線上」に立っているんですから。むしろ今回も「同窓会に行くんだ!?」と思ったくらいで。でも、幼いころは同じ顔で同じような性格だった6つ子が、いつしか下手くそな自分探しを始めて、そのもがいているような姿には10代らしい若さを感じるし、彼らなりに一生懸命だったんだろうなと。「なんで俺たち6つ子なんだろう」みたいな解けない疑問を持っちゃったりして。だから、みんな今とつながらないキャラクターになっているんですよね。そこにギャップがあるというか、18歳の彼らは僕の想像にはないキャラクターでした。
――そうしたなかで、おそ松に“長男らしさ”を感じたところはありましたか?
なんでも一番乗りしているところですかね。18歳の時点で、現在のニートとほぼ変わらない彼になっているんですよ。だから、自分のズボラで怠惰な性格に気づいたのが、彼はけっこう早かったのかなと。もう路線を決めたらグンッと突き進んでしまう。そういうところが長男らしいのかなと思いました。あと、要所で長男らしい眼差しや、長男っぽさがうかがえるセリフも少なからずありました。長男として、脚本上で花を持たせてくれたのかもしれません。
――唯一18歳のころと変わらない姿を見せるおそ松は、逆に兄弟たちの変わりようを見てきたわけですよね。
子どものころは仲よしこよしでやってきたであろう6つ子の関係が、高校時代にはあまり会話がなくなるなどして、ぐちゃぐちゃになるわけですからね。おそ松は「変わらない自分が正しい」とはけっして思っていないでしょうけど、やっぱり6つ子だから、もがいている弟たちの気持ちはわかるんですよ。いつも等距離だった6人が、何かを変えたいんだけどどうしたらいいのかわからないし、同時に変わることの怖さもある。6つ子っていう呪縛もあるから、抜け駆けみたいなこともできない。いろんな気持ちがないまぜになって「その結果こうなった」というのが、今回描かれている18歳の6つ子なのかなと。「同じ」って言われたくないから、お互いにかぶらないように別々の道を選ぼうとしている。そこに兄として、何かを感じるところはあったと思います。
――悩める時期にも変わらなかったおそ松は、逆にすごいヤツなのでは?
どうなんでしょう? これが「もっと頑張ろうぜ!」みたいなポジティブな人だったら褒められるんですけどね。彼にしてみれば「なんでそんなときだけ?」っていうタイミングで急に兄貴扱いされることに対しての猛烈なストレスと違和感があって、結果的にそういう期待を突っぱねてしまう。ほとんど同時に生まれたのに、そこだけ兄貴ヅラさせんなよ……みたいな思いがあるから、ほかの連中みたいに悩む以前に「わっかんねぇよ」ってなっちゃったんでしょうね。弟たちからすれば、兄貴に見捨てられたような気持ちになったかもしれないし、本当のところはわかりません。
――18歳と現在のおそ松が会話するシーンの収録で意識されていたことはありますか?
やっぱり現在のおそ松のほうにアドバンテージがあるので、過去の自分に対して強く出られるし、経験値も違いますよね。18歳のおそ松には戸惑いがありますし、ワケわかんない事態ですし。このあたりは演技差である程度のバランスがとれますが、18歳のほうを意識的に幼く、ウブな作りにはしたいなと思いました。でも、いざやってみるとそんなに差がなくて、本当に少しの違いだけだったので、ほとんど自己満足のレベルでしたね。
逆にほかの5人は今と違いすぎてすごく面白いです。今の彼らが過去の自分たちを見て「キッツイな〜引くわ〜」ってなってしまう気持ちはよくわかるなと。そういう意味では、6つ子の“人間感”が強まりましたね。これまでは「長男」「次男」と記号的に捉えられている部分もあったけど、この映画ではおそ松、カラ松、チョロ松、一松、十四松、トド松というそれぞれの人間味の厚さが強く出たと思います。個々が豊かになった結果、6つ子という“兄弟”としての強固なつながりが、より際立ったような気がします。
――では、公開を待ちわびる『おそ松さん』ファンへのメッセージをお願いします。
