黄英(下)
田中貢太郎

間もなく主人が出てきた。果して陶であった。馬はひどく喜んで別れてからの後の話をして、とうとうそこに泊った。馬は陶に、
「姉さんも待ちかねている、ぜひいっしょに帰ろう」
 と言った。陶は言った。
「金陵は僕の故郷ですから、ここで結婚しようと思ってるのです、すこしばかり金がありますから、姉さんにやってください、年末になったら、ちょっと往きますから」
 馬は、
「とにかく一度帰ろう、姉さんも待ちかねてるから」
 と言って聴かなかった。そしてしきりに帰ることをすすめて、そのうえで言った。
「家は幸いに金があるから、ただ坐ってくらしておればいいのだ、もう商売なんかしなくてもいい」
 馬はそこで肆の中へ坐って、肆の男に価あたいを言わして、やすねで売ったので、数日のうちに売りつくした。馬はそれから陶に逼せまって旅準備たびじたくをして、舟をやとうてとうとう北へ帰ってきた。そして我家へ帰ってみると、黄英はもう家の掃除をして、牀榻ねだいと裀褥ふとんの用意をしてあった。それはあらかじめ弟の帰るのを知っていたかのように。
 陶は帰って旅装束を解くと、人をやとうて亭園ていえんをしつらえさした。そして毎日馬と棋きをやったり酒を飲んだりして、他に一人の友達もつくらなかった。馬は陶に結婚させようとしたが承知しなかった。黄英は二人の婢を陶の寝所につけたが、三四年たって一人の女の子が生れた。
陶は素もとから酒が強かったから、従ってぐでぐでに酔うことはなかった。馬の友人に曾そうという者があったが、これも酒豪で相手なしときていた。ある日その曾が馬の所へきたので馬は陶と飲みっくらをさした。二人はほしいままに飲んでひどく歓び、知りあいになるのが晩おそかったことを恨んだほどであった。辰の刻から飲みはじめて夜の二時比まで飲んだが、数えてみるとそれぞれ百本の酒を飲んでいた。曾は泥なまこのようにぐにゃぐにゃに酔っぱらって、そこに寝込んでしまった。陶は起って寝に帰ったが、門を出て菊畦を践ふんでゆくうちに、酔い倒れて衣きものを側にほうりだしたが、そのまま菊になってしまった。その高さは人位で十あまりの花が咲いたが、皆拳よりも大きかった。馬はびっくりして黄英に知らした。黄英は急いで往って、菊を抜いて地べたに置いて、
「なぜこんなにまで酔うのです」
 と言って、衣をきせ、馬を伴れて帰って往ったが、
「見てはいけないですよ」
 と言った。朝になって往ってみると陶は畦のへりに寝ていた。馬はそこで二人が菊の精だということを悟ったのでますます二人を敬い愛した。
 そして陶は自分の姿を露わしてからは、ますます酒をほしいままに飲むようになって、いつも自分から手紙を出して曾を招よんだ。で、二人は親しい友達となった。
 二月十五日の花朝かちょうの日のことであった。曾が二人の僕に一甕ひとかめの薬浸酒やくしんしゅを舁かつがしてきたので、二人はそれを飲みつくすことにして飲んだが、甕の酒はもうなくなりかけたのに、二人はなおまだ酔わなかった。馬はそこでそっと一瓶の酒を入れてやった。二人はまたそれを飲んでしまったが、曾は酔ってつかれたので、僕が負って帰って往った。
 陶は地べたに寝てまた菊となったが、馬は見て慣れているので驚かなかった。型の如く菊を抜いてその傍に番をしながら、もとの人になるのを待っていたが時間がたってから葉がますます萎しおれてきた。馬はひどく懼おそれて、はじめて黄英に知らした。黄英は知らせを聞いて驚いて言った。
「しまった」
 奔はしって往ってみたが、もう根も株も枯れていた。黄英は歎き悲しんで、その梗くきをとって盆の中に入れ、それを持って居間に入って、毎日水をかけた。馬は悔い恨んでひどく曾を悪にくんだが、二三日して曾がすでに酔死したということを聞いた。
 盆の中の花はだんだん芽が出て、九月になってもう花が咲いた。短い幹に花がたくさんあって、それを嗅ぐと酒の匂いがするので、酔陶と名をつけて、酒をかけてやるとますます茂った。
 後に女むすめは成長して家柄のいい家へ嫁入した。
 黄英はしまいに年をとったが、べつにかわったこともなかった。

