雨夜の怪談
岡本綺堂

 秋……殊ことに雨などが漕々そうそう降ると、人は兎角とかくに陰気になつて、動ややもすれば魔物臭い話が出る。さればこそ、七偏人しちへんじんは百物語を催ほして大愚大人を脅かさんと巧み、和合人わごうじんの土場六先生はヅーフラ(註:オランダ渡来の、ラツパのような形状をした呼筒。半七捕物帳「ズウフラ怪談」に詳しい。)を以て和次さん等を驚かさんと企つるに至るのだ。聞く所に拠よれば近来も怪談大流行、到る所に百物語式の会合があると云ふ。で、私も流行を趁おうて、自分が見聞の怪談二三を紹介する。但ただし何いずれも実録であるから、芝居や講釈の様に物凄いのは無い。それは前以てお断り申して置く。



 明治六七年の頃、私わたしの家うちは高輪たかなわから飯田町いいだまちに移つた。飯田町の家は大久保何某なにがしといふ旗本はたもとの古屋敷で随分広い。移つてから二月ふたつきほど経つた或夜の事、私の母が夜半よなかに起きて便所に行く。途中は長い廊下、真闇まっくらの中なかで何やら摺違すれちがつたやうな物の気息けはいがする、之これと同時に何とは無しに後あとへ引戻されるやうな心地がした。けれども、別に意にも介とめず、用を済すまして寝床へ帰つた。
 こゝに住むこと約半年、更さらに同町内の他へ移転した。すると、出入でいりの酒商さかやが来て、旧宅にゐる間に何か変つた事は無かつたかと問ふ。いや、何事も無かつたと答へると、実は彼あの家うちは昔から有名なだいの化物屋敷、あなた方が住んでお在いでの時に、そんな事を申上げては却かえつて悪いと、今日こんにちまで差控さしひかえて居おりましたと云ふ。併しかし此方こっちでは何等の不思議を見た事無し、強しいて心当りを探り出せば、前に記しるした一件のみ。これでも怪談の部であらうか。



 安政あんせいの末年まつねん、一人の若武士わかざむらいが品川から高輪たかなわの海端うみばたを通る。夜は四よつ過ぎ、他ほかに人通りは無い。芝しばの田町たまちの方から人魂ひとだまのやうな火が宙ちゅうを迷まようて来る。それが漸次しだいに近ちかづくと、女の背に負おぶはれた三歳みっつばかりの小供が、竹の柄えを付けた白張しらはりのぶら提灯ぢょうちんを持つてゐるのだ。唯ただ是これだけの事ならば別に仔細しさい無なし、こゝに不思議なるは其その女の顔で、眼も鼻も無い所謂いわゆるのツぺらぼう。武士さむらいも驚いて、思はず刀に手を掛けたが、待て暫しばし、広い世の中には病気又は怪我けがの為に不思議な顔を有もつ女が無いとも限らぬ、迂闊うかつに手を下くだすのも短慮だと、少時しばしづツと見てゐる中うちに、女は消ゆるが如ごとくに行き過ぎて遠く残るは提灯ちょうちんの影ばかり。是これ果はたして人か怪かいか竟ついに分らぬ。其その武士さむらいと云ふのは私の父である。
 忠盛ただもりは油坊主あぶらぼうずを捕へた。私も引捕へて詮議すれば可よかつたものを……と、老後の悔くやみ話。



 慶応けいおうの初年しょねん、私の叔父おじは富津ふっつの台場だいばを固めてゐた、で、或日あるひの事。同僚吉田何某なにがしと共に近所へ酒を飲みに行つた帰途かえりみち、冬の日も暮れかゝる田甫路たんぼみちをぶら/\来ると、吉田は何故なぜか知らず、動ややもすれば田たの方へ踉蹌よろけて行く。勿論幾分か酔つてはゐるが、足下あしもとの危い程でも無いに兎角とかくに左の方へと行きたがる。おい、田へ落ちるぞ、確乎しっかりしろと、叔父は幾いくたびか注意しても、本人は夢の様、無意識に田の中なかへ行かうとする。
 其中そのうちに、叔父が不図ふと見ると、田を隔へだてたる左手ゆんでの丘に一匹の狐がゐて、宛さながら招まねくが如くに手を挙あげてゐる。こん畜生! 武士さむらいを化ばかさうなどゝは怪けしからぬと、叔父も酒の勢ひ、腰なる刀をひらりと抜く。これを見て狐は逃げた。吉田は眼を摩こすりながら「あゝ、睡ねむかつた……。」それから後のちは何事も無い。
 動物電気に依よって一種のヒプノヂズム式作用を起すものと見える。狐が人を化すと云ふのも嘘では無いらしい。


