『チェイサーゲームWパワハラ上司は私の元カノ』全8話放送が終了しました
ご覧いただいたみなさま、どうもありがとうございました✨
テレビ東京さんで初の題材を扱った作品で、
中村ゆりかさんとW主演を任せていただけた事、本当にありがたかったです。
観てくださった方の心に少しでも寄り添えるものにできたらという想いと、何とか役目を果たしたいという気持ちで駆け抜けた日々でした。
演じさせていただいた「春本樹」はとても真っ直ぐで、正義感の強い女性です。人生の中で沢山迷いながらも愛する人を大切に行動していく素晴らしさを樹から教えてもらいました
放送開始から、沢山の応援コメントや嬉しいお言葉をいただき、本当に本当に励まされました!
視聴者のみなさまが一緒に作り上げてくださった作品だったな、と改めて感じております
お仕事×恋愛ドラマとして楽しんでいただけたことも嬉しかったです!
思いがけず世界の方々からの反響もいただき、
LGBTQ+専門の全世界配信プラットフォーム『GaGaOOLala』にて配信していただき、GL/LESジャンルランキングで1位を獲得できたことも驚きでした。
応援していただき、本当にありがとうございました
この物語を通して少しでも心が軽くなったり、自分らしくいられるお手伝いができていたら何より幸せです。
そして私事になりますが、今回のドラマがグループ卒業後初出演初W主演となりました。
テレビ東京プロデューサーの中村晋野さんをはじめとした現場スタッフの皆さまが本当に温かく、快適な環境を用意してくださり、心より感謝しております。
また、中村ゆりかさんがとても魅力的な冬雨を演じられ、現場でも仲良く楽しく、素敵な関係性を築くことができ、沢山力になって頂きました。
ゆりかさんと一緒に切磋琢磨し、濃い時間を過ごすことができ、本当に楽しく貴重な経験となりました
クランクアップの日、原作の松本洋さんから松島幸太郎さん直筆の素敵なイラストをいただき感激しました
どうもありがとうございました✨
また、出演者のみなさまお一人お一人と対峙する時間はかけがえのないものとなりました。
他にも、プロデューサーの柴原祐一さん、脚本家のアサダアツシさん
監督・脚本の太田勇さん、
監督の山口将幸さん・井木義和さん、、
監修してくださった飯田光穂さん、カメラマンの藤本さん、衣装の松本さん、メイクの和田さん、サイバーコネクトツーのみなさま、、、等々ここには書ききれない位の多くの方々に支えていただきました。
単独初出演ドラマが『チェイサーゲームW』で本当に光栄でした。
どうもありがとうございました。
視聴者のみなさまが明日からも大切な人と心からの笑顔で過ごされますように。。。
ぜひTVerで何度でもお楽しみくださいね✨
そしてそして
嬉しいことに「いつ×ふゆ ファンイベント」の開催も決定しました
こたらも楽しみましょう✨
<開催日時>
2024年4月13日(土)
【第1部】開場13:15 / 開演14:00
【第2部】開場17:15 / 開演18:00
<会場>
山野ホール (東京都渋谷区代々木1丁目53−1)
<チケット販売>
▼2024年2月29日(木)12:00 ~ 3月10日(日)23:59
お会いできるのを楽しみにしています
#チェイサーゲームw
#chasergamew #ドラマ
#中村ゆりか さん#菊地姫奈 さん#椛島光 さん
#花柳のぞみ さん#うらじぬの さん#秋山加奈 ちゃん
#yuukastagram
ご覧いただいたみなさま、どうもありがとうございました✨
テレビ東京さんで初の題材を扱った作品で、
中村ゆりかさんとW主演を任せていただけた事、本当にありがたかったです。
観てくださった方の心に少しでも寄り添えるものにできたらという想いと、何とか役目を果たしたいという気持ちで駆け抜けた日々でした。
演じさせていただいた「春本樹」はとても真っ直ぐで、正義感の強い女性です。人生の中で沢山迷いながらも愛する人を大切に行動していく素晴らしさを樹から教えてもらいました
放送開始から、沢山の応援コメントや嬉しいお言葉をいただき、本当に本当に励まされました!
