重温《书剑恩仇录》。第一次读时还是小学或是中学,因为武侠启蒙作是《神雕侠侣》,所以读书剑的感受不是很好。笼笼统统来说,有四个印象:
文泰来怎么还救不出来;
张召重怎么还打不死;
小说怎么还没结束;
陈家洛怎么这样气人。
当时只有这样的直观印象,到后来才能慢慢体会到,《书剑》的稚嫩,青涩和伟大之处。
其实是节奏出了问题,缺乏结构的助力,叙事上就会缺乏有效推进,车轱辘话来回说,难免会有希望快进的感受。
至于结构,金庸天赋卓绝,单论结构感,在全球通俗类型小说作家中也能排上名次。《书剑》结构也不弱,作为处女作来说,横空出世,但陈家洛在小说中,在武林和历史的夹缝中,确实是扭曲的人。
说到这里,可能又要涉及到金庸武侠最核心的一个问题,即尽管他伟大到海纳百川,其实仍然不可能代表了整个武侠,而是属于武侠的一个分支,一个流派,属于武侠这一类型的一个细分类型,金庸武侠属于哪个细分类型?应该是属于“历史武侠”。
抓住这个,可能就抓住了关键,顺着这条河道上溯,确实能发现很多支流汇入到金庸河流的明确迹象,再上溯,则几乎能确定,金庸历史武侠的源头,是来自于法国作家大仲马的。
将人物(主角)置于历史的大舞台上,上演种种戏剧,本身还是小人物参与大事件的英雄梦想,即便在小说中始终是小人物,依然以其参与感,获得了自我实现,成为“英雄人物”。
但比大仲马晚生了122年的金庸,还不能像前辈那样娴熟地将人物置于历史事件和历史人物中谈笑风生,尤其是大仲马选择的是“传奇”叙事,可以无缝对接历史,金庸选择的却是“武侠”这样异质感较强的类型,面临的嫁接风险还要更超过大仲马,因此只能从民国武侠中寻找经验,但民国武侠小说更多的还是一种开枝散叶式的老式叙事传统,在金庸之前,并没有一位现代的小说作家金庸,所以金庸只好发挥他的天纵奇才,用红花会群雄去纵横捭阖,冲州撞府。
即便陈家洛在金庸过强的意志力下,如纸片人一般在历史和武侠的夹缝中辗转腾挪,毕竟金庸的结构又将一切圆了回去。
像后来黄易在《寻秦记》结尾用“焚书坑儒”硬刚,完美解决了项少龙的穿越问题,金庸也用陈家洛以“知识分子”的软弱,无骨地在武侠和历史之间将就,解决了武侠在历史夹缝中的生存问题,为几年后以“靖康之耻”的郭靖杨康,完美解决了武侠在历史缝隙中的发展问题——侠之大者,为国为民。
一个作家的全部,都写在他的处女作里了,也就是一个人的处女作“三岁看老”,他一生的创作密码都在里面了。
纵观金庸全部著作,可能也能发现这一点。很多书剑里面的青萍之末,在后来都成为席卷江湖的风云,像顾金标对霍青桐的“爱”,像香香公主的绝望,辉映后来杨过十六年后找不到小龙女的绝望。其实很期待看到这样一些系统的分析,比如:书剑如何影响未来金庸多年的创作,书剑的树木如何成长为金庸的森林。
作为职业编辑,职业病发作,忍不住要想,《书剑》是当时的最优解吗,还有没有可能改得更好,陈家洛有没有可能不那么讨厌,至少,像个活生生的人?且少一点槽点?
不是重写,不是全改,只做有限调整?