『えいがのおそ松さん』が何を期待されているのかわからないんですけど、きっと「面白いものが観られるんだろう」みたいな感覚で劇場に来る人が多いと思うんです。そういう人たちの期待はまったく裏切らないですし、むしろ感動的な作品になっています。それは元々の『おそ松くん』から脈々と積み上げられてきた作品のパワーと、藤田監督と松原(秀)さんの脚本があってこそなので、今までの『おそ松』テイストを損なわず“映画”になっているところを楽しんでもらいたいですね。ひょんなことで変わっちゃう兄弟のつながりとか、いろんなことをドラマチックに描いているビターなところもあるので、その辺も味わっていただけたらなと思います。
相手が櫻井さんでいてくれるという大きな安心感がありましたー『GODZILLA 星を喰う者』宮野真守、櫻井孝宏インタビューhttps://t.cn/EAtjvyW
アニメーション映画『GODZILLA』シリーズの最終章『GODZILLA 星を喰う者』が、11月9日(金)より劇場公開を迎えます。公開を控え、ハルオ・サカキ役の宮野真守さん、メトフィエス役の櫻井孝宏さんにお話を伺った。
いよいよ最終章が公開されます。シナリオを読まれたときの感想や意気込みをお聞かせください。
宮野真守(以下、宮野) 僕らは台本を第一章から最終章まで通していただいていましたし、お芝居も一気に録り終えていました。その作品が、ついに公開。感慨深いですね。全体を通しての大きなテーマは、ハルオたち地球人と異星人が、自然災害ともいえる怪獣・ゴジラに対して、どう立ち向かっていくか、どういう答えを出すか。ただ、最終章まで見ると、やはりこれは“ハルオの物語”だということが分かっていただけると思います。種族間の価値観の違いや正義の違い、共存することなど、大切なメッセージやいろんな思いが渦巻くなかで、人類としてひとりの男がどう生きたか。それを感じてもらう作品なんじゃないかなと思いました。
櫻井孝宏(以下、櫻井) 物語の芯になる部分は、今、宮野君が話した通りだと思います。この作品は映像より先に、声の演技を録音する「プレスコ」でした。なので、台本を読んだ時は、どんな映像になるのか、視聴者目線的な興味がありましたね。三部作になっているので、第一章を見れば、ビジュアルの方向性は分かります。ただ、最終章は――僕もいろいろ想像しながら取り組んではいたのですが、実際の映像を見たら、すごかったですね!やはり、ゴジラ好きのひとりとして、ギドラの登場を待望していました。どんな姿なんだろうと想像していたら、まさか……! 想像を超えていて、びっくりしました!
この作品は、映像がない状態で演技を先に収録する「プレスコ」だったとお聞きしています。最終章では、宮野さん演じるハルオと、櫻井さん演じる異星人「エクシフ」のメトフィエスが対峙するシーンが重要な位置を占めています。おふたりで演技について話し合われたりしたのでしょうか。
宮野 「プレスコ」だからこその、演者同士で交わす会話というものは確かにあります。僕らふたりのシーンに限らず、「ここの状況ってこの方向性ですよね」とか、「ここってどういう絵かな」とか、そういうビジョンを共有し合いながら進めていきました。今回の作品はオリジナルストーリーですし、シリーズ初の長編アニメーション映画。どういうビジュアルになるか分からないところが楽しみでもあり、不安要素でもありましたから。同じビジョンを見られるよう、距離感を合わせていく感覚が必要になってくる。ありがたいことに僕や櫻井さんは、今回の『GODZILLA』シリーズを制作しているポリゴン・ピクチュアズさんの、他の「プレスコ」作品にも出演させていただいています。そのうえでのノウハウの蓄積もありましたし、相手が櫻井さんでいてくれるという大きな安心感がありました。そういった要素が相乗効果となり、僕らの関係性――ハルオとメトフィエスの関係性を作っていったのだと思います。
櫻井 「プレスコ」に関しては、ポリゴン・ピクチュアズさんの「プレスコ」作品のマナーが分かっていたので、戸惑いはなかったですね。それと、『GODZILLA』は単発の作品ではなく三部作なので、最終章まで時間をかけて積み上げていけるものがありました。収録時の会話は、「こんな展開になっちゃうんだね」みたいな他愛のないものもあれば、しっかり共有しないとダメ演技プラン的なものもあります。たったひとりでもズレてしまうと、それが透けて見えてしまうんですよ。