視聴者のみなさまが一緒に作り上げてくださった作品だったな、と改めて感じております
お仕事×恋愛ドラマとして楽しんでいただけたことも嬉しかったです!
思いがけず世界の方々からの反響もいただき、
LGBTQ+専門の全世界配信プラットフォーム『GaGaOOLala』にて配信していただき、GL/LESジャンルランキングで1位を獲得できたことも驚きでした。
応援していただき、本当にありがとうございました
この物語を通して少しでも心が軽くなったり、自分らしくいられるお手伝いができていたら何より幸せです。
そして私事になりますが、今回のドラマがグループ卒業後初出演初W主演となりました。
テレビ東京プロデューサーの中村晋野さんをはじめとした現場スタッフの皆さまが本当に温かく、快適な環境を用意してくださり、心より感謝しております。
また、中村ゆりかさんがとても魅力的な冬雨を演じられ、現場でも仲良く楽しく、素敵な関係性を築くことができ、沢山力になって頂きました。
ゆりかさんと一緒に切磋琢磨し、濃い時間を過ごすことができ、本当に楽しく貴重な経験となりました
クランクアップの日、原作の松本洋さんから松島幸太郎さん直筆の素敵なイラストをいただき感激しました
どうもありがとうございました✨
また、出演者のみなさまお一人お一人と対峙する時間はかけがえのないものとなりました。
他にも、プロデューサーの柴原祐一さん、脚本家のアサダアツシさん
監督・脚本の太田勇さん、
監督の山口将幸さん・井木義和さん、、
監修してくださった飯田光穂さん、カメラマンの藤本さん、衣装の松本さん、メイクの和田さん、サイバーコネクトツーのみなさま、、、等々ここには書ききれない位の多くの方々に支えていただきました。
単独初出演ドラマが『チェイサーゲームW』で本当に光栄でした。
どうもありがとうございました。
視聴者のみなさまが明日からも大切な人と心からの笑顔で過ごされますように。。。
ぜひTVerで何度でもお楽しみくださいね✨
そしてそして
嬉しいことに「いつ×ふゆ ファンイベント」の開催も決定しました
こたらも楽しみましょう✨
<開催日時>
2024年4月13日(土)
【第1部】開場13:15 / 開演14:00
【第2部】開場17:15 / 開演18:00
<会場>
山野ホール (東京都渋谷区代々木1丁目53−1)
<チケット販売>
▼2024年2月29日(木)12:00 ~ 3月10日(日)23:59
お会いできるのを楽しみにしています
#チェイサーゲームw
#chasergamew #ドラマ
#中村ゆりか さん#菊地姫奈 さん#椛島光 さん
#花柳のぞみ さん#うらじぬの さん#秋山加奈 ちゃん
#yuukastagram
池松壮亮氏は、2003年の映画デビュー以来、60本近い出演作のジャンルを問わず、常に映画の中で存在感を示し、その空間の品位を高めることに貢献してきた。2023年も「せかいのおきく」では下層の青年役をリアルに演じ、「白鍵と黒鍵の間に」では市井のピアニストに扮(ふん)し、そして「シン・仮面ライダー」では、苦悩するスーパーヒーローを演じた。それぞれ監督との強い共犯関係を築き、一貫して真摯に役柄に取り組み、映像表現の新たな可能性を提示してみせた。今後のさらなる飛躍を期待したい。
ギリシア火薬
使用方法
ギリシア火薬の主な使用方法は以下の通りである。これは同じ物質と離れて充填され、チューブまたはサイフォンを介して放射される。投入は艦船の接舷時または包囲時である。携帯型の放射装置(cheirosiphōnes)も存在し、レオーン6世の発明とみなされている。東ローマ帝国の軍事説明書では、ギリシア火薬と鉄びしを充填した壺(「kytrai」または「tzykalia」)を同じくギリシア火薬で湿した麻屑でくるみ、これをカタパルトで投射するほか、海戦においてピボット式のクレーン(gerania)は敵艦の上からギリシア火薬を降らせるよう用いられたと記述している。「cheirosiphōnes」は特に陸上戦および包囲戦において投入された。幾人かの10世紀の軍事史家は、これらは両方とも攻城兵器または防壁上の守備兵に対するものであるとし、これら兵器の投入の模様はビザンチウムのヘロの手による『Poliorcetica』によって描写されている。通常、東ローマ帝国軍のデュロモイ船はサイフォンを船首下部に内蔵していたが、さらに追加の装置を船のどこか別の場所に設置することもしばしば可能だった。例えば941年、東ローマ帝国の人々が極めて多数のルーシ艦隊と向き合うことを迫られたとき、サイフォンは船の中央部に、そして後方にさえ配置された。
サイフォンによる放射
