#健康要有文化素養 & 健康要有哲學頭腦#
第1回 老いの遍歴
森 望
福岡国際医療福祉大学医療学部教授、長崎大学名誉教授
老化研究者
若い時から老化研究者だった。長年、老化の基礎研究の道を歩んで、いつのまにか還暦を過ぎ、定年を迎え、そして古希も近い。今は名実ともに立派な老化研究者になった。老化を研究する者でもあり、老化した研究者でもある。
エラーカタストロフからの出発
駆け出しは、まだ老化研究があまり見向きもされない時代だった。大学院に進学してついた教授から最初に言われたことは「誰もがDNAを見ているから、君はRNAをやりなさい」。そこで思いついたのが「蛋白質合成の精度問題」、いわゆるエラーカタストロフ説の検証だった。カギとなるのはメッセンジャーRNA(mRNA)。総武線と中央線を乗り継いで一路西へ、奥多摩の水産試験場にニジマスの精巣をもらいにいった。それからプロタミンのmRNAを精製する。朝5時に品川の食肉加工施設(芝浦と場)に、ブタの肝臓をもらいにいったこともあった。そこから蛋白合成の素材を抽出して、ニジマスのmRNAを鋳型にして試験管内の蛋白質合成系を樹立した。そして老若マウスのリボソームの翻訳精度を比較する。2種類の放射性アミノ酸の入った小さなチューブの中で、"虹鱒と豚と鼠"が一緒になった。そんなごった煮のようなスープの反応から、老若の微妙な違い、老いのからくりを探ろうとしていた。
結果は、老若で精度は変わらない。エラーは増えない。それが学位論文になった。だが、これでは老化を説明できない。老化のエラーカタストロフ説に見切りをつけて、1984年に私は米国へ飛んだ。
『アメリカもおいしい』
同じ年に英国へ飛んだ著名な書誌学者がいる。林望氏である。誰もがご存じであろう。リンボウ先生のことだ。彼を有名にしたのは、かの『イギリスはおいしい』(平凡社)というエッセイ集である。ケンブリッジ大学に留学して、異国暮らしの日々の中で、英国の食文化を伏線に人とのふれあいの中から独特の視点で日英の文化比較を軽妙に紡いでゆく。その中にちりばめられた素描はとても繊細で、古風で上品なスプーンもいいが、英国の家々やら風景には一緒に旅させてもらったような、そんな豊かな余韻を与えてくれる本だった。
私の行った先はロサンゼルスである。ここでは『アメリカもおいしい』という話をしよう。別にマックやバーガーキングやインエンドアウトの食レポをする意図はない。ハンバーガー以外にも、日常でも研究でも、旅でも読書でも、「おいしい」ものはどこにでも転がっている。英国と米国、ケンブリッジとロサンゼルス、文系と理系、これは似て非なるものだが、何か共通する「おいしさ」がある。
こちらはリンボウ(林望)先生ならぬシンボウ(森望)である。ある人からは「辛抱して長寿ですか?」と言われた。至言である。人間、楽してすべてが事足りることはない。人生、そんなに甘くない。耐える力がないと「長寿への道」は完歩できない。それは、ご同輩、みな納得されるだろう。
老いを寿に変える
米国に渡って、遺伝子進化や神経発生の研究を経て、30代半ばで初めて自分の研究室をもった。南カリフォルニア大学のアンドラス老年学研究所で神経老化の研究を始めた。日本の科学雑誌からの依頼に「科学は実業」という一文を寄せた。コンビニ店長のような自転車操業だった。カリフォルニアの陽光の中で狙ったのは「老いを寿に変える」、そんな夢のような研究だった。神経細胞の突起の動きを制御して「老」を「寿」に。その思いは、今も変わらない。
図:老いを寿に変えるを表す図。
老いを寿に変える
老化と寿命を科学する
