雨夜の怪談
岡本綺堂

 秋……殊ことに雨などが漕々そうそう降ると、人は兎角とかくに陰気になつて、動ややもすれば魔物臭い話が出る。さればこそ、七偏人しちへんじんは百物語を催ほして大愚大人を脅かさんと巧み、和合人わごうじんの土場六先生はヅーフラ(註:オランダ渡来の、ラツパのような形状をした呼筒。半七捕物帳「ズウフラ怪談」に詳しい。)を以て和次さん等を驚かさんと企つるに至るのだ。聞く所に拠よれば近来も怪談大流行、到る所に百物語式の会合があると云ふ。で、私も流行を趁おうて、自分が見聞の怪談二三を紹介する。但ただし何いずれも実録であるから、芝居や講釈の様に物凄いのは無い。それは前以てお断り申して置く。



 明治六七年の頃、私わたしの家うちは高輪たかなわから飯田町いいだまちに移つた。飯田町の家は大久保何某なにがしといふ旗本はたもとの古屋敷で随分広い。移つてから二月ふたつきほど経つた或夜の事、私の母が夜半よなかに起きて便所に行く。途中は長い廊下、真闇まっくらの中なかで何やら摺違すれちがつたやうな物の気息けはいがする、之これと同時に何とは無しに後あとへ引戻されるやうな心地がした。けれども、別に意にも介とめず、用を済すまして寝床へ帰つた。
 こゝに住むこと約半年、更さらに同町内の他へ移転した。すると、出入でいりの酒商さかやが来て、旧宅にゐる間に何か変つた事は無かつたかと問ふ。いや、何事も無かつたと答へると、実は彼あの家うちは昔から有名なだいの化物屋敷、あなた方が住んでお在いでの時に、そんな事を申上げては却かえつて悪いと、今日こんにちまで差控さしひかえて居おりましたと云ふ。併しかし此方こっちでは何等の不思議を見た事無し、強しいて心当りを探り出せば、前に記しるした一件のみ。これでも怪談の部であらうか。



 安政あんせいの末年まつねん、一人の若武士わかざむらいが品川から高輪たかなわの海端うみばたを通る。夜は四よつ過ぎ、他ほかに人通りは無い。芝しばの田町たまちの方から人魂ひとだまのやうな火が宙ちゅうを迷まようて来る。それが漸次しだいに近ちかづくと、女の背に負おぶはれた三歳みっつばかりの小供が、竹の柄えを付けた白張しらはりのぶら提灯ぢょうちんを持つてゐるのだ。唯ただ是これだけの事ならば別に仔細しさい無なし、こゝに不思議なるは其その女の顔で、眼も鼻も無い所謂いわゆるのツぺらぼう。武士さむらいも驚いて、思はず刀に手を掛けたが、待て暫しばし、広い世の中には病気又は怪我けがの為に不思議な顔を有もつ女が無いとも限らぬ、迂闊うかつに手を下くだすのも短慮だと、少時しばしづツと見てゐる中うちに、女は消ゆるが如ごとくに行き過ぎて遠く残るは提灯ちょうちんの影ばかり。是これ果はたして人か怪かいか竟ついに分らぬ。其その武士さむらいと云ふのは私の父である。
 忠盛ただもりは油坊主あぶらぼうずを捕へた。私も引捕へて詮議すれば可よかつたものを……と、老後の悔くやみ話。



