#健康要有文化素養 & 健康要有哲學頭腦#
日本の「食料」を学ぶ
Z世代と食の未来を考える
2022年10月29日(土)、30日(日)の2日間、
「食から日本を考える。NIPPON FOOD SHIFT FES.東京2022」が
東京・六本木ヒルズアリーナで開催されました。
参加したZ世代の食に対する価値や食の未来に対する思いを取材しました。

「NIPPON FOOD SHIFT FES.東京2022」に潜入
ニッポンフードシフトとは?
近年、食の外部化・簡便化が進み、食とその背景にある農業や農村との繋がりを意識する機会がかつてより減っているのではないでしょうか。
将来にわたり日本の、自分たちの食を確かなものにするために、消費者、生産者、食品関連事業者、日本の「食」を支えるあらゆる人々と行政が一体となって、考え、議論し、行動する国民運動として、農林水産省は2021年から「食から日本を考える。ニッポンフードシフト」をスタートしました。
ニッポンフードシフトでは、日本の食を取り巻く課題を身近なものとして考えてもらうため、例えば、公式WEBサイトで取組事例の紹介や、公式noteにおける発信、吉本興業や無印良品、テレビ東京などと連携した情報発信など、官民協働による取組を進めています。
また、消費者と生産者や事業者とが出会い、交わることで、食への新たな気づきや発見を促し、意識や行動を変えていくためのきっかけ作りを目指すイベントとして、「NIPPON FOOD SHIFT FES.(以下 NFS FES.)」を2021年10月から全国各地で開催しています。

多くの人が訪れ、関心を持って参加
「NIPPON FOOD SHIFT FES.東京2022」の会場を訪ねました。
2022年10月29日、30日の両日は天候にも恵まれ、会場となった東京都港区の六本木ヒルズアリーナにはたくさんの人。会場では2日間にわたって、終日多彩な発表やトークセッションが行われ、多くの展示・体験ブースやマルシェが並びました。
これまでほとんどの会場で中心的な役割を担い、トークセッションや展示・体験ブースなどで活躍しているのが、食の未来を担う1990年代後半から2000年代生まれのZ世代の若者たち。今回も参加したZ世代はそれぞれ、農業の生産現場などを体験し、全国の生産者たちと交流した経験を活かしてNFS FES.東京2022を盛り上げました。

Z世代の展示ブースをWATCH!

龍谷大学経営学部藤岡ゼミは、ぶどう山椒の一大産地である和歌山県有田川町において、学生がフィールドワークを行い、産地を未来につなげるために取り組んだ4年間についてトークセッションで発表しました。また、有田川町の農産物や加工品等、「ぶどう山椒をかけて食べるカレー」などオリジナル開発商品を販売するブース展示も行いました。

立正大学法学部の社会学・教育学の西谷ゼミでは、「Z世代が考える!『未来の食と農』教育プロジェクト」として、学生のフィールドワークや農業体験の様子、小学生との協働授業でグループ活動を行った様子を、ブース展示とトークセッションで発表しました。

多様な大学生のマーケティングチームとスイーツの専門学校生がコラボした「100日後にできるZ世代プロデュースカフェ」ではレシピカードを配布し、スイーツも販売。

未来を担うZ世代のアクションに注目
「NIPPON FOOD SHIFT FES.東京2022」で、ひときわ目を引いたのは、京都芸術大学芸術学部情報デザイン学科の学生たちが手がけた「シ展。2022-2023」。選択科目の「情報デザインプロジェクト」(担当教員 服部滋樹教授/村川晃一郎講師)という講義の中で、学生たちは食料安全保障と価格転嫁について学びました。学びを深化させるために、さまざまなリサーチを、3人から4人1チームで行いました。10チームそれぞれに異なるテーマでプロジェクトを進め、その成果をまとめたものが今回のグループ展です。
タイトルの「シ展」とは、より良い未来に向ける“始点”であり、未来を支える“支点”でもあるといいます。さらに、思考を止めてしまえば、取り返しのつかない“死点”へと向かうことになるから、どんな“視点”をもって未来を創造するのか、自分たちの手に委ねられているというZ世代の思いを込めているのだそうです。

