【新闻】銀杏BOYZの【 峯田和伸先生 】と"17歳"をテーマにじっくりトーク!!!!<SE /扉を開ける音>
ひかる「今夜は昨日に引き続き二人で授業をしていきたいと思います。GIRLS LOCKS!4週目担当髙橋ひかると、」
峯田「銀杏BOYZ峯田和伸です。」
ひかる「昨日に引き続き今夜は峯田さんと授業をしていきたいと思います!」
17 LOCKS!
ひかる「まだ高校生の私が峯田さんにいろいろ聞いていきたいと思います。」
峯田「いいんですけど、聞かれたらもちろん答えるんですけども、それが決してひかるさんにとっていい影響があるのかは保証できないよ。話半分で聞いてね。」
ひかる「峯田さんはどんな17歳を過ごしていましたか?」
峯田「はっきり覚えています。暗い人でした。友達は居たけど、クラスで人気者になるタイプではなかった。音楽ばっかり聴いていました。」
ひかる「大人が嫌いっていうのはなかったですか?」
峯田「そういうのはなかった。毒にも薬にもならない人。好きな女性はいるんだけど、廊下の向こうからずっと観ていた感じ。」
ひかる「どこから感情が爆発するようになったんですか?」
峯田「楽器を持ってからかな。」
ひかる「楽器!」
峯田「学園祭で演奏するバンドいるでしょ?ああいう人達を見ていて『いいなぁ』と思う気持ちがありつつ『馬鹿じゃないの?』と思っていました。『俺の方が音楽好きなのになぁ』と思っていました。ただ、その時のバンドやっているやつの光る汗とか、制服のまま「キャー!」って熱狂している女の子達の姿ははっきりと覚えている。」
峯田「ただ、自分がバンドをやるなんて露にも思っていませんでした。」
ひかる「何がきっかけで音楽に携わろうと思ったんですか?」
峯田「大学進学のときに山形の実家を飛び出してきて。実家が電気屋なんですけども、俺、長男だから電気屋を継ぐっていう約束だったの。それで学費を出してもらって。だから、4年間のうちに好きなことをやってみてから帰ろうと思ったの。その時まで楽器を演奏したことはなかったんだけども、友達に楽器を教えてもらって山形から出てきた友達にベースをやってもらったりして、バンド始まったの。コピーをやる技術がなかったからオリジナルでやっていたの。始めたら止まんなくなって。」
ひかる「初めて楽器を持ったときにどう思いましたか?」
峯田「指が届くわけ無いと思った。『F』なんて未だに押さえられないし(笑)俺、山形から東京に出る新幹線に乗る日、すごく雪が降っていて、お母さんが車で山形駅まで送ってくれるって言って自分の家の向かいに住んでいる一個下のヤツが来て、車のドアをコンコンするの。
『和伸さん、これ受け取ってください』ってギターをくれたの。俺、一言も音楽好きなんて言っていないのに。まぁでも多分俺が音楽好きなのは知っていたのかも知れない。アコースティックギター。裸の。ケースも持たないで、その裸のギターを持って抱えたまま新幹線に乗りました。」
ひかる「衝撃的!」
峯田「せっかくもらったから、ギターを始めた。」
ひかる「その真意がしりたいですね。」
峯田「今思えばそいつのおかげなんですよね。」
ひかる「今でもその方と会ったりするんですか?」
峯田「引っ越したって聞いた。だからもうあそこにはいないんだよ。」
ひかる「不思議!」
峯田「何がきっかけになるかわからないね。17歳のときは何にもなりたくなかったな。なるべく平穏に、誰にもいじめられることもなく、うやまれることもなく過ごしていたいなと思っていました。」
ひかる「峯田さんは17歳のときは大人びていたとおもいますか?」
峯田「子供じみている感じは無かったと思う。」
ひかる「今の話を聞いていると、すごく大人びていた17歳だった気がします。」
峯田「そうかもね。ひかるさんはいま、17歳だもんね。すごいよね。ドラマ出て。」
ひかる「私は今、17歳で前は『大人びている』って言われていたんですけれども、だんだん、年齢が自分の精神年齢を超えてきたと思うようになってきて、何が正解かわからなくなって。前は芝居で『これはこうなんだよ』と教えてもらった時に、わかっているつもりでも、わかっていないことに気づいて。」
峯田「だんだん化けの皮が剥がされてきた感じだね。」
ひかる「そうですね。生きることの難しさと言うか、楽勝と思っていたことがすごい難しいなと思うようになってきて、これが私の17歳の葛藤です。峯田さんはこういう葛藤はありましたか?」
峯田「多分あったと思う。でも、こういうのって解決できるわけじゃないからね。自分は何もわからないんだっていうことを自覚することが大変で、今までは自分だけの世界を『これは多分こうでしょう』っていうので作って行けていたけど、これは自分がそう思っているだけで。
