吉田拓郎 ラストアルバム協力者に指名したKinKi Kidsとの強い絆
年の差が30才以上ある親友を持つ人はどれだけいるだろうか。30才下の人を、心から尊敬し、それを態度に出せる中高年がどれだけいるだろうか。30才上の人に、失礼なく純真な心で肩を組むことができる若者がどれだけいるだろうか。この3人は、それができる、25年間ずっと。
「音楽人生すべてからのリタイアが決まる」
吉田拓郎(74才)の歌手としての終活が、最終章に向かっている。
「昨年7月、今夏のツアーをもってライブ活動に終止符を打つことを発表しました。しかし、その3か月後に、新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない状況を鑑みて、そのラストツアーを中止、さらにはファンクラブの閉会を発表、ファンに衝撃が走ったのです」(音楽関係者)
延期ではなく中止であることからも吉田の終活への本気度がうかがえる。3月12日の自身のラジオ番組でも、「生まれたからには、消えていくという運命が待っているわけです」と死生観を語り、妻で女優の森下愛子(62才)への思いを続けて口にした。
「この頃はぼくも年齢のせいでしょうね。心から強く思うんですけども、いつか、一緒にね。パートナーと、彼女と一緒にこの世から消えていけるといいなと、なんとなく思うね。一緒に消えたい、というのがあるんだな」
人生を閉じるときはパートナーと一緒がよい。そう考える吉田は同じ日、もう1つのパートナーである、自身の歌と一緒に旅立つことを想定した企画『吉田拓郎が天国の夢の島に持って行きたい7曲』を発表した。
「多くの作品を生み出してきた拓郎さんが、天国で聴きたい自分の曲ですから、どんな曲を選ぶのか、結果を待ちかねていました。ファンからは2万件を超える予想が寄せられて、うち約400件が的中したそうです」(吉田のファン)
その7曲とは、(1)『吉田町の唄』(2)『流星』(3)『君のスピードで』(4)『慕情』(5)『やせっぽちのブルース』(6)『いくつになってもhappy birthday』(7)『ペニーレインでバーボン』だ(順位付けはなく、発表順)。『小説 吉田拓郎 いつも見ていた広島』(小学館)の著者で音楽評論家の田家秀樹さんが、解説する。
「7曲すべて、作詞・作曲が吉田拓郎本人です。最近は、1970年代の代表的な曲『旅の宿』も歌っていなかったように、曲も言葉もすべて自分でやろうとしています。音楽人生の最後をどう締めくくるか。音楽家吉田拓郎、人間吉田拓郎のこだわりや理想、愛情表現、これまでの人生に対して思うことすべてがここにあると思わせてくれる選曲になっています」
吉田はこの7曲それぞれについて語った後、ある最後の夢を打ち明けた。
《この夢が叶ったら、吉田拓郎の音楽人生すべてからのリタイアが決まる》
それは、ラストアルバムの制作。そしてその最後の夢の協力者として指名されたのが、KinKi Kids(以下、キンキ)だった。
焼肉店とハワイロケ
吉田とキンキの交流が始まったのは25年前に遡る。『LOVE LOVE あいしてる』(フジテレビ系、以下、『LOVE2』)での共演がきっかけだった。当時、キンキはアイドルとしてのデビュー前の10代で、一方の吉田はすでに50才のベテランミュージシャン。化学反応が起きれば最高だが、起こらなければ、最悪だ。
「開始当初、拓郎さんを番組に誘ったプロデューサーのきくち伸さんは頭を抱えていましたよ。結局、化学反応は起こらず、拓郎さんはブスっとしたまま。拓郎さんは胸ポケットに辞表を忍ばせて収録に臨んでいたという伝説が残るほど、収録を嫌っていましたね」(テレビ局関係者)
しかし、吉田とキンキは意外な場所で急速に仲を深める。
「3人をはじめとした出演者、それからスタッフで焼肉に行ったことがあるんです。そのとき拓郎さんはこの番組を辞めたくて仕方ない様子で、終始イライラモード。その空気を“壊した”のがキンキの2人だったんです。
剛さん(41才)が肉を吉田さんのご飯の上にのせて『食べなはれ』と言えば、光一さん(42才)がビールを注いで『飲みなはれ』と言って。まるで年上が年下に見せる包容力を見せた。2人の魅力が、拓郎さんのプライドに勝った瞬間で、そのときから距離が縮まったのです」(番組関係者)
