日経クロストレンド
八木勇征 俳優として経験を重ね、ボーカリストとしても成長
https://t.cn/A66Lwf1u
初めてのドラマ出演で主役に抜擢
――個人活動として、八木が「ずっとやりたかった」のは俳優業。FANTASTICSとしても舞台や番組を通して芝居を経験してきたが、いよいよかなった初めてのドラマ出演で、いきなり主演に抜てき。監督や、同世代の経験豊富な俳優に刺激を受けながら、1カ月の撮影期間を走り抜けたようだ。
舞台だと『FANTASTICS SOUND DRAMA 2019 FANTASTIC NINE』、映像では『マネキン・ナイト・フィーバー』が、それぞれ初めての芝居でした。とても楽しかったです! 非日常を味わえる、とても刺激のあることだなって。それは今でも、いろんな現場に行かせていただくたびに思います。
――大学2年生時のケガを機に、サッカーの道から「もう1つの夢だった」歌の世界へ踏み出したのは2017年。同年に開催された、LDH主催の『VOCAL BATTLE AUDITION 5』を勝ち抜き、FANTASTICS from EXILE TRIBEのボーカルとして2018年にメジャーデビューを果たした。
中学校の卒業レクリエーションのとき、RADWIMPSさんの『いいんですか?』をみんなの前で歌ったんです。それが、「歌手っていいな」って思ったきっかけでした。『VOCAL BATTLE AUDITION 5』は人生初のオーディションで本当に右も左も分からなかったのですが、後悔のないようひたすらに全力で取り組みました。経験豊富なEXPG生がたくさんいるなかで、「僕は誰よりも頑張っているんだ」という自信を持ちたかったので規則正しい生活を徹底したり、トレーニングに力を入れたりして自分を追い込みました。ランニングをしたり、山登りをしたり……。LDHは体育会系のイメージがあったので、体力勝負の場面でぶっちぎりの1位を取れば、注目してもらえるかもと考えました。スポ根を発揮することで、僕の闘争心は感じてもらえたんじゃないかと思っています(笑)。
コロナ禍を準備期間と前向きにとらえる
――スタイリッシュかつポップなビジュアルとサウンドを特徴とするFANTASTICSのボーカリストとして活動を開始し、19年にはホールツアーも経験。順調にステップアップし始めた矢先に遭遇したのが、新型コロナウイルス蔓延という事態。アリーナツアーの休止が決定するなど、一時歩みを止めざるを得なかった。しかし、その期間をやりたいことへの準備に充てたことが個人活動での活躍にもつながったという。
2020年にコロナ禍の影響でアリーナツアーが延期になったとき、ライブができないんだとショックでしたが、時間が経つにつれグループ全員がポジティブに考えるようになりました。立ち止まるよりも、武器を増やして次に挑むほうがいい。むしろ、その期間にしかできないことがあるなと思い、僕はピアノに挑戦しました。グループとしても、その時期に頑張ったからこそ楽曲の幅が増えてきているので、次のツアーはさらにフル装備の状態で迎えられると思っています。
今思えば、個人活動がしっかりできるようになるための準備期間だったとも感じていて。FANTASTICSの曲を知ってもらうためには、まず僕らを知ってもらわなければいけない。いろんなアプローチの仕方があると思いますが、俳優にしても声優にしても、しっかりと一人前に力をつけて個人活動をすることでグループの認知が高まると思っています。FANTASTICSの曲を聴いてくれる人が増えてくれたら嬉しいですし、それはもちろん僕たちが一番求めていることです。
――俳優としての感情表現は、歌にも通ずるところがあるという八木。俳優として経験を重ねながら、ボーカリストとして成長し、グループとしてもさらに活躍したい思いがある。『美しい彼』をきっかけに、世界へと大きな一歩を踏み出した八木が抱く、今後の夢とは。
役者活動を突き詰めて、自分の表現の幅を増やしていきたいです。芝居を経験したあとにこれまで歌ってきた楽曲の歌詞をもう一度読み直すと、今までとは違う印象を受けることがあります。演じることで感情表現の幅も増えたので、新しい歌い方ができるようにもなりました。芝居をすることによって、ボーカリストとしての引き出しが増えているのを強く感じます。アニメも大好きなのでいつかは声優にもチャレンジしてみたいです。声優さんを見ていると、声だけで感情を表現することの凄さを感じます。
