竹青(中)
――新曲聊斎志異――
太宰治
魚容は傷の苦しさに、もはや息も絶える思いで、見えぬ眼をわずかに開いて、
「竹青。」と小声で呼んだ、と思ったら、ふと眼が醒さめて、気がつくと自分は人間の、しかも昔のままの貧書生の姿で呉王廟の廊下に寝ている。斜陽あかあかと目前の楓かえでの林を照らして、そこには数百の烏が無心に唖々と鳴いて遊んでいる。
「気がつきましたか。」と農夫の身なりをした爺じじいが傍に立っていて笑いながら尋ねる。
「あなたは、どなたです。」
「わしはこの辺の百姓だが、きのうの夕方ここを通ったら、お前さんが死んだように深く眠っていて、眠りながら時々微笑んだりして、わしは、ずいぶん大声を挙げてお前さんを呼んでも一向に眼を醒まさない。肩をつかんでゆすぶっても、ぐたりとしている。家へ帰ってからも気になるので、たびたびお前さんの様子を見に来て、眼の醒めるのを待っていたのだ。見れば、顔色もよくないが、どこか病気か。」
「いいえ、病気ではございません。」不思議におなかも今はちっとも空すいていない。「すみませんでした。」とれいのあやまり癖が出て、坐り直して農夫に叮嚀ていねいにお辞儀をして、「お恥かしい話ですが、」と前置きをしてこの廟の廊下に行倒れるにいたった事情を正直に打明け、重ねて、「すみませんでした。」とお詫びを言った。
 農夫は憐あわれに思った様子で、懐ふところから財布さいふを取出しいくらかの金を与え、
「人間万事塞翁さいおうの馬。元気を出して、再挙を図はかるさ。人生七十年、いろいろさまざまの事がある。人情は飜覆ほんぷくして洞庭湖の波瀾はらんに似たり。」と洒落しゃれた事を言って立ち去る。
 魚容はまだ夢の続きを見ているような気持で、呆然ぼうぜんと立って農夫を見送り、それから振りかえって楓の梢にむらがる烏を見上げ、
「竹青!」と叫んだ。一群の烏が驚いて飛び立ち、ひとしきりやかましく騒いで魚容の頭の上を飛びまわり、それからまっすぐに湖の方へいそいで行って、それっきり、何の変った事も無い。
 やっぱり、夢だったかなあ、と魚容は悲しげな顔をして首を振り、一つ大きい溜息ためいきをついて、力無く故土に向けて発足する。
 故郷の人たちは、魚容が帰って来ても、格別うれしそうな顔もせず、冷酷の女房は、さっそく伯父の家の庭石の運搬を魚容に命じ、魚容は汗だくになって河原から大いなる岩石をいくつも伯父の庭先まで押したり曳ひいたり担かついだりして運び、「貧して怨えん無きは難し」とつくづく嘆じ、「朝あしたに竹青の声を聞かば夕ゆうべに死するも可なり矣」と何につけても洞庭一日の幸福な生活が燃えるほど劇はげしく懐慕せられるのである。
 伯夷叔斉はくいしゅくせいは旧悪を念おもわず、怨うらみ是これを用いて希まれなり。わが魚容君もまた、君子の道に志している高邁こうまいの書生であるから、不人情の親戚をも努めて憎まず、無学の老妻にも逆わず、ひたすら古書に親しみ、閑雅の清趣を養っていたが、それでも、さすがに身辺の者から受ける蔑視べっしには堪えかねる事があって、それから三年目の春、またもや女房をぶん殴って、いまに見ろ、と青雲の志を抱いだいて家出して試験に応じ、やっぱり見事に落第した。よっぽど出来ない人だったと見える。帰途、また思い出の洞庭湖畔、呉王廟に立ち寄って、見るものみな懐しく、悲しみもまた千倍して、おいおい声を放って廟前で泣き、それから懐中のわずかな金を全部はたいて羊肉を買い、それを廟前にばら撒まいて神烏に供して樹上から降りて肉を啄ついばむ群烏を眺めて、この中に竹青もいるのだろうなあ、と思っても、皆一様に真黒で、それこそ雌雄をさえ見わける事が出来ず、