光一は後にインタビューに答えて、吉田を《ナイーブな、乙女のような人》と評している。直接「一緒に頑張りましょうよ」と、言葉にするよりも、その方が吉田の負担にならないと、自然に感じ取っていたに違いない。
さらに、吉田がギターを2人に教える企画では、忙しい時間を縫って、吉田が出した課題を必ずマスターして次の収録に来る。そんな真面目な姿に、“最近の若者は……”という思いは消え、尊敬の念すら芽生え始める。30才以上年の離れた者同士が確実に心を通わせたのは、番組開始から半年のタイミングでハワイにロケに行ったときだった。
「スタジオ収録に辟易していた吉田の鶴の一声で決まったハワイロケには、多忙なキンキの2人以外に、拓郎さんと交流のある泉谷しげるさん(72才)や、奥さんの森下さんまで参加するのびのびとしたものでした」(前出・番組関係者)
夜には降り注ぐような星空の下で、親子ほど年の離れた男たちは、時間が経つのを忘れ、さまざまなことを話し合った。その翌日のロケからは、誰の目にも明らかな一体感があったという。
「あのときは番組3本分を収録しました。予算的にはだいぶ思い切りましたけど、あのハワイロケがあったから、その後、4年間続く番組になったんです。師弟関係というより、対等にリスペクトし合う親友のような関係になったのだと思っています。番組終了後も、メールでのやりとりをするようになったそうですよ」(前出・番組関係者)
番組終了を知らされた吉田は心から悲しみ、『ありがとう』という、2人に向けた曲を制作したほどだ。そして今回──異なる世代の親友のことを、終活を進める吉田は忘れていなかった。
「拓郎さんは2人の異なる個性もよくわかっていて、コロナ禍では特に、インドア派の剛さんのことを気にかけていました。あとは、彼の音楽性に惚れているところがありましてね。そこで、昨年11月頃に拓郎さんから電話をして、剛さんが率いる音楽ユニット『ENDRECHERI』にラストアルバムの制作に参加してほしいと依頼したそうです。剛さんは快諾し、アレンジャーとしてかかわることになっています」(別の音楽関係者)
もちろん、光一のことも吉田は忘れていない。
「舞台プロデューサーとしても活躍している光一さんへの期待も大きいようですよ。というか、拓郎さんはどちらがどう、ということはなく、KinKi Kidsが好きですからね」(前出・別の音楽関係者)
実際、吉田はラジオでも、《これはぼくらの友情の証として残したいと思ってるんで、剛と光一にも世話になりたいなと思っているわけです》と語っている。その証は、映像としても記録に残されそうだ。
「吉田さんは、ラストアルバムのレコーディングの過程を撮影し、映画化するという構想を持っています。ですから、『LOVE2』の3人が和気あいあいと音楽談議を繰り広げる様子が見られるかもしれません」(前出・別の音楽関係者)
終活によって余計なものを手放したいま、吉田にとってはキンキの2人が、以前にも増して大切な存在として浮かび上がってきている。そうした吉田の思いをキンキの2人は全部だきしめて、最後の約束を果たそうとしている。吉田もまた、胸いっぱいのありがとうを2人に届けるのだろう。
※女性セブン2021年4月1日号
年の差が30才以上ある親友を持つ人はどれだけいるだろうか。30才下の人を、心から尊敬し、それを態度に出せる中高年がどれだけいるだろうか。30才上の人に、失礼なく純真な心で肩を組むことができる若者がどれだけいるだろうか。この3人は、それができる、25年間ずっと。
「音楽人生すべてからのリタイアが決まる」
吉田拓郎(74才)の歌手としての終活が、最終章に向かっている。
「昨年7月、今夏のツアーをもってライブ活動に終止符を打つことを発表しました。しかし、その3か月後に、新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない状況を鑑みて、そのラストツアーを中止、さらにはファンクラブの閉会を発表、ファンに衝撃が走ったのです」(音楽関係者)
