福山雅治さんにインタビュー! 30年目の今、伝えたいこと
25ans2月号のスペシャルカバー版に登場。常に挑戦を続ける理由とは?
2021/01/31
2020年にデビュー30周年を迎え、昨年12月に12枚目となるオリジナルアルバム『AKIRA』をリリースした福山雅治さん。自らの表現のルーツに真摯に向き合ったという世界観、常に挑戦を続けるその内側に迫ります。
【音楽づくりに注力し自分の役割を模索した時期】
大人の男性の色香を感じさせるスーツ姿から、ライブを彷彿とさせるスポットライトを浴びたシーン、そして愛用のヴィンテージギターを奏でる静かな表情までと、多彩な撮影に応じてくれた福山雅治さん。まずは25ansのキーワード“エレガント”についてのイメージを伺いました。
「気品、知性、そういった言葉が思い浮かびますね。僕にエレガントな部分はほぼないと自覚してますが(笑)、ただ、もともと持ち合わせてないものだとしても、学校の勉強とは違った意味での学びで、知性や教養というものは死ぬまで自分なりに勉強し、身につける努力をしていくものだと思ってます。年を取る上でも、気をつけていたいことです」
インタビュー冒頭からかっこいい年齢の重ね方の秘訣を聞く思いですが、そうした意識こそ、その人の品性を決めるものなのかもしれません。
「品性…そうですね。僕自身、仕事でもプライベートでも人と会っているときは、品のあるなしは気になってしまいますね。ということは、他の人もこちらをそう見ているわけですから、“品のある人だな”と思われたほうがやはりいいですよね。ただそれは、“人気者になりたい”といったことではなく、相手に対して気持ちよくありたいということなんです。おそらくその気持ちよさは、エレガントであるとか、知性、教養といったものに裏打ちされている。そうして、気持ちのいい対人関係の空気感が生まれるんじゃないでしょうか。だから、そこは努力すべきだと思っています」
シンガーソングライター、俳優、ラジオパーソナリティなど多才な活躍のなかで、2020年はアーティストデビュー30周年の節目でした。ただしコロナ禍ゆえに、予定していた全国ツアーは'21年に延期。福山さんもまた、ライブパフォーマンスの機会を閉ざされたミュージシャンのひとりでした。
「単純に比較すべきものではないですが、東日本大震災や阪神・淡路大震災、近年の豪雨災害など、僕がデビューしてからの30年でも日本を揺るがす大きな自然災害が何度もありました。その度に当然ながら、僕たちエンターテインメントの出番は一瞬なくなるんです。被災された方たちにいちばん必要なのは、まず救助や支援、ボランティアの方々のお力など、生活に必要最低限なインフラですから。でも衣食住が整えば、本を読まなくても、テレビを見なくても、音楽を聴かなくてもいいかといえば、そうじゃない。気持ちや心の部分に寄り添えるものとして、エンターテインメントの出番がやってくる。今回のコロナウィルスでは、全世界が恐怖と不安に襲われている。そのなかで、やるべきこと、できることがあるはずだと模索していました。その結果プライベートスタジオを整えて音楽制作をし、スタジオライブを生放送したり、リモートでファンの皆さまとの新たなコミュニケーションを試みた。自分のやるべき役割を、より意識するようになりました」
【17歳で経験した父の死とニューアルバムでの覚悟】
福山さんはこのほど、オリジナルアルバムとしては6年8カ月ぶりとなる『AKIRA』をリリースしました。そのタイトルは亡きお父さまの名前。アルバムと同名の収録曲「AKIRA」には、デビュー以来テーマにしてきたという“死生観”が色濃く表現されています。そこに紡がれるのは、父から自身へとつながる、その命の連鎖への熱い想いです。
「17歳のときに父ががんで他界したんですが、そのときに起こった出来事、自分の心に刻まれた感情を歌にしようと、死生観を描くという作業はデビュー当時から着手してはいたんです。だけど、なかなかに難しいテーマですから、当時の僕自身の作曲技術や作詞の力では伝えたいことを描ききることができず、つくってはボツにしていました。でも、父親が他界した年齢に自分が近づいてきて、これはある種の締め切りだと自分自身で覚悟して。そこで父親の死に再度想いを巡らせ向き合いました」
家にいることは少なく、酒好きで、働いているところをあまり見なかった。けれど、地元長崎にスーパーカーショーのイベントが開催されたときには、息子を連れていってくれる、人を楽しませることが上手な“かっこいい父ちゃん”だった。