其实这里依然能看出金庸在解决问题上策略的进步:陈家洛,霍青桐,香香公主的关系,在射雕里面,与郭靖和华筝,黄蓉的关系,在天龙里面,与乔峰和阿朱,阿紫的关系,是一鱼三吃,是一道题的三个解。
郭靖先遇上华筝,把华筝当妹妹,再遇上黄蓉就可以自由相爱,乔峰先遇上阿朱,已经相爱,再遇到阿紫,只能结成姐夫和小姨子的关系。都是合情合理的,所以大众能接受。
在书剑里面,香香公主其实是比霍青桐重要的,因为她要被献给乾隆,承受悲剧命运,最强的戏剧梗,都在她这里,但她出场要晚,前期又必须要有女主角,不能空场,于是霍青桐早早出现。
先遇上霍青桐,爱上霍青桐,又遇上霍青桐的妹妹,又爱上妹妹,又把妹妹献给乾隆——这样的设计,放在现在,弹幕上的情形都可想而知。
所以要调整的话,一个思路是香香提前,比如她女扮男装(但书剑里又已有了李沅芷,后来又有了黄蓉),与霍青桐一道到中原,参与到主线剧情,霍青桐可以爱上陈家洛,但陈家洛不能爱上霍青桐,香香真正成为第一女主,到最后悲剧,其实香香自我牺牲,比陈家洛献妻更有戏剧性。
到最后也还是陈家洛和霍青桐在一起了。
并没有太大剧情的变化。中间再穿插一些香香公主撮合姐姐和陈家洛的剧情,虽然也可以视为烂梗,但也好使。
人设有没有颠覆性破坏?也没有。
作为既定事实存在时,书剑确实是不可撼动的,但也并不应该斩截地否定所有可能的,或脑洞式的修改。
因为很大程度上,这不仅不是否定金庸,甚至是用后来的更成熟出色的金庸,去改以前更青涩更缺少经验的金庸。
图中这一部分,其实还是陈家洛当时的“凡尔赛”,到后来他去皇宫,去见乾隆时的局促气,其实是还不及刘姥姥初进大观园时。在这里早就见出端倪了。
就好像金庸从陈家洛霍青桐香香三角关系的不通畅,迅速自查,经袁承志温青青阿九,到很快有了郭靖黄蓉华筝的成熟三角关系,金庸大概也意识到了,武侠人物的巅峰(主角)遇上皇帝,也正像是武侠遇上了历史,是必须要能平起平坐的。
所以他的视角不断由仰视下调到平视,韦小宝终于以妓女之子之身混到皇宫,与皇帝摔跤,并使皇帝成为他的便宜大舅子……之一。
金庸创作武侠的历史,就是他的进化史。
文泰来怎么还救不出来;
张召重怎么还打不死;
小说怎么还没结束;
陈家洛怎么这样气人。
当时只有这样的直观印象,到后来才能慢慢体会到,《书剑》的稚嫩,青涩和伟大之处。
其实是节奏出了问题,缺乏结构的助力,叙事上就会缺乏有效推进,车轱辘话来回说,难免会有希望快进的感受。
至于结构,金庸天赋卓绝,单论结构感,在全球通俗类型小说作家中也能排上名次。《书剑》结构也不弱,作为处女作来说,横空出世,但陈家洛在小说中,在武林和历史的夹缝中,确实是扭曲的人。
说到这里,可能又要涉及到金庸武侠最核心的一个问题,即尽管他伟大到海纳百川,其实仍然不可能代表了整个武侠,而是属于武侠的一个分支,一个流派,属于武侠这一类型的一个细分类型,金庸武侠属于哪个细分类型?应该是属于“历史武侠”。
抓住这个,可能就抓住了关键,顺着这条河道上溯,确实能发现很多支流汇入到金庸河流的明确迹象,再上溯,则几乎能确定,金庸历史武侠的源头,是来自于法国作家大仲马的。
将人物(主角)置于历史的大舞台上,上演种种戏剧,本身还是小人物参与大事件的英雄梦想,即便在小说中始终是小人物,依然以其参与感,获得了自我实现,成为“英雄人物”。
