中国ツアーが終わり、日本に帰ってきました。
中国でツアーを行った一週間は、私の人生で最高の一週間だった。迷いなく、そう言うことができます。夢のようだった。夢のような日々が終わってしまうことが嫌で、日本に帰りたくなかった。

中国ツアーの気持ちが新鮮なうちに、皆さんへの感謝と、思ったことを書き記しておきます。(この文章を翻訳して読む人も多いと思います。翻訳しても意味が分かりやすいように、日本語の慣用句などを避けて文章を書きます。ロボットのような、おかしな日本語かもしれません。そしてとても長いです。許してください。)


中国の動画アップロードサイトに、「あなたは煙草 私はシャボン」が投稿されたのは、確か8年くらい前のことだったと思う。
中国の動画サイトで私が人気になっているらしいという噂が風に乗って私の耳にも届いた。
それ以降、日本のライブ会場に中国の方が来てくれたり、SNSで中国の方がメッセージを送ってくれることが増えた。
中国のリスナーが私に送ってくれたメッセージはとても情熱的で愛に溢れていた。日本のリスナーはシャイなのかな?中国のリスナーは、今まで聞いたことがないくらいの熱い応援や愛の言葉を私に投げかけてくれました。
その言葉たちに、何度も、助けられたり、勇気づけられたり、励まされてきました。私を支える大きな力になっていました。
「I will always be there to hold lovely summer」と言ってくれて、感動して、その言葉をプリントしたTシャツを作ったりもした。

ずっと中国でライブしたかった。皆さんと直接会う前から、中国の皆さんのことが大好きだった。いつも大きな愛を伝えてくれていたから。
私が行ったことがない国、言語も文化も違う国に、こんなに私の音楽を愛してくれている人がいるんだなと思うと本当に嬉しかったし、早くその人たちの前でライブをしたかった。中国で演奏することは、私の夢でした。

中国で演奏することは私の夢だった。夢は叶いました。私が想像していたよりももっと素晴らしい形で。

私は、日本国内でも、一週間に4回ライブをするようなタフなツアーはやったことがありません。海外でのライブも初めてでした。しかも私は4月の初旬に喉を壊しました。
正直なことを言うと、今回のツアーは不安が大きかった。初めての海外でのライブ、お客さんに受け入れてもらえるだろうか。喉の調子は大丈夫だろうか。綺麗な声でちゃんと歌えるだろうか。
上海のライブが始まる前、私もバンドのメンバーも、きっととても緊張していました。不安だった。自分を落ち着かせるために両親とハグをしたり、ヨガをしたりしました。

いよいよ、上海での1回目のライブが始まるぞ、という時になりました。ライブハウスの照明が落ちた時に、客席から歓声が上がりました。今まで聞いたことがないくらい大きな歓声が聞こえました。
その歓声を聞いたとき、「私は愛されているんだな、今日のライブを楽しみにされているんだ」と直ぐに分かった。そこからは緊張や不安なんてどこかに行ってしまった。ただ皆さんの前で演奏できる喜びと楽しさに没頭していた。夢のような時間でした。

上海のライブハウスの楽屋のトイレにこのような落書きがありました。
この通りだった。

ルミネセンスをいう曲をライブで演奏しました。私が18歳の時、とても孤独で寂しい人間だった時に作った個人的な曲です。
その曲を演奏したとき、お客さんが私と一緒に歌ってくれていることに気づきました。
どうして!?どうしてこの曲が歌えるんですか。
きっと、曲を聞いて、この曲はどんなことを歌っているんだろうと気になって歌詞を調べて、翻訳して、覚えてしまうくらい何回も聴いたんだなと思うと胸がいっぱいになった。
言葉が分からなくても、それを分かろうと手を伸ばしてくれる人がこんなにいることに感動した。音楽の持つ力は凄い、音楽って良いなと思わせてくれた。国や言葉を超えて愛される普遍性を持った音楽を、私はやれているんだなと思った。
そんなことを思わせてくれて、本当にありがとうございました。