「フェラーリやランボルギーニを見て、『スーパーカー、乗りたか』と言ってたら、フェアレディZを友人から借りてきてくれて『ほら、ドライブ行こうや』と。子どもにとっては、小さな夢やちょっとした憧れをパパッと叶えてくれるかっこいい人でした」
その父を若くして失った悲しみや苦しみは、自らのソングライティング、表現そのもののベースになっているのだとも。
「父は相当に無念だったと思います。その父の“無念の向こう側”を僕が生きているのなら、『雅治が生まれてきてよかったな』と思ってもらいたい。その気持ちが自分の生き方や死生観につながっているんです。これまでも、自分の陽の部分で明るい歌を描きつつも、その死生観を土台にして楽曲を描き続けてきました」
福山さんが生み出す歌詞には、失敗や傷つくことをも含め、生きること全てを肯定してくれる懐の深さ、温かさを感じますが…。
「でもやはり、その向こうにあるのは言うなれば致死率100%という我々の人生です。人間は生まれたそのときから1分1秒、死に向かっている。17歳で父の闘病と他界を間近で見て、それからはその刹那を常に意識して生きてきたような気がします。ポップな歌でも、自分の死生観の表現をひと言でも加味することでより奥行きが生まれるし、伝えたかったテーマのより深い部分を補強することもできる」
生命の儚さを知るから、愛や希望の有難さ、生の輝きを描き出せる。最も深くパーソナルな心情こそ多くの人が共有できる普遍的な真実なのだと、福山さんの楽曲は気づかせてもくれます。
【ファンに支えられた30年。自分らしさと努力の軌跡】
「音楽活動30周年って、自分がよくやってきたというより、むしろファンの方たちの応援あってこその30周年だと。いま、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。育てていただいたし、活かしてもいただきました。僕は、作詞作曲を全部自分でできるようになったのは4枚目のアルバムからで、その前の3枚の間、技術や経験を積むまでの期間の猶予を、応援しながら与えてくれたのがファンの存在です。いまも応援してくれるから活動が続けられるし、新たなトライもできる。その挑戦がダメなら、『それは違うよ』と言ってもくれる。トライ&エラーを繰り返させてもらえるのはファンの方たちのおかげ。30周年はそのファンの皆さまへの感謝の年で、言うなれば内々のお祝いの年です」
ライブやラジオなどでファンとの交流を大切にしてきた福山さん。アルバム『AKIRA』の初回限定版には、リクエストから収録曲を決める『Slow Collection』という30周年記念のバラード作品集も企画されました。ファンだからこそ聴きたい名曲の数々が、ラインナップに連なっています。
「ファンの方たちの熱い気持ちが表れた投票結果でした。『家族になろうよ』といったメジャーな曲のなかで、『恋の中』のようなライブでしか歌ったことのない他アーティストへ楽曲提供した曲が上位になっていて。当初は投票結果を選曲の参考にする予定でしたが、ランキングを見て『いや、もうこの投票ランキングどおりじゃないとダメだ』と。おかげで未発表音源だった曲を弾き語りで再録する機会を得て、世の中に作品として誕生させることもできた。アルバム作品として幸せな着地ができたと思います」
「振り返れば福山さんの歌があった」という人は世に少なくないはずですが、多くの人々の想いを受け取る“スター”であることと、創作の根幹である“自分らしさ”とのバランスはどんなふうに?
「“スター”は(大泉)洋ちゃんの話が面白いからですよ(笑)。ただ、映画『マチネの終わりに』でご一緒した原作者の平野啓一郎さんの“分人”という考えに近いかもしれません。おそらく皆さんも、ひとりのとき、友だちや恋人、家族と一緒のとき、職場などにいるときの人格って、その場、その時で少しずつ違うと思うんです。状況で自分の人格を自動的に最適化している。僕も同じで、今回の撮影のようなポージングは日常ではしません(笑)。SNSネイティブ世代は公私の境界線があまりない傾向があると言われがちですが、僕なんかの世代だと本音と建前が当たり前にある。根っこは変わりませんが、枝葉は時々に使い分けていると思います」
楽曲の世界観を掘り下げる情熱と音楽づくりへのひたむきな努力、ファンへの愛情、自らへの客観視。福山さんがスターであり続ける理由、時代を切り拓く源が、垣間見えるようです。
25ans2月号のスペシャルカバー版に登場。常に挑戦を続ける理由とは?
