《罗生门》芥川龙之介(节选2)
下人は、守宮(やもり)のように足音をぬすんで、やっと急な梯子を、一番上の段まで這うようにして上りつめた。そうして体を出来るだけ、平(たいら)にしながら、頸を出来るだけ、前へ出して、恐る恐る、楼の内を覗(のぞ)いて見た。
見ると、楼の内には、噂に聞いた通り、幾つかの死骸(しがい)が、無造作に棄ててあるが、火の光の及ぶ範囲が、思ったより狭いので、数は幾つともわからない。ただ、おぼろげながら、知れるのは、その中に裸の死骸と、着物を着た死骸とがあるという事である。勿論、中には女も男もまじっているらしい。そうして、その死骸は皆、それが、かつて、生きていた人間だと云う事実さえ疑われるほど、土を捏(こ)ねて造った人形のように、口を開(あ)いたり手を延ばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、ぼんやりした火の光をうけて、低くなっている部分の影を一層暗くしながら、永久に唖(おし)の如く黙っていた。下人(げにん)は、それらの死骸の腐爛(ふらん)した臭気に思わず、鼻を掩(おお)った。しかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻を掩う事を忘れていた。ある強い感情が、ほとんどことごとくこの男の嗅覚を奪ってしまったからだ。
下人の眼は、その時、はじめてその死骸の中に蹲(うずくま)っている人間を見た。檜皮色(ひわだいろ)の着物を着た、背の低い、痩(や)せた、白髪頭(しらがあたま)の、猿のような老婆である。その老婆は、右の手に火をともした松の木片(きぎれ)を持って、その死骸の一つの顔を覗きこむように眺めていた。髪の毛の長い所を見ると、多分女の死骸であろう。
下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時(ざんじ)は呼吸(いき)をするのさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「頭身(とうしん)の毛も太る」ように感じたのである。すると老婆は、松の木片を、床板の間に挿して、それから、今まで眺めていた死骸の首に両手をかけると、丁度、猿の親が猿の子の虱(しらみ)をとるように、その長い髪の毛を一本ずつ抜きはじめた。髪は手に従って抜けるらしい。その髪の毛が、一本ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えて行った。そうして、それと同時に、この老婆に対するはげしい憎悪が、少しずつ動いて来た。――いや、この老婆に対すると云っては、語弊(ごへい)があるかも知れない。むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。この時、誰かがこの下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、饑死(うえじに)をするか盗人(ぬすびと)になるかと云う問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、饑死を選んだ事であろう。それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した松の木片(きぎれ)のように、勢いよく燃え上り出していたのである。
下人には、勿論、何故老婆が死人の髪の毛を抜くかわからなかった。従って、合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった。しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くと云う事が、それだけで既に許すべからざる悪であった。勿論、下人は、さっきまで自分が、盗人になる気でいた事なぞは、とうに忘れていたのである。そこで、下人は、両足に力を入れて、いきなり、梯子から上へ飛び上った。そうして聖柄(ひじりづか)の太刀に手をかけながら、大股に老婆の前へ歩みよった。老婆が驚いたのは云うまでもない。
老婆は、一目下人を見ると、まるで弩(いしゆみ)にでも弾(はじ)かれたように、飛び上った。
「おのれ、どこへ行く。」
下人は、老婆が死骸につまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行手を塞(ふさ)いで、こう罵(ののし)った。老婆は、それでも下人をつきのけて行こうとする。下人はまた、それを行かすまいとして、押しもどす。二人は死骸の中で、しばらく、無言のまま、つかみ合った。しかし勝敗は、はじめからわかっている。下人はとうとう、老婆の腕をつかんで、無理にそこへ[插图](ね)じ倒した。丁度、鶏(にわとり)の脚のような、骨と皮ばかりの腕である。
「何をしていた。云え。云わぬと、これだぞよ。」下人は、老婆をつき放すと、いきなり、太刀の鞘(さや)を払って、白い鋼(はがね)の色をその眼の前へつきつけた。けれども、老婆は黙っている。両手をわなわなふるわせて、肩で息を切りながら、眼を、眼球(めだま)が[插图](まぶた)の外へ出そうになるほど、見開いて、唖のように執拗(しゅうね)く黙っている。これを見ると、下人は始めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されていると云う事を意識した。そうしてこの意識は、今までけわしく燃えていた憎悪の心を、いつの間にか冷ましてしまった。後(あと)に残ったのは、ただ、ある仕事をして、それが円満に成就した時の、安らかな得意と満足とがあるばかりである。そこで、下人は、老婆を見下しながら、少し声を柔らげてこう云った。