でもそこからなんですよね。だから落ち込んでほしいですよね。
#高桥光##髙橋ひかる##高橋ひかる#
ひかる「今夜は昨日に引き続き二人で授業をしていきたいと思います。GIRLS LOCKS!4週目担当髙橋ひかると、」
峯田「銀杏BOYZ峯田和伸です。」
ひかる「昨日に引き続き今夜は峯田さんと授業をしていきたいと思います!」
17 LOCKS!
ひかる「まだ高校生の私が峯田さんにいろいろ聞いていきたいと思います。」
峯田「いいんですけど、聞かれたらもちろん答えるんですけども、それが決してひかるさんにとっていい影響があるのかは保証できないよ。話半分で聞いてね。」
ひかる「峯田さんはどんな17歳を過ごしていましたか?」
峯田「はっきり覚えています。暗い人でした。友達は居たけど、クラスで人気者になるタイプではなかった。音楽ばっかり聴いていました。」
ひかる「大人が嫌いっていうのはなかったですか?」
峯田「そういうのはなかった。毒にも薬にもならない人。好きな女性はいるんだけど、廊下の向こうからずっと観ていた感じ。」
ひかる「どこから感情が爆発するようになったんですか?」
峯田「楽器を持ってからかな。」
ひかる「楽器!」
峯田「学園祭で演奏するバンドいるでしょ?ああいう人達を見ていて『いいなぁ』と思う気持ちがありつつ『馬鹿じゃないの?』と思っていました。『俺の方が音楽好きなのになぁ』と思っていました。ただ、その時のバンドやっているやつの光る汗とか、制服のまま「キャー!」って熱狂している女の子達の姿ははっきりと覚えている。」
峯田「ただ、自分がバンドをやるなんて露にも思っていませんでした。」
ひかる「何がきっかけで音楽に携わろうと思ったんですか?」
峯田「大学進学のときに山形の実家を飛び出してきて。実家が電気屋なんですけども、俺、長男だから電気屋を継ぐっていう約束だったの。それで学費を出してもらって。だから、4年間のうちに好きなことをやってみてから帰ろうと思ったの。その時まで楽器を演奏したことはなかったんだけども、友達に楽器を教えてもらって山形から出てきた友達にベースをやってもらったりして、バンド始まったの。コピーをやる技術がなかったからオリジナルでやっていたの。始めたら止まんなくなって。」
ひかる「初めて楽器を持ったときにどう思いましたか?」
峯田「指が届くわけ無いと思った。『F』なんて未だに押さえられないし(笑)俺、山形から東京に出る新幹線に乗る日、すごく雪が降っていて、お母さんが車で山形駅まで送ってくれるって言って自分の家の向かいに住んでいる一個下のヤツが来て、車のドアをコンコンするの。
『和伸さん、これ受け取ってください』ってギターをくれたの。俺、一言も音楽好きなんて言っていないのに。まぁでも多分俺が音楽好きなのは知っていたのかも知れない。アコースティックギター。裸の。ケースも持たないで、その裸のギターを持って抱えたまま新幹線に乗りました。」
ひかる「衝撃的!」
峯田「せっかくもらったから、ギターを始めた。」
ひかる「その真意がしりたいですね。」
峯田「今思えばそいつのおかげなんですよね。」
ひかる「今でもその方と会ったりするんですか?」
峯田「引っ越したって聞いた。だからもうあそこにはいないんだよ。」
ひかる「不思議!」
峯田「何がきっかけになるかわからないね。17歳のときは何にもなりたくなかったな。なるべく平穏に、誰にもいじめられることもなく、うやまれることもなく過ごしていたいなと思っていました。」
ひかる「峯田さんは17歳のときは大人びていたとおもいますか?」
峯田「子供じみている感じは無かったと思う。」
ひかる「今の話を聞いていると、すごく大人びていた17歳だった気がします。」
峯田「そうかもね。ひかるさんはいま、17歳だもんね。すごいよね。ドラマ出て。」
ひかる「私は今、17歳で前は『大人びている』って言われていたんですけれども、だんだん、年齢が自分の精神年齢を超えてきたと思うようになってきて、何が正解かわからなくなって。前は芝居で『これはこうなんだよ』と教えてもらった時に、わかっているつもりでも、わかっていないことに気づいて。」
峯田「だんだん化けの皮が剥がされてきた感じだね。」
ひかる「そうですね。生きることの難しさと言うか、楽勝と思っていたことがすごい難しいなと思うようになってきて、これが私の17歳の葛藤です。峯田さんはこういう葛藤はありましたか?」
