あと一度だけ奇跡は起こるだろう
期盼着最后一次奇迹的出现
優しい声で描く歪んだ未来
温柔声线勾勒着扭曲的未来
もう誰も泣かない世界の為に
为了让世界再也不会有泪水
紅く汚された空の
天空早已浸透血污
何処にも届かず消える叫びと祈り
就算嘶喊祈愿只会枉然飘散
慰めは捨てて行ける
也能抛开慰藉而行
奇麗な月の光が
当那清冷皎洁的月光
始まりへと沈み行く その彼方へ
缓缓落向遥远彼方的起点
閉ざされてく瞳で
这双即将合上的眼眸
まだ遠くへ 手を伸ばす
却还要向着远方伸出手去
君の嘆きを信じて
只因为坚信你的叹息
本当は誰が救われたくて
其实你是为了让谁得到拯救
迷う心が空に穴を穿つ
怀着迷茫的心 誓要打破天空
君を選んで
选择与你相伴
哀しみだけ消せはしない
若是唯有悲哀无法抹去
そんな人の心の理さえ
那就连世人心中的真理
この手で切り裂いて
也亲手将其撕裂
Down to zero we go
回归于零之起点
期盼着最后一次奇迹的出现
優しい声で描く歪んだ未来
温柔声线勾勒着扭曲的未来
もう誰も泣かない世界の為に
为了让世界再也不会有泪水
紅く汚された空の
天空早已浸透血污
何処にも届かず消える叫びと祈り
就算嘶喊祈愿只会枉然飘散
慰めは捨てて行ける
也能抛开慰藉而行
奇麗な月の光が
当那清冷皎洁的月光
始まりへと沈み行く その彼方へ
缓缓落向遥远彼方的起点
閉ざされてく瞳で
这双即将合上的眼眸
まだ遠くへ 手を伸ばす
却还要向着远方伸出手去
君の嘆きを信じて
只因为坚信你的叹息
本当は誰が救われたくて
其实你是为了让谁得到拯救
迷う心が空に穴を穿つ
怀着迷茫的心 誓要打破天空
君を選んで
选择与你相伴
哀しみだけ消せはしない
若是唯有悲哀无法抹去
そんな人の心の理さえ
那就连世人心中的真理
この手で切り裂いて
也亲手将其撕裂
Down to zero we go
回归于零之起点
[Digital Single] 光のトリル
好神奇的词+曲[思考]
作詞:こだまさおり
作曲・編曲:井内舞子
澄んだ朝靄を あそぶ光のトリル
微睡みの余韻
(怠惰に焦がれる 単調なジレンマ)
心の内側をなぞって
(誠実を嫌う 感傷のたくらみ)
旋回する自由な Feeling
(What’s your wish? …)
ありふれた世界
目覚める前の永遠を生きる
短いようで長い夢の中
ああ、もう少しだけこのまま 今はまだ
(微睡みの余韻)
いつか全てはこともなく満ちる
運命さとでも言いたげな顔で
ああ、眩しさに手を伸ばせばそこは
あたらしい朝
もっと欲張りに 願うための沈黙
光舞うエチュード
(昇華する涙 どうか行かないで)
苦笑うのはなぜ
(凡庸な自嘲に くちづけを落とす)
完璧な放物線で
(What’s your wish? …)
はじまりに、触れた
目覚める前の永遠を歩く
子供じみたクレームと知りながら
ああ、もう少しだけこのまま 今はまだ
(微睡みの余韻)
いつか全てはこともなく満ちる
イニシエイションは終わりを告げる
ああ、眩しさに手を伸ばせばそこは
あたらしい朝
好神奇的词+曲[思考]
作詞:こだまさおり
作曲・編曲:井内舞子
澄んだ朝靄を あそぶ光のトリル
微睡みの余韻
(怠惰に焦がれる 単調なジレンマ)
心の内側をなぞって
(誠実を嫌う 感傷のたくらみ)
旋回する自由な Feeling
(What’s your wish? …)
ありふれた世界
目覚める前の永遠を生きる
短いようで長い夢の中
ああ、もう少しだけこのまま 今はまだ
(微睡みの余韻)
いつか全てはこともなく満ちる
運命さとでも言いたげな顔で
ああ、眩しさに手を伸ばせばそこは
あたらしい朝
もっと欲張りに 願うための沈黙
光舞うエチュード
(昇華する涙 どうか行かないで)
苦笑うのはなぜ
(凡庸な自嘲に くちづけを落とす)
完璧な放物線で
(What’s your wish? …)
はじまりに、触れた
目覚める前の永遠を歩く
子供じみたクレームと知りながら
ああ、もう少しだけこのまま 今はまだ
(微睡みの余韻)
いつか全てはこともなく満ちる
イニシエイションは終わりを告げる
ああ、眩しさに手を伸ばせばそこは
あたらしい朝
さまざまな分野のクリエイターが、都会という場所にとらわれずに活躍している。アニメ「進撃の巨人」で作画監督を務めるなど人気作品に参加してきたアニメーターの富田恵美(とみためぐみ)さん(41)=黒潮町=と、気鋭の映画監督で、ミュージシャンとして2人組バンド「Bialystocks(ビアリストックス)」でも活動する甫木元空(ほきもとそら)さん(31)=四万十町。それぞれ数年前に高知に移住した2人は、のどかで自然豊かな土地から、広い世界に作品を発信している。