作品原文

马子才,顺天人。世好菊,至才尤甚。闻有佳种,必购之,千里不惮。 一日,有金陵客寓其家,自言其中表亲有一二种,为北方所无。马欣动, 即刻治装,从客至金陵。客多方为之营求,得两芽,裹藏如宝。归至中途, 遇一少年,跨蹇从油碧车,丰姿洒落。渐近与语。少年自言:“陶姓。” 谈言骚雅。因问马所自来,实告之。少年曰:“种无不佳,培溉在人。” 因与论艺菊之法。马大悦,问:“将何往?”答云:“姊厌金陵,欲卜居 于河朔耳。”马欣然曰:“仆虽固贫,茅庐可以寄榻。不嫌荒陋,无 烦他适。”陶趋车前,向姊咨禀。车中人推帘语,乃二十许绝世美人也。 顾弟言:“屋不厌卑,而院宜得广。”马代诺之,遂与俱归。
第南有荒圃,仅小室三四椽,陶喜,居之。日过北院,为马治菊。菊已 枯,拔根再植之,无不活。然家清贫,陶日与马共食饮,而察其家似不举火。马妻吕,亦爱陶姊,不时以升斗馈恤之。陶姊小字黄英,雅善谈, 辄过吕所,与共纫绩。陶一日谓马曰:”君家固不丰,仆日以口腹累知 交,胡可为常。为今计,卖菊亦足谋生。”马素介,闻陶言,甚鄙 之,曰:“仆以君风流高士,当能安贫,今作是论,则以东篱为市井, 有辱黄花矣。”陶笑曰:“自食其力不为贪,贩花为业不为俗。人固不 可苟求富,然亦不必务求贫也。”马不语,陶起而出。自是,马所 弃残枝劣种,陶悉掇拾而去。由此不复就马寝食,招之始一至。未几,菊将 开,闻其门嚣喧如市。怪之,过而窥焉,见市人买花者,车载肩负,道 相属也。其花皆异种,目所未睹。心厌其贪,欲与绝;而又恨其私秘佳本, 遂款其扉,将就诮让。陶出,握手曳入。见荒庭半亩皆菊畦,数椽之外无旷 土。劚去者,则折别枝插补之;其蓓蕾在畦者,罔不佳妙:而细认 之,尽皆向所拔弃也。陶入屋,出酒馔,设席畦侧,曰:“仆贫不能守清戒,连朝幸得微资,颇足供醉,”少间,房中呼“三郎”,陶诺而去。俄 献佳肴,烹饪良精。因问:“贵姊胡以不字?”答云:“时未至。“问:“何 时?”曰:“四十三月。”又诘:“何说?”但笑不言。尽欢始散。过宿, 又诣之,新插者已盈尺矣。大奇之,苦求其术。陶曰:“此固非可言传;且 君不以谋生,焉用此?”又数日,门庭略寂,陶乃以蒲席包菊,捆载数车而 去。逾岁,春将半,始载南中异卉而归,于都中设花肆,十日尽售,复 归艺菊。问之去年买花者。留其根,次年尽变而劣,乃复购于陶。陶由此日 富:一年增舍,二年起夏屋。兴作从心,更不谋诸主人。渐而旧日花畦,尽 为廊舍。更于墙外买田一区,筑墉四周,悉种菊。至秋,载花去,春尽 不归。而马妻病卒。意属黄英,微使人风示之。黄英微笑。意似允许,惟专 候陶归而已。年馀,陶竟不至。黄英课仆种菊,一如陶。得金益合商贾,村 外治膏田二十顷,甲第益壮。忽有客自东粤来,寄陶生函信,发之,则 嘱姊归马。考其寄书之日,即妻死之日;回忆园中之饮,适四十三月也。大 奇之。以书示英,请问“致聘何所”。英辞不受采。又以故居陋,欲使就南 第居,若赘焉。马不可,择日行亲迎礼。黄英既适马,于间壁开扉通南第, 日过课其仆。
