黄英(上)
田中貢太郎
馬子才ばしさいは順天じゅんてんの人であった。その家は代々菊が好きであったが、馬子才に至ってからもっとも甚しく、佳い種があるということを聞くときっと買った。それには千里を遠しとせずして出かけて往くという有様であった。
ある日、金陵の客が来て馬の家に泊ったが、その客が、
「自分のいとこの家に、佳い菊が一つあるが、それは北の方にはないものだ」
と言った。馬はひどく喜んで、すぐ旅装を整えて、客に従ついて金陵へ往ったが、その客がいろいろと頼んでくれたので、二つの芽を手に入れることができた。馬はそれを大事にくるんで帰ってきたが、途の中ほどまで帰った時、一人の少年に逢った。少年は驢ろばに乗って幕を垂れた車の後から往っていたが、その姿がきりっとしていた。だんだん近くなって話しあってみると、少年は自分で陶とうという姓であると言ったが、その話しぶりが上品で趣があった。そこで少年は馬の旅行しているわけを訊いた。馬は隠さずにほんとうのことを話した。すると少年が言った。
「種に佳くないという種はないのですが、作るのは人にあるのですから」
そこでいっしょに菊の作り方を話しあった。馬はひどく悦よろこんで、
「これから何所どこへいらっしゃるのです」
と言って訊いた。少年は、
「姉が金陵を厭がりますから、河北かほくに移って往くところです」
と答えた。馬はいそいそとして言った。
「僕の家は貧乏ですが、榻ねだいを置く位の所はあります、きたなくておかまいがなけりゃ、他ほかへ往かなくってもいいじゃありませんか」
陶は車の前へ往って姉に向って相談した。車の中からは簾すだれをあげて返事をした。それは二十歳はたちばかりの珍しい美人であった。女は陶を見かえって、
「家はどんなに狭くてもかまわないけど、庭の広い所がね」
と言った。そこで陶の代りに馬が返事をして、とうとういっしょに伴れだって帰ってきた。
馬の家の南に荒れた圃はたがあって、そこに椽たるきの三四本しかない小舎こやがあった。陶はよろこんでそこにおって、毎日北の庭へきて馬のために菊の手入れをした。菊の枯れたものがあると、根を抜いてまた植えたが、活きないものはなかった。
しかし家は貧しいようであった。陶は毎日馬といっしょに飯を喫くっていたが、その家の容子ようすを見るに煮たきをしないようであった。馬の細君の呂は、これまた陶の姉をかわいがって、おりおり幾升いくますかを恵んでやった。陶の姉は幼名を黄英こうえいといっていつもよく話をした。黄英は時とすると呂の所へ来ていっしょに裁縫したり糸をつむいだりした。
陶はある日、馬に言った。
「あなたの家も、もともと豊かでないのに、僕がこうして毎日厄介をかけているのですが、いつまでもこうしてはいられないのです、菊を売って生計くらしをたてたいとおもうのですが」
馬は生れつき片意地な男であった。陶の言葉を聞いてひどく鄙いやしんで言った。
「僕は、君は風流の高士で、能よく貧に安んずる人と思ってたが、今そんなことを言うのは、風流をもってあきないとするもので、菊を辱めるというものだね」
すると陶は笑って言った。
「自分の力で喫ってゆくことは、貪むさぼりじゃあないのです、花を販うって、生計をたてることは、俗なことじゃないのです、人はかりそめに富を求めてはならないですが、しかし、また務めて貧を求めなければならないこともないでしょう」
馬がそれっきり口をきかないので、陶も起って出て往ったが、それから陶は馬の所で寝たり食事をしたりしないようになった。呼びにやるとやっと一度位は来た。その時から陶は馬の棄ててある菊の枝の残りや悪い種のものを悉く拾って往くようになった。
