#金泰亨solo##金泰亨kpop永一#
英国权威乐评杂志NME(新音乐快递)发布乐评:
BTS的V在他那令人着迷的新单曲‘Fri(end)s’中试图让友情更进一步
这位歌手尝试展开一个由朋友变恋人的故事情节,延续了他在2023年的专辑‘Layover’所创造的复古音乐世界。
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朋友变恋人的故事能成为经典桥段是有原因的。这是一段充满冒险与紧张的旅程,友谊的走向是尚未可知的。如果情况顺利,那太好了!如果他们没能成功呢?做好准备吧,痛心地看着关系日渐尴尬,直至其中一个人或者双方都难以再忍受,而你们彼此会越发疏远。
BTS的V在他的新单曲‘Fri(end)s’中意识到了这种危险,但这并不能阻止他大胆地涉足那本该立入禁止的罗曼蒂克之地。“你不停徘徊在我的脑海”,他在开头这样轻唱道,“本来周末有其他安排,结果还是和你在一起”。这是一个理由足够坦荡的开头,但他很快就把谨慎抛之脑后,去终结仅是朋友的关系,把局面发展成“朋友变恋人”桥段的一个强有力的例证。
他的理由是合乎逻辑的。他和朋友互为依靠,提供彼此支持与陪伴(“你陪我度过孤独的夜晚,让我能够坚持下去”)。此时这段关系中已经有了暧昧的成分,超越了普通朋友之间的谈笑(“但朋友之间不会说那种话,那种感觉超过朋友关系的话”)。他们相识很久,久到大概V自己清楚地知道他会成功(“你和我从2009年起,仿佛是一辈子”)。
完全的自信和挥之不去的紧张,两种心情兴奋地在心头打架,他便是这样逐一展开论述的。紧张的心情在支撑整首歌的切分节奏下被衬托得更响亮、更放大。你很难不被这澎湃的心绪所席卷,很难不为他的大胆想法加油鼓劲。
尽管有些焦虑,‘Fri(end)s’并没有陷入过度思考,也没有执着于那些不存在的“如果”,这对于一首只有不到两分半钟的轻快小短歌来说说是恰如其分的。正相反,这首歌活泼且狡黠,特别是当V唱到(“陷入了深深的感情,当我应该在你床上时”),这句歌词充满了魅力,他几乎是通过扬声器在朝你wink。
从听感上来说,这首个人单曲感觉像是V在2023年的专辑‘Layover’的自然延续,但并非那张专辑的复刻。‘Fri(end)s’有着更明亮的色彩,也更欢快些,‘Layover’里那种如烟似雾的爵士酒吧情调已经消失不见。不过这首歌依然保有那张专辑的复古气息,因其华尔兹的3/4拍和源自1960年代有着灵魂乐风格的R&B。
这首歌也很好地展现了V的演唱能力,重点展示了他的音域。由浑厚华丽的男中音起调,通过假声的声带震颤和个人风格的升降半音来实现旋律音节的上行与下行。在歌曲即将进入高潮时,他加上了圆润有力的和声,高音飙至这部分结束。他在不同音区之间优雅切换,这种轻松自如实在令人叹为观止。
这首歌唯一的问题就在于太短了,当你还沉浸在V尝试追求这位朋友时,歌曲就戛然而止了,在你不经意间就走远了。结束得简洁使这首歌更令人上头,但由于歌曲构成已经如此简单利落,就算再丰富一些也不会有什么负面影响。在这段过山车式的关系赌局上,在这复古的R&B梦境中,再多加点时长会更好。
英国权威乐评杂志NME(新音乐快递)发布
BTS的V在他那令人着迷的新单曲‘Fri(end)s’中试图让友情更进一步
这位歌手尝试展开一个由朋友变恋人的故事情节,延续了他在2023年的专辑‘Layover’所创造的复古音乐世界。
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朋友变恋人的故事能成为经典桥段是有原因的。这是一段充满冒险与紧张的旅程,友谊的走向是尚未可知的。如果情况顺利,那太好了!如果他们没能成功呢?做好准备吧,痛心地看着关系日渐尴尬,直至其中一个人或者双方都难以再忍受,而你们彼此会越发疏远。