サイフォンの使用は、当時の資料から充分証明される。アンナ・コムネナは、軍艦の艦首に装備される、獣の形をとったギリシア火薬放射装置について以下のような説明を行っている。
"As he [the Emperor Alexios I] knew that the Pisans were skilled in sea warfare and dreaded a battle with them, on the prow of each ship he had a head fixed of a lion or other land-animal, made in brass or iron with the mouth open and then gilded over, so that their mere aspect was terrifying. And the fire which was to be directed against the enemy through tubes he made to pass through the mouths of the beasts, so that it seemed as if the lions and the other similar monsters were vomiting the fire."(彼(アレクシオス1世コムネノス)が知っていたように、ピサ人は海戦に通じており、またこれらと戦うのを恐れていた。どの船の船首上にもある装置は、ライオンか陸上生物の頭部を固定してあり、真鍮か鉄で作られ、口は開かれ、さらに金メッキが施されていた。そのためこれらは全く恐ろしい風貌だった。またその炎は、この装置の、獣の口を通り抜けるチューブを介して敵へと指向されるようになっており、そのためこれはライオンや他の怪物が炎を噴き出しているように見えた。)
いくつかの資料では、メカニズム全体の構成と作動上のより詳しい情報を提示する。ヴォルフェンビュッテルの原稿は特に以下のような説明を提供している。
"...having built a furnace right at the front of the ship, they set on it a copper vessel full of these things, having put fire underneath. And one of them, having made a bronze tube similar to that which the rustics call a squitiatoria, "squirt", with which boys play, they spray [it] at the enemy."(……船の真正面に炉を造っており、彼らはその上にこれらの物質で満たされた銅の容器を置き、この下部では火が焚かれていた。そしてこれらのうちの一つは、田舎者が「squitiatoria、(水鉄砲)」と呼び、子供が遊ぶようなものに似たブロンズ製のチューブになっており、これらの装置が敵へ向けて[それ]を放射した。)
また別の、そしておそらくギリシア火薬の使用について直接説明するものは、11世紀の『遠征王ユングヴァルのサガ』に見られる。そこではヴァイキングである遠征王ユングヴァルがギリシア火薬のサイフォンを装備した艦船と対面している。
"[They] began blowing with smiths’ bellows at a furnace in which there was fire and there came from it a great din. There stood there also a brass [or bronze] tube and from it flew much fire against one ship, and it burned up in a short time so that all of it became white ashes..."(「[彼らは]鍛冶屋のふいごで火の焚かれた炉を吹き始め、またそこからは巨大な騒音がやって来た。そこにはまた、真鍮や[ブロンズ製]のチューブが立っており、さらにそこから多量の炎が一隻の船へと吹き付けられ、短い時間にそれが燃え上がったために、その全てが白い灰と化した……)
この説明は潤色されているが、他の資料から知られるギリシア火薬の他の多くの特徴、例えばその放出に伴う大きな騒音と一致する[71]。これら2つの説明文はまた、物質が放出される前に炉の上で加熱されたとはっきり記述しているただ2つの資料でもある。この情報の有効性は疑問を免れないが、現代の装置の再建ではこれらの資料を信頼した[72][73]。
