オデュッセウス
概要
オデュッセウスはトロイ攻めに参加した他の英雄たちが腕自慢の豪傑たちであるのに対して頭を使って勝負するタイプの知将とされ、「足の速いオデュッセウス」「策略巧みなオデュッセウス」と呼ばれる。ホメーロス以来、女神アテーナーの寵厚い英雄として書かれる。
イタケー王ラーエルテースとアンティクレイアの子で、妻はペーネロペー、息子はテーレマコスである。なお、シーシュポスが父とする説もある。
トロイア戦争ではパラメーデースの頓智でアカイア勢に加勢させられ、アキレウスの死後はその武具を大アイアースと争って勝利した。また、木馬の策を立案し、アカイア勢を勝利に導いた。
オデュッセウスの貴種流離譚である長い帰還の旅にちなみ、長い苦難の旅路を「オデュッセイ、オデュッセイア」という修辞で表すこともある。啓蒙や理性の奸智の代名詞のようにもいわれ、テオドール・アドルノ/マックス・ホルクハイマーの「啓蒙の弁証法」でも取り上げられる。
オデュッセウスが難破して裸体でスケリア島に漂着したところを助けた、純粋無垢の代表としての清らかな王女ナウシカアに対置されることもある。姦計としての理性対愛という対立構造で近世市民社会の論理を語るのに、オデュッセウスとナウシカアを対置させた哲学者も存在する。
トロイア戦争以前
誕生時にイタケーを訪れていた母方の祖父アウトリュコスが孫への命名を頼まれ、 「自分は今まで多くの人間に憎まれてきた(オデュッサメノス)ので、憎まれ者(オデュッセウス)がよい」と名付けたという。
この命名の逸話自体は『オデュッセイア』作中の第19歌で語られるところであるが、考証学上は「オデュッセウス」の語源はギリシャ語ではなく、インド・ヨーロッパ語族以外の異民族言語によるものと考察され、ホメロスの時代までにギリシャ語の似た言葉にあわせて逸話がつくりあげられたと推測されている。
テュンダレオースの娘ヘレネーの結婚に際してギリシア中から多くの求婚者が集まったが、テュンダレオースは誰が選ばれても残りの男たちの恨みを買うだろうと恐れた。そこでオデュッセウスはテュンダレオースに妙案を授ける代わりに、ヘレネーの従姉妹で付き添いをしていたペーネロペーとの結婚を取り持って欲しいと提案した。テュンダレオースは承諾し、オデュッセウスの案に従い「誰が選ばれても、夫となったものが困難に陥ったならば求婚者全員で助ける」という誓いが結ばれた。テュンダレオースは約束通りオデュッセウスの結婚に協力し、オデュッセウスはペーネロペーと結婚することができた。
ヘレネーがパリスに連れ去られたことで、メネラオスはかつての求婚者たちに誓いに基づき、彼女を奪還するのに協力するよう求めた。オデュッセウスは戦への参加を厭い、狂気を装った。神託が予言するには、もし戦に出たならば、故郷に帰るのはずっと後になるということだったからである。オデュッセウスは、ロバと雄牛に鋤を引かせ(歩幅が異なるので鋤の効率が悪くなる)、地に塩を蒔いた。パラメーデースは、アガメムノンの要請により、オデュッセウスの狂気を明かそうとして、鋤の正面にオデュッセウスの幼い息子テーレマコスを置くと、オデュッセウスの鋤は息子を避けたので、狂気の扮装は暴露された。それゆえ、オデュッセウスは、故郷から引き離される原因となったパラメーデースを戦争中も憎んだ。
オデュッセウスと他のアガメムノンの使節は、スキュロスに赴き、アキレウスを仲間に加えようと望んだ。というのも、彼を欠いては、トロイアは陥落しないと予言されていたからである。しかし、アキレウスの母テティスは、アキレウスを女装させ、アカイア勢の目を逃れようとしていた。なぜなら、神託によると、アキレウスは、平穏無事に長生きするか、もしくは永遠の名声を得る代わりに若くして死ぬかのいずれかであると予言されていたからである。
しかし、オデュッセウスは、前に立つ女性たちの誰がアキレウスなのかを見出すことに成功した。他の女性は装飾品にしか目を向けなかったものの、アキレウスだけ武器に興味を示したからである。さらに、オデュッセウスは、戦のホルンを鳴らし、アキレウスが武器を握りしめて戦士としての本来の性格を見せるのを鼓舞した。アキレウスの扮装もまた暴露されたので、アガメムノンらのアカイア勢に参加することになった。
