芋粥(三)

芥川龍之介

云ひ畢をはると共に、利仁は、一ふり振つて狐を、遠くの叢くさむらの中へ、抛はふり出した。
「いや、走るわ。走るわ。」
 やつと、追ひついた二人の従者は、逃げてゆく狐の行方を眺めながら、手を拍うつて囃はやし立てた。落葉のやうな色をしたその獣の背は、夕日の中を、まつしぐらに、木の根石くれの嫌ひなく、何処までも、走つて行く。それが一行の立つてゐる所から、手にとるやうによく見えた。狐を追つてゐる中に、何時か彼等は、曠野が緩ゆるい斜面を作つて、水の涸れた川床と一つになる、その丁度上の所へ、出てゐたからである。
「広量くわうりやうの御使でござるのう。」
 五位は、ナイイヴな尊敬と讃嘆とを洩らしながら、この狐さへ頤使いしする野育ちの武人の顔を、今更のやうに、仰いで見た。自分と利仁との間に、どれ程の懸隔があるか、そんな事は、考へる暇がない。唯、利仁の意志に、支配される範囲が広いだけに、その意志の中に包容される自分の意志も、それだけ自由が利くやうになつた事を、心強く感じるだけである。――阿諛あゆは、恐らく、かう云ふ時に、最もつとも自然に生れて来るものであらう。読者は、今後、赤鼻の五位の態度に、幇間ほうかんのやうな何物かを見出しても、それだけで妄みだりにこの男の人格を、疑ふ可きではない。
 抛り出された狐は、なぞへの斜面を、転げるやうにして、駈け下りると、水の無い河床の石の間を、器用に、ぴよいぴよい、飛び越えて、今度は、向うの斜面へ、勢よく、すぢかひに駈け上つた。駈け上りながら、ふりかへつて見ると、自分を手捕りにした侍の一行は、まだ遠い傾斜の上に馬を並べて立つてゐる。それが皆、指を揃へた程に、小さく見えた。殊に入日を浴びた、月毛と蘆毛とが、霜を含んだ空気の中に、描いたよりもくつきりと、浮き上つてゐる。
 狐は、頭をめぐらすと、又枯薄の中を、風のやうに走り出した。
一行は、予定通り翌日の巳時みのときばかりに、高島の辺へ来た。此処は琵琶湖に臨んだ、ささやかな部落で、昨日に似ず、どんよりと曇つた空の下に、幾戸の藁屋わらやが、疎まばらにちらばつてゐるばかり、岸に生えた松の樹の間には、灰色の漣※(「さんずい+猗」、第3水準1-87-6)さざなみをよせる湖の水面が、磨くのを忘れた鏡のやうに、さむざむと開けてゐる。――此処まで来ると利仁が、五位を顧みて云つた。
「あれを御覧ごらうじろ。男どもが、迎ひに参つたげでござる。」
 見ると、成程、二疋の鞍置馬を牽いた、二三十人の男たちが、馬に跨がつたのもあり徒歩かちのもあり、皆水干の袖を寒風に翻へして、湖の岸、松の間を、一行の方へ急いで来る。やがてこれが、間近くなつたと思ふと、馬に乗つてゐた連中は、慌ただしく鞍を下り、徒歩の連中は、路傍に蹲踞そんきよして、いづれも恭々しく、利仁の来るのを、待ちうけた。
「やはり、あの狐が、使者を勤めたと見えますのう。」
「生得しやうとく、変化へんげある獣ぢやて、あの位の用を勤めるのは、何でもござらぬ。」
 五位と利仁とが、こんな話をしてゐる中に、一行は、郎等らうどうたちの待つてゐる所へ来た。「大儀ぢや。」と、利仁が声をかける。蹲踞してゐた連中が、忙しく立つて、二人の馬の口を取る。急に、すべてが陽気になつた。
「夜前、稀有けうな事が、ございましてな。」
二人が、馬から下りて、敷皮の上へ、腰を下すか下さない中に、檜皮色ひはだいろの水干を着た、白髪の郎等が、利仁の前へ来て、かう云つた。「何ぢや。」利仁は、郎等たちの持つて来た篠枝ささえや破籠わりごを、五位にも勧めながら、鷹揚おうやうに問ひかけた。
「さればでございまする。夜前、戌時いぬのときばかりに、奥方が俄にはかに、人心地ひとごこちをお失ひなされましてな。『おのれは、阪本の狐ぢや。今日、殿の仰せられた事を、言伝ことづてせうほどに、近う寄つて、よう聞きやれ。』と、かう仰有おつしやるのでございまする。さて、一同がお前に参りますると、奥方の仰せられまするには、『殿は唯今俄に客人を具して、下られようとする所ぢや。明日巳時頃、高島の辺まで、男どもを迎ひに遺はし、それに鞍置馬二疋牽かせて参れ。』と、かう御意ぎよい遊ばすのでございまする。」
「それは、又、稀有けうな事でござるのう。」五位は利仁の顔と、郎等の顔とを、仔細らしく見比べながら、両方に満足を与へるやうな、相槌あひづちを打つた。
「それも唯、仰せられるのではございませぬ。さも、恐ろしさうに、わなわなとお震へになりましてな、『遅れまいぞ。遅れれば、おのれが、殿の御勘当をうけねばならぬ。』と、しつきりなしに、お泣きになるのでございまする。」
「して、それから、如何いかがした。」
「それから、多愛なく、お休みになりましてな。手前共の出て参りまする時にも、まだ、お眼覚にはならぬやうで、ございました。」
「如何でござるな。」郎等の話を聞き完をはると、利仁は五位を見て、得意らしく云つた。「利仁には、獣けものも使はれ申すわ。」
「何とも驚き入る外は、ござらぬのう。」五位は、赤鼻を掻きながら、ちよいと、頭を下げて、それから、わざとらしく、呆れたやうに、口を開いて見せた。口髭には、今飲んだ酒が、滴しづくになつて、くつついてゐる。