但比大仲马晚生了122年的金庸,还不能像前辈那样娴熟地将人物置于历史事件和历史人物中谈笑风生,尤其是大仲马选择的是“传奇”叙事,可以无缝对接历史,金庸选择的却是“武侠”这样异质感较强的类型,面临的嫁接风险还要更超过大仲马,因此只能从民国武侠中寻找经验,但民国武侠小说更多的还是一种开枝散叶式的老式叙事传统,在金庸之前,并没有一位现代的小说作家金庸,所以金庸只好发挥他的天纵奇才,用红花会群雄去纵横捭阖,冲州撞府。
即便陈家洛在金庸过强的意志力下,如纸片人一般在历史和武侠的夹缝中辗转腾挪,毕竟金庸的结构又将一切圆了回去。
像后来黄易在《寻秦记》结尾用“焚书坑儒”硬刚,完美解决了项少龙的穿越问题,金庸也用陈家洛以“知识分子”的软弱,无骨地在武侠和历史之间将就,解决了武侠在历史夹缝中的生存问题,为几年后以“靖康之耻”的郭靖杨康,完美解决了武侠在历史缝隙中的发展问题——侠之大者,为国为民。
一个作家的全部,都写在他的处女作里了,也就是一个人的处女作“三岁看老”,他一生的创作密码都在里面了。
纵观金庸全部著作,可能也能发现这一点。很多书剑里面的青萍之末,在后来都成为席卷江湖的风云,像顾金标对霍青桐的“爱”,像香香公主的绝望,辉映后来杨过十六年后找不到小龙女的绝望。其实很期待看到这样一些系统的分析,比如:书剑如何影响未来金庸多年的创作,书剑的树木如何成长为金庸的森林。
作为职业编辑,职业病发作,忍不住要想,《书剑》是当时的最优解吗,还有没有可能改得更好,陈家洛有没有可能不那么讨厌,至少,像个活生生的人?且少一点槽点?
不是重写,不是全改,只做有限调整?
其实这里依然能看出金庸在解决问题上策略的进步:陈家洛,霍青桐,香香公主的关系,在射雕里面,与郭靖和华筝,黄蓉的关系,在天龙里面,与乔峰和阿朱,阿紫的关系,是一鱼三吃,是一道题的三个解。
郭靖先遇上华筝,把华筝当妹妹,再遇上黄蓉就可以自由相爱,乔峰先遇上阿朱,已经相爱,再遇到阿紫,只能结成姐夫和小姨子的关系。都是合情合理的,所以大众能接受。
在书剑里面,香香公主其实是比霍青桐重要的,因为她要被献给乾隆,承受悲剧命运,最强的戏剧梗,都在她这里,但她出场要晚,前期又必须要有女主角,不能空场,于是霍青桐早早出现。
先遇上霍青桐,爱上霍青桐,又遇上霍青桐的妹妹,又爱上妹妹,又把妹妹献给乾隆——这样的设计,放在现在,弹幕上的情形都可想而知。
所以要调整的话,一个思路是香香提前,比如她女扮男装(但书剑里又已有了李沅芷,后来又有了黄蓉),与霍青桐一道到中原,参与到主线剧情,霍青桐可以爱上陈家洛,但陈家洛不能爱上霍青桐,香香真正成为第一女主,到最后悲剧,其实香香自我牺牲,比陈家洛献妻更有戏剧性。
到最后也还是陈家洛和霍青桐在一起了。
并没有太大剧情的变化。中间再穿插一些香香公主撮合姐姐和陈家洛的剧情,虽然也可以视为烂梗,但也好使。
人设有没有颠覆性破坏?也没有。
作为既定事实存在时,书剑确实是不可撼动的,但也并不应该斩截地否定所有可能的,或脑洞式的修改。
因为很大程度上,这不仅不是否定金庸,甚至是用后来的更成熟出色的金庸,去改以前更青涩更缺少经验的金庸。
图中这一部分,其实还是陈家洛当时的“凡尔赛”,到后来他去皇宫,去见乾隆时的局促气,其实是还不及刘姥姥初进大观园时。在这里早就见出端倪了。
就好像金庸从陈家洛霍青桐香香三角关系的不通畅,迅速自查,经袁承志温青青阿九,到很快有了郭靖黄蓉华筝的成熟三角关系,金庸大概也意识到了,武侠人物的巅峰(主角)遇上皇帝,也正像是武侠遇上了历史,是必须要能平起平坐的。
所以他的视角不断由仰视下调到平视,韦小宝终于以妓女之子之身混到皇宫,与皇帝摔跤,并使皇帝成为他的便宜大舅子……之一。