トロイの木馬
トロイの木馬を立案し、これによって10年間続いたトロイア戦争に終止符を打った。トロイの木馬には、ネオプトレモス、メネラーオス、オデュッセウス、ディオメーデース、ピロクテーテース、小アイアースなどの猛将たちが乗り込んだ。木馬の準備が完了すると、アカイア軍は、陣営を焼き払って撤退を装い、敵を欺くためにシノーンだけを残して、近くのテネドス島へと待機した。シノーンはトロイア人に捕まり、拷問にかけられるが「ギリシア人は逃げ去った。木馬はアテーナーの怒りを鎮めるために作ったものだ。そして、なぜこれほど巨大なのかといえば、この木馬がイーリオス城内に入ると、この戦争にギリシア人が負けると予言者カルカースに予言されたためである」と説明してトロイア人を欺き通し、木馬を戦利品として城内に運び込むように誘導した。この計画は、木馬を怪しんだラーオコーンとカッサンドラーによって見破られそうになるが、アカイア勢に味方するポセイドーンが海蛇を送り込んでラーオコーンとその息子たちを殺したため、神罰を恐れて木馬を破壊しようとする者はいなくなった。
城門は、木馬を通すには狭かったので、一部を破壊して通し、アテーナーの神殿に奉納した。その後、トロイア人は、市を挙げて宴会を開き、全市民が酔いどれ眠りこけた。守衛さえも手薄になっていた。市民たちが寝静まった夜、木馬からオデュッセウスたちが出てきて、計画通り松明でテネドス島のギリシア勢に合図を送り、彼らを引き入れた。その後、ギリシア勢は、イーリオス市内で暴れ回った。酔って眠りこけていたトロイア人たちは、反撃することができず、アイネイアースなどの例外を除いて討たれてしまった。トロイアの王プリアモスもネオプトレモスに殺され、ここにトロイアは滅亡した。
トロイア戦争以後
トロイア戦争に勝利したオデュッセウスは故国イタケーを目指して航海を開始したが、トロイア戦争よりも長く辛い旅路が彼を待ち受けていた。本来彼は北に航路を取るべきだったが、激しい嵐に見舞われて遥か南のリビアの方へと流されてしまった。これが苦難の始まりであり、ホメロスの『オデュッセイア』で語られるところである。以下では『オデュッセイア』を下に記述する。
ロートパゴス族
リュビアーの西部に住んでいたロートパゴス族は、ロートスの木というナツメに似た木の果実を食べて生活していた。漂着した土地を探索していたオデュッセウスの部下たちはロートパゴス族と遭遇し、彼らからロートスの果実(一説には花)をもらって食した。すると、ロートスがあまりに美味だったので、それを食べた部下はみなオデュッセウスの命令も望郷の念も忘れてしまい、この土地に住みたいと思うようになった。ロートスの果実には食べた者を夢の世界に誘い、眠ること以外何もしたくなくなるという効力があった。このためオデュッセウスは嫌がる部下たちを無理やり船まで引きずって行き、他の部下がロートスを食べないうちに出航した。
キュクロープスの島
オデュッセウス一行が1つ目の巨人キュクロープスたちの住む島に来た時、彼らはキュクロープスたちによって洞窟に閉じ込められた。部下たちが2人ずつ食べられていくうち、オデュッセウスは持っていたワインをキュクロープスの1人ポリュペーモスに飲ませて機嫌を取った。これに気をよくしたポリュペーモスは、オデュッセウスの名前を尋ね、オデュッセウスが「ウーティス」(「誰でもない」の意)と名乗ると、ポリュペーモスは「おまえを最後に食べてやろう」と言った。
ポリュペーモスが酔い潰れて眠り込んだところ、オデュッセウスは部下たちと協力してポリュペーモスの眼を潰した。ポリュペーモスは大きな悲鳴を上げ、それを聞いた仲間のキュクロープスたちが集まってきたが、誰にやられたと聞かれてポリュペーモスが「ウーティス(誰でもない)」と答えるばかりであったため、キュクロープスたちは皆帰ってしまった。
オデュッセウスたちは羊の腹の下に隠れて洞窟を脱出し、船に戻って島から離れた。この時、興奮したオデュッセウスが本当の名を明かしてキュクロープスを嘲笑したため、ポリュペーモスはオデュッセウスに罰を与えるよう父ポセイドーンに祈り、以後ポセイドーンはオデュッセウスの帰還を何度も妨害することになった。ポリュペーモスがオデュッセウスによって眼を潰されることは、エウリュモスの子テーレモスによって予言されていたという。
