忆持南无羌佛,念念不离南无阿弥陀佛
我们要生发出离心,今生发愿去佛土。时时忆持南无羌佛,念念不离阿弥陀佛,像侯欲善居士那样,心心念念去极乐世界….
人生如同一场戏,每个人拿着不同的剧本,上演着悲欢离合。我们都希望自己的故事有个完美的结局,然而现实有时往往充满了无奈和辛酸。有的人剧本开始没多久,就不得不落下了最后的句号,令人感慨万分。
一、母子情深,放不下的手
安徽临泉一位癌症晚期的单亲母亲在病房中与11岁儿子的互动视频,牵动着人们的心弦。
“我不畏惧死亡,却畏惧你羽翼未丰无人护”,这应该是这位患癌的单身母亲临终前最后的牵挂。
母亲的手与儿子的小手紧紧相握。一人放不下,一人舍不得。这种生离死别的牵挂,让人心痛难忍。
母亲已经说不出话,但慈爱的眼神注视着孩子的小脸。懂事的孩子跪在地上泪流满面,时不时与妈妈两额相抵,鼓励妈妈坚强,向妈妈保证一定听话考上大学报答母恩。
可如今,病魔无情,纵万般不舍,妈妈还是带着伤心、遗憾永远离去了。
二、病房紧握的手,再难也放不开
“你醒醒呀,醒醒呀。你坚强点,要挺过来,你丢下我,我可怎么办呀,这个家你让我怎办……”
憔悴不堪的妻子声音嘶哑,紧紧抓着丈夫苍白无力的手,凌乱的头发像被生活压垮了的稻草。
隔壁病床46岁的山东男子,昏迷了3天。当初夫妻俩带着三个孩子在苏州打工,虽艰辛,但一家子聚在一起,苦中有乐。
男子当被查出鼻咽癌后住院,经历了放疗、化疗,苦不堪言,但更难过的是由此产生的巨额医疗费。
男子醒来后,把头深深捂在被子里,身体伴随着压抑的呜咽而颤抖。后来他一反常态拼命骂妻子,还打了她几个耳光,想赶她走。他甚至爬到了顶楼阳台,要跳楼来了脱病苦,这样就不会给家人带来负担。妻子跪在地上紧紧抱住丈夫的双腿,哭喊着,只要你好好的,我们有难同当……今天你要跳我也跳,你不要这个家我也不管了!
在众人的劝说下,男子终于退了下来,两人相拥而泣。
三、紧紧抓住妻子的手,还想续前缘
我家师兄高烧40度,因癌症导致肺部又感染了。他每次咳嗽脸都憋得通红,甚至大汗淋漓,痰咳不出,也吸不进。
医院怕并发症,下了病危通知书。此后他就一直紧紧抓住我的手,喘着气说:“我这辈子不遗憾了,孩子们也竭力为我医治,我清楚这回我逃不过业力这关了。你尽心尽力在病床前侍候了我这么久,我已经很满足了。年轻时我们年龄悬殊,总担心你要甩了我,但你多年来一心一意为我们这个家操劳,跟着我却没享到福。我最放不下的就是你,我们来世再做夫妻吧。”
我说:“你烧昏头了吧,生老病死苦你还没受够,还要沉溺在这六道中轮回中?夫妻因缘会随因果业力而了,今生要各自求解脱。你也在学佛,因果道理怎么忘了?我不会答应与你再结尘缘,我们要生发出离心,今生发愿去佛土。你也要发心发愿,时时忆持南无羌佛,念念不离阿弥陀佛,像侯欲善居士那样,心心念念去极乐世界。时间不多了,赶紧警醒!”
我们的世界都是一场悲欢离合的闹市梦,每个人受各自的因果业力牵引,难免不经历坎坷,品尝苦涩。无论善缘恶缘,不管何时何地,只要心中的信念不枯萎,心中自有光明照耀。即使风凄苦雨,又奈何我呢?无论悲喜,唯有自渡!
我们要生发出离心,今生发愿去佛土。时时忆持南无羌佛,念念不离阿弥陀佛,像侯欲善居士那样,心心念念去极乐世界….