 慶応けいおうの初年しょねん、私の叔父おじは富津ふっつの台場だいばを固めてゐた、で、或日あるひの事。同僚吉田何某なにがしと共に近所へ酒を飲みに行つた帰途かえりみち、冬の日も暮れかゝる田甫路たんぼみちをぶら/\来ると、吉田は何故なぜか知らず、動ややもすれば田たの方へ踉蹌よろけて行く。勿論幾分か酔つてはゐるが、足下あしもとの危い程でも無いに兎角とかくに左の方へと行きたがる。おい、田へ落ちるぞ、確乎しっかりしろと、叔父は幾いくたびか注意しても、本人は夢の様、無意識に田の中なかへ行かうとする。
 其中そのうちに、叔父が不図ふと見ると、田を隔へだてたる左手ゆんでの丘に一匹の狐がゐて、宛さながら招まねくが如くに手を挙あげてゐる。こん畜生! 武士さむらいを化ばかさうなどゝは怪けしからぬと、叔父も酒の勢ひ、腰なる刀をひらりと抜く。これを見て狐は逃げた。吉田は眼を摩こすりながら「あゝ、睡ねむかつた……。」それから後のちは何事も無い。
 動物電気に依よって一種のヒプノヂズム式作用を起すものと見える。狐が人を化すと云ふのも嘘では無いらしい。


 鼬いたちの立つのは珍しくはないが私は猫の立つて歩くのを見た。
 時は明治三十一年の八月十二日、夜の一時頃であらう。私は寝苦しいので蚊帳かやを出た。庭を一巡して扨さてそれから表へ出やうと、何心なく門を明けると、門から往来へ出る路次ろじの真中まんなかに何物か立つてゐる。月は明るい。其そのうしろ姿は正まさしく猫、加之しかも表通りの焼芋商やきいもやに飼つてある雉子猫きじねこだ。彼奴きゃつ、どうするかと息を潜ひそめて窺うかがつてゐると、彼かれは長き尾を地に曳ひき二本の後脚あとあしを以もって矗然すっくと立つたまゝ、宛さながら人のやうに歩んで行く、足下あしもとは中々なかなか確たしかだ。
 はて、不思議と見てゐる中うちに、彼は既すでに二間けんばかりも歩き出した。私は一種の好奇心に駆られて、背後うしろから其後そのあとを尾つけやうと、跫音あしおとを偸ぬすんで一歩蹈ふみ出すや否や、彼は忽たちまち顧みかえつた。と思ふと、平常へいぜいの四脚よつあしに復かえつて飛鳥ひちょうの如ごとくに往来へ逃げ去つた。私も続いて逐おうたが、もう影も見せぬ。
 翌日、焼芋屋の店を窺うかがふと彼は例の如く竈前かままえに遊んでゐる。併しかし昨夜の事を迂闊うっかり饒舌しゃべつて、家内の者を閙さわがすのも悪いと思つたから、私は何にも言はなかつた。が、其後も絶えず彼の挙動に注目してゐると、翌月の末頃から彼は姿を現はさぬ。同家に就ついて訊けば、猫は二三日前から行方不明となつたと云ふ。
 動物学上から云へば、猫の立つて歩くのも或あるいは当然の事かも知れぬ。併しかし我々俗人は之これをも不思議の一つに数かぞへるのが慣例ならいだ。


 明治廿三にじゅうさん年の二月、父と共に信州軽井沢に宿やどる。昨日から降積ふりつむ雪で外へは出られぬ。日の暮れる頃に猟夫かりうどが来て、鹿の肉を買つて呉くれと云ふ。退屈の折柄おりから、彼を炉辺ろへんに呼び入れて、種々いろいろの話をする。
 木曾路の山へ分け入ると、折々に不思議を見る。猟夫仲間では之これをえてものと云ふ。現に此この猟夫も七八年前ぜん二三人の同業者と連れ立つて、木曾の山奥へ猟りょうに行つた。斯かかる深山へ登る時には、四五日にち分ぶんの米の他に鍋なべ釜かまをも携たずさへて行くのが慣例ならい。
 登山してから三日目の夕刻、一同は唯とある大樹たいじゅの下に屯たむろして夕飯ゆうめしを焚たく。で、もう好よい頃と一人が釜の蓋ふたを明けると、濛々もうもうと颺あがる湯気ゆげの白き中なかから、真蒼まっさおな人間の首がぬツと出た。あツと驚いて再び蓋をすると、其中そのなかで物馴ものなれた一人が「えてものだ、鉄砲を撃て。」と云ふ。一同直すぐに鉄砲を把とつて、何処どこを的あてとも無なしに二三発ぱつ。それから更さらに釜の蓋を明けると今度は何の不思議もない。
 えてものの正体は何なんだか知らぬが、処々おりおりに斯こういふ悪戯いたずらをすると、猟夫の話。