「竹青はどれですか。」と尋ねても振りかえる烏は一羽も無く、みんなただ無心に肉を拾ってたべている。魚容はそれでも諦められず、
「この中に、竹青がいたら一番あとまで残っておいで。」と、千万の思慕の情をこめて言ってみた。そろそろ肉が無くなって、群烏は二羽立ち、五羽立ち、むらむらぱっと大部分飛び立ち、あとには三羽、まだ肉を捜して居残り、魚容はそれを見て胸をとどろかせ手に汗を握ったが、肉がもう全く無いと見てぱっと未練みれんげも無く、その三羽も飛び立つ。魚容は気抜けの余りくらくら眩暈めまいして、それでも尚なお、この場所から立ち去る事が出来ず、廟の廊下に腰をおろして、春霞はるがすみに煙る湖面を眺めてただやたらに溜息をつき、「ええ、二度も続けて落第して、何の面目があっておめおめ故郷に帰られよう。生きて甲斐かいない身の上だ、むかし春秋戦国の世にかの屈原くつげんも衆人皆酔い、我独ひとり醒さめたり、と叫んでこの湖に身を投げて死んだとかいう話を聞いている、乃公おれもこの思い出なつかしい洞庭に身を投げて死ねば、或あるいは竹青がどこかで見ていて涙を流してくれるかも知れない、乃公を本当に愛してくれたのは、あの竹青だけだ、あとは皆、おそろしい我慾の鬼ばかりだった、人間万事塞翁の馬だと三年前にあのお爺じいさんが言ってはげましてくれたけれども、あれは嘘だ、不仕合せに生れついた者は、いつまで経たっても不仕合せのどん底であがいているばかりだ、これすなわち天命を知るという事か、あはは、死のう、竹青が泣いてくれたら、それでよい、他には何も望みは無い」と、古聖賢の道を究きわめた筈の魚容も失意の憂愁に堪えかね、今夜はこの湖で死ぬる覚悟。やがて夜になると、輪郭りんかくの滲にじんだ満月が中空に浮び、洞庭湖はただ白く茫ぼうとして空と水の境が無く、岸の平沙へいさは昼のように明るく柳の枝は湖水の靄もやを含んで重く垂れ、遠くに見える桃畑の万朶ばんだの花は霰あられに似て、微風が時折、天地の溜息の如く通過し、いかにも静かな春の良夜、これがこの世の見おさめと思えば涙も袖そでにあまり、どこからともなく夜猿やえんの悲しそうな鳴声が聞えて来て、愁思まさに絶頂に達した時、背後にはたはたと翼の音がして、
「別来、恙つつが無きや。」
 振り向いて見ると、月光を浴びて明眸皓歯めいぼうこうし、二十はたちばかりの麗人がにっこり笑っている。
「どなたです、すみません。」とにかく、あやまった。
「いやよ、」と軽く魚容の肩を打ち、「竹青をお忘れになったの?」
「竹青!」
 魚容は仰天して立ち上り、それから少し躊躇ちゅうちょしたが、ええ、ままよ、といきなり美女の細い肩を掻き抱いた。
「離して。いきが、とまるわよ。」と竹青は笑いながら言って巧みに魚容の腕からのがれ、「あたしは、どこへも行かないわよ。もう、一生あなたのお傍に。」
「たのむ! そうしておくれ。お前がいないので、乃公は今夜この湖に身を投げて死んでしまうつもりだった。お前は、いったい、どこにいたのだ。」
「あたしは遠い漢陽に。あなたと別れてからここを立ち退き、いまは漢水の神烏になっているのです。さっき、この呉王廟にいる昔のお友達があなたのお見えになっている事を知らせにいらして下さったので、あたしは、漢陽からいそいで飛んで来たのです。あなたの好きな竹青が、ちゃんとこうして来たのですから、もう、死ぬなんておそろしい事をお考えになっては、いやよ。ちょっと、あなたも痩せたわねえ。」