 鼬いたちの立つのは珍しくはないが私は猫の立つて歩くのを見た。
 時は明治三十一年の八月十二日、夜の一時頃であらう。私は寝苦しいので蚊帳かやを出た。庭を一巡して扨さてそれから表へ出やうと、何心なく門を明けると、門から往来へ出る路次ろじの真中まんなかに何物か立つてゐる。月は明るい。其そのうしろ姿は正まさしく猫、加之しかも表通りの焼芋商やきいもやに飼つてある雉子猫きじねこだ。彼奴きゃつ、どうするかと息を潜ひそめて窺うかがつてゐると、彼かれは長き尾を地に曳ひき二本の後脚あとあしを以もって矗然すっくと立つたまゝ、宛さながら人のやうに歩んで行く、足下あしもとは中々なかなか確たしかだ。
 はて、不思議と見てゐる中うちに、彼は既すでに二間けんばかりも歩き出した。私は一種の好奇心に駆られて、背後うしろから其後そのあとを尾つけやうと、跫音あしおとを偸ぬすんで一歩蹈ふみ出すや否や、彼は忽たちまち顧みかえつた。と思ふと、平常へいぜいの四脚よつあしに復かえつて飛鳥ひちょうの如ごとくに往来へ逃げ去つた。私も続いて逐おうたが、もう影も見せぬ。
 翌日、焼芋屋の店を窺うかがふと彼は例の如く竈前かままえに遊んでゐる。併しかし昨夜の事を迂闊うっかり饒舌しゃべつて、家内の者を閙さわがすのも悪いと思つたから、私は何にも言はなかつた。が、其後も絶えず彼の挙動に注目してゐると、翌月の末頃から彼は姿を現はさぬ。同家に就ついて訊けば、猫は二三日前から行方不明となつたと云ふ。
 動物学上から云へば、猫の立つて歩くのも或あるいは当然の事かも知れぬ。併しかし我々俗人は之これをも不思議の一つに数かぞへるのが慣例ならいだ。


 明治廿三にじゅうさん年の二月、父と共に信州軽井沢に宿やどる。昨日から降積ふりつむ雪で外へは出られぬ。日の暮れる頃に猟夫かりうどが来て、鹿の肉を買つて呉くれと云ふ。退屈の折柄おりから、彼を炉辺ろへんに呼び入れて、種々いろいろの話をする。
 木曾路の山へ分け入ると、折々に不思議を見る。猟夫仲間では之これをえてものと云ふ。現に此この猟夫も七八年前ぜん二三人の同業者と連れ立つて、木曾の山奥へ猟りょうに行つた。斯かかる深山へ登る時には、四五日にち分ぶんの米の他に鍋なべ釜かまをも携たずさへて行くのが慣例ならい。
 登山してから三日目の夕刻、一同は唯とある大樹たいじゅの下に屯たむろして夕飯ゆうめしを焚たく。で、もう好よい頃と一人が釜の蓋ふたを明けると、濛々もうもうと颺あがる湯気ゆげの白き中なかから、真蒼まっさおな人間の首がぬツと出た。あツと驚いて再び蓋をすると、其中そのなかで物馴ものなれた一人が「えてものだ、鉄砲を撃て。」と云ふ。一同直すぐに鉄砲を把とつて、何処どこを的あてとも無なしに二三発ぱつ。それから更さらに釜の蓋を明けると今度は何の不思議もない。
 えてものの正体は何なんだか知らぬが、処々おりおりに斯こういふ悪戯いたずらをすると、猟夫の話。



 日露戦争の際、私は東京日々とうきょうにちにち新聞社から通信員として戦地へ派遣された。三十七年の九月、遼陽りょうようより北一里り半はんの大紙房だいしぼうといふ村に宿とまつて、滞留約半月はんつき。其間そのあいだに村人の話を聞くと、大紙房と小紙房との村境むらざかいに一間の空家あきやがあつて十数年来誰たれも住まぬ。それは『鬼き』が祟たたりを作なす為だと云ふ。
 中国の怪物ばけもの………私は例の好奇心に促されて、一夜を彼かの空屋に送るべく決心した。で、更さらに委くわしく其その『鬼き』の有様を質ただすと、曰いわく、半夜に凄風せいふう颯さっとして至る。大鬼だいきは衣冠いかんにして騎馬、小鬼しょうき数十何いずれも剣戟けんげきを携たずさへて従ふ。屋おくに進んで大鬼先まづ瞋いかつて呼ぶ、小鬼それに応じて口より火を噴き、光熖こうえん屋おくを照てらすと。
 何の事だ。宛まるで子不語しふごが今古奇観こんこきかんにでも有ありさうな怪談だ。余り馬鹿々々しいので、


