マジ疲れた,
真的好累啊,
伸し掛かる色んな事,
身边的事情永远处理不完,
そんな時でもいつでも,
可无论何时一直愿意陪伴我身边的,
側に居てくれた,
是你啊,
僕の推し全てに癒された,
你把我的一切都治愈啦!
貴方は知らないけど救われた,
虽然你不知道就是了…,
もう遠くへ行かないで,
拜托不要离我更远了,
だけどまだ止まらないで,
但是也不希望你停止步伐,
永遠に一番だから,
反正你在我心里已经是第一啦,
死んでも好きなままだよ,
到死都会一直喜欢你的哦,
だけどね!
但是呢!
僕のリスナーちゃん聞いて!
听众们请听我说!
貴方のお陰で,
多亏了我推,
調子に乗って笑って生きてる,
我才能顺利地在这世上笑着活着,
言葉にできないほどの,
无法言说的,
無垢な可愛い愛情,
对你纯洁无垢的爱恋,
貴方は僕にとってナンバーワンさ,
你真的真的是我心里的NO.1啦,
もちろん一生,
一生不变,
やっぱ推しが命,
果然我推就是我的生命啊,
僕は君が命,
你 就是我的生命啊,
お互い沸いてる,
我们浸润在彼此爱的喜悦里,
いっつとぅるーらぶ,
It's true love,
音ではぐ。
用声音来拥抱,
マジ疲れた,
真的好累啊,
伸し掛かる色んな事,
身边的事情还是处理不完,
そんな時でもいつでも,
无论何时一直愿意陪伴我身边的,
側に居てくれた,
是你啊,
僕の推し全てに癒された,
我的一切都被你治愈啦!
貴方は知らないけど救われた,
虽然你不知道就是了~,
もう遠くへ行かないで,
拜托不要离我更远了,
だけどまだ止まらないで,
但是也不希望你停止步伐,
永遠に一番だから,
反正你在我心里是永远的第一啦,
死んでも好きなままだよ,
即使死了也会一直喜欢你的,
この距離は変わらないよ,
我与你之间的距离不会改变,
大丈夫、止まらないよ,
不要担心 我不会停下奔向你的步伐,
永遠に一番だから,
你永远是我的最爱,
死んでも好きなままだよ,
至死不渝。
真的好累啊,
伸し掛かる色んな事,
身边的事情永远处理不完,
そんな時でもいつでも,
可无论何时一直愿意陪伴我身边的,
側に居てくれた,
是你啊,
僕の推し全てに癒された,
你把我的一切都治愈啦!
貴方は知らないけど救われた,
虽然你不知道就是了…,
もう遠くへ行かないで,
拜托不要离我更远了,
だけどまだ止まらないで,
但是也不希望你停止步伐,
永遠に一番だから,
反正你在我心里已经是第一啦,
死んでも好きなままだよ,
到死都会一直喜欢你的哦,
だけどね!
但是呢!
僕のリスナーちゃん聞いて!
听众们请听我说!
貴方のお陰で,
多亏了我推,
調子に乗って笑って生きてる,
我才能顺利地在这世上笑着活着,
言葉にできないほどの,
无法言说的,
無垢な可愛い愛情,
对你纯洁无垢的爱恋,
貴方は僕にとってナンバーワンさ,
你真的真的是我心里的NO.1啦,
もちろん一生,
一生不变,
やっぱ推しが命,
果然我推就是我的生命啊,
僕は君が命,
你 就是我的生命啊,
お互い沸いてる,
我们浸润在彼此爱的喜悦里,
いっつとぅるーらぶ,
It's true love,
音ではぐ。
用声音来拥抱,
マジ疲れた,
真的好累啊,
伸し掛かる色んな事,
身边的事情还是处理不完,
そんな時でもいつでも,
无论何时一直愿意陪伴我身边的,
側に居てくれた,
是你啊,
僕の推し全てに癒された,
我的一切都被你治愈啦!