「痩せる筈さ。二度も続けて落第しちゃったんだ。故郷に帰れば、またどんな目に遭うかわからない。つくづくこの世が、いやになった。」
「あなたは、ご自分の故郷にだけ人生があると思い込んでいらっしゃるから、そんなに苦しくおなりになるのよ。人間到いたるところに青山せいざんがあるとか書生さんたちがよく歌っているじゃありませんか。いちど、あたしと一緒に漢陽の家へいらっしゃい。生きているのも、いい事だと、きっとお思いになりますから。」
「漢陽は、遠いなあ。」いずれが誘うともなく二人ならんで廟びょうの廊下から出て月下の湖畔を逍遥しょうようしながら、「父母在いませば遠く遊ばず、遊ぶに必ず方有り、というからねえ。」魚容は、もっともらしい顔をして、れいの如くその学徳の片鱗へんりんを示した。
「何をおっしゃるの。あなたには、お父さんもお母さんも無いくせに。」
「なんだ、知っているのか。しかし、故郷には父母同様の親戚の者たちが多勢いる。乃公は何とかして、あの人たちに、乃公の立派に出世した姿をいちど見せてやりたい。あの人たちは昔から乃公をまるで阿呆か何かみたいに思っているのだ。そうだ、漢陽へ行くよりは、これからお前と一緒に故郷に帰り、お前のその綺麗きれいな顔をみんなに見せて、おどろかしてやりたい。ね、そうしようよ。乃公は、故郷の親戚の者たちの前で、いちど、思いきり、大いに威張ってみたいのだ。故郷の者たちに尊敬されるという事は、人間の最高の幸福で、また終極の勝利だ。」
「どうしてそんなに故郷の人たちの思惑ばかり気にするのでしょう。むやみに故郷の人たちの尊敬を得たくて努めている人を、郷原きょうげんというんじゃなかったかしら。郷原は徳の賊なりと論語に書いてあったわね。」
 魚容は、ぎゃふんとまいって、やぶれかぶれになり、
「よし、行こう。漢陽に行こう。連れて行ってくれ。逝者ゆくものは斯かくの如き夫かな、昼夜を舎すてず。」てれ隠しに、甚はなはだ唐突な詩句を誦しょうして、あははは、と自らを嘲あざけった。
「まいりますか。」竹青はいそいそして、「ああ、うれしい。漢陽の家では、あなたをお迎えしようとして、ちゃんと仕度がしてあります。ちょっと、眼をつぶって。」
 魚容は言われるままに眼を軽くつぶると、はたはたと翼の音がして、それから何か自分の肩に薄い衣のようなものがかかったと思うと、すっとからだが軽くなり、眼をひらいたら、すでに二人は雌雄の烏、月光を受けて漆黒しっこくの翼は美しく輝き、ちょんちょん平沙を歩いて、唖々と二羽、声をそろえて叫んで、ぱっと飛び立つ。
 月下白光三千里の長江ちょうこう、洋々と東北方に流れて、魚容は酔えるが如く、流れにしたがっておよそ二ときばかり飛翔して、ようよう夜も明けはなれて遥はるか前方に水の都、漢陽の家々の甍いらかが朝靄あさもやの底に静かに沈んで眠っているのが見えて来た。近づくにつれて、晴川せいせん歴々たり漢陽の樹、芳草萋々せいせいたり鸚鵡おうむの洲、対岸には黄鶴楼の聳そびえるあり、長江をへだてて晴川閣と何事か昔を語り合い、帆影点々といそがしげに江上を往来し、更にすすめば大別山だいべつざんの高峰眼下にあり、麓ふもとには水漫々の月湖ひろがり、更に北方には漢水蜿蜒えんえんと天際に流れ、東洋のヴェニス一眸ぼうの中に収り、「わが郷関きょうかん何いずれの処ぞ是これなる、煙波江上、人をして愁えしむ」と魚容は、うっとり呟いた時、竹青は振りかえって、

