ゼウス
概要
ゼウスはローマ神話ではユーピテル(ジュピター)にあたる。オリュムポスの神々の家族および人類の両方の守護神・支配神であり、神々と人間たちの父と考えられた。
ゼウスは天空神として、全宇宙や雲・雨・雪・雷などの気象を支配していた。キュクロープスの作った雷霆(ケラウノス)を主な武器とする。その威力はオリュンポス最強と謳われるほど強大なもので、この雷霆をゼウスが使えば世界を一撃で熔解させ、全宇宙を焼き尽くすことができる。テューポーンと戦う際には、万物を切り刻む魔法の刃であるアダマスの鎌も武器としていた。雷霆の一撃をも防ぎ、更に敵を石化させるアイギスの肩当て(胸当てや楯という説も)を主な防具とするが、この防具はよく娘のアテーナーに貸し出される。この他にも、「恐怖」という甲冑をギガントマキアーにおいて着用している。
「光輝」と呼ばれる天界の輝きを纏った鎧に山羊革の胸当てをつけ、聖獣は鷲、聖木はオーク。主要な神殿は、オークの木のささやきによって神託を下したエーペイロスの聖地ドードーナ、および4年ごとに彼の栄誉を祝福してオリンピック大祭が開かれたオリュンピアにあった。
系譜
ティーターン神族のクロノスとレアーの末の子(長男の説もある)で、ハーデースとポセイドーンの弟。正妻は姉であるヘーラーであるが、レートーや姉のデーメーテール等の女神をはじめ、多くの人間の女性とも交わり、子をもうけたといわれる。
オリュンポス十二神の中では、メーティスとの間にアテーナー、レートーとの間にアポローンとアルテミス、マイアとの間にヘルメース、ディオーネーとの間にアプロディーテー(ホメーロスより)、ヘーラーとの間にアレース、ヘーパイストス、またテーバイの王女セメレーとの間にディオニューソス、デーメーテール(一説にはステュクス)との間にペルセポネー(あるいはコレー)をもうけた。その他、記憶の女神ムネーモシュネーとの間に9人のムーサたち、海洋の女神エウリュノメーとの間に3人のカリスたち、月の女神セレーネーとの間にパンディーア、ヘルセー、ネメアが誕生した。
また様々な人間の女性との間に、たとえばダナエーとの間にペルセウスを、アルクメーネーとの間にヘーラクレースを、レーダーとの間にディオスクーロイを、アンティオペーとの間にゼートスとアムピーオーンを、エウローペーとの間にミーノースとラダマンテュスとサルペードーンを、カリストーとの間にアルカスを、イーオーとの間にエパポスを、といったように多数の子供たちをもうけたことになっている。これらゼウスの子とされる英雄を半神(ヘロス)といい、古代ギリシアでは下級の神として広く祀られた。これらの伝説は、古代ギリシアの各王家が、自らの祖先をゼウスとするために作り出された系譜とも考えられる。ゼウスが交わったとされる人間の女の中には、もとは地元の地母神であったと考えられるものもいる。女神や人間と交わるときのゼウスはしばしば変化したとされ、ダナエーのときには黄金の雨に、レーダーのときには白鳥に、アンティオペーのときにはサテュロスに、エウローペーのときには白い牡牛に、カリストーのときにはアルテミスに、イーオーのときには雲に変身したといわれる。
神話
正妻たち
ゼウスは最終的にはヘーラーと永遠に結ばれるが、それまでに何度か結婚と離婚を繰り返していた。
メーティス
ゼウスの最初の妻は智恵の女神メーティスであった。彼女はオーケアニデスであり、ティーターン神族の一柱であったが、ティーターノマキアーの際にはゼウスに味方していた。ガイアは「ゼウスとメーティスの間に生まれた男神は父を超える」という予言をした。これを恐れてゼウスは妊娠していたメーティスを呑み込み、子供が生まれないようにした。「どんなものにでも変身できるのなら、水に変身してみせよ」というゼウスの挑発に乗ったメーティスが水に変じたところでこれを飲み干したとも、ゼウスから逃れるために様々な動物に変身していたが、蠅に変身したところで呑み込まれたとも言われる。
あるとき、ゼウスは激しい頭痛に襲われた。そこで、ヘーパイストスに命じて頭を斧で叩き割り、直接原因を探ろうとした。すると、ゼウスの頭から武装し成人したアテーナーが飛び出してきた。その衝撃で世界は停止し、天体の運行も止まった。アテーナーがゼウスとメーティスとの子であり、女神であったために、ガイアの予言は効力を失った。こうしてゼウスは王位簒奪の大いなる運命から解放された。呑み込まれたメーティスはゼウスの智恵となり、ゼウスはメーティスの全知を手に入れた。また、メーティスはアテーナーと共に飛び出てきたという説もある。
テミス
メーティスの智恵を吸収したゼウスは、次にウーラノスとガイアの子である、掟の女神テミスと結婚した。テミスとの間に運命の三女神モイライ、季節の女神ホーラー、正義の女神アストライアーをもうけた。モイライは最初は夜の女神ニュクスの娘であったが、ゼウスは上記のように運命を超越し、モイライを自らの子として再誕生させた。結果として運命すらもゼウスに抗えなくなった。
ヘーラー