2021/01/31
2020年にデビュー30周年を迎え、昨年12月に12枚目となるオリジナルアルバム『AKIRA』をリリースした福山雅治さん。自らの表現のルーツに真摯に向き合ったという世界観、常に挑戦を続けるその内側に迫ります。
【音楽づくりに注力し自分の役割を模索した時期】
大人の男性の色香を感じさせるスーツ姿から、ライブを彷彿とさせるスポットライトを浴びたシーン、そして愛用のヴィンテージギターを奏でる静かな表情までと、多彩な撮影に応じてくれた福山雅治さん。まずは25ansのキーワード“エレガント”についてのイメージを伺いました。
「気品、知性、そういった言葉が思い浮かびますね。僕にエレガントな部分はほぼないと自覚してますが(笑)、ただ、もともと持ち合わせてないものだとしても、学校の勉強とは違った意味での学びで、知性や教養というものは死ぬまで自分なりに勉強し、身につける努力をしていくものだと思ってます。年を取る上でも、気をつけていたいことです」
インタビュー冒頭からかっこいい年齢の重ね方の秘訣を聞く思いですが、そうした意識こそ、その人の品性を決めるものなのかもしれません。
「品性…そうですね。僕自身、仕事でもプライベートでも人と会っているときは、品のあるなしは気になってしまいますね。ということは、他の人もこちらをそう見ているわけですから、“品のある人だな”と思われたほうがやはりいいですよね。ただそれは、“人気者になりたい”といったことではなく、相手に対して気持ちよくありたいということなんです。おそらくその気持ちよさは、エレガントであるとか、知性、教養といったものに裏打ちされている。そうして、気持ちのいい対人関係の空気感が生まれるんじゃないでしょうか。だから、そこは努力すべきだと思っています」
シンガーソングライター、俳優、ラジオパーソナリティなど多才な活躍のなかで、2020年はアーティストデビュー30周年の節目でした。ただしコロナ禍ゆえに、予定していた全国ツアーは'21年に延期。福山さんもまた、ライブパフォーマンスの機会を閉ざされたミュージシャンのひとりでした。
「単純に比較すべきものではないですが、東日本大震災や阪神・淡路大震災、近年の豪雨災害など、僕がデビューしてからの30年でも日本を揺るがす大きな自然災害が何度もありました。その度に当然ながら、僕たちエンターテインメントの出番は一瞬なくなるんです。被災された方たちにいちばん必要なのは、まず救助や支援、ボランティアの方々のお力など、生活に必要最低限なインフラですから。でも衣食住が整えば、本を読まなくても、テレビを見なくても、音楽を聴かなくてもいいかといえば、そうじゃない。気持ちや心の部分に寄り添えるものとして、エンターテインメントの出番がやってくる。今回のコロナウィルスでは、全世界が恐怖と不安に襲われている。そのなかで、やるべきこと、できることがあるはずだと模索していました。その結果プライベートスタジオを整えて音楽制作をし、スタジオライブを生放送したり、リモートでファンの皆さまとの新たなコミュニケーションを試みた。自分のやるべき役割を、より意識するようになりました」
【17歳で経験した父の死とニューアルバムでの覚悟】
福山さんはこのほど、オリジナルアルバムとしては6年8カ月ぶりとなる『AKIRA』をリリースしました。そのタイトルは亡きお父さまの名前。アルバムと同名の収録曲「AKIRA」には、デビュー以来テーマにしてきたという“死生観”が色濃く表現されています。そこに紡がれるのは、父から自身へとつながる、その命の連鎖への熱い想いです。
「17歳のときに父ががんで他界したんですが、そのときに起こった出来事、自分の心に刻まれた感情を歌にしようと、死生観を描くという作業はデビュー当時から着手してはいたんです。だけど、なかなかに難しいテーマですから、当時の僕自身の作曲技術や作詞の力では伝えたいことを描ききることができず、つくってはボツにしていました。でも、父親が他界した年齢に自分が近づいてきて、これはある種の締め切りだと自分自身で覚悟して。そこで父親の死に再度想いを巡らせ向き合いました」
