荘王 (楚)
荘王(そうおう)は、中国春秋時代の楚の王。姓は羋、氏は熊。諱は侶、または旅。諡は荘。楚の歴代君主の中でも最高の名君とされ、春秋五覇の一人に数えられる。成王惲の孫で、暴君だった穆王商臣の嫡子。共王審の父。

鳴かず飛ばず
穆王12年(紀元前614年)、父の薨去により即位。即位した直後、まだ若い王であったため、公子燮(しょう)が謀反を起こした。一旦は首都と王室を完全に支配下におき、自ら王を名乗ったが反対勢力の拡大に身の危険を感じ、荘王を拘束して北方へ逃げた。晋と秦と楚の国境近くの商密というところで反攻を開始しようという狙いからであった。ところが途中で公子燮は楚の盧邑大夫盧戢梨と叔麋に捕らえられ、殺された。荘王は解放され首都に戻ることができた、ということがあった。

それ以降、荘王は全く政治を見ず、日夜宴席を張り、「諫言する者は全て死罪にする」と宣言した。王がその様なので、悪臣は堂々と賄賂を取ったりするようになり、風紀は乱れた。家臣達は呆れ返ったものの諫言も出来ずに見守っていたが、遂に3年目となって伍挙(伍子胥の祖父)が両側に女を侍らせていた荘王に進み出て、「謎かけをしたいと思います。ある鳥が3年の間、全く飛ばず、全く鳴きませんでした。この鳥の名は何と言うのでしょうか?」と言った。荘王は「三年飛(蜚)ばない鳥は、飛べば天を衝くほど高く飛び、三年鳴かない鳥は、鳴けば人を驚かすだろう。挙よ退りなさい。私には(お前が言いたいことは)分かっている」と答えた。その後も淫蕩に耽ったが、大夫蘇従が諌めてきた。荘王は気だるげに「法(諫言すれば死罪)は知っているな」と問うたが、蘇従は「我が君の目を覚まさせることができるならば、本望です」と答えたので、荘王は「よくぞ申した」と喜び、これを機にそれまでの馬鹿のふり(仮痴不癲)を解いた。
荘王は3年間、愚かな振りをする事で家臣の人物を見定めていたのである。悪臣を数百人誅殺し、目を付けておいた者を新たに数百人登用して、伍挙と蘇従に国政を取らせた。民衆の人気は一気に高まり、国力も大きく増大。楚は周辺諸国を脅かす存在となった。

この故事からじっと機会を待つ状態の事を「鳴かず飛ばず」と言うようになった(ただし現在では長い間ぱっとしないと言う意味で使う事が多い)。なお、荘王から250年ほど後の人物である斉(田斉)の名君の威王にも荘王と同様の逸話が見られる。

問鼎
国政を整備した荘王は、庸を攻略したのを皮切りに周辺諸国を圧迫し、領土を広げて、覇者としての頭角を顕わしはじめた。荘王8年(紀元前606年)には兵を周の都・洛邑の郊外にまで進めそこに駐屯した。周から使者が来ると、荘王は使者に九鼎の重さを問いただした。九鼎とは殷の時代から受け継がれた伝国の宝器で、当時は王権の象徴とみなされていたものである。その重さを問うということは、すなわちそれを持ち帰ることを示唆したものに他ならず、周の王位を奪うこともありえることを言外にほのめかした一種の恫喝である。周の使者・王孫満(zh)は、これにひるむ事なく言った。問題は鼎の軽重ではなく、徳の有無である。周の国力は衰えたとはいえ、鼎がまだ周室のもとにあるということは、その徳が失われていないことの証に他ならない、と。これには荘王も返す言葉がなく、その場は兵を引かざるを得なかった。この故事から、「面と向かって皇位をうかがうこと」、ひいては「面前の相手の権威や価値を公然と疑うこと」を、「鼎の軽重を問う」(かなえの けいちょうを とう)、また略して「問鼎」(もんてい)と言うようになった。
絶纓(ぜつえい)の会
荘王はある夜、臣下たちを宴に招いた。皆、心ゆくまで酒を飲み、多くの者が酔った。宴もたけなわの頃、正殿の蝋燭(ろうそく)が風に吹き消された。と、その時、蒋雄という者が闇に紛れて后の唇を奪ってしまった。后は咄嗟に蔣雄の纓(冠のヒモ)を引きちぎり、荘王にこう言った。「蝋燭が消えた隙に、私に無礼を働いた者がおります。私はその者の纓を引きちぎりました。蝋燭を灯しさえすれば、それが誰だかすぐわかります」。だが荘王は、「今しがた、わしの妻がつまらぬ事を申した。わしは皆の者にそのように楽しくくつろいでもらい大変嬉しい。ここは無礼講、みな、明かりがつかぬ間に纓を引きちぎれ」と命じ、一同がその通りにした。そのおかげで蔣雄は罪を問われずに済み、蔣雄は心から荘王に感謝した。