これらの説明と東ローマ帝国の資料に基づき、ジョン・ハルドンとモーリス・バーンは3つの主要な部分からなる装置全体を再建した。一つのブロンズ製ポンプ(σίφων、サイフォン)、これは油に圧力をかけるのに用いられた。金属製の火鉢(πρόπυρον、「propyron」、予熱器)、これは油の加熱に使われた。そしてノズル(στρεπτόν、「strepton」)は青銅で被覆され、回り継ぎ手の上に据え付けられていた[74]。金属製の火鉢は多量のリネンや亜麻を燃やして強い加熱を作り出し、また特徴的な濃い煙を上げた。この上部には1基の気密タンクがあり、中に入った油と他の物質が加熱され、また、樹脂を溶かして液状の混合物にする過程も補助した。 物質は加熱と圧力ポンプの使用によって圧縮をかけられた。これが適切な圧力に達した後、気密タンクに回り継ぎ手で連結されたバルブが開かれると、混合物は終わりまで放出され、口の部分で炎を生み出すいくつかの点火源により着火した。炎の強い加熱により、鉄製の防楯(βουκόλια、「boukolia」)の存在が必要となったが、これは艦隊の目録によって証明されている。
上昇圧力が加熱された油を容易に吹き飛ばせたため、そうした事故の状況の記録こそ無いものの、全ての過程は危険に満ちていた[78][79]。2002年にハルドンによって実施された実験はテレビ番組『マシンズ・タイムズ・フォゴット(忘れられた時代の機械)』のエピソード「Fireship(火船)」のためのものであったが、この実験では現代の溶接技術でさえ圧力下におけるブロンズ製タンクの十分な気密確保に失敗した。これにより、タンクとノズルの間に圧力ポンプを再配置するに至った。こうした論拠から建造された実物大の装置は、東ローマ帝国人が利用できた簡易な材料と技術であっても機構の設計とその効果を確立した。実験は木の樹脂を混ぜ合わせた原油を使い、摂氏1,000度以上(華氏1,830度)の炎と、最高15メートル(49フィート)の効果範囲を作り出した。
携帯型サイフォン
携帯型の「cheirosiphōn」、ハンドサイフォンは、現代の火炎放射器に似る最も初期のものである。これは広汎に10世紀の軍の文書で証明されており、海上と陸上の両方での使用が推奨されていた。これらが最初に出現するのはレオーン6世の『タクティカ』の文中であり、彼はこれらを発明したと主張している。後代の著者も「cheirosiphōnes」の言及を続け、それは特に攻城塔に対する使用に関するものだった。ニケフォロス2世フォカスも野戦軍でのこれらの使用について助言したが、これは敵部隊の陣形を崩すことを狙ったものだった。レオーン6世もニケフォロス2世も共に主張することは、ハンドサイフォンに使用される物質には、船上で使われる固定装置と同じ物質を用いたこと、携帯型サイフォンはより大型の類似物と明白に異なっていたことである。ハルドンとブリンは、この装置が基本的に異なるもので、「敵を後退させるため、単純なシリンジによって液火(おそらく着火せず)と有毒な液体の両方を噴出させた」という説を立てた。しかし、ヘロの『Poliorcetica』の図が示すように、手持ち式のサイフォンも着火された物質を放射した。
手榴弾
最初期の形態では、可燃性の布に包んだ球体に点火するという方法で、ギリシア火薬は敵軍の頭上へ投擲された。これにはおそらくフラスコが含まれており、小型のカタパルト様の投射兵器も用いられた。もっとも可能性が高いものは、海上輸送型のローマ製小型カタパルト、もしくはオナガーである。これらは軽量の投射体、6kgから9kgのものを350mから450mほど投擲できた。後世の機械加工技術の改良により、近距離において流体の燃焼流を放出するポンプ機構の考案を可能とし、海戦で木造船を焼き払った。こうした兵器は軍勢の攻囲に対して使われるとき、陸上でも非常に効果的だった。
使用方法
ギリシア火薬の主な使用方法は以下の通りである。これは同じ物質と離れて充填され、チューブまたはサイフォンを介して放射される。投入は艦船の接舷時または包囲時である。携帯型の放射装置(cheirosiphōnes)も存在し、レオーン6世の発明とみなされている。東ローマ帝国の軍事説明書では、ギリシア火薬と鉄びしを充填した壺(「kytrai」または「tzykalia」)を同じくギリシア火薬で湿した麻屑でくるみ、これをカタパルトで投射するほか、海戦においてピボット式のクレーン(gerania)は敵艦の上からギリシア火薬を降らせるよう用いられたと記述している。「cheirosiphōnes」は特に陸上戦および包囲戦において投入された。幾人かの10世紀の軍事史家は、これらは両方とも攻城兵器または防壁上の守備兵に対するものであるとし、これら兵器の投入の模様はビザンチウムのヘロの手による『Poliorcetica』によって描写されている。通常、東ローマ帝国軍のデュロモイ船はサイフォンを船首下部に内蔵していたが、さらに追加の装置を船のどこか別の場所に設置することもしばしば可能だった。例えば941年、東ローマ帝国の人々が極めて多数のルーシ艦隊と向き合うことを迫られたとき、サイフォンは船の中央部に、そして後方にさえ配置された。