人生如同一场戏,每个人拿着不同的剧本,上演着悲欢离合。我们都希望自己的故事有个完美的结局,然而现实有时往往充满了无奈和辛酸。有的人剧本开始没多久,就不得不落下了最后的句号,令人感慨万分。
一、母子情深,放不下的手
安徽临泉一位癌症晚期的单亲母亲在病房中与11岁儿子的互动视频,牵动着人们的心弦。
“我不畏惧死亡,却畏惧你羽翼未丰无人护”,这应该是这位患癌的单身母亲临终前最后的牵挂。
母亲的手与儿子的小手紧紧相握。一人放不下,一人舍不得。这种生离死别的牵挂,让人心痛难忍。
母亲已经说不出话,但慈爱的眼神注视着孩子的小脸。懂事的孩子跪在地上泪流满面,时不时与妈妈两额相抵,鼓励妈妈坚强,向妈妈保证一定听话考上大学报答母恩。
可如今,病魔无情,纵万般不舍,妈妈还是带着伤心、遗憾永远离去了。
二、病房紧握的手,再难也放不开
“你醒醒呀,醒醒呀。你坚强点,要挺过来,你丢下我,我可怎么办呀,这个家你让我怎办……”
憔悴不堪的妻子声音嘶哑,紧紧抓着丈夫苍白无力的手,凌乱的头发像被生活压垮了的稻草。
隔壁病床46岁的山东男子,昏迷了3天。当初夫妻俩带着三个孩子在苏州打工,虽艰辛,但一家子聚在一起,苦中有乐。
男子当被查出鼻咽癌后住院,经历了放疗、化疗,苦不堪言,但更难过的是由此产生的巨额医疗费。
男子醒来后,把头深深捂在被子里,身体伴随着压抑的呜咽而颤抖。后来他一反常态拼命骂妻子,还打了她几个耳光,想赶她走。他甚至爬到了顶楼阳台,要跳楼来了脱病苦,这样就不会给家人带来负担。妻子跪在地上紧紧抱住丈夫的双腿,哭喊着,只要你好好的,我们有难同当……今天你要跳我也跳,你不要这个家我也不管了!
在众人的劝说下,男子终于退了下来,两人相拥而泣。
三、紧紧抓住妻子的手,还想续前缘
我家师兄高烧40度,因癌症导致肺部又感染了。他每次咳嗽脸都憋得通红,甚至大汗淋漓,痰咳不出,也吸不进。
医院怕并发症,下了病危通知书。此后他就一直紧紧抓住我的手,喘着气说:“我这辈子不遗憾了,孩子们也竭力为我医治,我清楚这回我逃不过业力这关了。你尽心尽力在病床前侍候了我这么久,我已经很满足了。年轻时我们年龄悬殊,总担心你要甩了我,但你多年来一心一意为我们这个家操劳,跟着我却没享到福。我最放不下的就是你,我们来世再做夫妻吧。”
我说:“你烧昏头了吧,生老病死苦你还没受够,还要沉溺在这六道中轮回中?夫妻因缘会随因果业力而了,今生要各自求解脱。你也在学佛,因果道理怎么忘了?我不会答应与你再结尘缘,我们要生发出离心,今生发愿去佛土。你也要发心发愿,时时忆持南无羌佛,念念不离阿弥陀佛,像侯欲善居士那样,心心念念去极乐世界。时间不多了,赶紧警醒!”
我们的世界都是一场悲欢离合的闹市梦,每个人受各自的因果业力牵引,难免不经历坎坷,品尝苦涩。无论善缘恶缘,不管何时何地,只要心中的信念不枯萎,心中自有光明照耀。即使风凄苦雨,又奈何我呢?无论悲喜,唯有自渡!
我们在自己的人生中总想得到更多人的肯定,就像在一场辩论中,我们总会希望自己的持方能够打动更多的人,获得更多的投票。这种想法本身没有任何的问题;在辩论赛里,在一个游戏中更是没有问题的。但在人生中,有的时候并非如此,努力做好一切依然需要,但往往更加需要放掉自己的贪念,让接受你的人接受你,让不接受你的人不投给你票,然后接受那个结果。
我们不要总以为完成了什么工作,克服了什么问题,忍受了什么伤痛,就可以投入到我的生活中去了。在这么做了数年之后,会发现,完成的那份工作、解决的那个问题、忍受的那些痛苦,正是生活本身。 https://t.cn/z854Wgj
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福山雅治さんにインタビュー! 30年目の今、伝えたいこと
25ans2月号のスペシャルカバー版に登場。常に挑戦を続ける理由とは?
