孫臏
前歴
阿(現在の山東省聊城市陽穀県)・鄄(現在の山東省菏沢市鄄城県)の間の辺りにて生まれる。本名およびその父を初めとする家族については不明。

若い頃、龐涓と共に兵法を学び、龐涓は魏に仕官して恵王の元で将軍になることができた。しかし龐涓は孫臏に自分が及ばないことを感じていたので、偽って孫臏を魏へと招待し、孫臏を騙して罪に陥れ、臏刑(両脚を切断する刑)と額に罪人の印である黥を入れる刑に処した。その後は軟禁状態にあったが、斉の公族である将軍田忌(中国語版)が使者として魏へとやってきた際に密かに連絡を取り、その出立に合わせ車の中に隠れて魏を脱出することに成功した。

斉にて
斉では田忌の客となる。ある時、斉王(威王)と公子たちと田忌が馬を三組ずつ出して勝負する競馬を催した。孫臏は田忌に対して、上等の馬が出る競走に田忌の所有する下等の馬、中等の馬が出る競走に上等の馬、下等の馬が出る競走に中等の馬を出させることによって、田忌を二勝一敗させ千金を儲けさせた。これに気を良くした田忌は王に孫臏を推薦し、王は孫臏を兵法の師と仰ぐようになった。
桂陵の戦い
魏が趙を攻撃し、趙の都を包囲した。趙は斉に救援を求め、斉王は田忌を将軍とし孫臏と共に派遣した。だが、孫臏は趙に向かおうとする田忌を「絡んだ紐を解く時は無闇に引っ張るものではなく、喧嘩を止めさせる時は殴り合いに加わらないものです」と途中で留め、魏本国を攻めさせた。魏の本国には弱小老兵が残っているだけだったので、趙を包囲していた魏の主力軍は慌てて包囲を解き急いで引き返したが、強行軍で疲労困憊したところを斉軍に攻められ大敗(桂陵の戦い)した。こうして孫臏は趙を救った(これが囲魏救趙という故事となった)。

馬陵の戦い
13年の歳月が流れ、魏が龐涓を将軍として韓を攻めると、韓より斉へ救援依頼が来た。斉王は、孫臏を主将、田忌を副将にして軍を派遣しようとしたが、孫臏は田忌を推挙し、田忌が主将、孫臏は副将(実質的には軍師)となって韓へ向かった。田忌は前回同様魏の都を攻めようとし、孫臏は「龐涓は同じ過ちを二度繰り返す者ではなく、何かの備えはしているでしょう。しかし様子を伺わなければ分かりませんので、魏の都に向かいましょう」と答えた。孫臏の予測通り、龐涓も流石これに備えて本国にも精強な兵を残しており、斉軍を足止めする一方、韓攻略軍も引き返させた。防衛軍と攻略軍で挟撃しようというのである。これを知った斉軍は撤退するが、龐涓は打撃を与えるべく追撃する。撤退戦であれば追撃する側が圧倒的に有利だからである。

しかし、孫臏は撤退する振りをしつつ、龐涓の「魏の兵は命知らずの猛者だが、斉の兵は臆病者だ」という驕りを逆手に取り、斉軍の陣営の竈の数を前の日の半分、次の日は更に半分という具合に減らしていき、あたかも斉軍に連日脱走兵が相次いでいるかのように偽装した。追撃する龐涓はこの無様な様子を見て半ば呆れつつも勝利を確信し、あえて歩兵を後にし自ら足の速い精鋭の騎兵を率いて一刻も早く斉軍を捕捉しようと図った。一方、孫臏は、その先の隘路である馬陵(現在の山東省臨沂市郯城県)の地で、仕込みを始める。龐涓の部隊が日暮れに到達するであろう場所に木で障害物をつくり、側の木の枝に板を吊るして「龐涓死於此樹之下(龐涓この樹の下にて死せん)」と書き記させた。そしてその道の両側に1万の兵を伏し、兵たちに「日没のあと此処に火がともるであろうから、それに向かって矢を射よ」と命じた。
果たして計算通り、夜半になって当地に龐涓が到着。障害物に止めさせられた際、なにやら書かれている板があると兵が言ったため、自らこれを読もうと松明の火をかかげた。これに斉軍の伏兵が一斉に矢を放ち、暗中の魏軍は大混乱に陥った。自らが負けたことを悟った龐涓は「遂成豎子之名(遂に豎子の名を成さしむ→これで奴の名声を世に成さしてしまったか)」と言い残して自刎、若しくは矢によりハリネズミとなり戦死。魏の太子申は捕虜にされた。司令官を失った魏軍は斉軍に蹴散らされることになった。