アイオロスの島
ポセイドーンによって嵐を送り込まれ、オデュッセウスは風の神アイオロスの島であるアイオリア島に漂着した。アイオロスは彼を歓待し、無事に帰還できるように西風ゼピュロスを詰めた革袋を与えた。航海の邪魔になる荒ぶる逆風たちは別の革袋に封じ込めてくれた。西風のおかげでオデュッセウスは順調に航海することができたが、部下が逆風を封じ込めた革袋を空けてしまい、再びアイオリア島に戻ってしまった。今度はアイオロスは「神々の怒りを受けている」とし、オデュッセウスを冷酷に追い返してしまった。
ライストリュゴネス人
風の力を失ったので、オデュッセウス一行は自ら漕いで進まねばならなかった。部下たちは疲れ切り、休ませようと近くの島に寄港することにした。そこは入り江がとても狭く、入ることも出ることも容易ではなかった。部下たちの船は入り江の内側に繋いだが、オデュッセウスの船は入り江の外側に繋いだ。この島は夜が極端に短く、更に巨大で腕力もあるライストリュゴネス人が住んでいた。この巨人は難破した船や寄港した船の船員たちを食べる恐ろしい怪物であった。ライストリュゴネス人は大岩を投げ付けて船を壊し、部下たちを次々と丸呑みにしていった。残った船が出航して逃げようにも入り江が狭くてなかなか抜け出せず、もたもたしている内に大岩を当てられて大破してしまった。この島から逃げ切ることができたのは入り江の外側に繋いでいたオデュッセウスの船だけであり、ライストリュゴネス人によって多くの部下を失った。
魔女キルケーの住む島
多くの部下を失ったオデュッセウスは、イタリア西海岸にあるアイアイエー島へと立ち寄った。この島には魔女キルケーの館があり、強力な魔力を誇る彼女が支配していた。キルケーは妖艶な美女であり、美しい声で男を館に招き入れては、その魔法で動物に変身させていた。偵察に出掛けたオデュッセウスの部下も例外ではなく、オデュッセウスは部下の救出に向かわねばならなかった。その途中でヘルメスから魔法を無効化する薬(モーリュと呼ばれ、花は乳白色、根は漆黒の薬草で、人間には掘り当てることが難しい魔法の薬草であった)を授かり、それを飲んでキルケーの館へと臨んだ。
キルケーはキュケオンという飲み物と恐るべき薬を調合してオデュッセウスに差し出し、彼を動物へと変貌させようとしたが、モーリュの効力により魔法は全て無効化され、動物へと変身することはなかった。魔法の効かないオデュッセウスに驚き、好意を抱いたキルケーは、動物に変じていた部下たちを元の姿に戻し、侍女たちに食事や酒を用意させて心から歓待した。疲れ切っていたオデュッセウス一行もそれを受け入れ、約一年の間この島に留まることとなった。
一年後、故国イタケへの思いが再び起こり、オデュッセウス一行は旅立つことを決意した。キルケーは悲しんだが、強い思いを持つ彼らを送り出すことにした。その際、「冥界にいるテイレシアスという預言者の亡霊と話すように」と助言した。また、冥界へと行く方法も伝授した。
概要
オデュッセウスはトロイ攻めに参加した他の英雄たちが腕自慢の豪傑たちであるのに対して頭を使って勝負するタイプの知将とされ、「足の速いオデュッセウス」「策略巧みなオデュッセウス」と呼ばれる。ホメーロス以来、女神アテーナーの寵厚い英雄として書かれる。
イタケー王ラーエルテースとアンティクレイアの子で、妻はペーネロペー、息子はテーレマコスである。なお、シーシュポスが父とする説もある。
トロイア戦争ではパラメーデースの頓智でアカイア勢に加勢させられ、アキレウスの死後はその武具を大アイアースと争って勝利した。また、木馬の策を立案し、アカイア勢を勝利に導いた。
オデュッセウスの貴種流離譚である長い帰還の旅にちなみ、長い苦難の旅路を「オデュッセイ、オデュッセイア」という修辞で表すこともある。啓蒙や理性の奸智の代名詞のようにもいわれ、テオドール・アドルノ/マックス・ホルクハイマーの「啓蒙の弁証法」でも取り上げられる。
