2024/1/20 21:00
おはこんばんみ☕️
昨日、インスタの質問箱回答中の僕を(TeamS)NOSUKEさんが撮影していて…
変顔を撮られているとは知らず…
さすがに恥ずかったので…
頑張ってカッコつけた結果がこれ。
ほら。
大丈夫でしょ?(笑)(´⊙ω⊙`)
☑️ Sexy Zone New Single
【puzzle】2024.03.06 Release
中島健人(けんてぃー)が主演のドラマ【リビングの松永さん】主題歌。この楽曲はシェアハウスを舞台にしたドラマ同様、パズルのピースのように様々な形がある個性をお互いに認め合う事や、人と人との繋がりをテーマにした、前向きで温もりを感じられる愛のうたになっています。
#SO GOOD DAY#
おはこんばんみ☕️
昨日、インスタの質問箱回答中の僕を(TeamS)NOSUKEさんが撮影していて…
変顔を撮られているとは知らず…
さすがに恥ずかったので…
頑張ってカッコつけた結果がこれ。
ほら。
大丈夫でしょ?(笑)(´⊙ω⊙`)
☑️ Sexy Zone New Single
【puzzle】2024.03.06 Release
中島健人(けんてぃー)が主演のドラマ【リビングの松永さん】主題歌。この楽曲はシェアハウスを舞台にしたドラマ同様、パズルのピースのように様々な形がある個性をお互いに認め合う事や、人と人との繋がりをテーマにした、前向きで温もりを感じられる愛のうたになっています。
#SO GOOD DAY#
*幾原の作品においては、約束=呪い(トラウマ)こそが現状を突破する力となっている。
❤️ここにおいて、人間にとっての他なる存在としてのクマ=銀子との関わり合いこそが、紅羽の解放のための重要な鍵となる。いや、関わり合いという言葉では生ぬるいだろう。紅羽はクマ=銀子の手前で自らを破壊し、クマになることを願う。願うだけでなく実際にクマへと変化してしまう。断絶をはさんだ他なる世界の存在と出会い、あまつさえ他者そのものへと変身を遂げてしまうということ。銀子-紅羽の解放の契機はここなのであり、これこそが『ユリ熊嵐』の描き出す、『ウテナ』から受け渡された反復のうちにある差異の中心部分となるだろう。
❤️紅羽から銀子への「スキ」の核心には、銀子がただ傷ついてそこにいたこと、誰かを求めていたことがある。種族の差異にも、相手が自分に何をしてくれたかということにもとらわれず、ただそこに傷ついた存在としてあるがゆえに相手を慈しむというプリミティヴな情愛が愛の関係のもっとも核心に置かれていることに、愛の物語としての本作のスタンスを見て取ることができよう。果たして、彼女らの間に「断絶」はあったのだろうか。幼い日の、ただ傷ついた命として慈しみ合うという経験に根差した二人の関係には、「断絶」と呼ぶべき根本的な共生の困難さは含まれず、むしろ「断絶」と見えたものは、実際には二人とも同様に、その傷つきやすさゆえに慈しむべき命であったということの忘却に過ぎないのではないか。
❤️いて他者と関係を深めるためには、恋愛、敬愛にかかわらず、「私は特別な感情を相手に抱いている」という状態の表現が必要となる。『ユリ熊嵐』では、この状態の表現を「スキ」とした。「見つけてほしい」という願いは、他者に自分の存在を認め受け入れてほしいという承認欲求のひとつの形であり、「見つけられる」のはそれが満たされることだと言える。そして『ユリ熊嵐』では、「見つけられる」ことが、スキを与えられること、愛情を注がれることにも繋がっている。彼女たちが望むことは、「見つけられる」こと、愛情を受け取るだけではなく、「見つける」こと、自身が相手に愛情を与えることなのではないだろうか。
❤️また「スキ」は、キャラクター同士の関係性をより複雑化させるため、「キス」よりも物語の舞台装置として強く機能する。感情の結果としての行為が存在し、行為よりも感情が尊いという状態の肯定は、作中の銀子や紅羽の「わたしはスキを諦めない」という台詞が何度も見られることからも明らかである。これは愛を言語化せず物語が進行し、時にキスやデートなどのイベントが発生するという、いわば感情と行為が同じレイヤー上に存在する異。