その後、楚が秦に苦しめられたとき、蔣雄はいざこの時だ、とばかりに先陣を切り、満身創痍になりながらも大功を立てた。そして荘王が息も絶え絶えの蔣雄に向けて「よくやってくれた。だが、わしはお前をそこまで大事にした覚えはないのに、何ゆえ命を惜しまずにここまでやってくれたのか?」と尋ねた。すると蔣雄は「いいえ、王は私を救ってくださいました。私は絶纓の会の時、后様の唇にいたずらをした者でございます。あの時の王様の計らいで私は恥を晒さずに済みました。このような形で恩を返せて幸せでございます」と答え、笑顔で死んでいった。寛容で女に迷わない立派な君主としての荘王の人格を示す故事である。
春秋の覇者へ
荘王はさらに陳の内乱に乗じて一時併合し、鄭を攻めて陳と共に属国化した。荘王17年(紀元前597年)、鄭の援軍に来た晋軍を邲で撃破した(邲の戦い)。この時の晋軍では逃げる船に乗る時に、転覆する事を恐れた兵士が船にしがみついている兵士の手を切り落としたので、船の中には指が手で掬(すく)えるほど溜まった。大勝の後、臣下から京観(討ち取った敵兵士の遺体を使ってつくる戦勝のモニュメント)を作る事を進められたが荘王は却下する。「武」という字は「戈」を「止」めると書き、暴を禁じ、戦を止め、大を保ち、功を定め、民を安じ、衆を和し、財を豊かにするためのものである。自分がしたことはこの武徳にはあてはまらず、その上忠誠を尽くした晋兵の遺体を使って京観を作る事はできない、と言う理由からである。

実際は「武」の字は「戈」と「止(あし)」から成り「戈を進める」が原義であり、この逸話は後世の創作といわれる。「戈を止める」の逸話は孔子の弟子が編纂した「春秋左氏伝」のみに見え、「春秋公羊伝」や「春秋穀梁伝」には無い。

最後の戦い
晋を退けて覇業を成した荘王は、その総仕上げとして、今なお晋に従う宋を標的に定めた。その初段階として荘王19年(紀元前595年)、かつて父穆王の命で宋の昭公(zh)の御者に鞭打って、宋人の恨みの的になっていた申舟を斉への使いに指名し、「宋を通る際は挨拶無用」と命じた。これは申舟が宋への無礼で殺される事で、宋への出兵の口実とする為で、荘王は申舟が殺されたと聞くや、電光石火の如く宋に攻め込み、首都の商丘(河南省商丘市)を包囲した。この間、魯も楚の盟下に入るなど、着実に荘王の覇業は完成に近づきつつあった。しかし、右師の華元を初めとする宋軍の必至の抵抗により、翌荘王20年(紀元前594年)5月になっても商丘を攻め落とす事が出来ず、荘王は遂に撤退を命じた。だが、申舟を犠牲にされた息子の申犀がその不実を責め、荘王は進退窮する状態に陥ってしまったが、荘王の御者を勤めていた申叔時(zh)の献策で、荘王は商丘郊外に屯田を設営して、持久戦の構えを見せた。これには華元達も戦意を失い、子反(公子側, zh)の仲介の元、宋は楚の盟下に入り、荘王の覇業は完成した。