天国はまだ遠いという曲も演奏しました。
私が17歳だったとき、親しかった友人が自死しました。自殺に失敗して「また失敗しちゃった」なんて笑って帰ってきてくれたらいいのにと何度も願いました。そう願って書いた曲です。そんな、悲しい個人的な曲です。私が私を救うために書いた曲です。そんな曲を演奏した時に、歓声が上がる。信じられませんでした。
そういう個人的な曲が、皆さんの心に届いていたことが分かって、感動しました。何回も泣きました。
この曲を書いた10年前の私は、まさか中国で、こんなに沢山の人と、自分の寂しくて悲しい曲を一緒に歌うなんて、思いつきもしなかったでしょう。あまりにも感動的で、自分の人生にこんなことが起こっていることが信じられませんでした。

こんなに沢山の愛をもらったことは今までの人生でありませんでした。
中国でのライブツアーにいらしてくださった皆さん。こんなに幸福な瞬間を私にくれて、本当にありがとうございました。
夢のようでした。この一週間のことを、一生忘れることはありません。あなたたちに私の曲を気に入ってもらえたことは、私の人生で一番良かったことです。

愛しています。
前から皆さんのことが大好きだったけれど、4回のライブと一週間の滞在を経て、私は中国と中国のお客さんが本当に大好きになりました。ご飯も美味しくて、街がでっかくて、楽しいことがいっぱいあって、人が親切で、何よりこんなに愛おしいリスナーがいっぱいいて。最高の場所です。またいつか皆さんに会えることを心から願っています。
本当に、ありがとう。

最後に、AYF LIVE(中国のライブ制作会社)の王さん、ツアーマネージャーのkiwiさん、文さん、日本から一緒に来てくれて、最高の演奏をしてくれたバンドメンバー、奥村大さん、右田眞さん、吉澤響さん、馬場庫太郎さん、ローディーの小山さん、PAの本多さん、日本のライブ制作会社の羽端さん、私の夢を最高の形で叶えてくれてありがとう。

☆今日の一曲
It’s Okay To Cry/SOPHIE

広州でのライブのとき、私は感動して泣きました。「大丈夫!!!!」という声がいっぱい聞こえました。私がミスをして曲をやり直した時も、「大丈夫!!!!!!」って叫んでくれた。「大丈夫!!」って何度も言ってくれましたね。それがすごく心に残ってる。大丈夫だよと何度も必死に伝えてくれてありがとう。あまりにも優しかった。私もあなたに大丈夫だよと言ってあげたい。

現代美術家の舘鼻則孝さんの展覧会を見させていただきました。

色鮮やかな壁面作品から、煌びやかなヒールレスシューズ。

近くで見たり、離れてみたり、右や左、角度を変えてみたり…

それをする事によって、舘鼻さんの作品たちは違った見え方をします。

細かな設計がなされていて、シンプルさの中に繊細さがあるのです。

日本の文化を現点の視点から考え直し、文化的な価値観を反映した一つ一つの作品たち。

日本の文化へのリスペクトを感じる作品を目の前にして、僕自身も“日本人である誇り”を持てた気がしました。

表現力は勿論のこと、考え方に柔軟性のある舘鼻さんの優しいお人柄に触れ、僕の作品に対しても沢山のご意見をいただき、とても有意義な時間でした。

感性を磨く時間にもなりました。

今一度、僕も日本の文化を学んでみます。



#舘鼻則孝
@Noritaka_Tatehana

NoritakaTatehana
Japaneseculture
文化
現代美術
HeellessShoes
Sculpture
アート
Art
Fashion
デザイン
Design