马耻以妻富,恒嘱黄英作南北籍,以防淆乱。而家所 需,黄英辄取诸南第。不半岁,家中触类皆陶家物。马立遣人一一赍还之, 戒勿复取。未浃旬,又杂之。凡数更,马不胜烦。黄英笑曰:“陈仲子 毋乃劳乎?”马惭,不复稽,一切听诸黄英。鸠工庀料,土木大作,马不能禁。经数月,楼舍连亘,两第竟合为一,不分疆界矣。然遵马教, 闭门不复业菊,而享用过于世家。马不自安,曰:“仆三十年清德,为 卿所累。今视息人间,徒依裙带而食,真无一毫丈夫气矣。人皆祝 富,我但祝穷耳!”黄英曰:“妾非贪鄙;但不少致丰盈,遂令千载下 人,谓渊明贫贱骨,百世不能发迹,故聊为我家彭泽解嘲耳。然贫者愿富,为难;富者求贫,固亦甚易。床头金任君挥去之,妾不靳也。”马 曰:“捐他人之金,抑亦良丑。”英曰:“君不愿富,妾亦不能贫也。无已, 析君居:清者自清,浊者自浊,何害。”乃于园中筑茅茨,择美婢往侍 马。马安之。然过数日,苦念黄英。招之,不肯至;不得已,反就之。隔宿 辄至,以为常。黄英笑曰:“东食西宿,廉者当不如是。”乌亦自笑, 无以对,遂复合居如初。
会马以事客金陵,适逢菊秋。早过花肆,见肆中盆列甚烦,款朵佳胜, 心动,疑类陶制。少间,主人出,果陶也。喜极,具道契阔,遂止宿焉,要 之归。陶曰:“金陵,吾故土,将婚于是。积有薄资,烦寄吾姊。我岁杪当 暂去。”马不听,请之益苦。且曰:“家幸充盈,但可坐享,无须复贾。” 坐肆中,使仆代论价,廉其直,数日尽售。逼促囊装,赁舟遂北。入门,则 姊已除舍,床榻裀褥皆设,若预知弟也归者。陶自归,解装课役,大修亭园, 惟日与马共棋酒,更不复结一客。为之择婚,辞不愿。姊遣二婢侍其寝处, 居三四年,生一女。
陶饮素豪,从不见其沉醉。有友人曾生,量亦无对。适过马,马使 与陶相较饮。二人纵饮甚欢,相得恨晚。自辰以迄四漏,计各尽百壶。 曾烂醉如泥,沉睡座间。陶起归寝,出门践菊畦,玉山倾倒,委衣于侧, 即地化为菊,高如人;花十馀朵,皆大于拳。马骇绝,告黄英。英急往,拔 置地上,曰:“胡醉至此!”覆以衣,要马俱去,戒勿视。既明而往,则陶 卧畦边。马乃悟姊弟菊精也,益敬爱之。而陶自露迹,饮益放,恒自折柬招 曾。因与莫逆。值花朝,曾乃造访,以两仆舁药浸白酒一坛,约与共 尽。坛将竭,二人犹未甚醉,马潜以一瓻续入之,二人又尽之。曾醉 已惫,诸仆负之以去。陶卧地,又化为菊。马见惯不惊,如法拔之,守其旁 以观其变。久之,叶益憔悴。大惧,始告黄英。英闻骇曰:“杀吾弟矣!” 奔视之,根株已枯。痛绝,掐其梗,埋盆中,携入闺中,日灌溉之。马悔恨 欲绝,甚怨曾。越数日,闻曾已醉死矣。盆中花渐萌,九月既开,短干粉朵, 嗅之有酒香,名之“醉陶”,浇以酒则茂。后女长成,嫁于世家。黄英终老, 亦无他异。
异史氏日:“青山白云人,遂以醉死,世尽惜之,而未必不自以 为快也。植此种于庭中,如见良友,如对丽人,不可不物色之也。”

一些记录
TVで流れている 一生懸命な人
あんなに燃えている人がいるってのに
ためらって イキがった
僕の毎日はどうなのよ

来る日も来る日も 当たり前にこなしてばかり
結局無難に振舞っていただけ
過ぎ去った 失った
戻らないあの日 バカだね

後悔先に立たず ひとつ学びました
今日を悔やむ明日はもういらない!