この馬陵の戦いの大勝利により、兵家孫臏の名は天下に響いたと伝えられる。しかし孫臏のその後に付いては史書に記述がない。一説には兵法書を記していたとも言われている。

また、太史公の記述によると世間で軍学について引用する場合、『孫子』十三編の書物を述べないものはないと言われている。「能く之を行う者は未だ必ずしも能く言わず。能く之を言う者は未だ必ずしも能く行わず」という言葉があり、これは孫子が龐涓を計略に落としたのは明察である。だが刑罰のうきめきにあうときの処置を、あらかじめできなかったのは悲しいことであると評価している。

孫臏兵法
孫臏は孫武と同じく兵法書を著したが、彼の兵法は孫武の『孫子』と区別して『斉孫子』などと呼ばれていたらしい。しかしながら、次第に散逸し、あるいは現存する『孫子』自体が孫臏の著作ではないかとも推定されていたが、1972年に至って山東省で孫臏の著した兵法書の竹簡孫子が発掘されたことにより、『孫子』の著者ではないことが明らかになった。この新出土の兵法書は『孫臏兵法』と名づけられている。

孙膑(生卒年不详),字伯灵,华夏族,孙武后裔,齐国阿(今山东阳谷东北)、鄄(今鄄城北)一带人。中国战国时期军事家,唐德宗时位列武成王庙64将之一,宋徽宗时位列宋武庙72将之一。
孙膑早年曾与庞涓同学兵法。庞涓出任魏将后,妒孙膑之才而将其骗至魏,施以膑刑。后得齐国使者帮助潜逃入齐,为田忌门客,助田忌赛马获胜,被荐于齐威王。周显王十六年(公元前353年),齐威王欲任孙膑为将,孙膑以“刑余之人”而辞谢。周显王二十七年,因魏将庞涓率军攻韩,韩向齐求救,孙膑又以军师身份偕将军田朌、田忌、田婴等率军救韩。
孙膑既在战争实践中创造了影响深远的“围魏救赵”,又给后世留下了反映时代特点和战争规律的杰出军事理论。《汉书·艺文志》著录《孙膑兵法》89篇,图4卷,已佚。从中可见其兵法思想主张:“内得其民之心,外知敌之情”,主张“战胜而强立”“事备而后动”;在战略战术上贵“势”,即创造条件以求主动和优势;突破前人速战速决的理论,提出了持久作战的思想;适应通都大邑的兴起,强调攻城;认为只有覆军杀将方为全胜,开创歼灭战的理论;对野战中车垒运用、阵法研究、将领条件等均有阐述。

