当心中那位不速之客又来敲门的时候,从心里面开始地震过渡到透过门缝偷偷看,最后门帘大开,犹如风沙透蚀,匆匆来过,最后剩得满地苍夷。我们不能控制事情的走向,正如人生没有如果可言,就我而言,我知道我自己,但不完全知道,了解也不完全了解,但我相信自己,不为做过的决定耿耿于怀,我相信当时的我一定是深思之后才有如此决断。只是她的离开,我好像多了很多不舍,相思惊觉海非深,暗涌袭来,我无处可避;若教眼底无离恨,不信人间有白头,往往要靠离别后的痛觉来辨别情意之深浅,就像我前段时间就特别喜欢大惨大悲的港剧一样,也可能以往看的童话故事其实它本身并没有我们想的那么好吧,但是啊,阳光升起之后,的确温暖了我们,阳光落下,暗夜终将覆来,悲欢离合也总是情,我们终将在阳光下放声大笑。天冷了,注意加衣[挤眼][挤眼][挤眼]
【DIVOC-12】Interview 1/2
チャンスは自分から作っていくしかない 藤原季節
歩の年表を埋めたり衣装を着て生活することで余白をひとつひとつ埋めていった
――今作に参加されたきっかけを教えてください。
藤原 僕がW主演を務めた短編映画『中村屋酒店の兄弟』(20)が、「東京学生映画祭」というコンテストでグランプリをいただいたんですが、そのときの審査員が三島有紀子監督で、そこでご挨拶させて頂いたことがありました。いつか三島監督の作品に出演したいと思っていたので、この作品のお話をいただいたときはうれしかったですね。
――実際に作品をご覧になって、いかがでしたか?
藤原 この作品は世界の片隅で誰にも知られず生きている人たちが出会う物語だなと思っています。その人たちを取り巻く環境は閉塞しているけど、こういった状況を出会いという物語で打ち倒すんだという気概というか、気持ちにあふれた映画になっていて。現実を厳しく見つめながらも、物語にロマンを持っている三島監督だからこそ撮れた作品だと思いました。他の『DIVOC-12』の作品とはいい意味で全然似ていなくて、この作品に出演できて本当に幸せです。
――短編だけに余白が多く、説明されない部分も多かったと思います。
藤原 台本から読み取れることは本当に少なかったです。三島さんと初めて打ち合わせをしたときに、主人公の歩という人物に何があったのかが書かれた年表みたいなものをもらって、「どんどん自分で埋めていっていいから」と言われて。衣装が決まってからは普段から歩の衣装を着て生活させてもらって、歩という人物を自分の中に馴染ませていきました。最初に本を読んだ段階では余白の部分が多くて、「なぜこのセリフになってるんだろう」と簡単には結びつかなかったので、三島さんと相談しながら一つ一つ埋めていった感じです。
――それを演技で伝える難しさはありましたか?
藤原 画面の向こう側にどう届けるかというのは、監督や見てくださるお客さんにゆだねた部分は大きいです。自分自身がリアリティーを感じ、それを信じることが大切だと思いました。一つ一つ、目に見えないものを埋めていくことでようやく信じる気持ちが強くなっていくというか。自分の中でそういうものが弱いと、自分の存在は正解なのだろうかみたいな気持ちになって、立っているだけで不安になるような気がします。それを埋めていくことで初めて、現場に立っても怖くなくなるのかなと思っています。
――改めて三島監督の印象をお聞かせください。
藤原 現場でも、われ先に行くというか、誰よりも率先して傷つきにいく姿を見せてくださいます。三島さんが撮った『ぶどうのなみだ』(14)という映画は、大泉洋さん演じるアオがもがき苦しみながらやっと一本のワインを誕生させるという物語なんですけど、その主人公を地で体現している監督というか。10分の映画を撮るためにここまで魂を削っているんだなというのを間近で見せて頂きましたね。感受性が豊かな方ってたくさんいらっしゃると思うんですけど、三島さんは感受性がせき止められずにあふれ出ちゃっている感じです。
――共演した富司純子さんに対する印象を教えてください。
藤原 去年の緊急事態宣言中に、家でずっと高倉健さんの映画を見ていたんです。その中で富司さんが主演を務められている作品もあって、「この女優さん素晴らしいな」と思っていた矢先のことだったので、体が震えました。そんな伝説の方とご一緒できるんだ、と思って。でも実際にお会いするとすごく優しい方でした。完成した映画を見たときに一番驚いたのは、富司さんがあまりに軽やかに演じられていたことです。懸命さやひたむきさという分かりやすいことはさておき、もっともっとリアリティーを持って生活されていて。必死に生きていて、辛くて辛くてという人が何かを変えようとする映画じゃなくて、たくましく生きているけど「焼肉食べたい、ハーゲンダッツ食べたい」と思ったときに、人生を変えようとするっていうのはこの作品っぽいなと思いました。
一つの作品を通過するたびに大切な出会いが増えている