 これは最近の話。今年の五月、菊五郎一座が水戸みとへ乗込んだ時とき。一座の鼻升びしょう、菊太郎、市勝いちかつ等ら五名は下市しもいちの某旅店ぼうりょてん(名は憚はばかつて記しるさぬ)に泊つて、下座敷したざしきの六畳の間まに陣取る。で、第一日の夜、市勝が俯向うつむいて手紙を書いてゐると、鼻の頭さきの障子しょうじが自然にすうと明いた。之これを序開じょびらきとして種々いろいろの不思議がある。段々だんだん詮議すると、これは此家このやに年古く住む鼬いたちの仕業しわざだと云ふ。
 併しかし人間に対して害は加へぬと分つたので、一同も先まづ安心。其後そのごは芝居から帰ると、毎夜彼かの鼬を対手あいてにして遊ぶ。就中なかんずく面白いのは、例の狐狗狸式こくりしきに物を当てさせる事で、例へば此室このへやに女が居いるかと問ひ、居ない時には彼かれが廊下をとんと一つ打つ。居る時にはとん/\と二つ打つと云ふ類たぐいだ。
 或時あるとき、此室このへやに手拭てぬぐいが幾筋いくすじ掛けてあるかと問へば、彼は廊下を四つ打つた。けれども、手拭は三筋より無い。更さらに聞直しても矢はり四つだと答へる。で、念の為に手拭を検あらためると、三筋と思つたのは此方こっちの過失あやまりで、一つの釘くぎに二筋の手拭が重ねて掛けて有あつて、都合つごう四筋といふのが成なるほど本当だ。是これには何いずれも敬服したと云ふ。が、彼かれは果はたして鼬いたちか狸たぬきか、或あるいは人の悪戯いたずらかと種々いろいろに穿索せんさくしたが、遂ついに其正体を見出し得なかつた。宿やどの者は飽あくまでも鼬と信じてゐるらしいとの事。

【柏木悠(超特急)】
ドラマ特区『ゴーストヤンキー』
単独初主演でとびこんだのは、
昭和×幽霊の「ありえない!」世界
わんぱくな彼らの想いを遂げるため、
時計の針が動き出す!

目に見えない世界、見たことのない時代、出逢ったことのない人、日常的には「ありえない!」ことを疑似体験できることが〝芝居の楽しさ〟だとお話してくれた柏木さん。そんな柏木さんが『風町トゲル』を演じて見た世界は、まさに「ありえない!」の連続。ありえない世界でありえない出逢いを果たしたトゲルの目に映ったのは、誰も見たことのない他校の闘い・・・いや、他界の闘い・・・?さぁ、わんぱくな決闘がファンキーに開幕です――!

-あらすじ-
けがで陸上選手の夢を絶たれた主人公・風町トゲル(柏木悠)は人生に絶望し、「一生…死んだように生きるくらいなら…」と無意識に車の前に飛び出し―気がつくと“幽霊”になっていた。突然の出来事に戸惑っていると、約40年前に死んでからいまだに成仏できていないという昭和ヤンキーグループ「わんぱく団」の吾郎(福澤侑)、順平(小坂涼太郎)、チッタ(寺坂頼我)と出会う。一方、吾郎ら「わんぱく団」と仲間だったバーチ(石川凌雅)は、霊界で悪さをする“暴霊族”の一員になっていた。トゲルはいまだに昭和に取り残されたバカでアツいヤンキーたちに、ジェネレーションギャップを感じながらも、だんだんと仲間意識が芽生えはじめ――

2005年生まれの高校3年生。陸上で致命的な怪我をしてしまい、夢を絶たれ、吸い込まれるように、走行中の車の前へと飛び出してしまう。今どきの現代っ子で、昭和ヤンキーの『わんぱく団』にアツさに、ジェネレーションギャップを感じている。

