妻夫木聡&渡辺謙が語る“人生の最期にしたいこと”「山ほどある」「思い浮かばない」

テレ東が5月6日(月)20時より、開局60周年特別企画ドラマスペシャル『生きとし生けるもの』を放送する。北川悦吏子が脚本を手掛ける本作は、渡辺謙演じる余命宣告を受けた作家・成瀬翔と妻夫木聡演じる主治医・佐倉陸が「人は何のために生きるのか」を模索するロードムービー。妻夫木と渡辺に、互いの印象や“生きる理由”、“人生の最期にしたいこと”を聞いた。

──北川悦吏子さんによる脚本の印象はいかがでしたか。

妻夫木 北川さんの世界観ってやっぱり独特ですよね。少しファンタジックで、「こういう世界があったらいいな」と思わせてくれる。本当だったらあり得ないようなことでも、「こういう人がいたらいいな」とどこか自分と重ね合わせて、その世界に僕たちも入っていけるような印象を持ちました。僕たちの職業は、ほとんどがフィクションを扱う仕事ですが、「嘘を真実にしてもいいんじゃないか」と思わせてくれるような、力を持った台本だと思います。

渡辺 僕はこれまで、医療物は基本的にお断りしていたんです。僕自身が過去に病気をした経験から、「本当の苦しさや悩みをドラマで描けるのか、ドラマにしていいのか」という考えがあって、唯一やったのは、アルツハイマーの主人公を僕が演じて、自分でプロデュースもした「明日の記憶」という作品。それで、最初はそのことを綿々と書き連ねたメールを北川さんへ送って、お断りをしたんですが、今度はその3倍ぐらい長いメールが北川さんから返ってきて(笑)。

北川さん自身も、病と向き合って執筆活動をずっと続けていらっしゃるということで、本当の患者と医者の関係や、患者の喜びとか幸せについて、「本当の置き手紙みたいに書きたいんです、このドラマで」と。そういう思いを持っていらっしゃるなら、ということで参加させていただくことに決めました。「生きる・死ぬ」という、非常に根源的なドラマが描かれているんですが、そこは“北川節”というか、ライトでありながら、最後はちゃんと腑に落ちるようなドラマになるんだなと感じました。

──死生観が丁寧に描かれている本作を通して、お二人はどんなことを感じましたか。

妻夫木 答えがないところにアプローチしている作品だと思います。ですが、やっぱり「何のために生きているのか」ということは考えさせられて、僕自身は「家族のために生きているんだな」とはっきりと感じるようになりました。結婚して子どもができるまでは、あまりそういうことは考えなかったんですよね。役者という仕事が好きで「いつ死んでもいい」と思っていたところがありましたが、家族ができて、今は「死ねないな」と思っているんです。

いつかは死ぬわけですが、別に僕たちはそこに向かって生きているわけじゃないと思うんですよね。だから「今を生きる」って、昔はちょっとクサいなと思っていたけれど、すごく大事なんだなって。この一分一秒を生きていることがとても貴重なことで、例えばコーヒーを飲んでいるようななんでもない瞬間だけでも幸せを感じられるようになった気がします。

渡辺 “幸せ”って、そんなに大きなものではなく、夜寝る前の布団の中に入った時の幸せみたいな瞬間の積み重ねなんだと思うんです。おそらく、北川さんも、色々と辛いことや苦しいことがある中で、そういう小さい幸せみたいなものを、日々見つけて生きていらっしゃるんだろうなと脚本から感じました。僕自身も、例えば大きな作品に出られたり、それで評価をしていただいたりするという俳優としての幸せはありますが、人間として、すごく些末な日々の中にある幸せみたいなものがきっと誰にでもあるんだ、と改めて感じることができました。

──この作品は成瀬の「最期に風を浴びたい」という願いをきっかけに旅が始まりますが、お二人もこの作品を演じる中で「自分だったら人生の最期に何をしたいか」を考えることはありましたか。