――富司さん演じる冬海さんと出会ったことで、歩が生き生きしてきたように思えました。
藤原 お金だとか目に見えるもの……、そういうものでしか大切なことを語れなくなっちゃっていたんだろうなと思います。僕もこの1年間でそうなってしまいそうだったんですけど、そのたびにこういう作品が人間らしいところに引き戻してくれている感じがしました。だから多分、歩にとっては冬海さんがまさにそういう存在だったのかな。大切なものはそれだけじゃないんだよと、心というものを取り戻すきっかけになったんだと思います。
――出演が発表されたときに、「この作品のことを思い出そうとすると頭が真っ白になります」とコメントされていたのも印象的です。
藤原 この作品のタイトルが入る場面を撮ったときに、余計なことは何も考えられなくなりました。自分自身がこの物語にすごく救われているんだなと思ったんです。それまで悶々とした生活を送っていて、携帯とかテレビから入ってくるいろいろな情報に自分自身が踊らされて、アタフタして暮らしていたんです。でも、あの海に立った瞬間だけは冬海さんの姿しか見えなかったので、そこに向かって駆け出していくときは、開放感に満ち溢れていました。三島さんが泥だらけになりながらそういう環境を与えてくださって、本当に頭が真っ白になるような感覚でしたね。たった2日間の撮影であそこまでひとつの役に入れ込んだことは初めてかもしれないですし、仮に撮影期間の長い作品であっても、現場に入る前に10日間役として生活するというのはやったことがなかったので、不思議な体験でした。この作品に自分自身が何かを懸けて臨んでいたな、と思います。
――『よろこびのうた』が伝えたいテーマは何だと思いますか?
藤原 言葉にするとちょっと簡単に聞こえてしまうかもしれないんですけど、不安や喜びを分かち合うということ。生きていると、一緒にいることでより悲しくなったりとか、よりうれしくなったりすることもありますよね。この人と出会わなければこんな苦しい思いをせずに済んだのにと思いつつ、この人と過ごしたから自分は豊かさを知ることができたなという。豊かさを知るのは痛みを伴うことだと思うんですけど、それがまさに歩にとって冬海さんと経験したことで、その後のカラオケのシーンでは涙が止まらなくなる。知らなくてもよかったかもしれないんですけど、僕は歩にとって必要な時間だったのかなと思いました。実はあのカラオケのシーン、ザ・ブルーハーツを歌っているんですよ。三島さんと一緒に決めたんです。
――歩が冬海さんに出会ったように、今までの人生で藤原さんにとって印象的な出会いはありますか?
藤原 たくさんありましたね。この映画でいえば冬海さん、三島監督との出会い、あと『DIVOC-12』には12本の映画が集まっていて、同世代の俳優や新しい監督たちともたくさん出会うことができました。僕の人生でいえば、二十歳のときの松田美由紀さんとの出会い、『his』(20)という映画で宮沢氷魚という男に出会ったこと、『佐々木、イン、マイマイン』(20)の細川岳。一つの作品を通過するたびに大切な出会いがどんどん増えている感じがします。逆にそれがあるから続けていられるのかもしれません。
――具体的にお名前があがった松田さんと宮沢さんとの出会いは、藤原さんにとってどんな出来事だったのでしょうか。
藤原 最近『his』を見直したんですけど、宮沢くんは一滴の涙も流さずに悲しみを表現していたんだなと思ったんです。なんて正々堂々と演技する人だろう、とすごい発見でした。一方の僕は、すべてのシーンでめそめそ泣きそうな感じで芝居していたんですけど、それを包むように宮沢くんは演技してくれたんだなと思って。撮影が終わって数年経って、こんなに支えてもらっていたんだなと彼の優しさに改めて気づきました。あんな俳優になりたいという意味でもすごく尊敬しています。高倉健さんの映画にハマっているときは、彼の家の前に「高倉健さんの映画観て」と置き手紙したこともありました(笑)。美由紀さんは僕にとって、唯一怒ってくれる存在。僕が熊本の天草で撮影していた「のさりの島」という映画の現場に会いに来てくれたこともあります。言葉では尽くせない恩がありますね。
https://t.cn/A6M6b0Pd
チャンスは自分から作っていくしかない 藤原季節
歩の年表を埋めたり衣装を着て生活することで余白をひとつひとつ埋めていった
――今作に参加されたきっかけを教えてください。
藤原 僕がW主演を務めた短編映画『中村屋酒店の兄弟』(20)が、「東京学生映画祭」というコンテストでグランプリをいただいたんですが、そのときの審査員が三島有紀子監督で、そこでご挨拶させて頂いたことがありました。いつか三島監督の作品に出演したいと思っていたので、この作品のお話をいただいたときはうれしかったですね。
――実際に作品をご覧になって、いかがでしたか?