峯田「多分あったと思う。でも、こういうのって解決できるわけじゃないからね。自分は何もわからないんだっていうことを自覚することが大変で、今までは自分だけの世界を『これは多分こうでしょう』っていうので作って行けていたけど、これは自分がそう思っているだけで。
でもそこからなんですよね。だから落ち込んでほしいですよね。
#高桥光##髙橋ひかる##高橋ひかる#
第84回 野村狂言座。
2018/12/23 15:57:262018年12月7日(金)18:30~ 於:宝生能楽堂◆解説 野村萬斎[给力][给力][给力]ロビーに入って何が驚いたって、宝生能楽堂の通常の能狂言のポスターと同じスペースに映画『七つの会議』のそれも貼ってあったこと。どこかの壁に一時的に貼るかなぐらいは想像してましたが…そこだと来年の上映期間中も掲げておくのでしょうかw?春の国立能楽堂の"『黒井戸殺し』看板"より衝撃的でしたwww
※解説
皆さんこんばんは!野村狂言座は比較的見巧者の多い会らしいので、これから私のする解説が要らないという方はどうぞお休み下さいw お聴き頂ける方々はしばし耳を傾けていただければと。今回は他家からゲストをお呼びしております。大藏流宗家の皆様にお越し頂きました。その方々にやっていただくのが最初の『棒縛』なんですね。海外でも良く演じられる、国内外問わず喜んで頂ける曲です。まぁ普通、狂言座では敢えてやらない曲ですw 何故今回この曲を選んだかというと、流儀の違いを見て欲しいし、その違いを見ることによって狂言の厚みや深みを感じ取って頂ければという思いでそうさせていただきました。
まず大きな違いとして、太郎冠者と次郎冠者の配分が逆なんですね。主に呼ばれる順番が和泉流では次郎冠者→太郎冠者、大藏流では太郎冠者→次郎冠者、となっています。(『棒縛』あらすじ)狂言に出て来る人物は、反省はしないが人情に素直です。理性のかけらもありませんw 思ったら行動が直情的になされます。お酒が入ったら謡って舞って、我慢せずに理性のバリアを破って行動するんですね。その謡や舞には『暁』や『七つ子』がありますが、七つの女の子が「殿御が欲しい」などという、ちょっと色っぽいのもありますw 棒に縛られたままどうやって舞うのか、その面白さもご覧になって下さい。
『楽阿弥』は狂言の中でも「舞狂言」と呼ばれるもので、なかなかの難物です。能のパロディであって、複式夢幻能を真似て作られています。(『楽阿弥』あらすじ)楽阿弥という人は「尺八を"吹き死に"した」という方なのだそうですが、解釈が難しい。ワキの僧が松の木に下げられた尺八を弔っているとそこに楽阿弥の霊が現れます。尺八を吹いていないと死んじゃうような人なんでしょうかね。なんだか回遊魚みたいですけどw この曲をやるとどうしても思い出してしまう人がいるんですが…お笛の一噌幸弘さんなんですけどねw 彼と共演したジャズの坂田明さんが「あの人は押さえつけないといつまでも吹き続ける」と仰ってましたからねw
この尺八を吹く人々というのは昔の門付け芸で、虚無僧なんかと同じでしょうね。あっちこっちに行って尺八を披露してお金を貰う。ストリートパフォーマンスの押し売りみたいなものですw 何処でも吹きまくるのを嫌われていたかも知れません。楽阿弥の霊が「尺八のように曲げられたり炙られたりした人生だった」と嘆いて、最後は自分の元になった竹に戻っていくのでしょうか。良く分からないですねぇ。人間(僧)と幽霊が一緒に尺八を奏でる場面がありますが、竹の筒を見立てて"口尺八"で演じます。
楽阿弥みたいな人物は現実にはなかなかいないですよね。強いて言えば、以前パリで見た人がそうだったかな。物乞いみたいな格好で、道端でチューニングしてないヴァイオリンを延々と弾いているんですよ。音なんか全然外れちゃってるんですがw 見ていた人が見かねてチューニングしてやってましたw 騒音を出してお金を貰ってるんですからねw 理解しがたいです。でも、ものの上手下手と(それを受け取る)人の気持ちは違うのかも知れません。あくまで私の解釈ですよw
