這是一場讓我從頭哭到尾的演講。
講師吉岡秀人,
無國界兒科醫生。
他講自己當年在考不上大學、
做「浪人」的日子裡,
有一天打開升學指導書,
莫名其妙「醫學院」的簡介就攤開在眼前。
那個瞬間,他突然就覺得自己是不是應該去當醫生?
父母覺得連大學都考不上的兒子終於瘋了,
於是出錢給兒子的好友們,
讓他們「挾持」兒子,
給他好好曉之以理、弄清現實。
沒想到「頑固不化、屢教不改」的他,
在重考兩年後,
竟真的考入了醫學院。
畢業後不久就踏上無國界醫生這條路,
從此頑固地面對貧窮、生死,
奮鬥至今。
他說比起理性,
我們更應該去聽聽自身感性的聲音。
因為那是離靈魂的渴望最近的聲音,
那裡或許有關於你我生命使命的答案。
他說那些未達成的願望、
因失敗而蓄膿的傷口,
雖會在人生旅途上留下許多無奈與遺憾,
但那裡定亦蘊藏著推動你我向前邁進的驚人力量。
他說守望相助是人類的本性,
這世上沒有比本性更可靠的東西。
而生命的價值來自於盡自己的力量、給予他人,
但這必須建立在自愛自重的基礎上。
因為如果你連自身都不愛不尊重,
那又何來力量愛世人。
最喜歡的是以下這一段,
喜歡到在忙到昏倒的日子裡,
寧願不吃飯,
也要一字一句聽寫下來。
內容太長就不翻譯了,
留下一筆,
分享給有緣人。
❤️❤️
「なぜ僕がこんなに長くこの活動を続けてこれたか、その答えは非常にシンプルです。それは、あらゆる行動、全て僕は自分のためにやってるからです。もうそのことをずいぶん前から自覚したんです。もちろん、先ほど言ったように、結果的に他人のためにはなってます。でも、自分がしたくてやってるし、自分のためにやっているんです。だから、辛いことも続けてこれる。
人間っていうのは、もともと宇宙に放り出された意識体だと想像してほしい。宇宙って真っ暗じゃないですか。だから、真っ暗の中で、漆黒の中に、自分が存在してても、自分には指があるのか、今こうしゃべっているのが声なのか、手があるのか、何も分からないんです。だって、真っ暗だから。ただ、自分が考えている姿態はある。『我思う、故に我あり』ですね。存在してるのが分かる。だけど、果たしてどんな存在なのか分からないんですよ。
けれど、宇宙には星があるんじゃないですか。星の光で自分の体の一部が照らされるんです。そしたら、手がある、足があり、指がこう動くと分かる。人間っていうのはそういう存在だと僕は思ってるんです。すなわち、星の光っていうのは皆さんの外の世界です。世の中であったり、周りの人であったりするんです。
考えてください。例えば、失恋した人の痛み、失恋してない人が分からないじゃないですか。もちろん、仕方も違う、痛み方も違う、個性も違う、感じ方も違います。でも、自分の体験を通して人間は他人がこういう痛みを感じているんだろうなということを悟るわけです。すなわち、僕らは自分の延長線上でしか他人を認識できない身でできてるんです。ということは、自分のことが大切だと分からない人間に、人を大切にはできないということなんです。
だから、僕らが最初にやらないといけないことは、人を大切にする前に、自分の人生を大切にし、自分に価値がある、自分は本当に尊い人間なんだということを自ら悟ることなんです。でも、そのための方法は一つしかないです。それは、星の光に照らしてもらうこと。世の中に言ってもらうこと以外にないです。じゃあ、世の中が『あなたのことが大切です』、『あなた価値があります』と言ってくれるのはどんな人ですか?それは、世の中のことを大切にした人でしょう。
僕が手術した子供たちは、別にお礼なんか言わないんですよ。元気そうに帰っていく、ただそれだけです。その姿は僕が見るだけ。でも、十分じゃないですか、それで。ああ、よかったって、生まれてきてよかった、ここへきてよかったって、自分で思えるじゃないですか。
僕がやってることは、自分が幸せになるためにやってます。ミャンマーで、カンボジアで、ラオスで、そして日本のいろんな地域で、こうやることが僕の幸せと直結してるんですよ。だから、苦労してもやれてるんです。だから、辛いことがあってもやり続けることができてます。そして、人のために生きることは、すなわち自分のために生きているっていうことです。それこそが本当の利他だと思います。
自分のためにまず生きて、自分の人生を大切にして、自分に価値があると、自分は大切な人間だと自覚して、そして再び人のために生きる。そしてまた自分が豊かになっていく。これ以上の生き方の極意はないと思います。
是非、僕が死ぬ頃、のたうちまわって、ふっと見上げたその差し出した手の先に、皆さんの背中が見えることを本当に心の底から望んでます。人生百年、まだまだ先長いですけど、最高の百年を生きてください」
講師吉岡秀人,
無國界兒科醫生。
他講自己當年在考不上大學、
做「浪人」的日子裡,
有一天打開升學指導書,
莫名其妙「醫學院」的簡介就攤開在眼前。
那個瞬間,他突然就覺得自己是不是應該去當醫生?