藤原 この作品は世界の片隅で誰にも知られず生きている人たちが出会う物語だなと思っています。その人たちを取り巻く環境は閉塞しているけど、こういった状況を出会いという物語で打ち倒すんだという気概というか、気持ちにあふれた映画になっていて。現実を厳しく見つめながらも、物語にロマンを持っている三島監督だからこそ撮れた作品だと思いました。他の『DIVOC-12』の作品とはいい意味で全然似ていなくて、この作品に出演できて本当に幸せです。
――短編だけに余白が多く、説明されない部分も多かったと思います。
藤原 台本から読み取れることは本当に少なかったです。三島さんと初めて打ち合わせをしたときに、主人公の歩という人物に何があったのかが書かれた年表みたいなものをもらって、「どんどん自分で埋めていっていいから」と言われて。衣装が決まってからは普段から歩の衣装を着て生活させてもらって、歩という人物を自分の中に馴染ませていきました。最初に本を読んだ段階では余白の部分が多くて、「なぜこのセリフになってるんだろう」と簡単には結びつかなかったので、三島さんと相談しながら一つ一つ埋めていった感じです。
――それを演技で伝える難しさはありましたか?
藤原 画面の向こう側にどう届けるかというのは、監督や見てくださるお客さんにゆだねた部分は大きいです。自分自身がリアリティーを感じ、それを信じることが大切だと思いました。一つ一つ、目に見えないものを埋めていくことでようやく信じる気持ちが強くなっていくというか。自分の中でそういうものが弱いと、自分の存在は正解なのだろうかみたいな気持ちになって、立っているだけで不安になるような気がします。それを埋めていくことで初めて、現場に立っても怖くなくなるのかなと思っています。
――改めて三島監督の印象をお聞かせください。
藤原 現場でも、われ先に行くというか、誰よりも率先して傷つきにいく姿を見せてくださいます。三島さんが撮った『ぶどうのなみだ』(14)という映画は、大泉洋さん演じるアオがもがき苦しみながらやっと一本のワインを誕生させるという物語なんですけど、その主人公を地で体現している監督というか。10分の映画を撮るためにここまで魂を削っているんだなというのを間近で見せて頂きましたね。感受性が豊かな方ってたくさんいらっしゃると思うんですけど、三島さんは感受性がせき止められずにあふれ出ちゃっている感じです。
――共演した富司純子さんに対する印象を教えてください。
藤原 去年の緊急事態宣言中に、家でずっと高倉健さんの映画を見ていたんです。その中で富司さんが主演を務められている作品もあって、「この女優さん素晴らしいな」と思っていた矢先のことだったので、体が震えました。そんな伝説の方とご一緒できるんだ、と思って。でも実際にお会いするとすごく優しい方でした。完成した映画を見たときに一番驚いたのは、富司さんがあまりに軽やかに演じられていたことです。懸命さやひたむきさという分かりやすいことはさておき、もっともっとリアリティーを持って生活されていて。必死に生きていて、辛くて辛くてという人が何かを変えようとする映画じゃなくて、たくましく生きているけど「焼肉食べたい、ハーゲンダッツ食べたい」と思ったときに、人生を変えようとするっていうのはこの作品っぽいなと思いました。
一つの作品を通過するたびに大切な出会いが増えている
――富司さん演じる冬海さんと出会ったことで、歩が生き生きしてきたように思えました。
藤原 お金だとか目に見えるもの……、そういうものでしか大切なことを語れなくなっちゃっていたんだろうなと思います。僕もこの1年間でそうなってしまいそうだったんですけど、そのたびにこういう作品が人間らしいところに引き戻してくれている感じがしました。だから多分、歩にとっては冬海さんがまさにそういう存在だったのかな。大切なものはそれだけじゃないんだよと、心というものを取り戻すきっかけになったんだと思います。