 その日の夜の事である。五位は、利仁の館やかたの一間ひとまに、切燈台の灯を眺めるともなく、眺めながら、寝つかれない長の夜をまぢまぢして、明あかしてゐた。すると、夕方、此処へ着くまでに、利仁や利仁の従者と、談笑しながら、越えて来た松山、小川、枯野、或は、草、木の葉、石、野火の煙のにほひ、――さう云ふものが、一つづつ、五位の心に、浮んで来た。殊に、雀色時すずめいろどきの靄もやの中を、やつと、この館へ辿たどりついて、長櫃ながびつに起してある、炭火の赤い焔を見た時の、ほつとした心もち、――それも、今かうして、寝てゐると、遠い昔にあつた事としか、思はれない。五位は綿の四五寸もはいつた、黄いろい直垂ひたたれの下に、楽々と、足をのばしながら、ぼんやり、われとわが寝姿を見廻した。
 直垂の下に利仁が貸してくれた、練色ねりいろの衣きぬの綿厚わたあつなのを、二枚まで重ねて、着こんでゐる。それだけでも、どうかすると、汗が出かねない程、暖かい。そこへ、夕飯の時に一杯やつた、酒の酔が手伝つてゐる。枕元の蔀しとみ一つ隔てた向うは、霜の冴えた広庭だが、それも、かう陶然としてゐれば、少しも苦にならない。万事が、京都の自分の曹司ざうしにゐた時と比べれば、雲泥の相違である。が、それにも係はらず、我五位の心には、何となく釣合のとれない不安があつた。第一、時間のたつて行くのが、待遠い。しかもそれと同時に、夜の明けると云ふ事が、――芋粥を食ふ時になると云ふ事が、さう早く、来てはならないやうな心もちがする。さうして又、この矛盾した二つの感情が、互に剋し合ふ後には、境遇の急激な変化から来る、落着かない気分が、今日の天気のやうに、うすら寒く控へてゐる。それが、皆、邪魔になつて、折角の暖かさも、容易に、眠りを誘ひさうもない。
すると、外の広庭で、誰か大きな声を出してゐるのが、耳にはいつた。声がらでは、どうも、今日、途中まで迎へに出た、白髪の郎等が何か告ふれてゐるらしい。その乾ひからびた声が、霜に響くせゐか、凛々りんりんとして凩こがらしのやうに、一語づつ五位の骨に、応へるやうな気さへする。
「この辺の下人、承はれ。殿の御意遊ばさるるには、明朝、卯時うのときまでに、切口三寸、長さ五尺の山の芋を、老若各おのおの、一筋づつ、持つて参る様にとある。忘れまいぞ、卯時までにぢや。」
 それが、二三度、繰返されたかと思ふと、やがて、人のけはひが止んで、あたりは忽たちまち元のやうに、静な冬の夜になつた。その静な中に、切燈台の油が鳴る。赤い真綿のやうな火が、ゆらゆらする。五位は欠伸あくびを一つ、噛みつぶして、又、とりとめのない、思量に耽ふけり出した。――山の芋と云ふからには、勿論芋粥にする気で、持つて来させるのに相違ない。さう思ふと、一時、外に注意を集中したおかげで忘れてゐた、さつきの不安が、何時の間にか、心に帰つて来る。殊に、前よりも、一層強くなつたのは、あまり早く芋粥にありつきたくないと云ふ心もちで、それが意地悪く、思量の中心を離れない。どうもかう容易に「芋粥に飽かむ」事が、事実となつて現れては、折角今まで、何年となく、辛抱して待つてゐたのが、如何にも、無駄な骨折のやうに、見えてしまふ。出来る事なら、突然何か故障が起つて一旦、芋粥が飲めなくなつてから、又、その故障がなくなつて、今度は、やつとこれにありつけると云ふやうな、そんな手続きに、万事を運ばせたい。――こんな考へが、「こまつぶり」のやうに、ぐるぐる一つ所を廻つてゐる中に、何時か、五位は、旅の疲れで、ぐつすり、熟睡してしまつた。