24.1.14 https://t.cn/A6YOCltk

続黄梁(上)
田中貢太郎

 福建の曾孝廉そうこうれんが、第一等の成績で礼部の試験に及第した時、やはりその試験に及第して新たに官吏になった二三の者と郊外に遊びに往ったが、毘廬禅院びろぜんいんに一人の星者うらないしゃが泊っているということを聞いたので、いっしょに往ってその室へやへ入った。星者は曾の気位の高いのを見ておべっかをつかった。曾は扇を揺うごかしながら微笑して聞いた。
「宰相になる運命があるのかないのか」
 星者は容かたちを正して、
「二十年したら太平の宰相となります」
 と言った。曾はひどく悦よろこんで、気位がますます高くなった。
 その帰りに小雨に値あうた。曾はそこで仲間といっしょに旁かたわらの寺へ入って雨を避けた。寺の中には一人の老僧がいたが、目の奥深い鼻の高い僧で、蒲団の上に坐ったなりに傲慢な顔をして礼もしなかった。一行は手をあげて礼をして、榻だいにあがってめいめいに話したが、皆曾が宰相になれると言われたことを祝った。曾の心はひどく高ぶって、仲間に指をさして言った。
「僕が宰相になったなら、張兄を南方の巡撫にし、中表いとこを参軍にしよう、我家うちの年よりの僕げなんは小千把しょうせんはになるさ、僕の望みもそれで足れりだ」
 一座は大笑いをした。俄かにざあざあと降る雨の音が聞えてきた。曾はくたびれたので榻ねだいの間に寝た。二人の使者が天子の手ずから書いた詔みことのりを持ってきたが、それには曾太師を召して国計を決すとしてあった。曾は得意になって大急ぎで入朝した。
 天子は曾に席をすすめさして、温かみのある言葉で何かとおたずねになったが、やや暫くして、曾に三品ほん以下の官は、意のままに任免することをお許しになり、宰相の着ける蟒衣ぼういと玉帯ぎょくたいに添えて名馬をくだされた。曾はそこで蟒衣を被き、玉帯を着け、お辞儀をして天子の前をさがって家へ帰ったが、そこは旧もとの自分の住宅でなかった。絵を画いた棟、彫刻をほどこした榱たるき、それは壮麗の極を窮めたものであった。曾も自分で何のためににわかにこんな身分になったかということが解らなかった。そして、髯をひねりながら小さな声で人を呼ぶと、その返事が雷のように高く響いた。
 俄かに公卿から海から獲れた珍しい物を贈ってきた。傴僂せむしのように体を屈めてむやみにお辞儀をする者が家の中に一ぱいになった。参朝すると六卿がうやまいあわてて、屣はきものをあべこべに穿はいて出て迎えた。侍郎じろうの人達とはちょっと挨拶して話をした。そして、それ以下の者には頷いてみせるのみであった。
晋国の巡撫から十人の女の楽人を餽おくってきた。それは皆美しい女であったが、そのうちでも嫋嫋じょうじょうという女と仙仙という女がわけて美しかった。二人はもっとも曾に寵愛せられた。曾はもう衣冠束帯して朝廷にも往かずに、毎日酒宴さかもりを催していた。ある日曾は、自分が賤しかった時、村の紳縉王子良しんしんおうしりょうという者の世話になったことを思いだして、自分は今こんなに栄達しているが、渠かれはまだ官途につまずいていて昇進しないから、一つ引きたててやらなくてはならないと思って、翌朝上疏じょうそして王を諫議大夫に推薦し、そこで天子の諭旨を奉じて、たちどころに引きあげて用いた。また郭太僕かくたいぼくがかつて自分をにらみつけたことを思いだして、そこで、呂給諫ろきゅうかん、及び侍御の陳昌たちを呼んで謀はかりごとを授けたが、翌日になると郭太僕を弾劾した上書が彼方此方から出てきた。曾はそこで天子の旨を奉じて郭太僕の官職を削った。そして恩も怨みも返してしまって、頗る快い気もちであった。