宮野 迷うシーンがあったりすると、積極的に監督に聞きにいく流れもありました。僕らがそういったやり取りをすることによって、みんなのイメージも固まっていく実感がありました。初めてポリゴン・ピクチュアズ作品に参加する方にも、「この現場では、こうやって想像して、共有していけばいいんだ」というのを、僕らで示せたんじゃないかと思います。
役作りについてお聞かせください。宮野さん演じるハルオは、第一章ではゴジラへの復讐心を中心に描かれていました。第二章、最終章と進むごとに、種族間の衝突に巻き込まれていきます。どのように役を組み立てていったのでしょうか。
宮野 ハルオが何を感じて、何に迷って、どこへ向かっていくのか――。作品を通し、その心の動きを表現していきたいという意図が、監督陣や台本に溢れていました。じゃあ、僕はそれを自分の感情でどう紡いでいくか。ハルオの心の動きをちゃんと受け取ることを大事にしました。第一章では、ハルオの行動理念はゴジラへの復讐です。確固たるものをみんなに伝えて、みんなを従えてゴジラに立ち向かっていく。でも、ゴジラに勝ったと思ったら、<ゴジラ・アース>というさらなる絶望が襲ってきた。多くの犠牲を出してしまったことから、悩みが生まれてしまう。ハルオは、今度はその渦巻く感情に巻き込まれていくんです。第二章では、ゴジラと戦うことが良いことなのか、悪いことなのか、悩み苦しみます。失った命が多すぎて…。しかし、異星人種「ビルサルド」の力で、念願が達成できる手前まで行きます。みんなで力を合わせれば、ゴジラを倒せるかもしれないとなった時に、なんとメトフィエスから横やりが入って――。第二章のラストでは、ハルオはゴジラを倒すことより、人間としての尊厳を守って、結果、「ビルサルド」を裏切る形になってしまった。その流れのなかで、状況ごとに、ハルオが何を感じているのか、何を選択していくのか、リアルに感じていきたいと思いながら演じていました。ハルオという主人公役を演じさせていただくことは、物語の真ん中にいさせてもらえること。自分がこの作品を一番知っている人間でありたいと思いながら作品に臨んできました。その結果が、ハルオの人生をどう生きるかということにつながったと思います。
櫻井さん演じる異星人種「エクシフ」のメトフィエスは、謎めいていて、実像をつかむのが難しいキャラクターかと思います。どのように演じられたのでしょうか。
櫻井 彼は異星人ですが姿かたちはほぼ地球人です。メトフィエスを見た我々は、多少の違いはあれど、人間っぽい姿をしているという認識をしますよねしかも、エクシフは美しい容姿で、どことなく神秘的な雰囲気をまとっている。信仰の対象になってしまうような要素を幾つも持っているんです。彼らがタコのような姿の異星人だったら、全く違う結果になっていたと思いますがこの映画は地球人が見る映画ですけど、もし「エクシフ」が見たら答えは変わってくるでしょう。科学至上主義の「ビルサルド」が見たら、「おい!ハルオ!」と突っ込むでしょうし。妙な例えですが、そういう切り口で見られる作品でもあります。だから、メトフィエスに与えられている情報を最大限利用して表現しようと思っていました。彼の言葉はきれいすぎるので実像感は薄いかもしれないけれど、物語のクライマックスにかけて輪郭が浮かび上がってきます。
最終章で、ご自身が演じられていてとくに心を揺さぶられたシーンは?
宮野 僕はラストシーンです。内容はもちろん言えませんが、最後のハルオの叫びを聞いてほしい。そこにすべてが詰まっていると思います。
櫻井 後半で、メトフィエスが繰り返しハルオに呼びかけるシーンでしょうか。最終章の山場となるシーンで、ハルオに何度も呼びかけるんです。名前に込める想い、気持ち、愛情……。メトフィエスがハルオに向ける、いわゆる“ラブ”ではない愛情。そのにじみを感じていただけたら。
この作品でのゴジラを、おふたりはどのような存在だととらえていますか?