貴方は知らないけど救われた,
虽然你不知道就是了~,
もう遠くへ行かないで,
拜托不要离我更远了,
だけどまだ止まらないで,
但是也不希望你停止步伐,
永遠に一番だから,
反正你在我心里是永远的第一啦,
死んでも好きなままだよ,
即使死了也会一直喜欢你的,
この距離は変わらないよ,
我与你之间的距离不会改变,
大丈夫、止まらないよ,
不要担心 我不会停下奔向你的步伐,
永遠に一番だから,
你永远是我的最爱,
死んでも好きなままだよ,
至死不渝。
管輅
管 輅(かん ろ、209年 - 256年)は、中国三国時代の占師。字は公明。冀州平原郡の人。弟は管辰・他一名。
経歴
管輅は占いによって先を見通す能力があったと言われ、そのことは『三国志』「方技伝」において記述されている。
管輅は幼少期から星を見るのが好きで、成人してから易経などの勉学に励んだ。そのため、占師としての不思議な能力が身についたと言われている。だが、素性の怪しい者と平気で付き合う一面があったことから、彼を慕う人物は少なかったものの、いつも素直な心で人に接したので、決して嫌われていたわけではなかったという。また、犯罪が起こると犯人を言い当てたため、やがて彼の回りから犯罪が絶えたという。さらに射覆(器の中に物を入れて中身を当てさせる遊び)をすると、ほとんど間違いなく中身を言い当てた。
人の誕生日や寿命を占いによって言い当てることができた。劉奉林という者の妻の病が重くなり、正月頃には棺や葬送の道具も一式買い揃えられたが、管輅は占って「八月辛卯の日の日中の時刻がご寿命です」と言った。劉奉林がこれを信じず、また妻の病も快方に向かったが、秋になって病が再発し、結局その妻は管輅の言った時刻に亡くなった。また鍾毓の元を管輅が訪れた時、鍾毓が自分の誕生日を占わせると、管輅はぴたりと言い当て些かな狂いも生じさせなかった。このため鍾毓は大いに驚き、寿命を占わせることをしないようにさせたという。
正始9年(248年)12月28日、曹爽の側近として羽振りをきかせていた何晏に招待された。何晏は「三公に出世できるか」と彼に質問し、さらに「蝿が数十匹、鼻の頭にたかって、追い払っても逃げていかないという夢を見た。これは何を意味しているのか」と問うた。管輅は「鼻はあなたの地位を表すものですが、そこに蝿という醜悪なものが寄ってまいりました。これは、険しい所に地位を占める者は転がり落ち、他人を侮り傲るものは滅びるという証です」と警告した。何晏の側近が「そんなことは年寄り共のいつもの言いぐさだ」と反論すると、管輅は「年寄りという者は、生を超えたものを見ることができます。ですからいつもの言いぐさの中に、言葉を超えた深い意味が表れるのでございます」と答えた。何晏はこれらのやり取りを聴いた後、管輅に「年が明けたら、もう一度会おう」と言った。
帰宅してから母の兄弟の夏氏(名は不明)にこのことを話すと、夏氏は「発言が明け透け過ぎている」と責めた。管輅が「死人と話をしているのに、何を恐れる必要がありましょうや」と言ったので、夏氏は怒り、「気が狂ったのではないか」と思った。ところが、年が明けて十日もしない内に何晏たちが司馬懿に殺されたので、夏氏も敬服したという。『管輅別伝』によると管輅は何晏について、裴冀州(裴徽)・鄧尚書(鄧颺)・劉太常(劉寔)・劉潁川(劉智)と共に「この5人と話すと、精神が清らかに活動して眠くなる暇もない」と評価していた。一方で、何晏誅殺後には「彼は小さな巧みさを才能にしていた」と評している。