『鈍太郎』(『鈍太郎』あらすじ)この曲には現代の人にはちょっと不可解なことがあります。暦の月の"大小"ですが、現代の太陽暦では大の月が31日で小の月が30日ですよね。狂言の世界、つまり太陰暦では大の月が30日で小の月がそれ以下、という考え方になります。ここを頭に入れてご覧になって頂くと、男性の狡いというかw儚い願望がその日数の違いに関連して現れているのがお分かりになるかと思います。今は女性が強い時代だという認識の上だから見ていられる曲だとも言えます。女性は広い心を持ってご覧になって頂ければと思いますw
それでは『棒縛』、素囃子、『楽阿弥』、『鈍太郎』、お楽しみ下さい。
***********************************************
※『棒縛』
大藏流の曲は特にこの野村狂言座で拝見する機会がしばしばありますが、このくらい鉄板の曲は初めてかも知れません。話の流れはほぼ同じですが、和泉流の太郎冠者と次郎冠者の役割が逆転しているのが最大の違い。我が道を行く太郎冠者とそれに振り回される次郎冠者という構図に慣れきっているので最初はちょっと戸惑いましたが、いったん始まってしまえば定番の面白さに変わるところはなく、基誠さんのちょっとオドオドした感じの太郎冠者といたずらっ子風味満載の彌太郎さん次郎冠者の組み合わせ、かなり面白かった!
あと、非常に写実的なお芝居だったなぁと。和泉流のよりも現代のショートコント的な空気を強く感じたのが意外でした。喜怒哀楽の示し方がストレートでしたし、棒に縛られてどうやって酒を飲むか2人で思案するところで「(縛られていても)手首は動くぞ」といったような説明が入るところなども、ほぼ仕草だけで見せる和泉流と随分違いました。もちろんどちらが良いという問題では無く、このようなお芝居の流れの中では説明的台詞に違和感はありませんでしたし、そんな一言一言に何度もクスッとなる瞬間がありましたね。
※『楽阿弥』
以前一度観たかなぁ?夢幻能の構成をそのまま当てはめてパロディっぽく演じる曲。松の木に沢山の尺八が下げられた作り物が舞台前方中央に置かれ、雰囲気は完全に能でした。台詞も謡も能っぽい重厚さをもって行われ、所の者が仔細を語るところは能の間そのもの。所の者を裕基君が演じましたがこれはもう本筋の能の間語りに期待が膨らみます(既に演じているかもですが)。堂々たるモノでした。
一応後場になるのかなw?面をかけて現れた万作楽阿弥の霊はさすがのオーラ。すっかり狂言であることを忘れるのですが、やはり『通円』の"お茶の点て死に"ならぬ"尺八の吹き死に"というまさかの死の理由(所の者が語ります)を思い出して「ああ、やっぱり狂言だった」となるw 楽阿弥の霊が、尺八を製作する過程の動作に準えて自分が死ぬ際に受けた責め苦を身振りで見せるところも、多少痛々しいというかスプラッタ?な感触はあれどやっぱりユーモラス。若手の地謡がしっかりと支えての「まじめおもしろい」一曲でした。
※『鈍太郎』
この『鈍太郎』も、昨今の人権意識の高まりに伴ってやりづらくなった曲の一つではないかと思われます。しかし『月見座頭』『三人片輪』などと並んであくまで曲構成の面白さやテーマの深さ、役者としての見せ場等を鑑みて上演を続けていただけるのは有り難い。確か万作さんの奥様が「この曲は大嫌い」と一刀両断されたかと記憶してますが(爆)今回の鈍ちゃんは文字通り"憎めない"タイプの石田さんw そこに深田"正妻"に高野"お妾さん"という女役の鉄壁の布陣wを組んでの「まぁまぁここはしょーもない男を笑っておきましょう」という空気は充分に感じられましたw
前述したように、石田さんの鈍ちゃんだと本当に嫌みが無いのでなんとなく「まいっか」という気分になっちゃうんですね。女性の視点からしたらあのラストのまとめ方は「そんなことあるかーい!」ですけど、ここはもう現代で演じる以上は演者のキャラで運命が分かれるような気がしてなりません。「本当に嫌みがないからかえって腹立たしい」という人もいらっしゃるかも知れませんが(^^;)
2018/12/23 15:57:262018年12月7日(金)18:30~ 於:宝生能楽堂◆解説 野村萬斎[给力][给力][给力]ロビーに入って何が驚いたって、宝生能楽堂の通常の能狂言のポスターと同じスペースに映画『七つの会議』のそれも貼ってあったこと。どこかの壁に一時的に貼るかなぐらいは想像してましたが…そこだと来年の上映期間中も掲げておくのでしょうかw?春の国立能楽堂の"『黒井戸殺し』看板"より衝撃的でしたwww
※解説