十阵
凡陈(阵)有十:有枋(方)陈(阵),有员(圆)陈(阵),有疏陈(阵),有数陈(阵),有锥形之陈(阵),有雁行之陈(阵),有钩形之陈(阵),有玄襄之陈(阵),有火陈(阵),有水陈(阵),此皆有所利。枋(方)陈(阵)者,所剸(专)也。员(圆)陈(阵)者,所以槫(团)也。疏陈(阵)者,所以 也。数陈(阵)者,为不可掇。锥行之陈(阵)者,所以夬(决)绝也。雁行之陈(阵)者,所以椄(接)射也。钩行之陈(阵)者,所以变质易虑也。玄[上羽下襄](襄)之陈(阵)者,所以疑众难故也。火陈(阵)者,所以拔也。水陈(阵)者,所以伥固也。枋(方)陈(阵)之法:必[博以酉易十](薄)中厚方,居陈(阵)在後。中之薄也,将以[上口下犬]也。重〔厚〕其〔方〕,将以剸(专)也。居陈(阵)在後,所以……〔圆阵之法〕:……〔疏阵之法〕:其甲寡而人之少也,是故坚之。武者在旌旗,是人者在兵,故必疏钜间,多其旌旗羽旄,砥刃以为旁。疏而不可戚(蹙),数而不可军者,在於慎。车毋驰,徒人毋驱(趋)。凡疏陈(阵)之法,在为数丑,或进或退,或击或[豕页](毁),或与之[人正],或要(邀)其衰。然则疏可以取阅(锐)矣。数陈(阵)之法:毋疏钜间,戚(蹙)而行首,积刃而信(伸)之,前後相葆(保),变□□□,甲恐则坐,以声坐□,往者弗送,来者弗止,或击其迂,或辱其阅(锐),笲之而无间,[车反]山而退。然则数不可掇也。
锥行之陈(阵):卑(譬)之若剑,末不阅(锐)则不入,刃不溥(薄)则不剸,本不厚则不可以列陈(阵)。是故,末必阅(锐),刃必溥(薄),本必[鸿去水](鸿、厚)。然则锥行之陈(阵)可以夬(决)绝矣。
〔雁行之阵〕……中,此谓雁陈(阵)之任。前列若[有雍](牖),後列若枋(方),三……阙罗而自存,之谓雁陈(阵)之任。
钩行之陈(阵):前列必枋(方),左右之和必钩。参(三)声气(既)全,五菜(彩)必具,辩(辨)吾号声,知五旗。无前无後,无〔左无右〕……
玄[上羽下襄](襄)之陈(阵):必多旌旗羽旄,鼓[上羽下非][上羽下非]庄,甲乱则坐,车乱则行,已治者□,榼榼啐啐,若从天下,若从地出,徒来而不屈,终日不拙。此之谓玄[上羽下襄](襄)之陈(阵)。
火战之法:沟垒已成,重为沟渐(堑),五步积薪,必均疏数(密),从役有数(多余之数),令之为属枇,必轻必利。风辟……火气(既)自覆,与之战弗克(克),坐行而北。火战之法:下而衍以[艹外],三军之士无所出泄。若此,则可火也。陵猋蒋[艹外],薪荛气(既)积,营窟未谨。如此者,可火也。以火乱之,以矢雨之,鼓噪敦兵,以势助之。火战之法。
水战之法:必众其徒而寡其车,令之为钩楷苁柤[上咸下贝]辑□绦皆具。进则必遂,退则不戚(蹙),方戚(蹙)从流,以敌之人为召(招)。水战之法,便舟以为旗,驰舟以为使。敌往则遂,敌来则戚(蹙),推攘因慎而饬之,移而革之,陈(阵)而〔待〕之,规而离之。故兵有误车有御徒,必察其众少,击舟[豕页]〔毁〕津,示民徒来。水战之法也。
七百八十七。

走れメロス(中)