父母覺得連大學都考不上的兒子終於瘋了,
於是出錢給兒子的好友們,
讓他們「挾持」兒子,
給他好好曉之以理、弄清現實。
沒想到「頑固不化、屢教不改」的他,
在重考兩年後,
竟真的考入了醫學院。
畢業後不久就踏上無國界醫生這條路,
從此頑固地面對貧窮、生死,
奮鬥至今。
他說比起理性,
我們更應該去聽聽自身感性的聲音。
因為那是離靈魂的渴望最近的聲音,
那裡或許有關於你我生命使命的答案。
他說那些未達成的願望、
因失敗而蓄膿的傷口,
雖會在人生旅途上留下許多無奈與遺憾,
但那裡定亦蘊藏著推動你我向前邁進的驚人力量。
他說守望相助是人類的本性,
這世上沒有比本性更可靠的東西。
而生命的價值來自於盡自己的力量、給予他人,
但這必須建立在自愛自重的基礎上。
因為如果你連自身都不愛不尊重,
那又何來力量愛世人。
最喜歡的是以下這一段,
喜歡到在忙到昏倒的日子裡,
寧願不吃飯,
也要一字一句聽寫下來。
內容太長就不翻譯了,
留下一筆,
分享給有緣人。
❤️❤️
「なぜ僕がこんなに長くこの活動を続けてこれたか、その答えは非常にシンプルです。それは、あらゆる行動、全て僕は自分のためにやってるからです。もうそのことをずいぶん前から自覚したんです。もちろん、先ほど言ったように、結果的に他人のためにはなってます。でも、自分がしたくてやってるし、自分のためにやっているんです。だから、辛いことも続けてこれる。
人間っていうのは、もともと宇宙に放り出された意識体だと想像してほしい。宇宙って真っ暗じゃないですか。だから、真っ暗の中で、漆黒の中に、自分が存在してても、自分には指があるのか、今こうしゃべっているのが声なのか、手があるのか、何も分からないんです。だって、真っ暗だから。ただ、自分が考えている姿態はある。『我思う、故に我あり』ですね。存在してるのが分かる。だけど、果たしてどんな存在なのか分からないんですよ。
けれど、宇宙には星があるんじゃないですか。星の光で自分の体の一部が照らされるんです。そしたら、手がある、足があり、指がこう動くと分かる。人間っていうのはそういう存在だと僕は思ってるんです。すなわち、星の光っていうのは皆さんの外の世界です。世の中であったり、周りの人であったりするんです。
考えてください。例えば、失恋した人の痛み、失恋してない人が分からないじゃないですか。もちろん、仕方も違う、痛み方も違う、個性も違う、感じ方も違います。でも、自分の体験を通して人間は他人がこういう痛みを感じているんだろうなということを悟るわけです。すなわち、僕らは自分の延長線上でしか他人を認識できない身でできてるんです。ということは、自分のことが大切だと分からない人間に、人を大切にはできないということなんです。
だから、僕らが最初にやらないといけないことは、人を大切にする前に、自分の人生を大切にし、自分に価値がある、自分は本当に尊い人間なんだということを自ら悟ることなんです。でも、そのための方法は一つしかないです。それは、星の光に照らしてもらうこと。世の中に言ってもらうこと以外にないです。じゃあ、世の中が『あなたのことが大切です』、『あなた価値があります』と言ってくれるのはどんな人ですか?それは、世の中のことを大切にした人でしょう。
僕が手術した子供たちは、別にお礼なんか言わないんですよ。元気そうに帰っていく、ただそれだけです。その姿は僕が見るだけ。でも、十分じゃないですか、それで。ああ、よかったって、生まれてきてよかった、ここへきてよかったって、自分で思えるじゃないですか。