間もなく菊の花が咲いた。馬は陶の家の門口が市場のようにやかましいのを聞いて、へんに思って往って窺のぞいてみた。そこには市まちの人が集まってきて菊の花を買うところであった。そしてその人達が車に載せたり肩に負ったりして帰って往くのが道に続いていた。その花を見るに皆かわり種の珍しいもので、馬のまだ一度も見たことのないものであった。馬は心に陶が金を貪るのを厭いとうて絶交しようと思ったが、しかしまたひそかに佳い木をかくしているのが恨めしくもあって、とうとう逢って誚せめてやろうと思って扉を叩いた。すると陶が出てきて手をとって曳き入れた。
見ると荒れた庭の半畝位は皆菊の畦あぜになって小舎の外には空地がなかった。抜き取った跡には別の枝を折って插してあった。畦に在る花で佳くないものはなかった、そして、細かにそれを見ると皆自分がいつか抜いて棄てたものであった。陶は内へ入って酒と肴を持ってきて、畦の側に席をかまえ、
「僕は清貧に安んずることができなかったのですが、毎朝幸いにすこしばかりの金が取れますので、酔っていただくことができます」
と言った。暫くして房へやの中から、
「三郎」
といって呼んだ。陶は、
「はい」
と返事をして出て往ったが、すぐに立派な肴を出してきた。それは手のこんだ良い料理であった。馬はそこで、
「姉さんは、なぜ結婚しないのですか」
といって訊いた。陶は答えて言った。
「時機がまだこないのです」
馬は訊いた。
「いつです」
陶は言った。
「四十三箇月の後です」
そこで馬は、
「どういうわけです」
と訊いたが、陶はただ笑うのみで何も言わなかった。
二人はそこで歓を尽して別れた。翌日になった。馬はまた陶の所へ往った。新たに插してあったのがもう一尺にもなっていた。馬はひどく不思議に思って、
「ぜひ、その作り方を教えてください」
と言ってしきりに頼んだ。陶は言った。
「これは口で教えることはできないですが、それにあなたは、菊で生計をたてていらっしゃらないから、そんな術はいらないでしょう」
それから数日して陶の家はやや静かになった。陶はそこで蒲かばの莚むしろで菊を包んで、それを数台の車に載せて何所かへ往ったが、翌年の春の中比なかごろになって、南の方からめずらしい種を持って帰ってきた。そこで市中へ花肆はなみせを出して売ると、十日の間に売れてしまった。陶はまた家へ帰って菊を作ったが、客がまた群集した。訊いてみると、去年陶から花を買った者は、その根を残しておいて作ったが、尽ことごとくつまらないものとなってしまったので、そこでまた陶から買うことになったのであった。
それがために陶は日ましに富んで、一年目には家を建て増し、二年目には広い大きな家を新築し、思うままに建築したが、すこしも主人の馬には相談しなかった。陶は昔の花畦はなあぜが建物のためになくなってしまったので、さらに田を買って、周囲に墉かきを築いてすっかり菊を植えた。
秋になって陶は花を車に載せて何所へか往ったが、翌年の春がすぎても帰らなかった。その時になって馬の細君の呂が病気で亡くなった。馬は黄英のことを心に思うて、人に頼んでちらとほのめかしてもらうと、黄英はにっと笑って、心の中では許しているようであった。そこで馬はもっぱら陶の帰るのを待っていたが、一年あまりしても陶はついに帰ってこなかった。
黄英は僕げなんに言いつけて菊を植えたが、陶のやることとすこしもかわらなかった。そして、金をとることがますます多くなって、商人のすることにかなっていた。黄英はその金で村はずれに肥えた田を二十頃けい買って、屋敷をますます立派にした。と、馬の所へ東粤とうえつから客が来て陶の手紙を出した。開いてみるとそれは姉と結婚してくれという頼みであった。その手紙を出した日を考えてみると、それは細君の死んだ日であった。庭で酒を飲んだときのことを思いだしてみると、ちょうど四十三箇月目に当っていたからひどく不思議に思って、その手紙を黄英に見せて、
「何所へ結納ゆいのうをあげましょう」