「己(おれ)は検非違使(けびいし)の庁の役人などではない。今し方この門の下を通りかかった旅の者だ。だからお前に縄(なわ)をかけて、どうしようと云うような事はない。ただ、今時分この門の上で、何をして居たのだか、それを己に話しさえすればいいのだ。」すると、老婆は、見開いていた眼を、一層大きくして、じっとその下人の顔を見守った。[插图](まぶた)の赤くなった、肉食鳥のような、鋭い眼で見たのである。それから、皺で、ほとんど、鼻と一つになった唇を、何か物でも噛んでいるように動かした。細い喉で、尖った喉仏(のどぼとけ)の動いているのが見える。その時、その喉から、鴉(からす)の啼くような声が、喘(あえ)ぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わって来た。
「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘(かずら)にしようと思うたのじゃ。」
下人は、老婆の答が存外、平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また前の憎悪が、冷やかな侮蔑(ぶべつ)と一しょに、心の中へはいって来た。すると、その気色(けしき)が、先方へも通じたのであろう。老婆は、片手に、まだ死骸の頭から奪った長い抜け毛を持ったなり、蟇(ひき)のつぶやくような声で、口ごもりながら、こんな事を云った。「成程な、死人(しびと)の髪の毛を抜くと云う事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいな事を、されてもいい人間ばかりだぞよ。現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸(しすん)ばかりずつに切って干したのを、干魚(ほしうお)だと云うて、太刀帯(たてわき)の陣へ売りに往(い)んだわ。疫病(えやみ)にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいた事であろ。それもよ、この女の売る干魚は、味がよいと云うて、太刀帯どもが、欠かさず菜料(さいりよう)に買っていたそうな。わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」
老婆は、大体こんな意味の事を云った。
下人は、守宮(やもり)のように足音をぬすんで、やっと急な梯子を、一番上の段まで這うようにして上りつめた。そうして体を出来るだけ、平(たいら)にしながら、頸を出来るだけ、前へ出して、恐る恐る、楼の内を覗(のぞ)いて見た。
見ると、楼の内には、噂に聞いた通り、幾つかの死骸(しがい)が、無造作に棄ててあるが、火の光の及ぶ範囲が、思ったより狭いので、数は幾つともわからない。ただ、おぼろげながら、知れるのは、その中に裸の死骸と、着物を着た死骸とがあるという事である。勿論、中には女も男もまじっているらしい。そうして、その死骸は皆、それが、かつて、生きていた人間だと云う事実さえ疑われるほど、土を捏(こ)ねて造った人形のように、口を開(あ)いたり手を延ばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、ぼんやりした火の光をうけて、低くなっている部分の影を一層暗くしながら、永久に唖(おし)の如く黙っていた。下人(げにん)は、それらの死骸の腐爛(ふらん)した臭気に思わず、鼻を掩(おお)った。しかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻を掩う事を忘れていた。ある強い感情が、ほとんどことごとくこの男の嗅覚を奪ってしまったからだ。
下人の眼は、その時、はじめてその死骸の中に蹲(うずくま)っている人間を見た。檜皮色(ひわだいろ)の着物を着た、背の低い、痩(や)せた、白髪頭(しらがあたま)の、猿のような老婆である。その老婆は、右の手に火をともした松の木片(きぎれ)を持って、その死骸の一つの顔を覗きこむように眺めていた。髪の毛の長い所を見ると、多分女の死骸であろう。
下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時(ざんじ)は呼吸(いき)をするのさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「頭身(とうしん)の毛も太る」ように感じたのである。すると老婆は、松の木片を、床板の間に挿して、それから、今まで眺めていた死骸の首に両手をかけると、丁度、猿の親が猿の子の虱(しらみ)をとるように、その長い髪の毛を一本ずつ抜きはじめた。髪は手に従って抜けるらしい。その髪の毛が、一本ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えて行った。そうして、それと同時に、この老婆に対するはげしい憎悪が、少しずつ動いて来た。――いや、この老婆に対すると云っては、語弊(ごへい)があるかも知れない。むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。この時、誰かがこの下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、饑死(うえじに)をするか盗人(ぬすびと)になるかと云う問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、饑死を選んだ事であろう。それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した松の木片(きぎれ)のように、勢いよく燃え上り出していたのである。