僕がやってることは、自分が幸せになるためにやってます。ミャンマーで、カンボジアで、ラオスで、そして日本のいろんな地域で、こうやることが僕の幸せと直結してるんですよ。だから、苦労してもやれてるんです。だから、辛いことがあってもやり続けることができてます。そして、人のために生きることは、すなわち自分のために生きているっていうことです。それこそが本当の利他だと思います。
自分のためにまず生きて、自分の人生を大切にして、自分に価値があると、自分は大切な人間だと自覚して、そして再び人のために生きる。そしてまた自分が豊かになっていく。これ以上の生き方の極意はないと思います。
是非、僕が死ぬ頃、のたうちまわって、ふっと見上げたその差し出した手の先に、皆さんの背中が見えることを本当に心の底から望んでます。人生百年、まだまだ先長いですけど、最高の百年を生きてください」
“仁政” 走向 “义政”
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“仁政” 的思路是为政者 ( 君主或政府) 以己之 “恻隐之心” 来推己及人, “以仁心行仁政”,即要求统治者作为人民的父母官,爱民如子、视民如伤。从儒家 “为民父母” 的譬喻可以看出, “仁政” 是典型的家长制政府。但正如康德和以赛亚·伯林等思想家指出的,家长制是可以想象到的最大的专制主义,是自由的最大敌人。与之相对,“义政” 则是另外一种治国理政的思路。“义政” 首先关注的是 个人利益的取与,以及私人之间的利益规范,其聚焦点在如何对待恶: 一方面是 “不作恶” 和 “禁人为非”,“夫义者,所以限禁人之为恶与奸者也”( 《荀子·强国》) 就很好地表达了 “义” 的这一层意思。另一方面是对恶进行制裁与惩罚。需要强调的是,这两个方面都不仅仅适用于私人关系,而且也适用于君民 ( 政府 - 人民) 关系,即 “义” 不仅可以规范个人行为,也可以规范君主、政府和国家的行为。
实际上,早在 20 世纪初,梁启超就已经认识到从 “仁政” 走向 “义政” 的必要性。梁启超在 《论权利思想》中谈及 “仁”、“义” 之别时,把 “义” 的观念与 “权利” 观念勾连在一起: “大抵中国善 言仁,而泰西善言义。仁者,人也,我利人,人亦利我,是所重者常在人也。义者,我也,我不害人,而亦不许人之害我,是所重者常在我也。此二德果孰为至乎? 在千万年后大同太平之世,吾不敢言; 若在今日,则义也者,诚救时之至德要道哉! ”[14]梁启超对 “仁”、 “义” 不同内涵的理解可谓一语中的: “仁” 指向他人利益, “义” 则指向自我权利。他又断定今日之中国更需 “义” 的观念,亦即权利观 念。在后文的论述中,梁启超把主张 “人人不损一毫,人人不利天下,天下治矣” 的杨朱视为主张权利的哲学家。笔者基本赞同此种解读。学界熟知孟子 “距杨墨”,但实际上,有理由相信,孟子吸取了杨、墨的合理因素,其中就有对杨朱个人权利观念的吸纳。这从孟子 “逃墨必归于杨,逃杨必归于儒” ( 《尽心下》) 的说法中可以得到印证。此外,宋儒有关杨、墨学仁、义而过的说法也颇可玩味: “杨子为我亦是义,墨子兼爱则是仁。”[15] “墨子 ‘兼爱’,行仁而过耳; 杨子 ‘为我’,行义而过耳。”[16]杨朱 “为我” 是 “义” ( 虽然过了) 的说法,表明 “义” 确实与个人权利相关。如前所述,孟子本人对“义” 的论述也体现了这一点。