オデュッセウスが難破して裸体でスケリア島に漂着したところを助けた、純粋無垢の代表としての清らかな王女ナウシカアに対置されることもある。姦計としての理性対愛という対立構造で近世市民社会の論理を語るのに、オデュッセウスとナウシカアを対置させた哲学者も存在する。
トロイア戦争以前
誕生時にイタケーを訪れていた母方の祖父アウトリュコスが孫への命名を頼まれ、 「自分は今まで多くの人間に憎まれてきた(オデュッサメノス)ので、憎まれ者(オデュッセウス)がよい」と名付けたという。
この命名の逸話自体は『オデュッセイア』作中の第19歌で語られるところであるが、考証学上は「オデュッセウス」の語源はギリシャ語ではなく、インド・ヨーロッパ語族以外の異民族言語によるものと考察され、ホメロスの時代までにギリシャ語の似た言葉にあわせて逸話がつくりあげられたと推測されている。
テュンダレオースの娘ヘレネーの結婚に際してギリシア中から多くの求婚者が集まったが、テュンダレオースは誰が選ばれても残りの男たちの恨みを買うだろうと恐れた。そこでオデュッセウスはテュンダレオースに妙案を授ける代わりに、ヘレネーの従姉妹で付き添いをしていたペーネロペーとの結婚を取り持って欲しいと提案した。テュンダレオースは承諾し、オデュッセウスの案に従い「誰が選ばれても、夫となったものが困難に陥ったならば求婚者全員で助ける」という誓いが結ばれた。テュンダレオースは約束通りオデュッセウスの結婚に協力し、オデュッセウスはペーネロペーと結婚することができた。
ヘレネーがパリスに連れ去られたことで、メネラオスはかつての求婚者たちに誓いに基づき、彼女を奪還するのに協力するよう求めた。オデュッセウスは戦への参加を厭い、狂気を装った。神託が予言するには、もし戦に出たならば、故郷に帰るのはずっと後になるということだったからである。オデュッセウスは、ロバと雄牛に鋤を引かせ(歩幅が異なるので鋤の効率が悪くなる)、地に塩を蒔いた。パラメーデースは、アガメムノンの要請により、オデュッセウスの狂気を明かそうとして、鋤の正面にオデュッセウスの幼い息子テーレマコスを置くと、オデュッセウスの鋤は息子を避けたので、狂気の扮装は暴露された。それゆえ、オデュッセウスは、故郷から引き離される原因となったパラメーデースを戦争中も憎んだ。
オデュッセウスと他のアガメムノンの使節は、スキュロスに赴き、アキレウスを仲間に加えようと望んだ。というのも、彼を欠いては、トロイアは陥落しないと予言されていたからである。しかし、アキレウスの母テティスは、アキレウスを女装させ、アカイア勢の目を逃れようとしていた。なぜなら、神託によると、アキレウスは、平穏無事に長生きするか、もしくは永遠の名声を得る代わりに若くして死ぬかのいずれかであると予言されていたからである。
しかし、オデュッセウスは、前に立つ女性たちの誰がアキレウスなのかを見出すことに成功した。他の女性は装飾品にしか目を向けなかったものの、アキレウスだけ武器に興味を示したからである。さらに、オデュッセウスは、戦のホルンを鳴らし、アキレウスが武器を握りしめて戦士としての本来の性格を見せるのを鼓舞した。アキレウスの扮装もまた暴露されたので、アガメムノンらのアカイア勢に参加することになった。
トロイの木馬
トロイの木馬を立案し、これによって10年間続いたトロイア戦争に終止符を打った。トロイの木馬には、ネオプトレモス、メネラーオス、オデュッセウス、ディオメーデース、ピロクテーテース、小アイアースなどの猛将たちが乗り込んだ。木馬の準備が完了すると、アカイア軍は、陣営を焼き払って撤退を装い、敵を欺くためにシノーンだけを残して、近くのテネドス島へと待機した。シノーンはトロイア人に捕まり、拷問にかけられるが「ギリシア人は逃げ去った。木馬はアテーナーの怒りを鎮めるために作ったものだ。そして、なぜこれほど巨大なのかといえば、この木馬がイーリオス城内に入ると、この戦争にギリシア人が負けると予言者カルカースに予言されたためである」と説明してトロイア人を欺き通し、木馬を戦利品として城内に運び込むように誘導した。この計画は、木馬を怪しんだラーオコーンとカッサンドラーによって見破られそうになるが、アカイア勢に味方するポセイドーンが海蛇を送り込んでラーオコーンとその息子たちを殺したため、神罰を恐れて木馬を破壊しようとする者はいなくなった。