家にいることは少なく、酒好きで、働いているところをあまり見なかった。けれど、地元長崎にスーパーカーショーのイベントが開催されたときには、息子を連れていってくれる、人を楽しませることが上手な“かっこいい父ちゃん”だった。
「フェラーリやランボルギーニを見て、『スーパーカー、乗りたか』と言ってたら、フェアレディZを友人から借りてきてくれて『ほら、ドライブ行こうや』と。子どもにとっては、小さな夢やちょっとした憧れをパパッと叶えてくれるかっこいい人でした」
その父を若くして失った悲しみや苦しみは、自らのソングライティング、表現そのもののベースになっているのだとも。
「父は相当に無念だったと思います。その父の“無念の向こう側”を僕が生きているのなら、『雅治が生まれてきてよかったな』と思ってもらいたい。その気持ちが自分の生き方や死生観につながっているんです。これまでも、自分の陽の部分で明るい歌を描きつつも、その死生観を土台にして楽曲を描き続けてきました」
福山さんが生み出す歌詞には、失敗や傷つくことをも含め、生きること全てを肯定してくれる懐の深さ、温かさを感じますが…。
「でもやはり、その向こうにあるのは言うなれば致死率100%という我々の人生です。人間は生まれたそのときから1分1秒、死に向かっている。17歳で父の闘病と他界を間近で見て、それからはその刹那を常に意識して生きてきたような気がします。ポップな歌でも、自分の死生観の表現をひと言でも加味することでより奥行きが生まれるし、伝えたかったテーマのより深い部分を補強することもできる」
生命の儚さを知るから、愛や希望の有難さ、生の輝きを描き出せる。最も深くパーソナルな心情こそ多くの人が共有できる普遍的な真実なのだと、福山さんの楽曲は気づかせてもくれます。
【ファンに支えられた30年。自分らしさと努力の軌跡】
「音楽活動30周年って、自分がよくやってきたというより、むしろファンの方たちの応援あってこその30周年だと。いま、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。育てていただいたし、活かしてもいただきました。僕は、作詞作曲を全部自分でできるようになったのは4枚目のアルバムからで、その前の3枚の間、技術や経験を積むまでの期間の猶予を、応援しながら与えてくれたのがファンの存在です。いまも応援してくれるから活動が続けられるし、新たなトライもできる。その挑戦がダメなら、『それは違うよ』と言ってもくれる。トライ&エラーを繰り返させてもらえるのはファンの方たちのおかげ。30周年はそのファンの皆さまへの感謝の年で、言うなれば内々のお祝いの年です」
ライブやラジオなどでファンとの交流を大切にしてきた福山さん。アルバム『AKIRA』の初回限定版には、リクエストから収録曲を決める『Slow Collection』という30周年記念のバラード作品集も企画されました。ファンだからこそ聴きたい名曲の数々が、ラインナップに連なっています。
「ファンの方たちの熱い気持ちが表れた投票結果でした。『家族になろうよ』といったメジャーな曲のなかで、『恋の中』のようなライブでしか歌ったことのない他アーティストへ楽曲提供した曲が上位になっていて。当初は投票結果を選曲の参考にする予定でしたが、ランキングを見て『いや、もうこの投票ランキングどおりじゃないとダメだ』と。おかげで未発表音源だった曲を弾き語りで再録する機会を得て、世の中に作品として誕生させることもできた。アルバム作品として幸せな着地ができたと思います」
「振り返れば福山さんの歌があった」という人は世に少なくないはずですが、多くの人々の想いを受け取る“スター”であることと、創作の根幹である“自分らしさ”とのバランスはどんなふうに?