 日露戦争の際、私は東京日々とうきょうにちにち新聞社から通信員として戦地へ派遣された。三十七年の九月、遼陽りょうようより北一里り半はんの大紙房だいしぼうといふ村に宿とまつて、滞留約半月はんつき。其間そのあいだに村人の話を聞くと、大紙房と小紙房との村境むらざかいに一間の空家あきやがあつて十数年来誰たれも住まぬ。それは『鬼き』が祟たたりを作なす為だと云ふ。
 中国の怪物ばけもの………私は例の好奇心に促されて、一夜を彼かの空屋に送るべく決心した。で、更さらに委くわしく其その『鬼き』の有様を質ただすと、曰いわく、半夜に凄風せいふう颯さっとして至る。大鬼だいきは衣冠いかんにして騎馬、小鬼しょうき数十何いずれも剣戟けんげきを携たずさへて従ふ。屋おくに進んで大鬼先まづ瞋いかつて呼ぶ、小鬼それに応じて口より火を噴き、光熖こうえん屋おくを照てらすと。
 何の事だ。宛まるで子不語しふごが今古奇観こんこきかんにでも有ありさうな怪談だ。余り馬鹿々々しいので、


 これは最近の話。今年の五月、菊五郎一座が水戸みとへ乗込んだ時とき。一座の鼻升びしょう、菊太郎、市勝いちかつ等ら五名は下市しもいちの某旅店ぼうりょてん(名は憚はばかつて記しるさぬ)に泊つて、下座敷したざしきの六畳の間まに陣取る。で、第一日の夜、市勝が俯向うつむいて手紙を書いてゐると、鼻の頭さきの障子しょうじが自然にすうと明いた。之これを序開じょびらきとして種々いろいろの不思議がある。段々だんだん詮議すると、これは此家このやに年古く住む鼬いたちの仕業しわざだと云ふ。
 併しかし人間に対して害は加へぬと分つたので、一同も先まづ安心。其後そのごは芝居から帰ると、毎夜彼かの鼬を対手あいてにして遊ぶ。就中なかんずく面白いのは、例の狐狗狸式こくりしきに物を当てさせる事で、例へば此室このへやに女が居いるかと問ひ、居ない時には彼かれが廊下をとんと一つ打つ。居る時にはとん/\と二つ打つと云ふ類たぐいだ。
 或時あるとき、此室このへやに手拭てぬぐいが幾筋いくすじ掛けてあるかと問へば、彼は廊下を四つ打つた。けれども、手拭は三筋より無い。更さらに聞直しても矢はり四つだと答へる。で、念の為に手拭を検あらためると、三筋と思つたのは此方こっちの過失あやまりで、一つの釘くぎに二筋の手拭が重ねて掛けて有あつて、都合つごう四筋といふのが成なるほど本当だ。是これには何いずれも敬服したと云ふ。が、彼かれは果はたして鼬いたちか狸たぬきか、或あるいは人の悪戯いたずらかと種々いろいろに穿索せんさくしたが、遂ついに其正体を見出し得なかつた。宿やどの者は飽あくまでも鼬と信じてゐるらしいとの事。

ドッペルゲンガー
ドイツ語: Doppel(英語: doubleと同語源)とは、「二重」「生き写し、コピー」という意味を持ち、独: Doppelgängerを逐語訳すると「二重の歩く者」「二重身」となる。英語風に「ダブル」と言うこともあり、漢字では「復体」と書くこともある。