指導にあたった教員の村川晃一郎さんは次のように話してくれました。
「課題がどこにあるのか、どのようにしたら人に伝わり、また見た人の考え方が変わるのか。そういったことを、デザインを行う際に用いる思考や手法でひも解いていくと、新しいアプローチができるのではないかと思いました。デザインを学ぶ学生たちは、思考したものをアウトプットする能力を持っているので、食の問題に対してもきっと課題解決につなげられると思います」。
そこで、学生たちがどんな課題に取り組み、どのように感じたかを10チームそれぞれの代表者に聞きました。

京都芸術大学情報デザイン学科 情報デザインプロジェクト「シ展。2022-2023」のチームリーダーたち。後列左は指導にあたった村川さん

生産者を選んで野菜を購入する自動販売機
自動販売機には生産者の情報のみを提示。その情報から生産者を選び、何が出てくるかわからない野菜との出合いを楽しんでもらうことが狙いです。会場では、協力してもらった8人の生産者の情報をフライヤーにまとめ、来場者に持ち帰ってもらいました。

オンラインで8人の生産者さんにインタビューしたのですが、知らないことだらけでとても勉強になりました。自動販売機なら野菜も気軽に買ってもらえるのではないかと思いました。

農産物のSNS型ショッピングアプリを開発
食をコミュニケーションツールと捉えて、農産物を贈り物として利用しやすくなるSNS型アプリ「わかば」を考案しました。「わかば」を使って生産者から購入した野菜をフォローしている人に送ることができ、また生産者の情報や直伝レシピも共有できます。

家族や友人には少し高価なものでも買ってあげたいと思うので、そんな気持ちを消費につなげられないかと考えました。農産物の情報の「いいね」が増えて、つながり合えるといいなと思います。

食の現状を回転パネルにデザインして問いかける
「食品添加物」「遺伝子組換え」「慣行農業と有機農業」「国産と輸入」「食料自給率」の5つのテーマについて調べ、是非や可否を述べるのではなく、すべての物事には裏表があることを踏まえ「あなたはどう思いますか」と意識喚起をする展示です。

自分が口にする食べ物のことを、私たちは本当にわかっているでしょうか。食にまつわるウワサや、知らずしらず形作られたイメージの「ホントのところ」を知り、見た人自身がこれからの食について考えてほしいです。

廃棄される野菜や果物に新たな価値を
廃棄される野菜を食べること以外で有効活用しようということから商品化を模索。野菜の色素を利用して自分たちで絵の具や石鹸、入浴剤などを製作。食品廃棄物から新素材を生み出すベンチャー企業の協力を得て、ごぼうなどから作った高強度の建材も展示しました。

今回は野菜について、食べられるのに捨てる部分の有効活用を考えましたが、ものづくりではいろいろな素材の廃棄物が出るので、そういった素材の有効活用も考えてみたいと思いました。

インスタグラムで適正な価格形成に向けた情報を発信
大手スーパーマーケットに取材に行き、食品の価値を正しく評価して販売する大切さを知ったことから、適正な価格形成を知ってもらうための展示パネルを作りました。展示を見た方が、適正な価格形成の大切さを広められるように、インスタグラムによる発信も行っています。

私たちのチームは、講義で初めて知った価格転嫁という言葉を消費者にとって一番身近な問題だと捉えました。スーパーの取り組みを見て、たくさんの人に知ってもらうべきだと思いました。

見切り品を気軽に手にしてもらうアプリを開発
賞味期限や消費期限が近いものや、規格外品などの見切り品に着目。見切り品を買ってポイントを貯め、それをこども食堂やフードバンクに寄付できるアプリ「ぴっくる」を考案。見切り品にはシールが貼ってあるので、それを店内で宝探しのように楽しんで探してほしいと考えました。

見た目や賞味期限が近いという理由で、まだ食べられるのに捨てられてしまう見切り品の中には魅力のある食品もたくさんあるし、十分手に取ってもらえる商品だということを知ってもらいたいです。

食料自給率をあげるために和食の文化、作法に着目
和食に親しみを持ち、和食を食べる頻度を増やすために、和食の作法や豆知識などをイラストで見せるフリーペーパーや展示を作成しました。和食の消費拡大から、食料自給率の上昇へつながればと考えています。