BTS的V在他的新单曲‘Fri(end)s’中意识到了这种危险,但这并不能阻止他大胆地涉足那本该立入禁止的罗曼蒂克之地。“你不停徘徊在我的脑海”,他在开头这样轻唱道,“本来周末有其他安排,结果还是和你在一起”。这是一个理由足够坦荡的开头,但他很快就把谨慎抛之脑后,去终结仅是朋友的关系,把局面发展成“朋友变恋人”桥段的一个强有力的例证。
他的理由是合乎逻辑的。他和朋友互为依靠,提供彼此支持与陪伴(“你陪我度过孤独的夜晚,让我能够坚持下去”)。此时这段关系中已经有了暧昧的成分,超越了普通朋友之间的谈笑(“但朋友之间不会说那种话,那种感觉超过朋友关系的话”)。他们相识很久,久到大概V自己清楚地知道他会成功(“你和我从2009年起,仿佛是一辈子”)。
完全的自信和挥之不去的紧张,两种心情兴奋地在心头打架,他便是这样逐一展开论述的。紧张的心情在支撑整首歌的切分节奏下被衬托得更响亮、更放大。你很难不被这澎湃的心绪所席卷,很难不为他的大胆想法加油鼓劲。
尽管有些焦虑,‘Fri(end)s’并没有陷入过度思考,也没有执着于那些不存在的“如果”,这对于一首只有不到两分半钟的轻快小短歌来说说是恰如其分的。正相反,这首歌活泼且狡黠,特别是当V唱到(“陷入了深深的感情,当我应该在你床上时”),这句歌词充满了魅力,他几乎是通过扬声器在朝你wink。
从听感上来说,这首个人单曲感觉像是V在2023年的专辑‘Layover’的自然延续,但并非那张专辑的复刻。‘Fri(end)s’有着更明亮的色彩,也更欢快些,‘Layover’里那种如烟似雾的爵士酒吧情调已经消失不见。不过这首歌依然保有那张专辑的复古气息,因其华尔兹的3/4拍和源自1960年代有着灵魂乐风格的R&B。
这首歌也很好地展现了V的演唱能力,重点展示了他的音域。由浑厚华丽的男中音起调,通过假声的声带震颤和个人风格的升降半音来实现旋律音节的上行与下行。在歌曲即将进入高潮时,他加上了圆润有力的和声,高音飙至这部分结束。他在不同音区之间优雅切换,这种轻松自如实在令人叹为观止。
这首歌唯一的问题就在于太短了,当你还沉浸在V尝试追求这位朋友时,歌曲就戛然而止了,在你不经意间就走远了。结束得简洁使这首歌更令人上头,但由于歌曲构成已经如此简单利落,就算再丰富一些也不会有什么负面影响。在这段过山车式的关系赌局上,在这复古的R&B梦境中,再多加点时长会更好。
沈黙の塔(上)
森鴎外
高い塔が夕ゆうべの空に聳そびえている。
塔の上に集まっている鴉からすが、立ちそうにしてはまた止まる。そして啼なき騒いでいる。
鴉の群れを離れて、鴉の振舞ふるまいを憎んでいるのかと思われるように、鴎かもめが二三羽、きれぎれの啼声をして、塔に近くなったり遠くなったりして飛んでいる。
疲れたような馬が車を重げに挽ひいて、塔の下に来る。何物かが車から卸されて、塔の内に運び入れられる。
一台の車が去れば、次の一台の車が来る。塔の内に運び入れられる品物はなかなか多いのである。
己おれは海岸に立ってこの様子を見ている。汐しおは鈍く緩く、ぴたりぴたりと岸の石垣を洗っている。市の方から塔へ来て、塔から市の方へ帰る車が、己の前を通り過ぎる。どの車にも、軟やわらかい鼠色ねずみいろの帽の、鍔つばを下へ曲げたのを被かぶった男が、馭者台ぎょしゃだいに乗って、俯向うつむき加減になっている。
不精らしく歩いて行く馬の蹄ひづめの音と、小石に触れて鈍く軋きしる車輪の響とが、単調に聞える。
己は塔が灰色の中に灰色で画えがかれたようになるまで、海岸に立ち尽つくしていた。