下人には、勿論、何故老婆が死人の髪の毛を抜くかわからなかった。従って、合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった。しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くと云う事が、それだけで既に許すべからざる悪であった。勿論、下人は、さっきまで自分が、盗人になる気でいた事なぞは、とうに忘れていたのである。そこで、下人は、両足に力を入れて、いきなり、梯子から上へ飛び上った。そうして聖柄(ひじりづか)の太刀に手をかけながら、大股に老婆の前へ歩みよった。老婆が驚いたのは云うまでもない。
老婆は、一目下人を見ると、まるで弩(いしゆみ)にでも弾(はじ)かれたように、飛び上った。
「おのれ、どこへ行く。」
下人は、老婆が死骸につまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行手を塞(ふさ)いで、こう罵(ののし)った。老婆は、それでも下人をつきのけて行こうとする。下人はまた、それを行かすまいとして、押しもどす。二人は死骸の中で、しばらく、無言のまま、つかみ合った。しかし勝敗は、はじめからわかっている。下人はとうとう、老婆の腕をつかんで、無理にそこへ[插图](ね)じ倒した。丁度、鶏(にわとり)の脚のような、骨と皮ばかりの腕である。
「何をしていた。云え。云わぬと、これだぞよ。」下人は、老婆をつき放すと、いきなり、太刀の鞘(さや)を払って、白い鋼(はがね)の色をその眼の前へつきつけた。けれども、老婆は黙っている。両手をわなわなふるわせて、肩で息を切りながら、眼を、眼球(めだま)が[插图](まぶた)の外へ出そうになるほど、見開いて、唖のように執拗(しゅうね)く黙っている。これを見ると、下人は始めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されていると云う事を意識した。そうしてこの意識は、今までけわしく燃えていた憎悪の心を、いつの間にか冷ましてしまった。後(あと)に残ったのは、ただ、ある仕事をして、それが円満に成就した時の、安らかな得意と満足とがあるばかりである。そこで、下人は、老婆を見下しながら、少し声を柔らげてこう云った。
「己(おれ)は検非違使(けびいし)の庁の役人などではない。今し方この門の下を通りかかった旅の者だ。だからお前に縄(なわ)をかけて、どうしようと云うような事はない。ただ、今時分この門の上で、何をして居たのだか、それを己に話しさえすればいいのだ。」すると、老婆は、見開いていた眼を、一層大きくして、じっとその下人の顔を見守った。[插图](まぶた)の赤くなった、肉食鳥のような、鋭い眼で見たのである。それから、皺で、ほとんど、鼻と一つになった唇を、何か物でも噛んでいるように動かした。細い喉で、尖った喉仏(のどぼとけ)の動いているのが見える。その時、その喉から、鴉(からす)の啼くような声が、喘(あえ)ぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わって来た。
「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘(かずら)にしようと思うたのじゃ。」
下人は、老婆の答が存外、平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また前の憎悪が、冷やかな侮蔑(ぶべつ)と一しょに、心の中へはいって来た。すると、その気色(けしき)が、先方へも通じたのであろう。老婆は、片手に、まだ死骸の頭から奪った長い抜け毛を持ったなり、蟇(ひき)のつぶやくような声で、口ごもりながら、こんな事を云った。「成程な、死人(しびと)の髪の毛を抜くと云う事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいな事を、されてもいい人間ばかりだぞよ。現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸(しすん)ばかりずつに切って干したのを、干魚(ほしうお)だと云うて、太刀帯(たてわき)の陣へ売りに往(い)んだわ。疫病(えやみ)にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいた事であろ。それもよ、この女の売る干魚は、味がよいと云うて、太刀帯どもが、欠かさず菜料(さいりよう)に買っていたそうな。わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」
老婆は、大体こんな意味の事を云った。
【新闻】【髙橋ひかる】作品を通して知らなかった自分と出会う♡ 主演ドラマへの思いとは?
この夏、連続ドラマ『ハレーションラブ』で主演を務める髙橋ひかる。そこで今回は、久しぶりのドラマ出演で改めて感じる思いをについてインタビューしてきました。最近人気がぐんぐん上昇し、男女問わず魅了するオーラをまとったひかるの普段とは違う、女優としての一面を掘り下げます♡
作品に入ると知らなかった自分に出会える
フレッシュな気持ちで挑む新しいお芝居にワクワク!