ゼウスはヘーラーに目を付け、テミスと結婚中であるにもかかわらず結婚の女神ヘーラーに言い寄った。ゼウスはカッコウに化けてヘーラーに近付き犯そうとしたが、ヘーラーはそれでも尚抵抗を止めなかった。ヘーラーは交わることの条件として結婚を提示した。ヘーラーに魅了されていたゼウスは仕方なくテミスと離婚すると、ヘーラーと結婚し、彼女との間にアレース、ヘーパイストス、ヘーベーなどをもうけた。ヘーラーはゼウスの不貞に対して常に目を光らせ、愛人たちやその子供たちに苛烈な罰を与えるようになった。
愛人たち
ゼウスは好色な神であり、しばしばヘーラーの目を盗んでは浮気を繰り返していた。これは、強力な神々や半神半人を生み出し、全宇宙や人間界の基盤を整えるためでもあった。また、古代ギリシアのみならず、地中海世界の王家が自らの祖先をゼウスとする家系を主張したため、ゼウスは浮気を繰り返す神話を多く持つようになった。ゼウスの愛人は数え切れないほどいるが、その中でも特に有名な愛人たちを以下に記述する。下記の他、ラミアー、アイギーナ、カリストー、エラレー、タレイア、アイトネーなど多くの愛人を持ったことで知られる。
イーオー
ゼウスはイーオーという美女と密通していた。これを見抜いたヘーラーはゼウスに詰め寄るが、ゼウスはイーオーを美しい雌牛に変え、雌牛を愛でていただけであるとした。ヘーラーは策を講じ、その雌牛をゼウスから貰うと、百眼の巨人アルゴスを見張りに付けた。この巨人は身体中に百の眼を持ち、眠る時も半分の50の眼は開いたままであったので、空間的にも時間的にも死角が存在しなかった。ゼウスはイーオー救出の任をヘルメースに命じ、ヘルメースは草笛でアルゴスの全ての眼を眠らせると、その首を剣で切り取った。
雌牛は解放されたが、ヘーラーが虻を送り込んだために雌牛は逃げ惑った。虻から逃げるように様々な地を放浪し、最終的にはエジプトに辿り着き、ここで雌牛は元の姿に戻った。ゼウスとの間にできていた子供であるエパポスをエジプトで出産した。イーオーはデーメーテールの像を立て、イーオーとデーメーテール像はエジプト人にイシスと呼ばれるようになった。
レーダー
アイトーリア王テスティオスの娘で、スパルタ王テュンダレオースの妻であったレーダーにもゼウスは恋した。ゼウスは白鳥に変じ、鷹に追われるふりをしてレーダーの腕に隠れた。レーダーは白鳥のことを想ってそれを拒まなかったが、そこで正体を現したゼウスと交わった。レーダーは二つの卵を産み、一つの卵からはヘレネーとクリュタイムネーストラーが、もう一つの卵からはカストールとポリュデウケース(二人合わせてディオスクーロイとも呼ばれた)が生まれた。ヘレネーとポリュデウケースはゼウスとの子であり、クリュタイムネーストラーとカストールがテュンダレオースとの子であった。ヘレネーは絶世の美女となり、トロイア戦争の原因となった。ポリュデウケースは不死身であった。ゼウスはヘレネーの誕生を記念し、宇宙にはくちょう座を創造した。
エウローペー
エウローペーは、テュロスのフェニキア王アゲーノールとテーレパッサの娘で、美しい姫であった。エウローペーに一目ぼれしたゼウスは誘惑するために、白い牡牛へと変身した。エウローペーは侍女と花を摘んでいる時にその牡牛を見付け、従順な様子に気を許して背にまたがった。その途端に牡牛はエウローペーを連れ去った。ゼウスはヨーロッパ中をエウローペーと共に駆け回ったため、その地域はエウローペーから名前を取って「ヨーロッパ」 (Europa) と呼ばれるようになった。最終的にクレタ島へ辿り着いたゼウスは本来の姿をあらわし、エウローペーはクレタ島で最初の妃となった。ゼウスとの息子には、ミーノースやラダマンテュス、サルペードーンがいる。その後、アステリオスが3人の息子たちの義理の父になった。ゼウスは彼女にタロースと必ず獲物をとらえる猟犬となくなる事のない投げ槍の、3つの贈り物を与えた。その後ゼウスは再び白い牡牛へと姿を変え、星空へと上がり、おうし座になった。
ガニュメーデース
ゼウスはガニュメーデースというトロイアの美少年を攫ったことでも知られている。しかし、これは愛人にするためではなく、神々の給仕係にするためであった。オリュンポスの神々に給仕するのは、もとは大神ゼウスとその正妻ヘーラーの娘、青春の女神であるヘーベーの役割であった。ゼウスの子、英雄ヘーラクレースが、死後に神々の列に加えられたとき、ヘーラクレースを憎んでいたヘーラーはようやくヘーラクレースと和解し、その娘ヘーベーが妻として彼に与えられた。このため神々の宴席に給仕するものがなくなった。ゼウスは人間たちの中でもとりわけ美しいガニュメーデースを選び、鷲の姿に変身して彼を攫い、オリュンポスの給仕とした。この仕事のためにガニュメーデースには永遠の若さと不死が与えられた。また代償としてその父に速い神馬(別伝ではヘーパイストスの作った黄金のブドウの木)が与えられた。
天上に輝くみずがめ座は、神々に神酒ネクタールを給仕するガニュメーデースの姿であり、わし座はゼウスが彼を攫うときに変身した鷲の姿である。