――出演が発表されたときに、「この作品のことを思い出そうとすると頭が真っ白になります」とコメントされていたのも印象的です。
藤原 この作品のタイトルが入る場面を撮ったときに、余計なことは何も考えられなくなりました。自分自身がこの物語にすごく救われているんだなと思ったんです。それまで悶々とした生活を送っていて、携帯とかテレビから入ってくるいろいろな情報に自分自身が踊らされて、アタフタして暮らしていたんです。でも、あの海に立った瞬間だけは冬海さんの姿しか見えなかったので、そこに向かって駆け出していくときは、開放感に満ち溢れていました。三島さんが泥だらけになりながらそういう環境を与えてくださって、本当に頭が真っ白になるような感覚でしたね。たった2日間の撮影であそこまでひとつの役に入れ込んだことは初めてかもしれないですし、仮に撮影期間の長い作品であっても、現場に入る前に10日間役として生活するというのはやったことがなかったので、不思議な体験でした。この作品に自分自身が何かを懸けて臨んでいたな、と思います。
――『よろこびのうた』が伝えたいテーマは何だと思いますか?
藤原 言葉にするとちょっと簡単に聞こえてしまうかもしれないんですけど、不安や喜びを分かち合うということ。生きていると、一緒にいることでより悲しくなったりとか、よりうれしくなったりすることもありますよね。この人と出会わなければこんな苦しい思いをせずに済んだのにと思いつつ、この人と過ごしたから自分は豊かさを知ることができたなという。豊かさを知るのは痛みを伴うことだと思うんですけど、それがまさに歩にとって冬海さんと経験したことで、その後のカラオケのシーンでは涙が止まらなくなる。知らなくてもよかったかもしれないんですけど、僕は歩にとって必要な時間だったのかなと思いました。実はあのカラオケのシーン、ザ・ブルーハーツを歌っているんですよ。三島さんと一緒に決めたんです。
――歩が冬海さんに出会ったように、今までの人生で藤原さんにとって印象的な出会いはありますか?
藤原 たくさんありましたね。この映画でいえば冬海さん、三島監督との出会い、あと『DIVOC-12』には12本の映画が集まっていて、同世代の俳優や新しい監督たちともたくさん出会うことができました。僕の人生でいえば、二十歳のときの松田美由紀さんとの出会い、『his』(20)という映画で宮沢氷魚という男に出会ったこと、『佐々木、イン、マイマイン』(20)の細川岳。一つの作品を通過するたびに大切な出会いがどんどん増えている感じがします。逆にそれがあるから続けていられるのかもしれません。
――具体的にお名前があがった松田さんと宮沢さんとの出会いは、藤原さんにとってどんな出来事だったのでしょうか。
藤原 最近『his』を見直したんですけど、宮沢くんは一滴の涙も流さずに悲しみを表現していたんだなと思ったんです。なんて正々堂々と演技する人だろう、とすごい発見でした。一方の僕は、すべてのシーンでめそめそ泣きそうな感じで芝居していたんですけど、それを包むように宮沢くんは演技してくれたんだなと思って。撮影が終わって数年経って、こんなに支えてもらっていたんだなと彼の優しさに改めて気づきました。あんな俳優になりたいという意味でもすごく尊敬しています。高倉健さんの映画にハマっているときは、彼の家の前に「高倉健さんの映画観て」と置き手紙したこともありました(笑)。美由紀さんは僕にとって、唯一怒ってくれる存在。僕が熊本の天草で撮影していた「のさりの島」という映画の現場に会いに来てくれたこともあります。言葉では尽くせない恩がありますね。
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除了打坐禅定,还有一种“世间定”,修好了,一辈子都不会缺钱花!#修行必读#
然不然问:“请教莫先生,保持能知能觉的标准是什么?是不是除了睡觉,清醒时间都算?”