太宰治

私は、今宵、殺される。殺される為に走るのだ。身代りの友を救う為に走るのだ。王の奸佞かんねい邪智を打ち破る為に走るのだ。走らなければならぬ。そうして、私は殺される。若い時から名誉を守れ。さらば、ふるさと。若いメロスは、つらかった。幾度か、立ちどまりそうになった。えい、えいと大声挙げて自身を叱りながら走った。村を出て、野を横切り、森をくぐり抜け、隣村に着いた頃には、雨も止やみ、日は高く昇って、そろそろ暑くなって来た。メロスは額ひたいの汗をこぶしで払い、ここまで来れば大丈夫、もはや故郷への未練は無い。妹たちは、きっと佳い夫婦になるだろう。私には、いま、なんの気がかりも無い筈だ。まっすぐに王城に行き着けば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要も無い。ゆっくり歩こう、と持ちまえの呑気のんきさを取り返し、好きな小歌をいい声で歌い出した。ぶらぶら歩いて二里行き三里行き、そろそろ全里程の半ばに到達した頃、降って湧わいた災難、メロスの足は、はたと、とまった。見よ、前方の川を。きのうの豪雨で山の水源地は氾濫はんらんし、濁流滔々とうとうと下流に集り、猛勢一挙に橋を破壊し、どうどうと響きをあげる激流が、木葉微塵こっぱみじんに橋桁はしげたを跳ね飛ばしていた。彼は茫然と、立ちすくんだ。あちこちと眺めまわし、また、声を限りに呼びたててみたが、繋舟けいしゅうは残らず浪に浚さらわれて影なく、渡守りの姿も見えない。流れはいよいよ、ふくれ上り、海のようになっている。メロスは川岸にうずくまり、男泣きに泣きながらゼウスに手を挙げて哀願した。「ああ、鎮しずめたまえ、荒れ狂う流れを! 時は刻々に過ぎて行きます。太陽も既に真昼時です。あれが沈んでしまわぬうちに、王城に行き着くことが出来なかったら、あの佳い友達が、私のために死ぬのです。」
濁流は、メロスの叫びをせせら笑う如く、ますます激しく躍り狂う。浪は浪を呑み、捲き、煽あおり立て、そうして時は、刻一刻と消えて行く。今はメロスも覚悟した。泳ぎ切るより他に無い。ああ、神々も照覧あれ! 濁流にも負けぬ愛と誠の偉大な力を、いまこそ発揮して見せる。メロスは、ざんぶと流れに飛び込み、百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う浪を相手に、必死の闘争を開始した。満身の力を腕にこめて、押し寄せ渦巻き引きずる流れを、なんのこれしきと掻かきわけ掻きわけ、めくらめっぽう獅子奮迅の人の子の姿には、神も哀れと思ったか、ついに憐愍れんびんを垂れてくれた。押し流されつつも、見事、対岸の樹木の幹に、すがりつく事が出来たのである。ありがたい。メロスは馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先きを急いだ。一刻といえども、むだには出来ない。陽は既に西に傾きかけている。ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をのぼり、のぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に一隊の山賊が躍り出た。
「待て。」
「何をするのだ。私は陽の沈まぬうちに王城へ行かなければならぬ。放せ。」
「どっこい放さぬ。持ちもの全部を置いて行け。」
「私にはいのちの他には何も無い。その、たった一つの命も、これから王にくれてやるのだ。」
「その、いのちが欲しいのだ。」
「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。」
山賊たちは、ものも言わず一斉に棍棒こんぼうを振り挙げた。メロスはひょいと、からだを折り曲げ、飛鳥の如く身近かの一人に襲いかかり、その棍棒を奪い取って、
「気の毒だが正義のためだ!」と猛然一撃、たちまち、三人を殴り倒し、残る者のひるむ隙すきに、さっさと走って峠を下った。一気に峠を駈け降りたが、流石さすがに疲労し、折から午後の灼熱しゃくねつの太陽がまともに、かっと照って来て、メロスは幾度となく眩暈めまいを感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。立ち上る事が出来ぬのだ。天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。ああ、あ、濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も撃ち倒し韋駄天いだてん、ここまで突破して来たメロスよ。真の勇者、メロスよ。今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情無い。愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて殺されなければならぬ。おまえは、稀代きたいの不信の人間、まさしく王の思う壺つぼだぞ、と自分を叱ってみるのだが、全身萎なえて、もはや芋虫いもむしほどにも前進かなわぬ。路傍の草原にごろりと寝ころがった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、勇者に不似合いな不貞腐ふてくされた根性が、心の隅に巣喰った。私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんも無かった。神も照覧、私は精一ぱいに努めて来たのだ。動けなくなるまで走って来たのだ。私は不信の徒では無い。