元乃木坂46・伊藤万理華、NHKドラマ初主演 5月11日スタート「パーセント」
2/27(火) 9:48配信
サンケイスポーツ
元乃木坂46の女優、伊藤万理華(28)が、5月11日スタートのNHKドラマ「パーセント」(土曜後10・0、全4回)に主演することが26日、同局から発表された。
ローカルテレビ局「Pテレ」を舞台に、演じるのは「障害のある俳優を起用する」という局の方針に悩みながらも向き合う、若手プロデューサー・未来(みく)。NHKドラマ初主演の大役に挑む。
伊藤は「人との距離感に境界線がなくなればいいのに。数年前から、物創りを通して考えていたタイミングで『パーセント』のお話をいただきました」と切り出すと、「最初は好奇心と恐れで意気込み過ぎていましたが、それは杞憂でした。ハルを演じたユイちゃん(和合由依)のまなざしに何度も胸を打たれ、引っ張られました。かたくなにならずもっとシンプルに、素直に対『人』、対『あなた』に精いっぱい言葉を尽くす。ずっと大切にしてきたことを未来と重ねながら、少しの感情も逃さずに向き合った作品です」とアピールした。
2/27(火) 9:48配信
サンケイスポーツ
元乃木坂46の女優、伊藤万理華(28)が、5月11日スタートのNHKドラマ「パーセント」(土曜後10・0、全4回)に主演することが26日、同局から発表された。
ローカルテレビ局「Pテレ」を舞台に、演じるのは「障害のある俳優を起用する」という局の方針に悩みながらも向き合う、若手プロデューサー・未来(みく)。NHKドラマ初主演の大役に挑む。
伊藤は「人との距離感に境界線がなくなればいいのに。数年前から、物創りを通して考えていたタイミングで『パーセント』のお話をいただきました」と切り出すと、「最初は好奇心と恐れで意気込み過ぎていましたが、それは杞憂でした。ハルを演じたユイちゃん(和合由依)のまなざしに何度も胸を打たれ、引っ張られました。かたくなにならずもっとシンプルに、素直に対『人』、対『あなた』に精いっぱい言葉を尽くす。ずっと大切にしてきたことを未来と重ねながら、少しの感情も逃さずに向き合った作品です」とアピールした。
鸚鵡
――大震覚え書の一つ――
芥川龍之介
これは御覧の通り覚え書に過ぎない。覚え書を覚え書のまま発表するのは時間の余裕よゆうに乏しい為である。或は又その外にも気持の余裕に乏しい為である。しかし覚え書のまま発表することに多少は意味のない訣わけでもない。大正十二年九月十四日記。
本所ほんじよ横網町よこあみちやうに住める一中節いつちうぶしの師匠ししやう。名は鐘大夫かねだいふ。年は六十三歳。十七歳の孫娘と二人暮らしなり。
家は地震にも潰つぶれざりしかど、忽ち近隣に出火あり。孫娘と共に両国りやうごくに走る。携たづさへしものは鸚鵡あうむの籠かごのみ。鸚鵡の名は五郎ごらう。背は鼠色、腹は桃色。芸は錺屋かざりやの槌つちの音と「ナアル」(成程なるほどの略)といふ言葉とを真似まねるだけなり。
両国りやうごくより人形町にんぎやうちやうへ出いづる間あひだにいつか孫娘と離れ離れになる。心配なれども探してゐる暇ひまなし。往来わうらいの人波。荷物の山。カナリヤの籠を持ちし女を見る。待合まちあひの女将おかみかと思はるる服装。「こちとらに似たものもあると思ひました」といふ。その位の余裕はあるものと見ゆ。
鎧橋よろひばしに出づ。町の片側は火事なり。その側かはに面せるに顔、焼くるかと思ふほど熱かりし由。又何か落つると思へば、電線を被おほへる鉛管えんかんの火熱くわねつの為に熔とけ落つるなり。この辺へんより一層人に押され、度たびたび鸚鵡あうむの籠も潰つぶれずやと思ふ。鸚鵡は始終狂ひまはりて已やまず。
丸まるの内うちに出づれば日比谷ひびやの空に火事の煙の揚あがるを見る。警視庁、帝劇などの焼け居りしならん。やつと楠くすのきの銅像のほとりに至る。芝の上に坐りしかど、孫娘のことが気にかかりてならず。大声に孫娘の名を呼びつつ、避難民の間あひだを探しまはる。日暮にちぼ。遂に松のかげに横はる。隣りは店員数人をつれたる株屋。空は火事の煙の為、どちらを見てもまつ赤かなり。鸚鵡、突然「ナアル」といふ。
翌日も丸の内一帯より日比谷迄まで、孫娘を探しまはる。「人形町なり両国なりへ引つ返さうといふ気は出ませんでした」といふ。午ひるごろより饑渇きかつを覚ゆること切なり。やむを得ず日比谷の池の水を飲む。孫娘は遂に見つからず。夜は又丸の内の芝の上に横はる。鸚鵡の籠を枕べに置きつつ、人に盗ぬすまれはせぬかと思ふ。日比谷の池の家鴨あひるを食くらへる避難民を見たればなり。空にはなほ火事の明あかりを見る。
