激動の時代、近代哲学の冒険者たちは何と格闘したのか?『哲学史入門Ⅱ デカルトからカント、ヘーゲルまで』
5/10(金) 7:00

NHK出版デジタルマガジン
哲学研究の第一人者が集結し、西洋哲学史の大きな見取り図を示すシリーズの第二弾『哲学史入門Ⅱ デカルトからカント、ヘーゲルまで』が5月10日に刊行されました。著者に上野修さん、戸田剛文さん、御子柴善之さん、大河内泰樹さん、山本貴光さん、吉川浩満さんをむかえ、デカルトからカント、ヘーゲルを中心としたドイツ観念論までの近代哲学を扱います。刊行を記念し、斎藤哲也さんによる「はじめに」の全文を特別公開します。
『哲学史入門Ⅱ デカルトからカント、ヘーゲルまで』より
 『哲学史入門』第二巻へようこそ!

 古代ギリシア哲学からルネサンス哲学までを扱った第一巻に続き、本巻では一七世紀から一九世紀までの西洋近代哲学史に入門します。指南役に迎えるのは、上野修さん、戸田剛文さん、御子柴善之さん、大河内泰樹さんの四人。この四方に、それぞれ一七世紀の哲学、イギリス経験論、カント哲学、ドイツ観念論について、インタビュー形式で語っていただくという本です。

 念のために申し添えますと、第二巻だからといって、第一巻を読んでいないと理解できないということはありません。また、どの巻にも言えることですが、各章の内容は独立しているので、興味のある哲学者やトピックが扱われている章から読むことができます。

 デカルト、スピノザ、ロック、ヒューム、カント、ヘーゲルといったビッグネームが次々に登場する近代哲学は、高校倫理の教科書でもかなりの紙数を割いて取り上げられているし、入門書も数多く刊行されています。

 ただ、メジャーゆえの宿命と申しましょうか、定型的な図式に嵌められやすいのも近代哲学史です。デカルト、スピノザ、ライプニッツを代表とする大陸合理論と、ロック、バークリ、ヒュームと連なるイギリス経験論とが対立し、それをカントが統合する。そのカントが遺した課題をドイツ観念論が引き受け、ヘーゲルに至って近代哲学は完成する―――。
なんともわかりやすい整理ですが、こうした図式的な説明は、後世につくられた一つの見方にすぎません。

 第一巻の「はじめに」でも申し上げたように、哲学史の語り方は一つではありません。哲学者やトピックの選び方、つなげ方次第で、無数の哲学史を語ることが可能です。

 その点で、本巻は他の二つの巻にも増して、既存の哲学史を問い直すことに力点が置かれています。予告編として、ちょっとだけ触りを紹介しましょう。

 たとえば上野さんは、一七世紀の哲学者であるデカルト、ホッブズ、スピノザ、ライプニッツという四人を「絶対」へのこだわりという共通性から読み解いていきます。戸田さんは、その後に続くイギリス経験論の哲学者たちの「知識観の変化」に着目します。この二つの章では、「大陸合理論vs.イギリス経験論」という教科書的な図式とは異なる哲学史の見方を楽しんでください。

 反教科書的な哲学史語りという点では、後半も共通しています。御子柴さんは「大陸合理論とイギリス経験論の統合としてのカント哲学」という見方は時代遅れだと指摘し、理性主義者かつ形式主義者カントの凄みを熱量たっぷりに語ってくれます。大河内さんは「ドイツ観念論」というラベルの難点を示すとともに、正・反・合という「ヘーゲル弁証法」の通俗的な理解を一刀両断しています。
巻末には、哲学を愛好する盟友であり、「哲学の劇場」コンビとして知られる山本貴光さん、吉川浩満さんを招いた哲学史トークを収載しています。どうすれば哲学史を身近に感じられるのか。哲学をどうやって学んでいけばいいか。さらには哲学の役割から哲学史の拡張まで、哲学史と仲良くつきあうコツやヒントが満載です。

 本巻も前巻と同様、登場いただく研究者の語り口や息づかいが聞こえてくるような、臨場感あふれる構成を心がけました。手前味噌になりますが、「こんな哲学史講義が大学で聞けたら、絶対面白いはず!」という内容になったと思います。