ああ、できる事なら私の胸を截たち割って、真紅の心臓をお目に掛けたい。愛と信実の血液だけで動いているこの心臓を見せてやりたい。けれども私は、この大事な時に、精も根も尽きたのだ。私は、よくよく不幸な男だ。私は、きっと笑われる。私の一家も笑われる。私は友を欺あざむいた。中途で倒れるのは、はじめから何もしないのと同じ事だ。ああ、もう、どうでもいい。これが、私の定った運命なのかも知れない。セリヌンティウスよ、ゆるしてくれ。君は、いつでも私を信じた。私も君を、欺かなかった。私たちは、本当に佳い友と友であったのだ。いちどだって、暗い疑惑の雲を、お互い胸に宿したことは無かった。いまだって、君は私を無心に待っているだろう。ああ、待っているだろう。ありがとう、セリヌンティウス。よくも私を信じてくれた。それを思えば、たまらない。友と友の間の信実は、この世で一ばん誇るべき宝なのだからな。セリヌンティウス、私は走ったのだ。君を欺くつもりは、みじんも無かった。信じてくれ! 私は急ぎに急いでここまで来たのだ。濁流を突破した。山賊の囲みからも、するりと抜けて一気に峠を駈け降りて来たのだ。私だから、出来たのだよ。ああ、この上、私に望み給うな。放って置いてくれ。どうでも、いいのだ。私は負けたのだ。だらしが無い。笑ってくれ。王は私に、ちょっとおくれて来い、と耳打ちした。おくれたら、身代りを殺して、私を助けてくれると約束した。私は王の卑劣を憎んだ。けれども、今になってみると、私は王の言うままになっている。私は、おくれて行くだろう。王は、ひとり合点して私を笑い、そうして事も無く私を放免するだろう。そうなったら、私は、死ぬよりつらい。私は、永遠に裏切者だ。地上で最も、不名誉の人種だ。セリヌンティウスよ、私も死ぬぞ。君と一緒に死なせてくれ。君だけは私を信じてくれるにちがい無い。いや、それも私の、ひとりよがりか? ああ、もういっそ、悪徳者として生き伸びてやろうか。村には私の家が在る。羊も居る。妹夫婦は、まさか私を村から追い出すような事はしないだろう。正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬる哉かな。――四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。
 ふと耳に、潺々せんせん、水の流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。すぐ足もとで、水が流れているらしい。よろよろ起き上って、見ると、岩の裂目から滾々こんこんと、何か小さく囁ささやきながら清水が湧き出ているのである。その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。水を両手で掬すくって、一くち飲んだ。ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。歩ける。行こう。肉体の疲労恢復かいふくと共に、わずかながら希望が生れた。義務遂行の希望である。わが身を殺して、名誉を守る希望である。斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間がある。私を、待っている人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ! メロス。私は信頼されている。私は信頼されている。先刻の、あの悪魔の囁きは、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。五臓が疲れているときは、ふいとあんな悪い夢を見るものだ。メロス、おまえの恥ではない。やはり、おまえは真の勇者だ。再び立って走れるようになったではないか。ありがたい! 私は、正義の士として死ぬ事が出来るぞ。ああ、陽が沈む。ずんずん沈む。待ってくれ、ゼウスよ。私は生れた時から正直な男であった。正直な男のままにして死なせて下さい。
 路行く人を押しのけ、跳はねとばし、メロスは黒い風のように走った。野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴けとばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。一団の旅人と颯さっとすれちがった瞬間、不吉な会話を小耳にはさんだ。「いまごろは、あの男も、磔にかかっているよ。」ああ、その男、その男のために私は、いまこんなに走っているのだ。その男を死なせてはならない。急げ、メロス。おくれてはならぬ。愛と誠の力を、いまこそ知らせてやるがよい。風態なんかは、どうでもいい。メロスは、いまは、ほとんど全裸体であった。呼吸も出来ず、二度、三度、口から血が噴き出た。見える。はるか向うに小さく、シラクスの市の塔楼が見える。塔楼は、夕陽を受けてきらきら光っている。
「ああ、メロス様。」うめくような声が、風と共に聞えた。
「誰だ。」メロスは走りながら尋ねた。
「フィロストラトスでございます。貴方のお友達セリヌンティウス様の弟子でございます。」その若い石工も、メロスの後について走りながら叫んだ。「もう、駄目でございます。むだでございます。走るのは、やめて下さい。もう、あの方かたをお助けになることは出来ません。」
「いや、まだ陽は沈まぬ。」
「ちょうど今、あの方が死刑になるところです。ああ、あなたは遅かった。おうらみ申します。ほんの少し、もうちょっとでも、早かったなら!」
「いや、まだ陽は沈まぬ。」メロスは胸の張り裂ける思いで、赤く大きい夕陽ばかりを見つめていた。走るより他は無い。