 翌朝、眼がさめると、直すぐに、昨夜の山の芋の一件が、気になるので、五位は、何よりも先に部屋の蔀しとみをあげて見た。すると、知らない中に、寝すごして、もう卯時うのときをすぎてゐたのであらう。広庭へ敷いた、四五枚の長筵ながむしろの上には、丸太のやうな物が、凡およそ、二三千本、斜につき出した、檜皮葺ひはだぶきの軒先へつかへる程、山のやうに、積んである。見るとそれが、悉く、切口三寸、長さ五尺の途方もなく大きい、山の芋であつた。
 五位は、寝起きの眼をこすりながら、殆ど周章に近い驚愕きやうがくに襲はれて、呆然ばうぜんと、周囲を見廻した。広庭の所々には、新しく打つたらしい杭の上に五斛納釜ごくなふがまを五つ六つ、かけ連ねて、白い布の襖あをを着た若い下司女げすをんなが、何十人となく、そのまはりに動いてゐる。火を焚きつけるもの、灰を掻くもの、或は、新しい白木の桶をけに、「あまづらみせん」を汲んで釜の中へ入れるもの、皆芋粥をつくる準備で、眼のまはる程忙しい。釜の下から上る煙と、釜の中から湧く湯気とが、まだ消え残つてゐる明方の靄と一つになつて、広庭一面、はつきり物も見定められない程、灰色のものが罩こめた中で、赤いのは、烈々と燃え上る釜の下の焔ばかり、眼に見るもの、耳に聞くもの悉く、戦場か火事場へでも行つたやうな騒ぎである。五位は、今更のやうに、この巨大な山の芋が、この巨大な五斛納釜の中で、芋粥になる事を考へた。さうして、自分が、その芋粥を食ふ為に京都から、わざわざ、越前の敦賀まで旅をして来た事を考へた。考へれば考へる程、何一つ、情無くならないものはない。我五位の同情すべき食慾は、実に、此時もう、一半を減却げんきやくしてしまつたのである。
それから、一時間の後、五位は利仁や舅しうとの有仁ありひとと共に、朝飯の膳に向つた。前にあるのは、銀しろがねの提ひさげの一斗ばかりはいるのに、なみなみと海の如くたたへた、恐るべき芋粥である。五位はさつき、あの軒まで積上げた山の芋を、何十人かの若い男が、薄刃を器用に動かしながら、片端から削るやうに、勢よく切るのを見た。それからそれを、あの下司女たちが、右往左往に馳せちがつて、一つのこらず、五斛納釜へすくつては入れ、すくつては入れするのを見た。最後に、その山の芋が、一つも長筵の上に見えなくなつた時に、芋のにほひと、甘葛あまづらのにほひとを含んだ、幾道いくだうかの湯気の柱が、蓬々然ほうほうぜんとして、釜の中から、晴れた朝の空へ、舞上つて行くのを見た。これを、目まのあたりに見た彼が、今、提に入れた芋粥に対した時、まだ、口をつけない中から、既に、満腹を感じたのは、恐らく、無理もない次第であらう。――五位は、提を前にして、間の悪さうに、額の汗を拭いた。
「芋粥に飽かれた事が、ござらぬげな。どうぞ、遠慮なく召上つて下され。」
 舅の有仁は、童児たちに云ひつけて、更に幾つかの銀の提を膳の上に並べさせた。中にはどれも芋粥が、溢あふれんばかりにはいつてゐる。五位は眼をつぶつて、唯でさへ赤い鼻を、一層赤くしながら、提に半分ばかりの芋粥を大きな土器かはらけにすくつて、いやいやながら飲み干した。