2021/01/31
2020年にデビュー30周年を迎え、昨年12月に12枚目となるオリジナルアルバム『AKIRA』をリリースした福山雅治さん。自らの表現のルーツに真摯に向き合ったという世界観、常に挑戦を続けるその内側に迫ります。
【音楽づくりに注力し自分の役割を模索した時期】
大人の男性の色香を感じさせるスーツ姿から、ライブを彷彿とさせるスポットライトを浴びたシーン、そして愛用のヴィンテージギターを奏でる静かな表情までと、多彩な撮影に応じてくれた福山雅治さん。まずは25ansのキーワード“エレガント”についてのイメージを伺いました。
「気品、知性、そういった言葉が思い浮かびますね。僕にエレガントな部分はほぼないと自覚してますが(笑)、ただ、もともと持ち合わせてないものだとしても、学校の勉強とは違った意味での学びで、知性や教養というものは死ぬまで自分なりに勉強し、身につける努力をしていくものだと思ってます。年を取る上でも、気をつけていたいことです」
インタビュー冒頭からかっこいい年齢の重ね方の秘訣を聞く思いですが、そうした意識こそ、その人の品性を決めるものなのかもしれません。
「品性…そうですね。僕自身、仕事でもプライベートでも人と会っているときは、品のあるなしは気になってしまいますね。ということは、他の人もこちらをそう見ているわけですから、“品のある人だな”と思われたほうがやはりいいですよね。ただそれは、“人気者になりたい”といったことではなく、相手に対して気持ちよくありたいということなんです。おそらくその気持ちよさは、エレガントであるとか、知性、教養といったものに裏打ちされている。そうして、気持ちのいい対人関係の空気感が生まれるんじゃないでしょうか。だから、そこは努力すべきだと思っています」
シンガーソングライター、俳優、ラジオパーソナリティなど多才な活躍のなかで、2020年はアーティストデビュー30周年の節目でした。ただしコロナ禍ゆえに、予定していた全国ツアーは'21年に延期。福山さんもまた、ライブパフォーマンスの機会を閉ざされたミュージシャンのひとりでした。
「単純に比較すべきものではないですが、東日本大震災や阪神・淡路大震災、近年の豪雨災害など、僕がデビューしてからの30年でも日本を揺るがす大きな自然災害が何度もありました。その度に当然ながら、僕たちエンターテインメントの出番は一瞬なくなるんです。被災された方たちにいちばん必要なのは、まず救助や支援、ボランティアの方々のお力など、生活に必要最低限なインフラですから。でも衣食住が整えば、本を読まなくても、テレビを見なくても、音楽を聴かなくてもいいかといえば、そうじゃない。気持ちや心の部分に寄り添えるものとして、エンターテインメントの出番がやってくる。今回のコロナウィルスでは、全世界が恐怖と不安に襲われている。そのなかで、やるべきこと、できることがあるはずだと模索していました。その結果プライベートスタジオを整えて音楽制作をし、スタジオライブを生放送したり、リモートでファンの皆さまとの新たなコミュニケーションを試みた。自分のやるべき役割を、より意識するようになりました」
【17歳で経験した父の死とニューアルバムでの覚悟】
福山さんはこのほど、オリジナルアルバムとしては6年8カ月ぶりとなる『AKIRA』をリリースしました。そのタイトルは亡きお父さまの名前。アルバムと同名の収録曲「AKIRA」には、デビュー以来テーマにしてきたという“死生観”が色濃く表現されています。そこに紡がれるのは、父から自身へとつながる、その命の連鎖への熱い想いです。
「17歳のときに父ががんで他界したんですが、そのときに起こった出来事、自分の心に刻まれた感情を歌にしようと、死生観を描くという作業はデビュー当時から着手してはいたんです。だけど、なかなかに難しいテーマですから、当時の僕自身の作曲技術や作詞の力では伝えたいことを描ききることができず、つくってはボツにしていました。でも、父親が他界した年齢に自分が近づいてきて、これはある種の締め切りだと自分自身で覚悟して。そこで父親の死に再度想いを巡らせ向き合いました」
家にいることは少なく、酒好きで、働いているところをあまり見なかった。けれど、地元長崎にスーパーカーショーのイベントが開催されたときには、息子を連れていってくれる、人を楽しませることが上手な“かっこいい父ちゃん”だった。