電灯の明るく照っている、ホテルの広間に這入ったとき、己は粗い格子の縞羅紗しまらしゃのジャケツとずぼんとを着た男の、長い脚を交叉こうささせて、安楽椅子いすに仰向けに寝たように腰を掛けて新聞を読んでいるのを見た。この、柳敬助という人の画が toileトアル を抜け出たかと思うように脚の長い男には、きのうも同じ広間で出合ったことがあるのである。
「何か面白い事がありますか」と、己は声を掛けた。
新聞を広げている両手の位置を換えずに、脚長は不精らしくちょいと横目でこっちを見た。「Nothing at all!」物を言い掛けた己に対してよりは、新聞に対して不平なような調子で言い放ったが、暫しばらくして言い足した。「また椰子やしの殻に爆弾を詰めたのが二つ三つあったそうですよ。」
「革命党ですね。」
己は大理石の卓の上にあるマッチ立てを引き寄せて、煙草に火を附けて、椅子に腰を掛けた。
暫くしてから、脚長が新聞を卓の上に置いて、退屈らしい顔をしているから、己はまた話し掛けた。「へんな塔のある処へ往って見て来ましたよ。」
「Malabarマラバア hillヒル でしょう。」
「あれはなんの塔ですか。」
「沈黙の塔です。」
「車で塔の中へ運ぶのはなんですか。」
「死骸しがいです。」
「なんの死骸ですか。」
「Parsiパアシイ 族の死骸です。」
「なんであんなに沢山死ぬのでしょう。コレラでも流行はやっているのですか。」
「殺すのです。また二三十人殺したと、新聞に出ていましたよ。」
「誰たれが殺しますか。」
「仲間同志で殺すのです。」
「なぜ。」
「危険な書物を読む奴やつを殺すのです。」
「どんな本ですか。」
「自然主義と社会主義との本です。」
「妙な取り合せですなあ。」
「自然主義の本と社会主義の本とは別々ですよ。」
「はあ。どうも好く分かりませんなあ。本の名でも知れていますか。」
「一々書いてありますよ。」脚長は卓の上に置いた新聞を取って、広げて己の前へ出した。
己は新聞を取り上げて読み始めた。脚長は退屈そうな顔をして、安楽椅子に掛けている。
直ぐに己の目に附いた「パアシイ族の血腥ちなまぐさき争闘」という標題の記事は、かなり客観的に書いたものであった。
パアシイ族の少壮者は外国語を教えられているので、段々西洋の書物を読むようになった。英語が最も広く行われている。しかし仏語ふつごや独逸ドイツ語も少しずつは通じるようになっている。この少壮者の間に新しい文芸が出来た。それは主として小説で、その小説は作者の口からも、作者の友達の口からも、自然主義の名を以て吹聴ふいちょうせられた。Zolaゾラ が Leル Romanロマン exp※(アキュートアクセント付きE小文字)rimentalエクスペリマンタル で発表したような自然主義と同じだとは云われないが、また同じでないとも云われない。兎とに角かく因襲を脱して、自然に復かえろうとする文芸上の運動なのである。
自然主義の小説というものの内容で、人の目に附いたのは、あらゆる因襲が消極的に否定せられて、積極的には何の建設せられる所もない事であった。この思想の方嚮ほうこうを一口に言えば、懐疑が修行で、虚無が成道じょうどうである。この方嚮から見ると、少しでも積極的な事を言うものは、時代後れの馬鹿ものか、そうでなければ嘘衝うそつきでなくてはならない。
次に人の目に附いたのは、衝動生活、就中なかんずく性欲方面の生活を書くことに骨が折ってある事であった。それも西洋の近頃の作品のように色彩の濃いものではない。言わば今まで遠慮し勝ちにしてあった物が、さほど遠慮せずに書いてあるという位に過ぎない。