最近観て印象に残っている成田凌さん主演の映画『愛がなんだ』で感じましたが、邦画や日本のアニメは日本語の美しさ、日本語だから伝わる絶妙なニュアンスや比喩表現がたくさんあり、抽象的な言葉遣いの描き方もとても丁寧。それがすごく好きで、そういった作品に一表現者としてたくさん関わっていきたいなと
八木勇征 俳優として経験を重ね、ボーカリストとしても成長
https://t.cn/A66Lwf1u
初めてのドラマ出演で主役に抜擢
――個人活動として、八木が「ずっとやりたかった」のは俳優業。FANTASTICSとしても舞台や番組を通して芝居を経験してきたが、いよいよかなった初めてのドラマ出演で、いきなり主演に抜てき。監督や、同世代の経験豊富な俳優に刺激を受けながら、1カ月の撮影期間を走り抜けたようだ。
舞台だと『FANTASTICS SOUND DRAMA 2019 FANTASTIC NINE』、映像では『マネキン・ナイト・フィーバー』が、それぞれ初めての芝居でした。とても楽しかったです! 非日常を味わえる、とても刺激のあることだなって。それは今でも、いろんな現場に行かせていただくたびに思います。
――大学2年生時のケガを機に、サッカーの道から「もう1つの夢だった」歌の世界へ踏み出したのは2017年。同年に開催された、LDH主催の『VOCAL BATTLE AUDITION 5』を勝ち抜き、FANTASTICS from EXILE TRIBEのボーカルとして2018年にメジャーデビューを果たした。
中学校の卒業レクリエーションのとき、RADWIMPSさんの『いいんですか?』をみんなの前で歌ったんです。それが、「歌手っていいな」って思ったきっかけでした。『VOCAL BATTLE AUDITION 5』は人生初のオーディションで本当に右も左も分からなかったのですが、後悔のないようひたすらに全力で取り組みました。経験豊富なEXPG生がたくさんいるなかで、「僕は誰よりも頑張っているんだ」という自信を持ちたかったので規則正しい生活を徹底したり、トレーニングに力を入れたりして自分を追い込みました。ランニングをしたり、山登りをしたり……。LDHは体育会系のイメージがあったので、体力勝負の場面でぶっちぎりの1位を取れば、注目してもらえるかもと考えました。スポ根を発揮することで、僕の闘争心は感じてもらえたんじゃないかと思っています(笑)。
コロナ禍を準備期間と前向きにとらえる
――スタイリッシュかつポップなビジュアルとサウンドを特徴とするFANTASTICSのボーカリストとして活動を開始し、19年にはホールツアーも経験。順調にステップアップし始めた矢先に遭遇したのが、新型コロナウイルス蔓延という事態。アリーナツアーの休止が決定するなど、一時歩みを止めざるを得なかった。しかし、その期間をやりたいことへの準備に充てたことが個人活動での活躍にもつながったという。
2020年にコロナ禍の影響でアリーナツアーが延期になったとき、ライブができないんだとショックでしたが、時間が経つにつれグループ全員がポジティブに考えるようになりました。立ち止まるよりも、武器を増やして次に挑むほうがいい。むしろ、その期間にしかできないことがあるなと思い、僕はピアノに挑戦しました。グループとしても、その時期に頑張ったからこそ楽曲の幅が増えてきているので、次のツアーはさらにフル装備の状態で迎えられると思っています。
今思えば、個人活動がしっかりできるようになるための準備期間だったとも感じていて。FANTASTICSの曲を知ってもらうためには、まず僕らを知ってもらわなければいけない。いろんなアプローチの仕方があると思いますが、俳優にしても声優にしても、しっかりと一人前に力をつけて個人活動をすることでグループの認知が高まると思っています。FANTASTICSの曲を聴いてくれる人が増えてくれたら嬉しいですし、それはもちろん僕たちが一番求めていることです。
――俳優としての感情表現は、歌にも通ずるところがあるという八木。俳優として経験を重ねながら、ボーカリストとして成長し、グループとしてもさらに活躍したい思いがある。『美しい彼』をきっかけに、世界へと大きな一歩を踏み出した八木が抱く、今後の夢とは。
役者活動を突き詰めて、自分の表現の幅を増やしていきたいです。芝居を経験したあとにこれまで歌ってきた楽曲の歌詞をもう一度読み直すと、今までとは違う印象を受けることがあります。演じることで感情表現の幅も増えたので、新しい歌い方ができるようにもなりました。芝居をすることによって、ボーカリストとしての引き出しが増えているのを強く感じます。アニメも大好きなのでいつかは声優にもチャレンジしてみたいです。声優さんを見ていると、声だけで感情を表現することの凄さを感じます。