といって訊くと、黄英は、
「結納はおもらいしません」
と言った。黄英は馬の家がきたないので、南の家におらして入婿のようにしようとしたが、馬はきかないで日を選んで黄英を自分の家へ迎えた。
黄英はすでに馬の所へ往ってから、壁に扉を開けて南の家へ通えるようにした。そして毎日往って、自分の家の僕に言いつけていろいろの為事しごとをさした。馬は細君に金のあるのを恥じて、いつも黄英に言いつけて南の家と北の家の帳簿をこしらえさして、物のごたごたになるのを防がしたが、黄英は家に入用なものは、ややもすると南の家から取ってくるので、半年もしないうちに家の中にあるものは、皆陶の家のものばかりになった。馬はすぐに人をやって一いちそれを持ち帰らした。
「二度と取ってくるな」
といって戒めたが、まだ十日もたたないうちに雑まじっていた。こんなことが幾回もくりかえされたので、馬はうるさくてたまらなかった。黄英は笑って言った。
「陳仲子、くたびれはしませんか」
馬ははじてまたとしらべなかった。そして、一切のことは黄英に聴くようになった。黄英は大工を集め建築の材料をかまえて、工事を盛んにやりだしたが馬は止めることができなかった。二三箇月すると両方の家が一つに連なって、彊界きょうかいが解らなくなった。しかし、黄英は馬の教えに遵したごうて、門を閉じてまたと菊を商売にしないようになった。けれどもくらしむきは、家柄の家にも勝っていた。馬は自ら安んずることができないので、
「俺の三十年の清徳も、おまえのために累わずらわされてしまったのだ、この世の中に生きていて、徒いたずらに女に養われるということは、ほんとうに、すこしも男らしくないことだ、人は皆富をいのるけれども、俺はただ貧をいのるのだ」
と言った。黄英は言った。
「私は金を貪るつもりはないのですが、ただすこし豊かにならないと、後世の人に、あの淵明は貧乏性だ、いつまでも世に出ることができなかったじゃないかと言われるのですから、それで我家うちを豊かにしていいわけにしたのです、だけど、貧乏人が金持になろうとするのはむつかしくっても、金持が貧乏になろうとするのは、わけのないことなのです、私の金は、あなたが勝手に遣ってしまってください、私は惜しくはありませんから」
馬は言った。
「他人の金を遣うのも、やはりよくないことなのだ」
そこで黄英が言った。
「あなたは金持が厭だし、私は貧乏ができないし、しかたがなければ、あなたと家を別けて、清い者は清く、濁った者は濁ってることにしたら、さしつかえがないじゃありませんか」
そこで庭の中に茅葺かやぶき屋根を建てて馬を住まわし、きれいな婢じょちゅうを選んでつけてあった。馬はそれでおちついたが、しかし、数日するとひどく黄英のことが思われるので呼びにやった。黄英はどうしてもこなかった。馬はしかたなしに自分から黄英の方へ往った。馬はそれから一晩おきに黄英の方へ往くのが例になった。黄英は笑って、
「東食西宿とうしょくせいしゅくですね、廉潔な人はこんなことをしないでしょうね」
と言った。馬もまた自分で笑って返事ができなかった。そこでとうとう初めのようにいっしょにいることになった。
ある時、馬は用事ができて金陵へ旅行したが、ちょうど九月九日の菊日に逢ったので、朝早く花屋に往った。肆の中には菊の盆はちがうるさいほど列んでいたが、皆枝ぶりの面白い美しい花の咲いたものばかりであった。馬はそれがどうも陶の作った菊に似ていると思った。
田中貢太郎
馬子才ばしさいは順天じゅんてんの人であった。その家は代々菊が好きであったが、馬子才に至ってからもっとも甚しく、佳い種があるということを聞くときっと買った。それには千里を遠しとせずして出かけて往くという有様であった。
ある日、金陵の客が来て馬の家に泊ったが、その客が、