未来は現在(いま)にかかっている
やれるだけやってみようかな
風は相変わらず
気まぐれに吹いてるみたいだけど
遠いあの空に描くのは
この小さい自分の手
時間(とき)はけして
待ってはくれないから
ひとつ ひとつ
大切に抱えていこう

雨夜の怪談
岡本綺堂

 秋……殊ことに雨などが漕々そうそう降ると、人は兎角とかくに陰気になつて、動ややもすれば魔物臭い話が出る。さればこそ、七偏人しちへんじんは百物語を催ほして大愚大人を脅かさんと巧み、和合人わごうじんの土場六先生はヅーフラ(註:オランダ渡来の、ラツパのような形状をした呼筒。半七捕物帳「ズウフラ怪談」に詳しい。)を以て和次さん等を驚かさんと企つるに至るのだ。聞く所に拠よれば近来も怪談大流行、到る所に百物語式の会合があると云ふ。で、私も流行を趁おうて、自分が見聞の怪談二三を紹介する。但ただし何いずれも実録であるから、芝居や講釈の様に物凄いのは無い。それは前以てお断り申して置く。



 明治六七年の頃、私わたしの家うちは高輪たかなわから飯田町いいだまちに移つた。飯田町の家は大久保何某なにがしといふ旗本はたもとの古屋敷で随分広い。移つてから二月ふたつきほど経つた或夜の事、私の母が夜半よなかに起きて便所に行く。途中は長い廊下、真闇まっくらの中なかで何やら摺違すれちがつたやうな物の気息けはいがする、之これと同時に何とは無しに後あとへ引戻されるやうな心地がした。けれども、別に意にも介とめず、用を済すまして寝床へ帰つた。
 こゝに住むこと約半年、更さらに同町内の他へ移転した。すると、出入でいりの酒商さかやが来て、旧宅にゐる間に何か変つた事は無かつたかと問ふ。いや、何事も無かつたと答へると、実は彼あの家うちは昔から有名なだいの化物屋敷、あなた方が住んでお在いでの時に、そんな事を申上げては却かえつて悪いと、今日こんにちまで差控さしひかえて居おりましたと云ふ。併しかし此方こっちでは何等の不思議を見た事無し、強しいて心当りを探り出せば、前に記しるした一件のみ。これでも怪談の部であらうか。



 安政あんせいの末年まつねん、一人の若武士わかざむらいが品川から高輪たかなわの海端うみばたを通る。夜は四よつ過ぎ、他ほかに人通りは無い。芝しばの田町たまちの方から人魂ひとだまのやうな火が宙ちゅうを迷まようて来る。それが漸次しだいに近ちかづくと、女の背に負おぶはれた三歳みっつばかりの小供が、竹の柄えを付けた白張しらはりのぶら提灯ぢょうちんを持つてゐるのだ。唯ただ是これだけの事ならば別に仔細しさい無なし、こゝに不思議なるは其その女の顔で、眼も鼻も無い所謂いわゆるのツぺらぼう。武士さむらいも驚いて、思はず刀に手を掛けたが、待て暫しばし、広い世の中には病気又は怪我けがの為に不思議な顔を有もつ女が無いとも限らぬ、迂闊うかつに手を下くだすのも短慮だと、少時しばしづツと見てゐる中うちに、女は消ゆるが如ごとくに行き過ぎて遠く残るは提灯ちょうちんの影ばかり。是これ果はたして人か怪かいか竟ついに分らぬ。其その武士さむらいと云ふのは私の父である。
 忠盛ただもりは油坊主あぶらぼうずを捕へた。私も引捕へて詮議すれば可よかつたものを……と、老後の悔くやみ話。