 ある時郊外を通っていると、酔っぱらいが来て車に突きあたった。そこで人をやって縛って京兆尹けいちょういんに渡した。京兆尹は獄卒に命じて杖で敲たたいて殺さした。付近の人びとは皆勢いに畏れて上等の産物を献上した。それから曾は非常に富裕になった。
 間もなく嫋嫋と仙仙が前後してなくなった。曾は朝夕二人のことを追想していたが、不意に憶いだしたことがあった。それは昔東隣の女を見て美しかったので、いつも妾にしたいと思ったが、財力が弱くておもうとおりにならないことであった。曾はそこで今こそその思いをとげることができると思って、頭だった数人の僕げなんをやって、無理にその家へ金をやった。女はすぐ籐の輿に乗って曾の許もとへ来た。それは昔見た時と較べて一段の艶を増していた。曾はもう自分が望んでいたことでその望みの達しられないものはなかった。
数年したところで、朝廷の官吏の中に窃ひそかに曾の専横を非議する者があるようであったが、しかし、それぞれ自分のことを考えて口に出すものはなかった。曾もまたおもいあがって、それに注意しなかった。龍図学士包りゅうとがくしほうという者があって上疏した。その略には、
「窃におもんみるに曾某は、もと一飲賭の無頼、市井の小人、一言の合、栄、聖眷せいけんを膺うけ、父は紫し、児は朱しゅ、恩寵極まりなし。躯からだを捐すて頂を糜びし、もって万一に報ずるを思わず、かえって胸臆きょうおくを恣ほしいままにし、擅ほしいままに威福を作なす。死すべきの罪、髪を擢ぬきて数えがたし。朝廷の名器、居おきて奇貨をなし、肥瘠ひそうを量欠りょうけつして、価の重軽をなす。因って公卿将士、尽く門下に奔走す。估計夤縁こけいいんえん、儼げんとして負販ふはんの如く、息を仰ぎ塵を望む、算数すべからず。或は傑士賢臣、肯うなずいて阿附あふせざる有あれば、軽ければ則すなわち之を間散かんさんに置き、重ければ則ち褫うばいてもって氓みんを編す。甚しきは且つ一臂袒ひたんせざれば、輒すなわち鹿馬の奸に迕あいて、遠く豺狼ひょうろうの地に竄ざんせられ、朝士之がために寒心す。また且つ平民の膏腴こうゆ、肆ほしいままに貪食するに任す。良家の女子、強いて禽妝きんしょうを委して、※気冤氛れいきえんふん[#「さんずい+診のつくり」、184-16]、暗く天日無し。奴僕どぼく一たび到れば、則ち守令顔を承うけ、書函一たび投ずれば、則ち司院法を枉まぐ。或は廝養しようの児、瓜葛かかつの親有れば則ち伝に乗じ、風行雷動す。地方の供給稍やや遅くして、馬上の鞭撻立所に至る。人民を荼毒とどくし、官府を奴隷にし、扈従臨むところ野に青草無し。而して某方まさに炎々赫赫、寵を怙たのみて悔ゆるなく、召対しょうたい方まさに闕下けつかに承け、萋斐せいひ輒すなわち君前に進む。委蛇いい才わずかに公より退けば、笙歌已に後苑に起る。声色狗馬せいしょくくば、昼夜荒淫、国計民生、念慮に存ずるなし。世上寧むしろ此の宰相有らんや。内外駭訛がいか、人情洶々きょうきょう、若し急に斧※ふしつ[#「金+質」、185-5]の誅を加えずんば、勢必ず操莽そうぼうの禍を醸成せん。臣夙夜しんしゅくや祗つつしみ懼れ、敢て寧処ねいしょせず。
上奏は終った。曾はそれを聞いて顫えあがった。それはちょうど冰水ひょうすいを飲んだように。しかし幸いに天子は心にゆとりのある方であったから、宮中に留め置いて発表しなかった。継いで吏部戸部礼部兵部刑部工部の給事中、各道の監察御吏、及び九卿が、それぞれ曾の罪悪を上奏弾劾した。