「自分のいとこの家に、佳い菊が一つあるが、それは北の方にはないものだ」
と言った。馬はひどく喜んで、すぐ旅装を整えて、客に従ついて金陵へ往ったが、その客がいろいろと頼んでくれたので、二つの芽を手に入れることができた。馬はそれを大事にくるんで帰ってきたが、途の中ほどまで帰った時、一人の少年に逢った。少年は驢ろばに乗って幕を垂れた車の後から往っていたが、その姿がきりっとしていた。だんだん近くなって話しあってみると、少年は自分で陶とうという姓であると言ったが、その話しぶりが上品で趣があった。そこで少年は馬の旅行しているわけを訊いた。馬は隠さずにほんとうのことを話した。すると少年が言った。
「種に佳くないという種はないのですが、作るのは人にあるのですから」
そこでいっしょに菊の作り方を話しあった。馬はひどく悦よろこんで、
「これから何所どこへいらっしゃるのです」
と言って訊いた。少年は、
「姉が金陵を厭がりますから、河北かほくに移って往くところです」
と答えた。馬はいそいそとして言った。
「僕の家は貧乏ですが、榻ねだいを置く位の所はあります、きたなくておかまいがなけりゃ、他ほかへ往かなくってもいいじゃありませんか」
陶は車の前へ往って姉に向って相談した。車の中からは簾すだれをあげて返事をした。それは二十歳はたちばかりの珍しい美人であった。女は陶を見かえって、
「家はどんなに狭くてもかまわないけど、庭の広い所がね」
と言った。そこで陶の代りに馬が返事をして、とうとういっしょに伴れだって帰ってきた。
馬の家の南に荒れた圃はたがあって、そこに椽たるきの三四本しかない小舎こやがあった。陶はよろこんでそこにおって、毎日北の庭へきて馬のために菊の手入れをした。菊の枯れたものがあると、根を抜いてまた植えたが、活きないものはなかった。
しかし家は貧しいようであった。陶は毎日馬といっしょに飯を喫くっていたが、その家の容子ようすを見るに煮たきをしないようであった。馬の細君の呂は、これまた陶の姉をかわいがって、おりおり幾升いくますかを恵んでやった。陶の姉は幼名を黄英こうえいといっていつもよく話をした。黄英は時とすると呂の所へ来ていっしょに裁縫したり糸をつむいだりした。
陶はある日、馬に言った。
「あなたの家も、もともと豊かでないのに、僕がこうして毎日厄介をかけているのですが、いつまでもこうしてはいられないのです、菊を売って生計くらしをたてたいとおもうのですが」
馬は生れつき片意地な男であった。陶の言葉を聞いてひどく鄙いやしんで言った。
「僕は、君は風流の高士で、能よく貧に安んずる人と思ってたが、今そんなことを言うのは、風流をもってあきないとするもので、菊を辱めるというものだね」
すると陶は笑って言った。
「自分の力で喫ってゆくことは、貪むさぼりじゃあないのです、花を販うって、生計をたてることは、俗なことじゃないのです、人はかりそめに富を求めてはならないですが、しかし、また務めて貧を求めなければならないこともないでしょう」
馬がそれっきり口をきかないので、陶も起って出て往ったが、それから陶は馬の所で寝たり食事をしたりしないようになった。呼びにやるとやっと一度位は来た。その時から陶は馬の棄ててある菊の枝の残りや悪い種のものを悉く拾って往くようになった。
間もなく菊の花が咲いた。馬は陶の家の門口が市場のようにやかましいのを聞いて、へんに思って往って窺のぞいてみた。そこには市まちの人が集まってきて菊の花を買うところであった。そしてその人達が車に載せたり肩に負ったりして帰って往くのが道に続いていた。その花を見るに皆かわり種の珍しいもので、馬のまだ一度も見たことのないものであった。馬は心に陶が金を貪るのを厭いとうて絶交しようと思ったが、しかしまたひそかに佳い木をかくしているのが恨めしくもあって、とうとう逢って誚せめてやろうと思って扉を叩いた。すると陶が出てきて手をとって曳き入れた。