宮野 この作品では、ゴジラを災害、脅威、抗うことができない存在として描いています。ただ、最終章ではそのメッセージを伝えつつも、僕らの心が燃えたぎるような「怪獣バトル」シーンが描かれているんです。ネタバレになるので詳しくは言えませんが、思わずゴジラを応援してしまう瞬間があるんですよ(笑)。エンターテインメントとして見せる中で、過去のゴジラ映画へのリスペクトを盛り込んで、監督たちが見せたいものをしっかりと作っている。それがすごく素敵だと思いましたね。
櫻井 この作品に登場するゴジラは大きいですよね。それに、最終章に出てくるギドラも強烈なビジュアルです。 こういった宇宙的なスケール感は、アニメーションだからこそ描けるものだと思いました。声優としてこの作品に関われたことが、ゴジラ作品に出演できたことが、何よりうれしかったです。ただ、僕が好きなヘドラが出てこなかったのは残念でした(笑)。
宮野さんから、ファンへのメッセージをお願いします。
宮野 今日の映画は今までの「ゴジラ作品」というよりも、新しい「アニメーション作品」です。ただ、過去作品へのリスペクトはたっぷりと込められていますし、ゴジラ・ファンの皆さんを置き去りにすることは絶対にしません! いろいろな方に楽しんでいただけるエンターテインメント作品になっている自信はありますので、是非劇場でご覧いただきたいですね。
アニメーション映画『GODZILLA』シリーズの最終章『GODZILLA 星を喰う者』が、11月9日(金)より劇場公開を迎えます。公開を控え、ハルオ・サカキ役の宮野真守さん、メトフィエス役の櫻井孝宏さんにお話を伺った。
いよいよ最終章が公開されます。シナリオを読まれたときの感想や意気込みをお聞かせください。
宮野真守(以下、宮野) 僕らは台本を第一章から最終章まで通していただいていましたし、お芝居も一気に録り終えていました。その作品が、ついに公開。感慨深いですね。全体を通しての大きなテーマは、ハルオたち地球人と異星人が、自然災害ともいえる怪獣・ゴジラに対して、どう立ち向かっていくか、どういう答えを出すか。ただ、最終章まで見ると、やはりこれは“ハルオの物語”だということが分かっていただけると思います。種族間の価値観の違いや正義の違い、共存することなど、大切なメッセージやいろんな思いが渦巻くなかで、人類としてひとりの男がどう生きたか。それを感じてもらう作品なんじゃないかなと思いました。
櫻井孝宏(以下、櫻井) 物語の芯になる部分は、今、宮野君が話した通りだと思います。この作品は映像より先に、声の演技を録音する「プレスコ」でした。なので、台本を読んだ時は、どんな映像になるのか、視聴者目線的な興味がありましたね。三部作になっているので、第一章を見れば、ビジュアルの方向性は分かります。ただ、最終章は――僕もいろいろ想像しながら取り組んではいたのですが、実際の映像を見たら、すごかったですね!やはり、ゴジラ好きのひとりとして、ギドラの登場を待望していました。どんな姿なんだろうと想像していたら、まさか……! 想像を超えていて、びっくりしました!