金庸创作武侠的历史,就是他的进化史。
出典:烏亭焉馬著『花江都歌舞妓年代記』
拙者せっしゃ親方と申すは、お立合いの中うちにご存知のお方もござりましょうが、お江戸を発たって二十里上方にじゅうりかみがた、相州小田原一色町そうしゅうおだわらいっしきまちをお過ぎなされて青物町あおものちょうを登りへおいでなさるれば,欄干橋虎屋藤右衛門らんかんばしとらやとうえもん、只今は剃髪ていはつ致して円斎えんさいと名乗りまする。
元朝がんちょうより大晦日おおつごもりまで、お手に入れまするこの薬は、昔、珍ちんの国の唐人とうじん外郎ういろうという人、わが朝ちょうへ来たり、帝みかどへ参内さんだいの折からこの薬を深く籠こめ置き、用ゆる時は一粒いちりゅうずつ、冠かぶりの隙間より取り出いだす。依よってその名を帝みかどより、透頂香とうちんこうと賜たまわる。即ち文字もじには「頂いただき・透すく・香におい」と書いて、とうちんこうと申す。
只今はこの薬、殊ことの外ほか世上せじょうに弘ひろまり、方々ほうぼうに似看板にせかんばんを出いだし、イヤ小田原の、灰俵の、さん俵の、炭俵のといろいろに申せども、平仮名をもって「ういろう」と致いたしたは親方円斎ばかり。もしやお立合いの中うちに熱海あたみか搭とうの沢へ湯冶とうじにお出いでなさるるか、又は伊勢いせ御参宮ごさんぐうの折りからは、必ず門違かどちがいなされまするな。お登りならば右の方かた、お下りなれば左側,八方はっぽうが八やつ棟むね、表が三みつ棟むね、玉堂造ぎょくどうづくり、破風はふには、菊に桐の薹とうの御紋を御赦免ごしゃめんあって系図正しき薬でござる。
いや最前さいぜんより 家名の自慢ばかり申しても、ご存知ない方には、正身しょうじんの胡椒こしょうの丸呑み、白河夜船しらかわよふね。さらば一粒いちりゅう食べかけて、その気味合いをお目にかけましょう。先まずこの薬をかように一粒いちりゅう舌の上にのせまして腹内ふくないへ納めますると、イヤどうも言えぬは、胃い・心しん・肺はい・肝かんがすこやかになって薫風くんぷう喉のんどより来たり。口中こうちゅう微涼びりょうを生ずるが如ごとし。魚鳥ぎょちょう・茸きのこ・麺類の食い合わせ、その外ほか万病まんびょう速効ある事、神かみの如ごとし。さてこの薬、第一の奇妙には、舌のまわることが、銭独楽ぜにごまがはだしで逃げる。ひょっと舌がまわり出すと、矢も盾もたまらぬじゃ。
そりゃそりゃそらそりゃ、まわってきたわ、まわってくるわ。アワヤ候のんどサタラナ舌したに、か牙げサ歯音しおん、ハマの二つは唇くちびるの軽重けいちょう、開合かいごうさわやかに、あかさたなはまやらわ、おこそとのほもよろお。一つへぎへぎに、へぎほしはじかみ、盆豆盆米盆牛蒡ぼんまめぼんごめぼんごぼう、摘み蓼たでつみ豆つみ山椒ざんしょう。書写山しょしゃざんの社僧正しゃそうじょう。粉米こごめのなまがみ粉米のなまがみこん粉米の小生こなまがみ、繻子しゅす・緋繻子ひじゅす、繻子・繻珍しゅっちん。親も嘉兵衛かへい子も嘉兵衛、親かへい子かへい子かへい親かへい。古栗ふるぐりの木の古切口ふるきりぐち、雨合羽あまがっぱか番合羽ばんがっぱか、貴様のきゃはんも皮脚絆かわぎゃはん、我等がきゃはんも皮脚絆。しっ皮袴かわばかまのしっぽころびを、三針みはりはり長にちょと縫うて、縫うてちょとぶんだせ。河原撫子かわらなでしこ・野石竹のぜきちく、のら如来、のら如来、三みのら如来に、六むのら如来。一寸いっすん先のお小仏こぼとけに、おけつまずきゃるな。細溝ほそどぶにどじょにょろり。京の生鱈なまだら奈良生学鰹ならなままながつお、ちょと四五貫目しごかんめ、お茶立だちょ茶立ちょ、ちゃっと立ちょ茶立ちょ、青竹あおだけ茶せんでお茶ちゃっと立ちゃ。