2023.11.28 朋友圈
家梁~ご結婚おめでとう!!!

久々に聴いたおめでたいお知らせです。
そして、会った事ないが、よく会話の中で知っている彼女とゴールインできて、本当に良かったんです。ちゃらそうな顔しているが、家梁はやっぱり自分と同じ愛妻家だ[偷笑]

時を戻そう!!!

05年何もかも分からず異国の地に住み始めた時に、最初に知り合ったのは同じ"バカ"クラスの同級生、家梁です。多分日本へ行く中華系の学生達の中には、アイウエオから日本語を勉強し始める人は珍獣だ!!大学の時に、あまりにも草サッカーを勤しんでいたので、お姉さんが全部の学費を払ってくれた日本語授業をサボった。少しでも真面目に勉強できたら、家梁と会う事がないかな、違うクラスなら絶対遠くから嫌なヤツだなとお互いに敵視する。人生の面白いところはちょっとしたボタンの掛け違いでの出会いは一生の宝になる事かな。タラレバの話で人生を後悔する時もたくさんあります。特に落ち込んでた時に、タラレバに逃げがちです。自分もそうです。嫌われる勇気の中に書かれたように、ありのままの自分を受け入れるのは幸せの秘訣です。自分もなかなかできない、自分が何度もどん底に落ちていた時に、いつも誰かに手を伸ばしてくれて、さらに深く落ちないように助けて貰って、感謝しきれないです。自分みたいな不器用の人が今まで生き残れるのは人に恵まれているおかげです。

"バカ"クラスの出来事は以前のモーメンツも触れた事があったと思います。総じて、バカな事しかやった事がなかったんです。面白かった。進学とか挫かれて(政治家の常套句、自分不徳の致すところで)、失敗でも言える日本の短い生活は家梁とAndyの存在で自分の中で掛け替えのない時期になります。あの薄汚い新大久保駅から学校までの道を家梁と肩を並べて、もう一度歩いてみたい。あの長閑やかな学校2階の喫煙所、3人でもう一度悪口を言いまくりたい。

時を戻そう!!

17年の時、何らかの行き違いで、自分が日本での"監禁研修"を行くようになった。大変でした。そのお陰で、今でも公私ともに大事な友達何人が出来て、良かったんです[捂脸][捂脸]一緒に海外渡航の飛行機を乗り損ねた友達、そうそういないかな[汗][汗][汗]
17年の研修は自分にとって、幸せの一時は家梁との10年ぶりの再会でした。たまたま彼はマレーシアから東京へ一年駐在で派遣されていた。週末、廣瀬さん(ありがとう)に買っていただいた名古屋から東京の長距離バスチケットで会いに行った。二人とも縁のある池袋の焼肉屋で飲んだ、その場でAndyともビデオ電話して、3人の飲み会を実現した。飲み足りなかった2人はスーパーでお酒をかって、彼の家で飲み続けた。その時に家梁は彼女とビデオ電話して、私を紹介した。次の朝は家梁が起きた前に、彼の家を出て、バスで名古屋へ戻った。なんか、この部分はおっさんずラブの匂いプンプンする、忘れて[捂脸][捂脸][捂脸]彼とのツーショット写真を撮らなかったんです。大事の人は頭の中のシャッターで十分です。さすがの大移動酒飲みは疲れた、なぜ新幹線を使わない?貧乏だから[捂脸][捂脸][捂脸]お酒飲みのために、東京へいったのはうちの優しい奥さんへ言えない[发呆]

時を戻そう!

Andyとその年の11月に上海で再会した、淮海路辺りの竹若マグロへいったのを覚えたが、その次の記憶はタクシー運転手に怒られた場面です[捂脸][捂脸][捂脸]窓を開けて外へ吐いて、一回洗車しないとはいけない、多分私は洗車代も出したが、怒られて当然です。申し訳ないです。

時を早送りしろう

次の再会を楽しみ[啤酒][啤酒][啤酒][啤酒]


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