見ると荒れた庭の半畝位は皆菊の畦あぜになって小舎の外には空地がなかった。抜き取った跡には別の枝を折って插してあった。畦に在る花で佳くないものはなかった、そして、細かにそれを見ると皆自分がいつか抜いて棄てたものであった。陶は内へ入って酒と肴を持ってきて、畦の側に席をかまえ、
「僕は清貧に安んずることができなかったのですが、毎朝幸いにすこしばかりの金が取れますので、酔っていただくことができます」
と言った。暫くして房へやの中から、
「三郎」
といって呼んだ。陶は、
「はい」
と返事をして出て往ったが、すぐに立派な肴を出してきた。それは手のこんだ良い料理であった。馬はそこで、
「姉さんは、なぜ結婚しないのですか」
といって訊いた。陶は答えて言った。
「時機がまだこないのです」
馬は訊いた。
「いつです」
陶は言った。
「四十三箇月の後です」
そこで馬は、
「どういうわけです」
と訊いたが、陶はただ笑うのみで何も言わなかった。
二人はそこで歓を尽して別れた。翌日になった。馬はまた陶の所へ往った。新たに插してあったのがもう一尺にもなっていた。馬はひどく不思議に思って、
「ぜひ、その作り方を教えてください」
と言ってしきりに頼んだ。陶は言った。
「これは口で教えることはできないですが、それにあなたは、菊で生計をたてていらっしゃらないから、そんな術はいらないでしょう」
それから数日して陶の家はやや静かになった。陶はそこで蒲かばの莚むしろで菊を包んで、それを数台の車に載せて何所かへ往ったが、翌年の春の中比なかごろになって、南の方からめずらしい種を持って帰ってきた。そこで市中へ花肆はなみせを出して売ると、十日の間に売れてしまった。陶はまた家へ帰って菊を作ったが、客がまた群集した。訊いてみると、去年陶から花を買った者は、その根を残しておいて作ったが、尽ことごとくつまらないものとなってしまったので、そこでまた陶から買うことになったのであった。
それがために陶は日ましに富んで、一年目には家を建て増し、二年目には広い大きな家を新築し、思うままに建築したが、すこしも主人の馬には相談しなかった。陶は昔の花畦はなあぜが建物のためになくなってしまったので、さらに田を買って、周囲に墉かきを築いてすっかり菊を植えた。
秋になって陶は花を車に載せて何所へか往ったが、翌年の春がすぎても帰らなかった。その時になって馬の細君の呂が病気で亡くなった。馬は黄英のことを心に思うて、人に頼んでちらとほのめかしてもらうと、黄英はにっと笑って、心の中では許しているようであった。そこで馬はもっぱら陶の帰るのを待っていたが、一年あまりしても陶はついに帰ってこなかった。
黄英は僕げなんに言いつけて菊を植えたが、陶のやることとすこしもかわらなかった。そして、金をとることがますます多くなって、商人のすることにかなっていた。黄英はその金で村はずれに肥えた田を二十頃けい買って、屋敷をますます立派にした。と、馬の所へ東粤とうえつから客が来て陶の手紙を出した。開いてみるとそれは姉と結婚してくれという頼みであった。その手紙を出した日を考えてみると、それは細君の死んだ日であった。庭で酒を飲んだときのことを思いだしてみると、ちょうど四十三箇月目に当っていたからひどく不思議に思って、その手紙を黄英に見せて、
「何所へ結納ゆいのうをあげましょう」
といって訊くと、黄英は、
「結納はおもらいしません」
と言った。黄英は馬の家がきたないので、南の家におらして入婿のようにしようとしたが、馬はきかないで日を選んで黄英を自分の家へ迎えた。