概要
ゼウスはローマ神話ではユーピテル(ジュピター)にあたる。オリュムポスの神々の家族および人類の両方の守護神・支配神であり、神々と人間たちの父と考えられた。
ゼウスは天空神として、全宇宙や雲・雨・雪・雷などの気象を支配していた。キュクロープスの作った雷霆(ケラウノス)を主な武器とする。その威力はオリュンポス最強と謳われるほど強大なもので、この雷霆をゼウスが使えば世界を一撃で熔解させ、全宇宙を焼き尽くすことができる。テューポーンと戦う際には、万物を切り刻む魔法の刃であるアダマスの鎌も武器としていた。雷霆の一撃をも防ぎ、更に敵を石化させるアイギスの肩当て(胸当てや楯という説も)を主な防具とするが、この防具はよく娘のアテーナーに貸し出される。この他にも、「恐怖」という甲冑をギガントマキアーにおいて着用している。
「光輝」と呼ばれる天界の輝きを纏った鎧に山羊革の胸当てをつけ、聖獣は鷲、聖木はオーク。主要な神殿は、オークの木のささやきによって神託を下したエーペイロスの聖地ドードーナ、および4年ごとに彼の栄誉を祝福してオリンピック大祭が開かれたオリュンピアにあった。
系譜
ティーターン神族のクロノスとレアーの末の子(長男の説もある)で、ハーデースとポセイドーンの弟。正妻は姉であるヘーラーであるが、レートーや姉のデーメーテール等の女神をはじめ、多くの人間の女性とも交わり、子をもうけたといわれる。
オリュンポス十二神の中では、メーティスとの間にアテーナー、レートーとの間にアポローンとアルテミス、マイアとの間にヘルメース、ディオーネーとの間にアプロディーテー(ホメーロスより)、ヘーラーとの間にアレース、ヘーパイストス、またテーバイの王女セメレーとの間にディオニューソス、デーメーテール(一説にはステュクス)との間にペルセポネー(あるいはコレー)をもうけた。その他、記憶の女神ムネーモシュネーとの間に9人のムーサたち、海洋の女神エウリュノメーとの間に3人のカリスたち、月の女神セレーネーとの間にパンディーア、ヘルセー、ネメアが誕生した。
また様々な人間の女性との間に、たとえばダナエーとの間にペルセウスを、アルクメーネーとの間にヘーラクレースを、レーダーとの間にディオスクーロイを、アンティオペーとの間にゼートスとアムピーオーンを、エウローペーとの間にミーノースとラダマンテュスとサルペードーンを、カリストーとの間にアルカスを、イーオーとの間にエパポスを、といったように多数の子供たちをもうけたことになっている。これらゼウスの子とされる英雄を半神(ヘロス)といい、古代ギリシアでは下級の神として広く祀られた。これらの伝説は、古代ギリシアの各王家が、自らの祖先をゼウスとするために作り出された系譜とも考えられる。ゼウスが交わったとされる人間の女の中には、もとは地元の地母神であったと考えられるものもいる。女神や人間と交わるときのゼウスはしばしば変化したとされ、ダナエーのときには黄金の雨に、レーダーのときには白鳥に、アンティオペーのときにはサテュロスに、エウローペーのときには白い牡牛に、カリストーのときにはアルテミスに、イーオーのときには雲に変身したといわれる。
神話
正妻たち
ゼウスは最終的にはヘーラーと永遠に結ばれるが、それまでに何度か結婚と離婚を繰り返していた。
メーティス
ゼウスの最初の妻は智恵の女神メーティスであった。彼女はオーケアニデスであり、ティーターン神族の一柱であったが、ティーターノマキアーの際にはゼウスに味方していた。ガイアは「ゼウスとメーティスの間に生まれた男神は父を超える」という予言をした。これを恐れてゼウスは妊娠していたメーティスを呑み込み、子供が生まれないようにした。「どんなものにでも変身できるのなら、水に変身してみせよ」というゼウスの挑発に乗ったメーティスが水に変じたところでこれを飲み干したとも、ゼウスから逃れるために様々な動物に変身していたが、蠅に変身したところで呑み込まれたとも言われる。
あるとき、ゼウスは激しい頭痛に襲われた。そこで、ヘーパイストスに命じて頭を斧で叩き割り、直接原因を探ろうとした。すると、ゼウスの頭から武装し成人したアテーナーが飛び出してきた。その衝撃で世界は停止し、天体の運行も止まった。アテーナーがゼウスとメーティスとの子であり、女神であったために、ガイアの予言は効力を失った。こうしてゼウスは王位簒奪の大いなる運命から解放された。呑み込まれたメーティスはゼウスの智恵となり、ゼウスはメーティスの全知を手に入れた。また、メーティスはアテーナーと共に飛び出てきたという説もある。
テミス
メーティスの智恵を吸収したゼウスは、次にウーラノスとガイアの子である、掟の女神テミスと結婚した。テミスとの間に運命の三女神モイライ、季節の女神ホーラー、正義の女神アストライアーをもうけた。モイライは最初は夜の女神ニュクスの娘であったが、ゼウスは上記のように運命を超越し、モイライを自らの子として再誕生させた。結果として運命すらもゼウスに抗えなくなった。