城門は、木馬を通すには狭かったので、一部を破壊して通し、アテーナーの神殿に奉納した。その後、トロイア人は、市を挙げて宴会を開き、全市民が酔いどれ眠りこけた。守衛さえも手薄になっていた。市民たちが寝静まった夜、木馬からオデュッセウスたちが出てきて、計画通り松明でテネドス島のギリシア勢に合図を送り、彼らを引き入れた。その後、ギリシア勢は、イーリオス市内で暴れ回った。酔って眠りこけていたトロイア人たちは、反撃することができず、アイネイアースなどの例外を除いて討たれてしまった。トロイアの王プリアモスもネオプトレモスに殺され、ここにトロイアは滅亡した。
トロイア戦争以後
トロイア戦争に勝利したオデュッセウスは故国イタケーを目指して航海を開始したが、トロイア戦争よりも長く辛い旅路が彼を待ち受けていた。本来彼は北に航路を取るべきだったが、激しい嵐に見舞われて遥か南のリビアの方へと流されてしまった。これが苦難の始まりであり、ホメロスの『オデュッセイア』で語られるところである。以下では『オデュッセイア』を下に記述する。
ロートパゴス族
リュビアーの西部に住んでいたロートパゴス族は、ロートスの木というナツメに似た木の果実を食べて生活していた。漂着した土地を探索していたオデュッセウスの部下たちはロートパゴス族と遭遇し、彼らからロートスの果実(一説には花)をもらって食した。すると、ロートスがあまりに美味だったので、それを食べた部下はみなオデュッセウスの命令も望郷の念も忘れてしまい、この土地に住みたいと思うようになった。ロートスの果実には食べた者を夢の世界に誘い、眠ること以外何もしたくなくなるという効力があった。このためオデュッセウスは嫌がる部下たちを無理やり船まで引きずって行き、他の部下がロートスを食べないうちに出航した。
キュクロープスの島
オデュッセウス一行が1つ目の巨人キュクロープスたちの住む島に来た時、彼らはキュクロープスたちによって洞窟に閉じ込められた。部下たちが2人ずつ食べられていくうち、オデュッセウスは持っていたワインをキュクロープスの1人ポリュペーモスに飲ませて機嫌を取った。これに気をよくしたポリュペーモスは、オデュッセウスの名前を尋ね、オデュッセウスが「ウーティス」(「誰でもない」の意)と名乗ると、ポリュペーモスは「おまえを最後に食べてやろう」と言った。
ポリュペーモスが酔い潰れて眠り込んだところ、オデュッセウスは部下たちと協力してポリュペーモスの眼を潰した。ポリュペーモスは大きな悲鳴を上げ、それを聞いた仲間のキュクロープスたちが集まってきたが、誰にやられたと聞かれてポリュペーモスが「ウーティス(誰でもない)」と答えるばかりであったため、キュクロープスたちは皆帰ってしまった。
オデュッセウスたちは羊の腹の下に隠れて洞窟を脱出し、船に戻って島から離れた。この時、興奮したオデュッセウスが本当の名を明かしてキュクロープスを嘲笑したため、ポリュペーモスはオデュッセウスに罰を与えるよう父ポセイドーンに祈り、以後ポセイドーンはオデュッセウスの帰還を何度も妨害することになった。ポリュペーモスがオデュッセウスによって眼を潰されることは、エウリュモスの子テーレモスによって予言されていたという。
アイオロスの島
ポセイドーンによって嵐を送り込まれ、オデュッセウスは風の神アイオロスの島であるアイオリア島に漂着した。アイオロスは彼を歓待し、無事に帰還できるように西風ゼピュロスを詰めた革袋を与えた。航海の邪魔になる荒ぶる逆風たちは別の革袋に封じ込めてくれた。西風のおかげでオデュッセウスは順調に航海することができたが、部下が逆風を封じ込めた革袋を空けてしまい、再びアイオリア島に戻ってしまった。今度はアイオロスは「神々の怒りを受けている」とし、オデュッセウスを冷酷に追い返してしまった。
ライストリュゴネス人