この夏、連続ドラマ『ハレーションラブ』で主演を務めるひかる。実は、演技の仕事は半年以上ぶり。久しぶりのドラマ出演で改めて感じる思いを語ってくれました。
「久々にお芝居することに対して、やっぱり緊張感はあります。でも、それ以上に台本を読んでいるだけですごくおもしろくって、演じるのが楽しみ!
台本に書かれていることって、ほとんどが会話なので読んでいて人物像は浮かんできても、そのシーンがどんな街で繰り広げられてるかみたいな、景色までは簡単には想像できないことが多いんですよ。
でも今回の『ハレーションラブ』は、台本を読んだだけで登場人物の気持ちからそのシーンの背景まで、情景がありありと浮かんできたんです。そういう意味でも、今までやってきたドラマとはどこか感覚が違う部分があるかも。
実際に現場に立ったり、ロケで街に出たりしたら、自分が想像していた情景が鮮明になるのか、はたまた違う感情が出てくるのか、どうなるんだろうと考えるとワクワクしますね。
それと、もうひとつ新しい感覚を味わえそうだなと思っているのが、今回演じる深山朱莉という役どころ。わたしが今まで演じてきたのは、なぜかクセの強い役ばかりだったんですよ。
彼氏が死んじゃって幽霊になるみたいな影のある役だったり、コスプレ少女みたいなコメディ全開の役だったり、すごく極端で。それが今回は、ストーリー展開はスピーディなサスペンスだけど、演じる朱莉という人物はすごく普通の女子大生。
それに原作のないオリジナルストーリーなので、台本を読んだときや現場に入ったときに感じる自分の感情が役をつくるのに大きく影響するという環境も、わたしにとっては新鮮!
自分のこれまでの人生を振り返って確認しながら役作りをしていくことになりそうなので、それも新しい経験になるだろうなと思っています。ちなみに主演という立場へのプレッシャーは感じていません。
作品のなかではどの役も、ひとりひとりが重要だから、そこに特別な意識を持ってないんです。ただ、主演だと必然的に登場シーンが多く、現場にいる時間が長くなるのはうれしいところ。
共演者の方以外にもスタッフさんとのコミュニケーションもしっかり取れて、関係性を作れるっていうところは、主演の醍醐味。それを存分に味わいたいです!」
お芝居に取り組む姿からは、キラキラしたオーラが感じられる。その一方で、作品に入ると役の心情の影響を受けやすいタイプだと言います。そんな女優スイッチが入っている時期のひかるに起こる変化とは?
「お芝居期間に入ったほうが心のブレがないかも!作品に入っていない普段のわたしは、すごい明るいときもあれば、全然しゃべらず落ち着いてるときもあったり、テンション感が日々変動するんです。
雑誌の撮影をした翌日にバラエティの収録みたいに、毎日行く現場が違って、お仕事をする相手も変わるのが当たり前の環境。だから生活リズムもバラバラで、それによって感情が上下しやすくなってるみたい。
それがドラマなどの作品に入ると、同じ現場に通って、同じメンバーと会うっていう状況が毎日のように続いてルーティンができるからメンタルが安定するんです。だけど、役に引っぱられるタイプだから、そのときの役によって現場での立ち居振る舞いは変わるかも。
今回の役はそんなに影響を受けないかなと想像してるんですけど、でもストーリーが進むとヘビーなシーンも多くなるから、意外と暗くなってるのかも……。ただ作品に入ってるときの自分がどんなふうなのかは客観視できないので、終わってからいろいろ気づくんだろうなぁ。
振り返ってみると、いつも作品を通して知らなかった自分と出会えるので、今回はどんな発見があるのか楽しみです!」
#高桥光[超话]##高桥光##髙橋ひかる#
この夏、連続ドラマ『ハレーションラブ』で主演を務める髙橋ひかる。そこで今回は、久しぶりのドラマ出演で改めて感じる思いをについてインタビューしてきました。最近人気がぐんぐん上昇し、男女問わず魅了するオーラをまとったひかるの普段とは違う、女優としての一面を掘り下げます♡
作品に入ると知らなかった自分に出会える
フレッシュな気持ちで挑む新しいお芝居にワクワク!