黄英はすでに馬の所へ往ってから、壁に扉を開けて南の家へ通えるようにした。そして毎日往って、自分の家の僕に言いつけていろいろの為事しごとをさした。馬は細君に金のあるのを恥じて、いつも黄英に言いつけて南の家と北の家の帳簿をこしらえさして、物のごたごたになるのを防がしたが、黄英は家に入用なものは、ややもすると南の家から取ってくるので、半年もしないうちに家の中にあるものは、皆陶の家のものばかりになった。馬はすぐに人をやって一いちそれを持ち帰らした。
「二度と取ってくるな」
といって戒めたが、まだ十日もたたないうちに雑まじっていた。こんなことが幾回もくりかえされたので、馬はうるさくてたまらなかった。黄英は笑って言った。
「陳仲子、くたびれはしませんか」
馬ははじてまたとしらべなかった。そして、一切のことは黄英に聴くようになった。黄英は大工を集め建築の材料をかまえて、工事を盛んにやりだしたが馬は止めることができなかった。二三箇月すると両方の家が一つに連なって、彊界きょうかいが解らなくなった。しかし、黄英は馬の教えに遵したごうて、門を閉じてまたと菊を商売にしないようになった。けれどもくらしむきは、家柄の家にも勝っていた。馬は自ら安んずることができないので、
「俺の三十年の清徳も、おまえのために累わずらわされてしまったのだ、この世の中に生きていて、徒いたずらに女に養われるということは、ほんとうに、すこしも男らしくないことだ、人は皆富をいのるけれども、俺はただ貧をいのるのだ」
と言った。黄英は言った。
「私は金を貪るつもりはないのですが、ただすこし豊かにならないと、後世の人に、あの淵明は貧乏性だ、いつまでも世に出ることができなかったじゃないかと言われるのですから、それで我家うちを豊かにしていいわけにしたのです、だけど、貧乏人が金持になろうとするのはむつかしくっても、金持が貧乏になろうとするのは、わけのないことなのです、私の金は、あなたが勝手に遣ってしまってください、私は惜しくはありませんから」
馬は言った。
「他人の金を遣うのも、やはりよくないことなのだ」
そこで黄英が言った。
「あなたは金持が厭だし、私は貧乏ができないし、しかたがなければ、あなたと家を別けて、清い者は清く、濁った者は濁ってることにしたら、さしつかえがないじゃありませんか」
そこで庭の中に茅葺かやぶき屋根を建てて馬を住まわし、きれいな婢じょちゅうを選んでつけてあった。馬はそれでおちついたが、しかし、数日するとひどく黄英のことが思われるので呼びにやった。黄英はどうしてもこなかった。馬はしかたなしに自分から黄英の方へ往った。馬はそれから一晩おきに黄英の方へ往くのが例になった。黄英は笑って、
「東食西宿とうしょくせいしゅくですね、廉潔な人はこんなことをしないでしょうね」
と言った。馬もまた自分で笑って返事ができなかった。そこでとうとう初めのようにいっしょにいることになった。
ある時、馬は用事ができて金陵へ旅行したが、ちょうど九月九日の菊日に逢ったので、朝早く花屋に往った。肆の中には菊の盆はちがうるさいほど列んでいたが、皆枝ぶりの面白い美しい花の咲いたものばかりであった。馬はそれがどうも陶の作った菊に似ていると思った。
【文明城市创建丨微改造巧结合让居民多了好“趣”处】
4月15日上午,笔者来到虎山街道南门社区永寿里小区28幢居民楼下,看到附近的居民在新建的体育活动点使用健身器材锻炼身体。大家一边唠着家常一边活动筋骨,悠闲自在。
南门社区辖区面积32万平方米,常住人口7016人。辖区内大多数为老旧开放式小区,存在人口密度大、基础设施落后、休闲活动空间紧缺等问题。创建全国文明城市以来,南门社区积极推进老旧小区改造工程,改造提升小区环境,利用房屋间空地或小区边角等空间,设置健身设施、儿童游乐设施,共新建了6处体育活动点,为居民提供休闲活动空间。