 各章の冒頭には、インタビューを読むうえで最低限知っておいたほうがいい基礎知識と、インタビューの読みどころを添えたイントロダクションを設けました。こちらで肩慣らしをして、インタビュー本編にお進みください。すでにある程度、哲学史に親しんでいる読者は、イントロダクションを飛ばしていきなり本編を読んでもかまいません。

 また章末には、指南役が推薦する三冊のブックガイドを掲載しています。ピンと来たものがあったら、本書の次に手にとってみてください。
             
 冒頭に記したとおり、興味ある章から読んでもらってかまいませんが、そのうえで、あらためて一巻から三巻までを通しで読んでもらうと、西洋哲学史のダイナミックなうねりや流れが伝わってくるはずです。願わくば、シリーズ三冊を完走していただければ幸いです。前置きはこのくらいにして、そろそろ近代哲学史の門をくぐりましょう!

斎藤哲也
1971年生まれ。人文ライター。東京大学文学部哲学科卒業。著書に『試験に出る哲学』シリーズ(NHK出版新書)、監修に『哲学用語図鑑』(プレジデント社)など。

智慧心语[心]
周五愉快 2024年5月10日          
还有一个教《弟子规》的老师,姓许,是位女士。她在教孩子《弟子规》中“事诸父,如事父,事诸兄,如事兄”这段之前,非常用心地买了一大袋荔枝带回故乡去。回去之后她教导村子的孩子要先学“入则孝”,要能理解到父母的辛劳,要好好侍奉父母。而别人的父母同样也很辛劳,同样对家庭有贡献,对社会有付出,所以任何人的父母都值得我们尊敬。然后她对孩子们说,学完之后就要马上做到。于是,让这些孩子拿着她自己买来的荔枝,到整个乡里去送给长辈们。就这样,一群孩子在乡里跑得不亦乐乎,每个长辈接到孩子们送来的水果,内心都非常欢喜。整个乡里,这种敬老爱幼的风气在那一天达到了顶点。
     ——秦东魁 Happy Friday May 10,2024
There is also a teacher who teaches Di Zi Gui, her surname is Xu, she is a lady. Before teaching the children the section "Serve others’ parents as you serve your father, serve others’ brothers as you serve your older brother," she carefully bought a large bag of lychees to take back to her hometown. After returning, she taught the children in the village to first learn "Be filial." They should understand the hard work of their parents and serve them well. Other people's parents are also very hardworking, also contribute to the family, and also contribute to society, so everyone's parents deserve our respect. Then she said to the children, after learning, they must immediately put it into practice. So, she let these children take the lychees she bought to the whole village to give to the elders. In this way, a group of children ran happily in the village, and every elder who received the fruit from the children was very happy. In the whole village, this kind of respect for the elderly and love for the young reached its peak that day.
——Qin Dongkui

韩语翻译:
그리고 제자규 (제자 규)를 가르치시는 선생님은 허 씨로, 여자분입니다. 그녀는 아이에게 「 제자규 (제자) 」에서"여러 아버지를 섬기는 것은 마치 아버지를 섬기는 것과 같고, 여러 형을 섬기는 것은 마치 형을 섬기는 것과 같다"라는 부분을 가르치기 전에 매우 정성을 들여 여지 한 봉지를 사 고향으로 가지고 갔다. 돌아가 마을 아이들에게 입칙효를 배우고, 부모의 노고를 헤아려 부모를 잘 모시라고 가르쳤다. 다른 사람의 부모도 마찬가지로 매우 고생하고 마찬가지로 가정과 사회에 기여가 있으므로 어떤 사람의 부모든지 모두 우리가 존경해야 한다.그리고 아이들에게 배우면 바로 실천하라고 말했다. 그는 아이들에게 자기가 사온 려지를 가지고 온 마을에 가서 웃어른들에게 드리라고 했다. 이리하여 한떼의 아이들은 마을에서 신나게 뛰여다녔고 어른들은 아이들이 가져다주는 과일을 받으면 마음속으로 매우 기뻤다. 그날 온 향에서는 로인을 공경하고 어린이를 사랑하는 이런 기풍이 절정에 달했다.