最近観て印象に残っている成田凌さん主演の映画『愛がなんだ』で感じましたが、邦画や日本のアニメは日本語の美しさ、日本語だから伝わる絶妙なニュアンスや比喩表現がたくさんあり、抽象的な言葉遣いの描き方もとても丁寧。それがすごく好きで、そういった作品に一表現者としてたくさん関わっていきたいなと
#更衣人偶坠入爱河#
几经周折终于开始追了,看了两集下来第一反应就是这番对声优是个很大的考验(尤其是男主声优),怎么配出那种感觉是门技术活,喜多川这种这么攻的性格想必是吸引很多人追这番的一个重要因素,这角色真的太有魅力,相反新菜真的看得我比西片还着急哈哈哈哈。最后,这ED真的好甜,好喜欢[亲亲]
几经周折终于开始追了,看了两集下来第一反应就是这番对声优是个很大的考验(尤其是男主声优),怎么配出那种感觉是门技术活,喜多川这种这么攻的性格想必是吸引很多人追这番的一个重要因素,这角色真的太有魅力,相反新菜真的看得我比西片还着急哈哈哈哈。最后,这ED真的好甜,好喜欢[亲亲]
【シネマトゥデイ】追悼特集:藤原啓治さんが語った「野原ひろし」https://t.cn/A625OqM9
「クレヨンしんちゃん」野原ひろし役、「交響詩篇エウレカセブン」ホランド・ノヴァク役、映画『アベンジャーズ』シリーズのアイアンマン=トニー・スターク役の吹替などで知られる声優の藤原啓治さんが4月12日に死去したことが所属事務所より発表された。
筆者は何度か藤原さんに「クレヨンしんちゃん」について話をうかがう機会をいただいたことがある。ここでは、他の媒体に掲載されたインタビューも含め、藤原さんがどのように「理想の父親」とも言われるようになった野原ひろしを作り上げていったかを紐解いてみたい。(大山くまお)
27歳で射止めた野原ひろし役と試行錯誤
1992年にスタートしたアニメ「クレヨンしんちゃん」。藤原さんがオーディションに合格して野原ひろし役を得たのは、声優としてのキャリアを歩みはじめて2年目だった27歳の頃。もちろん、父親を演じるのは初めて。35歳という設定のひろし役を受けたのは年齢層が高い人ばかりで、自分と同世代の声優はオーディション会場で一人も見かけなかったとか。
このときのオーディションは今では珍しい「掛け合い」で行われた。藤原さんは2組のしんのすけ候補の声優と掛け合いを行ったが、2組目でその後しんのすけを演じた矢島晶子さんとペアを組んでいる。
見事にひろし役を射止めた藤原さんだが、「お父さん役を演じるからといって、お父さんを意識したところで、自分に何ができるんだろう?」と感じていたという。当初はセリフも少なく、「ただいま」と言うだけの回も少なくなかった。
そんな中、放送が始まった2年目ぐらいの頃に壁にぶつかってしまう。ひろしを演じていて違和感を覚えるようになったのだ。作画や演出がどんどん変化しているのに、自分の演技がスタート当初から変わっていないことが原因だった。そのことに気づいた藤原さんは、半年ほどかけて試行錯誤しながら演技を変化させていく。
このときに藤原さんが気づいたのは「変化してもいい」ということだった。父親だから、夫だから、ひろしだからといって、何かにとらわれる必要はない。このことについて次のように語っている。
「『ひろしはこういう人です』と決めつけないようにしようと思っていますね。『ひろしはこんなことしないだろ』『こんなことしゃべらないよ』とは思わないように。演じる側の変なこだわりで、こぢんまりしちゃうのはマズいかな、と」(「クレヨンしんちゃん大全」(双葉社))
だからこそ、ロボットになろうが(『映画クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』)、ニワトリに変身しようが(『映画クレヨンしんちゃん オタケべ!カスカベ野生王国』)、女装しようが(『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード』ほか多数)、ひろしはひろしのままでいられたのだろう。
「このままではひろししかできなくなってしまう」
「クレヨンしんちゃん」は放送開始から半年もすると視聴率がうなぎ上りになり、1993年7月には歴代最高視聴率28.2%を記録。国民的人気作品として不動の地位を得たが、同時に藤原さんはある悩みを抱えることになる。