音楽・小説 多彩な活動 ルーツの地で何か撮りたい
「この子は難儀やったと思います。埼玉ではお父さんが逝って、高知ではお母さんが逝ってね…」。四万十町の山あいにある民家。甫木元さんの祖父、尊英(たかひで)さん(91)が、縁側の椅子にゆっくり腰掛けながら話し始めた。
甫木元さんは少し離れて、赤い実を付けたナンテンが植わる庭の方を黙って見つめている。
尊英さんは両手を膝に置き「まこと、つらかったことよねー。そんな気持ちが映画や小説にはよう出ちゅうと思います」。ちょっと間を置いて「ほんでも僕は…」と孫を見ながら「この子の作品は物語の筋が少し分かりにくいと思うがよ。もっと起承転結でよね、ピシャッとしたもんにせんといかんわね」。
小学校の元教員だった尊英さん。まるで担任の先生が教え子の作文を採点するかのような言葉に、甫木元さんが「ははっ」と声を上げて笑うと、にっこり優しい笑顔を向けた―。
埼玉県で市民ミュージカルなどの舞台演出をする父と、ピアノ講師をする母の間に生まれた甫木元さん。フォークソングや童謡がいつも自然と流れているような家庭で育った。2013年、がんを患っていた父と死別。その時に考えた死生観を作品化した長編映画「はるねこ」(16年)で監督、脚本、音楽を手掛けた。22年にバンド「Bialystocks」でポニーキャニオンのレーベルからデビューし、23年には新潮社から小説を出版。多才ぶりを発揮する気鋭が、なぜ同町で祖父と暮らすのか―。自宅を訪ねた。
甫木元さんが母・志津さんの故郷である同町に移り住んだのは17年。志津さんは甫木元さんより先に、1人暮らしの父をみるため実家に戻っていた。「母は来てすぐ、がんが見つかり、余命宣告を受けました。90歳近い祖父と末期がんの母、心配ですよね。それに僕のルーツの高知で何か撮りたいって思いがありました」
甫木元さんが手掛けた映画「はだかのゆめ」(22年)、同名小説(23年)は、尊英さんや21年に亡くなった志津さんと暮らした記録がベースになっている。
家の前の畑には菜花、大根、白菜、タマネギなどが植わっている。「みんなじいちゃんが作ってます。元気っすよねー、ほんと。90過ぎているんですけどね」。都会的な雰囲気をまとい、口数が少ない甫木元さんだが、尊英さんの話になるとうれしそうに話す。
「あの木ですね」。甫木元さんが指さす畑の向こうには、ネムノキが白い枝を広げている。「僕の寝る部屋からいつも見えるんです。芽吹き、花が咲いて、実を付け、葉が枯れて散っていく。窓の外の風景が四季と一緒に移り変わっていくさまが、高知に来ていとおしく感じられるようになりました」
「片付けられないでいる」という志津さんの机と椅子。甫木元さんはそっと腰掛ける。「父が亡くなり、今度は母も亡くなろうしている時、じいちゃんが『なるようにしかならん』みたいなことを言っていて…。どうにもならないことにはあらがおうとはせず、のみ込みながら、淡々と畑仕事をしたり、ブシュカンを搾って焼酎を飲んだり、朝ドラや大河ドラマを欠かさず見たり…」
そんな祖父の姿を目にして「近くの四万十川に架かる沈下橋のようだなって。台風が来たら来たで沈んでしまう沈下橋のような。僕の中でとても腑(ふ)に落ちたんです」。
この日は高知県立美術館で行われる個展の開幕日。支度する甫木元さんに、尊英さんが声を掛ける。「空よ。晩ご飯は戻らんか? 魚、さばこうと思いゆうけんど。そうか、夜はイベントか」
「じゃあ行ってくる」と玄関の引き戸に手を掛ける甫木元さんを「おい、空」と呼び止める尊英さん。わざわざ靴を履き、近寄って目を見つめ「無理はな、し過ぎられんぞ」と話す。甫木元さんはちょっと照れくさそうに「うん」と一言だけ返して家を後にした―。
「高知は不便ですよ。レコーディングや打ち合わせなんかは東京ですから。でも、なるようになるでしょう。移り住んで7年になろうとしていますが、映画も音楽も小説も、僕が描いたのは高知で暮らす日常の風景です。それに、じいちゃんがいますしね」(久保俊典)
ほきもと・そら 埼玉県越生(おごせ)町生まれ。多摩美術大学映像演劇学科卒業。在学中に「EUREKA ユリイカ」などで知られる映画監督の故・青山真治のゼミ生として教えを受けた。主な監督作品として、同町を舞台にした「はるねこ」(2016年)、四万十町での移住生活を投影した「はだかのゆめ」(22年)がある。19年にバンド「Bialystocks」を結成。23年には「はだかのゆめ」の原案である同名小説を刊行した。