この夏、連続ドラマ『ハレーションラブ』で主演を務めるひかる。実は、演技の仕事は半年以上ぶり。久しぶりのドラマ出演で改めて感じる思いを語ってくれました。
「久々にお芝居することに対して、やっぱり緊張感はあります。でも、それ以上に台本を読んでいるだけですごくおもしろくって、演じるのが楽しみ!
台本に書かれていることって、ほとんどが会話なので読んでいて人物像は浮かんできても、そのシーンがどんな街で繰り広げられてるかみたいな、景色までは簡単には想像できないことが多いんですよ。
でも今回の『ハレーションラブ』は、台本を読んだだけで登場人物の気持ちからそのシーンの背景まで、情景がありありと浮かんできたんです。そういう意味でも、今までやってきたドラマとはどこか感覚が違う部分があるかも。
実際に現場に立ったり、ロケで街に出たりしたら、自分が想像していた情景が鮮明になるのか、はたまた違う感情が出てくるのか、どうなるんだろうと考えるとワクワクしますね。
それと、もうひとつ新しい感覚を味わえそうだなと思っているのが、今回演じる深山朱莉という役どころ。わたしが今まで演じてきたのは、なぜかクセの強い役ばかりだったんですよ。
彼氏が死んじゃって幽霊になるみたいな影のある役だったり、コスプレ少女みたいなコメディ全開の役だったり、すごく極端で。それが今回は、ストーリー展開はスピーディなサスペンスだけど、演じる朱莉という人物はすごく普通の女子大生。
それに原作のないオリジナルストーリーなので、台本を読んだときや現場に入ったときに感じる自分の感情が役をつくるのに大きく影響するという環境も、わたしにとっては新鮮!
自分のこれまでの人生を振り返って確認しながら役作りをしていくことになりそうなので、それも新しい経験になるだろうなと思っています。ちなみに主演という立場へのプレッシャーは感じていません。
作品のなかではどの役も、ひとりひとりが重要だから、そこに特別な意識を持ってないんです。ただ、主演だと必然的に登場シーンが多く、現場にいる時間が長くなるのはうれしいところ。
共演者の方以外にもスタッフさんとのコミュニケーションもしっかり取れて、関係性を作れるっていうところは、主演の醍醐味。それを存分に味わいたいです!」
お芝居に取り組む姿からは、キラキラしたオーラが感じられる。その一方で、作品に入ると役の心情の影響を受けやすいタイプだと言います。そんな女優スイッチが入っている時期のひかるに起こる変化とは?
「お芝居期間に入ったほうが心のブレがないかも!作品に入っていない普段のわたしは、すごい明るいときもあれば、全然しゃべらず落ち着いてるときもあったり、テンション感が日々変動するんです。
雑誌の撮影をした翌日にバラエティの収録みたいに、毎日行く現場が違って、お仕事をする相手も変わるのが当たり前の環境。だから生活リズムもバラバラで、それによって感情が上下しやすくなってるみたい。
それがドラマなどの作品に入ると、同じ現場に通って、同じメンバーと会うっていう状況が毎日のように続いてルーティンができるからメンタルが安定するんです。だけど、役に引っぱられるタイプだから、そのときの役によって現場での立ち居振る舞いは変わるかも。
今回の役はそんなに影響を受けないかなと想像してるんですけど、でもストーリーが進むとヘビーなシーンも多くなるから、意外と暗くなってるのかも……。ただ作品に入ってるときの自分がどんなふうなのかは客観視できないので、終わってからいろいろ気づくんだろうなぁ。
振り返ってみると、いつも作品を通して知らなかった自分と出会えるので、今回はどんな発見があるのか楽しみです!」
#高桥光[超话]##高桥光##髙橋ひかる#
「人類が消えて1年後の地球の姿」を専門家が予測する
人間がいなくなったら自然は豊かになり、地球は動物たちの楽園へと生まれ変わるのだろうか? それとも、荒れ果てた地となるのだろうか? 専門家が予測する。
【画像】人間がいなくなったら、家の周りはどうなるのか?
すべての人間が突然、消滅したら地球はどんな姿になるか。そんなことを考えたことがありますか?