延期ではなく中止であることからも吉田の終活への本気度がうかがえる。3月12日の自身のラジオ番組でも、「生まれたからには、消えていくという運命が待っているわけです」と死生観を語り、妻で女優の森下愛子(62才)への思いを続けて口にした。
「この頃はぼくも年齢のせいでしょうね。心から強く思うんですけども、いつか、一緒にね。パートナーと、彼女と一緒にこの世から消えていけるといいなと、なんとなく思うね。一緒に消えたい、というのがあるんだな」
人生を閉じるときはパートナーと一緒がよい。そう考える吉田は同じ日、もう1つのパートナーである、自身の歌と一緒に旅立つことを想定した企画『吉田拓郎が天国の夢の島に持って行きたい7曲』を発表した。
「多くの作品を生み出してきた拓郎さんが、天国で聴きたい自分の曲ですから、どんな曲を選ぶのか、結果を待ちかねていました。ファンからは2万件を超える予想が寄せられて、うち約400件が的中したそうです」(吉田のファン)
その7曲とは、(1)『吉田町の唄』(2)『流星』(3)『君のスピードで』(4)『慕情』(5)『やせっぽちのブルース』(6)『いくつになってもhappy birthday』(7)『ペニーレインでバーボン』だ(順位付けはなく、発表順)。『小説 吉田拓郎 いつも見ていた広島』(小学館)の著者で音楽評論家の田家秀樹さんが、解説する。
「7曲すべて、作詞・作曲が吉田拓郎本人です。最近は、1970年代の代表的な曲『旅の宿』も歌っていなかったように、曲も言葉もすべて自分でやろうとしています。音楽人生の最後をどう締めくくるか。音楽家吉田拓郎、人間吉田拓郎のこだわりや理想、愛情表現、これまでの人生に対して思うことすべてがここにあると思わせてくれる選曲になっています」
吉田はこの7曲それぞれについて語った後、ある最後の夢を打ち明けた。
《この夢が叶ったら、吉田拓郎の音楽人生すべてからのリタイアが決まる》
それは、ラストアルバムの制作。そしてその最後の夢の協力者として指名されたのが、KinKi Kids(以下、キンキ)だった。
焼肉店とハワイロケ
吉田とキンキの交流が始まったのは25年前に遡る。『LOVE LOVE あいしてる』(フジテレビ系、以下、『LOVE2』)での共演がきっかけだった。当時、キンキはアイドルとしてのデビュー前の10代で、一方の吉田はすでに50才のベテランミュージシャン。化学反応が起きれば最高だが、起こらなければ、最悪だ。
「開始当初、拓郎さんを番組に誘ったプロデューサーのきくち伸さんは頭を抱えていましたよ。結局、化学反応は起こらず、拓郎さんはブスっとしたまま。拓郎さんは胸ポケットに辞表を忍ばせて収録に臨んでいたという伝説が残るほど、収録を嫌っていましたね」(テレビ局関係者)
しかし、吉田とキンキは意外な場所で急速に仲を深める。
「3人をはじめとした出演者、それからスタッフで焼肉に行ったことがあるんです。そのとき拓郎さんはこの番組を辞めたくて仕方ない様子で、終始イライラモード。その空気を“壊した”のがキンキの2人だったんです。
剛さん(41才)が肉を吉田さんのご飯の上にのせて『食べなはれ』と言えば、光一さん(42才)がビールを注いで『飲みなはれ』と言って。まるで年上が年下に見せる包容力を見せた。2人の魅力が、拓郎さんのプライドに勝った瞬間で、そのときから距離が縮まったのです」(番組関係者)
光一は後にインタビューに答えて、吉田を《ナイーブな、乙女のような人》と評している。直接「一緒に頑張りましょうよ」と、言葉にするよりも、その方が吉田の負担にならないと、自然に感じ取っていたに違いない。
さらに、吉田がギターを2人に教える企画では、忙しい時間を縫って、吉田が出した課題を必ずマスターして次の収録に来る。そんな真面目な姿に、“最近の若者は……”という思いは消え、尊敬の念すら芽生え始める。30才以上年の離れた者同士が確実に心を通わせたのは、番組開始から半年のタイミングでハワイにロケに行ったときだった。
「スタジオ収録に辟易していた吉田の鶴の一声で決まったハワイロケには、多忙なキンキの2人以外に、拓郎さんと交流のある泉谷しげるさん(72才)や、奥さんの森下さんまで参加するのびのびとしたものでした」(前出・番組関係者)