この作品は、映像がない状態で演技を先に収録する「プレスコ」だったとお聞きしています。最終章では、宮野さん演じるハルオと、櫻井さん演じる異星人「エクシフ」のメトフィエスが対峙するシーンが重要な位置を占めています。おふたりで演技について話し合われたりしたのでしょうか。
宮野 「プレスコ」だからこその、演者同士で交わす会話というものは確かにあります。僕らふたりのシーンに限らず、「ここの状況ってこの方向性ですよね」とか、「ここってどういう絵かな」とか、そういうビジョンを共有し合いながら進めていきました。今回の作品はオリジナルストーリーですし、シリーズ初の長編アニメーション映画。どういうビジュアルになるか分からないところが楽しみでもあり、不安要素でもありましたから。同じビジョンを見られるよう、距離感を合わせていく感覚が必要になってくる。ありがたいことに僕や櫻井さんは、今回の『GODZILLA』シリーズを制作しているポリゴン・ピクチュアズさんの、他の「プレスコ」作品にも出演させていただいています。そのうえでのノウハウの蓄積もありましたし、相手が櫻井さんでいてくれるという大きな安心感がありました。そういった要素が相乗効果となり、僕らの関係性――ハルオとメトフィエスの関係性を作っていったのだと思います。
櫻井 「プレスコ」に関しては、ポリゴン・ピクチュアズさんの「プレスコ」作品のマナーが分かっていたので、戸惑いはなかったですね。それと、『GODZILLA』は単発の作品ではなく三部作なので、最終章まで時間をかけて積み上げていけるものがありました。収録時の会話は、「こんな展開になっちゃうんだね」みたいな他愛のないものもあれば、しっかり共有しないとダメ演技プラン的なものもあります。たったひとりでもズレてしまうと、それが透けて見えてしまうんですよ。
宮野 迷うシーンがあったりすると、積極的に監督に聞きにいく流れもありました。僕らがそういったやり取りをすることによって、みんなのイメージも固まっていく実感がありました。初めてポリゴン・ピクチュアズ作品に参加する方にも、「この現場では、こうやって想像して、共有していけばいいんだ」というのを、僕らで示せたんじゃないかと思います。
役作りについてお聞かせください。宮野さん演じるハルオは、第一章ではゴジラへの復讐心を中心に描かれていました。第二章、最終章と進むごとに、種族間の衝突に巻き込まれていきます。どのように役を組み立てていったのでしょうか。
宮野 ハルオが何を感じて、何に迷って、どこへ向かっていくのか――。作品を通し、その心の動きを表現していきたいという意図が、監督陣や台本に溢れていました。じゃあ、僕はそれを自分の感情でどう紡いでいくか。ハルオの心の動きをちゃんと受け取ることを大事にしました。第一章では、ハルオの行動理念はゴジラへの復讐です。確固たるものをみんなに伝えて、みんなを従えてゴジラに立ち向かっていく。でも、ゴジラに勝ったと思ったら、<ゴジラ・アース>というさらなる絶望が襲ってきた。多くの犠牲を出してしまったことから、悩みが生まれてしまう。ハルオは、今度はその渦巻く感情に巻き込まれていくんです。第二章では、ゴジラと戦うことが良いことなのか、悪いことなのか、悩み苦しみます。失った命が多すぎて…。しかし、異星人種「ビルサルド」の力で、念願が達成できる手前まで行きます。みんなで力を合わせれば、ゴジラを倒せるかもしれないとなった時に、なんとメトフィエスから横やりが入って――。第二章のラストでは、ハルオはゴジラを倒すことより、人間としての尊厳を守って、結果、「ビルサルド」を裏切る形になってしまった。その流れのなかで、状況ごとに、ハルオが何を感じているのか、何を選択していくのか、リアルに感じていきたいと思いながら演じていました。ハルオという主人公役を演じさせていただくことは、物語の真ん中にいさせてもらえること。自分がこの作品を一番知っている人間でありたいと思いながら作品に臨んできました。その結果が、ハルオの人生をどう生きるかということにつながったと思います。
櫻井さん演じる異星人種「エクシフ」のメトフィエスは、謎めいていて、実像をつかむのが難しいキャラクターかと思います。どのように演じられたのでしょうか。
櫻井 彼は異星人ですが姿かたちはほぼ地球人です。メトフィエスを見た我々は、多少の違いはあれど、人間っぽい姿をしているという認識をしますよねしかも、エクシフは美しい容姿で、どことなく神秘的な雰囲気をまとっている。信仰の対象になってしまうような要素を幾つも持っているんです。彼らがタコのような姿の異星人だったら、全く違う結果になっていたと思いますがこの映画は地球人が見る映画ですけど、もし「エクシフ」が見たら答えは変わってくるでしょう。科学至上主義の「ビルサルド」が見たら、「おい!ハルオ!」と突っ込むでしょうし。妙な例えですが、そういう切り口で見られる作品でもあります。だから、メトフィエスに与えられている情報を最大限利用して表現しようと思っていました。彼の言葉はきれいすぎるので実像感は薄いかもしれないけれど、物語のクライマックスにかけて輪郭が浮かび上がってきます。
最終章で、ご自身が演じられていてとくに心を揺さぶられたシーンは?