「フェラーリやランボルギーニを見て、『スーパーカー、乗りたか』と言ってたら、フェアレディZを友人から借りてきてくれて『ほら、ドライブ行こうや』と。子どもにとっては、小さな夢やちょっとした憧れをパパッと叶えてくれるかっこいい人でした」
その父を若くして失った悲しみや苦しみは、自らのソングライティング、表現そのもののベースになっているのだとも。
「父は相当に無念だったと思います。その父の“無念の向こう側”を僕が生きているのなら、『雅治が生まれてきてよかったな』と思ってもらいたい。その気持ちが自分の生き方や死生観につながっているんです。これまでも、自分の陽の部分で明るい歌を描きつつも、その死生観を土台にして楽曲を描き続けてきました」
福山さんが生み出す歌詞には、失敗や傷つくことをも含め、生きること全てを肯定してくれる懐の深さ、温かさを感じますが…。
「でもやはり、その向こうにあるのは言うなれば致死率100%という我々の人生です。人間は生まれたそのときから1分1秒、死に向かっている。17歳で父の闘病と他界を間近で見て、それからはその刹那を常に意識して生きてきたような気がします。ポップな歌でも、自分の死生観の表現をひと言でも加味することでより奥行きが生まれるし、伝えたかったテーマのより深い部分を補強することもできる」
生命の儚さを知るから、愛や希望の有難さ、生の輝きを描き出せる。最も深くパーソナルな心情こそ多くの人が共有できる普遍的な真実なのだと、福山さんの楽曲は気づかせてもくれます。
【ファンに支えられた30年。自分らしさと努力の軌跡】
「音楽活動30周年って、自分がよくやってきたというより、むしろファンの方たちの応援あってこその30周年だと。いま、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。育てていただいたし、活かしてもいただきました。僕は、作詞作曲を全部自分でできるようになったのは4枚目のアルバムからで、その前の3枚の間、技術や経験を積むまでの期間の猶予を、応援しながら与えてくれたのがファンの存在です。いまも応援してくれるから活動が続けられるし、新たなトライもできる。その挑戦がダメなら、『それは違うよ』と言ってもくれる。トライ&エラーを繰り返させてもらえるのはファンの方たちのおかげ。30周年はそのファンの皆さまへの感謝の年で、言うなれば内々のお祝いの年です」
ライブやラジオなどでファンとの交流を大切にしてきた福山さん。アルバム『AKIRA』の初回限定版には、リクエストから収録曲を決める『Slow Collection』という30周年記念のバラード作品集も企画されました。ファンだからこそ聴きたい名曲の数々が、ラインナップに連なっています。
「ファンの方たちの熱い気持ちが表れた投票結果でした。『家族になろうよ』といったメジャーな曲のなかで、『恋の中』のようなライブでしか歌ったことのない他アーティストへ楽曲提供した曲が上位になっていて。当初は投票結果を選曲の参考にする予定でしたが、ランキングを見て『いや、もうこの投票ランキングどおりじゃないとダメだ』と。おかげで未発表音源だった曲を弾き語りで再録する機会を得て、世の中に作品として誕生させることもできた。アルバム作品として幸せな着地ができたと思います」
「振り返れば福山さんの歌があった」という人は世に少なくないはずですが、多くの人々の想いを受け取る“スター”であることと、創作の根幹である“自分らしさ”とのバランスはどんなふうに?
「“スター”は(大泉)洋ちゃんの話が面白いからですよ(笑)。ただ、映画『マチネの終わりに』でご一緒した原作者の平野啓一郎さんの“分人”という考えに近いかもしれません。おそらく皆さんも、ひとりのとき、友だちや恋人、家族と一緒のとき、職場などにいるときの人格って、その場、その時で少しずつ違うと思うんです。状況で自分の人格を自動的に最適化している。僕も同じで、今回の撮影のようなポージングは日常ではしません(笑)。SNSネイティブ世代は公私の境界線があまりない傾向があると言われがちですが、僕なんかの世代だと本音と建前が当たり前にある。根っこは変わりませんが、枝葉は時々に使い分けていると思います」
楽曲の世界観を掘り下げる情熱と音楽づくりへのひたむきな努力、ファンへの愛情、自らへの客観視。福山さんがスターであり続ける理由、時代を切り拓く源が、垣間見えるようです。
25ans2月号のスペシャルカバー版に登場。常に挑戦を続ける理由とは?