初単独主演 × 柏木悠
初の単独主演のお話をいただいたときは、楽しみと同時にプレッシャーもかなり感じました。正直、楽しみ4割、プレッシャー6割くらいの気持ちだったのですが、僕の初主演の決定を家族がとても喜んでくれているのを見て「プレッシャーを押しのけて頑張らないと!」と、気合いが入って。撮影が近づくにつれて楽しみの割合が増えてきたので、結果、良い臨み方ができたんじゃないかな、と思います。

風町トゲル × 柏木悠
トゲルは令和の時代を生きている、僕と同世代の高校生。あまり役づくりをせず撮影に臨むほうがいい気がして、あえて外見も中身も変えずに演じさせていただきました。作中で幽霊になった後に『わんぱく団』という昭和のヤンキーグループに出会うのですが、彼らから昭和の価値観や情報について教わるときも、リアルな初見の反応をしたかったので、下調べはせずトゲルと同じタイミングで知ることを意識して作品に入っていました。

作品を通して初めて知り、驚いた
“昭和のヤンキー知識”はありますか?

台本にあるセリフなど調べてみると、現代ではありえないような情報が出てきて…!「こんなものがあったんだ」と、ヤンキー情報を知ることができてとても面白かったです(笑)。僕世代の学生たちにも、何かしら思春期なりの反抗のようなものが存在していたとは思うのですが、ヤンキーには出会ったことがなく、他校同士の喧嘩など、見たことのないものばかりでとても新鮮でした。いろんな時代があったことをコメディ要素強めで伝えられる作品になっていると思うので、世代問わず楽しんでいただけると思います。

昭和×令和が入り乱れる物語ですが、
柏木さんご自身が
「僕のここは現代っぽくない」と
思う面はありますか?

僕、本当に流行に疎いタイプなので、そういったところは現代っぽくないのかな、と思います。周りの方によると最近は、何だったっけな…何かアプリなどが流行っているらしいのですが、僕はまったく知らなくて…(笑)。

次から次へと
新しいものが生まれていますものね(笑)。
撮影現場の雰囲気はいかがでしたか?

現場の方々がとても優しくお力添えをしてくださってありがたかったです。朝、みんなのテンションがまだ上がりきっていないときでも「今日も頑張ろう!」と、声がけをして気持ちを引き締めてくださったり、芝居に集中できる雰囲気をつくってくださったり、現場の皆さんのあたたかさにカバーしていただいた現場でした。共演者のなかには年齢の離れている方もいらっしゃったのですが、歳の差を感じないように優しく接してくださったおかげで、僕のほうから積極的にいかせていただくこともできて。スタッフさんにも、キャストの皆さんにも、本当に感謝しています。

トゲルは陸上選手の夢を絶たれて
絶望を感じている青年、
一方で柏木さんは
〈夢〉に突き進まれているイメージがあります。
柏木さんが未来を選ぶ際に
“大切にしていること”を教えてください。

僕、実は「やりたくないことをやってみたら、めちゃくちゃ楽しかった」で進んできたタイプなんです。この業界もそう。ダンスもやりたくない、演技もやりたくない、業界にも入りたくないと思っていたのに、いざやってみたら全部、めちゃくちゃやりがいがあって楽しくて。まだまだ人生を語るには経験が浅いけれど、「最初はやりたくないと思ったことでも、やってみて判断する」という、これまでの経験で培った学びは今後も大切にしていきたいと思いますし、もし迷っていることがあるのなら、皆さんにもまずはやってみることをオススメします。

最初はやりたくなかった演技にも
いまでは果敢にチャレンジされていますが、
だんだん見えてきた“芝居の楽しさ”はありますか?

いちばんは“体験できないようなことを疑似体験できる楽しさ”ですかね。今回の作品もそうですが、芝居を通してたくさんの経験、価値観を理解することができるので、少しずつ俯瞰的な考え方ができるようになってきた気がします。芝居は各々の人の気持ちにならないとできないもの。常に演じる役の気持ちになって考えることで、僕自身の価値観もさらに広げていければいいな、と思っています。

Dear LANDOER読者
ドラマ『ゴーストヤンキー』
From 柏木悠

見どころは何といってもアクションシーン。カメラ割にとてもこだわられていたので、迫力のあるシーンがたくさん観られるんじゃないかと思います。同時に、友情もの、コメディものの要素も観ていただきたい部分です。トゲルと『わんぱく団』のみんなを観ていると、楽しい気持ちになったり、青春を感じたりできると思いますし、昭和世代の方々には懐かしんでいただけるとも思います。僕世代の皆さんには「こんなものがあったんだ」といった発見もあるはず。世代ごとに感じ方や捉え方が変わる作品だと思うので、幅広い世代の方に観ていただいて「面白い!」と感じていただけたら嬉しいです。

