石川啄木

  啄木鳥

いにしへ聖者が雅典アデンの森に撞つきし、
光ぞ絶えせぬみ空の『愛の火』もて
鋳いにたる巨鐘おほがね、無窮むきゆうのその声をぞ
染めなす『緑』よ、げにこそ霊の住家。
聞け、今、巷に喘あへげる塵ちりの疾風はやち
よせ来て、若やぐ生命いのちの森の精の
聖きよきを攻むやと、終日ひねもす、啄木鳥きつつきどり、
巡りて警告いましめ夏樹なつきの髄ずゐにきざむ。

往ゆきしは三千年みちとせ、永劫えいごふ猶なほすすみて
つきざる『時』の箭や、無象の白羽の跡
追ひ行く不滅の教よ。――プラトオ、汝が
浄きを高きを天路の栄はえと云ひし
霊をぞ守りて、この森不断の糧かて、
奇くしかるつとめを小さき鳥のすなる。

  隠沼

夕影しづかに番つがひの白鷺しらさぎ下り、
槇まきの葉枯かれたる樹下こしたの隠沼こもりぬにて、
あこがれ歌ふよ。――『その昔かみ、よろこび、そは
朝明あさあけ、光の揺籃ゆりごに星と眠り、
悲しみ、汝なれこそとこしへ此処ここに朽くちて、
我が喰はみ啣ふくめる泥土ひづちと融とけ沈みぬ。』――
愛の羽寄り添ひ、青瞳せいどううるむ見れば、
築地ついぢの草床、涙を我も垂たれつ。

仰あふげば、夕空さびしき星めざめて、
しぬびの光よ、彩あやなき夢ゆめの如ごとく、
ほそ糸ほのかに水底みぞこに鎖くさりひける。
哀歓かたみの輪廻めぐりは猶なほも堪へめ、
泥土ひづちに似る身ぞ。ああさは我が隠沼、
かなしみ喰はみ去る鳥さへえこそ来めや。

眠れる都

(京に入りて間もなく宿りける駿河台の新居、窓を開けば、竹林の崖下、一望甍いらかの谷ありて眼界を埋めたり。秋なれば夜毎に、甍の上は重き霧、霧の上に月照りて、永く山村僻陬へきすうの間にありし身には、いと珍らかの眺めなりしか。一夜興をえて匇々さうさう筆を染めけるもの乃すなはちこの短調七聯れんの一詩也。「枯林」より「二つの影」までの七篇は、この甍の谷にのぞめる窓の三週の仮住居になれるものなりき)

鐘鳴りぬ、
いと荘厳おごそかに
夜は重し、市いちの上。
声は皆眠れる都
瞰下みおろせば、すさまじき
野の獅子ししの死にも似たり。

ゆるぎなき
霧の巨浪おほなみ、
白う照る月影に
氷りては市を包みぬ。
港なる百船ももふねの、
それの如ごと、燈影ほかげ洩もるる。

みおろせば、
眠れる都、
ああこれや、最後をはりの日
近づける血潮の城か。
夜の霧は、墓の如、
ものみなを封じ込めぬ。

百万の
つかれし人は
眠るらし、墓の中。
天地あめつちを霧は隔てて、
照りわたる月かげは
天あめの夢地にそそがず。

声もなき
ねむれる都、
しじまりの大いなる
声ありて、霧のまにまに
ただよひぬ、ひろごりぬ、
黒潮のそのどよみと。

ああ声は
昼のぞめきに
けおされしたましひの
打なやむ罪の唸うなりか。
さては又、ひねもすの
たたかひの名残なごりの声か。

我が窓は、
濁にごれる海を
遶めぐらせる城の如、
遠寄とほよせに怖れまどへる
詩うたの胸守りつつ、
月光を隈くまなく入れぬ。

東京

かくやくの夏の日は、今
子午しご線の上にかかれり。

煙突の鉄の林や、煙皆、煤黒すすぐろき手に
何をかも攫つかむとすらむ、ただ直ひたに天をぞ射させる。
百千網ももちあみ巷巷ちまたちまたに空車行く音もなく
あはれ、今、都大路に、大真夏光動かぬ
寂寞せきばくよ、霜夜の如く、百万の心を圧せり。

千万の甍いらか今日こそ色もなく打鎮しづまりぬ。
紙の片白き千ひらを撒まきて行く通魔とほりまありと、
家家の門や又窓まど、黒布に皆とざされぬ。
百千網都大路に人の影暁星の如
いと稀まれに。――かくて、骨泣く寂滅じやくめつ死の都、見よ。