2021/01/31
2020年にデビュー30周年を迎え、昨年12月に12枚目となるオリジナルアルバム『AKIRA』をリリースした福山雅治さん。自らの表現のルーツに真摯に向き合ったという世界観、常に挑戦を続けるその内側に迫ります。
【音楽づくりに注力し自分の役割を模索した時期】
大人の男性の色香を感じさせるスーツ姿から、ライブを彷彿とさせるスポットライトを浴びたシーン、そして愛用のヴィンテージギターを奏でる静かな表情までと、多彩な撮影に応じてくれた福山雅治さん。まずは25ansのキーワード“エレガント”についてのイメージを伺いました。
「気品、知性、そういった言葉が思い浮かびますね。僕にエレガントな部分はほぼないと自覚してますが(笑)、ただ、もともと持ち合わせてないものだとしても、学校の勉強とは違った意味での学びで、知性や教養というものは死ぬまで自分なりに勉強し、身につける努力をしていくものだと思ってます。年を取る上でも、気をつけていたいことです」
インタビュー冒頭からかっこいい年齢の重ね方の秘訣を聞く思いですが、そうした意識こそ、その人の品性を決めるものなのかもしれません。
「品性…そうですね。僕自身、仕事でもプライベートでも人と会っているときは、品のあるなしは気になってしまいますね。ということは、他の人もこちらをそう見ているわけですから、“品のある人だな”と思われたほうがやはりいいですよね。ただそれは、“人気者になりたい”といったことではなく、相手に対して気持ちよくありたいということなんです。おそらくその気持ちよさは、エレガントであるとか、知性、教養といったものに裏打ちされている。そうして、気持ちのいい対人関係の空気感が生まれるんじゃないでしょうか。だから、そこは努力すべきだと思っています」
シンガーソングライター、俳優、ラジオパーソナリティなど多才な活躍のなかで、2020年はアーティストデビュー30周年の節目でした。ただしコロナ禍ゆえに、予定していた全国ツアーは'21年に延期。福山さんもまた、ライブパフォーマンスの機会を閉ざされたミュージシャンのひとりでした。
「単純に比較すべきものではないですが、東日本大震災や阪神・淡路大震災、近年の豪雨災害など、僕がデビューしてからの30年でも日本を揺るがす大きな自然災害が何度もありました。その度に当然ながら、僕たちエンターテインメントの出番は一瞬なくなるんです。被災された方たちにいちばん必要なのは、まず救助や支援、ボランティアの方々のお力など、生活に必要最低限なインフラですから。でも衣食住が整えば、本を読まなくても、テレビを見なくても、音楽を聴かなくてもいいかといえば、そうじゃない。気持ちや心の部分に寄り添えるものとして、エンターテインメントの出番がやってくる。今回のコロナウィルスでは、全世界が恐怖と不安に襲われている。そのなかで、やるべきこと、できることがあるはずだと模索していました。その結果プライベートスタジオを整えて音楽制作をし、スタジオライブを生放送したり、リモートでファンの皆さまとの新たなコミュニケーションを試みた。自分のやるべき役割を、より意識するようになりました」
【17歳で経験した父の死とニューアルバムでの覚悟】
福山さんはこのほど、オリジナルアルバムとしては6年8カ月ぶりとなる『AKIRA』をリリースしました。そのタイトルは亡きお父さまの名前。アルバムと同名の収録曲「AKIRA」には、デビュー以来テーマにしてきたという“死生観”が色濃く表現されています。そこに紡がれるのは、父から自身へとつながる、その命の連鎖への熱い想いです。
「17歳のときに父ががんで他界したんですが、そのときに起こった出来事、自分の心に刻まれた感情を歌にしようと、死生観を描くという作業はデビュー当時から着手してはいたんです。だけど、なかなかに難しいテーマですから、当時の僕自身の作曲技術や作詞の力では伝えたいことを描ききることができず、つくってはボツにしていました。でも、父親が他界した年齢に自分が近づいてきて、これはある種の締め切りだと自分自身で覚悟して。そこで父親の死に再度想いを巡らせ向き合いました」
家にいることは少なく、酒好きで、働いているところをあまり見なかった。けれど、地元長崎にスーパーカーショーのイベントが開催されたときには、息子を連れていってくれる、人を楽しませることが上手な“かっこいい父ちゃん”だった。