米国滞在10年を経て、帰国した先は関西学研都市(京阪奈)。ロサンゼルスのロングビーチの港から年末に送り出した段ボール100箱の研究資材を載せた船は、阪神淡路の震災で神戸港が使えず、横浜港に入った。じきにオウム真理教の事件が起こって、個人輸入しようとしていた化学薬品の段ボール6箱は差し押さえとなった。疑われる筋合いはなかったのだが、とにかく5月にようやく研究再開。科学技術庁の外郭団体、JSTのさきがけ研究21「遺伝と変化」領域で、神経遺伝子制御の最先端を走った。2年後には名古屋郊外に新設された国立長寿医療研究センター(NILS、現在のNCGG)に移籍。分子遺伝学研究部を立ち上げた。遺伝子改変マウスを手掛けながら、老化と寿命の制御について遺伝子の視点から攻めた。同時に先のJSTの「脳を守る」戦略研究の代表も兼務し、老化脳攻略へ国内連携を進めた。大府の研究所で7年奮闘して、その後、長崎大学で老化脳研究を続けた。西の地の利を生かして、日韓の老化研究連携を模索し、日本学術振興会のアジア研究教育拠点事業AACLの日本側代表を5年間務めた。長崎での15年を経て、今の福岡の医療系大学へ移籍した。米国、民間、国研(厚労省)、国立大(文科省)、私立大の各所を渡り歩きながら、老いの科学の中で歳をとった。
ただ人として生きる
すると、自分の古巣の学会からも、ある意味、引導を渡される。基礎老化の学会の名誉会員とされて、体よく葬り去られた。多くの職種に「定年」があるように、学会組織にもそれなりの思惑がある。老化の学会であれば老齢(研究)者を大事にしてほしいという思いはあったが、それでもいつかは後進に道を譲る。自分にもついにそんな時が来た。「研究者」から研究の場を奪えば、それはただの「者」、ただの「人」になる。だが、考えてみれば、人は誰しも一人生まれて、ひとり死ぬ。結局は、皆がただの人ではないか。人として生きること、それこそが大事なのだ。こんな声が聞こえてくる。「これでいいのだ!」
老いぬとてなどか我が身を責めきけむ 老いずは今日にあわましものか
(藤原敏行 古今和歌集903)
著者
もりのぞむ氏の写真。
森 望(もり のぞむ)
1953年生まれ。福岡国際医療福祉大学医療学部教授、長崎大学名誉教授。1976年東京大学薬学部卒業、薬学博士。1979年東邦大学薬学部助手、1984年米国COH研究所、1986年カリフォルニア工科大学研究員、1990年米国南カリフォルニア大学(USC)・アンドラス老年学研究所助教授、1996年国立長寿医療研究センター分子遺伝学研究部長、2004年長崎大学医学部第一解剖教授、2019年より現職。『寿命遺伝子』(講談社ブルーバックス)、『老いと健康の文化史(翻訳)』(原書房)、『Aging Mechanisms Ⅱ(編著)』(Springer)など著書多数。
第1回 老いの遍歴
森 望
福岡国際医療福祉大学医療学部教授、長崎大学名誉教授
老化研究者
若い時から老化研究者だった。長年、老化の基礎研究の道を歩んで、いつのまにか還暦を過ぎ、定年を迎え、そして古希も近い。今は名実ともに立派な老化研究者になった。老化を研究する者でもあり、老化した研究者でもある。
エラーカタストロフからの出発
駆け出しは、まだ老化研究があまり見向きもされない時代だった。大学院に進学してついた教授から最初に言われたことは「誰もがDNAを見ているから、君はRNAをやりなさい」。そこで思いついたのが「蛋白質合成の精度問題」、いわゆるエラーカタストロフ説の検証だった。カギとなるのはメッセンジャーRNA(mRNA)。総武線と中央線を乗り継いで一路西へ、奥多摩の水産試験場にニジマスの精巣をもらいにいった。それからプロタミンのmRNAを精製する。朝5時に品川の食肉加工施設(芝浦と場)に、ブタの肝臓をもらいにいったこともあった。そこから蛋白合成の素材を抽出して、ニジマスのmRNAを鋳型にして試験管内の蛋白質合成系を樹立した。そして老若マウスのリボソームの翻訳精度を比較する。2種類の放射性アミノ酸の入った小さなチューブの中で、"虹鱒と豚と鼠"が一緒になった。そんなごった煮のようなスープの反応から、老若の微妙な違い、老いのからくりを探ろうとしていた。
結果は、老若で精度は変わらない。エラーは増えない。それが学位論文になった。だが、これでは老化を説明できない。老化のエラーカタストロフ説に見切りをつけて、1984年に私は米国へ飛んだ。
『アメリカもおいしい』