かくやくの夏の日は、今
子午線の上にかかれり。

何方いづかたゆ流れ来ぬるや、黒星よ、真北の空に
飛ぶを見ぬ。やがて大路の北の涯はて、天路に聳そそる
層楼の屋根にとまれり。唖唖ああとして一声、――これよ
凶鳥まがどりの不浄の烏からす。――骨あさる鳥なり、はたや、
死の空にさまよひ叫ぶ怨恨ゑんこんの毒嘴どくはしの鳥。

鳥啼なきぬ、二度。――いかに、其声の猶なほ終らぬに、
何方ゆ現れ来しや、幾尺の白髪かき垂れ、
いな光る剣捧ささげし童顔の翁おきなあり。ああ、
黒長裳くろながも静かに曳ひくや、寂寞の戸に反響こだまして、
沓くつの音全都に響き、唯一人大路を練れり。
有りとある磁石の針は
子午線の真北を射せり。

吹角つのぶえ

みちのくの谷の若人、牧の子は
若葉衣の夜心に、
赤葉の芽ぐみ物燻くゆる五月さつきの丘の
柏かしは木立をたもとほり、
落ちゆく月を背に負ひて、
東白しののめの空のほのめき――
天あめの扉との真白き礎もとゆ湧く水の
いとすがすがし。――
ひたひたと木陰地こさぢに寄せて、
足もとの朝草小露明らみぬ。
風はも涼すずし。
みちのくの牧の若人露ふみて
もとほり心角くだ吹けば、
吹き、また吹けば、
渓川たにがはの石津瀬いはつせはしる水音も
あはれ、いのちの小鼓こつづみの鳴の遠音とほねと
ひびき寄す。
ああ静心しづごころなし。
丘のつづきの草の上へに
白き光のまろぶかと
ふとしも動く物の影。――
凹くぼみの埓かこひの中に寝て、
心うゑたる暁の夢よりさめし
小羊の群は、静かにひびき来る
角の遠音にあくがれて、
埓こえ、草をふみしだき、直ひたに走りぬ。
暁の声する方かたの丘の辺へに。――
ああ歓よろこびの朝の舞、
新乳にひちの色の衣して、若き羊は
角ふく人の身を繞めぐり、
すずしき風に啼なき交かはし、また小躍こをどりぬ。
あはれ、いのちの高丘に
誰ぞ角吹かば、
我も亦またこの世の埓をとびこえて、
野ゆき、川ゆき、森をゆき、
かの山越えて、海越えて、
行かましものと、
みちのくの谷の若人、いやさらに
角吹き吹きて、静心なし。
  
年老いし彼は商人

年老いし彼は商人あきびと。
靴くつ、鞄かばん、帽子、革帯かはおび、
ところせく列ならべる店に
坐り居て、客のくる毎ごと、
尽日ひねもすや、はた、電燈の
青く照る夜も更ふくるまで、
てらてらに禿はげし頭を
礼ゐやあつく千度ちたび下げつつ、
なれたれば、いと滑なめらかに
数数の世辞をならべぬ。
年老いし彼はあき人。
かちかちと生命いのちを刻む
ボンボンの下の帳場や、
簿記台ぼきだいの上に低たれたる
其その頭、いと面白おもしろし。

その頭低たるる度毎たびごと、
彼が日は短くなりつ、
年こそは重みゆきけれ。
かくて、見よ、髪の一条ひとすぢ
落ちつ、また、二条、三条、
いつとなく抜けたり、遂つひに
面白し、禿げたる頭。
その頭、禿げゆくままに、
白壁の土蔵どざうの二階、
黄金の宝の山は
(目もはゆし、暗やみの中にも。)
積まれたり、いと堆うづたかく。

埃及エジプトの昔の王は
わが墓の大金字塔だいピラミドを
つくるとて、ニルの砂原、
十万の黒兵者くろつはものを
二十年はたとせも役えきせしといふ。
年老いしこの商人あきびとも
近つ代の栄の王者、
幾人の小僧つかひて、
人の見ぬ土蔵の中に
きづきたり、宝の山を。――
これこそは、げに、目もはゆき
新世あらたよの金字塔ピラミドならし、
霊魂たましひの墓の標しるしの。

《犬、猫、鼠》鲁迅(上)
 

