日野祐希×はねこと 时隔三年带来新作!
『余命半年の君に僕ができること』(能为时日无多的你所做的事,暂译)
继前作『时日无多的你留给我的东西』(余命一年の君が僕に残してくれたもの);
同一世界观、同一时间,不同的二人所带来的恋爱故事。
【简介】
友翔放弃了成为绘本作家的梦想,过着一成不变的日子,转校生七海来到了他的学校。七海是友翔祖父的忠实粉丝,一直梦想着有一天自己也要成为一名绘本作家。这时,知道友翔过去写过绘本的七海邀请他制作绘本。起初拒绝的友翔后来也被七海拼命追逐梦想的模样所吸引。
然而,当友翔知道七海只剩半年生命时下定决心——“绝对不放弃和七海的梦想”。
放弃梦想的友翔和追逐梦想的七海。这是一段有着相同梦想,可性格完全相反的两个人的恋爱故事。
【作者寄语】
大家好。我是日野祐希。很高兴能够再次为大家带来新的故事。这是我时隔约3年的新作,讲述了和“时日无多的你留给我的东西”生活在同一个世界、同一时间的两人编织的另一个恋爱故事。
新主人公友翔和七海全力奔跑的每一天,如果大家能像前作一样一直关注到最后的话,我会很高兴。
简介和寄语原文
あらすじ
絵本作家になる夢を諦め、代り映えのない日々を送る友翔の学校に、転校生の七海がやってきた。七海は絵本作家である友翔の祖父の大ファンで、いつか自分でも絵本を書きたいと考えていた。そんな時、友翔が過去に絵本を書いていたこと知った七海に絵本作りに誘われる。初めは断る友翔だったが、一生懸命に夢を追う七海の姿に惹かれていく。しかし、七海の余命が半年だと知った友翔は「七海との夢を絶対に諦めない」と決意して――。夢を諦めた友翔と夢を追う七海。同じ夢をもった正反対なふたりの恋物語。
著者コメント
皆さん、こんにちは。日野祐希です。この度、新しい物語を皆さんへお届けできることになりました。約3年ぶりとなる新作は、『余命一年の君が僕に残してくれたもの』と同じ世界・同じ時間に生きるふたりが紡ぐ、もうひとつの恋物語です。新たな主人公である友翔と七海が全力で駆け抜ける日々を、前作と同じく最後まで見守っていただけるとうれしいです。
『余命半年の君に僕ができること』(能为时日无多的你所做的事,暂译)
继前作『时日无多的你留给我的东西』(余命一年の君が僕に残してくれたもの);
同一世界观、同一时间,不同的二人所带来的恋爱故事。
【简介】
友翔放弃了成为绘本作家的梦想,过着一成不变的日子,转校生七海来到了他的学校。七海是友翔祖父的忠实粉丝,一直梦想着有一天自己也要成为一名绘本作家。这时,知道友翔过去写过绘本的七海邀请他制作绘本。起初拒绝的友翔后来也被七海拼命追逐梦想的模样所吸引。
然而,当友翔知道七海只剩半年生命时下定决心——“绝对不放弃和七海的梦想”。
放弃梦想的友翔和追逐梦想的七海。这是一段有着相同梦想,可性格完全相反的两个人的恋爱故事。
【作者寄语】
大家好。我是日野祐希。很高兴能够再次为大家带来新的故事。这是我时隔约3年的新作,讲述了和“时日无多的你留给我的东西”生活在同一个世界、同一时间的两人编织的另一个恋爱故事。
新主人公友翔和七海全力奔跑的每一天,如果大家能像前作一样一直关注到最后的话,我会很高兴。
简介和寄语原文
あらすじ
絵本作家になる夢を諦め、代り映えのない日々を送る友翔の学校に、転校生の七海がやってきた。七海は絵本作家である友翔の祖父の大ファンで、いつか自分でも絵本を書きたいと考えていた。そんな時、友翔が過去に絵本を書いていたこと知った七海に絵本作りに誘われる。初めは断る友翔だったが、一生懸命に夢を追う七海の姿に惹かれていく。しかし、七海の余命が半年だと知った友翔は「七海との夢を絶対に諦めない」と決意して――。夢を諦めた友翔と夢を追う七海。同じ夢をもった正反対なふたりの恋物語。