自然主義の小説は、際立った処を言えば、先ずこの二つの特色を以て世間に現れて来て、自分達の説く所は新思想である、現代思想である、それを説いている自分達は新人である、現代人であると叫んだ。
そのうちにこういう小説がぽつぽつと禁止せられて来た。その趣意は、あんな消極的思想は安寧秩序を紊みだる、あんな衝動生活の叙述は風俗を壊乱するというのであった。
丁度その頃この土地に革命者の運動が起っていて、例の椰子の殻の爆裂弾を持ち廻る人達の中に、パアシイ族の無政府主義者が少し交まじっていたのが発覚した。そしてこの Propagandeプロパガンド parパアル leル faitフェエ の連中が縛られると同時に、社会主義、共産主義、無政府主義なんぞに縁のある、ないし縁のありそうな出板物が、社会主義の書籍という符牒ふちょうの下に、安寧秩序を紊るものとして禁止せられることになった。
この時禁止せられた出板物の中に、小説が交っていた。それは実際社会主義の思想で書いたものであって、自然主義の作品とは全く違っていたのである。
しかしこの時から小説というものの中には、自然主義と社会主義とが這入はいっているということになった。
そういう工合に、自然主義退治の火が偶然社会主義退治の風であおられると同時に、自然主義の側で禁止せられる出板物の範囲が次第に広がって来て、もう小説ばかりではなくなった。脚本も禁止せられる。抒情詩じょじょうしも禁止せられる。論文も禁止せられる。外国ものの翻訳も禁止せられる。
そこで文字に書きあらわされてある、あらゆるものの中から、自然主義と社会主義とが捜されるということになった。文士だとか、文芸家だとか云えば、もしや自然主義者ではあるまいか、社会主義者ではあるまいかと、人に顔を覗のぞかれるようになった。
文芸の世界は疑懼ぎくの世界となった。
この時パアシイ族のあるものが「危険なる洋書」という語を発明した。
危険なる洋書が自然主義を媒介した。危険なる洋書が社会主義を媒介した。翻訳をするものは、そのまま危険物の受売うけうりをするのである。創作をするものは、西洋人の真似をして、舶来品まがいの危険物を製造するのである。
安寧秩序を紊る思想は、危険なる洋書の伝えた思想である。風俗を壊乱する思想も、危険なる洋書の伝えた思想である。
危険なる洋書が海を渡って来たのは Angraアングラ Mainyuマイニュウ の神の為業しわざである。
危険なる洋書を読むものを殺せ。
こういう趣意で、パアシイ族の間で、Pogromポグロム の二の舞が演ぜられた。そして沈黙の塔の上で、鴉が宴会をしているのである。
新聞に殺された人達の略伝が出ていて、誰は何を読んだ、誰は何を翻訳したと、一々「危険なる洋書」の名を挙げてある。
己はそれを読んで見て驚いた。
Saintサン -Simonシモン のような人の書いた物を耽読たんどくしているとか、Marxマルクス の資本論を訳したとかいうので社会主義者にせられたり、Bakuninバクニン, Kropotkinクロポトキン を紹介したというので、無政府主義者にせられたとしても、読むもの訳するものが、必ずしもその主義を遵奉じゅんぽうするわけではないから、直ぐになるほどとは頷うなずかれないが、嫌疑を受ける理由だけはないとも云われまい。
Casanovaカサノワ や Louvetルウェエ deド Couvrayクウルウェエ の本を訳して、風俗を壊乱すると云われたのなら、よしやそう云う本に文明史上の価値はあるとしても、遠慮が足りなかったというだけの事はあるだろう。
しかし所謂いわゆる危険なる洋書とはそんな物を斥さして言っているのではない。