妻夫木 山ほどあって難しいですね(笑)。シンプルに海外の作品に出てみたいという欲望もあったりするけど、結局はやっぱり家族のことになっちゃいますね。毎日変化していく子どもたちを見ていると、やりたいことだらけですが、死ぬ瞬間に子どもたちの顔が見れていたらいいのかな。もしもその時に近くにいなかったとしても、みんなが元気だったらいい。今は本当にそれだけです。

よく、「どういう役をやってみたいですか」と聞かれるんですが、今ははっきりとしたものはないんですよ。いただいた目の前の仕事に全身全霊を尽くすということが、今の僕にとってはすごく幸せな瞬間なんです。昔からそうだったはずなんですが、より一層、シンプルになっているような気がします。

渡辺 考えても思い浮かばないですね。日々の中で見えてくるものの積み重ねが人生みたいなものなんですよ。何か一つの作品をやっていても、すごく大変な日もあれば、すごく楽しい日もある。でもそれが積み重なることで作品になっていくというのが、もっと大きい意味で人生になっていくという感じ。無駄な一日もたくさんありますが、そうやって積み重ねていくんだろうなと思います。やり残しているようなこともないですね。目標やゴールを自分の中で設定していないので、目の前に来るものとどう向き合うかということで精一杯です。

妻夫木 僕、前までは謙さんってすごく計画的に生きていらっしゃる方だと思っていたんですよ。でも話をしてみると、「あの仕事ってそんなに急に来たんですか」「たまたま空いていたからやれたんですか」と驚くことが多いんですよね。

渡辺 無計画ですよ。行き当たりばったり(笑)。

妻夫木 謙さんの話を聞いていると、自分はまだこれっぽっちしか生きていないんだなと思います(笑)。

──今回の作品での共演を経て、お互いについての印象も聞かせてください。

妻夫木 以前から同じ作品には出ていたんですが、しっかりと一緒にお芝居をする機会はこれまでなかったんですよね。会うといつも気さくに話してくださるので、僕は勝手に謙さんを好きでした。今回の作品で意外に感じたのは、想像以上にキュートでお茶目な方ということ。謙さんがいると、現場が和むんです。特別な存在感を持った方ですね。新人のスタッフからベテランの役者まで、誰に対しても同じ目線で向き合ってくれるんです。『池袋(ウエストゲートパーク)』の時から、僕は当時18、9歳くらいだったけれど、普通に話してくださっていました。若い人の意見を聞いてくれる人が現場にいるというのは、すごく励みになるし、強みになるんです。

渡辺 彼はずっと変わらないですね。結婚して子どももできて、背負うものもできたんだと思うんですが、それでも全然変わらない。無責任という意味じゃなく、素敵に生きているような感じ。これから、40代、50代と年齢を重ねて、変わっていく部分、変わらない部分が楽しみですね。