同じ年に英国へ飛んだ著名な書誌学者がいる。林望氏である。誰もがご存じであろう。リンボウ先生のことだ。彼を有名にしたのは、かの『イギリスはおいしい』(平凡社)というエッセイ集である。ケンブリッジ大学に留学して、異国暮らしの日々の中で、英国の食文化を伏線に人とのふれあいの中から独特の視点で日英の文化比較を軽妙に紡いでゆく。その中にちりばめられた素描はとても繊細で、古風で上品なスプーンもいいが、英国の家々やら風景には一緒に旅させてもらったような、そんな豊かな余韻を与えてくれる本だった。
私の行った先はロサンゼルスである。ここでは『アメリカもおいしい』という話をしよう。別にマックやバーガーキングやインエンドアウトの食レポをする意図はない。ハンバーガー以外にも、日常でも研究でも、旅でも読書でも、「おいしい」ものはどこにでも転がっている。英国と米国、ケンブリッジとロサンゼルス、文系と理系、これは似て非なるものだが、何か共通する「おいしさ」がある。
こちらはリンボウ(林望)先生ならぬシンボウ(森望)である。ある人からは「辛抱して長寿ですか?」と言われた。至言である。人間、楽してすべてが事足りることはない。人生、そんなに甘くない。耐える力がないと「長寿への道」は完歩できない。それは、ご同輩、みな納得されるだろう。
老いを寿に変える
米国に渡って、遺伝子進化や神経発生の研究を経て、30代半ばで初めて自分の研究室をもった。南カリフォルニア大学のアンドラス老年学研究所で神経老化の研究を始めた。日本の科学雑誌からの依頼に「科学は実業」という一文を寄せた。コンビニ店長のような自転車操業だった。カリフォルニアの陽光の中で狙ったのは「老いを寿に変える」、そんな夢のような研究だった。神経細胞の突起の動きを制御して「老」を「寿」に。その思いは、今も変わらない。
図:老いを寿に変えるを表す図。
老いを寿に変える
老化と寿命を科学する
米国滞在10年を経て、帰国した先は関西学研都市(京阪奈)。ロサンゼルスのロングビーチの港から年末に送り出した段ボール100箱の研究資材を載せた船は、阪神淡路の震災で神戸港が使えず、横浜港に入った。じきにオウム真理教の事件が起こって、個人輸入しようとしていた化学薬品の段ボール6箱は差し押さえとなった。疑われる筋合いはなかったのだが、とにかく5月にようやく研究再開。科学技術庁の外郭団体、JSTのさきがけ研究21「遺伝と変化」領域で、神経遺伝子制御の最先端を走った。2年後には名古屋郊外に新設された国立長寿医療研究センター(NILS、現在のNCGG)に移籍。分子遺伝学研究部を立ち上げた。遺伝子改変マウスを手掛けながら、老化と寿命の制御について遺伝子の視点から攻めた。同時に先のJSTの「脳を守る」戦略研究の代表も兼務し、老化脳攻略へ国内連携を進めた。大府の研究所で7年奮闘して、その後、長崎大学で老化脳研究を続けた。西の地の利を生かして、日韓の老化研究連携を模索し、日本学術振興会のアジア研究教育拠点事業AACLの日本側代表を5年間務めた。長崎での15年を経て、今の福岡の医療系大学へ移籍した。米国、民間、国研(厚労省)、国立大(文科省)、私立大の各所を渡り歩きながら、老いの科学の中で歳をとった。
ただ人として生きる
すると、自分の古巣の学会からも、ある意味、引導を渡される。基礎老化の学会の名誉会員とされて、体よく葬り去られた。多くの職種に「定年」があるように、学会組織にもそれなりの思惑がある。老化の学会であれば老齢(研究)者を大事にしてほしいという思いはあったが、それでもいつかは後進に道を譲る。自分にもついにそんな時が来た。「研究者」から研究の場を奪えば、それはただの「者」、ただの「人」になる。だが、考えてみれば、人は誰しも一人生まれて、ひとり死ぬ。結局は、皆がただの人ではないか。人として生きること、それこそが大事なのだ。こんな声が聞こえてくる。「これでいいのだ!」
老いぬとてなどか我が身を責めきけむ 老いずは今日にあわましものか
(藤原敏行 古今和歌集903)