ドッペルゲンガー現象は、古くから神話・伝説・迷信などで語られ、肉体から霊魂が分離・実体化したものとされた。この二重身の出現は、その人物の「死の前兆」と信じられた。

18世紀末から20世紀にかけて流行したゴシック小説作家たちにとって、死や災難の前兆であるドッペルゲンガーは魅力的な題材であり、自己の罪悪感の投影として描かれることもあった。

特徴
ドッペルゲンガーの特徴として、

ドッペルゲンガーの人物は周囲の人間と会話をしない。
本人に関係のある場所に出現する。
ドアの開け閉めが出来る
忽然と消える
ドッペルゲンガーを2回見ると見た人も死ぬ
などがあげられる。

同じ人物が同時に複数の場所に姿を現す現象、という意味の用語ではバイロケーションと重なるところがあるが、バイロケーションのほうは自分の意思でそれを行う能力、というニュアンスが強い。つまりドッペルゲンガーのほうは本人の意思とは無関係におきている、というニュアンスを含んでいる。

歴史と事例
アメリカ合衆国第16代大統領エイブラハム・リンカーン、帝政ロシアのエカテリーナ2世、日本の芥川龍之介などの著名人が、自身のドッペルゲンガーを見たという記録も残されている。

19世紀のフランス人のエミリー・サジェはドッペルゲンガーの実例として有名で[2]、同時に40人以上もの人々によってドッペルゲンガーが目撃されたといわれる。同様に、本人が本人の分身に遭遇した例ではないが、古代の哲学者ピタゴラスは、ある時の同じ日の同じ時刻にイタリア半島のメタポンティオンとクロトンの両所で大勢の人々に目撃されたという。
自己像幻視
医学においては、自分の姿を見る現象(症状)は「autoscopy」、日本語で「自己像幻視」と呼ばれる。 自己像幻視は純粋に視覚のみに現れる現象であり、たいていは短時間で消える。現れる自己像は自分の姿勢や動きを真似する鏡像であり、独自のアイデンティティや意図は持たない。しかし、まれな例としてホートスコピー(heautoscopy)と呼ばれる自身を真似ない自己像が見えたり、アイデンティティをもった自己像と相互交流する症例も報告されている。ホートスコピーとの交流は友好的なものより敵対的なことのほうが多い。

例えばスイス・チューリッヒ大学のピーター・ブルッガー博士などの研究によると、脳の側頭葉と頭頂葉の境界領域(側頭頭頂接合部)に脳腫瘍ができた患者が自己像幻視を見るケースが多いという。この脳の領域は、ボディーイメージを司ると考えられており、機能が損なわれると、自己の肉体の認識上の感覚を失い、あたかも肉体とは別の「もう一人の自分」が存在するかのように錯覚することがあると言われている。 また、自己像幻視の症例のうちのかなりの数が統合失調症と関係している可能性があり、患者は暗示に反応して自己像幻視を経験することがある。

しかし、上述の仮説や解釈で説明のつくものとつかないものがある。「第三者によって目撃されるドッペルゲンガー」(たとえば数十名によって繰り返し目撃されたエミリー・サジェなどの事例)は、上述の脳の機能障害では説明できないケースである。
作品中のドッペルゲンガー
文学
文学の中のドッペルゲンガーで、詩に描かれたのは、ハインリヒ・ハイネの『帰郷』93篇の中の1篇に、かつて失恋体験した男性がある月の夜、恋に苦悩している自分の分身(影法師)を見てしまうという内容のものがあり、戦慄的な激しい心情が重々しく叙唱されている。