来るは来るは何が来る、高野の山のお杮こけら小僧、狸百匹たぬきひゃっぴき・箸百膳はしひゃくぜん・天目百杯てんもくひゃっぱい・棒八百本ぼうはっぴゃっぽん。武具馬具ぶぐばぐ、三みぶぐばぐ、合わせて武具馬具、六む武具馬具。菊栗きくくり、三菊栗、合わせて菊栗、六菊栗。麦むぎ、塵ごみ、むぎごみ、三みむぎごみ、合わせてむぎごみ、六むむぎごみ。あの長押なげしの長薙刀ながなぎなたは誰たが長薙刀ぞ。向こうの胡麻ごまがらは荏えのごまがらか真まごまがらか、あれこそほんの真胡麻殻まごまがら。がらぴいがらぴい風車かざぐるま。おきゃがれこぼし、おきゃがれ小法師こぼうし、ゆんべもこぼして又こぼした。たあぷぽぽ、たあぷぽぽ、ちりからちりからつったっぽ。たっぽたっぽ一干ちょうだこ、落ちたら煮て食お、煮ても焼いても食われぬ物は、五徳ごとく・鉄灸てっきゅう金熊童子かなぐまどうじに、石熊・石持ち・虎熊・虎きす。中にも東寺とうじの羅生門には、茨木童子いばらぎどうじがうで栗五合ぐりごんごう、つかんでお蒸むしゃる、彼かの頼光らいこうの膝元去らず。
鮒ふな・金柑きんかん・椎茸しいたけ・さだめて後段ごだんな、そば切り、そうめん、うどんか愚鈍ぐどんな、小新発知こしんぼち。小棚こだなの 小下こしたの小桶こおけにこ味噌が、こ有るぞ、小杓子こしゃくしこ持ってこ掬すくってこ寄こせ、おっと合点がってんだ、心得こごえたんぼの川崎・神奈川・程が谷・戸塚は走って行けば灸やいとを摺すりむく三里ばかりか、藤沢、平塚、大磯がしや、小磯の宿しゅくを七つ起きして早天早々そうてんそうそう相州小田原とうちん香。隠れござらぬ貴賎群衆きせんぐんじゅの花のお江戸の花ういろう、あれあの花を見てお心を御和おやわらぎやという、産子うぶこ、這はう子に至るまで、此の外郎ういろうの御評判、御存知ないとは申されまいまいつぶり、角つの出せ棒出せ、ぼうぼうまゆに、臼うす・杵きね・すりばち・ばちばちぐわらぐわらぐわらと羽目を弛はずして今日こんにちお出いでの何茂様いずれもさまに、上げねばならぬ、売らねばならぬと、息勢いきせい引っぱり 東方とうほう世界の薬の元締め、薬師如来やくしにょらいも照覧しょうらんあれと ホホ敬ってういろうはいらっしゃりませぬか。
拙者せっしゃ親方と申すは、お立合いの中うちにご存知のお方もござりましょうが、お江戸を発たって二十里上方にじゅうりかみがた、相州小田原一色町そうしゅうおだわらいっしきまちをお過ぎなされて青物町あおものちょうを登りへおいでなさるれば,欄干橋虎屋藤右衛門らんかんばしとらやとうえもん、只今は剃髪ていはつ致して円斎えんさいと名乗りまする。
元朝がんちょうより大晦日おおつごもりまで、お手に入れまするこの薬は、昔、珍ちんの国の唐人とうじん外郎ういろうという人、わが朝ちょうへ来たり、帝みかどへ参内さんだいの折からこの薬を深く籠こめ置き、用ゆる時は一粒いちりゅうずつ、冠かぶりの隙間より取り出いだす。依よってその名を帝みかどより、透頂香とうちんこうと賜たまわる。即ち文字もじには「頂いただき・透すく・香におい」と書いて、とうちんこうと申す。