梁启超也认识到了 “仁政” 的弊病。他说: “夫出吾仁以仁者也,虽非侵人自由,而待仁于人者也,则是放弃自由也。仁焉者多,则待仁于人者亦必多,其弊可以使人格日趋于卑下。( 自注: 欧西百年前以施济贫民为政府之责任,而贫民日益多。后悟此理厘而裁之,而民反殷富焉。君子爱人以德,不 闻以姑息。故使人各能自立而不依赖他人者,上也。若曰吾举天下人而仁之,毋乃降斯人使下己一等 乎?) 若是乎仁政者,非政体之至焉者也。吾中国人惟日望仁政与其君上也,故遇仁者焉,则为之婴儿; 遇不仁者焉,则为之鱼肉。古今仁君少暴君多,故吾民自数千年来祖宗之遗传,即以受人鱼肉为天经地义,而权利二字之识想,断绝于吾人脑质中者,固已久矣。”[17]基于以上认识,梁启超十分坚定地断定,当今社会,“仁政” 非政体之至焉者,而 “义” 乃至德要道。
阿玛蒂亚·森曾区分了两种思考正义的方式: 一种致力于探求完美的正义以及正义的本质,一种着眼于消灭现实世界中明显的不公正。森自己追随后者,认为“着眼于现实世界的视角更容易使人明白, 消除赤裸裸的不公正比寻找完美的公正更重要”[18]。不难发现, “仁政” 更接近于追求完美的政治理念,“义政”则更接近于消除明显的恶和不公正。笔者以为,后一致思方式对发展儒家政治哲学尤为重 要。如果我们仅从 “仁” 和 “仁政” 的视域思考问题,那么我们将会希望政府给那些弱者和无辜者提供帮助和安慰; 如果我们从 “义” 和 “义政” 的视域思考问题,那么,我们将会要求政府尽可能地消除明显的恶和不公正。“希望” 和 “要求” 虽然都对政府提出了某种义务的要求,但后者所产生的义务似乎较前者更为基本而有意义。我们常说 “义不容辞” 而不说 “仁不容辞”,也表明 “义” 相较于“仁”,其义务性更强。
社会经验告诉我们,如果作恶者没有得到相应且及时的惩罚,那么就会产生越来越多的作恶者,社 会上就会滋生越来越多的恶。使作恶者得到必然的惩罚,远比道德说教对于国民之心性的塑造更为有 效。慈济伟即认为正义的动机是有条件的: “有正义愿望的人们在遵守规范时既不想吃亏也不图占便宜,而是为了在大家共同接受的规范之基础上公平互利。”公平互利的要求即正义愿望的相互性,而一旦这种相互性条件得不到满足,社会道德秩序就会以一发不可收拾之势陷入恶性循环: “一部分违反大体上公正的规范但得不到及时有效的制止或惩罚,于是更多的人争相效仿,造成规模越来越大的恶性循 环而不得休止。”[19]所以,对待恶,为政者必须施行 “义政”,手握利刃,斩断一切私人恩情和利益关系,严惩不贷,惟其如此,才能令民心大悦。
概言之,“义政” 的内涵可以概括为两个方面: 就积极方面看,“义” 的实质在于规范个体对食物、财富、职位等社会基本益品的取得和持有 ( 取) 以及人们之间的利益分配和交换 ( 与) ,以使这个社会达到基本的公正; 从消极方面看,“义” 强调 “不作恶” 和 “禁人为非” 以及对作恶者的制裁与惩罚, 以维持一个基本公正的良序社会。如果说 “仁政” 走的是由心性到政治的路径,那么,“义政” 则是通过自律、规范、制裁乃至惩罚来塑造国民的心性。孟子太过强调通过 “羞恶之心” 来塑造自律的主体, 而对规范、制裁和惩罚不太重视 ( 虽然也有论及) 。笔者以为,今日发展儒家尤其是孟子的政治哲学也应重视荀子的相关论述。而且,就人性论而言,孟子的性善论其实可以涵括性恶论,亦即它可以充分认识到现实中的恶并解释其来源,因此,其政治哲学并不会排斥规范、制裁与惩罚。不过,它与荀子尤其是法家有异,比如,出于 “仁” 道,当它诉诸制裁和惩罚时,会充分考虑到给予被惩罚者以相应的人道待遇。