人間が作った人工物はどうなるのでしょうか? 私たちの家や学校、ご近所の見慣れた風景はどうなるのでしょうか? 誰が飼い犬に餌を与えるのでしょうか? 誰が草刈りをするのでしょうか? 映画やテレビや本でよく取り上げられるテーマではありますが、人類の終末に関して考えるというのは、やはり奇妙なことです。
静けさが支配する世界
もし人類が地球上から姿を消し、1年後にまた戻ってきてどうなったかを確認できたら、最初に気づくのは目で見てわかる変化ではないはずです。
それはおそらく、耳で気がつくものでしょう。
おそらく世界は静まり返っています。同時に、現在の私たちの生活がいかに騒音に囲まれているかにも気づくはずです。建物からも車からも騒音が出ています。そういった騒音すべてが消えているのです。
天気も変化しているはずです。人間がいなくなって1年後の空はいっそう青く、空気もいまよりもっと澄み切っていることでしょう。風と雨が地球の表面をきれいに洗い流して、人間が作り出すスモッグや塵(ちり)などはすべてなくなっているからです。
家はどうなる?
人間がすべていなくなって最初の1年はどうなっているのでしょうか。皆さんの住んでいる家は誰の手も入らず、放置されたままです。
家のなかに入ったら、喉が渇いていないことを願いましょう。蛇口をひねっても水は出ません。水道水を送り届けるシステムは、つねにポンプで水を汲み上げる必要があるためです。公共水道施設に誰もいなくなれば、水を汲み上げるポンプも動かず、水も送られてきません。
それでも、すべての人間がいなくなったときに水道管に残っていた水は、最初の冬がきてもまだそのままです。そこへ寒波がやってくると、残っていた水が凍り、水道管は破裂します。
電気もありません。発電所を監視する人々、燃料供給の維持を担う人々がいなくなり、発電所は機能しなくなります。灯りはつかず、家のなかは真っ暗。テレビも電話もパソコンも使えません。
家は埃だらけになるでしょう。実は埃はつねに空気中を漂っているのですが、エアコンやヒーターの風で吹き飛ばされるので、それに気づいていません。家のなかの部屋を移動するときも、埃を巻き込んで動いています。しかしそのようなことがなくなるため、家のなかの空気は動かず、家中の埃は下に落ちて溜まります。
そして、庭の草は伸びて伸びて、伸び続けます。だらりと垂れるようになったら、成長が止まるかもしれません。しかしそのあいだにも新しい雑草が生えてきて、庭はどこもかしこも雑草だらけになるでしょう。
庭に根を張るのは、これまで見たことのない植物だらけになるかもしれません。木から種がこぼれ落ちるたびに、その種が芽吹いて幼木が根付くかもしれません。そして、それを引き抜いたり切り倒したりする人は誰もいません。飛び回る虫の数は、いまよりもはるかに増えているはずです。
ここで、「人間はどんな方法を使っても虫を退治しようとする」ということを思い出してみましょう。人間は空気中や地面に虫除けスプレーを噴射したり、虫の巣を取り除いたり、窓に網戸を取り付けたりします。それでも退治できないときは、叩きつぶします。
もし人間がこうした虫退治をしなくなったら、虫はまた戻ってきます。こうして虫たちは再び人間のいない世界を満喫するようになるでしょう。
家の周りはどうなる?
皆さんの家の周りではさまざまな生き物が出入りして、人工物を見て驚いたりしていることでしょう。
最初に棲みつくのは、ネズミ、ウッドチャック、アライグマ、スカンク、キツネ、ビーバーでしょう。最後のビーバーは意外に思われるかもしれませんが、かつて北米はビーバーの一大生息地でした。次にシカやコヨーテ、ときにはクマなどの大型動物です。最初の1年でやってくることはないかもしれませんが、いずれそうなります。
照明の光がなくなれば、自然界のリズムが戻ってきます。光は太陽と月と星だけ。夜行性の生き物たちも暗い夜空が戻ってきて、のびのびと活動するようになります。
一方で、火事は頻発するようになるでしょう。雷が木や野原に落ちて燃え広がったり、家やビルに雷が直撃したりするかもしれません。その火を消す人もいませんから、火は自然鎮火するまで燃え続けます。
街はどうなる?