ヘーラー
ゼウスはヘーラーに目を付け、テミスと結婚中であるにもかかわらず結婚の女神ヘーラーに言い寄った。ゼウスはカッコウに化けてヘーラーに近付き犯そうとしたが、ヘーラーはそれでも尚抵抗を止めなかった。ヘーラーは交わることの条件として結婚を提示した。ヘーラーに魅了されていたゼウスは仕方なくテミスと離婚すると、ヘーラーと結婚し、彼女との間にアレース、ヘーパイストス、ヘーベーなどをもうけた。ヘーラーはゼウスの不貞に対して常に目を光らせ、愛人たちやその子供たちに苛烈な罰を与えるようになった。
愛人たち
ゼウスは好色な神であり、しばしばヘーラーの目を盗んでは浮気を繰り返していた。これは、強力な神々や半神半人を生み出し、全宇宙や人間界の基盤を整えるためでもあった。また、古代ギリシアのみならず、地中海世界の王家が自らの祖先をゼウスとする家系を主張したため、ゼウスは浮気を繰り返す神話を多く持つようになった。ゼウスの愛人は数え切れないほどいるが、その中でも特に有名な愛人たちを以下に記述する。下記の他、ラミアー、アイギーナ、カリストー、エラレー、タレイア、アイトネーなど多くの愛人を持ったことで知られる。
イーオー
ゼウスはイーオーという美女と密通していた。これを見抜いたヘーラーはゼウスに詰め寄るが、ゼウスはイーオーを美しい雌牛に変え、雌牛を愛でていただけであるとした。ヘーラーは策を講じ、その雌牛をゼウスから貰うと、百眼の巨人アルゴスを見張りに付けた。この巨人は身体中に百の眼を持ち、眠る時も半分の50の眼は開いたままであったので、空間的にも時間的にも死角が存在しなかった。ゼウスはイーオー救出の任をヘルメースに命じ、ヘルメースは草笛でアルゴスの全ての眼を眠らせると、その首を剣で切り取った。
雌牛は解放されたが、ヘーラーが虻を送り込んだために雌牛は逃げ惑った。虻から逃げるように様々な地を放浪し、最終的にはエジプトに辿り着き、ここで雌牛は元の姿に戻った。ゼウスとの間にできていた子供であるエパポスをエジプトで出産した。イーオーはデーメーテールの像を立て、イーオーとデーメーテール像はエジプト人にイシスと呼ばれるようになった。
レーダー
アイトーリア王テスティオスの娘で、スパルタ王テュンダレオースの妻であったレーダーにもゼウスは恋した。ゼウスは白鳥に変じ、鷹に追われるふりをしてレーダーの腕に隠れた。レーダーは白鳥のことを想ってそれを拒まなかったが、そこで正体を現したゼウスと交わった。レーダーは二つの卵を産み、一つの卵からはヘレネーとクリュタイムネーストラーが、もう一つの卵からはカストールとポリュデウケース(二人合わせてディオスクーロイとも呼ばれた)が生まれた。ヘレネーとポリュデウケースはゼウスとの子であり、クリュタイムネーストラーとカストールがテュンダレオースとの子であった。ヘレネーは絶世の美女となり、トロイア戦争の原因となった。ポリュデウケースは不死身であった。ゼウスはヘレネーの誕生を記念し、宇宙にはくちょう座を創造した。
エウローペー
エウローペーは、テュロスのフェニキア王アゲーノールとテーレパッサの娘で、美しい姫であった。エウローペーに一目ぼれしたゼウスは誘惑するために、白い牡牛へと変身した。エウローペーは侍女と花を摘んでいる時にその牡牛を見付け、従順な様子に気を許して背にまたがった。その途端に牡牛はエウローペーを連れ去った。ゼウスはヨーロッパ中をエウローペーと共に駆け回ったため、その地域はエウローペーから名前を取って「ヨーロッパ」 (Europa) と呼ばれるようになった。最終的にクレタ島へ辿り着いたゼウスは本来の姿をあらわし、エウローペーはクレタ島で最初の妃となった。ゼウスとの息子には、ミーノースやラダマンテュス、サルペードーンがいる。その後、アステリオスが3人の息子たちの義理の父になった。ゼウスは彼女にタロースと必ず獲物をとらえる猟犬となくなる事のない投げ槍の、3つの贈り物を与えた。その後ゼウスは再び白い牡牛へと姿を変え、星空へと上がり、おうし座になった。
ガニュメーデース
ゼウスはガニュメーデースというトロイアの美少年を攫ったことでも知られている。しかし、これは愛人にするためではなく、神々の給仕係にするためであった。オリュンポスの神々に給仕するのは、もとは大神ゼウスとその正妻ヘーラーの娘、青春の女神であるヘーベーの役割であった。ゼウスの子、英雄ヘーラクレースが、死後に神々の列に加えられたとき、ヘーラクレースを憎んでいたヘーラーはようやくヘーラクレースと和解し、その娘ヘーベーが妻として彼に与えられた。このため神々の宴席に給仕するものがなくなった。ゼウスは人間たちの中でもとりわけ美しいガニュメーデースを選び、鷲の姿に変身して彼を攫い、オリュンポスの給仕とした。この仕事のためにガニュメーデースには永遠の若さと不死が与えられた。また代償としてその父に速い神馬(別伝ではヘーパイストスの作った黄金のブドウの木)が与えられた。