正元2年(255年)、弟の管辰は「大将軍(司馬昭)はあなたに厚意を持っていますから、富貴な身分が望めますね」と言った。しかし、管輅は自分の寿命が47歳か48歳の頃に尽きるであろうと予言した。そして予言通り、翌3年(256年)2月、48歳の時に病死した。
『三国志演義』における管輅
小説『三国志演義』では神憑りの占師として登場し、19歳で寿命が尽きる男(後述)・魯粛の死・曹操の支配下である許昌で金禕らの反乱が起きること・劉備の漢中侵攻・夏侯淵の戦死、を予言する。
『演義』で出てくる有名な話としては、19歳になる趙顔という若者の顔相を見て、趙顔があと数日で死ぬことを告げる話がある。自らの死を伸ばして貰おうと趙顔が管輅に嘆願すると、「碁を打つ老人二人が桑の木の下にいるので、饗して寿命を延ばして貰うように頼め」と伝えられる。趙顔がすがる思いでその老人二人と会い、管輅に言われた通りに持て成し、寿命を延ばして貰うように頼んでみると、その老人は十九と書かれた紙に九を加えて九十九とする。すると趙顔の寿命が延び、数日経過しても死ぬことがなくなったというのである。後日、趙顔が管輅に二人の老人のことについて聞くと「あの老人達は死を司る「北斗」と、生を司る「南斗」であったのだ」と伝えられたことになっている。
管辂(209年[19]-256年),字公明,平原郡平原县(今山东省平原县)人。三国时期曹魏术士。管辂自幼喜观看星辰,少年时攻读过《诗经》《论语》和《周易》,成年后精通《周易》与仰观风角占相之道。正始年间(240年-248年),通晓天文地理,多在清河、巨鹿、广平诸郡等在活动。正始九年(247年),清河太守召请三十六岁的管辂出任清河文学掾。次年,管辂被任命为冀州治中、别驾。正元三年(256年),去世,时年四十八岁[。管辂一生著述甚丰,主要有《周易通灵诀》2 卷、《周易通灵要诀》1 卷、《破躁经》1 卷、《占箕》1 卷,给后人留下了宝贵的文化遗产。
管 輅(かん ろ、209年 - 256年)は、中国三国時代の占師。字は公明。冀州平原郡の人。弟は管辰・他一名。
経歴
管輅は占いによって先を見通す能力があったと言われ、そのことは『三国志』「方技伝」において記述されている。
管輅は幼少期から星を見るのが好きで、成人してから易経などの勉学に励んだ。そのため、占師としての不思議な能力が身についたと言われている。だが、素性の怪しい者と平気で付き合う一面があったことから、彼を慕う人物は少なかったものの、いつも素直な心で人に接したので、決して嫌われていたわけではなかったという。また、犯罪が起こると犯人を言い当てたため、やがて彼の回りから犯罪が絶えたという。さらに射覆(器の中に物を入れて中身を当てさせる遊び)をすると、ほとんど間違いなく中身を言い当てた。
人の誕生日や寿命を占いによって言い当てることができた。劉奉林という者の妻の病が重くなり、正月頃には棺や葬送の道具も一式買い揃えられたが、管輅は占って「八月辛卯の日の日中の時刻がご寿命です」と言った。劉奉林がこれを信じず、また妻の病も快方に向かったが、秋になって病が再発し、結局その妻は管輅の言った時刻に亡くなった。また鍾毓の元を管輅が訪れた時、鍾毓が自分の誕生日を占わせると、管輅はぴたりと言い当て些かな狂いも生じさせなかった。このため鍾毓は大いに驚き、寿命を占わせることをしないようにさせたという。