ロシア文学で Tolstoiトルストイ のある文章を嫌うのは、無政府党が「我信仰」や「我懺悔わがざんげ」を主義宣伝に応用しているから、一応尤もっともだとも云われよう。小説や脚本には、世界中どこの国でも、格別けむたがっているような作はない。それを危険だとしてある。「戦争と平和」で、戦争に勝つのはえらい大将やえらい参謀が勝たせるのではなくて、勇猛な兵卒が勝たせるのだとしてあれば、この観察の土台になっている個人主義を危険だとするのである。そんな風に穿鑿せんさくをすると同時に、老伯が素食そしょくをするのは、土地で好い牛肉が得られないからだと、何十年と継続している伯の原始的生活をも、猜疑さいぎの目を以て視る。
Dostojewskiドストエウスキイ は「罪と償」で、社会に何の役にも立たない慾ばり婆々ばばあに金を持たせて置くには及ばないと云って殺す主人公を書いたから、所有権を尊重していない。これも危険である。それにあの男の作は癲癇てんかん病やみの譫語うわことに過ぎない。Gorkiゴルキイ は放浪生活にあこがれた作ばかりをしていて、社会の秩序を踏み附けている。これも危険である。それに実生活の上でも、籍を社会党に置いている。Artzibaschewアルチバシエフ は個人主義の元祖 Stirnerスチルネル を崇拝していて、革命家を主人公にした小説を多く出す。これも危険である。それに肺病で体が悪くなって、精神までが変調を来している。
フランスとベルジックとの文学で、Maupassantモオパッサン の書いたものには、毒を以て毒を制するトルストイ伯の評のとおりに、なんのために書いたのだという趣意がない。無理想で、amoralアモラル である。狙ねらわずに鉄砲を打つほど危険な事はない。あの男はとうとう追躡ついじょう妄想で自殺してしまった。Maeterlinckマアテルリンク は Monnaモンナ Vannaワンナ のような奸通劇かんつうげきを書く。危険極まる。
イタリアの文学で、D'Annunzioダヌンチオ は小説にも脚本にも、色彩の濃い筆を使って、性欲生活を幅広に写している。「死せる市」では兄と妹との間の恋をさえ書いた。これが危険でないなら、世の中に危険なものはあるまい。
森鴎外
高い塔が夕ゆうべの空に聳そびえている。
塔の上に集まっている鴉からすが、立ちそうにしてはまた止まる。そして啼なき騒いでいる。
鴉の群れを離れて、鴉の振舞ふるまいを憎んでいるのかと思われるように、鴎かもめが二三羽、きれぎれの啼声をして、塔に近くなったり遠くなったりして飛んでいる。
疲れたような馬が車を重げに挽ひいて、塔の下に来る。何物かが車から卸されて、塔の内に運び入れられる。
一台の車が去れば、次の一台の車が来る。塔の内に運び入れられる品物はなかなか多いのである。
己おれは海岸に立ってこの様子を見ている。汐しおは鈍く緩く、ぴたりぴたりと岸の石垣を洗っている。市の方から塔へ来て、塔から市の方へ帰る車が、己の前を通り過ぎる。どの車にも、軟やわらかい鼠色ねずみいろの帽の、鍔つばを下へ曲げたのを被かぶった男が、馭者台ぎょしゃだいに乗って、俯向うつむき加減になっている。
不精らしく歩いて行く馬の蹄ひづめの音と、小石に触れて鈍く軋きしる車輪の響とが、単調に聞える。
己は塔が灰色の中に灰色で画えがかれたようになるまで、海岸に立ち尽つくしていた。
電灯の明るく照っている、ホテルの広間に這入ったとき、己は粗い格子の縞羅紗しまらしゃのジャケツとずぼんとを着た男の、長い脚を交叉こうささせて、安楽椅子いすに仰向けに寝たように腰を掛けて新聞を読んでいるのを見た。この、柳敬助という人の画が toileトアル を抜け出たかと思うように脚の長い男には、きのうも同じ広間で出合ったことがあるのである。