四谷怪談
田中貢太郎(下)

物縫い奉公に住み込んだお岩は、伊右衛門のことを思い出さないこともないが、それでも心は軽かった。某日あるひお岩が庖厨かっての庭にいると、煙草屋たばこやの茂助もすけと云う刻み煙草を売る男が入って来た。この茂助はお岩の家へも商いに来ていたのでお岩とも親しかった。
「田宮のお嬢様でございますか、この辺あたりにいらっしゃると聞いておりましたが、こちらさまでございますか、いかがでございます、左門殿町の方へも時どきいらっしゃいますか」
「わたしは、もう、道楽者の夫とは、縁を切って、こちらさまの御厄介になっておるから、往ったこともないが、さすがの比丘尼も、あの道楽者には困っておりましょうよ」
「おや、お嬢様は、何も御存じないと見えますね、伊右衛門様は、伊藤喜兵衛様のお妾のお花さんを御妻室になされておりますよ」
「え、それはほんとかえ」
「ほんとでございますとも、それも人の噂うわさでは、喜兵衛様のお妾のお花と、伊右衛門様をいっしょにするために、喜兵衛様、長右衛門様、伊右衛門様の三人が同腹ぐるになって、伊右衛門様に道楽者の真似まねをさして、それでお嬢様をお出しになったということでございます」
「そうか、そうであったか、そう云えば、読めた、鬼、外道」
 お岩の眼はみるみる釣りあがった。顔の皮が剥けて渋紙色をした眼の悪い髪の毛の縮れた醜い女の形相は夜叉やしゃのようになった。茂助は驚いて逃げだした。お岩の炎の出ているような口からは、伊右衛門、喜兵衛、お花、長右衛門の名がきれぎれに出た。お岩の朋輩の婢達はお岩を宥なだめようとしたがお岩の耳には入らなかった。伝六と云うそこの若侍がつかまえようとすると、
「おのれも伊右衛門に加担するか」
 と、云ってその若侍を投げ飛ばしたのちに、台所へ往って台所用具を手あたり次第に投げ出してから狂い出た。御家人の家ではそのままにしておけないので、大勢で追っかけさしたがどこへ往ったのか姿を見失ってしまった。そして、辻つじの番人に聞いて歩いていると、
「二十五六の女が髪をふり乱しながら、四谷御門の外へ走って往くのを見た」
 と、云うところがあったので、またその方を探したがとうとう判らなかった。