正始9年(248年)12月28日、曹爽の側近として羽振りをきかせていた何晏に招待された。何晏は「三公に出世できるか」と彼に質問し、さらに「蝿が数十匹、鼻の頭にたかって、追い払っても逃げていかないという夢を見た。これは何を意味しているのか」と問うた。管輅は「鼻はあなたの地位を表すものですが、そこに蝿という醜悪なものが寄ってまいりました。これは、険しい所に地位を占める者は転がり落ち、他人を侮り傲るものは滅びるという証です」と警告した。何晏の側近が「そんなことは年寄り共のいつもの言いぐさだ」と反論すると、管輅は「年寄りという者は、生を超えたものを見ることができます。ですからいつもの言いぐさの中に、言葉を超えた深い意味が表れるのでございます」と答えた。何晏はこれらのやり取りを聴いた後、管輅に「年が明けたら、もう一度会おう」と言った。
帰宅してから母の兄弟の夏氏(名は不明)にこのことを話すと、夏氏は「発言が明け透け過ぎている」と責めた。管輅が「死人と話をしているのに、何を恐れる必要がありましょうや」と言ったので、夏氏は怒り、「気が狂ったのではないか」と思った。ところが、年が明けて十日もしない内に何晏たちが司馬懿に殺されたので、夏氏も敬服したという。『管輅別伝』によると管輅は何晏について、裴冀州(裴徽)・鄧尚書(鄧颺)・劉太常(劉寔)・劉潁川(劉智)と共に「この5人と話すと、精神が清らかに活動して眠くなる暇もない」と評価していた。一方で、何晏誅殺後には「彼は小さな巧みさを才能にしていた」と評している。
正元2年(255年)、弟の管辰は「大将軍(司馬昭)はあなたに厚意を持っていますから、富貴な身分が望めますね」と言った。しかし、管輅は自分の寿命が47歳か48歳の頃に尽きるであろうと予言した。そして予言通り、翌3年(256年)2月、48歳の時に病死した。
『三国志演義』における管輅
小説『三国志演義』では神憑りの占師として登場し、19歳で寿命が尽きる男(後述)・魯粛の死・曹操の支配下である許昌で金禕らの反乱が起きること・劉備の漢中侵攻・夏侯淵の戦死、を予言する。
『演義』で出てくる有名な話としては、19歳になる趙顔という若者の顔相を見て、趙顔があと数日で死ぬことを告げる話がある。自らの死を伸ばして貰おうと趙顔が管輅に嘆願すると、「碁を打つ老人二人が桑の木の下にいるので、饗して寿命を延ばして貰うように頼め」と伝えられる。趙顔がすがる思いでその老人二人と会い、管輅に言われた通りに持て成し、寿命を延ばして貰うように頼んでみると、その老人は十九と書かれた紙に九を加えて九十九とする。すると趙顔の寿命が延び、数日経過しても死ぬことがなくなったというのである。後日、趙顔が管輅に二人の老人のことについて聞くと「あの老人達は死を司る「北斗」と、生を司る「南斗」であったのだ」と伝えられたことになっている。
管辂(209年[19]-256年),字公明,平原郡平原县(今山东省平原县)人。三国时期曹魏术士。管辂自幼喜观看星辰,少年时攻读过《诗经》《论语》和《周易》,成年后精通《周易》与仰观风角占相之道。正始年间(240年-248年),通晓天文地理,多在清河、巨鹿、广平诸郡等在活动。正始九年(247年),清河太守召请三十六岁的管辂出任清河文学掾。次年,管辂被任命为冀州治中、别驾。正元三年(256年),去世,时年四十八岁[。管辂一生著述甚丰,主要有《周易通灵诀》2 卷、《周易通灵要诀》1 卷、《破躁经》1 卷、《占箕》1 卷,给后人留下了宝贵的文化遗产。
#王样战队国王者#
【最終回編】
49話いかがだったでしょうか?