夜には降り注ぐような星空の下で、親子ほど年の離れた男たちは、時間が経つのを忘れ、さまざまなことを話し合った。その翌日のロケからは、誰の目にも明らかな一体感があったという。
「あのときは番組3本分を収録しました。予算的にはだいぶ思い切りましたけど、あのハワイロケがあったから、その後、4年間続く番組になったんです。師弟関係というより、対等にリスペクトし合う親友のような関係になったのだと思っています。番組終了後も、メールでのやりとりをするようになったそうですよ」(前出・番組関係者)
番組終了を知らされた吉田は心から悲しみ、『ありがとう』という、2人に向けた曲を制作したほどだ。そして今回──異なる世代の親友のことを、終活を進める吉田は忘れていなかった。
「拓郎さんは2人の異なる個性もよくわかっていて、コロナ禍では特に、インドア派の剛さんのことを気にかけていました。あとは、彼の音楽性に惚れているところがありましてね。そこで、昨年11月頃に拓郎さんから電話をして、剛さんが率いる音楽ユニット『ENDRECHERI』にラストアルバムの制作に参加してほしいと依頼したそうです。剛さんは快諾し、アレンジャーとしてかかわることになっています」(別の音楽関係者)
もちろん、光一のことも吉田は忘れていない。
「舞台プロデューサーとしても活躍している光一さんへの期待も大きいようですよ。というか、拓郎さんはどちらがどう、ということはなく、KinKi Kidsが好きですからね」(前出・別の音楽関係者)
実際、吉田はラジオでも、《これはぼくらの友情の証として残したいと思ってるんで、剛と光一にも世話になりたいなと思っているわけです》と語っている。その証は、映像としても記録に残されそうだ。
「吉田さんは、ラストアルバムのレコーディングの過程を撮影し、映画化するという構想を持っています。ですから、『LOVE2』の3人が和気あいあいと音楽談議を繰り広げる様子が見られるかもしれません」(前出・別の音楽関係者)
終活によって余計なものを手放したいま、吉田にとってはキンキの2人が、以前にも増して大切な存在として浮かび上がってきている。そうした吉田の思いをキンキの2人は全部だきしめて、最後の約束を果たそうとしている。吉田もまた、胸いっぱいのありがとうを2人に届けるのだろう。
※女性セブン2021年4月1日号
青木さん家の奧さん 2/28 最後の挨拶
大晴「全32公演、健康で突っ走ることができました。去年、丈くん大橋くん末澤くんリチャくんがやっていたのを見学して、本当に大変なことをやっているなと思っていました。今年、自分がやってみて、スタッフさんお客さんのお陰で楽しくやることができました好きな音楽とか分かるくらい、すごい絆が深まりました。Aぇgroup!、なにわ男子と別々のグループではありますけど、これからもそれぞれ頑張っていきたいと思いますので、応援のほどよろしくお願いします!」
-
小島「TKTとか許してもらえる空間を作って頂いて、楽屋もずっと話してて、誰かが寝ようとしたら寝させなくて、もう寝る時は4人揃ってじゃないといけなくて」
丈「どんな楽屋やねんw」
小島「もうサーカスよ。この最高の3人と最高のスタッフさん、最高お客さんで最高って最も高いって意味なんですけど、最高以外に言えないくらい最高な1月2月を過ごすことができました。また4人で落ち着いたら、ご飯とか海とか行こうと思います。ありがとうございました!」
丈「ご飯か海なんやw夏でもないのにw」
-
丈「まずは東京大阪と無事に終えることができてホッとしています。横山くんからも始まる前に頑張れよって電話もらって、横山くんも舞台あって忙しいのに本当に優しい後輩思いの先輩です。スタッフさんも始まる前にステージ上の物とか僕たちが触るもの消毒してくれたり会場のスタッフさんも感染予防してくれて、何より来てくれるお客さんもマスクだったり協力していただいたからこそ僕たちはここに立てています。本当にありがとうございます。この舞台は関西ジュニアしかできない舞台だと思っています。またもしあれば関西ジュニアの誰かで!これは大人に言っています!笑
ぜひ関西ジュニアでお願いします!