去年あたりから私を嫌猫家と呼ぶ人がでてきたようだ。その原因は私が書いた「兎と猫」にあり:これは自らまいた種だから、何も言うことは無いし、気にもしていない。が、今年に入って少し心配になってきた。というのも、私は常々、筆を弄して、いろいろ書いてきたが、一部の人には、痒いところを掻くというのは少なく、痛いところを突いている方が多いようだ。万一それが、著名人や名教授、更には「青年を指導する先輩諸兄に、不謹慎かつ非礼な言動と見られたら、とても危険極まりない、ということになる。なぜか?こうした大家はいちゃもんをつけることにかけては、すさまじいものがあるからである。どれほどすさまじいか、といえば、私の文に一晩中カリカリした後で、新聞に寄稿して攻撃してくるからである。
「見てみろ!犬は猫を仇敵視しているではないか!魯迅氏は自ら猫嫌いと認めていながら、今度は“水に落ちた犬を叩け”」と言いだした。
この“ロジック”の奥妙さは、私の発言でもって、私を(嫌猫家の)犬だと証明しておいてから、私の文章の根拠を根こそぎ覆すからだ。私の2X2=4、3X3=9という九九は、すべて不正解となる。これが正しくないとなると、紳士諸兄の口から出る、2X2=7,3X3=1,000  が正解となる。
 そこで私はヒマを見つけて、犬と猫が仇敵関係になった“動機”を調べてみた。これは何も最近の学者が“動機”によって作品を評価しようとする流行を、僭越にも真似しようとするのではない。まずは自分で濡れ衣を晴らそうと思ったからにすぎない。動物心理学者にとっては、何の造作も無いことだろうが、惜しいかな、私にはその方面の学問がない。
そのうち、デンハルト博士の「自然史の国民童話」の中に、その原因を見つけた。それに依ると、こういうわけだ。動物たちが重要なことを決めるため会議を開いた。鳥、魚、獣、すべて集まったが、象が来ていない。使いを出して呼びに行くことになり、その籤を引いたのが、犬だった。「象というのはどうやって探すの?見たことも無いし、わからないよ」と訊いた。皆「そりゃ簡単さ」「象の背中は丸いから」と口ぐちに言った。犬は出かけた。途中で猫に会った。猫はいきなり背を弓なりに丸めたので、犬は象だと思って、会場まで同道してきて、背を弓のように曲げた猫を「みなさん象です」と紹介した。その場の全員が嘲笑った。これ以降、犬と猫は敵同士になった、という。
ゲルマン人は森を出てから、あまり時間が経っていないが、学問文芸では相当なものがある。本の装丁や玩具の精巧さには舌をまく。しかしこの童話はどうも頂けない:怨みあうきっかけも面白みに欠けるし、猫が背を弓なりにするのは、何もわざと格好つけたのではない。咎は犬の眼力の無さにある。だが、原因と言えば、一つの原因かもしれない。しかし、私の猫嫌いは、これとはまったく別ものだ。
 人と獣の間は、本来なにも厳しく分ける必要はないの。動物の世界も、古人が幻想したほどには自由で快適とはゆかないものだ。が、ぶつぶつ文句を言ったり、見え透いた嘘をつくなどしない点では、人間社会より優れている。彼らは感情に素直で、正は正、誤は誤として弁解しない。蛆虫は清潔とは言えないが、自分から清らかで気高いなどとは言わない:猛禽猛獣は、自分より弱い動物を餌食にするから凶暴と言わざるを得ぬが、彼らは従来から「公理」だの「正義」だのという旗を振ったりしたことはない。それにもかかわらず、犠牲者たちから、食われる直前まで、敬服され称賛されてきている。
人が直立できたのは、もちろん大進歩だし:話せるようになったのもそうだ:字を書き文を作れるのも大進歩。一方これは堕落でもある。それ以来、空談もするようになったからで、空談だけならいいが、心にもないこと、あるいは心にもとることを、知らず知らずに言いだした。ただ吼え叫ぶだけの動物に比べ、実に“厚かましい”し“忸怩たる”を免れない。もし一視同仁の造物主が高みから、人類のこうした小賢しさを、よけいなことと思い、まさしく動物園で、猿がとんぼ返りするのや、母象がお辞儀するのを見たら、破顔一笑はするものの、どうも薄気味悪く、一種の悲哀を感じ、こういう余計な小賢しさは無い方が良いと思うのと似ている。
 しかし、人間になった以上、“徒党を組んで異端を倒す”しかなく、他人の話すのをまねて、俗に従って話し、弁別するほかは無い。
 さて、これから私の猫嫌いの理由を書くが、自分としては十分な根拠があり、公明正大だと思っている。
1.性格は他の猛獣と異なり、スズメや鼠をつかまえても、一口に殺そうとはせず、思う存分もてあそび、放しては捕まえ、また放して捕まえる。もう飽きたと思う頃まで弄んでから食う。この点、他人の災禍を楽しむ人間が、弱い者をまずいじめるのと似ている。
2.猫は獅子や虎と同種ではないか?しかるにこんな媚態をするとは!が、これも天分かもしれない。もし猫の体が今より十倍も大きければどんな態度をとることやら。しかし、これらの口実は、今筆をとって、思いつくままに書いたものだが、当時の気持ちとしてはそういう理由があると思ったのである。