#成毅[超话]#庭中多是梨花树,何必单恋栀子花

若心真纯栀子花 ,庭中怎有梨花树

庭中三千里花树,再无一枝入我心

三生三世遇见你,纵然悲凉也是情

花开花落终有时,相逢相聚本无情

早知知此绊人心,何如当初莫相识

两情若是久长时,又岂在朝朝暮暮

两岸猿声啼不住,轻舟已过万重山

相逢已是上上签,何须相思煮余年

有意栽花花不开,无心插柳柳成荫

遇你如春水梨花,花别你似秋风落叶

离我们最近的神,从成语“六神不安”来谈谈道教的身中六神与家宅六神!

我们在日常生活中常常会用到“六神不安”、“六神无主”这两个成语,那么究竟这六神是哪六神呢?也许很多人还不是很清楚,今天我们就借着这个成语来谈谈我们身边的神,身中六神与家宅六神。

成语中的六神无主与六神不安,意义相近。宋代高道张君房所编著的《云笈七签》中就有记载:“凡人卧,头边勿安放火炉,令人六神不安。”

元代刘唐卿的杂剧《降桑椹》第二折也有写到“今有蔡顺的母亲,病枕在床,俺家宅六神不安”。

那么这六神到底是哪里六神呢?

从上面的例子中我们可以了解到,这六神其实分为内外六神,内六神指的是我们人身中的六种神灵,外六神则是指家宅六神。

一、身中六神

道教讲人体内各部位都有神居住,身中六神分别是“心、肺、肝、肾、脾、胆”之神,对于这些神的名讳与形状,道经中有都有明确的记载,道经曰,“心神名丹元,字守灵,形长九寸。肺神名皓华,字虚成,形长八寸。肝神名龙烟,字舍明,形长七寸。肾神名玄冥,字育婴,形长三寸六分。脾神名常在,字魂庭,形长七寸三分。胆神名龙曜,字威明,形长三寸六分。”

人体周身各有所镇之神,内至精血筋骨,外至肢百节都有所司之神镇守其间。大致为:精血三真,名无生君,字黄凝子玄,镇我两乳之下源,骨节二真,名坚玉君,字凝羽珠,镇我太仓之府,五肠之口。

如果神在身体就健康,神不在就会生病,要使身体健康,就要通过存想,以意念引导神按照一定的路径运行,使身体各部的神安居其处所。

而在道教的一些法事中,也都有相应的咒语与存想呼唤身中诸神使之传言达信或护卫真身。

二、家宅六神

谈起家宅六神,则必须先从先秦时期的“五祀”说起,《礼记》载“祭五祀”,东汉郑玄注释为“门、井、户、灶、中溜”五种。

两相参照,东汉班固《白虎通义》也有此记载:“五祀者,何谓也?谓门、户、井、灶、中溜。”

此五祀,为后代门神户尉、井神、灶神、土神的滥觞,再加上厕神,合起来就是道教中的家宅六神,此六神与我们生活息息相关,慢待不得。

1. 门神户尉

门、户含义原来并不相同,《字书》解释为“一扇曰户,两扇曰门。又在于堂室东曰户,在于宅区域曰门。”也有认为在外者称门,在内者称户,不管何种解释,门户皆是建筑中出入的地方,所以古人对其也特别的重视。

先秦典籍《吕氏春秋》讲,孟春之月“其祀户”,仲春之月、季春之月亦然,秋季的三个月则祀门。为何有此分别,东汉高诱解释说,孟春“蛰伏之类始动生,出由户,故祀户”,“孟秋始内”,由门入,故祀门”,其根据是时序往复带给天地间万物的变化。

后代门户之分已经没有那么严格,对于门户的祭祀,也成为了对门神的祭祀。

最早的门神,称为神荼(shēn shū)和郁垒(yù lǜ)。王充《论衡·订鬼》引《山海经》:“沧海之中,有度朔之山。上有大桃木,其屈蟠三千里,其枝间东北曰鬼门,万鬼所出入也。上有二神人,一曰神荼,一曰郁垒,主阅领万鬼,恶害之鬼,执以苇索而以食虎。于是黄帝乃作礼以时驱之,立大桃人,门户画神荼郁垒与虎,悬苇索以御凶魅。”

日后百姓把他们视为捉鬼神差,将他们一同绘在门上,以保家宅平安,这就是两门神的典故。

到了唐代,门神渐渐为秦叔宝(秦琼)和尉迟敬德(尉迟恭)所取代。据《三教源流搜神大全》卷七记载,李世民即位后因早年杀人无数,夜夜梦恶鬼“寝门外抛砖弄瓦,鬼魅呼叫,三十六宫、七十二院、夜无宁静”。

大将秦琼与尉迟恭请求夜晚戎装守卫宫门两旁,后来唐太宗不忍心二位大将夜夜辛苦劳累的守卫,命画师画下二将发威形像贴于宫门两旁。结果后世沿袭,遂二人永为门神,人们就将居左的称为门神,居右的则称为户尉。

2. 灶神

民以食为天,每家每户都有厨房,在厨房里供奉的就是灶神了。灶神全名叫“九天东厨司命灶王府君”专司饮食之事,又监察人间善恶之事。对于灶的祭祀,从商朝就开始了,魏晋之后,灶神就有了名字,叫苏吉利,其夫人名为王博颊。

因其司人间善恶之事,故灶神左右随侍两神,一捧“善罐”、一捧“恶罐”,随时将一家人的行为记录保存于罐中,年终时总计之后再向玉皇上帝报告。所以每年农历十二月二十四号,他都会离开人间,上到天庭汇报一家善恶之事。