荘王23年(紀元前591年)7月、薨去した。

周に対する尊王の志は薄いが、その権威は天下を覆ったと言えるので、『荀子』「王覇篇」をはじめとして、荘王を「春秋五覇」に挙げる漢籍は多い。
妻子

樊姫
鄭姫
越女

共王
公子貞(子嚢)
公子午(子庚)
公子追舒(子南)

楚庄王(?~前591年),又称荆庄王,芈姓,熊氏,名旅(一作侣、吕),春秋时期楚国国君,春秋五霸之一。楚穆王之子。公元前613年,楚庄王即位。即位三年,不理朝政,不出号令,日夜为乐。后经樊姬苦谏,采纳伍参、苏从建议,任用孙叔敖等良臣,兴修水利,平定叛乱,征服群蛮,国势大盛,正所谓“三年不鸣,一鸣惊人”。公元前606年,楚伐陆浑之戎,陈兵周疆,问鼎中原,有取周之意。公元前597年,楚与晋战于邲,楚国大获全胜,饮马黄河,威震华夏,使鲁、宋、郑、陈等国附楚,以代晋而为盟主,成为春秋五霸之一。公元前591年,病卒于郢,葬于郢西的龙山。在楚庄王之前,楚国一直被排除在中原文化之外,自楚庄王称霸中原,不仅使楚国强大,威名远扬,也为华夏的统一,民族精神的形成发挥了一定的作用。后世也流传了有关他的一些典故,如“一鸣惊人”“问鼎中原”“止戈为武”等也成为固定的成语,对后世有深远的影响。

#梦女[超话]##青鸟霞日#
降りはじめた気配に空を見上げては 誰もがやわらかく目を細めて
循着飘雪的气息仰望天空的话 无论是谁都会温柔地眯起双眼
軽やかな足取りで 大切な人の元へ急ぐね
踏着轻快的脚步 赶往重要之人的身边吧
見慣れた街も 白に染まって
熟悉的街道 也被白色纷染
今夜は世界中が
今夜整个世界
愛の舞台になる
都会变为爱的舞台