夜はひっそりとして、小路はしんとしている。 この家にはぼくの恋人が住んでいたのだ。 その娘はとっくにこの町を立ち去ったが、家はまだ同じ場所にある。
そこには、またひとりの男がたって、高いところを見つめ はげしい苦痛に手をにぎりしめている。――その顔を見たとき、ぼくはぞっとした 月が見せてくれたぼく自身の姿なのだ。
その影法師よ、蒼ざめた男よ! なぜお前はぼくの恋の悩みを真似るのか。 むかしと同じこの場所で、幾夜もぼくが苦しんだあの恋の悩みを。
— ハインリヒ・ハイネ「帰郷」の一篇(服部龍太郎訳「シューベルトの歌曲」)
シューベルトはこのハイネの詩篇に、「影法師(Der Doppelgänger)」とタイトルを付けて作曲し、歌曲集『白鳥の歌(Schwanengesang)』の第13曲にした。
ドッペルゲンガーはおもに散文作品(小説)に多く見られ、ロマン派および、それ以後の好みのテーマとして取り上げられた。E.T.A.ホフマンは、自分の「鏡像」を失った男を『大晦日の夜の冒険』(1815年)で描いている。

定型の二重身(自分とそっくりの姿をした分身を見る)の恐怖を描いたものとして、アルフレッド・ノイズ(Alfred Noise)の短編『深夜特急』がある。ハンス・ハインツ・エーヴェルス(Hanns Heinz Ewers)は『プラーグの大学生』(1913年)にて自我分裂の悲劇としてのドッペルゲンガーを描いた。

ドストエフスキーの『二重人格』〈『分身』とも邦訳される〉(1846年)やジュリアン・グリーン(Julien Green)の『地上の旅人』(1927年)、さらにハンス・ヘニー・ヤーンの『鉛の夜』(1956年)においては分身として描かれる。

ラファエル前派の画家であるダンテ・ゲイブリエル・ロセッティは、自己像幻視として神秘体験的な短編『手と魂』(1850年)を描いた。フロイトは、ヴィルヘルム・イエンセン(Wilhelm Jensen)作の、自身ではなく他者のドッペルゲンガー幻想を抱く青年の物語『グラディーヴァ』(1903年)を取り上げて分析し、「W・イエンセンの小説『グラディーヴァ』に見られる妄想と夢」を記して、自身の夢解釈理論を展開している。

エドガー・アラン・ポーはドッペルゲンガーを主題にした怪奇譚『ウィリアム・ウィルソン』(1839年)を書き、オスカー・ワイルドも幻想文学的な『ドリアン・グレイの肖像』(1890年)を描いた。

芥川龍之介の短編『二つの手紙』(1917年)もドッペルゲンガーを扱っている。大学教師の佐々木信一郎を名乗る男が、自身と妻のドッペルゲンガーを三度も目撃してしまい、その苦悩を語る警察署長宛ての二通の手紙が紹介される、という形式の短編である[13]。なお芥川龍之介自身がドッペルゲンガーを経験していたらしいと指摘されることがある。芥川はある座談会の場で、ドッペルゲンガーの経験があるかと問われると、「あります。私の二重人格は一度は帝劇に、一度は銀座に現れました」と答え、錯覚か人違いではないか?との問いに対しては、「そういって了えば一番解決がつき易いですがね、なかなかそう言い切れない事があるのです」と述べたという。
梶井基次郎も、心境小説『泥濘』(1925年)の終章において、夜の雪道で偶然に体感した不思議なドッペルゲンガー現象を綴っている。梶井はこの実体験を主題にして発展させ幻想的な『Kの昇天』(1926年)を描いた。

サブカルチャー
ドッペルゲンガーは、サイエンス・フィクションやファンタジー小説などにもよく登場する。そこでは、不埒な目的のために、特定の人や生き物になりすますシェイプシフターとして描かれている。

前述のように、日本におけるドッペルゲンガーの認知は、前近代の頃より「離魂病」の一つと見られてきたが、現代創作物においても、そうした認知が脈々と継承されており、特撮ドラマで言えば、『ウルトラQ』第25話に登場する悪魔ッ子リリーの話は、肉体を離れ、精神体が悪事をするという内容となっている。