「何か面白い事がありますか」と、己は声を掛けた。
新聞を広げている両手の位置を換えずに、脚長は不精らしくちょいと横目でこっちを見た。「Nothing at all!」物を言い掛けた己に対してよりは、新聞に対して不平なような調子で言い放ったが、暫しばらくして言い足した。「また椰子やしの殻に爆弾を詰めたのが二つ三つあったそうですよ。」
「革命党ですね。」
己は大理石の卓の上にあるマッチ立てを引き寄せて、煙草に火を附けて、椅子に腰を掛けた。
暫くしてから、脚長が新聞を卓の上に置いて、退屈らしい顔をしているから、己はまた話し掛けた。「へんな塔のある処へ往って見て来ましたよ。」
「Malabarマラバア hillヒル でしょう。」
「あれはなんの塔ですか。」
「沈黙の塔です。」
「車で塔の中へ運ぶのはなんですか。」
「死骸しがいです。」
「なんの死骸ですか。」
「Parsiパアシイ 族の死骸です。」
「なんであんなに沢山死ぬのでしょう。コレラでも流行はやっているのですか。」
「殺すのです。また二三十人殺したと、新聞に出ていましたよ。」
「誰たれが殺しますか。」
「仲間同志で殺すのです。」
「なぜ。」
「危険な書物を読む奴やつを殺すのです。」
「どんな本ですか。」
「自然主義と社会主義との本です。」
「妙な取り合せですなあ。」
「自然主義の本と社会主義の本とは別々ですよ。」
「はあ。どうも好く分かりませんなあ。本の名でも知れていますか。」
「一々書いてありますよ。」脚長は卓の上に置いた新聞を取って、広げて己の前へ出した。
己は新聞を取り上げて読み始めた。脚長は退屈そうな顔をして、安楽椅子に掛けている。
直ぐに己の目に附いた「パアシイ族の血腥ちなまぐさき争闘」という標題の記事は、かなり客観的に書いたものであった。
パアシイ族の少壮者は外国語を教えられているので、段々西洋の書物を読むようになった。英語が最も広く行われている。しかし仏語ふつごや独逸ドイツ語も少しずつは通じるようになっている。この少壮者の間に新しい文芸が出来た。それは主として小説で、その小説は作者の口からも、作者の友達の口からも、自然主義の名を以て吹聴ふいちょうせられた。Zolaゾラ が Leル Romanロマン exp※(アキュートアクセント付きE小文字)rimentalエクスペリマンタル で発表したような自然主義と同じだとは云われないが、また同じでないとも云われない。兎とに角かく因襲を脱して、自然に復かえろうとする文芸上の運動なのである。
自然主義の小説というものの内容で、人の目に附いたのは、あらゆる因襲が消極的に否定せられて、積極的には何の建設せられる所もない事であった。この思想の方嚮ほうこうを一口に言えば、懐疑が修行で、虚無が成道じょうどうである。この方嚮から見ると、少しでも積極的な事を言うものは、時代後れの馬鹿ものか、そうでなければ嘘衝うそつきでなくてはならない。
次に人の目に附いたのは、衝動生活、就中なかんずく性欲方面の生活を書くことに骨が折ってある事であった。それも西洋の近頃の作品のように色彩の濃いものではない。言わば今まで遠慮し勝ちにしてあった物が、さほど遠慮せずに書いてあるという位に過ぎない。
自然主義の小説は、際立った処を言えば、先ずこの二つの特色を以て世間に現れて来て、自分達の説く所は新思想である、現代思想である、それを説いている自分達は新人である、現代人であると叫んだ。
そのうちにこういう小説がぽつぽつと禁止せられて来た。その趣意は、あんな消極的思想は安寧秩序を紊みだる、あんな衝動生活の叙述は風俗を壊乱するというのであった。