著者
もりのぞむ氏の写真。
森 望(もり のぞむ)
1953年生まれ。福岡国際医療福祉大学医療学部教授、長崎大学名誉教授。1976年東京大学薬学部卒業、薬学博士。1979年東邦大学薬学部助手、1984年米国COH研究所、1986年カリフォルニア工科大学研究員、1990年米国南カリフォルニア大学(USC)・アンドラス老年学研究所助教授、1996年国立長寿医療研究センター分子遺伝学研究部長、2004年長崎大学医学部第一解剖教授、2019年より現職。『寿命遺伝子』(講談社ブルーバックス)、『老いと健康の文化史(翻訳)』(原書房)、『Aging Mechanisms Ⅱ(編著)』(Springer)など著書多数。
榊英雄容疑者は相手によって態度豹変 「女優にギャラなんていらない」の暴言も
2/23(金) 5:16配信
東スポWEB
準強姦容疑で20日に逮捕された映画監督・榊英雄容疑者(53)は、相手の立場によって全く違う顔を見せていた。
榊容疑者は2016年5月、演技指導を名目に女優志望の20代女性に性的暴行を加えた疑いが持たれている。本人は「えん罪です」と否認している。
榊容疑者について、一緒に仕事をしたことがある人物は「とにかく飲み会の席での振る舞いの評判は悪かった。プロデューサー、出資会社、配給会社の人がいる場でも『女優にギャラなんていらない!』とか言っていました。慣れ親しんだ人の多い場では、発言がヤバいこともありました」。
一方、立場が上の人や、大手の芸能事務所所属の女優の前ではそんな姿を見せず、謙虚な姿勢を貫いていたという。
ある女優のマネジャーは「悪評は聞いていたので、ビビりながら映画の打ち上げの飲み会に行ったのですが、立場が上の人の前ではかなり低姿勢だったのが記憶に残っています」。
逮捕された事件以外にも複数の女性から被害届が出ており、警視庁は捜査を進めている。「性被害を訴える女性は複数います。ただ被害にあっていない女優の中には榊容疑者の作品に出演したというだけで好奇の目にさらされることを嫌がり、困っている人もいます」(前出マネジャー)
波紋は広がるばかりだ。
東スポWEB
映画監督・榊英雄容疑者は容疑否認 被害女性「逃げられないと思った」訴えは他にも…
被害に遭った女性は「もう逃げられないと思った」と話しています。
榊英雄容疑者
「もう少し演技のことについて話そう」
そう話し、当時俳優の卵だった20代女性をマンションに誘い出したとみられる映画監督・榊英雄容疑者(53)。警視庁は映画の出演をほのめかしながら女性を乱暴したとみています。
被害女性(捜査関係者から)
「監督から言われたことができなければ、女優として生きていけないと思った。もう逃げられないと思った」
90年代後半、自主映画で監督デビュー。以降、およそ20本メガホンを取ったとされ、キャスティングに影響力を持っていました。
映画監督 榊英雄容疑者
「常にお母さんとか母性を感じる役で、バックグラウンド描いてないですけど、母1人で良い子に育てたんだなと分かる女性がほしかった。(出演して)ほしかったので」
被害を訴える女性は他にもいます。
文筆家・俳優 睡蓮みどりさん
「演技指導が進んだ時に監督の加害者のスイッチが切り替わったのをはっきりと感じて、そこではっきりと恐怖心が出てきて…」
警察の捜査で、榊容疑者のスマホなどから今回被害を訴えた女性とは別の、複数の女性とのわいせつな動画が50点以上見つかったといいます。
榊容疑者は調べに対して「同意があった」と話していて、容疑を否認しています。
テレビ朝日
女性「もう逃げられないと思った」 映画監督・榊英雄容疑者、演技指導などと称し乱暴か
演技指導などと称し、女性に乱暴した疑いで映画監督の榊英雄容疑者が逮捕された事件で、女性は「言われたことができなければ女優として生きていけないと思った」と話していることがわかりました。
榊英雄容疑者(53)は2016年、東京・港区のマンションに「演技のことを話そう」などと女性を誘い出し乱暴した疑いがもたれています。