宮野 僕はラストシーンです。内容はもちろん言えませんが、最後のハルオの叫びを聞いてほしい。そこにすべてが詰まっていると思います。
櫻井 後半で、メトフィエスが繰り返しハルオに呼びかけるシーンでしょうか。最終章の山場となるシーンで、ハルオに何度も呼びかけるんです。名前に込める想い、気持ち、愛情……。メトフィエスがハルオに向ける、いわゆる“ラブ”ではない愛情。そのにじみを感じていただけたら。
この作品でのゴジラを、おふたりはどのような存在だととらえていますか?
宮野 この作品では、ゴジラを災害、脅威、抗うことができない存在として描いています。ただ、最終章ではそのメッセージを伝えつつも、僕らの心が燃えたぎるような「怪獣バトル」シーンが描かれているんです。ネタバレになるので詳しくは言えませんが、思わずゴジラを応援してしまう瞬間があるんですよ(笑)。エンターテインメントとして見せる中で、過去のゴジラ映画へのリスペクトを盛り込んで、監督たちが見せたいものをしっかりと作っている。それがすごく素敵だと思いましたね。
櫻井 この作品に登場するゴジラは大きいですよね。それに、最終章に出てくるギドラも強烈なビジュアルです。 こういった宇宙的なスケール感は、アニメーションだからこそ描けるものだと思いました。声優としてこの作品に関われたことが、ゴジラ作品に出演できたことが、何よりうれしかったです。ただ、僕が好きなヘドラが出てこなかったのは残念でした(笑)。
宮野さんから、ファンへのメッセージをお願いします。
宮野 今日の映画は今までの「ゴジラ作品」というよりも、新しい「アニメーション作品」です。ただ、過去作品へのリスペクトはたっぷりと込められていますし、ゴジラ・ファンの皆さんを置き去りにすることは絶対にしません! いろいろな方に楽しんでいただけるエンターテインメント作品になっている自信はありますので、是非劇場でご覧いただきたいですね。
宮野真守&櫻井孝宏&瀬下寛之監督、『アニゴジ』完結に「さみしい」と感慨https://t.cn/EA500NI
全三部作で制作されたアニメーション映画『GODZILLA』(通称:アニゴジ)シリーズが、11月9日(金)より公開となる『GODZILLA 星を喰う者』で、ついに最終章を迎える。日本が誇る「ゴジラ」シリーズを初めてアニメ映画化するという大プロジェクトに挑み、静野孔文監督と共に壮絶なクライマックスまで走り抜けた瀬下寛之監督は「さみしいです」と正直な胸の内を吐露する。シリーズを通して主人公のハルオを演じた宮野真守、ハルオと対立することになる異星人・メトフィエスを演じた櫻井孝宏と共に、最終章にたどり着いた感慨を語ってもらった。
アニメーション映画『GODZILLA』シリーズは、二万年後の地球を舞台に、ゴジラとそれに抗う人類の戦いを描く物語。『星を喰う者』では、虚空の神・ギドラと、破壊の王・ゴジラが激突。天地を揺るがす超次元の戦いがはじまるなか、ハルオが目にする未来を映しだす。
ーー『GODZILLA 怪獣惑星』(17)、『GODZILLA 決戦機動増殖都市』(18)を経て、いよいよ完結編の『GODZILLA 星を喰う者』が公開となります。ここまでたどり着いた感想を教えてください。
瀬下「この4年間は、ほかの作品をやりながらも、ずっと本シリーズを作り続けてきましたので、ちょっとさみしいんです。僕も静野さんも、きっと脚本の虚淵(玄)さんも、ハルオやメトフィエスと離れるのが残念です。濃いキャラクターばかりが出てきますので、やっぱりそういったちょっと拗らせたような人たちには、愛着が湧いてしまうものなんです」
宮野「“ゴジロス”ですね(笑)!僕らにとっても長い期間、携わらせていただく作品になりました。一番はじめのプレスコ(先に声を録音して、その演技に合わせてアニメーションを作る手法)から、静野監督と瀬下監督、虚淵さんのチームワークがすばらしくて。お三方の関係性、チームワークがより強いものとして築き上がっていく様も見ていました。静野さん、虚淵さん、瀬下さんの愛情と共にお仕事をできたのが、すごく楽しかったです」。
ーー今作では、主人公のハルオと異星人・メトフィエスのある種、対立構造とも見える関係性が物語の鍵を握っています。宮野さん、櫻井さんにとって、ハルオとメトフィエスを演じられたことはどんな経験となりましたか?