丁度その頃この土地に革命者の運動が起っていて、例の椰子の殻の爆裂弾を持ち廻る人達の中に、パアシイ族の無政府主義者が少し交まじっていたのが発覚した。そしてこの Propagandeプロパガンド parパアル leル faitフェエ の連中が縛られると同時に、社会主義、共産主義、無政府主義なんぞに縁のある、ないし縁のありそうな出板物が、社会主義の書籍という符牒ふちょうの下に、安寧秩序を紊るものとして禁止せられることになった。
この時禁止せられた出板物の中に、小説が交っていた。それは実際社会主義の思想で書いたものであって、自然主義の作品とは全く違っていたのである。
しかしこの時から小説というものの中には、自然主義と社会主義とが這入はいっているということになった。
そういう工合に、自然主義退治の火が偶然社会主義退治の風であおられると同時に、自然主義の側で禁止せられる出板物の範囲が次第に広がって来て、もう小説ばかりではなくなった。脚本も禁止せられる。抒情詩じょじょうしも禁止せられる。論文も禁止せられる。外国ものの翻訳も禁止せられる。
そこで文字に書きあらわされてある、あらゆるものの中から、自然主義と社会主義とが捜されるということになった。文士だとか、文芸家だとか云えば、もしや自然主義者ではあるまいか、社会主義者ではあるまいかと、人に顔を覗のぞかれるようになった。
文芸の世界は疑懼ぎくの世界となった。
この時パアシイ族のあるものが「危険なる洋書」という語を発明した。
危険なる洋書が自然主義を媒介した。危険なる洋書が社会主義を媒介した。翻訳をするものは、そのまま危険物の受売うけうりをするのである。創作をするものは、西洋人の真似をして、舶来品まがいの危険物を製造するのである。
安寧秩序を紊る思想は、危険なる洋書の伝えた思想である。風俗を壊乱する思想も、危険なる洋書の伝えた思想である。
危険なる洋書が海を渡って来たのは Angraアングラ Mainyuマイニュウ の神の為業しわざである。
危険なる洋書を読むものを殺せ。
こういう趣意で、パアシイ族の間で、Pogromポグロム の二の舞が演ぜられた。そして沈黙の塔の上で、鴉が宴会をしているのである。
新聞に殺された人達の略伝が出ていて、誰は何を読んだ、誰は何を翻訳したと、一々「危険なる洋書」の名を挙げてある。
己はそれを読んで見て驚いた。
Saintサン -Simonシモン のような人の書いた物を耽読たんどくしているとか、Marxマルクス の資本論を訳したとかいうので社会主義者にせられたり、Bakuninバクニン, Kropotkinクロポトキン を紹介したというので、無政府主義者にせられたとしても、読むもの訳するものが、必ずしもその主義を遵奉じゅんぽうするわけではないから、直ぐになるほどとは頷うなずかれないが、嫌疑を受ける理由だけはないとも云われまい。
Casanovaカサノワ や Louvetルウェエ deド Couvrayクウルウェエ の本を訳して、風俗を壊乱すると云われたのなら、よしやそう云う本に文明史上の価値はあるとしても、遠慮が足りなかったというだけの事はあるだろう。
しかし所謂いわゆる危険なる洋書とはそんな物を斥さして言っているのではない。