❤️ここにおいて、人間にとっての他なる存在としてのクマ=銀子との関わり合いこそが、紅羽の解放のための重要な鍵となる。いや、関わり合いという言葉では生ぬるいだろう。紅羽はクマ=銀子の手前で自らを破壊し、クマになることを願う。願うだけでなく実際にクマへと変化してしまう。断絶をはさんだ他なる世界の存在と出会い、あまつさえ他者そのものへと変身を遂げてしまうということ。銀子-紅羽の解放の契機はここなのであり、これこそが『ユリ熊嵐』の描き出す、『ウテナ』から受け渡された反復のうちにある差異の中心部分となるだろう。
❤️紅羽から銀子への「スキ」の核心には、銀子がただ傷ついてそこにいたこと、誰かを求めていたことがある。種族の差異にも、相手が自分に何をしてくれたかということにもとらわれず、ただそこに傷ついた存在としてあるがゆえに相手を慈しむというプリミティヴな情愛が愛の関係のもっとも核心に置かれていることに、愛の物語としての本作のスタンスを見て取ることができよう。果たして、彼女らの間に「断絶」はあったのだろうか。幼い日の、ただ傷ついた命として慈しみ合うという経験に根差した二人の関係には、「断絶」と呼ぶべき根本的な共生の困難さは含まれず、むしろ「断絶」と見えたものは、実際には二人とも同様に、その傷つきやすさゆえに慈しむべき命であったということの忘却に過ぎないのではないか。
❤️いて他者と関係を深めるためには、恋愛、敬愛にかかわらず、「私は特別な感情を相手に抱いている」という状態の表現が必要となる。『ユリ熊嵐』では、この状態の表現を「スキ」とした。「見つけてほしい」という願いは、他者に自分の存在を認め受け入れてほしいという承認欲求のひとつの形であり、「見つけられる」のはそれが満たされることだと言える。そして『ユリ熊嵐』では、「見つけられる」ことが、スキを与えられること、愛情を注がれることにも繋がっている。彼女たちが望むことは、「見つけられる」こと、愛情を受け取るだけではなく、「見つける」こと、自身が相手に愛情を与えることなのではないだろうか。
❤️また「スキ」は、キャラクター同士の関係性をより複雑化させるため、「キス」よりも物語の舞台装置として強く機能する。感情の結果としての行為が存在し、行為よりも感情が尊いという状態の肯定は、作中の銀子や紅羽の「わたしはスキを諦めない」という台詞が何度も見られることからも明らかである。これは愛を言語化せず物語が進行し、時にキスやデートなどのイベントが発生するという、いわば感情と行為が同じレイヤー上に存在する異。
また、幾原がシリーズディレクターを務めた『美少女戦士セーラームーンS』(一九九四ー九五)でも、みちるとはるか(女性同士の恋人として描かれる)が、「私はあなたの手が好きよ」という言葉とともに手を絡ませるシーンがあり(幾原が演出を担当した第一一〇話)、官能的で且つ強い精神的な結びつきを印象付けるものとなっている。女性同士の関係性を描く場面における手の動きは、性愛の暗示だけでなく、精神的な繋がりを表現することもできる。
互いが女性であることを明らかにした上で、『セーラームーンR』の海王みちる(セーラーネプチューン)、天王はるか(セーラーウラヌス)のふたりは愛を惜しげもなく言葉で表現し、かつその関係には陰りに類する状態は皆無だった。彼女たちの百合要素はいたって素直で純粋なものだったと表現できるだろう。
互いが女性であることを明らかにした上で、『セーラームーンR』の海王みちる(セーラーネプチューン)、天王はるか(セーラーウラヌス)のふたりは愛を惜しげもなく言葉で表現し、かつその関係には陰りに類する状態は皆無だった。彼女たちの百合要素はいたって素直で純粋なものだったと表現できるだろう。
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