「フェラーリやランボルギーニを見て、『スーパーカー、乗りたか』と言ってたら、フェアレディZを友人から借りてきてくれて『ほら、ドライブ行こうや』と。子どもにとっては、小さな夢やちょっとした憧れをパパッと叶えてくれるかっこいい人でした」
その父を若くして失った悲しみや苦しみは、自らのソングライティング、表現そのもののベースになっているのだとも。
「父は相当に無念だったと思います。その父の“無念の向こう側”を僕が生きているのなら、『雅治が生まれてきてよかったな』と思ってもらいたい。その気持ちが自分の生き方や死生観につながっているんです。これまでも、自分の陽の部分で明るい歌を描きつつも、その死生観を土台にして楽曲を描き続けてきました」
福山さんが生み出す歌詞には、失敗や傷つくことをも含め、生きること全てを肯定してくれる懐の深さ、温かさを感じますが…。
「でもやはり、その向こうにあるのは言うなれば致死率100%という我々の人生です。人間は生まれたそのときから1分1秒、死に向かっている。17歳で父の闘病と他界を間近で見て、それからはその刹那を常に意識して生きてきたような気がします。ポップな歌でも、自分の死生観の表現をひと言でも加味することでより奥行きが生まれるし、伝えたかったテーマのより深い部分を補強することもできる」
生命の儚さを知るから、愛や希望の有難さ、生の輝きを描き出せる。最も深くパーソナルな心情こそ多くの人が共有できる普遍的な真実なのだと、福山さんの楽曲は気づかせてもくれます。
【ファンに支えられた30年。自分らしさと努力の軌跡】
「音楽活動30周年って、自分がよくやってきたというより、むしろファンの方たちの応援あってこその30周年だと。いま、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。育てていただいたし、活かしてもいただきました。僕は、作詞作曲を全部自分でできるようになったのは4枚目のアルバムからで、その前の3枚の間、技術や経験を積むまでの期間の猶予を、応援しながら与えてくれたのがファンの存在です。いまも応援してくれるから活動が続けられるし、新たなトライもできる。その挑戦がダメなら、『それは違うよ』と言ってもくれる。トライ&エラーを繰り返させてもらえるのはファンの方たちのおかげ。30周年はそのファンの皆さまへの感謝の年で、言うなれば内々のお祝いの年です」
ライブやラジオなどでファンとの交流を大切にしてきた福山さん。アルバム『AKIRA』の初回限定版には、リクエストから収録曲を決める『Slow Collection』という30周年記念のバラード作品集も企画されました。ファンだからこそ聴きたい名曲の数々が、ラインナップに連なっています。
「ファンの方たちの熱い気持ちが表れた投票結果でした。『家族になろうよ』といったメジャーな曲のなかで、『恋の中』のようなライブでしか歌ったことのない他アーティストへ楽曲提供した曲が上位になっていて。当初は投票結果を選曲の参考にする予定でしたが、ランキングを見て『いや、もうこの投票ランキングどおりじゃないとダメだ』と。おかげで未発表音源だった曲を弾き語りで再録する機会を得て、世の中に作品として誕生させることもできた。アルバム作品として幸せな着地ができたと思います」
「振り返れば福山さんの歌があった」という人は世に少なくないはずですが、多くの人々の想いを受け取る“スター”であることと、創作の根幹である“自分らしさ”とのバランスはどんなふうに?
「“スター”は(大泉)洋ちゃんの話が面白いからですよ(笑)。ただ、映画『マチネの終わりに』でご一緒した原作者の平野啓一郎さんの“分人”という考えに近いかもしれません。おそらく皆さんも、ひとりのとき、友だちや恋人、家族と一緒のとき、職場などにいるときの人格って、その場、その時で少しずつ違うと思うんです。状況で自分の人格を自動的に最適化している。僕も同じで、今回の撮影のようなポージングは日常ではしません(笑)。SNSネイティブ世代は公私の境界線があまりない傾向があると言われがちですが、僕なんかの世代だと本音と建前が当たり前にある。根っこは変わりませんが、枝葉は時々に使い分けていると思います」
楽曲の世界観を掘り下げる情熱と音楽づくりへのひたむきな努力、ファンへの愛情、自らへの客観視。福山さんがスターであり続ける理由、時代を切り拓く源が、垣間見えるようです。
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