バーチャルプロダクションとしても「キングオージャー」の集大成となった49話のお話をして、1年間に渡ったこのプロダクションノートを閉じたいと思います。
まず、49話の“色”を決めたのは、なんといっても最終組用に作ったアセットだったのではないでしょうか? 荒廃したシュゴッダムの街は、シュゴッダムのアセットを元にして作られています。荒野にシュゴッダムのオブジェクトを足しているので、背景には今まで見てきたシュゴッダムの要素が感じられたと思います。驚くべきはそのスピード感。パイロットの撮影の時とは比べ物にならないくらいのスピードで完成し、現場のアセットチームによって各バトルシーンに則したライティングの背景があてがわれました。
方々に散りばめられた炎と煙。夏の劇場版でトウフの国を燃やし、本編の37話でもずっと燃え続ける背景を可能にしたアセットを利用すれば、何も難しいことはありません。カメラの前には1年間で積み上げてきた歯車や石柱などの美術。攻撃を受けた王様や側近、国民たちの衣裳には汚ごしが入れられます。そのどれもが、1年間で衣裳部とデザイナーたちが作り上げてきたものばかり。各シーンのカットによって、美術は配置され、アセットチームが自分たちで作り上げたアセットを演出します。
監督はアクションチームを含めた全てのキャストに芝居を付けます。
これも1年間演じ続けてきたキャラクター。ご覧になっていただいたように、登場したキャラクターのほぼ総出演によって成し遂げられた49話。1年間かけて成長したキャラクター、1年間演じてきたキャラクターだからこそのお芝居と演出だったと思います。
まさに成すべき人たちが、成すべき場所で、成すべきことを、成すべき時間の中で行った。その仕事の集大成が49話でした。この仕事の最後にピースとして加わっていただいたのが、1年間番組を支えてくださったファンの皆さん。東映特撮ファンクラブの一般応募から各国の国民として参加してくださった皆さんのお陰で、テレビとは思えない大スケールの映像が完成できたのです。改めて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
そして実は背景を埋め尽くした群衆は、実はエキストラの皆さんによるものだけではありませんでした。
背景で戦っている人々の一部は、ソニーPCLの「清澄白河BASE」で撮影されました。ここにも、39話でソニーPCLさんのご協力のもとに採用したボリュメトリックキャプチャの技術が生きてきます。国民全員が戦うと言う大群衆シーンを再現するために、我々は再びボリュメトリックキャプチャを使用させていただいたのです。
「清澄白河BASE」内のボリュメトリックキャプチャスタジオで、まずは3人チーム程度の戦いのパターンを10種類程度撮影し、それを3Dデータにして様々な戦いのシーンの背景に配置しているのです。これによって、隙間の無い戦いのシーンを実現することができました。
これもまた、1年間積み重ねてきたソニーPCLさんとのコラボレーションの集大成でした。初めてこの技術を使用した時には不可能なスピード感と演出で、49話の合戦シーンに非常に有効な群衆を再現することができたと自負しています。
パイロットまでのプロダクションノートは1年間かかりました。でも49話のプロダクションノートは、あれだけのことをやって、ココだけの文章で済みます。前回も書きましたが、バーチャルプロダクションは準備がすべて。準備が上手くいけば(1年間積み重ねてきたスタッフ・キャストという財産が一番大きいですが)、49話のようなスケールの撮影も、いつもの撮影と同じカロリーでできてしまいます。
最終3話、凄まじいスケールでお届けできたと思います。しかし、撮影日数も予算規模もいつもと変わりません。それでも、問題は起きませんでした。「キングオージャー」は成し遂げました。ついに1年間、架空の世界のビジュアルを届け続けることに成功しました。もちろん、まだ足りないことがあるのは分かっています。でも、このスケールで、この日数で、この規模で、1年間を走り抜けることに成功したスタッフを心の底から誇りに思います。
すべての撮影が終わって「やりましたね!」と声を掛け合ったときの、あのスタッフ・キャストの満足感に充ちた顔を一生忘れることはないと思います。この「キングオージャー」が残したバーチャルプロダクションという足跡が、今後の日本のドラマ業界に、どのような形でも良いので、つながってくれることを望んで止みません。
おわり
(文責:大森 敬仁)
【最終回編】
49話いかがだったでしょうか?