天上に輝くみずがめ座は、神々に神酒ネクタールを給仕するガニュメーデースの姿であり、わし座はゼウスが彼を攫うときに変身した鷲の姿である。
寂しくさせたら死んぢゃうずっとずっとそばにいてね裏切られるともう生きられない今すぐ一緒に遊ぼうよ〜捨てられたら病み倒すよ好きすぎるから離れると病気になるよ遊ぼうよ〜返信しないと泣いちゃうねこんな私でも一生離さないでね私のことを離さないと命かけて約束してね病気になるほど君のことを思ってるずっと私のことを見てほしい返信しないと病気になっちゃうね一生私のものにしてください私のことを一生見てねずっとずっとそばにいてねそばにいてね返信しないと泣いちゃうね一生私のものにしてくださいずっと私のことを見てほしい遊ぼうよ〜こんな私で
韓非子と韓非(著者)【始皇帝を感動させた法家の書物】
韓非子
韓非子(かんぴし)とは、戦国時代の法家の大成者である韓非子のこと、あるいはその著書『韓非子』を指します。韓非子は韓の王族で、弱小国家・韓を憂いて『韓非子』を著しました。秦の始皇帝は、秦王時代にそれを読んで感動し、韓非子の思想の影響を受けて秦王朝の体制を作りました。
韓非子とは
韓非子は法家の代表的人物である韓非(かんぴ…BC.280~BC.233)、あるいはその著書『韓非子』のことを指します。
韓非は韓の王族で、若い頃「性悪説」を唱えた荀子に学びました。やがて弱小の祖国・韓の立て直しのために文章を書いて韓王に進言しますが、受け入れてもらえず、これを十数万字の書『韓非子』にまとめました。この著作では君主が法を用いて臣下をどう扱い、統治に役立てるかなどが書かれています。この一部を読んだ秦王、後の始皇帝は非常に感動し、この思想を国家運営の基本方針とします。後に韓非は韓の使節として秦を訪れますが、その才能を嫉妬した李斯によって命を奪われてしまいました。
弱小国・韓の王族
韓非は戦国七雄の一である韓の国の王族として生まれました。名前は「韓非」。「子」は敬称でもあり、著書につける言葉でもあります。
韓非は生まれつき吃音(きつおん…話す時にどもってしまう)がひどく、話すことは苦手でしたが、文章を書くことに長けていました。
若い頃は秦の宰相・李斯(りし)らとともに荀子(じゅんし)に学んでいました。
荀子は孔子・孟子とともに儒家を代表する思想家ですが、孟子が人間は本来善であるという「性善説」を唱えたのに対し、人間は本来悪であるという「性悪説」を唱えました。
人間は本来が悪であるから後天的に教化し導いていかなければならない、として後の「法家」の思想…儒家が唱えるように道徳によって国を治めるのではなく、法によって国家を治めるべきだという思想につながっていきました。
戦国七雄のうち最も弱小である祖国の将来を憂いて、その対策を文章にして何度も韓王に差し出しましたが、受け入れられることはありませんでした。受け入れてもらえないというより韓は弱体化しすぎて、すでに抜本的な改革をする体力を失っていたのです。そこで韓非は自分の考えを十数万字にのぼる文にまとめました。これが『韓非子』です。
『韓非子』は全十数万字、「孤憤」(こふん)編・「五蠹」(ごと)編・「内儲」(ないちょ)編・「外儲」(がいちょ)編・「説林」(ぜいりん)編・「説難」(ぜいなん)編に分かれています。
当時秦の王・政(せい…後の始皇帝)がこの『韓非子』のうち「孤憤」編と「五蠹」編を読んで非常に感動し「ああ、この筆者に会ってお付き合いできるなら、私は死んでもかまわない」と言ったといいます。
下で触れるように韓非はBC.233に訪問先の秦で命を失っています。
始皇帝はBC.259に生まれていますからその時26歳。そこから考えると始皇帝が『韓非子』の一部を読んで感動したのはそれ以前ということになります。20歳前後あるいは20代前半でしょうか。
若き王とはいえ13歳で即位し、実母がらみのスキャンダルや取り巻きの権謀術数の渦巻の中ですでに数年から十数年を秦王として過ごしています。
遺伝子なのか生い立ちのせいなのか、際立って強靭な意志を持つこの若者は、国の統治についてすでに一つの方向を持っていたのでしょう。それは王自らが「絶対的な法」となって独裁的な政治を行い、そこでは情も特権も徹底して排除するというものです。
いかにも若者が好みそうな極端な思想ですが、実はこの政治スタイルは秦という王国にあっては、すでにかつて商鞅という政治家によって基礎…君主に絶対的な権力を集める政治体制…が作られていたのです。
つまり『韓非子』が説く論の骨格は始皇帝になじみのあったものでした。
その政治スタイルがなぜ正しいのか、『韓非子』は説得力を持ってそれを語り、己の国家運営への自信と天下取りの野望の後押しをしてくれたからこそ、始皇帝は感動したのかもしれません。
韓非が韓の公子であることを聞いたのち始皇帝は韓に出兵させます。これにあわてた韓王が韓非を使節として秦に送ると始皇帝は大喜びしました。
けれども宰相の李斯はかつての同窓・韓非の優秀さを知っているだけに不安になります。自分の権力基盤がゆらぐのではないかと恐れたのです。