周兰芳是永寿里小区居民,自从小区里新建了体育活动点,安上了健身器材和儿童游乐设施,她几乎每天都会带着孙女去玩一圈。“这里原先就是一片水泥空地,地面上没有塑胶地垫,也没有健身器材和儿童游玩设施。现在经过改造,多了这么多可选择的健身器材,放学了孩子们也很喜欢来这里做游戏。在这里边锻炼边和邻居聊聊天,可以满足男女老少不同的运动需求,社区真是十分用心。”周兰芳说。
除了让辖区“荒弃边角”变成“金边银角”外,南门社区还在“共享”模式上探索,将社区“共享食堂”的非用餐时间与空间“分享”出来,为居民打造一个集休闲娱乐、体育健身、书刊阅读等多功能于一体的综合空间,让居民在茶余饭后可以与隔壁邻居、社区熟人相聚,谈天说地、互话家常,增进邻里感情。临近中午,南门社区“共享食堂”门口,前来就餐的居民络绎不绝。食堂内,工作人员忙着迎接前来就餐的居民,并为行动不便的老人将饭菜送到桌前。“共享食堂”公共活动空间内,还设置了图书角,安放了乒乓球桌。
“现在来到社区,不仅仅是为了吃饭或者办事。吃完午饭,我们会找张桌子,邀请好友下象棋,有时候一坐就是一下午。有时候旁边的乒乓球桌上还有人在打乒乓球,好不热闹!这里已经成为我最常待的地方了。”居民童仁献开心地说。
4月15日上午,笔者来到虎山街道南门社区永寿里小区28幢居民楼下,看到附近的居民在新建的体育活动点使用健身器材锻炼身体。大家一边唠着家常一边活动筋骨,悠闲自在。
南门社区辖区面积32万平方米,常住人口7016人。辖区内大多数为老旧开放式小区,存在人口密度大、基础设施落后、休闲活动空间紧缺等问题。创建全国文明城市以来,南门社区积极推进老旧小区改造工程,改造提升小区环境,利用房屋间空地或小区边角等空间,设置健身设施、儿童游乐设施,共新建了6处体育活动点,为居民提供休闲活动空间。
周兰芳是永寿里小区居民,自从小区里新建了体育活动点,安上了健身器材和儿童游乐设施,她几乎每天都会带着孙女去玩一圈。“这里原先就是一片水泥空地,地面上没有塑胶地垫,也没有健身器材和儿童游玩设施。现在经过改造,多了这么多可选择的健身器材,放学了孩子们也很喜欢来这里做游戏。在这里边锻炼边和邻居聊聊天,可以满足男女老少不同的运动需求,社区真是十分用心。”周兰芳说。
除了让辖区“荒弃边角”变成“金边银角”外,南门社区还在“共享”模式上探索,将社区“共享食堂”的非用餐时间与空间“分享”出来,为居民打造一个集休闲娱乐、体育健身、书刊阅读等多功能于一体的综合空间,让居民在茶余饭后可以与隔壁邻居、社区熟人相聚,谈天说地、互话家常,增进邻里感情。临近中午,南门社区“共享食堂”门口,前来就餐的居民络绎不绝。食堂内,工作人员忙着迎接前来就餐的居民,并为行动不便的老人将饭菜送到桌前。“共享食堂”公共活动空间内,还设置了图书角,安放了乒乓球桌。
“现在来到社区,不仅仅是为了吃饭或者办事。吃完午饭,我们会找张桌子,邀请好友下象棋,有时候一坐就是一下午。有时候旁边的乒乓球桌上还有人在打乒乓球,好不热闹!这里已经成为我最常待的地方了。”居民童仁献开心地说。
2024年4月16日
比作四月的鲜花,比作浩荡的宇宙
回南天
送老胡到办公室后,回程慢慢走。
正是三月盛花后的喘息期,大花朵时代暂告一段落,四月一些细碎的野花冷不丁地点染野地。
进村的小径旁,漫是杂林灌木藤蔓,中心几块规整的菜地,新的建筑也在挤占这片山野,坡上一所职业学校正施工,长鼻子怪物忙碌地吞噬黄土,又一片绿色消逝。近年经济不甚景气,倒是让蚕食的速度变缓,野花野草仿佛幸存者一样努力生长努力开花,乡下的春景每年都在微妙地变化。
四月的花是真的好看,荒弃的老房一截矮院墙上,徐徐垂挂一瀑秀雅清香的白花,学名络石花,民间有称风车茉莉,垂丝茉莉,或者万字茉莉,虽是比较普遍的花,却在往年不曾留意到。