俄语翻译:
Есть также учительница по фамилии Сюй, которая преподает «Ди Цзы Гуй». Перед тем, как научить детей «Служи всем отцам, как служишь собственному. Служи всем старшим братьям, как служишь своему.», она очень тщательно купила большой мешок личи и отвезла в родной город. Вернувшись, она научила детей в деревне сначала учиться «дома почитать родителей», понимать тяжелую работу своих родителей и хорошо служить своим родителям. Родители других людей также очень трудолюбивы, они также вносят свой вклад в семью и общество, поэтому родители любого человека заслуживают нашего уважения.Затем она сказала детям, что они должны сделать это сразу после окончания курса. Поэтому она позволяла этим детям взять личи, которые она сама купила, и отправятся по всей деревне, чтобы подарить их старшим. Таким образом, группа детей бегала по деревне с большим удовольствием, и каждый старший был очень счастлив, когда получил фрукты от детей. Во всей деревне эта атмосфера уважения к старшим и любви к младших достигла своего апогея в тот день.

日语翻译:
その他にも、『弟子規』を教える教師がいる。名前は许で、女性だ。子供たちに『弟子規』の中で「事諸父,如事父,事諸兄,如事兄。(自分の父を尊敬するように,叔父にも尊敬の念を抱かなければならない。自分の兄を尊敬するように従兄弟にも尊敬の念を抱かなければならない。)」という箇所を教える前に、熱心に一袋のライチを故郷に持ち帰った。帰郷後、彼女は村の子供たちに「まず孝行を学びなさい。親の苦労を理解し、親に奉仕しなさい。他人の親も同じく苦労し、家庭や社会に貢献しているので、どの親も尊敬に値する」と教えた。そして、子供たちに学んだことをすぐに実践するよう言った。その結果、子供たちは彼女が買ってきたライチを持って村中の年配の人々に配るようになった。その結果、子供たちが村中を走り回り、年配の方々が子供たちから果物を受け取ると、心は大変喜んでいた。その日、村全体で年長者を敬い、年少者を愛するという雰囲気は、その日、郷中で頂点に達した。

#柚
『不死身ラヴァーズ』では最高の親友に
青木柚が松居大悟監督と映画館を語る

──『不死身ラヴァーズ』の物語に最初に触れた際の感想を聞かせてください。

青木柚(以下:青木) 映画の脚本を読み、合わせて原作マンガも読ませてもらって最初に感じたことは、“まぶしいなぁ”というものでした。「好き」を伝え続ける主人公があまりにピュアで突き抜けていて、すごくまぶしく感じたんです。同時にふと自分が10代だった頃を振り返り、“自分も考える前に好きという衝動的な感情は多かったかもしれない”と懐かしくなったり。今の自分の視点だけではなく、ふと昔の自分の視点でもこの物語を受け止めていることに気づき、面白いなと思いました。りのとじゅんがたくさんの時間を重ねていく中では、切ない瞬間も増えてきて。放課後に疲れ果てるまで遊んだ後の帰り道のような。あの思い返すとどこか締めつけられるような時間を、この作品に感じました。

──物語に自身の経験を重ねてみる、それはほかの作品でもよくしていることですか。

青木 そうかもしれません。例えば、脚本を読んでグッときたとして。“どうして今、自分はグッときたんだろう?”と、その理由が知りたくなる時があるんです。それで、昔のことを思い返してみたり、“誰かこんな人が近くにいたかもしれない”と似ている人を探してみたり。そういうことはよくあります。ただ、グッときた理由をあえて言葉にしたくない時もあって、そういう時はそのままにしておきます。でも基本的には、映画で描かれることをよその物事だとは思わず、自分が生きている世界の物事だと思って受け取ってみたい。そういう感覚は割と持っていたいなと思います。

──例えば、SF映画の脚本だとしても?

青木 SFでもそうだと思います。SFってまったく違う世界の話のようでいて、実は自分たちの世界と地続きにあると感じられる瞬間が多いと思っていて。僕が素敵だなと思うSF映画は、壮大な設定や世界観の中に垣間見える人の生活感というか。きっとどんな物語にも自分たちが身に覚えのある感情や、生きていく中で抱く違和感みたいなものが含まれている。あとはそれをどう人の目に触れさせるか。いろいろなアウトプットの形があって面白いですよね。

──松居監督とは映画『アイスと雨音』(2017)でも一緒に仕事をされていて、その作家性もよくおわかりかと。松居監督がこの物語を撮るイメージはすぐに浮かびましたか。

青木 タイトルとあらすじだけを最初に聞いた時には、“こんなにピュアなラブストーリーを撮られるんだ!”と少し驚きましたが、脚本を読み進めるうちに“あ、これは松居監督が撮る作品だ”と思える雰囲気を感じて。これまでの松居監督作品では男の子が突っ走るイメージが強くありましたが、今回突っ走るのは女の子のほう。でも、芯の部分は変わっていない気がして。僕は松居監督の作品を観ると、理屈ではなく湧き上がってくる人間のエネルギーみたいなものを大切にされているんだなといつも感じます。今回の映画もまさに、整理されていない生命力みたいなものに満ちていると感じられるものでした。

──『アイスと雨音』は74分間全編をワンカットで撮影され、映画ですが演劇的な作り方だったかと思います。『不死身ラヴァーズ』の作り方はまた違っていたのでは?