「“スター”は(大泉)洋ちゃんの話が面白いからですよ(笑)。ただ、映画『マチネの終わりに』でご一緒した原作者の平野啓一郎さんの“分人”という考えに近いかもしれません。おそらく皆さんも、ひとりのとき、友だちや恋人、家族と一緒のとき、職場などにいるときの人格って、その場、その時で少しずつ違うと思うんです。状況で自分の人格を自動的に最適化している。僕も同じで、今回の撮影のようなポージングは日常ではしません(笑)。SNSネイティブ世代は公私の境界線があまりない傾向があると言われがちですが、僕なんかの世代だと本音と建前が当たり前にある。根っこは変わりませんが、枝葉は時々に使い分けていると思います」
楽曲の世界観を掘り下げる情熱と音楽づくりへのひたむきな努力、ファンへの愛情、自らへの客観視。福山さんがスターであり続ける理由、時代を切り拓く源が、垣間見えるようです。
张静江八字
张静江八字,网上一搜,全是所谓的从杀。要是从了,走木火身旺运早就非穷即夭了。呵呵,这些也就这样的水平了。
什么是从杀,了无生气才从。张八字乙木坐未库,本来身就有根,怎么能从?
还说什么支化杀,你当未土食神丁火是虚的么?丁火隔金制酉会巳化火。巳酉丑不能合化也。
真正的是,年上食神生财,财生杀,杀旺。年月支酉丑化金化杀,日时支巳未拱午成食旺。食神生旺年透生财,时透杀,杀金虽重但有日时半会火局来制。略嫌日弱根微,行身旺强根处必然隆起。
观其八字,食杀两行成气,最忌的是已财透月。化食生杀,破格也,如无大运救应,必不能贵。
观其运,初行戊申,财杀重,小儿必多灾。十四后丁未,食旺运来制杀,丙午,丙火来合杀,乙巳,比来制财护食制杀,甲辰,甲己合去财星,时杀食制。一路走来,时杀都是被制被合,未能应凶,但身太弱了,一定惊险无比,刺激非常。
癸卯,卯未合木,身得强根,印透生身,巳酉丑化杀,杀在这步运能化,杀得纯粹,所以这步运才是他人生最巅峰的运气。最忌财无制损印,制化两碍,也局限了他的命这步运中大起大落。
癸卯后壬寅,驳杂无佳运,了了而收。
观其紫微盘,命无主星,命无主星,大起大落,容易受到他人教唆蛊惑。他这个命,日月夹财在田,应了书上说的,日月夹财田为富局。限行三宫皆是空,奔波非常。迁移机梁,人精伶非常,机灵,马屁精,见风使舵。阳巨忌在官,一生为官为名誉,不惜花光家财,官禄三合无辅无护,实为如司令无将无兵,不应去争权之命,福得同阴陷地,人品不怎么好,还好会禄存,否则遭屠。
附袁树珊批张静江命谱
命造:丁丑年,乙酉月,乙未日,辛巳时。此名八字,犹算式也。稍涉命书者,类能推演之。然欲鉴别其贵贱寿夭,又当于算式中求其算理。若徒泥形式,不明算理,但云七杀当头,食神吐秀,迷离惝恍,安有是处耶?查得八月十三,乃是乙木日元。古人以灌木喻之,言其非水灌溉,不足以滋长发荣也。今诞生于白露节后,时干透辛金,地支巳酉丑又联合金局,金刚木落,似有摧残之虑。然,得命宫癸卯,干水润木,支禄助木,此诚一将当关,万夫莫敌之上格,岂止傲霜骨在生意满园已哉。因是,人品清高,胸襟磊落,安内攘外,措国家于盘石之安;虎变龙翔,置生民于衽席之上。岂寸善片长、依本附木者所可同日而语耶。惟一生建设之点,大半属之东南。如往西北只可暂作传舍,未可长治久安。昔贤谓方位五行,能左右人之命造,可不加之意乎。若论已往之运,四十四岁前,惟乙木稍有扶掖,日无之功略见进展。其他丙火、午火、巳火等运,莫不挫折频遭。四十五至四十九岁,甲木兴,己土遥合,木从土化而不能助我之乙木,劳劳草草,仍少佳趣。