秋山図(下)
芥川龍之介

煙客翁が私わたしにこの話を聴かせたのは、始めて秋山図を見た時から、すでに五十年近い星霜せいそうを経過した後のちだったのです。その時は元宰げんさい先生も、とうに物故ぶっこしていましたし、張氏ちょうしの家でもいつの間まにか、三度まで代が変っていました。ですからあの秋山図も、今は誰の家に蔵されているか、いや、未いまだに亀玉きぎょくの毀やぶれもないか、それさえ我々にはわかりません。煙客翁は手にとるように、秋山図の霊妙を話してから、残念そうにこう言ったものです。
「あの黄一峯は公孫大嬢こうそんたいじょうの剣器けんきのようなものでしたよ。筆墨はあっても、筆墨は見えない。ただ何とも言えない神気しんきが、ただちに心に迫って来るのです。――ちょうど龍翔りょうしょうの看かんはあっても、人や剣つるぎが我々に見えないのと同じことですよ」
 それから一月ひとつきばかりの後のち、そろそろ春風しゅんぷうが動きだしたのを潮しおに、私は独り南方へ、旅をすることになりました。そこで翁おうにその話をすると、
「ではちょうど好いい機会だから、秋山しゅうざんを尋ねてご覧らんなさい。あれがもう一度世に出れば、画苑がえんの慶事けいじですよ」と言うのです。
 私ももちろん望むところですから、早速翁を煩わずらわせて、手紙を一本書いてもらいました。が、さて遊歴ゆうれきの途とに上ってみると、何かと行く所も多いものですから、容易に潤州じゅんしゅうの張氏の家を訪れる暇ひまがありません。私は翁の書を袖そでにしたなり、とうとう子規ほととぎすが啼なくようになるまで、秋山しゅうざんを尋ねずにしまいました。
 その内にふと耳にはいったのは、貴戚きせきの王氏おうしが秋山図を手に入れたという噂うわさです。そういえば私わたしが遊歴中、煙客翁えんかくおうの書を見せた人には、王氏を知っているものも交まじっていました。王氏はそういう人からでも、あの秋山図が、張氏ちょうしの家に蔵してあることを知ったのでしょう。何でも坊間ぼうかんの説によれば、張氏の孫は王氏おうしの使を受けると、伝家の彝鼎いていや法書とともに、すぐさま大癡たいちの秋山図を献じに来たとかいうことです。そうして王氏は喜びのあまり、張氏の孫を上座に招じて、家姫かきを出したり、音楽を奏したり、盛な饗宴きょうえんを催したあげく、千金を寿じゅにしたとかいうことです。私はほとんど雀躍じゃくやくしました。滄桑五十載そうそうごじっさいを閲けみした後のちでも、秋山図はやはり無事だったのです。のみならず私も面識がある、王氏の手中に入ったのです。昔は煙客翁がいくら苦心をしても、この図を再び看みることは、鬼神きじんが悪にくむのかと思うくらい、ことごとく失敗に終りました。が、今は王氏の焦慮しょうりょも待たず、自然とこの図が我々の前へ、蜃楼しんろうのように現れたのです。これこそ実際天縁が、熟したと言う外ほかはありません。私は取る物も取りあえず、金阊きんしょうにある王氏の第宅ていたくへ、秋山を見に出かけて行きました。
 今でもはっきり覚えていますが、それは王氏の庭の牡丹ぼたんが、玉欄ぎょくらんの外そとに咲き誇った、風のない初夏の午過ひるすぎです。私は王氏の顔を見ると、揖ゆうもすますかすまさない内に、思わず笑いだしてしまいました。
「もう秋山図はこちらの物です。煙客先生もあの図では、ずいぶん苦労をされたものですが、今度こそはご安心なさるでしょう。そう思うだけでも愉快です」
 王氏も得意満面でした。
「今日きょうは煙客先生や廉州れんしゅう先生も来られるはずです。が、まあ、お出でになった順に、あなたから見てもらいましょう」
 王氏は早速かたわらの壁に、あの秋山図を懸かけさせました。水に臨んだ紅葉こうようの村、谷を埋うずめている白雲はくうんの群むれ、それから遠近おちこちに側立そばだった、屏風びょうぶのような数峯の青せい、――たちまち私の眼の前には、大癡老人が造りだした、天地よりもさらに霊妙な小天地が浮び上ったのです。私は胸を躍おどらせながら、じっと壁上の画を眺めました。
この雲煙邱壑うんえんきゅうがくは、紛まぎれもない黄一峯こういっぽうです、癡翁ちおうを除いては何人なんぴとも、これほど皴点しゅんてんを加えながら、しかも墨を活いかすことは――これほど設色せっしょくを重くしながら、しかも筆が隠れないことは、できないのに違いありません。しかし――しかしこの秋山図は、昔一たび煙客翁が張氏の家に見たという図と、たしかに別な黄一峯こういっぽうです。そうしてその秋山図しゅうざんずよりも、おそらくは下位にある黄一峯です。
 私わたしの周囲には王氏を始め、座にい合せた食客しょっかくたちが、私の顔色かおいろを窺うかがっていました。ですから私は失望の色が、寸分すんぶんも顔へ露あらわれないように、気を使う必要があったのです。が、いくら努めてみても、どこか不服な表情が、我知らず外へ出たのでしょう。王氏はしばらくたってから、心配そうに私へ声をかけました。
「どうです?」