それは「カッコよさそうな役のオーディションの話がまったく来なくなった」ことだった。ひろしの役のイメージが強すぎて、所属事務所が候補に藤原さんの名前を挙げるだけで先方から断られることがある一方、一気に父親役が4つも5つも来ることがあった。30歳を過ぎたばかりの藤原さんにとっては死活問題だったはずだ。
「このままではひろししかできなくなってしまう」と焦ったが、「しんちゃん」という作品の幅の広さと、「変化してもいい」ことに気づいていたことが功を奏した。藤原さんはひろしを演じることで、演技の幅を自在に広げていき、どんどん新しい役を得るようになったのだ。
藤原さんは実績を積み重ね、実力派声優としての地位を不動のものにしていく。2009年のインタビューでは「いろいろな顔をもつひろしというキャラクターを通して、自分もものすごく成長したと思います」「ひろしを通していろいろな実験をすることもできたし、あれこれ試行錯誤した結果、27歳ではできなかったことを今やることができています」と振り返っていた(「声優道 名優50人が伝えたい仕事の心得と生きるヒント」主婦の友社)。
『モーレツ!オトナ帝国の逆襲』のひろし
ひろし役を大きく膨らませていった原恵一監督との出会いも大きい。ひろしについて「男のいちばんだらしない部分を持ったキャラクターで、それを描くのがすごく面白かった」という原監督だが、なによりも藤原さんの声の役割が大きかったとも語っている。
「最初は出番が『ただいま』と『いってきます』くらいしかなかったのに、スタッフが藤原さんの上手さを知るにつれてひろしのウェイトが重くなっていったのは間違いないと思います」(「クレヨンしんちゃん大全」(双葉社))。余談だが、原監督は藤原さんとよく飲みに行っていたようで、お酒を飲みながらのトークイベントでは何度も「啓治、好き」と告白(?)していた。
原監督は劇場映画作品でもひろしをフィーチャーしていく。初監督映画の『クレヨンしんちゃん 暗黒タマタマ大追跡』では、ひろしが女刑事の東松山よねと二人で旅する旅情あふれるシーンや兄になったばかりのしんのすけに語りかけるシーンが印象的に描かれた。
藤原さんと原監督のコラボレーションの最たるものが、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』だ。「懐かしさ」で世界を支配しようとする組織イエスタデイ・ワンスモアの陰謀で洗脳されてしまったひろしが記憶を取り戻すシーンは、大きな感動を呼んだ。
しんのすけに嗅がされた自分の靴の匂い(ひろしの足は武器になるほど臭い)によって、ひろしは35年にわたる自分の人生を回想する。大きな父の背中を見ていた子どもの頃、淡い初恋と失恋、上京と就職、みさえとの出会い、長男しんのすけの誕生、マイホームへの引っ越し、どんなに仕事で疲れ切った日でも温かく出迎えてくれる家族たち。いつしか幼い頃の自分のように、しんのすけが自分の大きな背中を見つめるようになっていた。すべてを思い出して、ひろしはむせび泣く。そして組織のリーダー、ケンに向かって「オレの人生はつまらなくなんかない!」と言い切るのだ。
藤原さんもひろしを演じていて最も印象的だったシーンとして『オトナ帝国の逆襲』の回想シーンを挙げている。「収録時は亡くなった父親の姿が常に頭の片隅にありました。誠に勝手ながら、この作品を尊敬する私の父親に捧げています(笑)」(V-STRAGE「しんちゃん通信」スペシャルインタビュー「野原ひろし役藤原啓治」)。ちなみに、最後の「(笑)」は藤原さんが付け足したもの。きっと照れくさかったのだろう。
「普通に家族を守るのって、たいしたことだよ」
ひろしについて「すごくカッコいい男だと思います。あんなバタバタした日常を受け入れて、カラリと生きることができるなんて、現代においてかなり強い人間だと思います」(DVD「クレヨンしんちゃん きっとベスト 凝縮!野原ひろし」ライナーノート)と語っていた藤原さん。器が大きくて、イヤミなところがなく、後ろ向きにならない。そして人間臭い男だという。
藤原さんは「憧れとしては、(野原)ひろしに、なりたいんですよね」とはっきり言う。「『家族を守ること』も『人類を守ること』も“ヒーロー”の根底は一緒な気がします。サラリーマンでああ見えて、ひろしも身近な1人のヒーローなのだなと」(ORICON NEWS、2018年4月22日)。ちなみに自身にとってのヒーローを問われた藤原さんは「両親」と答えている。
筆者が藤原さんに世の中のお父さんたちへのメッセージを求めたところ、次のような答えが帰ってきた。