そこで李斯はこう始皇帝に耳打ちしました。「韓非は何といっても韓の公子です。秦が重用したとしてもいったんコトが起これば、秦ではなく韓のために動くでしょう。といってこのまま返してあの優秀な頭脳を温存させれば、秦には害あって益なしです」
始皇帝はそれもそうだと韓非を投獄することを認めます。李斯は投獄された韓非に毒を渡し自殺に追いやりました。
あとになって思い直した始皇帝は韓非を呼ぼうとするのですが、すでに毒をあおいだ後でした。
『韓非子』の主な内容
『韓非子』の思想のうち、主な内容を下に紹介します。
1.二柄論
君主が臣下を動かすのに必要なものは二柄…すなわち刑罰と徳であり、これを自由に操ることで臣下を怖れさせたり喜ばせたりできる。
例として斉の簡公に仕えた田常と宋の子罕(しかん)がそれぞれ君主から「威」…すなわち刑罰の部分を奪い、それによって君主を脅かす存在になった話を書いています。このように君主は刑罰と徳を決して手放してはいけないのだと説いています。
2.信賞必罰論
功績があればこれをほめ、罪があれば罰する。この「信賞必罰」を正しく行わなければならない。こうして君主の権威を明らかにし、家臣の能力を発揮させることができる。
この「信賞必罰」のうち「賞」の例として以下の話を書いています。
越王の勾践(こうせん)が大臣の文種(ぶんしょう)にこう尋ねました。「私は呉を攻めたいのだが勝てるだろうか」
すると文種は「私は部下を信賞必罰によって鍛えていますから勝てます。私の部下の様子を見たかったら宮殿に火を放ってください」
そこで王が宮殿に火をつけると文種は部下にこう言いました。「火を防いで死んだ者には戦死した者と同じ褒美を与える。火を防いで生き延びた者には、戦いで勝利した者と同じ褒美を与える。火を防がなかった者は逃亡者または降伏した者と同じ罰を与える」
すると文種の部下たちは体に泥を塗り服に水をかけて、左から三千人、右から三千人、火の中に駆け込んでいきました。
「罰」の例としては以下の話を挙げています。
殷王朝のときの法律では、灰を道に捨てた者は死刑でした。孔子の弟子の子貢(しこう)が孔子に「殷のこの刑は重すぎると思います」と言うと、孔子は以下のように答えました。
「いや、この法律は政治というものがよくわかっている。灰を道に捨てれば必ず人の体にかかる。するとその人は腹を立てて喧嘩になる。喧嘩になれば、灰を捨てた者と灰をかぶった者の双方の親族どうしが闘うことになって死人が出る。だから死刑でいいのだ。それに重い刑罰は人が嫌がる。また灰を道に捨てないなどということは誰でも守れる。民に簡単なことを守らせ、嫌なことを避けさせる。これが政治のコツというものだ」
3.刑名審合(けいめいしんごう)論
刑名審合とは刑と名を一致させること。
家臣が言葉を述べたら、君主はその言葉に基づいて仕事を与え、仕事についての功績を求める。家臣の功績が仕事と一致し、その仕事が言葉と一致しているならほめ、そうでないなら罰するべきだ。こうした時に愛情は無用である。
4.時代認識に関する論
過去にあった理論(儒教をさす)にこだわらず、新しい理論(法家思想をさす)に立脚するべきである。
ここのたとえ話としては、日本の童謡にもある「待ちぼうけ」…「株を守る」の話が載っています。
宋の国にある農民がいました。田を耕しに行くと田に切り株がありました。ある日ウサギが走ってきて、この切り株にぶつかり首の骨を折って死んでしまいました。そこで彼は田を耕すのをやめ、切り株を見守ってまたウサギが跳んで出てくるのを待ちました。けれどもウサギは二度と現れず、この男は宋の国中の笑いものとなりました。
古代のすぐれた王の政治によって現代の民を治めようとするのは、この男と同じようなものである。こう書いて儒家的な復古主義を批判しています。
5.説難(ぜいなん)論
説得することは難しい。なぜなら相手の心を読み取って、その心に自分の意見を当てなければならないから。相手の心が名誉を重んじているのに利益を説いても相手にされない。相手の心が利益を求めているのに、名誉や高潔さを説いても受け入れてはもらえない。
この例としては以下の話を挙げています。
宋の国のある金持ちの家の土塀が大雨によって崩れてしまいました。
金持ちの家の子供が「早く修理しないと泥棒に入られるよ」と言ったので、金持ちは「うちの子供は賢い」と思いました。
ところが隣の家の主人も同じ忠告をしました。
その夜、泥棒が入って財産をすっかり盗まれてしまいました。金持ちは「隣の家の主人が怪しい」と疑いました。
このように相手によってどう対処するかはとにかく難しいことなのだ、と韓非子は説くのです。
また相手を立てる大切さも説いています。
自信家にはその欠点をあげつらって怒らせてはいけない。弱点をついて逆らってはいけない。そういう相手が問題を抱えているときには、別の問題や別の人間の行為を例にしてそれと同じだと相手に当てはめるとよいのだ…こう語っています。