皆さんこんばんは!野村狂言座は比較的見巧者の多い会らしいので、これから私のする解説が要らないという方はどうぞお休み下さいw お聴き頂ける方々はしばし耳を傾けていただければと。今回は他家からゲストをお呼びしております。大藏流宗家の皆様にお越し頂きました。その方々にやっていただくのが最初の『棒縛』なんですね。海外でも良く演じられる、国内外問わず喜んで頂ける曲です。まぁ普通、狂言座では敢えてやらない曲ですw 何故今回この曲を選んだかというと、流儀の違いを見て欲しいし、その違いを見ることによって狂言の厚みや深みを感じ取って頂ければという思いでそうさせていただきました。
まず大きな違いとして、太郎冠者と次郎冠者の配分が逆なんですね。主に呼ばれる順番が和泉流では次郎冠者→太郎冠者、大藏流では太郎冠者→次郎冠者、となっています。(『棒縛』あらすじ)狂言に出て来る人物は、反省はしないが人情に素直です。理性のかけらもありませんw 思ったら行動が直情的になされます。お酒が入ったら謡って舞って、我慢せずに理性のバリアを破って行動するんですね。その謡や舞には『暁』や『七つ子』がありますが、七つの女の子が「殿御が欲しい」などという、ちょっと色っぽいのもありますw 棒に縛られたままどうやって舞うのか、その面白さもご覧になって下さい。
『楽阿弥』は狂言の中でも「舞狂言」と呼ばれるもので、なかなかの難物です。能のパロディであって、複式夢幻能を真似て作られています。(『楽阿弥』あらすじ)楽阿弥という人は「尺八を"吹き死に"した」という方なのだそうですが、解釈が難しい。ワキの僧が松の木に下げられた尺八を弔っているとそこに楽阿弥の霊が現れます。尺八を吹いていないと死んじゃうような人なんでしょうかね。なんだか回遊魚みたいですけどw この曲をやるとどうしても思い出してしまう人がいるんですが…お笛の一噌幸弘さんなんですけどねw 彼と共演したジャズの坂田明さんが「あの人は押さえつけないといつまでも吹き続ける」と仰ってましたからねw
この尺八を吹く人々というのは昔の門付け芸で、虚無僧なんかと同じでしょうね。あっちこっちに行って尺八を披露してお金を貰う。ストリートパフォーマンスの押し売りみたいなものですw 何処でも吹きまくるのを嫌われていたかも知れません。楽阿弥の霊が「尺八のように曲げられたり炙られたりした人生だった」と嘆いて、最後は自分の元になった竹に戻っていくのでしょうか。良く分からないですねぇ。人間(僧)と幽霊が一緒に尺八を奏でる場面がありますが、竹の筒を見立てて"口尺八"で演じます。
楽阿弥みたいな人物は現実にはなかなかいないですよね。強いて言えば、以前パリで見た人がそうだったかな。物乞いみたいな格好で、道端でチューニングしてないヴァイオリンを延々と弾いているんですよ。音なんか全然外れちゃってるんですがw 見ていた人が見かねてチューニングしてやってましたw 騒音を出してお金を貰ってるんですからねw 理解しがたいです。でも、ものの上手下手と(それを受け取る)人の気持ちは違うのかも知れません。あくまで私の解釈ですよw
『鈍太郎』(『鈍太郎』あらすじ)この曲には現代の人にはちょっと不可解なことがあります。暦の月の"大小"ですが、現代の太陽暦では大の月が31日で小の月が30日ですよね。狂言の世界、つまり太陰暦では大の月が30日で小の月がそれ以下、という考え方になります。ここを頭に入れてご覧になって頂くと、男性の狡いというかw儚い願望がその日数の違いに関連して現れているのがお分かりになるかと思います。今は女性が強い時代だという認識の上だから見ていられる曲だとも言えます。女性は広い心を持ってご覧になって頂ければと思いますw
それでは『棒縛』、素囃子、『楽阿弥』、『鈍太郎』、お楽しみ下さい。
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※『棒縛』
大藏流の曲は特にこの野村狂言座で拝見する機会がしばしばありますが、このくらい鉄板の曲は初めてかも知れません。話の流れはほぼ同じですが、和泉流の太郎冠者と次郎冠者の役割が逆転しているのが最大の違い。我が道を行く太郎冠者とそれに振り回される次郎冠者という構図に慣れきっているので最初はちょっと戸惑いましたが、いったん始まってしまえば定番の面白さに変わるところはなく、基誠さんのちょっとオドオドした感じの太郎冠者といたずらっ子風味満載の彌太郎さん次郎冠者の組み合わせ、かなり面白かった!