サイフォンによる放射
サイフォンの使用は、当時の資料から充分証明される。アンナ・コムネナは、軍艦の艦首に装備される、獣の形をとったギリシア火薬放射装置について以下のような説明を行っている。
"As he [the Emperor Alexios I] knew that the Pisans were skilled in sea warfare and dreaded a battle with them, on the prow of each ship he had a head fixed of a lion or other land-animal, made in brass or iron with the mouth open and then gilded over, so that their mere aspect was terrifying. And the fire which was to be directed against the enemy through tubes he made to pass through the mouths of the beasts, so that it seemed as if the lions and the other similar monsters were vomiting the fire."(彼(アレクシオス1世コムネノス)が知っていたように、ピサ人は海戦に通じており、またこれらと戦うのを恐れていた。どの船の船首上にもある装置は、ライオンか陸上生物の頭部を固定してあり、真鍮か鉄で作られ、口は開かれ、さらに金メッキが施されていた。そのためこれらは全く恐ろしい風貌だった。またその炎は、この装置の、獣の口を通り抜けるチューブを介して敵へと指向されるようになっており、そのためこれはライオンや他の怪物が炎を噴き出しているように見えた。)
いくつかの資料では、メカニズム全体の構成と作動上のより詳しい情報を提示する。ヴォルフェンビュッテルの原稿は特に以下のような説明を提供している。
"...having built a furnace right at the front of the ship, they set on it a copper vessel full of these things, having put fire underneath. And one of them, having made a bronze tube similar to that which the rustics call a squitiatoria, "squirt", with which boys play, they spray [it] at the enemy."(……船の真正面に炉を造っており、彼らはその上にこれらの物質で満たされた銅の容器を置き、この下部では火が焚かれていた。そしてこれらのうちの一つは、田舎者が「squitiatoria、(水鉄砲)」と呼び、子供が遊ぶようなものに似たブロンズ製のチューブになっており、これらの装置が敵へ向けて[それ]を放射した。)
また別の、そしておそらくギリシア火薬の使用について直接説明するものは、11世紀の『遠征王ユングヴァルのサガ』に見られる。そこではヴァイキングである遠征王ユングヴァルがギリシア火薬のサイフォンを装備した艦船と対面している。
"[They] began blowing with smiths’ bellows at a furnace in which there was fire and there came from it a great din. There stood there also a brass [or bronze] tube and from it flew much fire against one ship, and it burned up in a short time so that all of it became white ashes..."(「[彼らは]鍛冶屋のふいごで火の焚かれた炉を吹き始め、またそこからは巨大な騒音がやって来た。そこにはまた、真鍮や[ブロンズ製]のチューブが立っており、さらにそこから多量の炎が一隻の船へと吹き付けられ、短い時間にそれが燃え上がったために、その全てが白い灰と化した……)