漫画で言えば、『地獄先生ぬ〜べ〜』の郷子の話が例として挙げられる。これらは、解釈に差異はあれど、肉体と魂が分離した結果、その者の命が危機にさらされ、最後に一体化してハッピーエンドとなる流れで、これらの話は、中国の『唐代伝奇集』の中の、遠くに離れた2人の娘の話で、紆余曲折の末、寝たきりとなった娘(こちらが肉体とされる)が、遠くで暮らすもう1人の自分の話を聞き、起き出して、最後に一体化してハッピーエンドとなるという、離魂した娘の話の類型である。

上段の項目「歴史と事例」の北勇治のドッペルゲンガーの話は杉浦日向子の漫画作品『百物語』上巻の「其ノ十六・影を見た男の話」でとりあげられている。

二重身是一种心理学现象,指一个人在现实生活中自己看见自己。心理学家将二重身解释为一种心理幻觉——自窥现象。也有一种观点认为二重身指的是隐藏在每个人心灵中的另一个看不见的自我。

二十四孝図(上)
鲁迅

 私は何としても、最も激しく最も殺傷力のある呪文を見つけ出し、口語文に反対する人々、口語文を妨害する者を呪詛したい。たとい死後に、霊魂が残るとしても、この激しい憎悪の気持は、地獄に落ちても、悔いたりしない。まず何をおいても、口語文に反対する連中、口語文を妨害する連中を呪詛したい。
 いわゆる「文学革命」以来、子供向けの本は、欧米、日本に比べまだだいぶ見劣りするが、挿し絵もつき、読めるかぎりは、理解できるようになった。しかし、ある思惑を持った連中は、それすら禁じようとし、子供の世界のわずかな楽しみも奪おうとしている。
北京で今、子供を怖がらせる時に「馬虎子」(マーフーズが来るぞ)という。一説には、「開河記」に書かれている、隋の煬帝の命で運河を開削したとき、小児を蒸して(食べた)麻叔謀という:正確には“麻胡人”と書くべきだが、そうであれば、麻叔謀は胡人となる。ただ、彼が何人であれ、彼が子供を食ったとしても、人数には限りがあり、彼の一生の短い間に過ぎない。口語文妨害者の流す害毒は、洪水や猛獣より過酷で、非常に広範、かつ長期に及んでいる。全中国を麻胡(マーフー)にさせて、すべての子供を彼の腹の中で殺している。
 口語文を妨害せんとする連中を、滅亡せねばならない!
 こういうと、紳士たちは耳を覆うだろう。即ち、(彼らを呪詛する筆者が)「中空まで跳びあがり、完膚なきまでに罵り、―――罵りを止めない」からである。さらには文士たちも罵るに違いない。口語文は「文格」にもとるとか、「人格」を損ねることおびただしい、と。「言は、心の声」ではないか?「文」と「人」とは当然、相関関係にあり、人の世はもともと、千奇百怪、なんでも起こるが、教授たちの中にも、作者(魯迅)の人格は「尊敬しない」が、「彼の小説は良くない」とは言えない、という変な人もいる。が、私は頓着しない。幸いまだ(現実乖離の:人民文学出版注)「象牙の塔」に上がってはいないから、何の心配もいらない。もし、知らないうちに上がっていたとしても、すぐ転げ落ちるまでだ。転げ落ちる途中、地面に着くまでにもう一度言う:
 口語文を妨害せんとする連中を、滅亡せねばならない!
小学生が粗雑な「児童世界」を夢中になって読んでいるのを見ると、外国の児童が読んでいる本の美しさ、精巧さと比べ、中国の児童たちがかわいそうになる。ただ、私や私と同窓の童年のころを思い出すと、だいぶ良くなったとは思う。我々の過ぎ去りし時代に悲哀の弔辞を贈る。我々のころは、見るべきものは何も無い。少しでも挿し絵があると、塾の先生、すなわち当時の「青少年を指導すべき先輩」から禁じられ、しかられて、掌の中心を叩かれた。私の級友は「人の初め、性は本来善」(という三字経)だけを読まされ、余りの退屈さに耐えられず、「文星高照」の、悪鬼の魁星の像を偸み見して、幼い審美眼を満たしていた。昨日も見、今日もそれを見るのだが、彼の目にはきらめきが蘇生し、喜びの輝きが戻った。