その後の捜査関係者への取材で、女性が「監督から言われたことができなければ女優として生きていけないと思った。もう逃げられないと思った」などと話していることが新たにわかりました。榊容疑者は容疑を否認しています。
また、同様の性被害を訴える複数の女性が「俺を誘惑してみろ」などと言われたと話していて、警視庁が詳しく調べています。(ANNニュース)
映画監督・榊英雄容疑者が乱暴か 女性「言われたことできなければ、女優として生きていけない」
演技指導などと称し、女性に乱暴した疑いで映画監督の榊英雄容疑者が逮捕された事件で、女性は「言われたことができなければ、女優として生きていけないと思った」と話していることが分かりました。
榊英雄容疑者(53)は2016年、東京・港区のマンションに「演技のことを話そう」などと女性を誘い出し、乱暴した疑いがもたれています。
その後の捜査関係者への取材で、女性が「監督から言われたことができなければ、女優として生きていけないと思った。もう逃げられないと思った」などと話していることが新たに分かりました。
榊容疑者は容疑を否認しています。
また、同様の性被害を訴える複数の女性が「俺を誘惑してみろ」などと言われたと話していて、警視庁が詳しく調べています。
テレビ朝日報道局
2/23(金) 5:16配信
東スポWEB
準強姦容疑で20日に逮捕された映画監督・榊英雄容疑者(53)は、相手の立場によって全く違う顔を見せていた。
榊容疑者は2016年5月、演技指導を名目に女優志望の20代女性に性的暴行を加えた疑いが持たれている。本人は「えん罪です」と否認している。
榊容疑者について、一緒に仕事をしたことがある人物は「とにかく飲み会の席での振る舞いの評判は悪かった。プロデューサー、出資会社、配給会社の人がいる場でも『女優にギャラなんていらない!』とか言っていました。慣れ親しんだ人の多い場では、発言がヤバいこともありました」。
一方、立場が上の人や、大手の芸能事務所所属の女優の前ではそんな姿を見せず、謙虚な姿勢を貫いていたという。
ある女優のマネジャーは「悪評は聞いていたので、ビビりながら映画の打ち上げの飲み会に行ったのですが、立場が上の人の前ではかなり低姿勢だったのが記憶に残っています」。
逮捕された事件以外にも複数の女性から被害届が出ており、警視庁は捜査を進めている。「性被害を訴える女性は複数います。ただ被害にあっていない女優の中には榊容疑者の作品に出演したというだけで好奇の目にさらされることを嫌がり、困っている人もいます」(前出マネジャー)
波紋は広がるばかりだ。
東スポWEB
映画監督・榊英雄容疑者は容疑否認 被害女性「逃げられないと思った」訴えは他にも…
被害に遭った女性は「もう逃げられないと思った」と話しています。
榊英雄容疑者
「もう少し演技のことについて話そう」
そう話し、当時俳優の卵だった20代女性をマンションに誘い出したとみられる映画監督・榊英雄容疑者(53)。警視庁は映画の出演をほのめかしながら女性を乱暴したとみています。
被害女性(捜査関係者から)
「監督から言われたことができなければ、女優として生きていけないと思った。もう逃げられないと思った」
90年代後半、自主映画で監督デビュー。以降、およそ20本メガホンを取ったとされ、キャスティングに影響力を持っていました。
映画監督 榊英雄容疑者
「常にお母さんとか母性を感じる役で、バックグラウンド描いてないですけど、母1人で良い子に育てたんだなと分かる女性がほしかった。(出演して)ほしかったので」
被害を訴える女性は他にもいます。
文筆家・俳優 睡蓮みどりさん
「演技指導が進んだ時に監督の加害者のスイッチが切り替わったのをはっきりと感じて、そこではっきりと恐怖心が出てきて…」
警察の捜査で、榊容疑者のスマホなどから今回被害を訴えた女性とは別の、複数の女性とのわいせつな動画が50点以上見つかったといいます。
榊容疑者は調べに対して「同意があった」と話していて、容疑を否認しています。