風の力を失ったので、オデュッセウス一行は自ら漕いで進まねばならなかった。部下たちは疲れ切り、休ませようと近くの島に寄港することにした。そこは入り江がとても狭く、入ることも出ることも容易ではなかった。部下たちの船は入り江の内側に繋いだが、オデュッセウスの船は入り江の外側に繋いだ。この島は夜が極端に短く、更に巨大で腕力もあるライストリュゴネス人が住んでいた。この巨人は難破した船や寄港した船の船員たちを食べる恐ろしい怪物であった。ライストリュゴネス人は大岩を投げ付けて船を壊し、部下たちを次々と丸呑みにしていった。残った船が出航して逃げようにも入り江が狭くてなかなか抜け出せず、もたもたしている内に大岩を当てられて大破してしまった。この島から逃げ切ることができたのは入り江の外側に繋いでいたオデュッセウスの船だけであり、ライストリュゴネス人によって多くの部下を失った。
魔女キルケーの住む島
多くの部下を失ったオデュッセウスは、イタリア西海岸にあるアイアイエー島へと立ち寄った。この島には魔女キルケーの館があり、強力な魔力を誇る彼女が支配していた。キルケーは妖艶な美女であり、美しい声で男を館に招き入れては、その魔法で動物に変身させていた。偵察に出掛けたオデュッセウスの部下も例外ではなく、オデュッセウスは部下の救出に向かわねばならなかった。その途中でヘルメスから魔法を無効化する薬(モーリュと呼ばれ、花は乳白色、根は漆黒の薬草で、人間には掘り当てることが難しい魔法の薬草であった)を授かり、それを飲んでキルケーの館へと臨んだ。
キルケーはキュケオンという飲み物と恐るべき薬を調合してオデュッセウスに差し出し、彼を動物へと変貌させようとしたが、モーリュの効力により魔法は全て無効化され、動物へと変身することはなかった。魔法の効かないオデュッセウスに驚き、好意を抱いたキルケーは、動物に変じていた部下たちを元の姿に戻し、侍女たちに食事や酒を用意させて心から歓待した。疲れ切っていたオデュッセウス一行もそれを受け入れ、約一年の間この島に留まることとなった。
一年後、故国イタケへの思いが再び起こり、オデュッセウス一行は旅立つことを決意した。キルケーは悲しんだが、強い思いを持つ彼らを送り出すことにした。その際、「冥界にいるテイレシアスという預言者の亡霊と話すように」と助言した。また、冥界へと行く方法も伝授した。
#CRI日语新闻# 【<全人代>盧丹代表 「甘いスモモ産業」を全国の模範に】現在開催中の中国全国人民代表大会の議場では、独特な民族衣装を身にまとった盧丹代表(議員)の姿も見られます。中国南西部の貴州省出身で1990年代生まれ代表を有名にしたのは、「蜂糖李」という品種のスモモです。
現在開催中の中国全国人民代表大会では、中国の55の少数民族の一つ、ブイ族の民族衣装を身にまとった盧丹代表は中国南西部の貴州省出身で1990年代生まれ、「蜂糖李」という品種のスモモで有名になりました。https://t.cn/A6Y1nbMV
現在開催中の中国全国人民代表大会では、中国の55の少数民族の一つ、ブイ族の民族衣装を身にまとった盧丹代表は中国南西部の貴州省出身で1990年代生まれ、「蜂糖李」という品種のスモモで有名になりました。https://t.cn/A6Y1nbMV
#五等分的花嫁[超话]#
tsutaya新谷 Orange Day
#五等分的花嫁#
(机翻)4月14日是橘子日,这一天保证了两个人的爱,并送出橘子和橘子的礼物,因为橘子有新娘喜悦的花语。
4月14日はオレンジが花嫁の喜びという花言葉を持つことから2人の愛を確かなものにし、オレンジやオレンジ色のプレゼントを贈る日「オレンジデー」です。
そんな日を過ごす、オレンジ色の綺麗なドレスに身を包んだ中野家の五つ子ちゃん達の姿を描いた素敵なグッズの数々は見ているだけで幸せいっぱいになること間違いなしです!
tsutaya新谷 Orange Day
#五等分的花嫁#
(机翻)4月14日是橘子日,这一天保证了两个人的爱,并送出橘子和橘子的礼物,因为橘子有新娘喜悦的花语。
4月14日はオレンジが花嫁の喜びという花言葉を持つことから2人の愛を確かなものにし、オレンジやオレンジ色のプレゼントを贈る日「オレンジデー」です。
そんな日を過ごす、オレンジ色の綺麗なドレスに身を包んだ中野家の五つ子ちゃん達の姿を描いた素敵なグッズの数々は見ているだけで幸せいっぱいになること間違いなしです!
✋热门推荐