ここまで人の心理を読みぬいて説得の大切さを考えていた韓非ですが、自分自身は李斯の妬みによって死に追いやられてしまいました。自らの人生の悲劇によって、人を「説得」することのの難しさを証明したとも言えるでしょう。
『韓非子』ではこのように自分の理論を、歴史の中のエピソードや卑近な例を使ってわかりやすく読む者が納得がいくように説いています。
韓非子
韓非子(かんぴし)とは、戦国時代の法家の大成者である韓非子のこと、あるいはその著書『韓非子』を指します。韓非子は韓の王族で、弱小国家・韓を憂いて『韓非子』を著しました。秦の始皇帝は、秦王時代にそれを読んで感動し、韓非子の思想の影響を受けて秦王朝の体制を作りました。
韓非子とは
韓非子は法家の代表的人物である韓非(かんぴ…BC.280~BC.233)、あるいはその著書『韓非子』のことを指します。
韓非は韓の王族で、若い頃「性悪説」を唱えた荀子に学びました。やがて弱小の祖国・韓の立て直しのために文章を書いて韓王に進言しますが、受け入れてもらえず、これを十数万字の書『韓非子』にまとめました。この著作では君主が法を用いて臣下をどう扱い、統治に役立てるかなどが書かれています。この一部を読んだ秦王、後の始皇帝は非常に感動し、この思想を国家運営の基本方針とします。後に韓非は韓の使節として秦を訪れますが、その才能を嫉妬した李斯によって命を奪われてしまいました。
弱小国・韓の王族
韓非は戦国七雄の一である韓の国の王族として生まれました。名前は「韓非」。「子」は敬称でもあり、著書につける言葉でもあります。
韓非は生まれつき吃音(きつおん…話す時にどもってしまう)がひどく、話すことは苦手でしたが、文章を書くことに長けていました。
若い頃は秦の宰相・李斯(りし)らとともに荀子(じゅんし)に学んでいました。
荀子は孔子・孟子とともに儒家を代表する思想家ですが、孟子が人間は本来善であるという「性善説」を唱えたのに対し、人間は本来悪であるという「性悪説」を唱えました。
人間は本来が悪であるから後天的に教化し導いていかなければならない、として後の「法家」の思想…儒家が唱えるように道徳によって国を治めるのではなく、法によって国家を治めるべきだという思想につながっていきました。
戦国七雄のうち最も弱小である祖国の将来を憂いて、その対策を文章にして何度も韓王に差し出しましたが、受け入れられることはありませんでした。受け入れてもらえないというより韓は弱体化しすぎて、すでに抜本的な改革をする体力を失っていたのです。そこで韓非は自分の考えを十数万字にのぼる文にまとめました。これが『韓非子』です。
『韓非子』は全十数万字、「孤憤」(こふん)編・「五蠹」(ごと)編・「内儲」(ないちょ)編・「外儲」(がいちょ)編・「説林」(ぜいりん)編・「説難」(ぜいなん)編に分かれています。
当時秦の王・政(せい…後の始皇帝)がこの『韓非子』のうち「孤憤」編と「五蠹」編を読んで非常に感動し「ああ、この筆者に会ってお付き合いできるなら、私は死んでもかまわない」と言ったといいます。
下で触れるように韓非はBC.233に訪問先の秦で命を失っています。
始皇帝はBC.259に生まれていますからその時26歳。そこから考えると始皇帝が『韓非子』の一部を読んで感動したのはそれ以前ということになります。20歳前後あるいは20代前半でしょうか。
若き王とはいえ13歳で即位し、実母がらみのスキャンダルや取り巻きの権謀術数の渦巻の中ですでに数年から十数年を秦王として過ごしています。
遺伝子なのか生い立ちのせいなのか、際立って強靭な意志を持つこの若者は、国の統治についてすでに一つの方向を持っていたのでしょう。それは王自らが「絶対的な法」となって独裁的な政治を行い、そこでは情も特権も徹底して排除するというものです。
いかにも若者が好みそうな極端な思想ですが、実はこの政治スタイルは秦という王国にあっては、すでにかつて商鞅という政治家によって基礎…君主に絶対的な権力を集める政治体制…が作られていたのです。
つまり『韓非子』が説く論の骨格は始皇帝になじみのあったものでした。
その政治スタイルがなぜ正しいのか、『韓非子』は説得力を持ってそれを語り、己の国家運営への自信と天下取りの野望の後押しをしてくれたからこそ、始皇帝は感動したのかもしれません。
韓非が韓の公子であることを聞いたのち始皇帝は韓に出兵させます。これにあわてた韓王が韓非を使節として秦に送ると始皇帝は大喜びしました。
けれども宰相の李斯はかつての同窓・韓非の優秀さを知っているだけに不安になります。自分の権力基盤がゆらぐのではないかと恐れたのです。
そこで李斯はこう始皇帝に耳打ちしました。「韓非は何といっても韓の公子です。秦が重用したとしてもいったんコトが起これば、秦ではなく韓のために動くでしょう。といってこのまま返してあの優秀な頭脳を温存させれば、秦には害あって益なしです」
始皇帝はそれもそうだと韓非を投獄することを認めます。李斯は投獄された韓非に毒を渡し自殺に追いやりました。
あとになって思い直した始皇帝は韓非を呼ぼうとするのですが、すでに毒をあおいだ後でした。