「『普通に家族を守るのって、たいしたことだよ』ってことですね」
「僕にとっては当たり前じゃないことが、世界中で当たり前のこととして行われている。それってすごいことだと思います」
藤原さんが演じることによって、野原ひろしは世界で一番身近なヒーローになった。当たり前じゃないことを、さも当たり前のように、必死になって毎日のようにこなし、家族を守るために奮闘する父親、母親の姿を映し出しているから、「クレヨンしんちゃん」という作品は今も変わらず人気があるのかもしれない。
藤原さん、本当にありがとうございました。
「クレヨンしんちゃん」野原ひろし役、「交響詩篇エウレカセブン」ホランド・ノヴァク役、映画『アベンジャーズ』シリーズのアイアンマン=トニー・スターク役の吹替などで知られる声優の藤原啓治さんが4月12日に死去したことが所属事務所より発表された。
筆者は何度か藤原さんに「クレヨンしんちゃん」について話をうかがう機会をいただいたことがある。ここでは、他の媒体に掲載されたインタビューも含め、藤原さんがどのように「理想の父親」とも言われるようになった野原ひろしを作り上げていったかを紐解いてみたい。(大山くまお)
27歳で射止めた野原ひろし役と試行錯誤
1992年にスタートしたアニメ「クレヨンしんちゃん」。藤原さんがオーディションに合格して野原ひろし役を得たのは、声優としてのキャリアを歩みはじめて2年目だった27歳の頃。もちろん、父親を演じるのは初めて。35歳という設定のひろし役を受けたのは年齢層が高い人ばかりで、自分と同世代の声優はオーディション会場で一人も見かけなかったとか。
このときのオーディションは今では珍しい「掛け合い」で行われた。藤原さんは2組のしんのすけ候補の声優と掛け合いを行ったが、2組目でその後しんのすけを演じた矢島晶子さんとペアを組んでいる。
見事にひろし役を射止めた藤原さんだが、「お父さん役を演じるからといって、お父さんを意識したところで、自分に何ができるんだろう?」と感じていたという。当初はセリフも少なく、「ただいま」と言うだけの回も少なくなかった。
そんな中、放送が始まった2年目ぐらいの頃に壁にぶつかってしまう。ひろしを演じていて違和感を覚えるようになったのだ。作画や演出がどんどん変化しているのに、自分の演技がスタート当初から変わっていないことが原因だった。そのことに気づいた藤原さんは、半年ほどかけて試行錯誤しながら演技を変化させていく。
このときに藤原さんが気づいたのは「変化してもいい」ということだった。父親だから、夫だから、ひろしだからといって、何かにとらわれる必要はない。このことについて次のように語っている。
「『ひろしはこういう人です』と決めつけないようにしようと思っていますね。『ひろしはこんなことしないだろ』『こんなことしゃべらないよ』とは思わないように。演じる側の変なこだわりで、こぢんまりしちゃうのはマズいかな、と」(「クレヨンしんちゃん大全」(双葉社))
だからこそ、ロボットになろうが(『映画クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』)、ニワトリに変身しようが(『映画クレヨンしんちゃん オタケべ!カスカベ野生王国』)、女装しようが(『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード』ほか多数)、ひろしはひろしのままでいられたのだろう。
「このままではひろししかできなくなってしまう」
「クレヨンしんちゃん」は放送開始から半年もすると視聴率がうなぎ上りになり、1993年7月には歴代最高視聴率28.2%を記録。国民的人気作品として不動の地位を得たが、同時に藤原さんはある悩みを抱えることになる。
それは「カッコよさそうな役のオーディションの話がまったく来なくなった」ことだった。ひろしの役のイメージが強すぎて、所属事務所が候補に藤原さんの名前を挙げるだけで先方から断られることがある一方、一気に父親役が4つも5つも来ることがあった。30歳を過ぎたばかりの藤原さんにとっては死活問題だったはずだ。
「このままではひろししかできなくなってしまう」と焦ったが、「しんちゃん」という作品の幅の広さと、「変化してもいい」ことに気づいていたことが功を奏した。藤原さんはひろしを演じることで、演技の幅を自在に広げていき、どんどん新しい役を得るようになったのだ。