3. 井神

人类的生命离不开水,日常起居也都和水息息相关,而古时候除了在江河湖泊中取水之外,最重要的取水地点,就是井了,水井在人们生活中起有重要的作用,故家宅六神之中也有井神。

在北方地区,井神被称为水母娘娘,而在江南地区则信仰“井泉童子”。佛宗传入之后,有些地方也称井神为井泉龙王。

对于井神的祭祀,江南有民俗:大年三十,将预先买好的井泉童子神像放在竹筛内,再放些糕果茶酒之类,算是祭品。

然后,再将这竹筛放在井阑圈上,上面放些遮盖物,这就叫“封井”。往后,在送神之前,这井就不能再打水了。到正月初三或正月初五日,焚送神马,然后方能开井汲水。

据说,用刚开井所汲的水拭目,能令目不昏。除夕祭祀井神,有着酬报它一年中对人们作贡献的意义,体现了我们自古以来的感恩精神。

4. 中溜神

中溜神通常被认为是土地神的别称,关于其具体含义,存在不同的说法,中溜的含义一说是家的中央,一说是窗户,中溜神司一家大小之事又阴佑家人。

《礼记·郊特牲》中记载“家主中溜而国主社”。中溜以前也是作为重要祭祀的对象,但是现在似乎很少提及他,中溜神的职能与家宅土地非常类似,一家之中有人出生了,中溜神就会至东岳领取文书,详细记载此人的阳寿以及何时出生何时去世。

当家中有人要去世,阴司来勾魂的时候,中溜神还会拦住它,仔细检查符文,不准随便进来,如果检查属实,才会皱着眉头慢慢的放进来收魂,实在是一位善良而又负责的家神。

在古代笔记中曾经记载了中溜神的一个故事:

“朝奉郎刘安行,东州人,每遇啜茶,必先酹中溜神而后饮。一夕忽梦一老人告之曰:“主人禄命告终,阴符已下,而少迟之,幸速处置后事,明日午时,不可逾也。”刘起拜老人,且询其谁氏,曰:“我主人中溜神也。每承主人酹茶之荐,常思有以致效,今故奉报也。”

刘既悟,点计其家事,且语家人神告之详,云:“生死去来,理之常也。我自度平生无大过恶,独有一事,吾家厨婢采蘋者,执性刚戾,与其辈不足,若我死,必不能久留我家,出外则必大狼狈。今当急与求一亲,使之从良,且有所归,则我瞑目矣。”

因呼与白金十星,以为资遣。语毕,沐浴易服以侯。时至过午,忽觉少倦,就憩枕间,复梦其神欣跃而告曰:“主人今以嫁遣厨婢之事,天帝嘉之,已许延一纪之数矣。”已而睡起安然,后至宣和间,无病而卒。

5. 厕神

道教之中的司厕之神,又叫紫姑,厕神并不仅仅掌管厕所,而是主司占卜诸事,能知祸福,所以古人在正月十五这天都会迎厕神,用纸人或者木头做成紫姑的样子。

然后一边祭祀,一边把自己的心事向其诉说,或询问来年桑蚕之事。占卜的方式就是将木制丁字架置于沙盘上,架上插入一根竹筷,由二人用手指各扶一端,然后询问事情,通过沙盘走向来定吉凶。

对于厕神,如今已经少有人祭祀了,但是这一风俗却在邻国日本保留了下来。据说在福岛地区,人们在家里上厕所的时候,进去之前一定要先敲门,还要按照时间在门外说一声“早上好”或者“晚上好”之类的寒暄语。而且在日本有种说法,勤打扫厕所能招财,家中卫生间的清洁程度和钱包的厚度会成正比。

家宅六神作为家居保护神,一直在我们身边,虽然他们职位很小,却与我们息息相关。

东汉郑玄注《礼记·祭法》时,认为他们“非大神所祈报大事者也”,而是“小神居人之间司察小过作谴告者尔。”具体主管是:“司命主督察三命,中雷主堂室居处,门、户主出入,行主道路行作,厉主杀罚,灶主饮食之事。”

而每年将他们祭祀一遍,正好完成了一年四季的轮换。班固《白虎通义》中说“祭五祀所以岁一遍何?顺五行也。故春即祭户。户者,人所出入,亦春万物始触户而出也……秋祭门。门以闭藏自固也。秋亦万物成熟,内备自守也。”

无论是身中六神还是家宅六神,我们都应该礼敬,而这些神明实际上也在提醒我们无论是独处还是群处,都应该收敛身心,不可肆意妄为。


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