 塾外では禁令は緩やかで、というのは私個人のことだが、人によっては違うだろう。だが、皆の前でおおっぴらに読めたのは、「文昌帝君陰騭文図説」と「玉歴鈔伝」で、因果応報の物語だ。雷公と稲妻が雲の上に立ち、地面の下には牛頭と馬面がひしめき、「中空に跳びあがる」のは、天の掟を犯す者で、たとい一言半句でも符合せず、わずかの存念でもそれが抵触するようなら、相応の扱いを受ける。この扱いは決して「些細な怨み」などの騒ぎではない。そこでは鬼神が君主で、「公理」が宰相だから、跪いて酒を献じても何の役にもたたず、まったく手が出ない。中国では、人となるだけでなく、死者となるのも極めて困難なのだ。しかしこの世よりましと言えるのは、いわゆる「紳士」もいないし、「流言飛語」も無い点だ。
 あの世で静かに過したいなら、あの世のことをあまりほめてはいけない。特に、筆を弄ぶのが好きな人間は、流言がとびかう今の中国では、そしてまた「言行一致」を大いに推進せんとしている今、前車の覆るのを鑑としなければならない。
アルツイバージェフが以前、若い女性の質問に答えた「ただ人生の事実そのものの中に、歓喜を探し出す者のみが、生きて行ける。そこで何も見いだせなかったら、死んだ方がましだ」という一節がある。それに対して、ミハロフという人が、手紙で罵った。「……、だから私は衷心よりお勧めするのだが、君は自殺して、自分の命に禍を与えて、福を取れ。それが一番ロジックにあっているし、二番目には言行不一致にならずに済む」と。
 そうは言っても、この論法は人を謀殺するもので、彼自身はこのようにして、人生の歓喜を見つけ出してきたのだ。アルツイバ―ジェフは不平不満をならべただけで、自殺しなかった。ミハロフ氏はその後どうなったか知らない。歓びは失ったか、別に何かを探し出したか。まことに「そのころは勇敢でも安穏に暮せたし、情熱的であることに何の危険も無かった」ようだ。
 しかしながら、私はすでにあの世のことをほめてしまったので、前言は撤回できない;「言行不一致」の嫌いはあるが、閻魔大王や小鬼からびた一文もらっていないから、この役はいつでも降りられるのだが。まあ、このまま書きすすめてみよう:
 私が見たあの世の絵は、家の書庫にあった古い本で、私の専有ではない。私が自分の物として手にした最初の挿し絵本は、一族の年長者が呉れた:「二十四孝図」だ。ほんとうに薄い冊子だが、下に挿し絵、上に説明があり、鬼は少なく、人が多く描かれ、自分の本なので、とてもうれしかった。その中の故事は誰でも知っているもので:字の読めない者も、たとえば阿長(乳母)でも絵を見れば、滔々と物語ることができた。ただ、うれしさの後に来たものは、興味喪失感であった。
二十四孝図の物語を全て聞き終えたあと、「孝」がかくも難しく、それまで呆けたように妄想していたことと、孝子になろうとしていた望みは、完全に絶たれた。