 慶応けいおうの初年しょねん、私の叔父おじは富津ふっつの台場だいばを固めてゐた、で、或日あるひの事。同僚吉田何某なにがしと共に近所へ酒を飲みに行つた帰途かえりみち、冬の日も暮れかゝる田甫路たんぼみちをぶら/\来ると、吉田は何故なぜか知らず、動ややもすれば田たの方へ踉蹌よろけて行く。勿論幾分か酔つてはゐるが、足下あしもとの危い程でも無いに兎角とかくに左の方へと行きたがる。おい、田へ落ちるぞ、確乎しっかりしろと、叔父は幾いくたびか注意しても、本人は夢の様、無意識に田の中なかへ行かうとする。
 其中そのうちに、叔父が不図ふと見ると、田を隔へだてたる左手ゆんでの丘に一匹の狐がゐて、宛さながら招まねくが如くに手を挙あげてゐる。こん畜生! 武士さむらいを化ばかさうなどゝは怪けしからぬと、叔父も酒の勢ひ、腰なる刀をひらりと抜く。これを見て狐は逃げた。吉田は眼を摩こすりながら「あゝ、睡ねむかつた……。」それから後のちは何事も無い。
 動物電気に依よって一種のヒプノヂズム式作用を起すものと見える。狐が人を化すと云ふのも嘘では無いらしい。


 鼬いたちの立つのは珍しくはないが私は猫の立つて歩くのを見た。
 時は明治三十一年の八月十二日、夜の一時頃であらう。私は寝苦しいので蚊帳かやを出た。庭を一巡して扨さてそれから表へ出やうと、何心なく門を明けると、門から往来へ出る路次ろじの真中まんなかに何物か立つてゐる。月は明るい。其そのうしろ姿は正まさしく猫、加之しかも表通りの焼芋商やきいもやに飼つてある雉子猫きじねこだ。彼奴きゃつ、どうするかと息を潜ひそめて窺うかがつてゐると、彼かれは長き尾を地に曳ひき二本の後脚あとあしを以もって矗然すっくと立つたまゝ、宛さながら人のやうに歩んで行く、足下あしもとは中々なかなか確たしかだ。
 はて、不思議と見てゐる中うちに、彼は既すでに二間けんばかりも歩き出した。私は一種の好奇心に駆られて、背後うしろから其後そのあとを尾つけやうと、跫音あしおとを偸ぬすんで一歩蹈ふみ出すや否や、彼は忽たちまち顧みかえつた。と思ふと、平常へいぜいの四脚よつあしに復かえつて飛鳥ひちょうの如ごとくに往来へ逃げ去つた。私も続いて逐おうたが、もう影も見せぬ。
 翌日、焼芋屋の店を窺うかがふと彼は例の如く竈前かままえに遊んでゐる。併しかし昨夜の事を迂闊うっかり饒舌しゃべつて、家内の者を閙さわがすのも悪いと思つたから、私は何にも言はなかつた。が、其後も絶えず彼の挙動に注目してゐると、翌月の末頃から彼は姿を現はさぬ。同家に就ついて訊けば、猫は二三日前から行方不明となつたと云ふ。
 動物学上から云へば、猫の立つて歩くのも或あるいは当然の事かも知れぬ。併しかし我々俗人は之これをも不思議の一つに数かぞへるのが慣例ならいだ。