ロシア文学で Tolstoiトルストイ のある文章を嫌うのは、無政府党が「我信仰」や「我懺悔わがざんげ」を主義宣伝に応用しているから、一応尤もっともだとも云われよう。小説や脚本には、世界中どこの国でも、格別けむたがっているような作はない。それを危険だとしてある。「戦争と平和」で、戦争に勝つのはえらい大将やえらい参謀が勝たせるのではなくて、勇猛な兵卒が勝たせるのだとしてあれば、この観察の土台になっている個人主義を危険だとするのである。そんな風に穿鑿せんさくをすると同時に、老伯が素食そしょくをするのは、土地で好い牛肉が得られないからだと、何十年と継続している伯の原始的生活をも、猜疑さいぎの目を以て視る。
Dostojewskiドストエウスキイ は「罪と償」で、社会に何の役にも立たない慾ばり婆々ばばあに金を持たせて置くには及ばないと云って殺す主人公を書いたから、所有権を尊重していない。これも危険である。それにあの男の作は癲癇てんかん病やみの譫語うわことに過ぎない。Gorkiゴルキイ は放浪生活にあこがれた作ばかりをしていて、社会の秩序を踏み附けている。これも危険である。それに実生活の上でも、籍を社会党に置いている。Artzibaschewアルチバシエフ は個人主義の元祖 Stirnerスチルネル を崇拝していて、革命家を主人公にした小説を多く出す。これも危険である。それに肺病で体が悪くなって、精神までが変調を来している。
フランスとベルジックとの文学で、Maupassantモオパッサン の書いたものには、毒を以て毒を制するトルストイ伯の評のとおりに、なんのために書いたのだという趣意がない。無理想で、amoralアモラル である。狙ねらわずに鉄砲を打つほど危険な事はない。あの男はとうとう追躡ついじょう妄想で自殺してしまった。Maeterlinckマアテルリンク は Monnaモンナ Vannaワンナ のような奸通劇かんつうげきを書く。危険極まる。
イタリアの文学で、D'Annunzioダヌンチオ は小説にも脚本にも、色彩の濃い筆を使って、性欲生活を幅広に写している。「死せる市」では兄と妹との間の恋をさえ書いた。これが危険でないなら、世の中に危険なものはあるまい。
【#福州部分小区禁止外卖车辆进入#走访:福州小区对外卖车辆有“禁入”规定的不在少数】3月14日中午,鼓楼区龙峰雅居园小区前不时停放着各外卖平台的送货车辆。一位“达达快送”骑手边看订单信息边在小区小跑,他告诉记者:“还好这个小区比较小,不至于耽误太长时间。”该小区门口张贴的告示显示:永辉、饿了么等外卖车辆一律不得进入本小区。保安王师傅说,他看到提着较多物品的骑手会让对方驶进小区,但有时被业主看到,便会遭到投诉。“夜班保安比较严格,不允许外卖电动车进小区,保安和骑手经常发生争吵。”
记者观察到,龙峰雅居园小区附近的省直屏东城小区则对外卖车辆没有限制,外卖员可以直接骑到楼下。
台江区的福德都会小区,在小区门口醒目处,赫然立着一块“外卖车辆禁止入内,硬闯后果自负”的警示牌;世茂俪园小区同样禁止外卖车辆进入。不过以上小区业主的电动车均可以驶入。记者又走访了晋安区的龙湖盛天·香缇郡、东南花园等小区,发现由于实行“人车分流”制度,不仅外卖车辆,连业主的电动车也只能通过地下车库进入,因此外卖员也只能步行进入小区进行配送。
记者观察到,龙峰雅居园小区附近的省直屏东城小区则对外卖车辆没有限制,外卖员可以直接骑到楼下。
台江区的福德都会小区,在小区门口醒目处,赫然立着一块“外卖车辆禁止入内,硬闯后果自负”的警示牌;世茂俪园小区同样禁止外卖车辆进入。不过以上小区业主的电动车均可以驶入。记者又走访了晋安区的龙湖盛天·香缇郡、东南花园等小区,发现由于实行“人车分流”制度,不仅外卖车辆,连业主的电动车也只能通过地下车库进入,因此外卖员也只能步行进入小区进行配送。
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