瀬下「ポスターのビジュアルを見ると、ハルオとメトフィエスは“ピエタ”的な構図になっているんです。ピエタというのは、“キリストを抱いている聖母マリア”という伝統的な構図のことなんですが、今回はそれをポスターで表現しています」
宮野「そう、今作ではハルオとメトフィエスにおけるある種の愛情が描かれるんですよね。僕としては、ここ数年はどこかでずっとハルオのことを考えていたし、監督たちとも密にやり取りをさせていただきました。ハルオの精神性というのは、この物語にとって大きな軸となるもの。役を演じる時にはいつも、“僕がどう感じるか”という想いは大事にしたいと思っているので、自分が誰よりもハルオを理解して、僕はこう思っていますということを、きちんと監督にも提示できなければダメだなと思いながら、演じさせていただきました」
櫻井「瀬下監督から『ピエタをモチーフにしている』というお話がありましたが、またそれが作品に大きな意味を持たせていますよね。このポスタービジュアルは、僕にとっても強烈でした。この姿を見て、改めて『メトフィエス役に選んでもらえてよかった』と思えたんです。宗教家のような佇まいの彼はとても奥深いキャラクターで、挑みがいがありましたね。僕のなかでも比重の大きい仕事でした」
ーーおっしゃる通り、ハルオもメトフィエスもとても魅力的なキャラクターでした。完成作をご覧になった印象はいかがでしたか。
瀬下「宮野さんも櫻井さんも、とても入り込んで演じてくださいました。本当に感謝しています。ハルオとメトフィエスの最後のシーンの演技をプレスコ収録した際に、僕と静野さん、虚淵さんは本当に固唾を飲んで見入ってしまって。思わずOKを出すのを忘れてしまったほどです(笑)。それはそれは、すごかったですよ」
宮野「種族間の違いやそれぞれの価値観、対話、共存などがテーマとして盛り込まれているのが、本作のすばらしいところだと思います。でも最終的に伝えたかったのは、やはり“ハルオがどう生きたのか”だったのではないかと思っています。僕はその渦中にいられて、とても幸せでした。スタート当初から『ハルオの人生をまっとうしよう』という想いで進んで行ったけれど、最後のハルオの姿を観て、僕はすごく納得することができた。『彼の生き様はこうだけれど、あなたたちはどう生きますか?』と問いかける映画なのではないかと思いました」。
櫻井「僕も、この三部作はハルオの物語だと思いました。メトフィエスは何度も『ハルオ』と呼ぶんです。そこは意識しました。繰り返し、繰り返し呼びかけるのは、メトフィエスの愛情表現だったんだと思います。声優として、アニメーションの『GODZILLA』に参加させていただけたことに喜びを感じました。アニメーションならではの表現方法、スケールで『GODZILLA』を作れたことがとてもうれしかったです」
彼らの語る“愛”とはどんなものなのか。ハルオとメトフィエスのたどり着くクライマックスを、ぜひスクリーンで目撃してほしい。
全三部作で制作されたアニメーション映画『GODZILLA』(通称:アニゴジ)シリーズが、11月9日(金)より公開となる『GODZILLA 星を喰う者』で、ついに最終章を迎える。日本が誇る「ゴジラ」シリーズを初めてアニメ映画化するという大プロジェクトに挑み、静野孔文監督と共に壮絶なクライマックスまで走り抜けた瀬下寛之監督は「さみしいです」と正直な胸の内を吐露する。シリーズを通して主人公のハルオを演じた宮野真守、ハルオと対立することになる異星人・メトフィエスを演じた櫻井孝宏と共に、最終章にたどり着いた感慨を語ってもらった。
アニメーション映画『GODZILLA』シリーズは、二万年後の地球を舞台に、ゴジラとそれに抗う人類の戦いを描く物語。『星を喰う者』では、虚空の神・ギドラと、破壊の王・ゴジラが激突。天地を揺るがす超次元の戦いがはじまるなか、ハルオが目にする未来を映しだす。
ーー『GODZILLA 怪獣惑星』(17)、『GODZILLA 決戦機動増殖都市』(18)を経て、いよいよ完結編の『GODZILLA 星を喰う者』が公開となります。ここまでたどり着いた感想を教えてください。
瀬下「この4年間は、ほかの作品をやりながらも、ずっと本シリーズを作り続けてきましたので、ちょっとさみしいんです。僕も静野さんも、きっと脚本の虚淵(玄)さんも、ハルオやメトフィエスと離れるのが残念です。濃いキャラクターばかりが出てきますので、やっぱりそういったちょっと拗らせたような人たちには、愛着が湧いてしまうものなんです」
宮野「“ゴジロス”ですね(笑)!僕らにとっても長い期間、携わらせていただく作品になりました。一番はじめのプレスコ(先に声を録音して、その演技に合わせてアニメーションを作る手法)から、静野監督と瀬下監督、虚淵さんのチームワークがすばらしくて。お三方の関係性、チームワークがより強いものとして築き上がっていく様も見ていました。静野さん、虚淵さん、瀬下さんの愛情と共にお仕事をできたのが、すごく楽しかったです」。
ーー今作では、主人公のハルオと異星人・メトフィエスのある種、対立構造とも見える関係性が物語の鍵を握っています。宮野さん、櫻井さんにとって、ハルオとメトフィエスを演じられたことはどんな経験となりましたか?