▶️https://t.cn/A6TlfPPD

四谷怪談
田中貢太郎(下)

物縫い奉公に住み込んだお岩は、伊右衛門のことを思い出さないこともないが、それでも心は軽かった。某日あるひお岩が庖厨かっての庭にいると、煙草屋たばこやの茂助もすけと云う刻み煙草を売る男が入って来た。この茂助はお岩の家へも商いに来ていたのでお岩とも親しかった。
「田宮のお嬢様でございますか、この辺あたりにいらっしゃると聞いておりましたが、こちらさまでございますか、いかがでございます、左門殿町の方へも時どきいらっしゃいますか」
「わたしは、もう、道楽者の夫とは、縁を切って、こちらさまの御厄介になっておるから、往ったこともないが、さすがの比丘尼も、あの道楽者には困っておりましょうよ」
「おや、お嬢様は、何も御存じないと見えますね、伊右衛門様は、伊藤喜兵衛様のお妾のお花さんを御妻室になされておりますよ」
「え、それはほんとかえ」
「ほんとでございますとも、それも人の噂うわさでは、喜兵衛様のお妾のお花と、伊右衛門様をいっしょにするために、喜兵衛様、長右衛門様、伊右衛門様の三人が同腹ぐるになって、伊右衛門様に道楽者の真似まねをさして、それでお嬢様をお出しになったということでございます」
「そうか、そうであったか、そう云えば、読めた、鬼、外道」
 お岩の眼はみるみる釣りあがった。顔の皮が剥けて渋紙色をした眼の悪い髪の毛の縮れた醜い女の形相は夜叉やしゃのようになった。茂助は驚いて逃げだした。お岩の炎の出ているような口からは、伊右衛門、喜兵衛、お花、長右衛門の名がきれぎれに出た。お岩の朋輩の婢達はお岩を宥なだめようとしたがお岩の耳には入らなかった。伝六と云うそこの若侍がつかまえようとすると、
「おのれも伊右衛門に加担するか」
 と、云ってその若侍を投げ飛ばしたのちに、台所へ往って台所用具を手あたり次第に投げ出してから狂い出た。御家人の家ではそのままにしておけないので、大勢で追っかけさしたがどこへ往ったのか姿を見失ってしまった。そして、辻つじの番人に聞いて歩いていると、
「二十五六の女が髪をふり乱しながら、四谷御門の外へ走って往くのを見た」
 と、云うところがあったので、またその方を探したがとうとう判らなかった。

 お岩が奉公先を狂い出て行方の判らなくなったことは伊右衛門達の方へも聞えて来た。伊右衛門はそれを聞くとその当座はうす気味が悪かったが、結局邪魔者がいなくなったので安心した。
 翌年の四月になって女房のお花は女の小供を生んだ。それは喜兵衛の小供であるのは云うまでもない。伊右衛門の家はそれから平穏で、お花は続いて三人の小供を生んだが、その小供の総領になっているお染そめと云うのが十四、次の男の子の権八郎ごんぱちろうと云うのが十三、三番目の鉄之助てつのすけと云うのが十一、四番目お菊きくと云うのが三つになった時、それは七月の十八日の夜であったが、伊右衛門初め一家の者が集まって涼んでいると、縁の端さきにお岩のような女が姿をあらわして、
「伊右衛門、伊右衛門、伊右衛門」
 と、三声続けて云いながら往ってしまった。伊右衛門は邪気を払うために、家の中で弾の入ってない鉄砲を鳴らした。すると四番目の女の子がその音に驚いて引きつけ、医師いしゃにかけたが癒なおらないで八月の十五日に歿くなった。
 それから伊右衛門の家には怪異が起って、お染の許へ男が来るような気配があったり、夜眼を覚して見ると女房の傍に男が寝ていて消えたりしているうちに、某日の黄昏たそがれ三番目の男の子が家の後へ往ってみると、前年歿くなっている四番目の女の子がいて負ってくれと云った。男の子は怖れて逃げて来たが、それから病気になり、日蓮宗の僧侶に頼んで祈祷などもしてもらったけれども、とうとう癒らずにその年の九月十八日になって歿くなった。
伊右衛門はますます恐れて雑司ヶ谷ぞうしがやの鬼子母神きしもじんなどへ参詣さんけいしたが、怪異はどうしても鎮まらないで女房が病気になったところへ、四月八日、芝しばの増上寺ぞうじょうじの涅槃会ねはんえへ往っていた権八郎がその夜霍乱かくらんのような病気になって翌日歿くなり続いて五月二十七日になって女房が歿くなった。伊右衛門はお染に源五右衛門げんごえもんと云うのを婿養子にしたところで、その年の六月二十八日、不意に暴風雨が起って雷が鳴り、東の方の庇ひさしを風に吹きとられた。伊右衛門はしかたなしに屋根へあがって応急の修繕をしようとしたが、足を踏み外して腰骨を打って動けなくなったうえに、耳の際を切った疵きずが腐って来て膿うみが出るので、それに鼠ねずみがついて初めは一二匹であったものが、次第に多くなって防ぐことができないので、長櫃ながびつの中へ入れておくうちに七月十一日になって死んでしまった。
 田宮の家では源五右衛門が家督を相続したが、そのうちにお染が病気になった。年は二十五であったと記録にある。そのお染が歿くなってから源五右衛門は、家についている怪異が恐ろしいので、己じぶんの後へ養子をして別居しようと思っているうちに、邸やしきの内の樹木を無暗に斬りだした。源五右衛門は発狂したのであった。それがために扶持を召し放されて田宮家は断絶した。