 お岩が奉公先を狂い出て行方の判らなくなったことは伊右衛門達の方へも聞えて来た。伊右衛門はそれを聞くとその当座はうす気味が悪かったが、結局邪魔者がいなくなったので安心した。
 翌年の四月になって女房のお花は女の小供を生んだ。それは喜兵衛の小供であるのは云うまでもない。伊右衛門の家はそれから平穏で、お花は続いて三人の小供を生んだが、その小供の総領になっているお染そめと云うのが十四、次の男の子の権八郎ごんぱちろうと云うのが十三、三番目の鉄之助てつのすけと云うのが十一、四番目お菊きくと云うのが三つになった時、それは七月の十八日の夜であったが、伊右衛門初め一家の者が集まって涼んでいると、縁の端さきにお岩のような女が姿をあらわして、
「伊右衛門、伊右衛門、伊右衛門」
 と、三声続けて云いながら往ってしまった。伊右衛門は邪気を払うために、家の中で弾の入ってない鉄砲を鳴らした。すると四番目の女の子がその音に驚いて引きつけ、医師いしゃにかけたが癒なおらないで八月の十五日に歿くなった。
 それから伊右衛門の家には怪異が起って、お染の許へ男が来るような気配があったり、夜眼を覚して見ると女房の傍に男が寝ていて消えたりしているうちに、某日の黄昏たそがれ三番目の男の子が家の後へ往ってみると、前年歿くなっている四番目の女の子がいて負ってくれと云った。男の子は怖れて逃げて来たが、それから病気になり、日蓮宗の僧侶に頼んで祈祷などもしてもらったけれども、とうとう癒らずにその年の九月十八日になって歿くなった。
伊右衛門はますます恐れて雑司ヶ谷ぞうしがやの鬼子母神きしもじんなどへ参詣さんけいしたが、怪異はどうしても鎮まらないで女房が病気になったところへ、四月八日、芝しばの増上寺ぞうじょうじの涅槃会ねはんえへ往っていた権八郎がその夜霍乱かくらんのような病気になって翌日歿くなり続いて五月二十七日になって女房が歿くなった。伊右衛門はお染に源五右衛門げんごえもんと云うのを婿養子にしたところで、その年の六月二十八日、不意に暴風雨が起って雷が鳴り、東の方の庇ひさしを風に吹きとられた。伊右衛門はしかたなしに屋根へあがって応急の修繕をしようとしたが、足を踏み外して腰骨を打って動けなくなったうえに、耳の際を切った疵きずが腐って来て膿うみが出るので、それに鼠ねずみがついて初めは一二匹であったものが、次第に多くなって防ぐことができないので、長櫃ながびつの中へ入れておくうちに七月十一日になって死んでしまった。
 田宮の家では源五右衛門が家督を相続したが、そのうちにお染が病気になった。年は二十五であったと記録にある。そのお染が歿くなってから源五右衛門は、家についている怪異が恐ろしいので、己じぶんの後へ養子をして別居しようと思っているうちに、邸やしきの内の樹木を無暗に斬りだした。源五右衛門は発狂したのであった。それがために扶持を召し放されて田宮家は断絶した。