著者コメント
皆さん、こんにちは。日野祐希です。この度、新しい物語を皆さんへお届けできることになりました。約3年ぶりとなる新作は、『余命一年の君が僕に残してくれたもの』と同じ世界・同じ時間に生きるふたりが紡ぐ、もうひとつの恋物語です。新たな主人公である友翔と七海が全力で駆け抜ける日々を、前作と同じく最後まで見守っていただけるとうれしいです。
@ShibuyaRyuka
もう泣かないと約束したのに、涙が止まらない
悲しいことに涙を流さないと約束したのに、心の中にあなたへの思いで涙溢れちゃだ
私は2万メートルの空であなたのことを思って声もなく泣いた
いつか、きっと、絶対、まだ会える
その時に、泣いても笑ってもいい、“約束は守ったね”この気持ち、あなたに伝えたい。
令和6年5月6日、機内で泣きじゃくって書いたreport
もう泣かないと約束したのに、涙が止まらない
悲しいことに涙を流さないと約束したのに、心の中にあなたへの思いで涙溢れちゃだ
私は2万メートルの空であなたのことを思って声もなく泣いた
いつか、きっと、絶対、まだ会える
その時に、泣いても笑ってもいい、“約束は守ったね”この気持ち、あなたに伝えたい。
令和6年5月6日、機内で泣きじゃくって書いたreport
中日双语 | 为日中两国搭建桥梁#绘画##校园生活##文化#
金月 绫
协助经营家业
“记得穿件外套。”母亲提醒我时,我正身穿学校体操服准备出门上学。之所以如此,是因为她看见我衣服中央印着“中华”二字,担心我的安危。我就读于日本的中华学校,父亲是日本人、母亲是中国人。当时,日本媒体经常报道中国渔船和日本巡逻船之间的紧张态势,以及中国人打砸日本店铺玻璃的抗议游行,日中两国国民间弥漫着不安的氛围。
就在“外套提醒”事件发生的几天前,我正在车站等车,一名陌生男子突然靠近我并击打我的头部,让我险些跌落站台。那个男子叫嚣着“这有个中国人!中国人滚出日本”,眼中满是愤怒。这名男子最终被列车员和在上学路上巡视的学校老师押着带到了警察局。当时我还是小学生,万幸没有受伤,但此事还是在当地引起了一阵骚动。那天后,母亲常苦口婆心地劝我少在人前讲汉语,务必遮住校服和体操服上的“中华”字样。
那时,我担任班级清洁委员,每天早上7点后要到学校打扫。清洁委员的主要工作是打扫学校周边的人行道、在垃圾回收日当天到附近老人的家里帮忙。“中华学校的孩子们总是大声地和我们打招呼,还帮我们打扫周边卫生,都是些好孩子,谢谢你们一直以来的照顾。”每次得到这样的反馈,我总是很开心。因此,当媒体报道铺天盖地的时候,我为了能消除人们对中国人的负面印象,每次打扫时都火力全开,比以往更加努力。
回家前的某次班会,老师比往常迟些进入教室。他面色凝重,许久才开口:“大家别怕,冷静点听我说。刚才学校接到了一则杀人警告,说要‘杀害中华学校的学生’。父母能来学校接送的,请告诉我们;不能来接送的,我们会按序组织同学们集体回家。”有的学生害怕得大哭起来,有的学生吓得手足无措,教室一时间陷入混乱。老师花了好大功夫才让大家冷静下来,在班会结束前老师对我们说:“大家一定要明白,日本人不全是坏人。讨厌中国和中国人的日本人确实存在,但并不是所有人都这样。你们不能因此就去讨厌、憎恶日本和日本人。这所学校的创办宗旨是培养人才,为日中两国搭建桥梁。你们就是日中两国的桥梁。请务必记住这一点。”即便长大成人,这句话依旧铭心刻骨。