三日みつかは孫娘を断念し、新宿しんじゆくの甥をひを尋たづねんとす。桜田さくらだより半蔵門はんざうもんに出づるに、新宿も亦また焼けたりと聞き、谷中やなかの檀那寺だんなでらを手頼たよらばやと思ふ。饑渇きかつ愈いよいよ甚だし。「五郎を殺すのは厭いやですが、おちたら食はうと思ひました」といふ。九段上くだんうへへ出づる途中、役所の小使らしきものにやつと玄米げんまい一合余りを貰ひ、生なまのまま噛かみ砕くだきて食す。又つらつら考へれば、鸚鵡の籠を提さげたるまま、檀那寺だんなでらの世話にはなられぬやうなり。即ち鸚鵡に玄米の残りを食はせ、九段上の濠端ほりばたよりこれを放つ。薄暮はくぼ、谷中の檀那寺に至る。和尚をしやう、親切に幾日でもゐろといふ。
五日いつかの朝、僕の家に来きたる。未いまだ孫娘の行ゆく方へを知らずといふ。意気な平生のお師匠ししやうさんとは思はれぬほど憔悴せうすゐし居たり。
附記。新宿の甥の家は焼けざりし由。孫娘は其処そこに避難し居りし由。
――大震覚え書の一つ――
芥川龍之介
これは御覧の通り覚え書に過ぎない。覚え書を覚え書のまま発表するのは時間の余裕よゆうに乏しい為である。或は又その外にも気持の余裕に乏しい為である。しかし覚え書のまま発表することに多少は意味のない訣わけでもない。大正十二年九月十四日記。
本所ほんじよ横網町よこあみちやうに住める一中節いつちうぶしの師匠ししやう。名は鐘大夫かねだいふ。年は六十三歳。十七歳の孫娘と二人暮らしなり。
家は地震にも潰つぶれざりしかど、忽ち近隣に出火あり。孫娘と共に両国りやうごくに走る。携たづさへしものは鸚鵡あうむの籠かごのみ。鸚鵡の名は五郎ごらう。背は鼠色、腹は桃色。芸は錺屋かざりやの槌つちの音と「ナアル」(成程なるほどの略)といふ言葉とを真似まねるだけなり。
両国りやうごくより人形町にんぎやうちやうへ出いづる間あひだにいつか孫娘と離れ離れになる。心配なれども探してゐる暇ひまなし。往来わうらいの人波。荷物の山。カナリヤの籠を持ちし女を見る。待合まちあひの女将おかみかと思はるる服装。「こちとらに似たものもあると思ひました」といふ。その位の余裕はあるものと見ゆ。
鎧橋よろひばしに出づ。町の片側は火事なり。その側かはに面せるに顔、焼くるかと思ふほど熱かりし由。又何か落つると思へば、電線を被おほへる鉛管えんかんの火熱くわねつの為に熔とけ落つるなり。この辺へんより一層人に押され、度たびたび鸚鵡あうむの籠も潰つぶれずやと思ふ。鸚鵡は始終狂ひまはりて已やまず。
丸まるの内うちに出づれば日比谷ひびやの空に火事の煙の揚あがるを見る。警視庁、帝劇などの焼け居りしならん。やつと楠くすのきの銅像のほとりに至る。芝の上に坐りしかど、孫娘のことが気にかかりてならず。大声に孫娘の名を呼びつつ、避難民の間あひだを探しまはる。日暮にちぼ。遂に松のかげに横はる。隣りは店員数人をつれたる株屋。空は火事の煙の為、どちらを見てもまつ赤かなり。鸚鵡、突然「ナアル」といふ。
翌日も丸の内一帯より日比谷迄まで、孫娘を探しまはる。「人形町なり両国なりへ引つ返さうといふ気は出ませんでした」といふ。午ひるごろより饑渇きかつを覚ゆること切なり。やむを得ず日比谷の池の水を飲む。孫娘は遂に見つからず。夜は又丸の内の芝の上に横はる。鸚鵡の籠を枕べに置きつつ、人に盗ぬすまれはせぬかと思ふ。日比谷の池の家鴨あひるを食くらへる避難民を見たればなり。空にはなほ火事の明あかりを見る。
三日みつかは孫娘を断念し、新宿しんじゆくの甥をひを尋たづねんとす。桜田さくらだより半蔵門はんざうもんに出づるに、新宿も亦また焼けたりと聞き、谷中やなかの檀那寺だんなでらを手頼たよらばやと思ふ。饑渇きかつ愈いよいよ甚だし。「五郎を殺すのは厭いやですが、おちたら食はうと思ひました」といふ。九段上くだんうへへ出づる途中、役所の小使らしきものにやつと玄米げんまい一合余りを貰ひ、生なまのまま噛かみ砕くだきて食す。又つらつら考へれば、鸚鵡の籠を提さげたるまま、檀那寺だんなでらの世話にはなられぬやうなり。即ち鸚鵡に玄米の残りを食はせ、九段上の濠端ほりばたよりこれを放つ。薄暮はくぼ、谷中の檀那寺に至る。和尚をしやう、親切に幾日でもゐろといふ。
五日いつかの朝、僕の家に来きたる。未いまだ孫娘の行ゆく方へを知らずといふ。意気な平生のお師匠ししやうさんとは思はれぬほど憔悴せうすゐし居たり。
附記。新宿の甥の家は焼けざりし由。孫娘は其処そこに避難し居りし由。
*自存一份观看完横滨公演后,糸井重里谈到结弦和『RE_PRAY』的文本。
(0220 essay )
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糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの
02月20日の「今日のダーリン」
・数時間前に羽生結弦のアイスストーリー『RE_PRAY』の横浜での公演から帰ってきた。こぼれるくらい感じたものはあるのだが、まだことばにまとめるのは難しい。感じたこと思ったことの断片を、ランダムに記しておく。これはぼく自身が、いずれまたその先を考えるためのメモ。
・羽生結弦はひとりももらさぬようにとばかりに、あらゆる関係者への感謝をことばにしていた。そのことの本気さはとてもよく伝わってきた。ただ、そのたくさんの人たちのおかげでできた表現のずっと「切っ先」で輝いていた男は羽生結弦だ。
・競技スポーツの世界で、採点という「客観に似た視点」が、スケートの愉快さ、おもしろさ、可能性を、狭めてしまうこともあったのかもしれない。その世界の競い合いからスピンアウトした羽生結弦は、「選手」と呼ばれていたとき以上に、表現しきっていた。
・羽生結弦が「ぜんそく」だったことは、まわりまわって、いまの彼の表現に大きな力を与えている。「息」を意識する、「息」についてことばで語る、「息」が生命の鼓動を見えるようにしてくれている。この「息」が止まることがあるのだと知りながら、止まる直前までの絶頂感を、彼は無意識で演出している。
・「なんでもない少年」だったことを羽生結弦は憶えている。その「なんでもない少年」が、あの「とんでもない時間」を生み出せる理由は、人びとの期待を燃料にして爆発させてきたからだ。人の期待とは強力な燃料でもあり危険物でもある。こころからの礼を尽くして取り扱わねばならない。
・神がいるのかいないのかは別にして、羽生結弦とは、なにか大きなものへの捧げ物である。地上の人間たちが、精一杯の丹精を込めて天に捧げる者。そうあってもいいと、本人が覚悟したのだろう。
・俗世間のぼくは思う、神さま、羽生結弦に、「なんでもない幸せ」を毎日のおやつ分くらい与え給えと。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。 この日、彼からの「ありがとう」を何十回聞いただろうか。
(0220 essay )
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糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの
02月20日の「今日のダーリン」
・数時間前に羽生結弦のアイスストーリー『RE_PRAY』の横浜での公演から帰ってきた。こぼれるくらい感じたものはあるのだが、まだことばにまとめるのは難しい。感じたこと思ったことの断片を、ランダムに記しておく。これはぼく自身が、いずれまたその先を考えるためのメモ。
・羽生結弦はひとりももらさぬようにとばかりに、あらゆる関係者への感謝をことばにしていた。そのことの本気さはとてもよく伝わってきた。ただ、そのたくさんの人たちのおかげでできた表現のずっと「切っ先」で輝いていた男は羽生結弦だ。
・競技スポーツの世界で、採点という「客観に似た視点」が、スケートの愉快さ、おもしろさ、可能性を、狭めてしまうこともあったのかもしれない。その世界の競い合いからスピンアウトした羽生結弦は、「選手」と呼ばれていたとき以上に、表現しきっていた。
・羽生結弦が「ぜんそく」だったことは、まわりまわって、いまの彼の表現に大きな力を与えている。「息」を意識する、「息」についてことばで語る、「息」が生命の鼓動を見えるようにしてくれている。この「息」が止まることがあるのだと知りながら、止まる直前までの絶頂感を、彼は無意識で演出している。
・「なんでもない少年」だったことを羽生結弦は憶えている。その「なんでもない少年」が、あの「とんでもない時間」を生み出せる理由は、人びとの期待を燃料にして爆発させてきたからだ。人の期待とは強力な燃料でもあり危険物でもある。こころからの礼を尽くして取り扱わねばならない。
・神がいるのかいないのかは別にして、羽生結弦とは、なにか大きなものへの捧げ物である。地上の人間たちが、精一杯の丹精を込めて天に捧げる者。そうあってもいいと、本人が覚悟したのだろう。
・俗世間のぼくは思う、神さま、羽生結弦に、「なんでもない幸せ」を毎日のおやつ分くらい与え給えと。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。 この日、彼からの「ありがとう」を何十回聞いただろうか。
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