これからも関西ジャニーズJr.をよろしくお願いします。ありがとうございました!」
-
長尾「とても良い経験をさせていただきました。この中では最年少で、去年見学に来た時は大変なことやってるなって思ってだんですけど、いざ自分がやるってなって不安や怖い部分があったんですけど、去年出ていた丈くんや大晴くん小島くんの背中を見てやり切ることができました。優しいスタッフさんや、何より皆さんがここまで着いてきてくださったからこそです。僕は去年の京セラからお客さんの前に立つことが出来てなかったんですけど、やっと皆さんに会えて嬉しかったです。こんな状況ですけど、今年はもっと会える機会があればいいなと思います!来年もあるか分かりませんが、このメンバーではないかもしれませんが、これからも応援よろしくお願いします!」
大晴「全32公演、健康で突っ走ることができました。去年、丈くん大橋くん末澤くんリチャくんがやっていたのを見学して、本当に大変なことをやっているなと思っていました。今年、自分がやってみて、スタッフさんお客さんのお陰で楽しくやることができました好きな音楽とか分かるくらい、すごい絆が深まりました。Aぇgroup!、なにわ男子と別々のグループではありますけど、これからもそれぞれ頑張っていきたいと思いますので、応援のほどよろしくお願いします!」
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小島「TKTとか許してもらえる空間を作って頂いて、楽屋もずっと話してて、誰かが寝ようとしたら寝させなくて、もう寝る時は4人揃ってじゃないといけなくて」
丈「どんな楽屋やねんw」
小島「もうサーカスよ。この最高の3人と最高のスタッフさん、最高お客さんで最高って最も高いって意味なんですけど、最高以外に言えないくらい最高な1月2月を過ごすことができました。また4人で落ち着いたら、ご飯とか海とか行こうと思います。ありがとうございました!」
丈「ご飯か海なんやw夏でもないのにw」
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丈「まずは東京大阪と無事に終えることができてホッとしています。横山くんからも始まる前に頑張れよって電話もらって、横山くんも舞台あって忙しいのに本当に優しい後輩思いの先輩です。スタッフさんも始まる前にステージ上の物とか僕たちが触るもの消毒してくれたり会場のスタッフさんも感染予防してくれて、何より来てくれるお客さんもマスクだったり協力していただいたからこそ僕たちはここに立てています。本当にありがとうございます。この舞台は関西ジュニアしかできない舞台だと思っています。またもしあれば関西ジュニアの誰かで!これは大人に言っています!笑
ぜひ関西ジュニアでお願いします!
これからも関西ジャニーズJr.をよろしくお願いします。ありがとうございました!」
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長尾「とても良い経験をさせていただきました。この中では最年少で、去年見学に来た時は大変なことやってるなって思ってだんですけど、いざ自分がやるってなって不安や怖い部分があったんですけど、去年出ていた丈くんや大晴くん小島くんの背中を見てやり切ることができました。優しいスタッフさんや、何より皆さんがここまで着いてきてくださったからこそです。僕は去年の京セラからお客さんの前に立つことが出来てなかったんですけど、やっと皆さんに会えて嬉しかったです。こんな状況ですけど、今年はもっと会える機会があればいいなと思います!来年もあるか分かりませんが、このメンバーではないかもしれませんが、これからも応援よろしくお願いします!」
#川津明日香[超话]##tokusatsu-heroines##假面骑士圣刃##川津明日香# Ins更新[爱你]
本日21歳になりました!
現場でお祝いして頂きました
いつも応援して下さっている皆様
有難うございます!
仮面ライダーセイバーも
中盤に差し掛かってきて絆もより深まって
とても楽しい毎日を過ごせています!
これからも宜しくお願いします☺︎
本日21歳になりました!
現場でお祝いして頂きました
いつも応援して下さっている皆様
有難うございます!
仮面ライダーセイバーも
中盤に差し掛かってきて絆もより深まって
とても楽しい毎日を過ごせています!
これからも宜しくお願いします☺︎
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