被老师带到校外后,映入眼帘的场景令人始料未及。和我们打过照面的周边住户排成队列,站在人行道两侧,队伍中有位眼熟的奶奶,我们每周会到她家里帮忙清理垃圾。正当我们惊讶之时,老师解释道:“学校周边的各位住户主动提出要为大家守护‘回家路’。”“谢谢。”面对致谢,他们温柔地对我们说:“竟然有日本人会做出这种事情,我们觉得非常丢脸。抱歉啊小朋友,你们一定很害怕吧。没事的,我们会守着你们安全到家。”曾经被日本人伤害的幼小心灵,因日本人给予的温暖关怀得到治愈。
身为日中混血,我无法被简单归类为日本人或中国人。因此无论身居日中哪个国家,身份问题带来的这种痛苦经历都在所难免。每当此时,我总会想起年幼时期的这件往事。为日中两国搭建桥梁,这便是我的心之所依。
日本と中国の架け橋
金月 綾
家業手伝い
「上着、着ていきなさいね」。登校前、私の身を案じて中国人の母はそう言った。体操服の胸元には「中華」の2文字。日本人の父と中国人の母の間に生まれた私は、在日中国人学校に通っていた。当時、中国漁船と日本の巡視船の緊迫した状況や、日系店舗の窓ガラスを割る抗議デモの様子などがひっきりなしに報道され、日本人と中国人の間に不穏な雰囲気が漂っていた。
その数日前のことだった。駅で電車を待つ私に見知らぬ男が近づき、突然頭を叩かれた私がホームに転落しかけるという事件があった。「この中国人が!!日本から出ていけ!!」と叫んだ男の目は怒りの色に染まっていた。駅員さんと、通学路を巡回中だった先生に取り押さえられた男はそのまま警察に連行された。当時小学生だった私に幸い怪我はなかったが、この件はちょっとしたニュースになったのだ。この日以降、中国語を人前であまり話さないように、制服や体操服の「中華」のマークを隠すように、母は口酸っぱく言うようになった。
当時、清掃委員をしていた私は毎朝7時すぎに学校に行き、歩道を掃除することが日課になっていた。清掃委員の仕事は主に学校周りの歩道の掃除で、ゴミの日には近所のお年寄りの家に出向き、ゴミ捨てを手伝うこともあった。「中国人学校の子たちは大きな声で挨拶してくれるし、地域の清掃もしてくれて、本当にいい子が多いね。いつもありがとう」。そう言ってもらえたときはとても嬉しかった。こんなときだからこそ、中国人の悪いイメージを払拭しなければと、その頃の私はいつもより張り切って掃除をしていた。
帰宅前のホームルームの時間、先生はいつもより少し遅れて教室に入ってきた。強張った表情の先生は、重い口を開いた。「皆落ち着いて。怖がらずに聞いてください。さっき学校に『中国人学校の生徒を殺す』と殺害予告が届きました。保護者の方が迎えに来られる人は連絡してください。そうでない人は順番に集団下校をするので先生に教えてください」。生徒の中には怖くて泣き出したりパニックを起こしたりする人もいて、教室内は一時騒然となった。何とか生徒たちを落ち着かせた先生は、ホームルームの最後にこう言った。「皆これだけは分かってください。日本人みんなが悪い人ではありません。中国と中国人を憎んでいる人がいるのは確かですが、そうでない人もいます。あなたたちは日本と日本人に対して憎しみの気持ちを持ってはいけません。この学校は日本と中国の架け橋となる人を育てるためにできた学校です。あなたたちは日本と中国の架け橋なのです。そのことを忘れないでください」。この言葉は大人になった今も、私の胸に強く刻まれている。