只今はこの薬、殊ことの外ほか世上せじょうに弘ひろまり、方々ほうぼうに似看板にせかんばんを出いだし、イヤ小田原の、灰俵の、さん俵の、炭俵のといろいろに申せども、平仮名をもって「ういろう」と致いたしたは親方円斎ばかり。もしやお立合いの中うちに熱海あたみか搭とうの沢へ湯冶とうじにお出いでなさるるか、又は伊勢いせ御参宮ごさんぐうの折りからは、必ず門違かどちがいなされまするな。お登りならば右の方かた、お下りなれば左側,八方はっぽうが八やつ棟むね、表が三みつ棟むね、玉堂造ぎょくどうづくり、破風はふには、菊に桐の薹とうの御紋を御赦免ごしゃめんあって系図正しき薬でござる。
いや最前さいぜんより 家名の自慢ばかり申しても、ご存知ない方には、正身しょうじんの胡椒こしょうの丸呑み、白河夜船しらかわよふね。さらば一粒いちりゅう食べかけて、その気味合いをお目にかけましょう。先まずこの薬をかように一粒いちりゅう舌の上にのせまして腹内ふくないへ納めますると、イヤどうも言えぬは、胃い・心しん・肺はい・肝かんがすこやかになって薫風くんぷう喉のんどより来たり。口中こうちゅう微涼びりょうを生ずるが如ごとし。魚鳥ぎょちょう・茸きのこ・麺類の食い合わせ、その外ほか万病まんびょう速効ある事、神かみの如ごとし。さてこの薬、第一の奇妙には、舌のまわることが、銭独楽ぜにごまがはだしで逃げる。ひょっと舌がまわり出すと、矢も盾もたまらぬじゃ。
そりゃそりゃそらそりゃ、まわってきたわ、まわってくるわ。アワヤ候のんどサタラナ舌したに、か牙げサ歯音しおん、ハマの二つは唇くちびるの軽重けいちょう、開合かいごうさわやかに、あかさたなはまやらわ、おこそとのほもよろお。一つへぎへぎに、へぎほしはじかみ、盆豆盆米盆牛蒡ぼんまめぼんごめぼんごぼう、摘み蓼たでつみ豆つみ山椒ざんしょう。書写山しょしゃざんの社僧正しゃそうじょう。粉米こごめのなまがみ粉米のなまがみこん粉米の小生こなまがみ、繻子しゅす・緋繻子ひじゅす、繻子・繻珍しゅっちん。親も嘉兵衛かへい子も嘉兵衛、親かへい子かへい子かへい親かへい。古栗ふるぐりの木の古切口ふるきりぐち、雨合羽あまがっぱか番合羽ばんがっぱか、貴様のきゃはんも皮脚絆かわぎゃはん、我等がきゃはんも皮脚絆。しっ皮袴かわばかまのしっぽころびを、三針みはりはり長にちょと縫うて、縫うてちょとぶんだせ。河原撫子かわらなでしこ・野石竹のぜきちく、のら如来、のら如来、三みのら如来に、六むのら如来。一寸いっすん先のお小仏こぼとけに、おけつまずきゃるな。細溝ほそどぶにどじょにょろり。京の生鱈なまだら奈良生学鰹ならなままながつお、ちょと四五貫目しごかんめ、お茶立だちょ茶立ちょ、ちゃっと立ちょ茶立ちょ、青竹あおだけ茶せんでお茶ちゃっと立ちゃ。
来るは来るは何が来る、高野の山のお杮こけら小僧、狸百匹たぬきひゃっぴき・箸百膳はしひゃくぜん・天目百杯てんもくひゃっぱい・棒八百本ぼうはっぴゃっぽん。武具馬具ぶぐばぐ、三みぶぐばぐ、合わせて武具馬具、六む武具馬具。菊栗きくくり、三菊栗、合わせて菊栗、六菊栗。麦むぎ、塵ごみ、むぎごみ、三みむぎごみ、合わせてむぎごみ、六むむぎごみ。あの長押なげしの長薙刀ながなぎなたは誰たが長薙刀ぞ。向こうの胡麻ごまがらは荏えのごまがらか真まごまがらか、あれこそほんの真胡麻殻まごまがら。がらぴいがらぴい風車かざぐるま。おきゃがれこぼし、おきゃがれ小法師こぼうし、ゆんべもこぼして又こぼした。たあぷぽぽ、たあぷぽぽ、ちりからちりからつったっぽ。たっぽたっぽ一干ちょうだこ、落ちたら煮て食お、煮ても焼いても食われぬ物は、五徳ごとく・鉄灸てっきゅう金熊童子かなぐまどうじに、石熊・石持ち・虎熊・虎きす。中にも東寺とうじの羅生門には、茨木童子いばらぎどうじがうで栗五合ぐりごんごう、つかんでお蒸むしゃる、彼かの頼光らいこうの膝元去らず。