この説明は潤色されているが、他の資料から知られるギリシア火薬の他の多くの特徴、例えばその放出に伴う大きな騒音と一致する[71]。これら2つの説明文はまた、物質が放出される前に炉の上で加熱されたとはっきり記述しているただ2つの資料でもある。この情報の有効性は疑問を免れないが、現代の装置の再建ではこれらの資料を信頼した[72][73]。
これらの説明と東ローマ帝国の資料に基づき、ジョン・ハルドンとモーリス・バーンは3つの主要な部分からなる装置全体を再建した。一つのブロンズ製ポンプ(σίφων、サイフォン)、これは油に圧力をかけるのに用いられた。金属製の火鉢(πρόπυρον、「propyron」、予熱器)、これは油の加熱に使われた。そしてノズル(στρεπτόν、「strepton」)は青銅で被覆され、回り継ぎ手の上に据え付けられていた[74]。金属製の火鉢は多量のリネンや亜麻を燃やして強い加熱を作り出し、また特徴的な濃い煙を上げた。この上部には1基の気密タンクがあり、中に入った油と他の物質が加熱され、また、樹脂を溶かして液状の混合物にする過程も補助した。 物質は加熱と圧力ポンプの使用によって圧縮をかけられた。これが適切な圧力に達した後、気密タンクに回り継ぎ手で連結されたバルブが開かれると、混合物は終わりまで放出され、口の部分で炎を生み出すいくつかの点火源により着火した。炎の強い加熱により、鉄製の防楯(βουκόλια、「boukolia」)の存在が必要となったが、これは艦隊の目録によって証明されている。
上昇圧力が加熱された油を容易に吹き飛ばせたため、そうした事故の状況の記録こそ無いものの、全ての過程は危険に満ちていた[78][79]。2002年にハルドンによって実施された実験はテレビ番組『マシンズ・タイムズ・フォゴット(忘れられた時代の機械)』のエピソード「Fireship(火船)」のためのものであったが、この実験では現代の溶接技術でさえ圧力下におけるブロンズ製タンクの十分な気密確保に失敗した。これにより、タンクとノズルの間に圧力ポンプを再配置するに至った。こうした論拠から建造された実物大の装置は、東ローマ帝国人が利用できた簡易な材料と技術であっても機構の設計とその効果を確立した。実験は木の樹脂を混ぜ合わせた原油を使い、摂氏1,000度以上(華氏1,830度)の炎と、最高15メートル(49フィート)の効果範囲を作り出した。
携帯型サイフォン
携帯型の「cheirosiphōn」、ハンドサイフォンは、現代の火炎放射器に似る最も初期のものである。これは広汎に10世紀の軍の文書で証明されており、海上と陸上の両方での使用が推奨されていた。これらが最初に出現するのはレオーン6世の『タクティカ』の文中であり、彼はこれらを発明したと主張している。後代の著者も「cheirosiphōnes」の言及を続け、それは特に攻城塔に対する使用に関するものだった。ニケフォロス2世フォカスも野戦軍でのこれらの使用について助言したが、これは敵部隊の陣形を崩すことを狙ったものだった。レオーン6世もニケフォロス2世も共に主張することは、ハンドサイフォンに使用される物質には、船上で使われる固定装置と同じ物質を用いたこと、携帯型サイフォンはより大型の類似物と明白に異なっていたことである。ハルドンとブリンは、この装置が基本的に異なるもので、「敵を後退させるため、単純なシリンジによって液火(おそらく着火せず)と有毒な液体の両方を噴出させた」という説を立てた。しかし、ヘロの『Poliorcetica』の図が示すように、手持ち式のサイフォンも着火された物質を放射した。
手榴弾
最初期の形態では、可燃性の布に包んだ球体に点火するという方法で、ギリシア火薬は敵軍の頭上へ投擲された。これにはおそらくフラスコが含まれており、小型のカタパルト様の投射兵器も用いられた。もっとも可能性が高いものは、海上輸送型のローマ製小型カタパルト、もしくはオナガーである。これらは軽量の投射体、6kgから9kgのものを350mから450mほど投擲できた。後世の機械加工技術の改良により、近距離において流体の燃焼流を放出するポンプ機構の考案を可能とし、海戦で木造船を焼き払った。こうした兵器は軍勢の攻囲に対して使われるとき、陸上でも非常に効果的だった。
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