五十岁实行到辰运水库也,亦冠带也。既与用神癸水、日元乙木共表同情,有不风起云涌,望重勋殊者乎?五十五岁初交癸运。癸水乃命中强有力之用神。一路行来,庐山面目,未肯轻以示人。一旦邂逅相逢其愉快必胜寻常十倍。惟初交之年辛未,与生年丁丑干克支冲,犹有驳杂耳。五十六岁壬申,毋庸消极,冬可勇为。五十七岁流年癸酉,昧者不察,感谓癸运癸年,二水克火,使年干丁火大受压近,莫不以恐惧悚惶言之。孰知癸乃乙木之正式用神,非丁为乙木之正式用神也。今癸运而逢癸年,正得同气相求,同声相应之妙。孟子有云:“得道多助”,其惟斯时乎!是年万勿怀疑胆怯,必期一鸣惊人。细按之:四、六、十月,镇静为宝,余月无心插柳柳竟成阴。除此岂人力也哉?五十八岁甲戌、五十九岁乙亥,驾轻就熟,顺理成章。此又莫之为而为也。六十岁交入卯运。卯运乙木日元之禄神,而又与命宫卯禄引为同调,众擎易举,众志成城,造极登峰,无为而治。此非文夫得志、志士扬眉之候耶?细按之:初交之年,丙子至六十三岁己卯,霞蔚云蒸,大观在目。六十四岁流年良辰,急流勇退,此其时也。六十五岁交入壬运。壬为阳水,较前运癸之阴水反形减色。此五年林下优游以乐晚景。七十岁交入寅运,藏火泄木,刑实非宜。而初交之年又值丙戌,干支俱属火,寒暑侵凌,不可不慎。遇此以后,寿近八旬。妻非一氏,子卜双枝。此又勿俟赘述也。
壬申立冬前十日,袁树珊谨评。
袁批张命中,支化巳酉丑杀局,能化命已从格了,袁解释中虽化杀局,但张命宫得禄不弱,不知是否说得通。书上说,命宫得禄,年月财重无劫比,生富贵之家,仿佛张命能应。袁也说了,癸卯运之前,身弱根微,挫折频遭。癸卯,扶身而起。袁评六十四后急流勇退,有点褒奖之意,但观其紫微盘,并不是急流勇退,而是实属无奈而已。
张静江八字,网上一搜,全是所谓的从杀。要是从了,走木火身旺运早就非穷即夭了。呵呵,这些也就这样的水平了。
什么是从杀,了无生气才从。张八字乙木坐未库,本来身就有根,怎么能从?
还说什么支化杀,你当未土食神丁火是虚的么?丁火隔金制酉会巳化火。巳酉丑不能合化也。
真正的是,年上食神生财,财生杀,杀旺。年月支酉丑化金化杀,日时支巳未拱午成食旺。食神生旺年透生财,时透杀,杀金虽重但有日时半会火局来制。略嫌日弱根微,行身旺强根处必然隆起。
观其八字,食杀两行成气,最忌的是已财透月。化食生杀,破格也,如无大运救应,必不能贵。
观其运,初行戊申,财杀重,小儿必多灾。十四后丁未,食旺运来制杀,丙午,丙火来合杀,乙巳,比来制财护食制杀,甲辰,甲己合去财星,时杀食制。一路走来,时杀都是被制被合,未能应凶,但身太弱了,一定惊险无比,刺激非常。
癸卯,卯未合木,身得强根,印透生身,巳酉丑化杀,杀在这步运能化,杀得纯粹,所以这步运才是他人生最巅峰的运气。最忌财无制损印,制化两碍,也局限了他的命这步运中大起大落。
癸卯后壬寅,驳杂无佳运,了了而收。
观其紫微盘,命无主星,命无主星,大起大落,容易受到他人教唆蛊惑。他这个命,日月夹财在田,应了书上说的,日月夹财田为富局。限行三宫皆是空,奔波非常。迁移机梁,人精伶非常,机灵,马屁精,见风使舵。阳巨忌在官,一生为官为名誉,不惜花光家财,官禄三合无辅无护,实为如司令无将无兵,不应去争权之命,福得同阴陷地,人品不怎么好,还好会禄存,否则遭屠。
附袁树珊批张静江命谱