バーチャルプロダクションとしても「キングオージャー」の集大成となった49話のお話をして、1年間に渡ったこのプロダクションノートを閉じたいと思います。
まず、49話の“色”を決めたのは、なんといっても最終組用に作ったアセットだったのではないでしょうか? 荒廃したシュゴッダムの街は、シュゴッダムのアセットを元にして作られています。荒野にシュゴッダムのオブジェクトを足しているので、背景には今まで見てきたシュゴッダムの要素が感じられたと思います。驚くべきはそのスピード感。パイロットの撮影の時とは比べ物にならないくらいのスピードで完成し、現場のアセットチームによって各バトルシーンに則したライティングの背景があてがわれました。
方々に散りばめられた炎と煙。夏の劇場版でトウフの国を燃やし、本編の37話でもずっと燃え続ける背景を可能にしたアセットを利用すれば、何も難しいことはありません。カメラの前には1年間で積み上げてきた歯車や石柱などの美術。攻撃を受けた王様や側近、国民たちの衣裳には汚ごしが入れられます。そのどれもが、1年間で衣裳部とデザイナーたちが作り上げてきたものばかり。各シーンのカットによって、美術は配置され、アセットチームが自分たちで作り上げたアセットを演出します。
監督はアクションチームを含めた全てのキャストに芝居を付けます。
これも1年間演じ続けてきたキャラクター。ご覧になっていただいたように、登場したキャラクターのほぼ総出演によって成し遂げられた49話。1年間かけて成長したキャラクター、1年間演じてきたキャラクターだからこそのお芝居と演出だったと思います。
まさに成すべき人たちが、成すべき場所で、成すべきことを、成すべき時間の中で行った。その仕事の集大成が49話でした。この仕事の最後にピースとして加わっていただいたのが、1年間番組を支えてくださったファンの皆さん。東映特撮ファンクラブの一般応募から各国の国民として参加してくださった皆さんのお陰で、テレビとは思えない大スケールの映像が完成できたのです。改めて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
そして実は背景を埋め尽くした群衆は、実はエキストラの皆さんによるものだけではありませんでした。
背景で戦っている人々の一部は、ソニーPCLの「清澄白河BASE」で撮影されました。ここにも、39話でソニーPCLさんのご協力のもとに採用したボリュメトリックキャプチャの技術が生きてきます。国民全員が戦うと言う大群衆シーンを再現するために、我々は再びボリュメトリックキャプチャを使用させていただいたのです。
「清澄白河BASE」内のボリュメトリックキャプチャスタジオで、まずは3人チーム程度の戦いのパターンを10種類程度撮影し、それを3Dデータにして様々な戦いのシーンの背景に配置しているのです。これによって、隙間の無い戦いのシーンを実現することができました。
これもまた、1年間積み重ねてきたソニーPCLさんとのコラボレーションの集大成でした。初めてこの技術を使用した時には不可能なスピード感と演出で、49話の合戦シーンに非常に有効な群衆を再現することができたと自負しています。
パイロットまでのプロダクションノートは1年間かかりました。でも49話のプロダクションノートは、あれだけのことをやって、ココだけの文章で済みます。前回も書きましたが、バーチャルプロダクションは準備がすべて。準備が上手くいけば(1年間積み重ねてきたスタッフ・キャストという財産が一番大きいですが)、49話のようなスケールの撮影も、いつもの撮影と同じカロリーでできてしまいます。
最終3話、凄まじいスケールでお届けできたと思います。しかし、撮影日数も予算規模もいつもと変わりません。それでも、問題は起きませんでした。「キングオージャー」は成し遂げました。ついに1年間、架空の世界のビジュアルを届け続けることに成功しました。もちろん、まだ足りないことがあるのは分かっています。でも、このスケールで、この日数で、この規模で、1年間を走り抜けることに成功したスタッフを心の底から誇りに思います。
すべての撮影が終わって「やりましたね!」と声を掛け合ったときの、あのスタッフ・キャストの満足感に充ちた顔を一生忘れることはないと思います。この「キングオージャー」が残したバーチャルプロダクションという足跡が、今後の日本のドラマ業界に、どのような形でも良いので、つながってくれることを望んで止みません。
おわり
(文責:大森 敬仁)
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