 明治廿三にじゅうさん年の二月、父と共に信州軽井沢に宿やどる。昨日から降積ふりつむ雪で外へは出られぬ。日の暮れる頃に猟夫かりうどが来て、鹿の肉を買つて呉くれと云ふ。退屈の折柄おりから、彼を炉辺ろへんに呼び入れて、種々いろいろの話をする。
 木曾路の山へ分け入ると、折々に不思議を見る。猟夫仲間では之これをえてものと云ふ。現に此この猟夫も七八年前ぜん二三人の同業者と連れ立つて、木曾の山奥へ猟りょうに行つた。斯かかる深山へ登る時には、四五日にち分ぶんの米の他に鍋なべ釜かまをも携たずさへて行くのが慣例ならい。
 登山してから三日目の夕刻、一同は唯とある大樹たいじゅの下に屯たむろして夕飯ゆうめしを焚たく。で、もう好よい頃と一人が釜の蓋ふたを明けると、濛々もうもうと颺あがる湯気ゆげの白き中なかから、真蒼まっさおな人間の首がぬツと出た。あツと驚いて再び蓋をすると、其中そのなかで物馴ものなれた一人が「えてものだ、鉄砲を撃て。」と云ふ。一同直すぐに鉄砲を把とつて、何処どこを的あてとも無なしに二三発ぱつ。それから更さらに釜の蓋を明けると今度は何の不思議もない。
 えてものの正体は何なんだか知らぬが、処々おりおりに斯こういふ悪戯いたずらをすると、猟夫の話。



 日露戦争の際、私は東京日々とうきょうにちにち新聞社から通信員として戦地へ派遣された。三十七年の九月、遼陽りょうようより北一里り半はんの大紙房だいしぼうといふ村に宿とまつて、滞留約半月はんつき。其間そのあいだに村人の話を聞くと、大紙房と小紙房との村境むらざかいに一間の空家あきやがあつて十数年来誰たれも住まぬ。それは『鬼き』が祟たたりを作なす為だと云ふ。
 中国の怪物ばけもの………私は例の好奇心に促されて、一夜を彼かの空屋に送るべく決心した。で、更さらに委くわしく其その『鬼き』の有様を質ただすと、曰いわく、半夜に凄風せいふう颯さっとして至る。大鬼だいきは衣冠いかんにして騎馬、小鬼しょうき数十何いずれも剣戟けんげきを携たずさへて従ふ。屋おくに進んで大鬼先まづ瞋いかつて呼ぶ、小鬼それに応じて口より火を噴き、光熖こうえん屋おくを照てらすと。
 何の事だ。宛まるで子不語しふごが今古奇観こんこきかんにでも有ありさうな怪談だ。余り馬鹿々々しいので、


 これは最近の話。今年の五月、菊五郎一座が水戸みとへ乗込んだ時とき。一座の鼻升びしょう、菊太郎、市勝いちかつ等ら五名は下市しもいちの某旅店ぼうりょてん(名は憚はばかつて記しるさぬ)に泊つて、下座敷したざしきの六畳の間まに陣取る。で、第一日の夜、市勝が俯向うつむいて手紙を書いてゐると、鼻の頭さきの障子しょうじが自然にすうと明いた。之これを序開じょびらきとして種々いろいろの不思議がある。段々だんだん詮議すると、これは此家このやに年古く住む鼬いたちの仕業しわざだと云ふ。
 併しかし人間に対して害は加へぬと分つたので、一同も先まづ安心。其後そのごは芝居から帰ると、毎夜彼かの鼬を対手あいてにして遊ぶ。就中なかんずく面白いのは、例の狐狗狸式こくりしきに物を当てさせる事で、例へば此室このへやに女が居いるかと問ひ、居ない時には彼かれが廊下をとんと一つ打つ。居る時にはとん/\と二つ打つと云ふ類たぐいだ。
 或時あるとき、此室このへやに手拭てぬぐいが幾筋いくすじ掛けてあるかと問へば、彼は廊下を四つ打つた。けれども、手拭は三筋より無い。更さらに聞直しても矢はり四つだと答へる。で、念の為に手拭を検あらためると、三筋と思つたのは此方こっちの過失あやまりで、一つの釘くぎに二筋の手拭が重ねて掛けて有あつて、都合つごう四筋といふのが成なるほど本当だ。是これには何いずれも敬服したと云ふ。が、彼かれは果はたして鼬いたちか狸たぬきか、或あるいは人の悪戯いたずらかと種々いろいろに穿索せんさくしたが、遂ついに其正体を見出し得なかつた。宿やどの者は飽あくまでも鼬と信じてゐるらしいとの事。


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