テレビ朝日
女性「もう逃げられないと思った」 映画監督・榊英雄容疑者、演技指導などと称し乱暴か
演技指導などと称し、女性に乱暴した疑いで映画監督の榊英雄容疑者が逮捕された事件で、女性は「言われたことができなければ女優として生きていけないと思った」と話していることがわかりました。
榊英雄容疑者(53)は2016年、東京・港区のマンションに「演技のことを話そう」などと女性を誘い出し乱暴した疑いがもたれています。
その後の捜査関係者への取材で、女性が「監督から言われたことができなければ女優として生きていけないと思った。もう逃げられないと思った」などと話していることが新たにわかりました。榊容疑者は容疑を否認しています。
また、同様の性被害を訴える複数の女性が「俺を誘惑してみろ」などと言われたと話していて、警視庁が詳しく調べています。(ANNニュース)
映画監督・榊英雄容疑者が乱暴か 女性「言われたことできなければ、女優として生きていけない」
演技指導などと称し、女性に乱暴した疑いで映画監督の榊英雄容疑者が逮捕された事件で、女性は「言われたことができなければ、女優として生きていけないと思った」と話していることが分かりました。
榊英雄容疑者(53)は2016年、東京・港区のマンションに「演技のことを話そう」などと女性を誘い出し、乱暴した疑いがもたれています。
その後の捜査関係者への取材で、女性が「監督から言われたことができなければ、女優として生きていけないと思った。もう逃げられないと思った」などと話していることが新たに分かりました。
榊容疑者は容疑を否認しています。
また、同様の性被害を訴える複数の女性が「俺を誘惑してみろ」などと言われたと話していて、警視庁が詳しく調べています。
テレビ朝日報道局
#八木勇征[超话]#
【八木勇征】大学時代のアルバイトにまつわるエピソードを教えて(FANTASTICS)
2024年2月17日
八木勇征(FANTASTICS)
ゆせのアレコレ検定
仲間や家族との絆から、毎日のルーティン、秘めた野望まで。今一番気になる彼について、全範囲から出題! 2024年1・2月合併号の「ゆせのイロイロ」企画に殺到した読者の方々からの質問を基に、ノンノが八木さんの魅力をひもとくオリジナル検定を作成! ご本人の回答を全部読めば、あなたも"ゆせマニア"になれること間違いなし♡
Level 04 学生時代のアレコレ編
Q 学生時代の得意科目と苦手科目を分類せよ。
A. 得意:体育・国語
苦手:数学・理科
子どもの頃からサッカーをやっていたので、体育でサッカーをする時は全試合で無双状態でした! 国語は文章を読んで感じたことを自由に書けて、正解が一つとは限らないのが楽しかったです。逆に理数系は……壊滅的でしたね。僕の数学は"算数"で止まっています(笑)。
Q 大学時代に在籍していた学部は? 空欄を埋めよ。
A. 人 間 社 会 学部
人間社会学部に在籍していたっていう話をメンバーにすると笑われるんですよ。僕に人間社会という響きが似合わないみたいで、本当に失礼ですよね(笑)! 当時はアルバイトでパーソナルトレーナーをしていたこともあって、大学では学部の勉強をしながら、アスレティックトレーナーの資格取得を目指して栄養学や人間の体の仕組みについても学んでいました。そこで得た知識は、今の自分の体をケアする上で生きているなと思います。
Q 会ってみたいサッカー選手は、クリスティアーノ・ロナウドとリオネル・メッシだ。○か×か答えよ。
A. ◯
サッカーをやってきた人間からするとスーパースターの二人! もし会えたら、ロナウドには「腹筋は1日何回やりますか?」、メッシには「普通に走る時とドリブルしながら走る時のスピードはどっちが速いですか?」ってそれぞれに聞いてみたいです。メッシのプレーを見ていると、ドリブルしながら走っている時のほうが2倍くらい速い感じがするんですよ。クイックを入れたりキレが増していたりするからそう見えるのかもしれないけど、気になります!