 田宮家がこうして断絶する一方、伊藤喜兵衛の家では喜兵衛が隠居して養子に名跡を継がしてあったが、その養子も隠居して新右衛門しんえもんと云うのに名跡を継がしたところで、二代目の喜兵衛は吉原よしわらへ通うようになり、そのうちに遊び仲間が殺された罪にまきぞえになって、牢屋に入れられた末に打ち首になったので、家はとり潰されて新右衛門父子は追放になった。そして、一代目の喜兵衛は乳母の小供の覚助かくすけと云う者の世話になって露命を繋つないでいたが、暮の二十八日になって死んでしまった。
 また、秋山長右衛門の家では、女むすめのおつねが食あたりのようになって歿くなり、続いて女房が歿くなった。その時田宮源五右衛門の家が断絶になったが、その田宮の上り邸はすぐ隣であったから、長右衛門に御預となった。
 そのうちに長右衛門は組頭になった。御先手支配の浅野左兵衛あさのさへえは長右衛門を呼んで、田宮の後をとり立てるように命じたので、長右衛門は総領の庄兵衛しょうべえを跡目にした。すると己じぶんの跡目を相続するものがないので、御持筒組おもちづつぐみ同心の次男で小三郎こさぶろうと云う十三になる少年を養子にした。そして、庄兵衛が御番入りをして三年目になった時、庄兵衛は十人ばかりの朋輩といっしょに道を歩いていると、年のころ五十ばかりに見える恐ろしい顔をした女乞食おんなこじきがいた。庄兵衛といっしょに歩いていた近藤六郎兵衛はその乞食に眼を注つけて、
「かの女非人は、田宮又左衛門の女むすめに能く似ている」
 と云った。すると他の者は、
「お岩は、あれよりも背も低かったし、御面相も、あれよりよっぽど悪かった」
 と云った。庄兵衛は小さい時から種々の事を聞かされているので気味悪く思ったが、それから三日目の夕方になって病気になった。長右衛門は驚いて庄兵衛の家の跡目の心配をしていると、六日目の夕方から長右衛門自身が病気になって八日目に歿くなり、続いて庄兵衛が十日目になって歿くなったので田宮家は又断絶した。
 小三郎は養父の二七日ふたなぬかの日になって法事をしたところで、翌朝六つ時分になって庖厨かってに火を焼たく者があった。それは五十ばかりの女であった。小三郎は不思議に思って声をかけるとそのまま消えてしまった。
 その怪しい女の姿は翌朝また地爐いろりの傍に見えた。その時小三郎はまだ眠っていたので小三郎の父の家から付けてある重左衛門じゅうざえもんと云う小男げなんが見つけた。小三郎は起きてその話を聞いて縁の下を検しらべたが、黒猫が一ついたばかりで別に不思議もなかった。しかし、怪異が気になるので大般若経だいはんにゃきょうなどを読んでもらったりしているうちに、これも病気になって歿くなったので秋山家も断絶した。そして、秋山と田宮の建物がとりこわしになったので、左門殿町の妖怪邸ばけものやしきと云って好事者ものずきが群集した。

ZhangZhehan_official が更新✨
#⭐️星海月
断片手記-弦子に出会う
冉以音楽 2024-04-15 18:11
8月のシャングリラ、大部隊は、言えない急激な小雨と共に到着し、夜はインクで満たされ、しかし、このような暗闇の中を歩くと、安心感が欠けているような気がしない、もっと平和です。(少なくとも、雨の中、大荷物を引っ張って、濕った滑りやすい石板路を踏む前はそうだった。

今回の撮影の準備は北京で2~3カ月間行われているため、平均3000メートル以上の標高は「久経沙場」のスタッフにとってそれほどのことはない。到着した空港で、監督の提案に従って、大人はマクドナルドを猛烈に食べ、乗り始めてからはこれらはなくなると言っていました。監督は昨年雲南に乗った経験を振り返り、「幸せで楽しい」と、兄弟のグループが一緒に嬉しく咲った。~しかし、エネルギーは自然に保全的であり、喜びの要因が多いと、自分だけの独りと思考の容量は小さくなる。

​それは始まりではなく、中断された後再開の物語であり、8月に中断され、8月に再び始まる。昨年は胸を張って、一団の兄弟たちを連れて雲南に来たが、今年はまた来た。何かが8月の風に失われ、この旅を通して何かを見つけたい。以前の道を一から歩けば、失ったものを戻すことができるのか。