雨夜草紙
田中貢太郎

 小さくなった雨が庭の無花果いちじくの葉にぼそぼそと云う音をさしていた。静かな光のじっと沈んだ絵のような電燈の下で、油井あぶらい伯爵の遺稿を整理していた山田三造さんぞうは、机の上に積み重ねた新聞雑誌の切抜きりぬきや、原稿紙などに書いたものを、あれ、これ、と眼をとおして、それに朱筆しゅふでを入れていた。当代の名士で恩師であった油井伯爵が死亡すると、政友や同門からの推薦によって、その遺稿を出版することになり、できるなら百日祭までに、伯爵が晩年の持論であった貴族に関する議論だけでも活字にしたいと思って、編纂へんさんに着手してみると、思いのほかに時間がとれて、仕事が進まないのでその当時は徹夜することも珍しくなかった。
 一時間も前から眼を通していた二十頁ページに近い菊判の雑誌の切抜がやっと終った。三造は一服するつもりで、朱筆しゅふでを置き、体を左斜ひだりななめにして火鉢ひばちの傍にある巻煙草の袋を執とり、その中から一本抜いてマッチを点つけた。夜よはよほど更ふけていた。さっき便所へ往った時に十二時と思われる時計の音を聞いたが、それから後のちは時間に対する意識は朦朧もうろうとなっていた。ただ時間と空間に支配せられた、頗すこぶる疲労し切った存在が意識せられるに過ぎなかった。
 雨の音はもう聞えなかった。彼は二本目の煙草を点けたところで、その煙が円まるい竹輪麩ちくわふを切ったように一つずつ渦を巻いて、それが繋つながりながら飛んで往くのに気が注ついた。彼は不思議な珍らしい物を見つけたと云う軽い驚異の眼でそれを見ながら、ゆっくりゆっくり煙を吐いた。煙はやはり竹輪麩のように渦を巻いて、それが連続しながら天井の方へ昇って往った。そして、その靡なびきがぴったり止んで動かなくなったかと思うと、その煙の色がみるみる濃くなり、それが引締るようになると、ものの輪廓りんかくがすうと出来た。肩の円みと顔が見えて、仙台平せんだいひらの袴はかまを穿はいた男が眼の前に立った。三造はその中古ちゅうぶるになった袴の襞ひだの具合に見覚えがあった。
「どうだ、山田」
 と、前に立った人は懐しそうに云って、机の横に胡座あぐらをかくように坐り、
「伯はくの遺稿は、もうだいぶん進んだかね、あれ程有った伯の政友同志は、皆伯を棄すて去った中で、君達数人が、ほんとうに伯のことを思っていてくれたのは、実に感謝の他はない、吾輩も晩年の伯が甚はなはだお気の毒であったから、いつも傍にいてあげた、君達はたびたび伯から、木内きうちの夢を見たよと云われたことがあるだろう、あれが吾輩の傍にいた証拠だ」
 三造は膝ひざを直してかしこまっていた。彼はその場合、何の矛盾も感ぜずに、非常な敬虔けいけんな心を持って先輩に対していた。油井伯爵を首領に戴いただいた野党の中の智嚢ちのうと云われた木内種盛きうちたねもりは、微髭うすひげの生えた口元まで、三十年前ぜんとすこしも変らない精悍せいかんな容貌を持っていた。
「しかし、もう、何も往くべき処へ往った、我が党の足痕あしあとへは、もう新しい世界の隻足かたあしが来ている、吾輩の魂も、これから永遠の安静に入いるべき時が来たから、最後の言げんとして、君にまで懺悔ざんげして置きたいことがあってやって来た」
 三造は頭をさげた。
「君は、吾輩が至誠しせい病院で斃たおれたことを覚えているだろう」
 眼に残っている金盥かなだらいの血、俄然容態が変って危険に陥おちいったと云う通知を得て、あたふたと駈かけつけて往く先輩の一人に跟ついて、至誠病院の病室へ入った三造は、呼吸いきを引きとったばかりの木内の顔に、白いガーゼのかけてあるのを見た。その枕頭まくらもとには死人の吐いた血が金盥の中に冷たく光っていた。
(しまった、しまった、しまった)
 感情家の先輩は、両手をひしと握りしめて、その拳こぶしを胸のあたりで上下に揮ふり動かしながら、床をどしどしと踏んだ。そこには至誠堂病院の院長青木寛かんをはじめ、二三人の医師が粛然しゅくぜんとして立っていた。先輩の眼は院長に往った。
(何故なぜ死んだのです、何故死んだのです、木内君は何故死んだのです)
 先輩の眼は憎悪に燃えていた。