『韓非子』の主な内容
『韓非子』の思想のうち、主な内容を下に紹介します。
1.二柄論
君主が臣下を動かすのに必要なものは二柄…すなわち刑罰と徳であり、これを自由に操ることで臣下を怖れさせたり喜ばせたりできる。
例として斉の簡公に仕えた田常と宋の子罕(しかん)がそれぞれ君主から「威」…すなわち刑罰の部分を奪い、それによって君主を脅かす存在になった話を書いています。このように君主は刑罰と徳を決して手放してはいけないのだと説いています。
2.信賞必罰論
功績があればこれをほめ、罪があれば罰する。この「信賞必罰」を正しく行わなければならない。こうして君主の権威を明らかにし、家臣の能力を発揮させることができる。
この「信賞必罰」のうち「賞」の例として以下の話を書いています。
越王の勾践(こうせん)が大臣の文種(ぶんしょう)にこう尋ねました。「私は呉を攻めたいのだが勝てるだろうか」
すると文種は「私は部下を信賞必罰によって鍛えていますから勝てます。私の部下の様子を見たかったら宮殿に火を放ってください」
そこで王が宮殿に火をつけると文種は部下にこう言いました。「火を防いで死んだ者には戦死した者と同じ褒美を与える。火を防いで生き延びた者には、戦いで勝利した者と同じ褒美を与える。火を防がなかった者は逃亡者または降伏した者と同じ罰を与える」
すると文種の部下たちは体に泥を塗り服に水をかけて、左から三千人、右から三千人、火の中に駆け込んでいきました。
「罰」の例としては以下の話を挙げています。
殷王朝のときの法律では、灰を道に捨てた者は死刑でした。孔子の弟子の子貢(しこう)が孔子に「殷のこの刑は重すぎると思います」と言うと、孔子は以下のように答えました。
「いや、この法律は政治というものがよくわかっている。灰を道に捨てれば必ず人の体にかかる。するとその人は腹を立てて喧嘩になる。喧嘩になれば、灰を捨てた者と灰をかぶった者の双方の親族どうしが闘うことになって死人が出る。だから死刑でいいのだ。それに重い刑罰は人が嫌がる。また灰を道に捨てないなどということは誰でも守れる。民に簡単なことを守らせ、嫌なことを避けさせる。これが政治のコツというものだ」
3.刑名審合(けいめいしんごう)論
刑名審合とは刑と名を一致させること。
家臣が言葉を述べたら、君主はその言葉に基づいて仕事を与え、仕事についての功績を求める。家臣の功績が仕事と一致し、その仕事が言葉と一致しているならほめ、そうでないなら罰するべきだ。こうした時に愛情は無用である。
4.時代認識に関する論
過去にあった理論(儒教をさす)にこだわらず、新しい理論(法家思想をさす)に立脚するべきである。
ここのたとえ話としては、日本の童謡にもある「待ちぼうけ」…「株を守る」の話が載っています。
宋の国にある農民がいました。田を耕しに行くと田に切り株がありました。ある日ウサギが走ってきて、この切り株にぶつかり首の骨を折って死んでしまいました。そこで彼は田を耕すのをやめ、切り株を見守ってまたウサギが跳んで出てくるのを待ちました。けれどもウサギは二度と現れず、この男は宋の国中の笑いものとなりました。
古代のすぐれた王の政治によって現代の民を治めようとするのは、この男と同じようなものである。こう書いて儒家的な復古主義を批判しています。
5.説難(ぜいなん)論
説得することは難しい。なぜなら相手の心を読み取って、その心に自分の意見を当てなければならないから。相手の心が名誉を重んじているのに利益を説いても相手にされない。相手の心が利益を求めているのに、名誉や高潔さを説いても受け入れてはもらえない。
この例としては以下の話を挙げています。
宋の国のある金持ちの家の土塀が大雨によって崩れてしまいました。
金持ちの家の子供が「早く修理しないと泥棒に入られるよ」と言ったので、金持ちは「うちの子供は賢い」と思いました。
ところが隣の家の主人も同じ忠告をしました。
その夜、泥棒が入って財産をすっかり盗まれてしまいました。金持ちは「隣の家の主人が怪しい」と疑いました。
このように相手によってどう対処するかはとにかく難しいことなのだ、と韓非子は説くのです。
また相手を立てる大切さも説いています。
自信家にはその欠点をあげつらって怒らせてはいけない。弱点をついて逆らってはいけない。そういう相手が問題を抱えているときには、別の問題や別の人間の行為を例にしてそれと同じだと相手に当てはめるとよいのだ…こう語っています。
ここまで人の心理を読みぬいて説得の大切さを考えていた韓非ですが、自分自身は李斯の妬みによって死に追いやられてしまいました。自らの人生の悲劇によって、人を「説得」することのの難しさを証明したとも言えるでしょう。
『韓非子』ではこのように自分の理論を、歴史の中のエピソードや卑近な例を使ってわかりやすく読む者が納得がいくように説いています。
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