Z世代でも食べ物に対して値段で選ぶ人、写真映えを狙う人など価値観が違い、チームの中でもばらばらでした。それをどうやって一本化するか話し合って、テーマを作法や伝統に絞りました。

規格外野菜をそのまま販売するために
食品ロスの統計には、出荷前に廃棄される規格外野菜が含まれていないことを知ったことから規格外野菜のブランディングのために、みんなに注目してもらえ、ふっと笑えて親しんでもらえるキャッチコピーを考えてポスターを作りました。

コピーを考えるのは難しかったけれど、楽しんで取り組めました。「できそこ」というコピーは、形は規格外でも味や品質が「できそこないではない」という意味で「ない」を削ったものです。

規格外野菜や果物のジュースやスイーツの店
規格外野菜や果物を購入し、それをジュースやスイーツなどにして提供するカフェ店舗の内装やパッケージを展示。メニューもチームで考案しました。店名は「砦(toride)」。自分たちZ世代が食の問題の最後の砦になるという決意を込めたネーミングです。

規格外野菜をテーマにカフェづくりをしようと考えたのは、ごみの低減に取り組んでいる量り売りスーパー「斗々屋」にフィールドワークを行い、フードロスへの意識を多くの人に持ってもらう必要を感じたことがきっかけです。

地域支援型農業「CSA」を広めるために
消費者が農産物の購入費を先払いすることで生産者と消費者が相互に支え合う仕組み「CSA(Community Supported Agriculture)」の新しいバージョンとして、飲食店と契約して、誰もがCSAに参加できる場所づくりを考案。「食について考える、新しい居酒屋」の仕組みのデザインと店舗デザインを展示しました。

CSAのことを初めて知り、取り組んでいる生産者さんのお話にワクワクしました。農産物を買う時も、自分がきちんと選ぶことで状況が変わっていくことを知り、その大切さがわかりました。

推進パートナー募集
あなたもニッポンフードシフト!
ニッポンフードシフトロゴ
ニッポンフードシフトの趣旨に賛同・共感するすべての企業、団体、個人を対象に、推進パートナーを募集しています。推進パートナーとして登録すると、ロゴマークを広告、名刺、商品などに使用できるほか、店頭やキャンペーンなどにも無償で利用することができます。さらに登録者が主催するイベントや催事において、「ニッポンフードシフト」の名義を使用することができます。登録については以下のサイトをご覧ください。

新しいYouTube動画を公開しました。

今回は故郷の開運の話。
運勢が芳しくない故郷にできる限りのことをしたいと、古代に伝わる運気を上げる場所まで向かう、かまとれあ。
道中で様々な試練がある中で、迷ったときは北星を眺めて突き進んでいく。
全ては故郷の町のために。

動画を見る↓
https://t.cn/A6ThrM5Y

日本列島の旧石器時代

食糧の獲得
旧石器時代人は、主として狩猟によって食糧を得ていた。当時の遺跡からは、野牛・原牛・ナウマンゾウなどの大型哺乳類の骨、ニホンシカ、イノシシ、ノウサギなどの中・小哺乳動物の骨が発見されている。そして、大型哺乳動物を解体する作業場となるキル・サイトも発見されている。

狩猟においては落とし穴(陥し穴)が使用されており、その遺構(土坑)が検出されている。静岡県三島市の初音ヶ原遺跡では、台地の尾根を横切るように並んで幾重かに巡らされた、深さ1.5~1.6メートルで、上部がラッパ状に開く60基の落とし穴が検出されている。また、同県駿東郡長泉町の東野遺跡や、神奈川県横須賀市の打木原遺跡でも同様の落とし穴が見つかっている。初音ヶ原遺跡や打木原遺跡のものは、姶良丹沢火山灰(At層)堆積層より下で検出されたことから、約30000年前のものと推定されている。

このように、旧石器時代人は、大型哺乳動物を追う狩人たちであったと思われる。竪穴建物跡を伴う遺跡がほとんど発見されていないのは、旧石器時代人がキャンプ生活をしながら移動を繰り返していたからだとも推定されている。
漁労の直接的な証拠は発見されていないが、そのような活動があっただろうとは推測されている。まず、伊豆諸島の黒曜石が南関東で出土しており、同諸島で細石刃が発見されている。ここから、旧石器人も何らかの航海技術や海上交通の手段を持っていたことが想像できる。さらに、日本の旧石器文化がシベリアとの強い関連性があることが分かっており、そのシベリアで固定式のヤスや離頭式の銛頭(もりがしら)が見つかっている。日本は酸性土壌のため人骨や獣骨が残りにくいが、日本でも同様の道具を用いて刺突漁を行なっていた可能性がある。