でも後期の時は、監督は一人の旅の行動についてまた新しい考えを持っています、もしかしたら、その時の出来事があったからかもしれません。自分はまだ一人の旅に出る勇気がない、風刀霜剣に耐えられるかわからない破損した体のように、友人の付き添いと暖かさも必要としています。今年は、自分も強くてしっかりしたので、一人でもできるはずだ」(しかし、今回も新しい友達――ギタリストの小Cを連れて、出発前に「もちろん乗れる」と豪言を落とす。スタッフは喜んで、ようやく、監督の姿を捉える第二機台ができました。その結果、小CのGoProでは、監督が5秒間、一気に走り飛ばす姿勢と、小Cが震えるハンドル+絶え間ない息吹が見える。)

邓珠先生に会う前、彼の認識は「男、30歳、幸せな弦子さん、音楽」というキーワードで構成されていた。現実の彼と想像の彼とはまったく異なり、彼は話が通じ、外向的、前向きな楽観的、音楽を愛する。毎日は弦子を作り、草原でお茶を飲み、夜は自分のバーで弦子を引きます。音楽は彼にとって趣味ではなく、普通のライフスタイルである。草に座って「小さい頃から歌うのが好き」「弦子を引っ張らない生活なんて考えたことがない」と語った。自然に話して、午後は松茸市場に松茸を買いに行く。天南海北の友人に送る。8月の雨季で、シャングリラ松茸が伸びる季節で、「私の副業で、ランニング代を稼いでいる」「趣味で、生活でもある」と。彼は率直で、芸術と商業、月とペニスが共存できないという「精神的潔癖」はない。​​​​

意外な収穫とサプライズです。毎回の公演の前に彼が言った「世界平和」のように、一粒の石がすべての人の心を打つように、一輪一輪の波紋を巻き起こす、伝統的な民族楽器の悠らかな歌声に伴い、日常生活のしわを熨烫。
ディレクター作文:弦は振動によって音律を生じ,声帯は気流の衝撃によって振動発音し,手でドラムを叩くと,位置や力によって異なる音調が生じる。みんなが音楽を通して感情を表現する、楽器は話すことはできないが、しかしそれは聴く人です、あなたの友達/戀人を完全に理解していないかもしれない、しかし楽器だけはあなた自身に忠実です、楽器はあなた自身を映し出すことができます。私たちも聞き手になる。自然に耳を傾け、自然に耳を傾け、孤独にならない。

·演劇について語る:
​邓珠「毎晩演じて、お客さんがいない、自分で楽しんだ」​
·幸せを保つ秘訣:

邓珠:「満足」
·聊城市:
邓珠:「第一は家から遠すぎること、第二は人生にそんなに苦しむ必要はないと思うこと。誰もが善良な心を持っているが、多くは生活に追い込まれているから仕方がない。”

​·欲望について:

​邓珠:「多分、君たちの欲望はもっと大きいかもしれない、今後、どれだけのドラマや映画を撮ろうか......たくさんの観客」​
​​​監督:「いいえ、この映画は、儲かる目的で作られたものではない。私は自分のいくつかの経験から出発することを望みます、騎行方式で、邓珠先生のような人に出会って、この映画を見た人は癒されます。皆さんがあなたを見て、あなたの楽観的な態度に感染して、彼らは映像を通して心の慰めを受けます。恐らく誰もが挫折と苦痛を経験するが、逃げることによってそれを消すことはできないし、人生の道はまだ長い。”

シャングリラを離れようとしています。今でも、人々は心の中で最も美しい言葉を与えるこの場所、ここが心に育った澄んだ日月、神聖な遠い地平線、避秦の桃源仙境です。ここは明らかに戦亂から最も遠い場所である、空霊の安居が人々に「世界平和」を育む願い、誰もがそんな素晴らしいビジョンを持って、そんな平和を築いたのです。私は知らないが、ここは時間に赦された角のように、香りは減らず、誰も知らず。

​​弦子は邓珠先生が長年にわたって育ててきた楽器であり、昼夜歌う地元の人の血脈に流れる音楽でもある。最初の停留所は音楽との出会いであり、音楽も次の道を歩む。監督は、10年前に川蔵を自転車で乗ったとき、ヘッドホンに1曲しかなく、ずっと聞いていた。

弦子吧ライブ(小抄見)版「未完成の旅」付属‍


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