 ズバリ言うなら、猫の交合時の鳴き声のせいだと言う方が強いだろう。そこに至るまでの手続きがうるさく、他者の心を煩わすことすさまじい。特に夜、読書中、就寝中など、こんな時は長い竹竿で、叩いてやる。犬は道で交合するが、閑人が棍棒で痛打する:かつてブリューゲルの銅版画アルゴリー デル ウオルストにこの種の絵があった。こうした挙動は、古今内外同じようだ。あの執拗なオーストリーの学者フロイトが提唱した精神分析以来、(章士釧氏は「心解」と題したが、簡単で古風な訳だが、実はとても理解しがたい)我々の著名人、名教授もすこぶるあいまいな形で、拾い出してきて応用してきた。これはつまるところ、性欲に帰納されそうだ。犬を叩くことについては、ここでは触れない。
猫を叩くについては、やかましい、というだけである。それ以外なんの悪意もない。
私の嫉妬心は、たいして大きくないという自信がある。今、“何か動けば、咎を受ける”状況にあるから、まずはあらかじめ声明しておかねばならない。例えば、人間は交合の前に、いろいろな手続きが要る。新式ではラブレター、少なくもひと束、多いのはひと箱も要る。
古くは“釣り書き”“結納”、頭を床につける儀礼、去年、海昌の蒋家が北京で婚礼した時、祝いの儀礼が三日も続き、果ては、赤表紙の“婚礼節文”“序論”を印刷し、大変な議論となった:“平常心からこれを論じるに、名付けて礼というからには、必ず何回も行わねばならない。それをもっぱら簡易にしようとするなら、何を以て礼となさんか?……しからば、世の中で、礼に志ある人は、以て興るべし!礼の下らない庶人の地位に退居してはならぬ!と。
だが、私はなにも怒る気にすらならなかった。それは私が出席する必要に迫られなかったからだ:それゆえ、私の猫を敵視するのも、理由は実に簡単ということが判る。要するに、私の耳の近くでうるさく鳴き叫ぶからである。他人の各種の儀礼については、部外者は何も気にしないでよい。私はなにも構わない。だが、読書している時、または寝ているときに、他人が来て、ラブレターを声に出して呼んでくれとか、一緒に儀式に出て呉れというなら、自衛のために、長い竹竿で防御しなければならない。
また、平素交際の無い人が、赤い招待状を寄こして“妹の嫁入りにご臨席を”とか
“息子の婚礼に”“何卒ご出席”“御一統さま全員で”とかの文言には“陰険な暗示”を含んでおり、お金を出さなければ、気持ち悪いことになり、楽しくないのだ。
 しかし、こうしたことは最近のことに過ぎない。顧みるに、私の猫嫌いについては、ずっと昔からで、こんな理由を言い出す前、十歳ごろのことだ。今もはっきり覚えているが、原因は極めて簡単で、猫が鼠を食ったからだ。―――私が飼っていた可愛くて小さなハツカネズミを食ったのだ。
 西洋では黒猫を好まぬようだが、確かなことは知らない:エドガー アランポーの小説の黒猫は、人を恐れさせるが、日本の猫は化けるのが上手く、伝説の猫婆は、人間を食うそうで、残酷さは確かに恐ろしい。中国の古代にも猫の妖怪がいたが、近来猫が妖怪になるのを聞かなくなった。どうやら古い手口は失われて、現実的になったようだ。ただ、私が幼いころ、猫には妖気があり、どうもなじめなかったようだ。それは、ある夏の夜に金木犀の下の小さな木の卓上で、横になって涼んでいた時、祖母が隣で芭蕉扇をあおぎながら、謎々や、昔話をしてくれたとき、突然、金木犀の木の上から、ザザーっと爪を引っ掻く音、暗闇にキラッと光る眼が、音とともに下りて来て、びっくりした。祖母の話も途切れ、それまでの話とは別の猫の話に変わった。
「猫は虎の先生だったって知っているかい?」と祖母。「子供は知らないだろうけど、猫は虎の先生なのよ。虎はもともと何もできなかったので、猫の弟子になったの。猫は殴り方や捉え方、食べ方を、丁度鼠を捕まえるときのように教えたの。みんな教わったら:虎はもう全部マスターした。誰も自分にかなう者は無い。ただ猫だけは自分より強い、もし猫を殺してしまえば、自分が最強になれる。虎はそう思うと、すぐさま猫を倒しに向かった。猫はとっくにそれを察知してぴょんと樹上に跳んだ。虎はなすすべも無く、木の下でうずくまるのみ。すべての技を教えた訳ではない。木の上に登ることは教えなかった。これは僥倖だと私は思った。幸いなことに、虎はとても性急なので、(木登りはマスターせずじまいだったからよかったが)さもなければ、金木犀から虎が下りてくることもあり得るのだ。
しかし、私はその話を聞いて怖くなって、部屋に戻って寝ようと思った。夜はだいぶ更けて:金木犀の葉は、さわさわ音を立て、微風が吹いて来て、茣蓙も少しは涼しくなって、寝がえりをしなくても眠れそうだった。
築数百年の古い屋敷の豆油の灯の、うすぼんやりとした光は、鼠が跳梁する世界で、飄々と走り回り、チュッチュッと鳴き、その態度は往々にして“著名人や名教授”たちより軒昂である。猫は飼われていて食べるに困らない。祖母たちは普段は、衣裳箱をかじるし、食べ物を盗み食いする鼠を憎んでいたが、私はたいしたことではないと思い、自分には無関係だし、そんな悪いことをするのは、大抵は大きな鼠で、私の好きな小さな鼠の悪口を言うのは良くないと思っていた。この小鼠は、地上を走りまわり、親指ほどの大きさで、私の地方では隠鼠(二十日鼠の類か)と呼び、梁の上で駆けまわる人に憎まれるのとは別種だった。
 私の寝床の前に2枚の絵入りの襖があり、1枚は「猪八戒の婿入り」で全面に長い口と大きな耳が描かれ、良い眺めではなかったが、もう1枚は「鼠の嫁入り」でとても可愛かった。新郎新婦がお供や賓客、執事などみなアゴが尖り、足も細くてとても読書人みたいだが、みな赤いシャツと青いズボンである。こんな大規模な儀式を行えるのは私の好きな隠鼠に違いないと思った。