街路、高速道路、橋、建物など、コンクリート製のものは、人間がいなくなってわずか1年後にはすべて似たような状態になっているでしょう。たとえば、人間がいなくなって10年後に再び訪れたらどうなっているでしょうか。コンクリートの表面にはひび割れができて、そこから小さな植物がくねくねと出てきます。
地球がつねに動き続けているためです。それがコンクリートに力をかけ、その力でひび割れが生じます。やがて道路は割れたガラスのように亀裂だらけになり、そこから草だけでなく木まで生えてきたりします。
金属の橋脚がある橋は、ゆっくりと錆びていきます。橋を支える梁やボルトも同様です。しかし、コンクリート製の大きな橋や、同じくコンクリートでできた州間高速道路などの人工物は何世紀も残り続けるでしょう。
人間が世界中の川や谷川に築いたダムや堤防は、侵食を受けます。農地も自然に戻ります。私たちが口にしている食用植物も消えはじめます。トウモロコシやジャガイモやトマトも、あまり実らなくなります。
家畜はクマやコヨーテ、オオカミやヒョウの獲物となるでしょう。ペットはどうなるでしょうか? 猫は野生化し、多くは大型動物の餌食になるでしょう。犬もほとんど生き残れないでしょう。
そして古代ローマ遺跡のような姿に…
さらにときが経過して、1000年後はどうなっているのでしょうか? みなさんが見覚えのある世界は、まだうっすらとその姿をとどめているかもしれません。人工物も少しは残っているでしょうが、それを左右するのは作られた材料や、どんな気候のなかにあったか、そして単純に偶然の作用です。
ここにはアパートが、あそこには映画館が、あるいは崩れかけたショッピングモールが、「失われた文明の記念碑」として残っているかもしれません。ローマ帝国は1500年以上前に崩壊しましたが、その痕跡の一部はいまも残っていますよね。
少なくとも人類が突然、世界から姿を消すときは、私たちが地球をどのように扱ってきたかがはっきりするときです。同時に、いま見ている世界は、私たちがいなければ存在せず、つねに人の手を入れ続けなければ残らないということでもあります。
何事もそうですが、文明に関しても絶え間なく人の手が入らなければ、保つことはできないのです。
Carlton Basmajian
人間がいなくなったら自然は豊かになり、地球は動物たちの楽園へと生まれ変わるのだろうか? それとも、荒れ果てた地となるのだろうか? 専門家が予測する。
【画像】人間がいなくなったら、家の周りはどうなるのか?
すべての人間が突然、消滅したら地球はどんな姿になるか。そんなことを考えたことがありますか?
人間が作った人工物はどうなるのでしょうか? 私たちの家や学校、ご近所の見慣れた風景はどうなるのでしょうか? 誰が飼い犬に餌を与えるのでしょうか? 誰が草刈りをするのでしょうか? 映画やテレビや本でよく取り上げられるテーマではありますが、人類の終末に関して考えるというのは、やはり奇妙なことです。
静けさが支配する世界
もし人類が地球上から姿を消し、1年後にまた戻ってきてどうなったかを確認できたら、最初に気づくのは目で見てわかる変化ではないはずです。
それはおそらく、耳で気がつくものでしょう。
おそらく世界は静まり返っています。同時に、現在の私たちの生活がいかに騒音に囲まれているかにも気づくはずです。建物からも車からも騒音が出ています。そういった騒音すべてが消えているのです。
天気も変化しているはずです。人間がいなくなって1年後の空はいっそう青く、空気もいまよりもっと澄み切っていることでしょう。風と雨が地球の表面をきれいに洗い流して、人間が作り出すスモッグや塵(ちり)などはすべてなくなっているからです。
家はどうなる?