瀬下「ポスターのビジュアルを見ると、ハルオとメトフィエスは“ピエタ”的な構図になっているんです。ピエタというのは、“キリストを抱いている聖母マリア”という伝統的な構図のことなんですが、今回はそれをポスターで表現しています」
宮野「そう、今作ではハルオとメトフィエスにおけるある種の愛情が描かれるんですよね。僕としては、ここ数年はどこかでずっとハルオのことを考えていたし、監督たちとも密にやり取りをさせていただきました。ハルオの精神性というのは、この物語にとって大きな軸となるもの。役を演じる時にはいつも、“僕がどう感じるか”という想いは大事にしたいと思っているので、自分が誰よりもハルオを理解して、僕はこう思っていますということを、きちんと監督にも提示できなければダメだなと思いながら、演じさせていただきました」
櫻井「瀬下監督から『ピエタをモチーフにしている』というお話がありましたが、またそれが作品に大きな意味を持たせていますよね。このポスタービジュアルは、僕にとっても強烈でした。この姿を見て、改めて『メトフィエス役に選んでもらえてよかった』と思えたんです。宗教家のような佇まいの彼はとても奥深いキャラクターで、挑みがいがありましたね。僕のなかでも比重の大きい仕事でした」
ーーおっしゃる通り、ハルオもメトフィエスもとても魅力的なキャラクターでした。完成作をご覧になった印象はいかがでしたか。
瀬下「宮野さんも櫻井さんも、とても入り込んで演じてくださいました。本当に感謝しています。ハルオとメトフィエスの最後のシーンの演技をプレスコ収録した際に、僕と静野さん、虚淵さんは本当に固唾を飲んで見入ってしまって。思わずOKを出すのを忘れてしまったほどです(笑)。それはそれは、すごかったですよ」
宮野「種族間の違いやそれぞれの価値観、対話、共存などがテーマとして盛り込まれているのが、本作のすばらしいところだと思います。でも最終的に伝えたかったのは、やはり“ハルオがどう生きたのか”だったのではないかと思っています。僕はその渦中にいられて、とても幸せでした。スタート当初から『ハルオの人生をまっとうしよう』という想いで進んで行ったけれど、最後のハルオの姿を観て、僕はすごく納得することができた。『彼の生き様はこうだけれど、あなたたちはどう生きますか?』と問いかける映画なのではないかと思いました」。
櫻井「僕も、この三部作はハルオの物語だと思いました。メトフィエスは何度も『ハルオ』と呼ぶんです。そこは意識しました。繰り返し、繰り返し呼びかけるのは、メトフィエスの愛情表現だったんだと思います。声優として、アニメーションの『GODZILLA』に参加させていただけたことに喜びを感じました。アニメーションならではの表現方法、スケールで『GODZILLA』を作れたことがとてもうれしかったです」
彼らの語る“愛”とはどんなものなのか。ハルオとメトフィエスのたどり着くクライマックスを、ぜひスクリーンで目撃してほしい。
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