そして、先生に連れられ学校の外に出ると驚くべき光景が広がっていた。いつも挨拶をしていたご近所の方々が、歩道に列を成していたのだった。毎週ゴミ捨てを手伝っていたおばあさんもその中に立っていた。驚く私に先生は「ご近所の皆さんが生徒の帰宅の見守りに協力すると申し出てくれたのですよ」と言った。「ありがとうございます」とお礼を言う私たちに近所の方々は「こんなことをする日本人がいるなんて、本当に恥ずかしい。ごめんなさいね」「怖かったよね。絶対大丈夫だよ。私たちがあなたたちを守るからね」と優しく声を掛けてくれた。日本人によって傷つけられた幼い私の心は、日本人の温かさに救われたのだった。
中国と日本の間に生まれた私は、日本にいても中国にいても、辛い体験を避けられないことがある。日本人でもあり中国人でもある私は、日本人でもなく中国人でもないからだ。そんなときはいつも幼い頃のこの出来事を思い出す。日本と中国の架け橋、そこに私の居場所はあるのだと。
金月 绫
协助经营家业
“记得穿件外套。”母亲提醒我时,我正身穿学校体操服准备出门上学。之所以如此,是因为她看见我衣服中央印着“中华”二字,担心我的安危。我就读于日本的中华学校,父亲是日本人、母亲是中国人。当时,日本媒体经常报道中国渔船和日本巡逻船之间的紧张态势,以及中国人打砸日本店铺玻璃的抗议游行,日中两国国民间弥漫着不安的氛围。
就在“外套提醒”事件发生的几天前,我正在车站等车,一名陌生男子突然靠近我并击打我的头部,让我险些跌落站台。那个男子叫嚣着“这有个中国人!中国人滚出日本”,眼中满是愤怒。这名男子最终被列车员和在上学路上巡视的学校老师押着带到了警察局。当时我还是小学生,万幸没有受伤,但此事还是在当地引起了一阵骚动。那天后,母亲常苦口婆心地劝我少在人前讲汉语,务必遮住校服和体操服上的“中华”字样。
那时,我担任班级清洁委员,每天早上7点后要到学校打扫。清洁委员的主要工作是打扫学校周边的人行道、在垃圾回收日当天到附近老人的家里帮忙。“中华学校的孩子们总是大声地和我们打招呼,还帮我们打扫周边卫生,都是些好孩子,谢谢你们一直以来的照顾。”每次得到这样的反馈,我总是很开心。因此,当媒体报道铺天盖地的时候,我为了能消除人们对中国人的负面印象,每次打扫时都火力全开,比以往更加努力。
回家前的某次班会,老师比往常迟些进入教室。他面色凝重,许久才开口:“大家别怕,冷静点听我说。刚才学校接到了一则杀人警告,说要‘杀害中华学校的学生’。父母能来学校接送的,请告诉我们;不能来接送的,我们会按序组织同学们集体回家。”有的学生害怕得大哭起来,有的学生吓得手足无措,教室一时间陷入混乱。老师花了好大功夫才让大家冷静下来,在班会结束前老师对我们说:“大家一定要明白,日本人不全是坏人。讨厌中国和中国人的日本人确实存在,但并不是所有人都这样。你们不能因此就去讨厌、憎恶日本和日本人。这所学校的创办宗旨是培养人才,为日中两国搭建桥梁。你们就是日中两国的桥梁。请务必记住这一点。”即便长大成人,这句话依旧铭心刻骨。
被老师带到校外后,映入眼帘的场景令人始料未及。和我们打过照面的周边住户排成队列,站在人行道两侧,队伍中有位眼熟的奶奶,我们每周会到她家里帮忙清理垃圾。正当我们惊讶之时,老师解释道:“学校周边的各位住户主动提出要为大家守护‘回家路’。”“谢谢。”面对致谢,他们温柔地对我们说:“竟然有日本人会做出这种事情,我们觉得非常丢脸。抱歉啊小朋友,你们一定很害怕吧。没事的,我们会守着你们安全到家。”曾经被日本人伤害的幼小心灵,因日本人给予的温暖关怀得到治愈。
身为日中混血,我无法被简单归类为日本人或中国人。因此无论身居日中哪个国家,身份问题带来的这种痛苦经历都在所难免。每当此时,我总会想起年幼时期的这件往事。为日中两国搭建桥梁,这便是我的心之所依。
日本と中国の架け橋
金月 綾
家業手伝い