藤原さんは実績を積み重ね、実力派声優としての地位を不動のものにしていく。2009年のインタビューでは「いろいろな顔をもつひろしというキャラクターを通して、自分もものすごく成長したと思います」「ひろしを通していろいろな実験をすることもできたし、あれこれ試行錯誤した結果、27歳ではできなかったことを今やることができています」と振り返っていた(「声優道 名優50人が伝えたい仕事の心得と生きるヒント」主婦の友社)。
『モーレツ!オトナ帝国の逆襲』のひろし
ひろし役を大きく膨らませていった原恵一監督との出会いも大きい。ひろしについて「男のいちばんだらしない部分を持ったキャラクターで、それを描くのがすごく面白かった」という原監督だが、なによりも藤原さんの声の役割が大きかったとも語っている。
「最初は出番が『ただいま』と『いってきます』くらいしかなかったのに、スタッフが藤原さんの上手さを知るにつれてひろしのウェイトが重くなっていったのは間違いないと思います」(「クレヨンしんちゃん大全」(双葉社))。余談だが、原監督は藤原さんとよく飲みに行っていたようで、お酒を飲みながらのトークイベントでは何度も「啓治、好き」と告白(?)していた。
原監督は劇場映画作品でもひろしをフィーチャーしていく。初監督映画の『クレヨンしんちゃん 暗黒タマタマ大追跡』では、ひろしが女刑事の東松山よねと二人で旅する旅情あふれるシーンや兄になったばかりのしんのすけに語りかけるシーンが印象的に描かれた。
藤原さんと原監督のコラボレーションの最たるものが、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』だ。「懐かしさ」で世界を支配しようとする組織イエスタデイ・ワンスモアの陰謀で洗脳されてしまったひろしが記憶を取り戻すシーンは、大きな感動を呼んだ。
しんのすけに嗅がされた自分の靴の匂い(ひろしの足は武器になるほど臭い)によって、ひろしは35年にわたる自分の人生を回想する。大きな父の背中を見ていた子どもの頃、淡い初恋と失恋、上京と就職、みさえとの出会い、長男しんのすけの誕生、マイホームへの引っ越し、どんなに仕事で疲れ切った日でも温かく出迎えてくれる家族たち。いつしか幼い頃の自分のように、しんのすけが自分の大きな背中を見つめるようになっていた。すべてを思い出して、ひろしはむせび泣く。そして組織のリーダー、ケンに向かって「オレの人生はつまらなくなんかない!」と言い切るのだ。
藤原さんもひろしを演じていて最も印象的だったシーンとして『オトナ帝国の逆襲』の回想シーンを挙げている。「収録時は亡くなった父親の姿が常に頭の片隅にありました。誠に勝手ながら、この作品を尊敬する私の父親に捧げています(笑)」(V-STRAGE「しんちゃん通信」スペシャルインタビュー「野原ひろし役藤原啓治」)。ちなみに、最後の「(笑)」は藤原さんが付け足したもの。きっと照れくさかったのだろう。
「普通に家族を守るのって、たいしたことだよ」
ひろしについて「すごくカッコいい男だと思います。あんなバタバタした日常を受け入れて、カラリと生きることができるなんて、現代においてかなり強い人間だと思います」(DVD「クレヨンしんちゃん きっとベスト 凝縮!野原ひろし」ライナーノート)と語っていた藤原さん。器が大きくて、イヤミなところがなく、後ろ向きにならない。そして人間臭い男だという。
藤原さんは「憧れとしては、(野原)ひろしに、なりたいんですよね」とはっきり言う。「『家族を守ること』も『人類を守ること』も“ヒーロー”の根底は一緒な気がします。サラリーマンでああ見えて、ひろしも身近な1人のヒーローなのだなと」(ORICON NEWS、2018年4月22日)。ちなみに自身にとってのヒーローを問われた藤原さんは「両親」と答えている。
筆者が藤原さんに世の中のお父さんたちへのメッセージを求めたところ、次のような答えが帰ってきた。
「『普通に家族を守るのって、たいしたことだよ』ってことですね」
「僕にとっては当たり前じゃないことが、世界中で当たり前のこととして行われている。それってすごいことだと思います」
藤原さんが演じることによって、野原ひろしは世界で一番身近なヒーローになった。当たり前じゃないことを、さも当たり前のように、必死になって毎日のようにこなし、家族を守るために奮闘する父親、母親の姿を映し出しているから、「クレヨンしんちゃん」という作品は今も変わらず人気があるのかもしれない。
藤原さん、本当にありがとうございました。
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