Q 大学時代のアルバイトは、パーソナルトレーナーと○○料理店である。○○に入るものを次のうちから選べ。
A. イタリア スペイン
韓国 ブラジル
ブラジル料理で有名なのが、大きな塊の肉を焼いたシュラスコ。僕がいた店では、その肉を薄くそぎ切りする役がパサドールと呼ばれていて、英語など外国語を話せる人じゃないと担当できなかったんです。だから、僕はホールかキッチン志望で面接を受けたのに、なぜかそのポジションに任命されて……。当時のビジュアルを見て、外国語が話せると勘違いされたのかも(笑)。言われるがままお客さんのテーブルに行って肉を切ろうとしたら、スペイン語で話しかけられて、精いっぱいの英語で「Pardon?」って聞き返したんです。その様子を見ていた店のスタッフが「こいつはダメだ」みたいな感じで両手を上げて、30分後に僕はキッチンにいました(笑)。
学生時代に打ち込んだサッカーから学んだことを四字熟語二つで答えよ。
A. 上 下 関 係
礼 儀 作 法
サッカーを始めたのは、小学6年生の時に教室で隣の席になった友達から誘われたのがきっかけ。地元の少年団に入って、中学時代はクラブチーム、高校ではサッカー部に所属していました。
【八木勇征】大学時代のアルバイトにまつわるエピソードを教えて(FANTASTICS)
2024年2月17日
八木勇征(FANTASTICS)
ゆせのアレコレ検定
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Level 04 学生時代のアレコレ編
Q 学生時代の得意科目と苦手科目を分類せよ。
A. 得意:体育・国語
苦手:数学・理科
子どもの頃からサッカーをやっていたので、体育でサッカーをする時は全試合で無双状態でした! 国語は文章を読んで感じたことを自由に書けて、正解が一つとは限らないのが楽しかったです。逆に理数系は……壊滅的でしたね。僕の数学は"算数"で止まっています(笑)。
Q 大学時代に在籍していた学部は? 空欄を埋めよ。
A. 人 間 社 会 学部
人間社会学部に在籍していたっていう話をメンバーにすると笑われるんですよ。僕に人間社会という響きが似合わないみたいで、本当に失礼ですよね(笑)! 当時はアルバイトでパーソナルトレーナーをしていたこともあって、大学では学部の勉強をしながら、アスレティックトレーナーの資格取得を目指して栄養学や人間の体の仕組みについても学んでいました。そこで得た知識は、今の自分の体をケアする上で生きているなと思います。
Q 会ってみたいサッカー選手は、クリスティアーノ・ロナウドとリオネル・メッシだ。○か×か答えよ。
A. ◯
サッカーをやってきた人間からするとスーパースターの二人! もし会えたら、ロナウドには「腹筋は1日何回やりますか?」、メッシには「普通に走る時とドリブルしながら走る時のスピードはどっちが速いですか?」ってそれぞれに聞いてみたいです。メッシのプレーを見ていると、ドリブルしながら走っている時のほうが2倍くらい速い感じがするんですよ。クイックを入れたりキレが増していたりするからそう見えるのかもしれないけど、気になります!
Q 大学時代のアルバイトは、パーソナルトレーナーと○○料理店である。○○に入るものを次のうちから選べ。
A. イタリア スペイン
韓国 ブラジル
ブラジル料理で有名なのが、大きな塊の肉を焼いたシュラスコ。僕がいた店では、その肉を薄くそぎ切りする役がパサドールと呼ばれていて、英語など外国語を話せる人じゃないと担当できなかったんです。だから、僕はホールかキッチン志望で面接を受けたのに、なぜかそのポジションに任命されて……。当時のビジュアルを見て、外国語が話せると勘違いされたのかも(笑)。言われるがままお客さんのテーブルに行って肉を切ろうとしたら、スペイン語で話しかけられて、精いっぱいの英語で「Pardon?」って聞き返したんです。その様子を見ていた店のスタッフが「こいつはダメだ」みたいな感じで両手を上げて、30分後に僕はキッチンにいました(笑)。
学生時代に打ち込んだサッカーから学んだことを四字熟語二つで答えよ。
A. 上 下 関 係
礼 儀 作 法
サッカーを始めたのは、小学6年生の時に教室で隣の席になった友達から誘われたのがきっかけ。地元の少年団に入って、中学時代はクラブチーム、高校ではサッカー部に所属していました。
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