鮒ふな・金柑きんかん・椎茸しいたけ・さだめて後段ごだんな、そば切り、そうめん、うどんか愚鈍ぐどんな、小新発知こしんぼち。小棚こだなの 小下こしたの小桶こおけにこ味噌が、こ有るぞ、小杓子こしゃくしこ持ってこ掬すくってこ寄こせ、おっと合点がってんだ、心得こごえたんぼの川崎・神奈川・程が谷・戸塚は走って行けば灸やいとを摺すりむく三里ばかりか、藤沢、平塚、大磯がしや、小磯の宿しゅくを七つ起きして早天早々そうてんそうそう相州小田原とうちん香。隠れござらぬ貴賎群衆きせんぐんじゅの花のお江戸の花ういろう、あれあの花を見てお心を御和おやわらぎやという、産子うぶこ、這はう子に至るまで、此の外郎ういろうの御評判、御存知ないとは申されまいまいつぶり、角つの出せ棒出せ、ぼうぼうまゆに、臼うす・杵きね・すりばち・ばちばちぐわらぐわらぐわらと羽目を弛はずして今日こんにちお出いでの何茂様いずれもさまに、上げねばならぬ、売らねばならぬと、息勢いきせい引っぱり 東方とうほう世界の薬の元締め、薬師如来やくしにょらいも照覧しょうらんあれと ホホ敬ってういろうはいらっしゃりませぬか。
《人世间——笼中鸟》
说到精神病,脑海里冒出来的形象总是疯癫、充满危险的。但是这部纪录片,让我们看到了真正的患有精神疾病的人是怎样的。他们大多说话有逻辑,少数甚至颇有些文学功底。片中有一句话“这里面只有两种人,一种是太笨的,一种是太聪明的。”心里除了难过还是难过。大家总是强调这精神病不是正常人,所以正常人该是如何的呢?是把爸爸抛弃在医院,多年不给医药费玩失踪的女儿?还是虽然身在医院无法照顾母亲,也时时刻刻牵挂的精神病患者?有的人或许正常但也不正常,有的人或许不正常但却正常。他们只是一群内心脆弱,没能经受住世间苦难的可怜人儿罢了。我到现在也没有办法去判断怎样才算正常,或许人世间的标准太严苛,有的人累了吧。希望我们能摆脱那些刻板印象,内心正视、平视他们。如果有幸顺利康复,回归社会。我们能做的就是用爱去温暖他们。天才在左,疯子在右。夹在中间的我们,请放下你的有色眼镜。
说到精神病,脑海里冒出来的形象总是疯癫、充满危险的。但是这部纪录片,让我们看到了真正的患有精神疾病的人是怎样的。他们大多说话有逻辑,少数甚至颇有些文学功底。片中有一句话“这里面只有两种人,一种是太笨的,一种是太聪明的。”心里除了难过还是难过。大家总是强调这精神病不是正常人,所以正常人该是如何的呢?是把爸爸抛弃在医院,多年不给医药费玩失踪的女儿?还是虽然身在医院无法照顾母亲,也时时刻刻牵挂的精神病患者?有的人或许正常但也不正常,有的人或许不正常但却正常。他们只是一群内心脆弱,没能经受住世间苦难的可怜人儿罢了。我到现在也没有办法去判断怎样才算正常,或许人世间的标准太严苛,有的人累了吧。希望我们能摆脱那些刻板印象,内心正视、平视他们。如果有幸顺利康复,回归社会。我们能做的就是用爱去温暖他们。天才在左,疯子在右。夹在中间的我们,请放下你的有色眼镜。
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