青木 確かに全体の進み方は違っていましたが、松居監督の居方はまったく変わっていなくて、そこが僕としてはうれしかったです。松居監督はリハーサルから現場まで、ずっと近い距離にい続けてくださる方です。特にリハーサルの時の監督の居方が印象に残っています。りの役の見上愛さん、りのが恋する甲野じゅん役の佐藤寛太君、僕の3人が集まって本読みと立ち稽古をする日が1日だけあって。3人のバランスや空気感を3人で共有する時間だったのかなと思います。松居監督は僕ら3人がお芝居しているのをものすごく近くから、靴も脱いで裸足で座って見ているんです。「え、近っ!」って言いたくなるぐらい(笑)、体感としては松居監督に覗き込まれているようでした。“松居監督は今、僕らの何を見ているんだろう?”と興味が湧きましたし、同時に“ああ、『アイスと雨音』の時も松居監督はこうだった”と懐かしくて。改めて、自分にとって信頼できる方で、役の近くにもいてくれる監督だと思いました。

──本作で演じた主人公の親友・田中の人物像はどう感じていましたか。

青木 田中はあまりカテゴリーに縛られず、物事を俯瞰することに長けている人なのかなと思っていました。その俯瞰する姿勢が弱さから来るものなのか、それとも意志を持ってそうしているのか、そのすべては僕にははっきりわかりません。でも、田中のそういうスタンスは僕自身もとても理解できますし、純粋にこういう人が友だちにいたらいいなと思いました。田中のフラットな感じが魅力的だなと。

──田中は核心を突く言葉をたびたび放ちます。その言葉をこれ見よがしに言うわけでも上っ面で言うわけでもない。そのトーンや温度が絶妙だと感じました。

青木 本当ですか? そう感じていただけてうれしいです。確かに田中の台詞には“これは刺さる人にはものすごく刺さる”という言葉もありました。そういう言葉って脚本上や文字だけで読んでいる時にはすんなり入ってくることが多い気がしますが、それを実際に僕ら俳優が言う。つまりは生身の人を通した瞬間に、良くも悪くも核心が散らばっていく可能性があるとも思っていて。僕としては脚本や言葉が持つ力をただただ信じて、純粋に表現と向き合えたらと思っています。田中という人物を自分の近くに感じられていたら、特に何かを加える必要はないのかなと。なんというか…その言葉に溶け込むような感覚であれたらと思っていました。今回の田中に限らず、どの役を演じる時も、そういった感覚は失わないようにしています。

──余計なことをしないというのは、実は難しいものでしょうね。

青木 自分ができているかわかりませんが…。より俯瞰してくれている監督を信じて取り組んでいます。今回の現場でも本番の1テイク目を撮り終わってから、松居監督が「もう1回行こうか」と言う時がありました。その時の松居監督の目が印象的なんです。独特の熱い目をされていて。

──松居監督が「もう1回行こうか」と言う時、次のテイクでめざすべき具体的なゴール地点も合わせて示されるんですか。

青木 全部は言わないです。これは僕の勝手な想像ですが、多分松居監督は、“これを言葉にしたらなんか違うものになってしまう”という感覚を持たれていると思うんです。すべてを言葉にして説明するよりも、言葉にできない、言葉にしたくない感覚のほうを大切にされているのかなと、僕は勝手に想像しています。その松居監督の思いを汲み取りたい。そんな思いでいました。

──完成した映画『不死身ラヴァーズ』はいかがでしたか。『アイスと雨音』とはまた違う松居監督作の魅力を感じることもあったのでしょうか。

青木 ありました。今回の映画で松居監督が描いた“好き”は、これまでの映画で描いてきたそれよりも距離が近くなった感覚があって。すごく近いところまで来てくれる映画だと思えるものだったんです。フレンドリーな雰囲気が漂っていたというか。もちろん、変わらぬ魅力もありつつ、また新しい面を感じられたな…って、僕が偉そうに松居監督作を語ったりはできないのですが(笑)。