縄文時代の人々にとっては、植物採取が食料獲得の中で大きな比重を占めていたが、旧石器時代の人々にとってはどちらかというと狩猟が主体であったようだ。当時は数百kmにも及ぶ距離を移動していたという[要出典]から、それは移動性のある動物の行動生態と関連しそうであるし、また彼らの道具を見ると、植物質資源の加工・処理に有利な頑丈なタイプの石器(削器や石斧)よりも、狩猟具に使いそうな先の尖った石器(有背石刃、尖頭器)や壊れ易いが鋭い刃(石刃、細石刃)のある石器というような道具が発達したからである。
更新世(洪積世)の人類化石
日本列島は火山列島とも呼ばれるように火山活動が活発であり、更新世の火山噴火による火山灰が瀬戸内、近畿地方を除く日本列島の大部分に降り注いだため、骨を分解する酸性土壌の占める地域が多く、旧石器時代の遺跡に人骨・獣骨化石が残る例がほとんどない。こうした中でもこれまで更新世人類化石として知られていた例も多かった。しかし、C14年代測定法や再検討の結果、それらの多くが更新世人類化石の地位を失い、静岡県の浜北人と沖縄県の港川人等の数例が更新世人類とされている。

浜北人
詳細は「浜北人」を参照
浜北人は、静岡県浜名郡浜北町(現・浜松市浜名区)根堅(ねがた)の石灰石採石場で、1960年(昭和35年)から1962年(昭和37年)に発見された頭骨片と四肢骨片(鎖骨・上腕骨・寬骨・脛骨)の人骨化石である。上・下2つの地層から出土した。それぞれの層から出た獣骨の年代を加速器質量分析法(AMS)による炭素年代測定での結果は、上層が約1.4万年前、下層出土の脛骨が約1.8万年前を示した。本州唯一の更新世の人骨化石で、20代の女性のものとされる。また縄文人に似た骨格からその祖形のものと思われる。

山下洞人
沖縄県那覇市山下町第一洞穴遺跡で、1968年(昭和43年)に発見された。8歳程度の女児とみられる大腿骨・腓骨・脛骨で、同じ層から出土した炭化物の放射性炭素年代測定によると約3万2000年前とされる、国内では最古級の人骨である。最近の検討によると、初期現代型新人の特徴に一致するという。

港川人
1970年(昭和45年)に沖縄県島尻郡具志頭村(現・八重瀬町)の港川採石場で、個人研究家の大山盛保によって約1.8万年前の更新世のものとされる数体の人骨化石が発見された(港川遺跡)。これは縄文時代よりおよそ5000年古く、旧石器時代後期に相当する。男性の推定身長は153cmから155cm、女性は145cmと小柄で、下半身に比べ上半身は華奢である。顔は四角く、目は窪み、鼻はやや広く、立体的で頑丈であるなど原始的な骨格で、前頭骨が小さく後頭骨の上半分が突出する点や四肢骨の筋肉付着部が発達していない点で縄文人とも異なる独自の特徴を持っている。

またこれに先立つ1967年-1969年には、同じ採石場の石灰岩フィッシャー上部において、1.2万年前のものと考えられる人骨(上腕骨・尺骨・寬骨・大腿骨2点・脛骨2点・距骨・第1中足骨)の断片が発見されている。こちらは日本本土で多く発見されている縄文人の骨格的特徴によく似ており、上部港川人と呼ばれている。

2009年度(平成21年度)の日本学術振興会による共同研究では、後期更新世の沖縄港川人はアジア大陸の南方起源である可能性が高いが、北海道から九州地方にかけての縄文時代人とは、下顎形態に、多数の相違点が見出だされ、両者の間の系譜的連続性を認める従来の仮説は見直される必要があるという主張もなされている。