「上着、着ていきなさいね」。登校前、私の身を案じて中国人の母はそう言った。体操服の胸元には「中華」の2文字。日本人の父と中国人の母の間に生まれた私は、在日中国人学校に通っていた。当時、中国漁船と日本の巡視船の緊迫した状況や、日系店舗の窓ガラスを割る抗議デモの様子などがひっきりなしに報道され、日本人と中国人の間に不穏な雰囲気が漂っていた。
その数日前のことだった。駅で電車を待つ私に見知らぬ男が近づき、突然頭を叩かれた私がホームに転落しかけるという事件があった。「この中国人が!!日本から出ていけ!!」と叫んだ男の目は怒りの色に染まっていた。駅員さんと、通学路を巡回中だった先生に取り押さえられた男はそのまま警察に連行された。当時小学生だった私に幸い怪我はなかったが、この件はちょっとしたニュースになったのだ。この日以降、中国語を人前であまり話さないように、制服や体操服の「中華」のマークを隠すように、母は口酸っぱく言うようになった。
当時、清掃委員をしていた私は毎朝7時すぎに学校に行き、歩道を掃除することが日課になっていた。清掃委員の仕事は主に学校周りの歩道の掃除で、ゴミの日には近所のお年寄りの家に出向き、ゴミ捨てを手伝うこともあった。「中国人学校の子たちは大きな声で挨拶してくれるし、地域の清掃もしてくれて、本当にいい子が多いね。いつもありがとう」。そう言ってもらえたときはとても嬉しかった。こんなときだからこそ、中国人の悪いイメージを払拭しなければと、その頃の私はいつもより張り切って掃除をしていた。
帰宅前のホームルームの時間、先生はいつもより少し遅れて教室に入ってきた。強張った表情の先生は、重い口を開いた。「皆落ち着いて。怖がらずに聞いてください。さっき学校に『中国人学校の生徒を殺す』と殺害予告が届きました。保護者の方が迎えに来られる人は連絡してください。そうでない人は順番に集団下校をするので先生に教えてください」。生徒の中には怖くて泣き出したりパニックを起こしたりする人もいて、教室内は一時騒然となった。何とか生徒たちを落ち着かせた先生は、ホームルームの最後にこう言った。「皆これだけは分かってください。日本人みんなが悪い人ではありません。中国と中国人を憎んでいる人がいるのは確かですが、そうでない人もいます。あなたたちは日本と日本人に対して憎しみの気持ちを持ってはいけません。この学校は日本と中国の架け橋となる人を育てるためにできた学校です。あなたたちは日本と中国の架け橋なのです。そのことを忘れないでください」。この言葉は大人になった今も、私の胸に強く刻まれている。
そして、先生に連れられ学校の外に出ると驚くべき光景が広がっていた。いつも挨拶をしていたご近所の方々が、歩道に列を成していたのだった。毎週ゴミ捨てを手伝っていたおばあさんもその中に立っていた。驚く私に先生は「ご近所の皆さんが生徒の帰宅の見守りに協力すると申し出てくれたのですよ」と言った。「ありがとうございます」とお礼を言う私たちに近所の方々は「こんなことをする日本人がいるなんて、本当に恥ずかしい。ごめんなさいね」「怖かったよね。絶対大丈夫だよ。私たちがあなたたちを守るからね」と優しく声を掛けてくれた。日本人によって傷つけられた幼い私の心は、日本人の温かさに救われたのだった。
中国と日本の間に生まれた私は、日本にいても中国にいても、辛い体験を避けられないことがある。日本人でもあり中国人でもある私は、日本人でもなく中国人でもないからだ。そんなときはいつも幼い頃のこの出来事を思い出す。日本と中国の架け橋、そこに私の居場所はあるのだと。
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