──脚本を読んだ際と同じように、完成した映画を観て自らの人生に重ね合わせる瞬間もありましたか。

青木 完成した映画を観た直後はなかったです。どうしてかと言うと、あまりに見上愛さんと佐藤寛太君の魅力が炸裂していたので。観ている時はずっとふたりに夢中で、自分のことはすっかり頭から抜け落ちていました。僕は“この役はこの人が演じなければいけなかった”というものをスクリーンで観られることに喜びを感じます。観る人の心を動かすのはそういうきらめきだなと思いますし、僕もおふたりのような人間でありたいと改めて思いました。

──FLYING POSTMAN PRESSのコンセプトは<GOOD CULTURE, GOOD LIFE>。人生において、カルチャー作品に大きく影響されたことはありますか。

青木 僕は映画が好きですが、実はこの仕事を通して好きになったものなんです。よく映画館に行くようになったのもここ3〜4年で。だから、“思春期にこの映画を観てすごく影響を受けた”みたいな作品を挙げることは難しくて。ただ、間違いなく今の自分にとって映画館という場所は欠かせないものになっています。新作映画も観ますが、最近よく行くのは特集上映とかリバイバル上映。ある映画監督の最新作が公開されるタイミングで、その監督の過去の名作を一気に特集上映したり、4Kリバイバル上映したりするじゃないですか。そういうものをよく観に行きます。今の僕にとって映画館は、自分が生まれる遥か前に生まれた映画に出会え、その映画が今の自分にとって必要だと感じられる特別な場所。出会うはずなかった映画を観て、それを今、等身大で受け取ることができるってすごいですよね。勝手に、待っていてくれてありがとうございますという気持ちになります。

──特にガツンときた特集上映、リバイバル上映は?

青木 (アンドレイ・)タルコフスキー監督の『ノスタルジア』(1983)の4K修復版が最近上映されていたんです。もともと、信頼する方々に「『ノスタルジア』は観たほうがいいよ」と言われていたこともあり、観に行きました。僕は自分が何かを観たり、聴いたりして、“うわ、これ好きだ”と思えた瞬間、文字通り息をのむんです。呼吸が浅くなり、ドキドキしてしまう。『ノスタルジア』の4K修復版を観ている時はその連続でした。靄がかった山間の風景や温泉から上る湯気…そういうふとしたカットがすごく自分の中に流れ込んできて。今の自分が『ノスタルジア』に触れられたこと、言葉に言い表せないもので感動できたことがうれしかったです。僕は、言葉を突き詰めていけばいくほど“言葉で言い表せないもの”をより痛感できるというか、感動できると思っていて。そういった考えを育む時間も、カルチャー作品は与えてくれる。僕の生活の中で欠かせないものになっています。

──今、青木さんはその作り手側にいます。日々の創作において大切にしていることを聞かせてください。

青木 俳優という職業は受ける側に立つことが多い職業だと思います。つまり、企画が走り出してからそこに合流する、という。もちろん、最近では俳優自身が旗を持って企画を動かし、成功させる姿にもすごく刺激を受けていますし、そういった創作への姿勢はとても格好良いなと思います。ただ、僕はまだまだそのフェーズではないと感じていて。そんな自分だからこそ、声をかけていただいた時には、規模だけでなく、その作品の持つメッセージや機微だったり、監督が大事にしている感覚だったりをちゃんと受け止め、しっかりとフィールしながら取り組んでいきたい。そこをあいまいにすると、俳優としての自分の存在意義はなくなってしまうとも思っていますね。

──いつかはご自身が旗を持って企画を走らせたいという思いも?

青木 それがどれだけ大変なことかも重々わかっていますが、いつかは、という思いはどこかにあります。普段生活している中で、“この感情ってなんだろう?”と思うことや、これは自分だけなのではないかと思ってしまう違和感は忘れないようにしていて。自分が演じる役を通して昇華できることもありますが、その違和感や悩みが役と合致するのは珍しいですし、ほとんどは、芽生えたものの行き場がなくただ消えていくだけというか。そんな思いを自分の作品として形にできたら、その先には何があるのだろうと気になりますね。“今やらなきゃ!”と思える時が来たら、自主的にでも好きな人たちと作れたら幸せですね。純度高く創作してみたいです。


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