车行至一家院子前,和主人打了招呼暂停片刻,即带上相机去看刺槐。夹杂在毛竹的新绿,一棵细小的槐树上悬荡数串槐花,团团簇簇,沉甸甸白如瑞雪,又如无数白蝴蝶簇集密议大计。凑近闻,一股馥郁的闷香,带点甜腻,花瓣绵软,像青海的指甲面片,显得花朵肥嘟嘟的,蝴蝶里的杨贵妃。蜜蜂忙着采蜜,进进出出,槐花蜜很好喝。
这样晃悠了半日才回家,推门地板一片水雾,回南天是南方人在春天逃不掉的劫。
电脑上有悠悠发过来的一篇小文,是Petra的语言作业,我自告奋勇也试试翻译。昨天译了开头,和她的一做比较,自叹不如,好的翻译是技术活,更考验文学积淀,同样是“吟安一个字,捻断数茎须。”不便继续班门弄斧,弃之。
预报说有雨,于是等雨来,看了两集《城中之城》,白衬衫马上要变黑时,天暗将下来了,客厅的时钟正指到三点,随即闪电雷鸣,啪的一声,电闸跳了,冰箱等电器咻一下闭口如哑,房内别无他音,窗外枝摇草舞如开场白,恭迎暴雨盛装亮相。冗长绵密的雨会延续到后半夜,那些我曾触摸过的花儿被浸润在雨幕里,就像探照灯一直照着嫌疑人一样令人窒息,“对植物而言,能拥有的唯一的真正情感也许只是厌烦。”
雨带来的冷空气同时平衡了室内的温度,瓷砖上的湿润潮水般隐退,恢复了原有的光洁清爽,是这场雨里唯一庆幸的事情。
频频收短信预警:湖南省气象台4月16日16时发布暴雨蓝色预警:预计16日20时至17日20时,株洲北部、湘潭、衡阳东北部、怀化、娄底东南部将出现暴雨,并伴有短时强降水、雷雨大风等强对流天气,请加强防范。
记下便是历史,好比今日的花照,明日起已是花的过往,是回忆……
比作四月的鲜花,比作浩荡的宇宙
回南天
送老胡到办公室后,回程慢慢走。
正是三月盛花后的喘息期,大花朵时代暂告一段落,四月一些细碎的野花冷不丁地点染野地。
进村的小径旁,漫是杂林灌木藤蔓,中心几块规整的菜地,新的建筑也在挤占这片山野,坡上一所职业学校正施工,长鼻子怪物忙碌地吞噬黄土,又一片绿色消逝。近年经济不甚景气,倒是让蚕食的速度变缓,野花野草仿佛幸存者一样努力生长努力开花,乡下的春景每年都在微妙地变化。
四月的花是真的好看,荒弃的老房一截矮院墙上,徐徐垂挂一瀑秀雅清香的白花,学名络石花,民间有称风车茉莉,垂丝茉莉,或者万字茉莉,虽是比较普遍的花,却在往年不曾留意到。
车行至一家院子前,和主人打了招呼暂停片刻,即带上相机去看刺槐。夹杂在毛竹的新绿,一棵细小的槐树上悬荡数串槐花,团团簇簇,沉甸甸白如瑞雪,又如无数白蝴蝶簇集密议大计。凑近闻,一股馥郁的闷香,带点甜腻,花瓣绵软,像青海的指甲面片,显得花朵肥嘟嘟的,蝴蝶里的杨贵妃。蜜蜂忙着采蜜,进进出出,槐花蜜很好喝。
这样晃悠了半日才回家,推门地板一片水雾,回南天是南方人在春天逃不掉的劫。
电脑上有悠悠发过来的一篇小文,是Petra的语言作业,我自告奋勇也试试翻译。昨天译了开头,和她的一做比较,自叹不如,好的翻译是技术活,更考验文学积淀,同样是“吟安一个字,捻断数茎须。”不便继续班门弄斧,弃之。
预报说有雨,于是等雨来,看了两集《城中之城》,白衬衫马上要变黑时,天暗将下来了,客厅的时钟正指到三点,随即闪电雷鸣,啪的一声,电闸跳了,冰箱等电器咻一下闭口如哑,房内别无他音,窗外枝摇草舞如开场白,恭迎暴雨盛装亮相。冗长绵密的雨会延续到后半夜,那些我曾触摸过的花儿被浸润在雨幕里,就像探照灯一直照着嫌疑人一样令人窒息,“对植物而言,能拥有的唯一的真正情感也许只是厌烦。”
雨带来的冷空气同时平衡了室内的温度,瓷砖上的湿润潮水般隐退,恢复了原有的光洁清爽,是这场雨里唯一庆幸的事情。
频频收短信预警:湖南省气象台4月16日16时发布暴雨蓝色预警:预计16日20时至17日20时,株洲北部、湘潭、衡阳东北部、怀化、娄底东南部将出现暴雨,并伴有短时强降水、雷雨大风等强对流天气,请加强防范。
记下便是历史,好比今日的花照,明日起已是花的过往,是回忆……
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