 そこで昨日まで門口に来てお辞儀をして、曾をかりの父親と呼んでいたような者も、顔をそむけるようになった。朝廷では天子の旨を奉じて曾の家を没収して、曾を雲南軍に往かせることにした。曾の子の任は平陽の太守であったが、もう人をやって吟味をさしてあった。曾は家を没収せられ雲南軍にやられるということを聞かされて驚きおそれていると、やがて数十人の剣を帯び戈ほこを操った武士が来て、そのまま内寝いまへ入って曾の衣冠を褫はいで、妻といっしょに縛った。みるみるうちに数人の人夫が財宝を庭に出しはじめた。金銀銭紙幣数百万、真珠瑪瑙めのうの類数百斛ひゃくこく、幕まく、簾すだれ、榻類これまた数千事。そして児こどもの襁褓おむつや女の※くつ[#「焉」の「正」に代えて「臼」、186-4]などは庭や階段にちらばって見えた。曾は一いちそれを見て悲しみもだえた。また不意に一人の者が曾の愛していた美しい妾を掠奪して往った。妾は髪をふりみだして啼いていた。もうその玉のような姿もよる所がなくなって、悲しみの火が心を焼くようであるが、どうすることもできないと思ったのか、憤りを含めながら敢て何も言わなかった。
みるみるうちに楼閣も倉庫も、一様に封印してしまった。護送の役人は曾を怒鳴りつけておったてた。夫婦は羅うすものの裾をひきずりながら出たが、泣くこともできなかった。曾は歩くのが苦しいので悪い車でも手に入れて乗ろうとしたがそれもできなかった。
 すこし往ったところで、妻は足が弱ってつまずきそうになった。曾は時どき片手を出して引いてやった。またすこし往くと自分もまたつかれてしまった。前方むこうを見ると高い山が半天にそそりたっていた。曾はとてもその山を越えることができないと思った。曾は妻と向きあって泣いた。しかし、護送の役人がこわい目をして見にきて、すこしも足を停めることをゆるさなかった。その時、夕陽がもう入っていたが、泊る所がないので、しかたなしに跛びっこをひきながら往った。山の腰にまで往った頃、妻の力が尽きてしまって、路ばたに坐って泣きだした。曾もまた足を停めて休んだ。護送の役人に怒鳴られながら。と、たちまちたくさんの人声が騒がしく聞えてきた。それは盗賊の群で、手に手に刀を持って襲いかかってきた。護送の役人はひどく驚いて逃げてしまった。曾はひざまずいて言った。
「わしは左遷せられて往くところだ、何もない、宥ゆるしてくれ」
 盗賊は目をぎらぎらと光らして言った。
「俺達は、きさまに無実の罪をおわされたものだ、きさまの頭をもらいにきたのだ、他にほしい物はないのだ」
 曾は怒鳴った。
「わしは罪を持っておるが、それでも朝廷の大臣だ、盗賊のぶんざいで何をする」
 盗賊もまた怒って巨きな斧で曾の首を斬った。頭は地の上に堕ちてその音が聞えた。曾は驚くと共に疑うた。そこへ二疋の鬼おにが来て、曾の両手を背に縛っておったてて往った。
 数時間して一つの都へ入った。そして、間もなく宮殿へ往った。宮殿の上には一人の醜い形をした王がいて、几つくえに憑よりかかって罪を決めていた。曾は這うようにして前へ出て往った。王は書類に目をやって、わずかに数行見ると、ひどく怒って言った。
「これは君を欺き国を誤るの罪だ、油鼎ゆていに置くがいい」
 たくさんの鬼達がそれについて叫んだが、その声は雷のようであった。そこで一疋の巨きな鬼が来て曾をひっつかんで階下へ往った。そこに大きな鼎かなえがあって、高さが七尺ばかり、四囲ぐるりに炭火を燃やして、その足を真紅に焼いてあった。曾はおそろしくて哀れみを乞うて泣いた。逃げようとしても逃げることはできなかった。鬼は左の手をもって髪をつかみ、右の手で踝くるぶしを握って、鼎の中へ投げこんだ。曾の物のかたまりのような小さな体は、油の波の中に浮き沈みした。皮も肉も焦やけただれて、痛みが心にこたえた。沸きたった油は口に入って、肺腑を烹にられるようであった。一思いに死のうと思っても、どうしても死ぬることができなかった。ほぼ食事をする位の時間が経つと、鬼は巨きな叉さすまたで曾を取り出して、また堂の下へ置いた。王はまた書類をしらべて怒って言った。


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