音楽・小説 多彩な活動 ルーツの地で何か撮りたい
「この子は難儀やったと思います。埼玉ではお父さんが逝って、高知ではお母さんが逝ってね…」。四万十町の山あいにある民家。甫木元さんの祖父、尊英(たかひで)さん(91)が、縁側の椅子にゆっくり腰掛けながら話し始めた。
甫木元さんは少し離れて、赤い実を付けたナンテンが植わる庭の方を黙って見つめている。
尊英さんは両手を膝に置き「まこと、つらかったことよねー。そんな気持ちが映画や小説にはよう出ちゅうと思います」。ちょっと間を置いて「ほんでも僕は…」と孫を見ながら「この子の作品は物語の筋が少し分かりにくいと思うがよ。もっと起承転結でよね、ピシャッとしたもんにせんといかんわね」。
小学校の元教員だった尊英さん。まるで担任の先生が教え子の作文を採点するかのような言葉に、甫木元さんが「ははっ」と声を上げて笑うと、にっこり優しい笑顔を向けた―。
埼玉県で市民ミュージカルなどの舞台演出をする父と、ピアノ講師をする母の間に生まれた甫木元さん。フォークソングや童謡がいつも自然と流れているような家庭で育った。2013年、がんを患っていた父と死別。その時に考えた死生観を作品化した長編映画「はるねこ」(16年)で監督、脚本、音楽を手掛けた。22年にバンド「Bialystocks」でポニーキャニオンのレーベルからデビューし、23年には新潮社から小説を出版。多才ぶりを発揮する気鋭が、なぜ同町で祖父と暮らすのか―。自宅を訪ねた。
甫木元さんが母・志津さんの故郷である同町に移り住んだのは17年。志津さんは甫木元さんより先に、1人暮らしの父をみるため実家に戻っていた。「母は来てすぐ、がんが見つかり、余命宣告を受けました。90歳近い祖父と末期がんの母、心配ですよね。それに僕のルーツの高知で何か撮りたいって思いがありました」
甫木元さんが手掛けた映画「はだかのゆめ」(22年)、同名小説(23年)は、尊英さんや21年に亡くなった志津さんと暮らした記録がベースになっている。
家の前の畑には菜花、大根、白菜、タマネギなどが植わっている。「みんなじいちゃんが作ってます。元気っすよねー、ほんと。90過ぎているんですけどね」。都会的な雰囲気をまとい、口数が少ない甫木元さんだが、尊英さんの話になるとうれしそうに話す。
「あの木ですね」。甫木元さんが指さす畑の向こうには、ネムノキが白い枝を広げている。「僕の寝る部屋からいつも見えるんです。芽吹き、花が咲いて、実を付け、葉が枯れて散っていく。窓の外の風景が四季と一緒に移り変わっていくさまが、高知に来ていとおしく感じられるようになりました」
「片付けられないでいる」という志津さんの机と椅子。甫木元さんはそっと腰掛ける。「父が亡くなり、今度は母も亡くなろうしている時、じいちゃんが『なるようにしかならん』みたいなことを言っていて…。どうにもならないことにはあらがおうとはせず、のみ込みながら、淡々と畑仕事をしたり、ブシュカンを搾って焼酎を飲んだり、朝ドラや大河ドラマを欠かさず見たり…」
そんな祖父の姿を目にして「近くの四万十川に架かる沈下橋のようだなって。台風が来たら来たで沈んでしまう沈下橋のような。僕の中でとても腑(ふ)に落ちたんです」。
この日は高知県立美術館で行われる個展の開幕日。支度する甫木元さんに、尊英さんが声を掛ける。「空よ。晩ご飯は戻らんか? 魚、さばこうと思いゆうけんど。そうか、夜はイベントか」
「じゃあ行ってくる」と玄関の引き戸に手を掛ける甫木元さんを「おい、空」と呼び止める尊英さん。わざわざ靴を履き、近寄って目を見つめ「無理はな、し過ぎられんぞ」と話す。甫木元さんはちょっと照れくさそうに「うん」と一言だけ返して家を後にした―。
「高知は不便ですよ。レコーディングや打ち合わせなんかは東京ですから。でも、なるようになるでしょう。移り住んで7年になろうとしていますが、映画も音楽も小説も、僕が描いたのは高知で暮らす日常の風景です。それに、じいちゃんがいますしね」(久保俊典)
ほきもと・そら 埼玉県越生(おごせ)町生まれ。多摩美術大学映像演劇学科卒業。在学中に「EUREKA ユリイカ」などで知られる映画監督の故・青山真治のゼミ生として教えを受けた。主な監督作品として、同町を舞台にした「はるねこ」(2016年)、四万十町での移住生活を投影した「はだかのゆめ」(22年)がある。19年にバンド「Bialystocks」を結成。23年には「はだかのゆめ」の原案である同名小説を刊行した。
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