人間がすべていなくなって最初の1年はどうなっているのでしょうか。皆さんの住んでいる家は誰の手も入らず、放置されたままです。
家のなかに入ったら、喉が渇いていないことを願いましょう。蛇口をひねっても水は出ません。水道水を送り届けるシステムは、つねにポンプで水を汲み上げる必要があるためです。公共水道施設に誰もいなくなれば、水を汲み上げるポンプも動かず、水も送られてきません。
それでも、すべての人間がいなくなったときに水道管に残っていた水は、最初の冬がきてもまだそのままです。そこへ寒波がやってくると、残っていた水が凍り、水道管は破裂します。
電気もありません。発電所を監視する人々、燃料供給の維持を担う人々がいなくなり、発電所は機能しなくなります。灯りはつかず、家のなかは真っ暗。テレビも電話もパソコンも使えません。
家は埃だらけになるでしょう。実は埃はつねに空気中を漂っているのですが、エアコンやヒーターの風で吹き飛ばされるので、それに気づいていません。家のなかの部屋を移動するときも、埃を巻き込んで動いています。しかしそのようなことがなくなるため、家のなかの空気は動かず、家中の埃は下に落ちて溜まります。
そして、庭の草は伸びて伸びて、伸び続けます。だらりと垂れるようになったら、成長が止まるかもしれません。しかしそのあいだにも新しい雑草が生えてきて、庭はどこもかしこも雑草だらけになるでしょう。
庭に根を張るのは、これまで見たことのない植物だらけになるかもしれません。木から種がこぼれ落ちるたびに、その種が芽吹いて幼木が根付くかもしれません。そして、それを引き抜いたり切り倒したりする人は誰もいません。飛び回る虫の数は、いまよりもはるかに増えているはずです。
ここで、「人間はどんな方法を使っても虫を退治しようとする」ということを思い出してみましょう。人間は空気中や地面に虫除けスプレーを噴射したり、虫の巣を取り除いたり、窓に網戸を取り付けたりします。それでも退治できないときは、叩きつぶします。
もし人間がこうした虫退治をしなくなったら、虫はまた戻ってきます。こうして虫たちは再び人間のいない世界を満喫するようになるでしょう。
家の周りはどうなる?
皆さんの家の周りではさまざまな生き物が出入りして、人工物を見て驚いたりしていることでしょう。
最初に棲みつくのは、ネズミ、ウッドチャック、アライグマ、スカンク、キツネ、ビーバーでしょう。最後のビーバーは意外に思われるかもしれませんが、かつて北米はビーバーの一大生息地でした。次にシカやコヨーテ、ときにはクマなどの大型動物です。最初の1年でやってくることはないかもしれませんが、いずれそうなります。
照明の光がなくなれば、自然界のリズムが戻ってきます。光は太陽と月と星だけ。夜行性の生き物たちも暗い夜空が戻ってきて、のびのびと活動するようになります。
一方で、火事は頻発するようになるでしょう。雷が木や野原に落ちて燃え広がったり、家やビルに雷が直撃したりするかもしれません。その火を消す人もいませんから、火は自然鎮火するまで燃え続けます。
街はどうなる?
街路、高速道路、橋、建物など、コンクリート製のものは、人間がいなくなってわずか1年後にはすべて似たような状態になっているでしょう。たとえば、人間がいなくなって10年後に再び訪れたらどうなっているでしょうか。コンクリートの表面にはひび割れができて、そこから小さな植物がくねくねと出てきます。
地球がつねに動き続けているためです。それがコンクリートに力をかけ、その力でひび割れが生じます。やがて道路は割れたガラスのように亀裂だらけになり、そこから草だけでなく木まで生えてきたりします。
金属の橋脚がある橋は、ゆっくりと錆びていきます。橋を支える梁やボルトも同様です。しかし、コンクリート製の大きな橋や、同じくコンクリートでできた州間高速道路などの人工物は何世紀も残り続けるでしょう。
人間が世界中の川や谷川に築いたダムや堤防は、侵食を受けます。農地も自然に戻ります。私たちが口にしている食用植物も消えはじめます。トウモロコシやジャガイモやトマトも、あまり実らなくなります。
家畜はクマやコヨーテ、オオカミやヒョウの獲物となるでしょう。ペットはどうなるでしょうか? 猫は野生化し、多くは大型動物の餌食になるでしょう。犬もほとんど生き残れないでしょう。
そして古代ローマ遺跡のような姿に…
さらにときが経過して、1000年後はどうなっているのでしょうか? みなさんが見覚えのある世界は、まだうっすらとその姿をとどめているかもしれません。人工物も少しは残っているでしょうが、それを左右するのは作られた材料や、どんな気候のなかにあったか、そして単純に偶然の作用です。
ここにはアパートが、あそこには映画館が、あるいは崩れかけたショッピングモールが、「失われた文明の記念碑」として残っているかもしれません。ローマ帝国は1500年以上前に崩壊しましたが、その痕跡の一部はいまも残っていますよね。
少なくとも人類が突然、世界から姿を消すときは、私たちが地球をどのように扱ってきたかがはっきりするときです。同時に、いま見ている世界は、私たちがいなければ存在せず、つねに人の手を入れ続けなければ残らないということでもあります。
何事もそうですが、文明に関しても絶え間なく人の手が入らなければ、保つことはできないのです。
Carlton Basmajian
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