尽善尽美问:“知道自己在做什么事,心里想什么,能把握自己,算吗?”
我答:你们问到点子上了!要保持这个能知能觉的本心,分二个状态。
第一:日常工作之时,保持专心致志,心无旁骛的态度,这个心无杂念的专一境界也是一种定,但这个是世间定,世间定修得好可以得福报。比如说你画画时的定力很高,你会出名,会发财。你打蓝球很专心,很用功,你打球的水平全国第一,你说你会不缺钱花?如果你卖产品很专心,所以质量与服务在当地第一,你的生意会不好吗?这就是世间定,可得福报。
第二:修禅时的禅定可不是只要保持自己知道自己在做什么就可以了这么简单。
若修禅定,双盘单盘散盘都可以,但上座后身体绝对不可以有一丝动摇,只要你身体一动,就很难入定。
入定前,眼睛绝对不可以闭上,因为眼睛一闭百阴生,什么乱七八糟的幻象都出来了,要睁开眼睛,视鼻端白,目不转睛,先定几分钟后才可以收回来闭上。为什么初上座眼睛不可动?因为眼为心灵之窗。眼不动则心不动,心不动则眼不动。等到眼睛快自然闭上之时,才可以闭上。
闭上眼睛后,保持身材丝毫不动,只管我就是我,心即是佛。视而不见,听而不闻。知而不随,静而不昏。身心久静,元气充足,气脉自然会发动。
气脉发动时,万万不可惊慌。你若大惊小怪,或用意念去引导气脉,会造成气脉错乱的,这一点千万切记!还有,任何人的气脉发动都是先督后任,因为督脉是阳脉之海。只有小周天通了才能通大周天。气冲督脉三关,并非一冲就通的,我光督脉就冲了近百次才通。还有,通了大小周天没有什么了不起,你还是原来的你,不一定会飞天遁地,不要刻意追求什么神通,以免招邪。
上座后,如果你能保持身材纹丝不动,时时刻刻保持能知能觉的我,很快就可以见到自性月轮的。其实见到自性月轮是很容易的事情,只要你能放下经典的文字,保持平常心去修禅定。修行之人,世间烦恼是很容易放下的,像万贯家财不要的人多的是,放下荣华富贵不是难事。最难的是你的宗教信仰,是你深信不疑的文字。我不是叫你去诽佛谤经,而是放下,放下与诽谤是两码事。
修禅定的法门很多,但万变不离其宗。修任何一个法门,重点都是保持能知能觉的本心。
如著名的安般法门也如是,安般法门是佛陀教他的公子罗云尊者的,天下父母心,你说世尊教他儿子的法门会是一般的法门吗?见《增壹阿含经》安般品第十七云:
世尊告曰。于是。罗云。若有比丘乐于闲静无人之处。便正身正意。结跏趺坐。无他异念。系意鼻头。出息长知息长。入息长亦知息长。出息短亦知息短。入息短亦知息短。出息冷亦知息冷。入息冷亦知息冷。出息暖亦知息暖。入息暖亦知息暖。尽观身体入息出息。皆悉知之。有时有息亦复知有。又时无息亦复知无。若息从心出亦复知从心出。若息从心入亦复知从心入。如是。罗云。能修行安般者。则无愁忧恼乱之想。获大果报。得甘露味。
注:“出息长知息长。入息长亦知息长。出息短亦知息短。入息短亦知息短。出息冷亦知息冷。入息冷亦知息冷。出息暖亦知息暖。入息暖亦知息暖。”你看懂了没有?关键是你只管知道就可以了,万万不可拔苗助长。这个关键就丹道上说的火候,谓之“圣人传药不传火,从来火候少人知。”意重谓武火,意轻谓文火,这个火候就是似守非守,勿忘勿助,谓之药重半斤八两。你如果去抗制呼吸,刻意追求所谓的胎息,乃拔苗助长,无益身心,更难得定。不特安般法门如此,几乎二十五圣圆通法门皆是如此,保存正知正见的当下一念是关键。至于守窍,则不建议无师承者乱来,因为体质不同,境界不同,法脉不同,师承不同,守的位置都是不同的。至于无师自修者,宜一门深入,按次序去修。一步一个脚印,一步一个台阶,不要东修西学,心杂则到老一法不成。 https://t.cn/Rcdt451
然不然问:“请教莫先生,保持能知能觉的标准是什么?是不是除了睡觉,清醒时间都算?”