(急に容態が変じました、いろいろと手を尽してみましたが、どうも残念でした)
 院長はすまして云った。その冷ひややかな調子は三造にまで反感をおこさせた。
(残念と云ってしまえばそれまでだが、この男の体をどう思っているのです)
 先輩は怒鳴どなりだした。当時閥族ばつぞく政府へ肉薄して、政府をして窘窮きんきゅうの極に陥おとしいれていた野党の中でも、その中堅とせられている某党の智嚢ちのうの死亡は、野党にとっての一大打撃であった。三造は先輩の憤激するのも無理はないと思った。
(実にお気の毒です)
 院長はまた冷ひややかに云った。先輩の眼は金盥かなだらいに往った。先輩の熱した頭はやや醒さめかけていた。
(胃腸の病やまいに、こんなに血を吐くことがあるのですか)
(無いにもかぎりません)
(しかしどうもおかしいのですね、これまで木内君は、ちょいちょい胃腸が悪いが、何時いつも五六日位、口養生くちようじょうさえすれば、すぐ癒なおったし、今度も別に大したこともないが、下宿では政友が押しかけて来て煩うるさいから、保養のつもりで入院すると云ってた位だから、こんなことはあらわれないはずだ)
(私もはじめには、たいしたことはないと思っておりましたが、急にこんなになりました、どうもお気の毒です)
 そこへ三四人の同志が来たので、その先輩と院長の応対はそれっきりになったが、その後あとでも同志の中では、三造の先輩と同じように木内の死因に疑いを挟んで、院長と交渉した者もあったと云うことを聞いた。また、その野党の総理であった油井伯爵は、関西方面へ旅行中、旅先でそれを聞いて驚いて帰京したが、これまたその死因を疑って、死体を解剖に附ふすると云って口惜くやしがったけれども、結局そのままになってしまった。三造はその当時、その周囲から口ぐちに、
(木内君は毒殺せられた)
 と云うことを聞いた。そして、その院長が次第に社会的に栄達えいたつして、男爵を授さずけられた時にも、
(木内を殺した功こうさ)
 と、云うようなことを云う者があって、忘れていた過去の記憶を呼び起されたこともあった。……
「あれは、君、僕はあの時、青木のためにガラスの粉末を飲まされたのだ、それを青木に頼んだ者は、三田尻みたじりと山口さ、実に卑怯千万ひきょうせんばんな奴だが、謀はかりごとは見事図に当って、野党の歩調が乱れ、予算の大削減にも逢あわず、内閣も倒壊せずに済んださ、その時から青木は、もう男爵になることになっていた」
 三造はまた頭をさげた。
「僕はこの悪漢に対して、すぐ思い知らしてやろうと思ったが、そのままでは復讐の効力が強くないから、時節の来るのを待っていたのだ、が、その時節がとうとうやって来た、君は昨年から本年にかけて、彼奴あいつの家に大きな不幸の来たのを知ってるだろう、それさ、彼奴は思いのままに男爵になり、金にも名誉にも不足が無くなったので、このうえは、二人の男の子を立派な人間にしたいと思いだした、彼奴が時どき己じぶんの室へやで、細君さいくんや親しい朋友ともだちに向って、
(あの二人さえ、一人前の人間になってくれるなら、もう何も遺憾いかんなことはない)
 などと云っているのを見て、僕は、
(今に見ろ、一人前の人間になりかけたところで、復讐してやるぞ)
 と呟つぶやいたことがあったさ、それで、二人とも大学を出たので、彼奴は知人の間を運動して、兄の方の小供を満伊みつい商会へ入れ、弟は医科だから、己の経営している病院の副院長と云う事にしたのだ、
 復讐の舞台が出来たのだよ、
 そこで昨年になって、サンフランシスコの支店長となった兄の子の方から手をくだしたのだ、爺親おやじの血を受けて、意志の強い比較的厳格な奴を、先まずオペラへ引きだして、その座の人気役者で腕の凄い女に関係さして、その手でうんと金を絞らしたら、奴やっこさん苦しくなり、部下となっている遊朋友あそびともだちに勧められて、投機に手を出したところが、みるみる六十万円と云う穴を開けてしまったさ、それで、一方女の方では、年少とししたの情夫があって、奴さんから絞り執とった金を、その情夫と媾曳あいびきの費用にして遊んでいたのを、奴さんうすうす知って、煩悶はんもんしているところへ、投機の一件が本店の方へ知