命造:丁丑年,乙酉月,乙未日,辛巳时。此名八字,犹算式也。稍涉命书者,类能推演之。然欲鉴别其贵贱寿夭,又当于算式中求其算理。若徒泥形式,不明算理,但云七杀当头,食神吐秀,迷离惝恍,安有是处耶?查得八月十三,乃是乙木日元。古人以灌木喻之,言其非水灌溉,不足以滋长发荣也。今诞生于白露节后,时干透辛金,地支巳酉丑又联合金局,金刚木落,似有摧残之虑。然,得命宫癸卯,干水润木,支禄助木,此诚一将当关,万夫莫敌之上格,岂止傲霜骨在生意满园已哉。因是,人品清高,胸襟磊落,安内攘外,措国家于盘石之安;虎变龙翔,置生民于衽席之上。岂寸善片长、依本附木者所可同日而语耶。惟一生建设之点,大半属之东南。如往西北只可暂作传舍,未可长治久安。昔贤谓方位五行,能左右人之命造,可不加之意乎。若论已往之运,四十四岁前,惟乙木稍有扶掖,日无之功略见进展。其他丙火、午火、巳火等运,莫不挫折频遭。四十五至四十九岁,甲木兴,己土遥合,木从土化而不能助我之乙木,劳劳草草,仍少佳趣。五十岁实行到辰运水库也,亦冠带也。既与用神癸水、日元乙木共表同情,有不风起云涌,望重勋殊者乎?五十五岁初交癸运。癸水乃命中强有力之用神。一路行来,庐山面目,未肯轻以示人。一旦邂逅相逢其愉快必胜寻常十倍。惟初交之年辛未,与生年丁丑干克支冲,犹有驳杂耳。五十六岁壬申,毋庸消极,冬可勇为。五十七岁流年癸酉,昧者不察,感谓癸运癸年,二水克火,使年干丁火大受压近,莫不以恐惧悚惶言之。孰知癸乃乙木之正式用神,非丁为乙木之正式用神也。今癸运而逢癸年,正得同气相求,同声相应之妙。孟子有云:“得道多助”,其惟斯时乎!是年万勿怀疑胆怯,必期一鸣惊人。细按之:四、六、十月,镇静为宝,余月无心插柳柳竟成阴。除此岂人力也哉?五十八岁甲戌、五十九岁乙亥,驾轻就熟,顺理成章。此又莫之为而为也。六十岁交入卯运。卯运乙木日元之禄神,而又与命宫卯禄引为同调,众擎易举,众志成城,造极登峰,无为而治。此非文夫得志、志士扬眉之候耶?细按之:初交之年,丙子至六十三岁己卯,霞蔚云蒸,大观在目。六十四岁流年良辰,急流勇退,此其时也。六十五岁交入壬运。壬为阳水,较前运癸之阴水反形减色。此五年林下优游以乐晚景。七十岁交入寅运,藏火泄木,刑实非宜。而初交之年又值丙戌,干支俱属火,寒暑侵凌,不可不慎。遇此以后,寿近八旬。妻非一氏,子卜双枝。此又勿俟赘述也。
壬申立冬前十日,袁树珊谨评。
袁批张命中,支化巳酉丑杀局,能化命已从格了,袁解释中虽化杀局,但张命宫得禄不弱,不知是否说得通。书上说,命宫得禄,年月财重无劫比,生富贵之家,仿佛张命能应。袁也说了,癸卯运之前,身弱根微,挫折频遭。癸卯,扶身而起。袁评六十四后急流勇退,有点褒奖之意,但观其紫微盘,并不是急流勇退,而是实属无奈而已。
#黑泽黛雅[超话]#东京时间2021.1.1 00:00 ✔
Happy Birthday to Dia❤️
黑泽黛雅1.1生日快乐!!!
陪你度过的第四个生日❤️
请一直闪闪发光下去吧!
我的小偶像✨
これは私があなたと一緒に過ごした4番目の誕生日です あなたはいつも思いやりのあるお姉さんで、まじめに仕事をする会長とツンデレお嬢様です もちろん私の宝物です。
✨ ✨ ✨ ✨ と輝いてください✨ ✨ ✨ ✨
——私のアイドル❤️
Happy Birthday to Dia❤️
黑泽黛雅1.1生日快乐!!!
陪你度过的第四个生日❤️
请一直闪闪发光下去吧!
我的小偶像✨
これは私があなたと一緒に過ごした4番目の誕生日です あなたはいつも思いやりのあるお姉さんで、まじめに仕事をする会長とツンデレお嬢様です もちろん私の宝物です。
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