尽善尽美问:“知道自己在做什么事,心里想什么,能把握自己,算吗?”
我答:你们问到点子上了!要保持这个能知能觉的本心,分二个状态。
第一:日常工作之时,保持专心致志,心无旁骛的态度,这个心无杂念的专一境界也是一种定,但这个是世间定,世间定修得好可以得福报。比如说你画画时的定力很高,你会出名,会发财。你打蓝球很专心,很用功,你打球的水平全国第一,你说你会不缺钱花?如果你卖产品很专心,所以质量与服务在当地第一,你的生意会不好吗?这就是世间定,可得福报。
第二:修禅时的禅定可不是只要保持自己知道自己在做什么就可以了这么简单。
若修禅定,双盘单盘散盘都可以,但上座后身体绝对不可以有一丝动摇,只要你身体一动,就很难入定。
入定前,眼睛绝对不可以闭上,因为眼睛一闭百阴生,什么乱七八糟的幻象都出来了,要睁开眼睛,视鼻端白,目不转睛,先定几分钟后才可以收回来闭上。为什么初上座眼睛不可动?因为眼为心灵之窗。眼不动则心不动,心不动则眼不动。等到眼睛快自然闭上之时,才可以闭上。
闭上眼睛后,保持身材丝毫不动,只管我就是我,心即是佛。视而不见,听而不闻。知而不随,静而不昏。身心久静,元气充足,气脉自然会发动。
气脉发动时,万万不可惊慌。你若大惊小怪,或用意念去引导气脉,会造成气脉错乱的,这一点千万切记!还有,任何人的气脉发动都是先督后任,因为督脉是阳脉之海。只有小周天通了才能通大周天。气冲督脉三关,并非一冲就通的,我光督脉就冲了近百次才通。还有,通了大小周天没有什么了不起,你还是原来的你,不一定会飞天遁地,不要刻意追求什么神通,以免招邪。
上座后,如果你能保持身材纹丝不动,时时刻刻保持能知能觉的我,很快就可以见到自性月轮的。其实见到自性月轮是很容易的事情,只要你能放下经典的文字,保持平常心去修禅定。修行之人,世间烦恼是很容易放下的,像万贯家财不要的人多的是,放下荣华富贵不是难事。最难的是你的宗教信仰,是你深信不疑的文字。我不是叫你去诽佛谤经,而是放下,放下与诽谤是两码事。
修禅定的法门很多,但万变不离其宗。修任何一个法门,重点都是保持能知能觉的本心。
如著名的安般法门也如是,安般法门是佛陀教他的公子罗云尊者的,天下父母心,你说世尊教他儿子的法门会是一般的法门吗?见《增壹阿含经》安般品第十七云:
世尊告曰。于是。罗云。若有比丘乐于闲静无人之处。便正身正意。结跏趺坐。无他异念。系意鼻头。出息长知息长。入息长亦知息长。出息短亦知息短。入息短亦知息短。出息冷亦知息冷。入息冷亦知息冷。出息暖亦知息暖。入息暖亦知息暖。尽观身体入息出息。皆悉知之。有时有息亦复知有。又时无息亦复知无。若息从心出亦复知从心出。若息从心入亦复知从心入。如是。罗云。能修行安般者。则无愁忧恼乱之想。获大果报。得甘露味。
注:“出息长知息长。入息长亦知息长。出息短亦知息短。入息短亦知息短。出息冷亦知息冷。入息冷亦知息冷。出息暖亦知息暖。入息暖亦知息暖。”你看懂了没有?关键是你只管知道就可以了,万万不可拔苗助长。这个关键就丹道上说的火候,谓之“圣人传药不传火,从来火候少人知。”意重谓武火,意轻谓文火,这个火候就是似守非守,勿忘勿助,谓之药重半斤八两。你如果去抗制呼吸,刻意追求所谓的胎息,乃拔苗助长,无益身心,更难得定。不特安般法门如此,几乎二十五圣圆通法门皆是如此,保存正知正见的当下一念是关键。至于守窍,则不建议无师承者乱来,因为体质不同,境界不同,法脉不同,师承不同,守的位置都是不同的。至于无师自修者,宜一门深入,按次序去修。一步一个脚印,一步一个台阶,不要东修西学,心杂则到老一法不成。 https://t.cn/Rcdt451
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