れて、本店から急に呼び返されたのでいよいよ困り、このうえはなんとか身の所置をしなくてはならないと思って、考え考え、ふらふらと彼かの女の許もとへ、足の向くままに往ってみたさ、ホテルの三階になった彼かの女の室へやへは、年少とししたの情夫が来ていて、微暗うすぐらい電燈の下で話していたが、奴さんは入口へ立って扉ドアを叩たたこうとすると、不思議に開あいているので、そのまま静しずかに入って往ったのだ、中の二人は睦むつまじそうに話しているところへ、不意の闖入者ちんにゅうしゃがあったので、びっくりして離れ離れになって起たちあがったが、入って来た者が奴さんだと知ると、平生へいぜいからばかにしきっている女は、
(犬のようにそっと入って来るなんて、貴郎あなたはよっぽど卑怯者ひきょうものですわね)
 と云うと、奴さんしかたなく笑いながら、
(そう云ってくれるな、開あいていたから入ったまでだ、たくらんでそっと入ったものじゃないよ)
 と、穏かに云ったものの、うすうす知っている情夫の青年と睦じそうにしているところを見せつけられたので、頭の中は穏かでなかった、
(だから日本人は嫌いと云うのですよ、嘘つき、今私が締めた扉ドアが、どうして開あいてるのです、なにか私の秘密でも探ろうと思って、合鍵を持って来て、それで開けたのでしょう、出て往ってください、一刻も置くことはなりません)
と、女は情夫との媾曳あいびきの場所を見られた腹立ちまぎれに怒鳴どなりだした、すると奴やっこさんむらむらとして来た。
(よし、お前のような恩知らずの畜生ちくしょうのところには、おれと云ってもおってやらないさ、帰る)
 と云うと、
(帰ってくださいとも、犬のような奴は、一刻も置くことは出来ません、帰ってください、出てください)
 と、女は奴さんに向って進んで来て、突き飛ばしそうにする、奴さんも肱ひじを張って女を迎えようとしたが、思い返して室へやの外へ出た、女は追って来て扉ドアをぴしりと締めたさ、室へやの出口には、蒼白あおじろい瓦斯燈がすとうの光があって、その光の中に僕の顔が浮き出ていたが、奴さんは僕の顔を知らないから、
(変な顔が見えたぞ、頭の具合かな)
 と、眼をつぶって頭を一つ揮ふったさ、しかし、僕はまだ顔を出していたから、奴さんまた僕の顔を見たが、もうその時は、頭の具合かなどと、己じぶんの頭を疑ってみるような反省力は無くなっている、奴さんは恐れて、螺旋形らせんけいの階段を走りおりて街路とおりへでたのだ、そして、奴さんの意識は朦朧もうろうとなってしまったさ、奴さんは人道じんどうも車道しゃどうも区別なしに歩いていると、荷物かもつ自動車がやって来たさ、奴さんは腹部を引かれて大腸が露出したが、それでも二日ばかり生きていたのだ、君は昨年の九月の新聞に、満伊商会の支店長が過あやまって自動車に轢ひかれて、死亡したと云う記事の載っていたのを読んだことがあるだろう、あれさ」
 三造は頷うなずいてみせた。

拡散熱望
読売グループが隠しておきたいスキャンダル

その1
若い人は知らないだろうがなべおさみというコメディアンがいます。1991年その息子が明治大学に替え玉受験で入学して大騒ぎになりました。替え玉受験が発覚して合格を取り消された彼はなべやかんという芸名でたけし軍団入りすることとなりました。実はその時同時にもうひとつの替え玉事件がありました。24時間テレビの嘘泣きで人口に膾炙している徳光和夫の馬鹿息子徳光正行です。こちらは讀賣グループが総出で揉み消しをはかりいっさいマスコミに取り上げられることはありませんでした。

その2
関西人なら誰でも知っている辛坊治郎が読売テレビ在籍時に社内不倫相手の植村なおみを妊娠させて堕胎させた話は超有名です。

その3
川田祐美は読売テレビ在籍時に大阪に出張にきた日テレのアナウンサー船越雅史の接待の席に駆り出され酔った船越にまんこをさわりまくられるというセクハラを受けました。川田祐美はそれを公にしないことと引き換えにフリーになって日テレからたくさん仕事をもらった話は超有名です。


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