【info】高岡早紀出道35周年将于明年1月31日发行纪念专辑『Decade -Sings Cinematic-』,封面以及收录内容公开。新曲的7寸单曲胶『トーキョームーン / ひとつだけ』本月初已发行。

(限定盤)CD+DVD 7,000円(税込み)品番:VIZL-2284
(通常盤)CD 3,300円(税込み)品番:VICL-65921
収録曲(CD)(*初CD化音源=2, 3, 4, 5, 6, 9, 10, 14, 15)
[SUNNY SIDE]
01. ラブ・スコール(feat. TOKU)
02. サニー
03. 太陽はひとりぼっち(feat. Yohji Yamamoto)
04. ひとつだけ
05. 私の彼氏は200歳
06. アワ・デイ・ウィル・カム
07. シャム猫を抱いて

[RAINY SIDE]
08. みずいろの雨
09. トーキョームーン
10. ミッドナイト・ラブ・コール
11. 黄昏のビギン
12. 君待てども ~I'm waiting for you~(ピアノ:山下洋輔)
13. エヴリタイム・ウィ・セイ・グッバイ(ピアノ:山下洋輔)
[BONUS TRACKS]
14. SUNNY(English Ver.)
15. ラブ・スコール (CEE's VCR Remix)

収録予定曲(DVD)*限定盤のみ(約68分)
[35th Anniversary All Time Video Selections]
・眠れぬ森の美女(MV)
・真夜中のサブリナ(Live)[1989.10.10, 11 Spiral Hall]
・野蛮な憂鬱(Live)[1989.10.10, 11 Spiral Hall]
・悲しみよこんにちは(Live)[1989.10.10, 11 Spiral Hall]
・薔薇と毒薬(Live)[1989.10.10, 11 Spiral Hall]
・セザンヌ美術館(MV)
・Ni-ya-oo(MV)
・君待てども ~I'm waiting for you~ [Short Ver.](MV)
・アゲイン [Live at JZ Brat, 2014 Dec 5](MV) ピアノ:山下洋輔
・ラブ・スコール [Making](MV) feat. TOKU
・愛のムコウガワ(MV)
・Ni-ya-oo(Live)[2021.12.15 COTTON CLUB]
・私の彼氏は200歳(Live)[2021.12.15 COTTON CLUB]
・ミッドナイト・ラブ・コール(Live)[2022.6.27 BLUE NOTE TOKYO]
・やりかけの人生(Live)[2022.6.27 BLUE NOTE TOKYO]
・太陽はひとりぼっち(MV) feat. Yohji Yamamoto


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