 私は言下ごんかに答えました。
「神品です。なるほどこれでは煙客えんかく先生が、驚倒きょうとうされたのも不思議はありません」
 王氏はやや顔色を直しました。が、それでもまだ眉まゆの間には、いくぶんか私の賞讃しょうさんに、不満らしい気色けしきが見えたものです。
 そこへちょうど来合せたのは、私に秋山の神趣を説いた、あの煙客先生です。翁は王氏に会釈えしゃくをする間まも、嬉しそうな微笑を浮べていました。
「五十年前ぜんに秋山図を見たのは、荒れ果てた張氏の家でしたが、今日きょうはまたこういう富貴ふうきのお宅に、再びこの図とめぐり合いました。まことに意外な因縁です」
 煙客翁はこう言いながら、壁上の大癡たいちを仰ぎ見ました。この秋山がかつて翁の見た秋山かどうか、それはもちろん誰よりも翁自身が明らかに知っているはずです。ですから私も王氏同様、翁がこの図を眺める容子ようすに、注意深い眼を注いでいました。すると果然かぜん翁の顔も、みるみる曇ったではありませんか。
 しばらく沈黙が続いた後のち、王氏はいよいよ不安そうに、おずおず翁へ声をかけました。
「どうです? 今も石谷せきこく先生は、たいそう褒ほめてくれましたが、――」
 私は正直な煙客翁が、有体ありていな返事をしはしないかと、内心冷ひや冷ひやしていました。しかし王氏を失望させるのは、さすがに翁も気の毒だったのでしょう。翁は秋山を見終ると、叮嚀ていねいに王氏へ答えました。
「これがお手にはいったのは、あなたのご運が好よいのです。ご家蔵かぞうの諸宝しょほうもこの後のちは、一段と光彩を添えることでしょう」
 しかし王氏はこの言葉を聞いても、やはり顔の憂色ゆうしょくが、ますます深くなるばかりです。
 その時もし廉州れんしゅう先生が、遅おくれ馳ばせにでも来なかったなら、我々はさらに気まずい思いをさせられたに違いありません。しかし先生は幸いにも、煙客翁の賞讃が渋りがちになった時、快活に一座へ加わりました。
「これがお話の秋山図ですか?」
 先生は無造作むぞうさな挨拶あいさつをしてから、黄一峯こういっぽうの画えに対しました。そうしてしばらくは黙然もくねんと、口髭くちひげばかり噛かんでいました。
「煙客先生えんかくせんせいは五十年前ぜんにも、一度この図をご覧になったそうです」
 王氏はいっそう気づかわしそうに、こう説明を加えました。廉州れんしゅう先生はまだ翁から、一度も秋山しゅうざんの神逸しんいつを聞かされたことがなかったのです。
「どうでしょう? あなたのご鑑裁かんさいは」
 先生は歎息たんそくを洩らしたぎり、不相変あいかわらず画を眺めていました。
「ご遠慮のないところを伺うかがいたいのですが、――」
 王氏は無理に微笑しながら、再び先生を促しました。
「これですか? これは――」
 廉州先生はまた口を噤つぐみました。
「これは?」
「これは癡翁ちおう第一の名作でしょう。――この雲煙の濃淡をご覧なさい。元気淋漓りんりじゃありませんか。林木なぞの設色せっしょくも、まさに天造てんぞうとも称すべきものです。あすこに遠峯が一つ見えましょう。全体の布局ふきょくがあのために、どのくらい活いきているかわかりません」
 今まで黙っていた廉州先生は、王氏のほうを顧かえりみると、いちいち画の佳所かしょを指さしながら、盛さかんに感歎の声を挙あげ始めました。その言葉とともに王氏の顔が、だんだん晴れやかになりだしたのは、申し上げるまでもありますまい。
 私はその間あいだに煙客翁と、ひそかに顔を見合せました。
「先生、これがあの秋山図ですか?」
 私が小声にこう言うと、煙客翁は頭を振りながら、妙な瞬まばたきを一つしました。
「まるで万事が夢のようです。ことによるとあの張家ちょうけの主人は、狐仙こせんか何かだったかもしれませんよ」
「秋山図の話はこれだけです」
 王石谷おうせきこくは語り終ると、おもむろに一碗の茶を啜すすった。
「なるほど、不思議な話です」
 恽南田うんなんでんは、さっきから銅檠どうけいの焔ほのおを眺めていた。
「その後ご王氏も熱心に、いろいろ尋たずねてみたそうですが、やはり癡翁の秋山図と言えば、あれ以外に張氏も知らなかったそうです。ですから昔煙客先生が見られたという秋山図は、今でもどこかに隠れているか、あるいはそれが先生の記憶の間違いに過ぎないのか、どちらとも私にはわかりません。まさか先生が張氏の家へ、秋山図を見に行かれたことが、全体幻まぼろしでもありますまいし、――」
「しかし煙客先生えんかくせんせいの心の中うちには、その怪しい秋山図が、はっきり残っているのでしょう。それからあなたの心の中なかにも、――」
「山石の青緑だの紅葉の硃しゅの色だのは、今でもありあり見えるようです」
「では秋山図がないにしても、憾うらむところはないではありませんか?」
 恽王うんおうの両大家は、掌たなごころを拊うって一笑した。


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