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“仁政” 的思路是为政者 ( 君主或政府) 以己之 “恻隐之心” 来推己及人, “以仁心行仁政”,即要求统治者作为人民的父母官,爱民如子、视民如伤。从儒家 “为民父母” 的譬喻可以看出, “仁政” 是典型的家长制政府。但正如康德和以赛亚·伯林等思想家指出的,家长制是可以想象到的最大的专制主义,是自由的最大敌人。与之相对,“义政” 则是另外一种治国理政的思路。“义政” 首先关注的是 个人利益的取与,以及私人之间的利益规范,其聚焦点在如何对待恶: 一方面是 “不作恶” 和 “禁人为非”,“夫义者,所以限禁人之为恶与奸者也”( 《荀子·强国》) 就很好地表达了 “义” 的这一层意思。另一方面是对恶进行制裁与惩罚。需要强调的是,这两个方面都不仅仅适用于私人关系,而且也适用于君民 ( 政府 - 人民) 关系,即 “义” 不仅可以规范个人行为,也可以规范君主、政府和国家的行为。
实际上,早在 20 世纪初,梁启超就已经认识到从 “仁政” 走向 “义政” 的必要性。梁启超在 《论权利思想》中谈及 “仁”、“义” 之别时,把 “义” 的观念与 “权利” 观念勾连在一起: “大抵中国善 言仁,而泰西善言义。仁者,人也,我利人,人亦利我,是所重者常在人也。义者,我也,我不害人,而亦不许人之害我,是所重者常在我也。此二德果孰为至乎? 在千万年后大同太平之世,吾不敢言; 若在今日,则义也者,诚救时之至德要道哉! ”[14]梁启超对 “仁”、 “义” 不同内涵的理解可谓一语中的: “仁” 指向他人利益, “义” 则指向自我权利。他又断定今日之中国更需 “义” 的观念,亦即权利观 念。在后文的论述中,梁启超把主张 “人人不损一毫,人人不利天下,天下治矣” 的杨朱视为主张权利的哲学家。笔者基本赞同此种解读。学界熟知孟子 “距杨墨”,但实际上,有理由相信,孟子吸取了杨、墨的合理因素,其中就有对杨朱个人权利观念的吸纳。这从孟子 “逃墨必归于杨,逃杨必归于儒” ( 《尽心下》) 的说法中可以得到印证。此外,宋儒有关杨、墨学仁、义而过的说法也颇可玩味: “杨子为我亦是义,墨子兼爱则是仁。”[15] “墨子 ‘兼爱’,行仁而过耳; 杨子 ‘为我’,行义而过耳。”[16]杨朱 “为我” 是 “义” ( 虽然过了) 的说法,表明 “义” 确实与个人权利相关。如前所述,孟子本人对“义” 的论述也体现了这一点。
梁启超也认识到了 “仁政” 的弊病。他说: “夫出吾仁以仁者也,虽非侵人自由,而待仁于人者也,则是放弃自由也。仁焉者多,则待仁于人者亦必多,其弊可以使人格日趋于卑下。( 自注: 欧西百年前以施济贫民为政府之责任,而贫民日益多。后悟此理厘而裁之,而民反殷富焉。君子爱人以德,不 闻以姑息。故使人各能自立而不依赖他人者,上也。若曰吾举天下人而仁之,毋乃降斯人使下己一等 乎?) 若是乎仁政者,非政体之至焉者也。吾中国人惟日望仁政与其君上也,故遇仁者焉,则为之婴儿; 遇不仁者焉,则为之鱼肉。古今仁君少暴君多,故吾民自数千年来祖宗之遗传,即以受人鱼肉为天经地义,而权利二字之识想,断绝于吾人脑质中者,固已久矣。”[17]基于以上认识,梁启超十分坚定地断定,当今社会,“仁政” 非政体之至焉者,而 “义” 乃至德要道。