 田宮家がこうして断絶する一方、伊藤喜兵衛の家では喜兵衛が隠居して養子に名跡を継がしてあったが、その養子も隠居して新右衛門しんえもんと云うのに名跡を継がしたところで、二代目の喜兵衛は吉原よしわらへ通うようになり、そのうちに遊び仲間が殺された罪にまきぞえになって、牢屋に入れられた末に打ち首になったので、家はとり潰されて新右衛門父子は追放になった。そして、一代目の喜兵衛は乳母の小供の覚助かくすけと云う者の世話になって露命を繋つないでいたが、暮の二十八日になって死んでしまった。
 また、秋山長右衛門の家では、女むすめのおつねが食あたりのようになって歿くなり、続いて女房が歿くなった。その時田宮源五右衛門の家が断絶になったが、その田宮の上り邸はすぐ隣であったから、長右衛門に御預となった。
 そのうちに長右衛門は組頭になった。御先手支配の浅野左兵衛あさのさへえは長右衛門を呼んで、田宮の後をとり立てるように命じたので、長右衛門は総領の庄兵衛しょうべえを跡目にした。すると己じぶんの跡目を相続するものがないので、御持筒組おもちづつぐみ同心の次男で小三郎こさぶろうと云う十三になる少年を養子にした。そして、庄兵衛が御番入りをして三年目になった時、庄兵衛は十人ばかりの朋輩といっしょに道を歩いていると、年のころ五十ばかりに見える恐ろしい顔をした女乞食おんなこじきがいた。庄兵衛といっしょに歩いていた近藤六郎兵衛はその乞食に眼を注つけて、
「かの女非人は、田宮又左衛門の女むすめに能く似ている」
 と云った。すると他の者は、
「お岩は、あれよりも背も低かったし、御面相も、あれよりよっぽど悪かった」
 と云った。庄兵衛は小さい時から種々の事を聞かされているので気味悪く思ったが、それから三日目の夕方になって病気になった。長右衛門は驚いて庄兵衛の家の跡目の心配をしていると、六日目の夕方から長右衛門自身が病気になって八日目に歿くなり、続いて庄兵衛が十日目になって歿くなったので田宮家は又断絶した。
 小三郎は養父の二七日ふたなぬかの日になって法事をしたところで、翌朝六つ時分になって庖厨かってに火を焼たく者があった。それは五十ばかりの女であった。小三郎は不思議に思って声をかけるとそのまま消えてしまった。
 その怪しい女の姿は翌朝また地爐いろりの傍に見えた。その時小三郎はまだ眠っていたので小三郎の父の家から付けてある重左衛門じゅうざえもんと云う小男げなんが見つけた。小三郎は起きてその話を聞いて縁の下を検しらべたが、黒猫が一ついたばかりで別に不思議もなかった。しかし、怪異が気になるので大般若経だいはんにゃきょうなどを読んでもらったりしているうちに、これも病気になって歿くなったので秋山家も断絶した。そして、秋山と田宮の建物がとりこわしになったので、左門殿町の妖怪邸ばけものやしきと云って好事者ものずきが群集した。


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