あと、非常に写実的なお芝居だったなぁと。和泉流のよりも現代のショートコント的な空気を強く感じたのが意外でした。喜怒哀楽の示し方がストレートでしたし、棒に縛られてどうやって酒を飲むか2人で思案するところで「(縛られていても)手首は動くぞ」といったような説明が入るところなども、ほぼ仕草だけで見せる和泉流と随分違いました。もちろんどちらが良いという問題では無く、このようなお芝居の流れの中では説明的台詞に違和感はありませんでしたし、そんな一言一言に何度もクスッとなる瞬間がありましたね。
※『楽阿弥』
以前一度観たかなぁ?夢幻能の構成をそのまま当てはめてパロディっぽく演じる曲。松の木に沢山の尺八が下げられた作り物が舞台前方中央に置かれ、雰囲気は完全に能でした。台詞も謡も能っぽい重厚さをもって行われ、所の者が仔細を語るところは能の間そのもの。所の者を裕基君が演じましたがこれはもう本筋の能の間語りに期待が膨らみます(既に演じているかもですが)。堂々たるモノでした。
一応後場になるのかなw?面をかけて現れた万作楽阿弥の霊はさすがのオーラ。すっかり狂言であることを忘れるのですが、やはり『通円』の"お茶の点て死に"ならぬ"尺八の吹き死に"というまさかの死の理由(所の者が語ります)を思い出して「ああ、やっぱり狂言だった」となるw 楽阿弥の霊が、尺八を製作する過程の動作に準えて自分が死ぬ際に受けた責め苦を身振りで見せるところも、多少痛々しいというかスプラッタ?な感触はあれどやっぱりユーモラス。若手の地謡がしっかりと支えての「まじめおもしろい」一曲でした。
※『鈍太郎』
この『鈍太郎』も、昨今の人権意識の高まりに伴ってやりづらくなった曲の一つではないかと思われます。しかし『月見座頭』『三人片輪』などと並んであくまで曲構成の面白さやテーマの深さ、役者としての見せ場等を鑑みて上演を続けていただけるのは有り難い。確か万作さんの奥様が「この曲は大嫌い」と一刀両断されたかと記憶してますが(爆)今回の鈍ちゃんは文字通り"憎めない"タイプの石田さんw そこに深田"正妻"に高野"お妾さん"という女役の鉄壁の布陣wを組んでの「まぁまぁここはしょーもない男を笑っておきましょう」という空気は充分に感じられましたw
前述したように、石田さんの鈍ちゃんだと本当に嫌みが無いのでなんとなく「まいっか」という気分になっちゃうんですね。女性の視点からしたらあのラストのまとめ方は「そんなことあるかーい!」ですけど、ここはもう現代で演じる以上は演者のキャラで運命が分かれるような気がしてなりません。「本当に嫌みがないからかえって腹立たしい」という人もいらっしゃるかも知れませんが(^^;)
10年くらい前ですが、実在のプロレスラーをモデルにドキュメンタリー漫画を連載。、、が1回目で雑誌が休刊という(^◇^;)。漫画業界あるあるネタです。連載準備に向けてインタビューや試合を観戦したり、メキシコ(舞台がメキシコ)まで取材に行こうかという勢いでしたが、話が大きくなればなるほど落胆も大きい(T . T)
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