阿玛蒂亚·森曾区分了两种思考正义的方式: 一种致力于探求完美的正义以及正义的本质,一种着眼于消灭现实世界中明显的不公正。森自己追随后者,认为“着眼于现实世界的视角更容易使人明白, 消除赤裸裸的不公正比寻找完美的公正更重要”[18]。不难发现, “仁政” 更接近于追求完美的政治理念,“义政”则更接近于消除明显的恶和不公正。笔者以为,后一致思方式对发展儒家政治哲学尤为重 要。如果我们仅从 “仁” 和 “仁政” 的视域思考问题,那么我们将会希望政府给那些弱者和无辜者提供帮助和安慰; 如果我们从 “义” 和 “义政” 的视域思考问题,那么,我们将会要求政府尽可能地消除明显的恶和不公正。“希望” 和 “要求” 虽然都对政府提出了某种义务的要求,但后者所产生的义务似乎较前者更为基本而有意义。我们常说 “义不容辞” 而不说 “仁不容辞”,也表明 “义” 相较于“仁”,其义务性更强。
社会经验告诉我们,如果作恶者没有得到相应且及时的惩罚,那么就会产生越来越多的作恶者,社 会上就会滋生越来越多的恶。使作恶者得到必然的惩罚,远比道德说教对于国民之心性的塑造更为有 效。慈济伟即认为正义的动机是有条件的: “有正义愿望的人们在遵守规范时既不想吃亏也不图占便宜,而是为了在大家共同接受的规范之基础上公平互利。”公平互利的要求即正义愿望的相互性,而一旦这种相互性条件得不到满足,社会道德秩序就会以一发不可收拾之势陷入恶性循环: “一部分违反大体上公正的规范但得不到及时有效的制止或惩罚,于是更多的人争相效仿,造成规模越来越大的恶性循 环而不得休止。”[19]所以,对待恶,为政者必须施行 “义政”,手握利刃,斩断一切私人恩情和利益关系,严惩不贷,惟其如此,才能令民心大悦。
概言之,“义政” 的内涵可以概括为两个方面: 就积极方面看,“义” 的实质在于规范个体对食物、财富、职位等社会基本益品的取得和持有 ( 取) 以及人们之间的利益分配和交换 ( 与) ,以使这个社会达到基本的公正; 从消极方面看,“义” 强调 “不作恶” 和 “禁人为非” 以及对作恶者的制裁与惩罚, 以维持一个基本公正的良序社会。如果说 “仁政” 走的是由心性到政治的路径,那么,“义政” 则是通过自律、规范、制裁乃至惩罚来塑造国民的心性。孟子太过强调通过 “羞恶之心” 来塑造自律的主体, 而对规范、制裁和惩罚不太重视 ( 虽然也有论及) 。笔者以为,今日发展儒家尤其是孟子的政治哲学也应重视荀子的相关论述。而且,就人性论而言,孟子的性善论其实可以涵括性恶论,亦即它可以充分认识到现实中的恶并解释其来源,因此,其政治哲学并不会排斥规范、制裁与惩罚。不过,它与荀子尤其是法家有异,比如,出于 “仁” 道,当它诉诸制裁和惩罚时,会充分考虑到给予被惩罚者以相应的人道待遇。
言“愿我未来,不闻恶声,不见恶人”者,此表明夫人自己向佛祈愿,如阿阇世王杀父囚母,提婆达多害佛破僧,以及他们所造恶行播散于外的恶声,愿我尽未来际不闻恶声,不见恶人,六根清净,恒常怡乐。但阿阇世王即是自己的亲生之子,不惟不思报答父母之恩,反而尚于父母生起杀戮之恶逆心。亲生儿子尚且如此,何况疏阔之人而不相害。由此残酷的宫廷政变,致令夫人如梦惊醒,彻底觉悟。于此世间,不简亲疏一切人等,总皆顿然厌舍。离此业缘之人际关系,求生无忧恼处,与彼诸上善人俱会一处。
阿弥陀佛
阿弥陀佛
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