「人の初め、性は本来善」というのは本当か?これは今、ここで研究しなければならぬテーマではない。ただ、私は今もはっきり覚えているが、幼いころ、親に逆らったことは一度も無いし、父母に対しては特に孝順であろうとした。しかし幼いときは、何も知らないから、自分なりに「孝順」を理解して「よく親の話を聞き、いいつけに従う」ことと思っていた。成人したら、年老いた父母に食事をあげること、だと。この孝子の教科書を見てから、決してそんな事だけではすまないのだと悟った。何十倍、何百倍も難しい、と。もちろん、努力すればできることもある。「子路、米を負う」「黄香、枕を煽ぐ」の類だ。「陸績、橘を懐にす」も難しくない。金持ちが私を招宴してくれたらの話だが。
「魯迅さん、デザートのミカンを懐に入れて持ち帰りますか?」私はすぐ跪いて「母の好物ですから、頂きます」と応える。主は敬服し、かくして孝子はいとも簡単に誕生する。
「(冬に)竹に哭いて、筝を生ず」は疑わしい。私の誠心では、このように天地を感動させる自信はない。ただ、哭いても筝が出てこないというだけなら、面子を無くすだけで済む話だが、「氷に臥して鯉を求む」となると、生命に関わってくる。我故郷は温暖だから、厳冬でも薄氷しか張らない。小さな子供でも、乗ったらバリっと割れて、池に落ちて鯉も逃げてしまう。もちろん命を大切にすべきで、それでこそ、孝が神明を感動させ、思いもつかない奇跡を呼ぶ。ただ、その頃私は幼くて、こんなことは知らなかった。
 中でも特に分からなかったし、反感を覚えたのは、「老莱、親を娯(たのします)」と
「郭巨、児を埋める」の二篇、である。
 今でも覚えているが、一つは、老父母の前で倒れている爺さん。もう一つは母の手に抱かれている幼児。どうして私は、この絵に違和感を覚えたのか。二人とも手にはデンデン太鼓を持っている。この玩具は可愛らしい。北京では小鼓という。即ち鼗(トウ)で、
朱熹曰く「鼗、小鼓、両側に耳あり、その柄を持って揺すると、傍らの耳が自ら撃ち」、
トントンと鳴る。しかしこんなものは老莱子の手に持たせるべきじゃない。彼は杖を持つべきで、こんな恰好はまったくでたらめで、子供を侮辱する。二度と見たくないので、このページに来ると、すぐ次をめくった。
 当時の「二十四孝図」は、とうにどこかに無くした。今手元にあるのは、日本の小田海僊の描いた(絵を中国で印刷した)本だけ。老莱子のことを「七十才で、老と称せず、いつも五色の斑斕の衣を着て、嬰児となって、親の側に遊ぶ。また常に水(桶)を手に堂に上がり、詐りて転び、地に倒れ、嬰児のように泣き、以て親を娯す」だいたいの内容は旧い本と同じで、私の反感を招くのは、詐りて転ぶだ。逆らうにせよ、孝順にせよ、子供は多くは「詐りて」など望まぬ。物語を聞いても作り話は喜ばない。こんなことは少しでも児童心理に心得のあるものは、みな知っている。
 もう少し古い本を見ると、こんなに虚偽に満ちてはいない。師覚授(南朝宋人)の「孝子伝」には、「老莱子…、いつも斑斕の着物で、親に飲み物を持って行き、堂に上がる際、
転んで父母の心を傷つけるのをおそれ、倒れ臥して嬰児の泣く真似をする」(太平御覧の413引)。今のと比べると、多少人情に近い。それがどうしたわけか、後世の君子が“詐りて”と改作しないと気が済まなくなったのか。鄧伯道が子を棄てて侄を救うというのも、考えてみれば、ただ“棄てる”だけなのだが、いい加減な連中が、子を樹にしばりつけ、追いかけて来られないようにした。まさしく「身の毛がよだつのを趣味」とするのと同じで、非情を封建道徳の鑑とするようだ。古人を侮蔑し、後の人に悪影響を及ぼすものだ。老莱子は、ほんの一例で、道学先生(朱子学者)は彼を無疵の完璧者とみなすが、子供たちの心の中では、すでに死滅している。


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