下地原洞人
1978年(昭和53年)からの数次に渡る調査で、沖縄県島尻郡具志川村(現・久米島町)の下地原洞穴遺跡で発見。生後1歳未満(8か月~10か月)の乳幼児(新生児)の化石人骨約50片が動物の骨とともに見つかった。年代は出土したカニ化石の放射性炭素年代測定により15200±100年前(B.P.)とされた。

ピンザアブ洞人
1979年(昭和54年)に沖縄県宮古郡上野村(現・宮古島市)のピンザアブと呼ばれる洞穴で発見。アミノ酸ラセミ化分析では、約2万年前と測定された。また、同じ地層中の木炭片の放射性炭素年代測定では、25800±900年前(B.P.) - 26800 ±1,300年前(B.P.)と測定された。

白保人
2010年(平成22年)2月4日、沖縄県教育委員会は、沖縄県石垣市白保(石垣島)の新石垣空港建設敷地内にある白保竿根田原洞穴(しらほさおねたばるどうけつ)から発見された人骨について、琉球大学や東京大学などと研究を進めた結果、そのうち1点(約8cm×約11cmの20代から30代前半の男性の頭頂骨)が放射性炭素年代測定で約2万年前のものと分かったと発表した[44][45]。また「更新世から縄文・弥生期にかけての日本人の変遷に関する総合的研究」の分析では、発見された人骨片のうちの右頭頂骨片に対して、20416±113年前(BP)という推定年代値を得た。これは放射性炭素によって直接ヒト化石の年代を推定した値としては国内最古のものであった。

サキタリ洞人
沖縄県南城市サキタリ洞遺跡で発見された断片的な人骨。約1万2千年前のものとされ、同じ地層から発見された石英製の剥片石器や海産貝などは人為的に持ち込まれたものと考えられている。

その他
沖縄県では、以下の遺跡からも更新世(洪積世)の人骨化石が発掘及び報告されている。

大山(おおやま)洞穴 - 沖縄県宜野湾市
カダ原(かだばる)洞穴 - 沖縄県国頭郡伊江村
ゴヘズ洞穴 - 沖縄県国頭郡伊江村
桃原(とうばる)洞穴 - 沖縄県中頭郡北谷町
かつて更新世人類と考えられた人類化石
葛生人(くずうじん) - 栃木県葛生町(現・佐野市)で1950年代に発見され、元早稲田大学教授直良信夫によって更新世人類と考えられた。しかし、発見された骨8点のうち4点は、動物骨であることが確認された。残りのうちの2点は放射性炭素年代測定の結果400年前の人骨であることが分かった。
三ヶ日人 - 1959年-1961年に静岡県三ケ日町(現・浜松市)の石灰岩採石場から頭骨片5点、寬骨(腸骨)、大腿骨など複数の成人の骨が発見され、後期更新世人類と考えられたが、放射性炭素年代法により9000年前の縄文時代早期の人骨と分かった。
牛川人 - 1957年に愛知県豊橋市牛川鉱山で上腕骨と大腿骨の化石が発見され、東京大学名誉教授鈴木尚によって中期更新世人類(旧人)と考えられたが、人骨の特徴を備えていなかった。
明石人 - 1931年に兵庫県明石市で直良信夫により寬骨が発見され、直良は旧石器時代の人骨としたが学会は受け入れなかった。その後、人骨は戦争で焼失し石膏模型のみが残った。戦後、長谷部言人がこれを原人として論争が起こったが、現在では一部を除き新しい時期の人骨とする意見が強い。
聖岳人 - 1962年に大分県本匠村(現・佐伯市)の聖嶽洞穴で前頭骨片と頭頂後頭骨片が発見され、元新潟大学教授小片保によって中国の山頂洞人と似ているとされたが、形態面や年代推定から歴史(江戸)時代に属する可能性が極めて高くなった。

日本的旧石器时代(にほんのきゅうせっきじだい),大约500万年前日本最初是和亚洲大陆相连的,1万3000年前由于火山的喷发造成地壳运动,日本的弧状列岛脱离亚洲大陆,成为现今的日本原貌。约1万2千年前左右,因末次冰期结束而开始急剧温暖化,使得人们的文化与生活产生极大变化,除了琉球群岛以外,全岛进入下个绳文时代。


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